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第2話・番の契約

2.


 白に近い透ける銀の髪は、赤い月夜に溺れて尚、侵されることのない色彩。まるで今宵を支配するような美しさに息を呑むのに、感情とは別のところで動く《《何かが》》が滾って仕方がなかった。

(多分、本能ってやつだ)

 ハスミは正面に据えたままの視線を欠片も外すことのないよう努める。赤という色彩の真価だと主張するような深いルビー。ゆっくりと近づいてくる動作につれ、左右に体が揺れる度、揺れる光の位置を変える瞳。――心が、食い破られる。


「……綺麗だ」


 ふと漏らした稚拙な語彙に、真下からミナミの視線が向けられる。視線の気配に健気なまでに言われたことに従順に、憎しみの対象の一部を掌に乗せている同僚の姿を思い出して、少しだけ歯噛みした。しかし、ジワッと湧くわずかな罪悪感を、その何倍もの大きさで塗り替えていく興奮には抗えない。

 ハスミは荒くなる呼吸を抑えるように胸の前で衣服の生地を掴んでギュウと強く握りしめた。赤を見つめる瞳は歓喜に湧いて、呆然と見上げる彼女の眼には、理解しがたい奇妙なものとして映っているだろう。

 手伸ばせば届く距離。息を吐く唇の陰に、発達した犬歯が覗く。

 ヌラッ、と、まるでスローモーションのように。透明な唾液を引いて開く唇の隙間。ハァ、ハァと荒い呼吸を繰り返した少年の赤眼が苦しげに歪む。

 ハスミは目を細めて少年を観察した。少年は時折顎を上げ、控えめな喉仏を何度もドクンと上下させる。

 ハスミは少年を目を合わせたまま、自身の衣服に手をかけた。丈の長い白衣を脱いで、中に着ていたTシャツの襟もとをグイッと強く引っ張る。

「……ッ、ダメ!」

 ハッとした様子で首だけ伸ばしたミナミが悲痛な声で叫んだ。ハスミは一度彼女に視線を向け、彼女と目を合わせた後で彼女の掌へと視線を移す。ミナミはハスミの視線を追い、掌をギュッと窄めた後、遣る瀬無い色に染まった瞳を向けた。

「そんな顔しなさんな」

 ハスミは一瞬表情を緩め、柔らかい口調で言う。ミナミは血の気の引いた顔を左右に振って、乾いた唇の隙間をパクパクと開閉させる。

「これは、俺の悲願なんだよ。あんたを巻き込んで、こんな危険な場所に立たせてることは謝るけど、この出会いのチャンスをくれたことには感謝してる」

「なに、言って……」


「黙って見逃せ」


 最後の一言は、感情を排した冷たい声音で。ビクッとミナミが体を硬直させたのを横目で確認しつつ、ハスミはTシャツの襟を掴む手を更に強く引き下げた。

 フラッと大きく揺れる銀髪の丸い頭。さっきまで葛藤の揺れていた瞳から光が消える。

「……危ない!」

 張りつめていた均衡が、呆気なく破れる音がした。

 ミナミの掌から零れた赤い雫は、闇に吸い込まれるように一直線に地面へと落ちていく。下は固いアスファルト。地面に叩きつけられた瞬間、聴覚では聞き取れないほど高く繊細な音を立てて砕ける雫。まるで生き物のように波打つ黒い地面が、我先にと砕けた破片を飲み込んでく。ちょうど、人工池の水面に餌を投げ入れた時のように。飢えた生き物が上等な餌に群がり、食らう様。

