消えた推しと閉ざされた門
推しを毎日眺めることができる夢のような半年はあっという間に過ぎ去り、私は兄との約束通りレイラに戻った……って、戻りたくなかった! 本当に! 戻りたくなかった!
約束したとはいえ、普段ならもう少し融通を効かせてくれる兄なのに、今回はスッパリと男装を終了させられた。
「プロテイン……飲んだらば……筋肉もりもりばーきばき……推し見たい……推しに会いたい……推し推し推し推し推し……」
模擬試合から一週間。推しと会うどころか、姿も見ていない。
女の姿では魔法師団の研究棟に入れないから、今までのように会うこともできない。そもそも推しは私のことを兄のレイソックだと思っていたわけで。
だから、推しが研究棟に通う時間に道で待ち伏せをした。けど、研究室に泊まり込むようになったのか、推しは現れず。
「どうやったら、推しを見ることができるか……こうなったら、薬と魔法で完全に男になって、レイラは死んだことにして……でも、それだとレイソックが二人になるから……」
兄が使用していたカツラを被り、長い髪を揺らしながら自室内をウロウロと歩く。その姿は動物園の檻の中を歩き回るクマのようだけど気にしない。
考えこんでいると、遠慮気味なノックの音がした。
「ちょっと、いいか?」
男の姿に戻った兄がドアの隙間から覗く。そもそも兄がもう少し女装をしてくれたら、こんなことにならなかったのに!
「……どうぞ」
クマのごとき殺気を背負って兄を部屋に招き入れる。
「えっと……タイミングが悪かったなら、また後にするぞ」
「いえ。どうぞ」
私の迫力に負けたのか、兄が体を小さくしてコソコソと部屋に入った。
向かい合ってソファーに座るが無言。
「何の用事ですか?」
私の質問に兄が言いにくそうに口を開いた。
「昨日、魔法師団に定期の薬草を届けたんだが……その、あの……魔法師団の副師団長の名前が消えていた」
言葉の意味がすぐに理解できなかった私は、じっくりゆっくり何度も脳内で兄の言葉を反芻した。
(副師団長の名前が消えていた? 副師団長は推し。つまり推しの名前が魔法師団から消えていたってこと? 推しが魔法師団から除外されたってこと!? 魔法に関しては優秀すぎて右に出る者もいない実力者の推しを!? 何か問題が起きた? ハッ! だから、待ち伏せをしても推しに会えなかった!?)
じっくりしっかり考慮すること数分。
「どういうことですかぁぁぁあ!?」
私は両手でローテーブルを叩いて兄に迫った。
「落ち着け! レイラ!」
「落ち着けません!」
「いいから、落ち着け! その殺気で満ちた目をやめろ!」
ソファーから立ち上がり後ずさる兄。そんな兄を逃がすまいと、私は素早く兄の背後に移動して首に腕をまわした。
「名前が消えたって、どういうことですか!?」
「ま、待てっ! 首を絞めるな! 息ができ、な……グッ」
最初は勢いよく私の腕を叩いていた兄の手から力が抜け、顔が青くなっていく。
「あ、すみません」
腕を緩めると兄が床に沈んだ。
「ゲホッ、ゴホッ……なんか知らない年寄りが、大きな川の対岸で手招きしている光景が見え、た……」
知らない年寄りって、ご先祖様?
「もしかして、周りは綺麗な花畑でした?」
「対岸はそうだった。こっち側は石ばっかりだったが」
「……三途の川?」
私の小さな呟きに兄が反応する。
「さん? かわ? 知っているのか?」
立ち上がった兄に私は両手を振って否定した。
「まったく知りません! 不思議な光景ですね!」
笑顔で誤魔化す私を兄が不審な目で見る。って、今はそれどころじゃなくて!
「それより! リクハルド……様が消えたって、どういうことですか!?」
「言葉の通りだ。魔法師団に定期の薬草を届けたら魔法師団の副師団長どころか団員からも名前が消えて、研究室も空になっていた」
「もしかして、模擬試合が原因で……?」
屈強な騎士団を簡単に消してしまうほどの魔力と魔法。
(模擬試合とはいえ、なんらかの処罰が……って、別に推しは悪くないのに! 挑発はしたけど、それにのって大勢で推しを攻撃しようとしたのは騎士団の方! それに、ちゃんと無傷のまま解放されたし! 全員、青い顔で推しに土下座していたけど!)
