蒸留室(スティルルーム)と推しの匂い
屋敷に戻った私は蒸留室に飛び込んだ。蒸留室とは薬の調合を行う部屋で、ヤクシ家には複数ある。ここは祖父から受け継いだ私専用の蒸留室。
清潔な白壁に水色の木枠に囲まれた大きな窓。壁一面を占める棚に、部屋の真ん中に置かれた長方形の調合台。
棚にはガラス瓶が並び、様々な薬草や鉱石、乾燥させた動物の肝などが入っている。隠し棚には秘蔵の薬も。
棚の扉を開けた私はガラス瓶を選びながら呟いた。
「聞こえた咳は乾いていたし、埃が刺激になって炎症も起きているだろうから、消炎作用と精神の興奮を鎮めながら肺を潤して咳を止める作用がある乾燥させた、鈴草と水花の粉末。サラサラ鼻水は肺の働きが弱くて、肺に水滞が生じているだろうから、排水と消炎作用がある、忘桃の種を砕いて混ぜた粉と。痒みは皮膚の炎症を抑える夜鉱石と水竜の鱗を少し混ぜて砕いて。あと、氷雲を入れた塗り薬も忘れずに」
私は選んだ薬の重さを量り、一回分ずつ小さな袋に入れた。塗り薬は陶器で作られた小さな軟膏壺へ。
「子どもの年齢や体重が分からないから、一回に飲む量を五歳児の量にして。五歳児以下なら一袋の半分、五歳児なら一袋、七歳以上なら一袋にもう半分を足した量、十歳以上なら二袋を一回で飲むように……と、この説明を袋に書いて」
私は薬をまとめて入れている袋に飲み方の説明を書いた。
「チビたちって言ってたから、大きくても十歳ぐらいかな。念のために数は多めに準備して」
子どもたちの薬の準備を終えて、ユレルミの咳止めに取り掛かる。
「体力はありそうだったから、体を温めて咳を鎮める、火だるま草の根に火竜の血を混ぜて。他には……子どもたちの薬と同じ消炎作用がある、鈴草と水花も足して完成。あ、薬とは別に干し肉と野菜も入れておこう。栄養もとってもらわないと」
作った薬を持って大通りのカフェ『スターベックス』へ。店の名前からして、このカフェもゲームに出てたのだろう。覚えてないけど。ただ、ここまで店名が似ているなんて、パクリで訴えられなかったのだろうか。
そんなことを考えながら店の前まで走ると、ユレルミがいた。
真っ黒な服装ながらも、街灯に背をつけて立つ美青年は道行く女性たちの話題の的。嫌でも目につく。
(っていうか、ダルは?)
特徴的な頭であるスキンヘッドを探しているとユレルミが近づいてきた。
「ダルならいないわよ」
冷えた声と視線が私に刺さる。思わず目をそらした私にユレルミが言った。
「ダルから話は聞いたわ。この咳の原因が埃だって」
「え?」
顔をあげた私にユレルミが肩をすくめる。
「言われてみれば、私の咳が出るのは、あの屋敷にいる時だけ。外にいる時は咳が出なくて不思議に思っていたんだけど、合点がいったわ」
「じゃあ……」
「今、ダルたちに大掃除させてる。空き家だったから少しだけ休むつもりで侵入したのに」
「どこかに移動している途中なのですか?」
「そう。詳しいことは言えないけど、子どもの一人が体調を崩したから仕方なく休んでいたら、次々と体調を崩してね」
慣れない移動がストレスとなって子どもたちは体調を崩したのかもしれない。
私は袋を差し出した。
「咳止めと鼻水止めと痒み止めが入っています。あと必ず日光浴をしてください。上半身裸でも、両足でもいいので。窓のガラス越しとか、服越しではなく、皮膚に直接太陽の光を当てるように」
「どうして日光浴が必要なの?」
「太陽の光を浴びない生活をしていると体や骨が弱くなるからです」
ユレルミが顎に手を当てて考える。
「……子どもたちも私も長く太陽を避けた生活をしていたわ。ヤクシ家からの助言ですものね。試してみる価値はあるかしら」
「え? どうして、私の家のことを……」
ユレルミが私の服に触れる。すると小さな風が巻き上がった。
「見えないでしょうけど精霊をつけていたの。情報収集は私の得意技の一つでね」
「それで、あっさりと私を帰したのですか」
「あら。一応、人を疑うぐらいの頭はあるのね」
「アジトを見られたのに、あれだけの脅しで帰すなんて、逆に怪しいと思いますよ」
「考える頭はあるようね」
別名、精霊使いのユレルミ。ゲームでも精霊を使った情報収集や暗躍が得意で主人公や推しを助けていた。これもゲーム通りの設定。やっぱりユレルミは良い人っぽい。
ユレルミが薬が入った袋を私から取って……重さで腕が下がった。
「ちょっ、どうしてこんなに重いの!?」
「干し肉と野菜も入ってます。しっかり煮込んで柔らかくして食べてください」
「至れり尽くせりね。でも、どうして見ず知らずの私たちにここまでするの?」
「それは奉仕が流行っているから……」
ユレルミが意地悪そうに目を細める。
「でも、こんな小さな奉仕じゃあ社交界で自慢できないわよ?」
「うっ」
言い訳だと見抜かれていた!
