栄養と体調不良の原因
アトロがアンティ嬢の部屋のドアをノックして声をかけた。
「入るぞ」
昨日と同じようにベッドに伏せているアンティ嬢。青い髪が長く垂れている。シーツの隙間から黒い瞳がこちらを覗き……
「レイ様!」
明るい声とともにアンティ嬢が体を起こす。周囲には花が舞い、まるで春のような雰囲気。と、同時に隣からブリザードが吹きつける。
(寒っ!? えっ!? 室内よね!? なんで凍えるほど寒いの!?)
そっと視線を隣に移すと絶対零度の黒い瞳で私を睨むアトロ。
(こいつが原因かぁぁぁぁ!)
思わず引きつった笑顔になる私にアンティ嬢が嬉しそうに呼びかける。
「レイ様、お待ちしておりました。こちらへ、どうぞ」
ベッドから出ようとするアンティ嬢をアトロが慌てて止める。
「いきなり体を動かすと倒れるぞ」
「これぐらい大丈夫ですわ。そんなに心配ばかりしていては、またシスコンと言われますよ」
アンティ嬢の言葉にアトロが私を睨む。
(あ、これで私は目の敵にされているのか)
私の窮地など知らないアンティ嬢が嬉しそうに話す。
「それに、私はレイ様にお会いできることを、とても楽しみにしておりましたの。こんなに心が躍る気持ちは久しぶりです」
「……そうか」
アトロが複雑な声音で頷きながらも、私に殺意がこもった視線を投げる。
(だからシスコンって言われるんですよ)
出かけた言葉を呑み込みながら私はアンティ嬢のベッドへ近づいた。推しはドアの前から一歩も動く様子はない。相変わらず女性には近づきたくないようだ。
私は袋の中から調合した薬を出して、ベッドサイドにある机に置いた。それから膝を床につけ、アンティ嬢に視線を合わせる。
「昨日、爪を拝見させていただいた時、手がとても冷えていました。あと、舌が白く、歯型がついていました。これは体が冷えており、胃腸の動きが弱くなっている時の症状です。それに、食欲もないと話されていましたので、体を温める薬と、胃腸の動きと消化吸収を助ける薬を調合しました。これを食事の前にお飲みください」
「はい」
素直に頷いたアンティ嬢に私は紙を出した。
「こちらは料理に使う食材や注意点を書いております」
「料理……? あ、それでレシピ!」
「はい」
説明をしようとしたところでアトロの不機嫌な声が私たちの間に入った。
「なぜ治療に料理が関わってくる?」
「それは……」
アンティ嬢が不機嫌な声で私の言葉を消す。
「お兄様。レイ様は私と話をされているのです。邪魔しないでください」
だから、何故この兄妹は人の話を遮るのか。
頭を抱えたくなったが、グッと堪える。そこにアトロが身を乗り出した。
「王家御用達のヤクシ家とはいえ、やはり男だ。おまえに近づけたくない」
「お兄様は私に近づく男性の方々に厳しすぎます」
「当然だ。おまえは侯爵家の一人娘。変な男がいつ言い寄ってくるか」
「それでは社交界デビューしましたら、どうするのですか? まさか、社交界でも私にずっと付いてくるおつもりですか?」
そのつもりだったのか気まずそうな顔になったアトロにアンティ嬢が畳みかける。
「そのようなマネはお止めください。侯爵家の恥となります」
アトロがヤケになったように言った。
「なら、それまでに婚約者を決める! 婚約者がいれば社交界に出ても余計な男は来ないからな」
その言葉にアンティ嬢が美しく微笑んだ。十五歳とは思えない妖艶さを含んだ笑み。
とても綺麗なのに、何故か私の背筋が凍って……
「それなら私はレイ様と婚約したいです」
一拍おいて……
「えぇぇぇっ!?」
「はぁぁぁっ!?」
私とアトロの悲鳴に近い叫びが響いた。ちなみに推しは両手で耳を塞いでいた。鋭い先読み! さすが、推し!
って、そうじゃなくて!
