アンティ嬢と真実の眼
私とアンティ嬢の距離に気がついたアトロが荒い足音を立てて近づく。
「離れろ!」
アトロがベッドサイドで片膝をついている私の肩に手をかけて引っ張った……が、私の体はまったく動かない。
というか、アトロの力の入れ方が無駄だらけ。私を動かしたいなら手先だけの力ではなく、腰を落として全体重を使わなければ。
「な、なんだ!? 石のように動かない!?」
驚くアトロにアンティ嬢がお願いをする。
「お兄様。レイ……様と二人でお話させていただけませんか?」
「なっ!? ふ、二人で!? 婚約者でもない男と二人きりになりたいなど……」
明らかに動揺するアトロにアンティ嬢が黒瞳を潤ませ、両手を胸の前で重ねた。
「お願いいたします」
美少女からの上目遣いのお願いポーズ! これは効く!
アトロがグッと息を呑むのが分かった。そこから額を押さえて苦悶する。
そこにアンティ嬢のトドメの一声。
「お兄様……」
「ガハッ!」
甘く縋る声に貫かれたアトロが胸を押さえて床に沈む。温和で知的なイケメン攻略キャラだったはずなのに、その様相は微塵もなく。
「わ、わかった。五分だけだぞ」
「ありがとうございます」
アトロが推しを連れて部屋から出て行く。
(推しだけは置いていってぇぇぇえ!)
声に出せない叫びをどうにか堪えていると、二人を見送ったアンティ嬢が息を吐きながらベッドに体を倒した。その顔は青白く、苦悶に満ちている。
これまでの気丈な声が一転、力の無い声でアンティ嬢が申し訳なさそうに微笑んだ。
「……このような姿で、申し訳ございません」
「無理をしないでください」
焦る私にアンティ嬢が目を伏せる。
「座っているのも辛くて」
「私に気を使わず。楽な姿勢になってください」
「ありがとうございます。どうしても、お話したいことがありまして。私の目の奥に虹があることに気づかれたのでしょう?」
ここは下手に誤魔化して話が長引いたら、アンティ嬢の負担になる。
私は余計なことは言わず黙ったまま頷いた。
表情を消したアンティ嬢が顔を天井に向ける。
「私は真実の眼と呼ばれる瞳を持っています」
「真実の眼?」
そんな設定、ゲームでは出てこなかったような……そもそも、アトロの妹はゲームに登場しなかった気がする。存在も知らなかったぐらいだし。
私が記憶を辿っていると、アンティ嬢が小さく頷いた。
「はい。その名の通り、真実を見る目です」
「あ、それで私の性別を見抜いたのですね」
「はい。話が早くて助かります」
アンティ嬢が息を吐いて目を閉じた。胸の上に手を置いた姿はまるで眠れる森の美女のよう。王子がキスをした気持ちが分かる……って、私は男装しているだけ。男にはなっていないから!
自分に言い聞かせていると、アンティが目を閉じたまま話を始めた。
「この目は見たくないモノまで見えてしまいます。今までも、幾人もの治療師が回復魔法で私を治そうとしました。しかし、その本心は宰相である父に気に入られたい。我が侯爵家の専属の治療師になりたい。など己の欲からで、私を見てはいませんでした」
「それを言ったら、私も欲にまみれていますよ? 正直なところアンティ嬢を治療するのは、別の目的がありますから」
どうせ黙っていても真実の眼で分かること。
包み隠さずに言うと、アンティ嬢が目を開けて面白そうに笑った。
「そういうところも見えました。ですが、それよりも体を健康にしたいという、強い意志が見えました。あなたは、その身をもって苦しみを知っている。だから、相手の体の健康について誰よりも真剣に向き合う。そんな、あなたの治療を受けたいと思いました」
私より年下、十五歳とは思えない思考と雰囲気。これもゲームの設定の影響なのか、それとも侯爵家という環境のせいか。
もしくは真実の眼で、いろんな人を見てきたからか。
「その話をするために私と二人に?」
私の質問にアンティ嬢が首を横に振る。
「いえ。あなたの本当の名前を教えて頂きたいと思いまして。真実の眼では名前まで見えませんから」
「それでレイソックとは呼ばなかったのですね」
「はい」
私は立ち上がりズボンのままカーテシーをした。
「名乗りが遅れて申し訳ございませんでした。マルッティ・ヤクシ・ノ伯爵が娘、レイラ・ヤクシ・ノと申します」
それまで暗かったアンティ嬢の顔がパァァァと明るくなる。
「レイラお姉様ですね! 素敵なお名前です!」
嬉しそうに微笑むアンティ嬢とは反対に私は背中がゾクゾクとした。
むず痒いというか、お姉様呼びは私のキャラではない。お姉様といえば、金髪縦巻きロールで扇子を片手にオホホというイメージ。
私は引きつりそうになる顔を堪えて訴えた。
「も、申し訳ございませんが、その呼ばれ方は慣れておりませんし、このような姿なので、他の呼び方をしていただけると助かります」
「そうですね。では、レイ様でもよろしいでしょうか?」
それならレイラでもレイソックでも使える。
「はい。その呼び名でお願いいたします。あと、私が女ということは、二人だけの秘密に……」
言いかけたところで無造作にドアが開いた。
「二人だけの秘密とは、何だ!?」
部屋に飛び込んできたアトロにアンティ嬢が呆れたような顔になる。
「三十秒早いですわ、お兄様」
「それぐらい誤差だ」
「もう。私のことを心配しすぎだと思います」
「これぐらい普通だ」
ゲームでのアトロは温和な知的キャラだった。それが、これでは…………私はふと呟いた。
「妹溺愛者?」
アンティ嬢がその通りとばかりに頷く。
「そうですわ。シスコンです! お兄様はシスコンです!」
「なっ!? ち、違う! そんなことはない!」
「いいえ! お兄様はいつも私のことばかり。シスコンという言葉がピッタリです」
「そんなつもりはなくてだな」
言い合いを始めた二人を置いて私は廊下を覗いた。推しがどこにもいない。
私はアトロに訊ねた。
「あの、一緒に来ていた魔法師団の副団長の……」
「リクハルドか? あいつなら研究の続きがあると帰った」
「そんなっ!?」
私はその場に崩れ落ちた。
(せっかく推しが見られたのに……もっと、見ていたかったのに……ボーナスタイムが終わってしまった……)
沈む私にアトロの声が刺さる。
「さっさと薬とレシピとやらを作って持ってこい。名前を出せば屋敷に入れるようにしておく」
「……分かりました」
私は暗い影を引きずりながら侯爵家を後にした。