 ハスミは腰に抱き着くように身を投げたミナミに倒され、したたかに腰を打ち付けた。

「……っ、痛ぇ……ッ」

「ひっ、あ、ぁ……ぁあっ……」

 ハスミが微かに漏らした苦痛に顔を上げたミナミは、真っ青な顔で壊れた機械のような音を零す。ハスミは彼女を一瞥し、ハァと呆れた息を吐いた。

「黙って見逃せって言ったのに」

「ごめ、なさ……っ、あ、ぁ……」

 ミナミは顔を何度も左右に振って、視線をさまよわせる。ハスミの顔と、彼の顔の前に掲げられた腕。そこに深く沈み込む牙と、ツゥと溢れて滴る血の軌跡。

「いやあああああああっ!」

 ミナミの悲鳴が静寂を裂く。ビリビリと震える空気の感覚に顔を顰めたハスミは、ハァと息を吐いて腕に噛みつく相手に視線を据えた。

「……ずいぶんとまあ、早急なことで」

 突き立てられた牙が沈む度、熱い痛みがジワジワ肉を裂いて脳を焼く。ハスミは強く息を吐いて痛みを堪えつつ、表情に湛えた笑みは消さないままに口を開く。

「腹減ってんのか? なあ。その割には、吸いかた下手くそだな」

「ふ……ぅ……ッ……ン……」

 間近で見交わす美しい赤。一瞬失われていた光は戻っていて、表面を潤ませた瞳は苦痛のように歪み、顎を伝ってダラダラと血液が滴り落ちる。腕の影に覗く喉は、一度も上下していない。ハスミは一度目を伏せ、ハァと長く息を吐いてから体を起こして少年に鼻先を寄せる。

「なあ、違うだろ?」

 ジワァと滲み出す脂汗。けれどもそれより、逸る鼓動で心臓がはち切れそうな程にドンドンと強く内側を叩く。ミナミは蒼白な顔で首を横に振っていた。彼女と、自身のとの間の明確な違い。それは言葉で伝えたところで、決して理解は得られないだろう。ハスミは努めて表情に余裕を滲ませながら、噛まれた腕をグゥと押し返し、少年の体を突き飛ばして深く沈んでいた牙を引き抜いた。

「痛ってぇな……」

 ジンジンと強く脈動する痛みを無理やり無視して、ハスミは噛み跡の残る腕を強く振った。

「ふ、ぁ……ぁ、あ」

 反動で後ろに尻をついた少年は、口の端から血を滴らせながら小刻みに震えている。ジッと上目遣いにハスミを見つめる瞳には怯えた色が滲んで、最初に目にした時の圧倒的な存在感は見る影もない。

――本来の吸血鬼。ハスミの脳裡にはそんな言葉が閃く。本能が暴走することはあれど、本来吸血鬼は誇り高くて大人しい、紳士な生き物だ。少年は血濡れた唇をグイグイと擦って、必死で荒い呼吸を繰り返す。

「吸ってねえな」

「え……?」

 間の抜けた声を上げたのはミナミ。彼女はハスミの腕と、少年の顔を交互に見る。少年は強く顎を引き、ゴクンと音を立てて唾を吞み込む。

「口に合わないってことはねえよな? 一度は意識飛ばしかけたんだから」

 ハスミはスゥと息を吸い、再びTシャツの襟に手を伸ばした。

 視線を据えたままでいた少年の赤眼が零れそうに見開いて、一瞬、金色に輝くの目にする。

「こっちだ」

 息を呑む一瞬。カッと大きく見開く双眸。

「ハスミさん!」

 耳障りな金切り声を上げるミナミの体を、ハスミは苦渋の思いで蹴り飛ばした。小柄な彼女の体は呆気なく宙に浮き、コンクリートを擦って線路に落ちるギリギリの位置で止まる。

 視界に過ぎる影。その残像を追う間もなく、深く首筋に沈む牙。

「……ひ、ぅ、ぐぅ……っ」

 飛び散る雫が地面に散り、ゴクン、と嚥下する音が耳底に貼り付いた。

 あれほど止めようとしていたミナミも、目の前で行われる吸血に目を剥いて固まっていた。

「ぅ……は、ぁ……」

 恍惚とした目を空に向け、彼にすべてをゆだねるように体を弛緩させたハスミに、ミナミは傷だらけの掌を握りしめ、ハスミに覆いかぶさる少年の体を剝がそうとする。

「ダメ、ダメ……っ! やめて、ダメ……! ハスミさん、しっかりしてください……!!」

 ハスミは遠のく意識の中でミナミの声を聴きながらも、フッと瞼を閉じて自身の体の反応へ意識を向けた。体内を巡る血液が湧き立ち、ボコボコ音を立てて脈動する。駆け抜ける感触は指先まで渡り、全身を熱く発火させていく。

