取り引きと診察
(かっ、課金!? え? どこに!? 誰に課金したら許されますかぁぁぁあ!?)
推しの温もりが残る腕を感じながら混乱で言葉が出ない私。アトロが私から離れた推しに詰め寄る。
「リクハルド。研究室に逃げようとしただろ?」
推しが視線をそらして弁明した。
「ヤクシ伯爵の令息に対応して頂けるなら、私は必要ないと思いまして」
「そういう問題ではない。本当に呪いや魔法の類いではないか、直接見てほしい」
直接という言葉で明らかに顔を歪める推し。
しかし、アトロは諦めない。
「君が女嫌いなのは知っている。だが、妹はまだ十五歳。社交界デビュー前の子どもだ。それに魔法の研究対象として見ればいい」
「そういう問題ではありません」
「では、話の方向を変えよう」
アトロが今までの焦りを消す。
「魔法師団の研究費」
その一言に推しの顔が険しくなった。
「妹を助けたら宰相である父の印象も良くなるだろう。だが、その逆の場合は……」
「研究費が削減されてしまうのですか?」
私の質問にアトロが頷く。
「その可能性もある、かもしれない」
職権乱用も甚だしい! でも、ここで怒っても仕方ない。宰相は侯爵家で国内でも有数の権力者。
身分が下の伯爵家の私では何も言えない。推しの爵位はもっと下の子爵。
(もしかして、推しの大ピンチ!?)
私は推しに迫った。
「行きましょう! 私が筋肉で解決しますから!」
「いや、私は……」
「行くぞ」
アトロが推しの腕を掴む。虚弱な推しはその腕を振り払えず、強制的に連行された。
※
広大な屋敷の一室。
淡い水色の壁にアンティーク調の家具。大きな窓には真っ白なレースのカーテン。
そして中心にはレースとフリルで飾られた天蓋付きベットと、頭元の棚に飾られたぬいぐるみたち。
私の部屋とは対極の可愛らしさ満載。
そんな部屋に一人の少女が寝ていた。
「アンティ、調子はどうだい?」
「あまり……変わりありませんわ、お兄様」
ゆっくりと体を起こす青髪の少女。長い髪が川のように流れ、顔に影を落とす。
大きな黒瞳は伏せられ、薄幸の美少女という雰囲気。いや、実際に美少女。本当に可愛い。
見惚れかけているとアトロが牽制するように睨んできた。
「研究対象として見るように」
「言われるまでもなく。それに、これだけ近くにいても他の魔力は感じません。やはり呪いや魔法ではないと思います」
淡々と説明する推し。近くに、と言いつつも部屋のドア前に立っているため、美少女から軽く二メートルは離れている。
「だから、もっと近くで見てくれ」
推しを引っ張ろうとするアトロに私は手を挙げた。
「妹さんと少しお話をしてもいいですか? あと、できれば目と舌と爪を見させてほしいのですが」
「目と舌と爪を見て、どうするんだ?」
アトロのもっともな質問に私は答えた。
「健康体になるためです」
「どういうことだ?」
「言葉の通りです。今の状況を改善するには筋肉が必要ですから」
「目と舌と爪を見ることが筋肉になるのか?」
「はい。あと話をすることも、です」
半信半疑の目を向けるアトロ。
それもそのはず。私がこれからすることは、この世界では知られていないこと。
前世で自分の体を少しでも元気にするため独学で調べた知識と、祖父から教わった薬学の知識を合わせて作った、筋肉育成レシピ。
「……アンティ、いいか?」
美少女の視線が私に向けられた。まっすぐ私を見ているはずなのに、私ではないナニカを見ているような黒瞳。
私をじっくりと観察した美少女がゆっくりと頷く。
「はい、お願いいたします」
私はベッドサイドまで行き、片膝を床について目線を美少女に合わせた。
「はじめまして。レイソック・ヤクシ・ノと申します」
「アンティ・クニヒティラです。アンティとお呼びください」
「では、アンティ嬢。爪を拝見させていただいてもよろしいですか?」
「はい、どうぞ」
差し出されたのは、少し乾燥した真っ白な手。
「失礼いたします」
細く長い指先にある爪にそっと触れる。平たく柔らかい。淡いピンク色のツメに白い斑点が浮かぶ。
「ありがとうございます。次に舌を出していただけますか?」
アンティ嬢が戸惑いながらも小さく口を開けて舌を出した。舌が厚く周囲にはボコボコと歯型が付いている。
「ありがとうございます。体が怠くなる前は、どのような食事をされていましたか? 肉は食べていました?」
「お肉は苦手でして……野菜を中心にいただいていました。ただ、最近はあまり食欲もなくて」
「野菜は炒めていました?」
「いえ。煮るか、蒸し料理です。母が異国の陶器の鍋を使った料理が好きでして」
原因が掴めてきた私は軽く頷いた。
「では、最後に目を見させてください」
私はアンティ嬢の白目を覗き込んだ。真っ白のようだが薄く青みがかっている。
「わかりました。これで終わり……」
アンティ嬢の黒瞳が目に入る。まるで漆黒の闇のような底が見えない黒。吸い込まれそうなほど魅力的で、その先に輝くナニかがある。
(様々な色が波打つように光って、まるで虹みたいな……って、虹!? 目の中に虹!?)
ありえない光景に思わず顔を引く。
「どうかされましたか?」
「い、いえ。何でもありません。アンティ嬢に必要な薬を調合いたします。あとは私のレシピ通りにしていただければ……」
アトロが私の言葉を遮る。
「回復魔法で治らなかったものが薬で治るものか」
私は立ち上がりアトロに説明をしようと声を出した。
「それは……」
「お兄様、私はレイ……様の言う通りにしたいと思います」
今度はアンティ嬢に言葉を遮られた。この兄妹は人の言葉を遮るのが趣味なのだろうか。
「しかし、こんな爪と舌と目を見ただけで作った薬が効くとは思えない」
そう思うのが普通だろう。
私は注釈を入れた。
「効果が出るのは早くて数週間後です」
「そんなにかかるのか!?」
「場合によっては数ヶ月かかります」
「そんなに待てるか!」
苛立ちを隠さないアトロ。
確かに回復魔法なら短時間で治る。だから、治療師が雇える裕福な貴族の間では、薬は時代遅れという認識が広まっていた。
ただ実際には回復魔法だけで補いきれない部分もあり、そのためヤクシ家は王家専属薬師として残っている。
どう説明するか考えていると、ずっと黙っていた推しがアトロに言った。
「回復魔法とて万能ではありません。ここは他の方法を試すのも手だと思います」
「だが……」
「ここまで私が近づいて検知できない呪いや魔法があるとしたら、それは体に直接刻み込まれたモノになります。そうなると、直接全身を見るようになりますが、そこまでしますか?」
「そ、それはアンティの裸を見るということか!?」
顔を真っ赤にして叫ぶアトロに対して、推しが冷淡に頷く。
「そ、そんな破廉恥な! ……分かった。ダメ元で試そう」
渋々、了承するアトロ。
(さすが推し! このまま、ずっと眺めて……いや、その前に推しも健康体にしないと! まずは薬とレシピの作成のために推しの状態を……)
あれこれと考えているとアンティ嬢が私を手招きした。
「どうかされましたか?」
再びベッドサイドに片膝をついた私にアンティ嬢が顔を寄せ、耳打ちをする。
「少しお話したいことがあります、お姉様」
思わぬ言葉に私の体が固まった。
(まさかっ!? もう女って、バレた!?)
そっと横目で覗き見れば、アンティ嬢が小悪魔のように可愛らしく微笑んでいた。