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二頁

水を置いてくれた桃色の着物の娘は、小柄でぱっつんの前髪が幼げな印象を与える。だが、その笑顔の明るさは場を和ませ、初来店のぎこちなさを忘れさせた。「ようこそ、宵待草へ。お仕事帰りですか?」と軽やかに問われ、私は思わず頷いてしまう。普段なら酒場での会話を避けがちな自分が、ここではなぜか素直に言葉を返すことができた。言葉の端々に、まるで鈴の音が混じっているように聞こえるのだ。


ふと隣に座っていたのは、若草色の着物を纏った女。彼女は柔らかく微笑み、声を低く抑えながら「初めていらした方には、不思議と似合う札が出るのです」と囁く。意味が掴めずに首を傾げると、桃色の娘が引き出しから花札を取り出し、ぱらりと卓上に広げた。


光沢を帯びた札には、花や鳥の絵に代わって、酒器や夜景、そしてカクテルを思わせる意匠が描かれている。馴染みある花札のはずなのに、どこか異国のカードのように艶めいて見えた。「ひとつ、引いてみませんか?」娘の声に導かれるように、私は一枚を手に取った。指先に伝わる紙のざらつきが、心臓の鼓動と重なった瞬間、札がふと体温を帯びたように感じた。


めくるとそこには、淡い桜の花と霞む川面が描かれていた。春の札。しかしその川には、光る金箔のような粒が漂っている。店主が静かに札を見やり、そして私の目を真っ直ぐに射抜いた。「桜は始まり。けれど流されやすい川の絵は、今のあなたの心を映しているのかもしれませんね」その言葉は占いでも説教でもなく、ただ淡々と事実を告げる響きだった。だが胸の奥に、図星を突かれた痛みが生じる。


ここ数日、研修先の職場でただ流されるように仕事をこなす自分。誰かが決めた予定、上司の指示、同僚の視線に合わせて笑うだけの日々。本当は自分の言葉で動きたいのに、勇気が出ずに立ち止まる。その迷いが、札一枚にすくい取られてしまったかのようだった。


「では、今夜の一杯は決まりですね」店主が小さく頷き、背筋をすっと伸ばす。その動作は舞台の所作のように美しく、空気を一段引き締めた。氷の落ちる音、酒を注ぐ音、柚子の皮をひと撫でする音──ひとつひとつが儀式のように重なっていく。やがて差し出されたグラスには、淡い白い泡が月の霞のように漂い、柚子の香りが微かに揺れていた。


「《朧月夜》です」そう告げる声は静かで、それでいて確かにこちらの心を導く力を持っていた。私は恐る恐る口をつけた。ひと口、泡が舌に触れた途端、視界がかすかに揺らぎ、まるで春の夜に舞う花びらが川面に降り注ぐ幻を見た気がした。現実か幻覚かはわからない。けれど不思議と嫌悪はなく、むしろ懐かしい夢の断片に触れたような安らぎがあった。


グラスを置くと、若草色の女が静かに囁いた。「この店では、飲むたびに少しだけ、自分の奥を覗くことになるのです」私は言葉を失い、ただ頷いた。まだ理由も仕組みもわからない。ただ確かなのは、この夜がどこかの分岐点になるという直感だけだった。

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