緑の瞳が鋭く私を射貫く。下手な嘘はつけそうにない雰囲気。
「こ、困った時はお互い様です!」
苦し紛れに出た言葉。だけど、それがユレルミのツボだったようで綺麗な顔を崩した。
「困った時は……か。面白いことを言うわね」
笑うのを堪えたような顔でユレルミがポケットから何かを取り出す。そのまま軽く私に投げた。
「持っておきなさい」
キラキラと太陽の光を弾きながら円を描くナニか。慌てて出した両手の中にソレは落ちた。
「……ガラス?」
薄い緑色だけど透明で親指ぐらいの大きさ。形はいびつだけど綺麗。
指で摘まんで眺めていると不機嫌な声で訂正された。
「失礼ね、風の魔法石よ」
「え?」
魔法石とは魔力を持った石で、魔力を持たない人でも魔法が使える代物でとても高価。あと、使える魔法は石の属性による。
「ユレルミ」
「え?」
「困ったことがあったら、その石にユレルミって呼びかけなさい」
「もしかして、伝達ができる風の魔法石? でも、どうして……」
「困った時はお互い様なんでしょ?」
ウインクをするユレルミ。それだけで遠巻きにこちらを見ていた女性たちから黄色い声が飛んできた。さすが美形。オネエ言葉は聞こえていないのだろうけど。
「これで貸し借りなしよ」
高価な魔法石を薬代にするということなのだろう。
「わかりました。困ったことがあった時はお願いします」
私は笑顔でユレルミと別れ…………再会はすぐだった。
※
「推しの匂いが作れないぃぃぃぃ!」
アンティ嬢の薬を調合した私は、蒸留室で推しの匂いを頼りに香水を作っていた。
袖についていた推しの匂いはほとんど消え、記憶を頼りに香水を調合しているのだけど……
「あと、ちょっと。あと、ちょっとっぽいのにぃぃぃ……」
調合台にハッカにミント、レモンやジャスミンなど香水の原料が並ぶ。
配合を変え、量を変え、試行錯誤するが納得する仕上がりにならない。
「もう一度……もう一度、匂いを確認できたら……」
夜通しで様々な匂いを嗅ぎ、メモをしながら分量の計測を続け、疲労困憊。回らない頭。そもそも不眠は健康体の敵なため、徹夜に慣れていないのに。
「プロテイン、飲んだらば、筋肉もりもりばーきばき……推しの匂い、あと少し、推しの匂いよ、降ってこい……」
窓の外から朝日が差し込み、風の魔法石を淡く照らす。寝不足の頭に浮かぶ母キャラ。
半泣き状態の私は思わず呟いていた。
「ユレルミィィィ、助けてぇぇぇ」
「どうしたのよ?」
返事に驚いて振り返ると、そこにはエプロン姿でお玉を持ったユレルミが。もしかして、朝食を作ってた? いや、どこまで母キャラなの!?
「どうやってここに!?」
「呼ばれたから魔法で来たのよ。まさか、こんなに早く呼ばれるとは思ってなかったけど。で、何の用?」
疲弊しきっていた私はユレルミに泣きついた。
「推しの匂いができないのぉぉぉ! 推しの匂いが付いた何かを持ってきてぇぇぇ!」
「お、推し!? 推しってなんなの!? 臭いって、どういうこと!?」
混乱するユレルミにワンワンと泣く私。
推しの香水を作るために推しの匂いが必要と説明して怒られるまで、あと三十分――――――