「は、ぁ……ぐ、ぅ……ッ、ぁ……あ、ぁ……」

 ゾクゾクと震える背中。体の中央で、心臓が弾けたような熱の感触が廻った。吐き出す息が熱い。脳細胞のひとつまで、現れ、生まれ変わる感覚。

「ふ、ぅ、ぅ、ッ……あ、ぁ……」

 パキンッ、と。何かが割れるような音が脳内で閃く。植え付けられる種のイメージから、ツタが伸び、根が張っていく。

 Tシャツの襟元を強く掴んでいた手が力を失い、地面に落ちて。血管を突き破り伸びたツタが、まるで意思を持ったように動き回り、ハスミの左手の甲に紋様を刻んだ。

「ハスミ、さん……?」

 涙でぐちゃぐちゃに濡れた顔を上げて、力なくミナミが呼ぶ。ハスミは深く俯けていた頭をゆっくりと持ち上げ、スゥと静かに息を吐いた。顔に掛かる長い黒髪は所々が白く染まり、まだらな色は頭髪すべてに及んでいた。ハスミは紋様の刻まれた左手で視界にかかる前髪をかき上げる。

「……ヒッ……!」

 瞬間、ハスミの体に縋りつくようにしていたミナミが短い悲鳴を上げて飛びのいた。こぼれそうに涙を瞳に映る色に、ミナミはガクガクと大きく手足を震わせる。

 瞼を開いたハスミの瞳は、淡い赤色に変化していた。

「うまくいったか、シャァッ!」

 フハッと破顔したハスミは、拳を握ってガッツポーズをする。その変化を目の当たりにしたミナミは何度も瞬きを繰り返し、動揺を零した。

「ハス、ミ、さ……それ、……っていうか、体が、なんか……」

「あ? ああ……ハハッ、なるほどな」

 ハスミは自身の視界の先に掌を掲げて目を細める。歳重ねて骨ばっていた手は、艶めいて張りのある肌に変化している。ハスミは自身の頬に触れ同様の感触を感じ、表情に滲ませた笑みを更に深くした。

「吸血鬼とつがい契約を結べば、つがいとなった吸血鬼と命を繋ぎ不老不死になる。その際に、見た目もつがいの影響を受けるってのが通説だ。なあ、お前、だいぶ若けえだろ?」

「ぅえ、あ、はい多分……っていうか、あの」

 脱力した様子で地面に座り込んでいた少年は、大きな瞳に不安を揺らして、遠慮がちな視線をハスミとミナミに向けている。両肩を落として怯えた瞳を向ける様は臆病な小動物のようで、先ほどまでの緊迫した空気とのギャップに思わずホワッと和みかけた。

「噛まれたのに、生きてて、低級吸血鬼(ザコヴァンプ)も生んでないって、あの」

「……ああ」

「お化けさんですか?」

 迫真の表情と口調で言い放つ少年に、ハスミはガクッと体勢を崩す。少年はビクッと体を震わせ、瞳にさらに怯えた色を浮かべた。ハスミはハァと呆れた息を吐きながら、体勢を起こして淡い赤眼で少年を見据える。

