ユレルミとオカンキャラ
古い屋敷は埃と蜘蛛の巣に満ちていた。そこに小さなくしゃみや鼻をすする音が微かに聞こえる。
その音の発生源を探していると、低い声のオネエ言葉が響き渡った。
「堅気を巻き込むのは流儀に反するって言ってるでしょ!」
「ですが、頭! このままでは、チビたちも動けません! チビたちと一緒に治療を受けてくだせえ!」
「くっ……」
明らかに表情を歪める攻略キャラの、えっと……ユレルミ! ユレルミだ!
聞き馴染みがない名前だから忘れてた。無口で……あ、滅多に話さないからオネエ言葉だったことに気づかなかったのか。あと、周りをよく見ていて、みんなの世話を焼く……
(母だ! 母キャラだ!)
私は心の中で手を打った。
そこでユレルミが私を睨む。美形で適度な筋肉を持つ……今は二十五歳だったはず。
「ちょっと、あんたぁ……ゴホッゴホッ、ゲホッ、ゲホッ、ゴボッッ!!」
最後の咳は胃の中のモノが出てきそうな勢い。
「だ、大丈夫ですか?」
「……だいじょ、ゴホッ、ゲホォッ」
息を整えようとすればするほど咳き込む。
ユレルミが手をかざした。
『潤いを』
魔法で出した水が宙に浮かんでいる。ユレルミが私に背を向けてその水を飲んだ。
「はぁ……失礼したわ」
咳が落ち着いたところでユレルミが改めて私と向き合う。
「こいつらが無理矢理あんたを連れてきたみたいで悪かったわね。古い屋敷のことを他言しないなら、今すぐ帰してあげるわ」
「他言したら困るのですか?」
「そういうこと。無傷でいたかったら、このまま帰りなさい」
私は視線だけで周囲を確認した。
正面にはユレルミとスキンヘッド。背後には私をここに連れてきた傭兵崩れの男たち。この人数だと私の筋肉では敵わない。己の力量を把握していることも筋肉には必須。
ただ、気になることが……
「分かりました。このまま帰りますが、一つお願いしてもいいですか?」
「なに?」
「私はかなりの方向音痴で、知らない道は必ず迷います。ですので、大通りまでそこのスキンヘッドに案内してもらえませんか?」
「……いいわ。ダル、案内してきなさい」
ダルと呼ばれたスキンヘッドが焦る。
「ですが、頭。このままだとチビたちが……」
「それこそ他人の手は借りられないことよ。さっさと大通りまで行ってきなさい」
圧を含んだ命令にダルが渋々歩き出す。
「ついてきな」
屋敷を出て先に進むダルに私は声をかけた。
「あの家は掃除をしないのですか?」
「すぐ移動するのに、掃除なんてするわけないだろ」
「本当にすぐに移動するのですか?」
私の質問にダルが苛立ったように振り返った。
「何が言いたい!?」
「あのまま、あそこで休んでいても体は良くなりませんよ」
ダルが驚きに顔を崩しながらも威勢よく叫んだ。
「どういうことだ!?」
「もし体を休めるために古い屋敷にいるなら掃除をしないといけません。くしゃみも咳も鼻水も原因は埃です。もしかしたら、体に痒みが出ている子もいるのでは?」
目を丸くしたダルが足を止める。
「ど、どうして痒みがあることを!?」
「そちらの事情に首を突っ込むつもりはありません。ただ、ユレ……いえ。あなたたちの頭さんの咳と、微かに聞こえた鼻水をすする音やくしゃみ。その原因は窓を閉め切って空気の入れ換えをしていないことと、埃などの小さなゴミです」
「たかが埃だろ! それが原因なんて……」
「子どもたちは今まで綺麗な場所に住んでいて、埃に慣れていないのでは?」
「なんで、それを……」
警戒心を露わにして構えるダル。
ここで勘違いしてもらっては困る。私だって面倒事に付き合いたくない。そんな時間があるなら、推しを健康体にしたい。
ただ、ユレルミは攻略キャラの一人。
ゲームが始まったら旅に出た推しと合流して強力なメンバーとなる。今、助けておかなければ推しの旅に不具合が起きる可能性も……
「私はそちらの事情に首を突っ込むつもりはありません。ただ咳と鼻水と痒み止めの薬を調合して渡すことはできます。いりますか?」
「おまえ、治療師じゃないのか?」
「治療師とは一言も言っていません。で、薬はいりますか? いりませんか?」
「ほしいが……金はそんなに持ってねえぞ」
「代金はいりません。私物の薬草から作りますので」
ダルが訝しむ。
「金がいらないなんて、何が目的だ?」
タダより高い物はない。疑うのは当然のこと。
私はとっさに言い訳を考えた。
「えっと……今、貴族の間で奉仕が流行っているんですよ。恵まれない子に薬をあげる。これも立派な奉仕の一つでしょう?」
正確には奉仕事業、貧民への食料支援や孤児院の経営などをして、自分の経済の余裕ぶりを自慢するのが流行っている。細かいところは知らないだろうから、これで誤魔化せるだろう。
ダルが疑いを残した視線を私に向ける。
「……わかった。薬はいつできる?」
「実際に子どもたちの状態を見ていないので、個別に調合できませんから、症状に合わせた薬を調合して年齢に合わせた量に分包しますので……一時間ぐらいですね。ところで、子どもたちは何歳ぐらいですか? 体重は?」
「そ、それは……」
言いづらそうにダルが視線をそらす。
そこまで秘密にしないといけない子どもたちとは……
奴隷や人質など人身売買の可能性も……いや、ゲームのユレルミはそういうことは嫌う正義感が強い義賊だった。
さっきの「堅気を巻き込むのは流儀に反する」っていうセリフからも、その設定は変ってないはず。
少し考えた私はダルに訊ねた。
「字が読める人はいますか?」
「頭ほどじゃないが、オレも少しなら読める」
「なら、薬の飲み方について簡単な説明を書きます。それを読んで、子どもの体の大きさにあった量の薬を飲ませてください」
「わかった」
「じゃあ、私は急いで薬を持ってきますので、大通りにあるカフェ『スターベックス』で待っていてください」
老若男女、誰もが知っていて、珈琲のメニューが豊富なことで有名な店。場所を知らなくても歩いている人に聞けば教えてくれる。
走り出した私にダルが慌てて声をかけた。
「おまえ、方向音痴じゃないのか!?」
遠くなるダムに私は叫んだ。
「誰がそんなことを言いました?」
「おまえだよ!」
怒り交じりのツッコミに私は手を振って去った。
まさか、ダルから話を聞き出すために言った方向音痴という嘘をまともに信じていたなんて。
「ま、それは置いといて。さっさと薬を分包して渡して、アンティ嬢の薬を調合して、推しの香水を……」
そこで右腕の匂いを嗅ぐ。確実に弱くなった匂い。
私は血の気が引いた。
「推しの匂いが消える前に香水を作らないと!」
私は全力で走った。