兄の努力とユレルミ
こうして無理矢理でも食べながら薬の在庫と出納帳を照らし合わせた結果……
「お腹痛い……これ、胃だ……胃が痛い……」
見事に体が受け付けず、ベッドの住人となった。窓からは三日月が嘲笑うように覗いている。
「ここまで胃腸が弱っていたなんて、無念……」
唸っているとノックの音と兄の声がした。
「薬を持ってきた」
「どうぞ」
兄が水が入ったグラスと薬を持って部屋に入る。その後ろには衛兵。しかも、ハーパコスキ伯爵から賄賂をもらっていたヤツ。
私はベッドから起き上がり渡された薬を飲んだ。食道から胃までスーとした清涼感が広がり、少しだけスッキリする。
「大丈夫か?」
「はい。あの、お祖父様はいかがでした?」
「元気そうだった。というか、おまえのことを心配していた。大丈夫だ、と伝えて帰ったのに、まさか食あたりで寝込んでいるとは思わなかったぞ」
そう言って兄が軽く笑う。すぐに暗くなる空気を少しでも明るくしようとしているのだろう。
私の肩から自然と力が抜ける。
「お祖父様が元気なら安心しました。お腹は一晩休めば治ると思います」
「無理するなよ。あと、ハーパコスキ伯爵が来たんだってな?」
「執事長から聞きましたか?」
「あぁ。どういう要件だった?」
私は視線を衛兵にずらした。賄賂をもらった衛兵を通して、ここで話したことはハーパコスキ伯爵に伝わるだろう。
ならば……
「ハーパコスキ伯爵から結婚の申し込みがありました」
「なっ!? このタイミングで!?」
「はい。ハーパコスキ伯爵はルオツァラ家の血縁者だそうです。そのため、現在はルオツァラ家の管理をしているとか。もし、私がハーパコスキ伯爵に嫁げば、お祖父様の事件は身内のこととして処理できる、と」
最初は驚いていた兄が顎に手を添えて唸る。
「まさか……それが目的で……」
「お兄様?」
兄が顔をあげた。私と同じ藍色の瞳が迷いに揺れている。
「……実は、お祖父様から口止めされていたのだが……ハーパコスキ伯爵から、おまえと婚約したいと何度も申し出があったんだ」
「え?」
兄が目だけを衛兵にむけた後、私に視線を戻した。
「最初はお祖父様が断っていたんだが、女装しているオレに物や手紙を送ってくるようになってきてな」
括弧内の言葉は声にしていない。けど、双子の勘というか、なんとなく伝わる。
「まったく知らなかったのですが」
「おまえが気づかないようにしていたからな」
「どうやってですか?」
「オレを説得すること、を婚約条件にしたんだ。それで、オレにアレコレ言ってくるようになった」
たぶんタイミング的に私の男装をやめさせた時なのだろう。私がいくら懇願しても男装を強制的にやめさせた理由がやっと分かった。
「あの、それ……いつまで続きました?」
「半年前まで続いていたな。まあ、本人が直接来るわけじゃなかったし、従者がプレゼントや手紙を持ってくるだけだったから、軽く対応していた」
「それでも二年半……執着というより執念? 怖っ!」
小さく体を震わす私に兄が肩をすくめた。
「だから、オレに来るように仕向けたんだ。その頃のおまえは、対応できるような精神状態じゃなかったしな。あと、おまえが対応したら余計にややこしくなる」
「そこは……否定できません」
「だろ? おまえは色恋沙汰に疎いからな」
そう言って諦めたように笑う兄。
「おまえは社交界でも結構人気があるんだぞ。何人の男共に、おまえを連れてこい、と言われたか」
「私を連れてこい? 何故です?」
「黙っていれば、それなりの外見だからな」
「はぁ……」
他人事のように感じていると、兄が真顔になった。
「それで、ハーパコスキ伯爵には何て返事をしたんだ?」
「返事はしていません。ただ、ハーパコスキ伯爵は王子の誕生日パーティーで婚約発表をする、と言われました」
「それでいいのか?」
黙って頷いた私に兄が驚愕する。
「待て! 早まるな!」
