四頁
昼間のオフィスはいつも通りだった。端末の画面に数字が並び、同僚の会話が隣の席で波のように繰り返される。だが私の視線は時おり画面の端を離れ、窓の外にさまよった。ブラインドの隙間から差し込む光が揺れると、そこに金の粒のような微かな煌めきが浮かんで見えるのだ。目を凝らすと消え、まばたきするとまた現れる。昨日の夜に見た川面の残像が、昼の現実に影を落としていた。気のせいだと自分に言い聞かせても、胸の内は落ち着かなかった。資料の修正を任されても、指先の動きがわずかに遅れる。言葉にできない何かが背後から私を見ているようで、心臓がときおり不意に跳ねる。午後の会議でも上司の声は遠く、数字や計画の説明は耳を通り抜け、かわりに水音や花弁の舞う景色が頭をよぎった。会議が終わり、席に戻って机に手を置くと、その掌にまだ冷たい川の感触があるように思えた。夕暮れ、オフィスを出る。街は仕事帰りの人々で混雑しているが、私は群衆を避けるように小さな路地へ足を向ける。迷うことはなかった。雨の残り香がまだ石畳に漂っている。昨日と同じ暖簾、同じ行灯の橙が夜の入り口を照らしている。格子戸を押すと、音もなく温かな空気が広がり、鈴音の澄んだ声が迎えた。「おかえりなさいませ」その言葉に肩の力が抜ける。綾女が静かに会釈し、奥から花札の束を取り出した。「続きをご覧になりますか」私は黙って頷いた。差し出された札をめくると、そこには桜に幕、金色の小片が描かれていた。視界が一瞬滲み、耳の奥で川のせせらぎが広がる。水面に舞う桜の花弁が渦に吸い込まれ、その中心に金の粒がひとつ残る。揺らぎながらも沈まずに漂う光。息を呑んだ私に綾女が告げた。「散るものの中で、残るものもある。それが今のあなた」言葉は静かで、だが胸に深く響いた。鈴音が「桜って、散ってもまた咲きますから」と微笑む。その声に一瞬切なさが混じっている気がして、私は視線を落とした。やがてグラスが置かれる。淡い桃色の液体に金箔が一枚、ゆらりと浮かんでいる。《花霞》と名づけられた酒。口に含むと花の香りが広がり、わずかな苦みが舌に残る。喉を通ると心がやわらかく解け、胸のざわめきが静かに沈んでいく。二口、三口と重ねるうち、視界の端に小さな光が漂った。幻かもしれない。だが確かに、そこにあった。答えを探そうとした瞬間、綾女が「求めずともよいのです」と告げる。その声に抗うことなく頷き、私はただ酒の余韻を味わった。外の世界よりもここが現実のように思えた。