「吸血鬼のくせになんだそれ。ってかまあ、俺も同族になったわけだけど」

「どう、ぞく……?」


「初めまして、俺のつがい


「つが、い?」

 少年は大きな瞳を瞬いて首を傾げた。言葉の意味は理解していない様子の一方で、本能がその意味を知っているというように、少年の白い頬にジワッと仄かに赤みが差す。

「お前、名前は?」

「あ、……アスカ……」

「俺はハスミだ、よろしく」

 ハスミは言いながら、少年――アスカに向けて手を差し出す。アスカは恐る恐るハスミに手を伸ばし、指先に触れた。2人の手が結ばれる直前、ハッとして起き上がったミナミは自身を指さしながら身を乗り出して声を上げる。

「あ、わたしは……!」

「なんでお前も名乗んだよ」

「えぇっ、そういう流れじゃないんですか!?」

「お前案外肝据わってんな? ってか、そんな悠長なことしてる場合じゃねえぞ」

 キィィィィン、と。聴覚をつんざく高い音が地面から湧いて周囲に伝播した。耳底を掴まれて力尽くで引き上げられるような。不快感と痛みが体の芯を貫いて、その場にいた全員は耳を塞いで地面に伏せる。

「い、痛……ッ、な、に……これ……」

「お前がさっき《《影》》に餌くれてやったからだろうがよ。貴重な1個、美味そうに食い散らかしやがってまあ……」

「わたしの、せい……?」

 呆然と呟くミナミの声に、ハスミは口の中で小さく舌打ちする。押さえつけるような重圧をなんとか押し退けて立ち上がり、ハスミはフラッと体を揺らしながら南に近づいた。冷えていく頭で、ミナミは吸い寄せられるように目の前に立つハスミを見上げる。

 疲労感をたっぷり溜め込んで窪んでいた目の周りはすっかり張りを取り戻し、もともと涼し気な目元を魅力的に浮きたたせる。野暮ったく見えていた丈の長い白衣も、長身のスタイルに抜群に映え、アスカと命を繋いだ影響でところどころにメッシュを入れたように見える髪もセンス良く見えた。ミナミはハスミに魅せられた若い頃の写真の彼を重ねて、無意識にホゥとため息を吐く。

 赤い瞳はまっすぐに空を凝視して、赤い月を見てスゥと細められた。

「お前の行動が原因だとしても、お前のせいではねえよ」

「へ? ぁ……」


「全部、俺の罪だから。お前には背負わせない」


「……っ」

 受け取り用によっては優しさにも聞こえるけれども、彼のミナミを見下ろす瞳の色は、それとは真逆の感情を映しているように見えた。ミナミは同時に感じたハスミの黙殺するような圧に、震える唇を引き結ぶ。

「……来るぞ」

 ハスミは革靴の底を強く鳴らし、背中にミナミを庇うようにして立った。夜を支配するがごとく位置に鎮座する月影に、無数の影が浮かびあって光を遮る。

「アスカ! ……って、おま、ハァ?」

「え……? ぅええっ!?」

「うぅぅ……」

 アスカを呼んで周囲を見回したハスミは、自身が庇うように立ったミナミのさらに後ろで縮こまるアスカを見つけて呆れた声を上げた。アスカはミナミよりも小柄な体をさらに小さく丸めて、怯えきった深紅をハスミに向ける。

「……お前、まさか怖がりか?」

「ぇ、う……ッ、お、オレ……吸血鬼って言っても全然力弱くて、人間の血吸ったのも、さっきが初めてで……」

「初めて、ってマジかよ。逆になんかテンション上がる」

「……処女厨ですか?」

「お前からそのツッコミされるとは思ってなかったわ。いい度胸してんな、お嬢ちゃん」

 完全にドン引きの色に染まった視線を向けるミナミは無視して、ハスミは未だに増殖を続ける影を見上げて乾いた笑いを吐いた。冗談では済まされない数。この影が防衛線を突破して居住エリアに侵攻したらと思うと背筋が冷える。――まるで、200年前の惨状のような。

「絶対、させねえ」

 低く呟いたハスミは、一斉にこちらを向いた赤い双眸と対峙する。背後には一般市民と怯えた吸血鬼。ハスミ自身、つがいを得て戦える身になったとは言っても、なにも理解していないアスカを前線に立たせるのは無理がある。ハスミは高速で回していた思考をいったん止めて、白衣のポケットを探りスマートフォンを取り出した。通信が繋がったままの画面を呼び出して、スゥと息を吸い込み、叫ぶ。


