#2:待ち人来る。
ほとんど徹夜をした翼には、夏の朝日を爽快だと思う余裕などあるはずもなく。
嫌になるほど、清潔感のある籠のような留置場。
面会が可能となる時間よりかなり前倒しして、刑事として強引に入り込んだ今は九時二八分。
翼は、檻のようなドア越しに、留置されているステラへどこから話せば良いかもわからないながら全て話す以外にできなかった。
幸運なことに、翼とステラはカオスキーパーズの経験が有った。
五十年続く最大手のトレーディングカードで、その普及率はトランプやチェスのルールを上回りつつあり、珍しくはないとはいえ、両者が熱中して自らのデックを所有しているのは好材料だった。
「その、配信するなら……そこであたしの無実も訴えれば良いんじゃないですか? 翼さん?」
「闇の配信よ。賭けの対象で表には関係ないわ」
「試合をしないで逃げるとか……」
「それなら犯人が獄中で自殺する“予定”だと言っていたわ」
「犯人ってあたしが……それって……」
泣き出しそうなステラを檻越しで支えることもできない翼は、背を向けて歩き出すしかなかった。
チーム戦は三人必要だと言われたが、しかしながらメンバーが足りない。
警察署内では刑事部長が圧力をかけているようで、メンバーが集まらなかった。
カオスキーパーの経験があり、今日中に集まれて裏の大会に出てくれる人物の心当たりなんてあるわけがない。
どこを探せば良いかもわからず、人数を集めなければならないが、カードショップで見ず知らずの人間に、裏の世界で対戦するから来てくれなどと声を掛けられるはずもない。
ただただ、時間だけが過ぎていく。
翼も刑事をしていて、手掛かりもなく走り回ったこともあったが、これほどまでに無力感を噛みしめたことはなかった。
探し方がわからない。探す場所もわからない。
足は向かう場所もわからず、昨日からの心身に蓄積したそれは翼をベンチに引き寄せる磁石のようだった。
探し方を探す時間すらない虚無感。
そのとき、影が、差した。
正午に向けて登り続ける日を遮って、翼の前に、その男は現れた。
「ちょっとごめんよ、俺は人を探してるんだ。知らないかい?」
――軽妙なその声の主は、奇怪な容姿をしていた。
小汚い緑と黒、二色のトレンチコート……そうではない。二着のコートを左右で継ぎ合わせている。
キズやツギハギも目立つ、正真正銘のオンボロ。
フードを目深にかぶったその姿は、何か決め手があるでもないが、直観的に翼は理解した。ホームレスだ。
「本当ならキミを探していたと言いたいんだがねェ、残念だが男を探しているんだ。虹色の目をした大男だ」
「いや、見ていないが……」
「本当に? 大柄の男で、もしかしたらカオスキーパーのカードを持っていたかもしれない。確かにこっちに来たと思うんだが……」
「気付かなかっ……カオス・キーパー? だって?」
映画の中の人物のようなリズムを感じさせる言い回しの中で、翼はその言葉を、確かに聞いた。
男は、ボロボロのコートから、不釣り合いにキレイなスリーブに入ったデックを取り出して見せた。
「ああ。キミもやるかい? これは最高のゲームだからな。家はレスでも……デックだけはレスにできないもんでねェ」
「そうだな、私も人を探しているんだ」
「ほォ? 俺を探していたという口説かれるなら最高だがね?」
「あなたがカオスキーパーの腕に自信があり、今、踏みにじられようとしている女の子を助ける義のある人ならば、そうなるでしょう」
「それは俺のことだな。話を聞かせてもらえるんだろうね?」
コート越しに、その男は不敵に笑ったように思った。
「パァアアアアアアアリイイイイイイイイ! 本日のメインイベントの時間だあああああ!」
警察署から移送という形で運ばれたのは、大して遠くもない貸しスタジオだった。
何の変哲もない、防音設備とカメラだけは充実した部屋。
そんな中、その男は防音設備も貫通するんじゃないかというテンションの叫びを仮面を超えて響かせた。
仮面。
イタリアの舞台劇で使う道化の仮面、プレスの利いたカッターシャツに蝶ネクタイ。
タレントである司会者、道化師然とした男だった。
観客もいないが、カメラ越しに世界中に配信されている闇の試合。
この場にいない観客へ向けて叫ぶ男の滑稽さが、やたらに闇の空虚さを思い知らせた。
「対戦するのは! ドラ息子チームっ! VSッ! 女子高生&女刑事チイイーム!