言葉の中に別の「早まるな」という意味を感じる。
「……お兄様、違うことを考えていません?」
「そうじゃないのか?」
伊達に二十年、双子をしていない。兄は私が薬を使ってハーパコスキ伯爵をどうにかすると考えたのだろう。
「お祖父様や、ヤクシ家のために、私ができる最善のことをしようと思います」
私の覚悟を感じたのか、兄は空になったグラスを持って立ち上がった。
「…………そうか。無理はしないようにな」
「はい」
兄が衛兵とともに退室する。
私はそっと呟いた。
「これでハーパコスキ伯爵の油断を誘えるはず」
「あら、あら。策士な令嬢は何を考えているのかしら?」
久しぶりの声に振り返ると、窓際に全身真っ黒のユレルミが立っていた。
「なんで、ここに!?」
初めて会ってから三年になるはずなのに、時間の経過を感じさせない顔立ち。相変わらずの美形。
「伝言があったから来たんだけど、大変なことになっているみたいね」
「……伝言? 誰からです?」
「王子の誕生日パーティーに出席するんでしょう?」
私の質問には答える気は無いらしい。
「しますけど」
「その時に、ブローチを付けて出席しなさい」
「ブローチ? どのブローチですか?」
これでも伯爵令嬢。ブローチの一つや二つ……じゃなくて十ぐらい持っている。
「律儀なあんたのことだから開けてもないかもしれないけど、前に報酬で渡した布袋。あの中に入っているわ」
「布袋? あっ……」
ベッドから立ち上がった私は机の引き出しから収納袋を出した。無造作に手を突っ込み、中から布袋を取り出す。カチャリと音がする重い中身を机に広げる。
すると、数枚の金貨とともに銀で装飾された紫の宝石のブローチが転がった。
「うわっ、こんなに入っていたんですか!? 薬代には多過ぎですよ」
「やっぱり確認していなかったのね」
「収納袋に入れていれば私以外は出せないですし、劣化もしないので。機会があったら、このまま返そうと思っていました。で、どうしてこのブローチを付けてパーティーに出席をする必要が?」
「私の仕事は伝言だけ。理由は教えられないわ」
「えー……」
悩む私にユレルミが口角をあげる。
「それを付けて出席したら、きっと良いことがあるわよ」
「……分かりました」
正義感が強いユレルミのことだから悪いことにはならないだろう。
ブローチ以外の金貨を布袋に仕舞って収納袋に収める。
「あと、もう一つ。これは別の依頼人から」
まったく話が見えない私にユレルミが一枚の紙を差し出した。
「別の依頼人から?」
怪しみながらも受け取った紙に目を通す。そこに書かれていたことは……
「これ、本物ですか!?」
顔をあげた私にユレルミがニヤリと笑う。
「偽物は運ばない主義なの」
私はもう一度、紙に視線を落とした。
「これがあれば! でも、どうやってパーティー会場に持ち込もう……収納袋は魔力があるから、王城の入り口の検分で没収されるし」
「じゃ、確かに渡したわよ」
ユレルミが声とともに姿を消す。
「え!? ちょっ、待っ!」
私の声だけが虚しく響く。
「しまったぁぁぁ! 推しを探してもらうチャンスだったのにぃぃぃ!」
私が床に沈んだところでドアを叩く音と衛兵の怒鳴り声がした。
「他に誰かいるのか!?」
さっきまではユレルミが防音魔法をかけていたらしい。それが切れて私の声が廊下に漏れたのだろう。
私は慌ててベッドに潜り込んで答えた。
「あ、あの! お腹! お腹が痛くて、つい叫んでしまいました!」
ドア越しに苦しい言い訳。衛兵が少しだけドアを開けて室内を確認する。私以外の誰もいない部屋。
「……そうか」
衛兵がパタンとドアを閉める。なんとかやり過ごした私は小さく息を吐いた。
「危ない、危ない。でも、これで何とかなるかも」
窓の外に視線をむけると三日月が微笑んでいるように見えた。
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