衝撃の事実と看病~リクハルド視点~
熱と体の怠さにうなされながら考える。
(なぜ、こんなことになったのか)
言われるままロッククライミングのような山登りをして、マリアが作った昼食をとった。そこまではいい。
あの険しい岩山を登れるだけの体力と筋力がついたことを実感できたし、気分転換にもなった。
問題はその先。
崖から落ちる白滝。絶景として眺めるには十分。だけど、その下で打たれるとなると話は別。さすがに、これは拒否をしようとした。けど……
目の前で惜しげもなく薄着になるヤクシ家の令息。しかも、自分への見本として真剣に滝に打たれて。断りにくい状況な上に、あの姿。
滝に打たれた後、水に滴る栗色の髪をかきあげながら、こちらに歩いてくる。青緑に輝く滝壺より澄んだ藍色の瞳。筋が通った鼻に、花弁のような艶やかな唇。
濡れて体に張り付いたシャツから覗く長い手足。いつもは服に隠れているが、均整がとれた体躯。その姿に、初めて筋肉を美しいと感じた。
正直、目を奪われた。しかも、その相手が男。
気がついた時、その事実を否定するために、滝に打たれた。けど、どんなに滝に打たれようが、目に焼き付いた姿は消えず。
結果、体を冷やしすぎて風邪をひいた。
「情けない……」
薬を飲んで寒気から解放された私はいつの間にか眠っていたらしい。
喉の渇きで目が覚めた私は体を起こしてベッドサイドに置いてあった水を飲み干した。
「足りないですね」
呼び鈴を鳴らしてセバスチャンかマリアを呼んでもよかったが、これぐらいのことで手を煩わせるのも気が引ける。
「取りに行きますか」
空いたピッチャーとグラスを持ってキッチンへ。廊下にスープの香りが満ちている。
「マリアが作るスープは美味しいですからね」
空腹が刺激される。マリアが作っているのだろうとキッチンを覗くと、そこにいたのは予想外の人物だった。
後ろ姿だが見間違うはずもない。栗色の髪に直立の姿勢。大きな鍋の中身を楽しそうにかき混ぜている。
「プロテイン、飲んだらば、筋肉もりもりばーきばき。栄養が、たっぷりの、美味しいご飯を作りましょ」
鼻歌交じりに聞こえた歌に自分の耳を疑った。
(なっ!?)
カチャ。
持っていたピッチャーとグラスがぶつかり合う。その音にヤクシ家の令息の体が動いた。私は慌てて身を翻して自室に戻る。
「なぜ、ヤクシ家の令息があの歌を……」
あの歌詞、リズムは前世で少女が歌っていたものと同じ。それを何故、知っているのか。
「…………いや、それだけではない」
記憶を辿れば、ヤクシ家の令息の言動には謎があった。この世界にない言葉、知識。
「この前、スターベックスで呟いたコンビニという言葉も、この国では知られていない知識も、前世の記憶があるからと考えれば、辻褄があう……」
ぽつぽつと散らばっていた点が線となって繋がる。
「まさか、私だけではなく彼女まで転生して……」
と同時にあることに気づいた私は床に崩れ落ちた。
「男じゃないか!」
まさかの性別違い! なんの因果か!
「…………だが、苦しそうな様子はない」
記憶の中の少女はいつもどこか苦しそうで。楽しみたくても楽しめなくて。それが今は生きることを全力で楽しんでいる。
「性別なんて些細なこと、ですね」
呟いてふと気づく。
「彼女の夢は推しであるリクハルドを健康体にすることだった。でも、途中で私が死んだから最後までできなかった……」
私は拳を握った。
「健康体になって彼女の夢を叶えなければ!」
軽いノックの音。慌ててベッドに入ると、スープ皿をトレイにのせたヤクシ家の令息がドアを開けた。
「あの、調子はいかがですか?」
おずおずとこちらを伺う顔が。今までと同じなのに。何も変っていないはずなのに。
(ヤクシ家の令息の顔が輝いて見える!?)
直視できない私は布団を被り、顔を背けた。
「いや、いや、いや。そんなわけない。見間違い、見間違い……なはず」
否定する背後でカチャリとトレイを置く音がする。
「あの、今回のことは申し訳ございませんでした。私の顔なんて見たくないと思いますが、食べられそうなら少しでも……」
落ち込んでいく声。いつもの太陽のような明るさがない。その暗さは背中越しでも、どんな表情をしているか分かる。
私は慌てて上半身を起こした。
「あなたは悪くありません。私が……」
濃い藍色の瞳と目が合う。その瞬間、世界が輝いた。天上のラッパが鳴り響き、部屋一杯に咲き乱れる華の幻影。極彩色に輝き、舞い散る花弁。
それは本当に一瞬のことだった。だけど、悠久にも感じるほど。
唖然としていると額に冷たいモノが触れた。
「熱はありませんが、汗をかきました? また体が冷えたらいけませんし、先に着替えます?」
突然の世界の変貌に頭がついていかず呆然と答える。
「そ、そう……ですね」
「では、湯を準備してきます」
私は聞き間違えたかと思った。
「湯? なぜ、湯が?」
「風邪で汗といえば、湯で体を拭く、でしょう?」
そんな、刺身といえば醤油、のようなセットで当たり前のような言い方。
「いや、いや、いや! そこまでしなくていいですから! 着替えるだけで十分です!」
「ですが、熱い湯で体を拭くとさっぱりして気持ちいいですよ」
「そこまでしなくて大丈夫です!」
悪意のない、純然たる善意が今は辛い。
「とりあえず、マリアさんから着替えをもらってきます」
ヤクシ家の令息が軽い足取りで部屋から出て行く。
私は額を押さえて盛大にため息を吐いた。以前より健康になってきたとはいえ、まだまだガリガリに痩せた体。少女が好きだった健康体にはほど遠い外見。
(もし、今のガリガリの体を見られたら……)
いつもキラキラと輝く濃い藍色の瞳から光が消え、晴れやかな顔が曇り、そして……
『あんなに鍛えたのに健康体になれなかったなんて……幻滅です』
私は両手で頭を抱えた。
「いや! そんなことを言うわけない! 彼女はそんなことを言わない! けど……」
拭いきれない一抹の不安。早く、理想通りの健康体にならなければ!
そこに軽いノックの音とともにドアが開く。
「マリアさんから着替えと湯をもらってきました! 背中拭きますね!」
裸を見せたくないという私の意思はヤクシ家の令息の見事な善意の塊の笑みを前に消え去った。