「リク、ツバキ、来い!」


 叫びに呼応してか、否か。上空から2つの影が舞い降りてハスミたちの前に立つ。肩越しに視線を向けてきた忍び装束の男――リクは、苛立ちのこもった蒼玉の瞳で鋭くハスミを睨みつけた。

「あなたの命令を聞く義務はないのですが」

「お前のマスター介してる暇なかったんだよ、許せ」

「私は別に構わないけど? 今までほっといたんだし、ハスミンのこと守ってあげんのもうちらの役目じゃんね」

 オレンジのツインテールをなびかせて、メイド服姿の女――ツバキは振り返らないままで巨大なロケットランチャーを上空に向けて構える。

「相変わらずいい女だな、ツバキ。今までありがとな」

「え、なに? ハスミン死んじゃうの?」

「ちげーわ。守られんのも、今日限りで終わりってこと」

 チラッと視線を向けたツバキの視界に映るように掲げて見せる左手の甲。ツバキは美しいカーネリアンをグゥと見開いて、やがてフワッとほほ笑んだ。

「おめでと、ハスミン。で、つがいくんはイケそうなの?」

「……いや、悪い。今日限定で守ってくれ」

「そういうことならドヤらないでくださいよ」

 ハァと呆れた溜息を吐いたリクは、引き下げていた口布を鼻根まで引き上げ、地面を蹴って空へと舞い上がる。斜めに背負った刀を鞘から引き抜いて、銀の切っ先に月光を映しながら閃かせた。

「相変わらず塩だな、あのお坊ちゃんは」

「リクのこと懐柔するとか無理ゲーすぎでしょ。あの子はマスター命だからねえ」

「よぉく分かってんよ」

「私もまあ、ヒイラギ命だけど。今日はハスミンがつがいくんに出会えたお祝いってことでめちゃくちゃ頑張ってあげちゃうよん。ヒイラギ、出力最大ちょうだい!」

 短く聞こえる「了解」の返事。ツバキは肩に担いだロケットランチャー固定する。リクの刀をすり抜け咆哮上げ迫りくる影。ツバキはルージュで飾った唇をニィと三日月形に持ち上げて、ロックした対象に弾丸を打ち込む。

「どぉーん!」

 愛らしい口調とは不釣り合いな威力で放たれる弾丸は次々と影を貫き、吹き飛ばして破片に返る。五月雨に降る弾丸を低い姿勢で交わしたリクは、ツバキの攻撃が仕留め損ねた残党を次々に刀で切り裂いた。

「すっご……」

 ハスミは背後でポツリ零れる声を聞く。深紅の瞳を見開き呆然と上空の戦闘を見つめるアスカ。ハスミはフッと軽く微笑んで、傍らにアスカを手招いた。

「あれがつがいの力だ」

「力……」

「お前が怖いと思うのはなんだ?」

 ハスミの問いに、アスカはビクッと身を震わせる。

「……血を吸うこと」

「そりゃ都合がいいな。お前はもう二度と俺以外の人間の血を吸わなくていい。というか、吸えない」

 ハスミはアスカの左手を取って、掌を返した。

「えっ、なに、コレ……?」

 アスカの見開いた瞳に、草が絡みついて炎のような図柄を浮き立たせる紋様が映った。ハスミは自身の掌も返して、アスカと同様の印の刻まれた左手の甲を見せる。

 アスカは食い入るように紋様を見つめた後で、恐々とした視線をハスミに向けた。ハスミはアスカの赤目を見つめ返して唇の端を吊り上げ、持ち上げたアスカの指先に唇を添える。