「ア、アンティ! なんで、こいつなんだ!? 何が!?」
「こんなに私のことを考えてくださる方は初めてだからです」
(いや、私が女って知ってるじゃないですかぁぁぁ!)
私の心の叫びを前にアトロがあたふたする。
「そ、それは出会ってないだけで他にも……」
「では、これから出会うとお兄様が保障してくださるのですか?」
アトロがグッと息を呑む。
「お兄様?」
笑顔のまま小首を傾げてアトロに迫るアンティ。
(このままでは婚約者にされてしまう! かと言って下手に断れば、今度は私の家、ヤクシ家の立場が悪くなる。くっ……こうなったら!)
私はレシピの紙をアンティ嬢に見せた。
「まずは体の調子を良くしましょう」
秘技! 問題先延ばし作戦!
私の提案にアトロが盛大に頷く。
「そうだ。まずは体を治すことが先だ。レシピについて、さっさと説明しろ」
(いや、あんたが中断させたから、こんなややこしい話になったんでしょうが!)
という不満を笑顔で隠し、私はレシピの説明をした。
「このレシピには優先して摂取すべき食べ物と調理法が書かれています。アンティ嬢の爪を拝見させていただきましたが、とても柔らかく、白目もうっすらと青みがかっていました。それは栄養が不足していることを表しています」
「栄養、ですか?」
アンティ嬢の疑問に私は頷いた。
「昨日、お聞きした話では料理に鉄の鍋やフライパンを使わず、肉もあまり食べない、とのこと。その結果、体を維持する栄養が不足して、今の状態になったと考えられます」
この世界では料理に鉄鍋を使っているので、自然と鉄が料理に含まれる。そのため、あまり鉄不足がない。
でも、アンティ嬢は鉄鍋を使っておらず、鉄が含まれる食材である肉類も食べていない。
アンティ嬢の爪は柔らかく、うっすらと青みがかった白目をしていた。それは、鉄不足の時に現れる。そして、鉄が不足すると慢性的な怠さ、立ちくらみ、頭痛などが起きる。
「ですので、料理を作る時は鉄の鍋やフライパンを使い、肉類を多く食べるようにしてください。あと……」
私は袋から三つの瓶を出した。一つは黄色い液体が入った細長い瓶。残りの二つには白い粉が入った大中の瓶。
まず私は中ぐらいの瓶を差し出した。
「こちらの青い蓋の瓶に入っている粉を一日一回、このスプーン一杯、食べるようにしてください」
アトロが胡散臭そうに瓶を睨む。
「それは何だ?」
「食べ物に入っている栄養の一つで、祖父が独自の魔法で精製しました。アンティ嬢の爪には白い斑点と、手の乾燥があり、この栄養の不足がみられました」
祖父は完全なる健康体になるため、食物の栄養素に注目した。
そして、高濃度に濃縮して栄養素を取り出すことに成功。ただ、それぞれの栄養素がどのように体に働くのか、祖父にはその知識がなかった。
当然といえば当然のこと。誰も栄養素について知らないのだから。
そこで私の前世の知識。
この白い粉は亜鉛を多く含んだ粉末。亜鉛は味覚などに必要なのは有名だけど、それ以外にも免疫を作る時に使われたり、体の代謝に使われたり、と健康体には必須な栄養素。
次に私は黄色い液体が入った瓶を指さした。
「あと、この油は一日一回、ティースプーン一杯をサラダにかけて食べてください」
「これも栄養か?」
「はい。日光浴をすれば体内で作られる栄養なのですが、日焼けはしたくないと思いますので」
これはビタミンDを集めた油。ビタミンDは紫外線が皮膚に当たることで体内で作られ、免疫力を高めたり、カルシウムが骨に吸収される時に必要となる。でも、外見が重要になる侯爵家の令嬢が日焼けをする日光浴はできないだろう。
アトロが当然とばかりに頷く。
「この真珠のような白肌を太陽に晒すなど考えられん」
「そう言うと思いまして。これは秘蔵なのですが、特別にお分けします。あと、肉や魚、卵を多く食べるようにしてください」
「何故だ?」
私は短くなった自分の髪を摘まんだ。