騎士カッレと攻略キャラたち
徹夜していたことをユレルミに怒られた私は強制的に寝かされた。推しの匂いがついた物を持ってくる交換条件として、仮眠することになったのだ。
「困った時はお互い様って言ったけど、こんな内容で呼ばれるとは思わなかったわ」
エプロン姿のユレルミが呆れたように言って姿を消した。
睡眠不足でまともな思考ができなかったから。本当にごめんなさい。
数時間寝た私は自然と目が覚めた。
そして、枕元には見慣れないハンカチが。寝ぼけたまま手に取ると、淡いミントの香り…………
「これよぉぉぉお! 推しの匂いぃぃぃ!」
一瞬で世界が色づき百花繚乱になる。
視界が花の幻影で溢れる中、私は急いで起き上がった。
「この匂いが消えないうちに!」
私は棚を漁って収納袋を出した。一見すると、どこにでもある普通の布袋。実際は、魔法がかけられていて、袋の口から入る大きさのモノならいくらでも収納できる、超高価な代物。しかも、中の時間が停止しているため、入れた時の状態のまま保存できる、超便利グッズ。
つまり、腐ったり匂いが消えたりしないということ。
「お祖父様から薬草を採取する時に必要だろうからって貰ったけど、こんなところで役に立つなんて。しかも、前世の世界より便利なモノがあるっていうところが凄いのよね。さすがゲームの世界」
収納袋の中に入れておけば推しの匂いは永遠に保たれる。
私は推しのハンカチを収納袋に入れて、収納袋を抱きしめた。
「これで、推しの香水が作れる! 推しには同じハンカチを買って、こっそり返そう」
決意を新たにしていると、別の袋が目に入った。その中身はアンティ嬢への薬とレシピが……
「しまったぁぁぁ……」
早々に持っていって効果を出さないと推しの研究費が削減されてしまう。
「くぅぅぅう!」
一刻も早く推しの香水を作りたい私VS推しの研究費。
私の中で勝負が始ま……るまでもなく。
「ここは推しの研究費でしょ!」
私は心の中で血の涙を流しながら身支度をした。推しには好きなことをしてほしい。活き活きと魔法の研究をしてほしい。そのために研究費は必須。
兄の服に着替え、髪を櫛で梳く。
「やっぱり髪は短いほうが楽よね」
私は食堂に作り置いてあった朝食のスープを口に流し込み、焼いた卵とウインナーをパンに挟んだ。
「いってきます」
パンを食べながら屋敷を飛び出す。
(さっさと終わらせて、推しの香水作りを……)
ドン!
パンを咥えたまま走っていた私は道の角を曲がったところで何かにぶつかった。
「ふみまふぇん!」
固めの布の感触。倒れないように咄嗟に足を下げて踏ん張ったところで金属が擦れる音がした。
「すまない。大丈夫か?」
腕を掴まれ、引っ張られる。無骨な手に浮き上がった血管。騎士服の袖から覗く腕は、しっかりとした筋肉があり……これは、しっかり鍛えられている。
「ふぉぉ……」
パンを咥えたまま感動していると頭上から声をかけられた。
「どうかしたか?」
「んぁ」
軽く私を見下ろす背の高さ。紅葉が終わって枯れかけた葉のような赤髪に、厚い木の皮ような茶色の瞳。騎士団長の息子で、将来が期待されている若騎士のカッレ。確か十八歳で攻略キャラの一人。
あ、これで攻略キャラが揃った……って今はそうじゃなくて。
私は咥えていたパンを手に持って頭をさげた。
「ぶつかって、ごめんなさい」
「怪我はないか?」
カッレの腰に下げている剣がカチャリと音をたてる。ぶつかった位置が悪ければ剣の柄がみぞおちに刺さっていたかも。
「はい。大丈夫です」
「よかった。では、失礼する」
爽やかな好青年という雰囲気で去っていくカッレ。やはり筋肉は心身を良好にする! 推しも健康体にしなければ!
この時の私は気がついていなかった。カッレが歩いていた先に魔法師団の研究棟があることに――――――
※
再びやってきた宰相の息子のアトロの屋敷。推しの研究費のためにも、アトロの妹のアンティ嬢を健康体にしなければ!
門番に名前を言えば「お待ちしておりました」と屋敷の中へ通された。
「……やっと来たか」
広い玄関ホールで胸の前に腕を組み、仁王立ちのまま私を迎えるアトロ。
「まさか、ずっとそこで待って……?」
「た、たまたまだ! たまたま、廊下を歩いていたらヤクシ家の令息が来たと執事が知らせに来たんだ」
「そう言って、私が来た時もそこに立っていましたよね」
低く耳触りのよい澄んだ声。甘い痺れが全身を駆け抜ける。
いつまでも聞いていたくなる、この声の持ち主は……
廊下の奥から推しが歩いてきた。会えると思っていなかったため私の頭がパニックになる。
「ど、どうして、ここにっ!?」
「本当に呪いや魔法の類いではないか、屋敷中を探れと脅されまして」
淡々と説明する推しにアトロが鋭い視線を向ける。
「脅すとは人聞きが悪い」
「魔法師団の研究費を盾にしている時点で脅しでしょう。魔法師団長にまで根回しして」
「脅しではなく交渉だ。それに、師団長から研究の一環として、ここに来る許可を先に得ていただけだ。何も問題ない」
そう言って推しとの会話を切ったアトロが私を睨む。
「最低限の身なりは整えろ。そんな姿でアンティの部屋に入るつもりか?」
「そんな姿?」
「口にパンがついている」
「えっ!?」
私は慌ててハンカチを取り出して口元を拭いた。言われた通りパンくずが……推しに見られた!? さすがに、恥ずかしい!
穴があったら入りたくなっている私をアトロが睨む。昨日より視線の冷たさが増しているような……?
「薬は?」
「持ってきました」
薬が入った袋を見せるとアトロが背を向けた。
「ついてこい。リクハルドも来てくれ。こいつが妙な魔法を使わないか見張ってほしい」
思わぬ言葉に推しの方を見ると、推しも私を見ていて……
(目! 目が、あった!? ちょっ、ちょっっぉぉお!?)
私は咄嗟に推しから顔を背けた。言葉にならない叫びを心の中に秘めつつ、悶える。無言の視線を感じた私は急いで姿勢を正した。
たぶん、推しが私を見ている。ここで変人認定されたら推しを健康体にする道が遠ざかる。それだけは避けないと!
(いや、逆にチャンスと考えて……ここで上手くアンティ嬢を健康体にできれば、推しも健康体に興味を持つかも!)
「よし!」
拳を作って気合いを入れる私。
「早くしろ」
「は、はい!」
私は走ってアトロを追いかけた。背後から推しの足音が聞こえる。チラリと振り返れば、ゆったりとした歩調で歩いてくる推し。
(足が! 足が長い! さすが、推し! ただ、姿勢が残念。体を支える筋肉が足りないから、重心はふらふらだし、すぐに背中が丸まって猫背に……)
そこで推しの顔が動く。私は逃げるように前を向いた。
(女のままだったら、一緒に歩くこともできなかった! 男装して良かった!)
私は軽い足取りでアンティ嬢の部屋まで移動した。。