「お前は俺のものだからな」


 キラッと一瞬、アスカの瞳に光が揺れた。アスカは控えめな喉仏をゴクンと大きく上下させ、肩を強張らせて少しだけ身を引く。

「ひぇ……イケメン……」

「言語センス染まってんなー。詳しいことはあとでちゃんと説明してやるよ」

「はい」

 アスカは丸めていた背中を伸ばして、未だに続く戦闘を見つめた。ハスミは隣に並ぶアスカの手の甲に視線を向ける。ボコッと血管が浮き立ち、這うように移動していく。

(血が呼び合ってる)

 ハスミは視線を上空に向け、いつもより苦戦している様子の2人を見て口の中で小さく舌打ちをした。

「ハスミン! ごめん一番でかいのそっちに逃げた! そこの人間ちゃんヤバいかも!」

「……へ?」

 ヒュッと高速で頬の傍を過ぎる影。ハスミが振り返るよりも早く、飛び込んだ影はミナミを押し倒して引きずっていた。

「ミナミ! くそ」

 影はあっという間に途切れた線路の末端に立ち、ミナミの襟首を掴んで高く掲げる。上級吸血鬼ダーケストヴァンプの腕に吊るされたミナミの両脚は力なくプランと揺れ、グゥと強く絞められた掌の先で、ミナミの顔が真っ白に染まっていた。

「た、すけ……っ、はす、み、さ……」

 喘ぐような微かな声が漏れる。上級吸血鬼ダーケストヴァンプは彼の体躯に比べたら虫けらのように小さなミナミの体を弄んでいるようで、ぶら下げた肢体を何度も揺らした。

 ドクンッと大きく脈打つ鼓動。ハスミは強く奥歯を噛みしめて、ギリィと鈍い音を立てる。

「ハスミ、さん……?」

 傍らに立ちアスカも、ハスミの全身から立ち上るただならぬ殺気に気づいて上ずった声で呼んだ。ハスミはゆっくりと瞬きしてからアスカに向き直り、低い声で呟く。

「俺の願いが分かるか、アスカ

「……わかり、ます」

 アスカはゴクッと喉を鳴らして、怯えの残る瞳をハスミに向けた。

「なら、力を貸せ。俺はあの子を助けたい」

「助ける……」

 アスカは玩具のようにプラプラ揺れるミナミの体を見て、震える瞳を見開く。


「俺のそばでは、誰一人死なせない」


 スゥと息を吸い込んで、一度伏せた瞼を開いた。そして2人は、同系色の瞳を見交わす。


「オレは、オレの存在意義が欲しいです」

「それがお前の願いか?」

「はい」

「俺がお前の《《それ》》になってやる」


 繋ぎ合わせたハスミの左手から、アスカの右手にツタが伸びていく。手首の太い血管を突き刺して体内に侵入した紋様の一部はズブズブと深く沈み、アスカの体の奥深くまで侵入した。心臓に届いたツタはさらに奥まで沈んで絡みつき、アスカの体を変えていく。

 ジュワと、血管が焼かれるような熱さ。ハスミは顔を歪めながらもアスカの手を離さないよう努めた。血が繋がる。混ざり合い、増幅し、適合していく。体中の血管が膨れ上がる感覚が弾け、ハスミは反射で瞑った目を見開く。


「アスカァ!!」


 腹の底からの大声を張り上げ、タンッと強く地を蹴り飛び上がる赤い影を見た。小柄なアスカの体は赤い装甲のようなボディスーツで覆われ、猛スピードで上級吸血鬼ダーケストヴァンプに突っ込んでいく。風になびく炎の余韻。火の粉の軌跡を散らして、大きく振りかぶった拳が上級吸血鬼(ダーケストバンプ)の胴体で炸裂した。