女子高生チームは、哀れで不運な女子高生、伊藤ステラ!
正義に燃える美人刑事、織宮翼!
その辺りを歩いていたホームレスが入ったチーム!
四人は集められなかったか? それともこの三人で充分ということか!? 期待してるぜぇぇ!」
ハイテンションの司会の言葉に、翼とステラのテンションは正比例している。
四人チームでの対戦など聞いていなかった。三対三と聞いていたというのに。
どちらの陣営にも小奇麗な椅子が四つ置かれ、向こうは埋まり、翼たちの陣営には空きがある。
奇妙なほどに落ち着いているのは、緑黒のトレンチコートのホームレスだけだった。
負けても失うものはないからといえばそれまでだが、それにしても、それにしても、余裕がありすぎるようだったが、翼とステラは部屋の逆側で腰掛けている対戦者に、気が気ではなかった。
バカ息子と悪徳刑事部長、そのふたりは良い。だが、残るふたりが良くない。良くなさすぎる。
「裏工作で無実にしようとしたドラ息子の葉山礼司! その裏工作を失敗した刑事部長の田川末男!
援軍は、社長のカネで雇われました助っ人のプロのデュエリスト二名の四名編成チーム! その二名は、こちらぁぁ!
第二十回世界大会をはじめ、多くの大会で今尚、実績を残し続ける生ける伝説、女傑・洞須ニコラ!
そしてぇっ! 今年度の世界大会を制したこの男が来てくれた! 第二六回大会優勝者! 神木長重郎!」
耳を疑ってから、目を疑った。
そこにいたのは、確かにテレビ中継されていた世界大会で確かに見た顔だった。
神木長重郎。そうだ、間違いない。
大きな大会に出場し始めたのは最近だが、一気に世界大会を制した新進気鋭。
左目に三つ連なる特徴的な泣きぼくろ、中性的な顔立ちに不釣り合いなラフなネルシャツ、見間違えようがない。
ニコラは、その彼の師匠に当たる女性、若い頃から使っている左右の大きなリボン――という言い回しをした人間を私はまだ若いのだという流し目で威嚇する所作まで含めた――トレードマークそのままだった。
「世界大会の、優勝者、って……?」
「俺たちはエサってことだろう。
表の大会と違って互角の勝負じゃなく、必死に戦ってプロに倒される美女たちという画面を作りたいんだろうねェ」
「そんな、じゃあ、あたしたちに勝ち目なんて……!」
「エサならエサで、食わせてやるしかないさ、勝つしかないなら……食中りでもさせてやるだけさァ」
動揺する翼とステラに対し、このホームレスは四対三で数も負け、相手に世界大会を制したプロがふたり付いている、それでもなお、この余裕を見せているのだった。
根拠なんてあるはずのない自信だが、それは不思議とステラを支えた。
対戦カードは、屍携会側で組み合わせを決めた。
試合方式は勝ち抜き戦。
先鋒がステラ、中堅がホームレス、大将が翼。
プロふたりに懸命に戦うもステラが蹴散らされ、大将である翼が必死に戦うというゲームメイクをしているのだろう。
怯えながらも対戦卓へ向かうステラの背中に、ホームレスは変わらぬ余裕で語り掛ける。
「ステラ。勝てるだけ勝て。楽しめるだけ楽しめ」
「たの、しむ……?」
「楽しんでも試合、つまらなくても試合なら、楽しんだ方が得だろ?」
他人事だと思って無責任なことをと理性では思ったが、不思議とステラの中で恐怖の感情が軽くなっていた。
そうか。
――楽しめば、良いのか。
「第一試合! 伊藤ステラ VS 葉山礼司! 当事者同士の対戦だ!」