「抗議してきます!」
部屋から出ようとした私を兄が背後から羽交い締めする。首は絞められていないが、身動きはとれない。
「待て! どこに抗議するんだ!?」
「騎士団です!」
「いや、騎士団が原因とは限らないだろ!」
「なら、誰がリクハルド様を魔法師団から追い出せるのです、かぁ!?」
「おわっ!?」
背中にいた兄の腕を掴み、そのまま投げ飛ばす。背中から床に落ちた兄は受け身の姿勢で転がったが、すぐに顔をあげて私に抗議した。
「兄を投げるな!」
「邪魔をするからです!」
「今回ばっかりは突っ走るな! 場合によっては王族が関わってくる!」
「……王族が? 何故です?」
兄を投げ飛ばした姿勢のまま固まる私。王族が相手となると面倒なことは必須。
腰をさすりながら起き上がった兄が説明をした。
「いくら騎士団でも、たった二日で魔法師団の副師団長の名前と存在を消すことはできない。むしろ、事前に準備されていたか、大きな力が働いたか、と考えるべきだろう。それと……」
言いよどむ兄に私は詰め寄った。
「他にも何か?」
「あまり言いたくないが……騎士団を一瞬で封じるほどの魔法を使ったんだろ? しかも、あの外見だ。もしかしたら、危険人物として秘密裏に処理された可能性も……」
その昔、強い魔力を持った銀髪で紫の目の男が王を暗殺しようとした事件があった。それは推しの先祖で、同じ外見で生まれた推しはその男の生まれ変わりではないかと虐待された過去がある。
全身から血の気が引くのが分かった。手足が冷たくなり、目の前が真っ暗になる。
(推しが王を暗殺しようとした男の生まれ変わりだと処刑され……ううん! そんな非常識なことあるはずない!)
私は浮かんだ言葉を握りつぶして兄に言った。
「研究棟へ行って、魔法師団長に確認してきます!」
魔法師団長なら事情を知っているはず! 一歩踏み出したところで、兄が背後から再び私を羽交い締めにした。
「だから、突っ走るな! そもそも、その姿だと研究棟に入れないだろ!」
「なら、男装を!」
「しない約束だろ!」
「ですが!」
私は自由になるために兄の腕を掴もうとしたが、その前に兄が逃げた。
「何度も投げられるか!」
私と距離をとった兄。その隙にドアに飛びつく。
「しまった!」
兄の声を残して部屋から出た私は研究棟へ走った。
(推しが処刑なんて……そんなことあるわけない!)
すべてが嘘だと、間違いだと祈るように、全力で走る。息があがり、肩が大きく上下する。胸は苦しく、耳元で拍動しているかのように心臓の音が響く。
途中で何度も足が絡まり、小さな段差に足を取られた。
(いつもなら、転けそうになることなんてないのに!)
苛立ちと共に転がるように研究棟へ。ちょうど一台の馬車が出てきたところで、門番が門を閉じようとしていた。
この勢いのまま閉じかけている門をすり抜けて入ろうとした私を門番が止める。
「待ちなさい!」
私の顔を見た門番が「またか」という様子で説明をした。
「前にも言いましたが、ヤクシ家の方でも女性は入れません」
私は切れる息をどうにか整えながら訴えた。
「……魔法、師団長と……お話、を!」
「魔法師団長は不在です」
「いつ、帰られますか!?」
「極秘事項なので教えられません。お帰りください」
私を拒絶するように門が冷たく閉じられる。
「どう、しよう……」
全身の力が抜け、その場に崩れ落ちる。衝撃の連続に精神も体もついていけない。両手は小刻みに震え、走りきった足は力が入らない。
「生きて……いるよね?」
模擬試合の最後に見せた推しの笑顔。強力な魔法と魔力。私でさえも恐怖を感じた。それなら、脅威と捉える人もいるだろう。
(推しは乙女ゲームの攻略キャラの一人。ここで死ぬはずはない。だから、大丈夫。大丈、夫……)
必死に自分に言い聞かせるけど、不安が募る。ゲームの世界でも、絶対なんてない。だから、情報が欲しい。安心できる情報が。
地面に座り込んだまま途方に暮れる私に可愛らしい声がかかった。
「レイ……様?」
顔をあげるとアンティ嬢が馬車から降りてきた。太陽の光を弾く青い髪。大きな黒い瞳に小さな顔。相変わらずの美少女。
そして、私が男装していたことを家族や使用人たち以外で知っている唯一の人。
「どう、して……ここに?」
思わず零れた声にアンティ嬢が聖母のような微笑みを浮かべた。