 音として認識できないほど周波数の高い咆哮が夜を裂く。

「ツバキ、危ない!」

「ふぇ? うわわっ」

 ビリビリと震える空気は伝播して、残っていた吸血鬼の残党もすべて一掃していく。余波の影響を食らいかけたリクは、とっさにツバキの手を引いて物陰に隠れた。

 防衛線のシールドにぶつかりパラパラと霧散してく欠片を目にしたリクは、肩に抱えていたツバキを下してフゥと安堵の息を吐く。

「ねえ、なんで荷物みたいに抱えんのよ。もっとロマンチックに助けてくれてもよくない?」

「お姫様抱っこしろってことですか? そんなことしてあなたの弟に睨まれたくありません」

「確かに、ヒイラギめっちゃ嫉妬しそー! まあとりあえず、あんがとねリッくん」

 ツバキはウィンクを添えて、ヒラリ掌を振って物陰から出ようとした。

「ツバキ、状況をちゃんと確認してからの方が」

「大丈夫でしょ。ほら、あなたのマスターも来てるよ」

 ツバキが指さしで示した方向に視線を向けたリクはパッと瞳を明るく染めて表情を緩める。ツバキはやれやれと息をつき、背中で両手を組んで改めて物陰から一歩を踏み出す。ひび割れて崩れ落ちそうなコンクリートを踏んで、タンッと大きくジャンプ。耐空中に右手に絡んでいたツタが解け、ツバキの服装がメイド服から制服姿に変わる。髪型もツインテールから普段よくするハーフアップのスタイルに戻っていた。

「ヒイラギっ!」

 ツバキは着地する勢いのまま、白いブレザーの背中に抱き着いた。ヒイラギは「うおっ」と短い悲鳴を上げて体勢を崩すも、なんとか踏みとどまって肩越しにツバキを振り返る。

「姉ちゃん、お疲れ。ケガない?」

「ないよ。今回もヒイラギの武器が守ってくれたからね」

 ツバキは柔らかく微笑んで、ヒイラギの頭に額を擦り寄せた。ヒイラギはむず痒そうに身じろぎしつつも、呆れたように息を吐いて、ツバキの頭をソッと抱いた。

「マスター」

「リク、お疲れ様」

 リクは彼のマスター――シドウの手前で立ち止まり、慇懃に礼をする。顔を上げる一瞬で彼の忍び装束はシンプルな白シャツとデニムに変化し、高い位置で結んでいた髪もローテールに変わる。リクは微笑みを浮かべて、小走りでシドウに近づいた。

 シドウはリクよりも少しだけ背が低く、シャツの上にベストを重ね、細身のパンツを履いたスマートなスタイル。薄い前髪と全体的に軽くウェーブがかかった青髪を揺らして、差し出されたリクの紺色の髪に掌を添えた。リクを見るシドウの瞳は優しく微笑み、細いフレームの内側で淡い青眼が光を揺らす。

「ハスミのおっさんのつがい、あれか」

 2組のつがいが再開を果たして。ヒイラギは新たに生まれたつがいを眺めて目を細めた。未だヒイラギの背中に乗っかったままでいるツバキは、ヒイラギの肩に顎を埋めながら口を開く。

「そうみたい。あれって、見るからに純血だよね」

「……ああ」

 シドウは手にしたノートPCのカメラを起動して、ハスミとアスカの姿を録画しながら、顎にソッと指を添えた。

純血の吸血鬼(グレン・ヴァンプ)つがいがいる――なんて、ハッタリなんじゃないかって思ってたけど、本当に引き寄せるなんてね」

つがいとは、本能的に引き合うもの……ですか」

 シドウは傍らでリクが呟いた言葉を聞いて、口元に苦笑を浮かべ、瞼を伏せる。


 ハスミとアスカは意識を失っているミナミの状態を見て、息をしていることを確認してホッとする。

「ハスミさんの願いは、叶いましたか?」

 アスカの問いに目を上げたハスミは、スゥと目を細めて彼の瞳を覗き込むように顔を傾けた。

「まあ、この機会だけ守れればいいってわけじゃねえけど、一先ずは叶った」

「よかったです」

 目尻を窄めて笑うアスカの透けそうなほど白い肌を撫でて、生まれたの朝陽が差した。



《2/END》

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