女装の兄と推しの変化
推しの風邪は数日で完治。これまで通り、毎朝推しを屋敷まで迎えに行く生活に戻る……はずだった。
「おはようございます」
その日、ヤクシ家の屋敷では朝から推しの声が落雷した。
身支度を調えている最中だった私は即刻パニックに。
「どうして!? なんで、私の屋敷に!?」
私は跳びはねている髪を櫛で梳かしながら、慌てて使用人に声をかけた。
「だ、誰でもいいから! リクハルド卿を応接間でおもてなししててください!」
その結果が、まさかの……
「こういう日に限って髪を乾かして寝るのを忘れて、寝癖で髪が爆発するなんて!」
どうにか髪を落ち着かせた私はリクハルド卿が待っている応接間に急いだ。
応接間から談笑のような声が漏れる。執事長か誰かが相手をしてくれているのだろう。あとで特別手当を支給しないと!
そんなことを考えながらノックをして応接間のドアを開ける。
「遅くなって申し訳ございませ……」
ソファーに向き合って座る二人の視線が私に向けられた。一人は当然、紫の瞳の推し。そして、もう一人は藍色の瞳をした……
「お兄さ……レイラ!?」
危ない、危ない。今は私が兄だ。
私の服を着た兄が上品な微笑みを浮かべている。短かった髪は私が切った髪で作ったカツラで長髪に。うっすらと紅をのせたナチュラルメイクは私より上手い。
姿勢も背筋を伸ばしながらも、足はしっかりと閉じて流している。どこから、どう見ても淑女。
が、それよりも! 推しは女嫌いなはず! それが、向き合って穏やかに会話をしているなんて!? どういうこと!? 天変地異が起きる前触れ!?
「ど、どうして?」
私の質問に兄が満面の笑顔で答える。
「もう、お兄様ったら。リクハルド様をお待たせしすぎですわ」
推しが女性嫌いということを知らないのであろう兄が鈴を転がすように笑う。その姿はどこぞの貴族令嬢のよう。いや、私より令嬢してる。
状況に頭が追いつかないまま私は謝罪した。
「も、申し訳ない」
「では、兄も参りましたし、私はここで失礼いたしますね」
兄が優雅に一礼をしてソファーから立ち上がる。
「あ、えっと、ありがとう……」
見送る姿勢になっていた私に兄が目配せをする。それだけで無言の合図を悟った私は推しに頭をさげた。
「あの、すぐ行きますので、先に玄関で待っていてください。誰か、案内を」
「はい」
私の声に執事長が応える。私は推しを執事長に任せ、応接間の隣にある控え室に兄とともに入った。
ドアが閉まると同時に、兄から優雅な令嬢の雰囲気が消え、普段の兄に戻る。
その見事な変わり身は、拍手の一つでもするところかもしれないけど、今はそれどころではなくて。
「お兄様! リクハルド卿と何を話しました!? どうして、あんなに近くでお話できたのですか!?」
「待て! ここはオレが先に問い詰めるところだろ!?」
「あとで問い詰めてください! 今は私が先です!」
胸ぐらを掴みかかる勢いの私に兄が両手を挙げて降参ポーズになる。
「わかった。わかったから。えっと、話した内容か? おまえが魔法師団の存続のためにリクハルド卿を鍛えていると聞いた。あと、近くというのは、どういうことだ? あれぐらいの距離は普通だろ?」
私は悔しさ混じりに大きく首を横に振った。
「普通ではありません! リクハルド卿は女嫌いで、必要があっても近づかない方なのに、どうして……ハッ! まさか、本能でお兄様が女装だと気づいた? あぁ! そういうことですか!」
閃いた私に対して兄が頭を抱える。
「あまり聞きたくないが、どういうことだ?」
「リクハルド卿は女嫌いで、男色家。だから、お兄様が女装をしているだけの、実は男であると本能で見抜いた。それで、普通にお話できたのです!」
私の力説に兄の顔がどんどん青ざめていく。
「ま、待て。それだと、オレは……」
私は両手で兄の手を握った。
「お兄様、リクハルド卿が世間体的にどうしても結婚の必要に迫られた時はお力をお貸しください」
「嫌な予感しかしないが、どういう力を貸すんだ?」
「簡単です。女装したまま結婚を……」
「断る!」
最後まで私の話を聞かずに切る兄。
「ですが、これは私にはできないことで!」
「出来ることと出来ないことがある! いくらおまえに借りがあっても、これだけは拒否する!」
「……借り?」
首を傾げる私に兄がわたわたと誤魔化す。
「と、とにかく! これ以上ややこしくしないでくれ! でないと、戻った時に面倒なことになる!」
「戻った時?」
再び首を傾げた私に兄が恐る恐る訊ねる。
「……まさか、この入れ替わりの生活をずっと続けるつもりじゃないだろうな?」
そのつもりだったなんて言えない。
「ちゃ、ちゃんと戻りますよ」
視線をそらす私に兄が詰め寄る。
「ちなみにいつ戻る予定だ?」
「え?」
「いつまで男装をするつもりだ?」
「えっと、その……」
窮地の私にドアの外から執事長の助け船が入る。
「リクハルド様がお待ちですが……」
「い、行きます! お兄様、その話はまた今度で!」
秘技、面倒な問題は後回し作戦! しかし!
「リクハルド卿を健康にするまでだからな!」
秘技失敗!
「えぇ!?」
「以上!」
兄に無理矢理話しを切られた私は控え室から追い出された。
「うぅ……」
突然の期日。せっかく推しに近づけたのに、この生活が推しを健康体にするまで……つまり、推しが戦場に出られるだけの体力がついたと証明する日までなんて。
「……どうかされましたか?」
玄関に到着した私を推しの優しい声が包む。顔をあげれば推しが心配そうに私を見下ろしていた。
「い、いえ。なんでもありません。お待たせして、すみませんでした。研究棟へ行きましょう」
私は空元気を出して足を進めた。今、止まったらグルグルと考え込んでしまいそうで。
(今は推しを健康体にすることに集中しないと!)
気分を変えるため、私は笑顔を作って推しに訊ねた。
「ところで今日はどうされたのですか? わざわざ迎えに来られるなんて。そんな珍しいことをしたら、雪が降りますよ」
冗談交じりに話す私を推しが真剣な眼差しで見つめる。
「え? あの、何か変なことを言いましたでしょうか?」
「いえ。珍しいことをしたら、珍しい現象が起きる、という例え話は初めて聞きましたので。面白いなぁ、と」
私は笑顔のまま引きつった。
(しまった! こういう例えは、この世界にはなかったんだった!)
固まる私に推しが微笑む。
「ヤクシ家の令息は教養がおありですね」
「きょ、教養? あ、ありがとうございます」
なんか今日の推しは変は気がする。いや、風邪をひいた日から、おかしな行動があったけど……調合した風邪薬の中に人格を変えるような作用の薬があった!? いや、なかったはず……
考え込む私に推しが声をかける。
「明日も迎えにあがってよろしいでしょうか?」
「ふぇっ!?」
「体力作りのために」
そう言われたら断れない。推しの笑顔に見惚れながら頷く。すると、今までに見たことがないほど推しが優しく目を細めた。
(何があった、推しぃぃぃ!?)




