山登りと滝行
カフェで醜態をさらした翌日。私は自分に喝をいれるため馬車を引き連れて推しを迎えに来た。
「今日は滝に打たれに行きましょう!」
「……滝、ですか?」
怪訝な顔でサーキュラー階段を降りてくる推し。今日も今日とて朝日に照らされた姿は眩しく、いつまで経っても慣れそうにない。
私は眼福な光景に感謝しながら頷いた。
「滝は煩悩を消し、身を清めます! カッレ様との約束の時間も残り半分。ここで気合いを入れ直すのも良いかと思いまして」
「ですが、研究が……」
悩む推しに、ふんわりとした声が降る。
「あら、あら、よろしいじゃありませんか。今日は天気もいいですし、ピクニック日和だと思いますよ」
そう言いながら私にバスケットを渡すマリアさん。ぽわぽわとした穏やかな雰囲気に推しは断れず。
「いってらっしゃいませ」
セバスチャンさんに見送られ、私たちはヤクシ家の馬車で滝がある山へと向かった。
※
「ここから歩きます!」
登山道の入り口。馬車が入れる道はここまで。草が刈られただけの舗装もされていない、馬車が通れる幅があるだけの道。
ここから先はその幅もなくなり、人が歩ける程度。
「……このまま進むのですか?」
呆然と山を見上げる推し。私はマリアさんが作ってくれた昼食を登山用リュックに移し替えて背負った。
「そっちの道ではなく、こちらの道です」
私が指さした先を凝視する推し。首を傾げながら何度も見つめる。
「……どこに道が?」
「ここです」
木々と草がなく、かろうじて土が顔を出している。
「……獣道、でしょうか?」
「そうとも言いますね」
「どうして、このような道をご存知なのですか?」
「ここの滝はお祖父様に連れられて何度も訪れてますから」
私は御者に夕方迎えに来るように頼んで馬車を屋敷に帰した。
「今から登れば昼前には滝に着きます。いきましょう」
「……はい」
推しとともに草をかき分けて山に入る。初めは緩やかだった傾斜がすぐにキツくなり、推しの足が鈍くなった。
「足だけでなく全身を使って登ってください」
「これ、ピクニックですか?」
「はい」
「私が知っているピクニックとは、だいぶん違うと思いますが」
「そうですか?」
会話をしながらも手足は動かす。掴みやすい岩に手を伸ばし、つま先が入る窪みに足を突っ込む。崩れないことを確認してから体重をかけて上へと登る。
足の力だけではすぐにバテるため、反動をつけて腕の筋肉も使って体を持ち上げなければ、この岩山を攻略できない。
「ピクニックというよりロッククライミングに近いような……」
推しの呟きに私は考えた。
「ロッククライミング……確かにそっちのほうが近いですね」
頷いてから私は気がついた。ロッククライミングという単語がこの世界にあっただろうか? ピクニックやハイキングはあるけど……
そこで水が流れる音が耳に入った。推しも聞こえたようで、声が明るくなる。
「滝の音ですか?」
「はい。もう少しで見えます」
「よかった」
推しの動きが復活する。
徐々に水音が大きくなり、そのうち水が落ちる音が響いてきた。緑も濃くなり、湿度も上がる。
そして――――――
「すごい……」
推しが言葉を漏らす。
切り立った岩崖の上から真っ白なカーテンのように落下する大量の水。足元には青緑色に染まった滝壺。
マイナスイオン浴びまくりの贅沢空間。
私は近くにある大岩に背負っていた荷物を降ろした。
「先に昼食にしましょう。それから滝に打たれます」
「わかりました」
体力がついてきたとはいえ、さすがに疲れたらしく推しが岩に座りこむ。
私はマリアさんが作ってくれた昼食とお茶を並べた。パンに肉と卵と野菜を挟んだボリュームたっぷりのサンド。
あとコップを出して水筒に入れてきたお茶を注ぐ。
山鳥の鳴き声に耳をすませながら昼ご飯を食べる。いつもと環境が違うからか空気まで美味しい。
「たまには、こういうのもいいですね」
私の言葉に推しが視線をそらして頷く。
「たまになら悪くありません」
「しっかり太陽を浴びてくださいね」
「わかってます」
お昼を食べ終え、程よい日差しは眠気を誘う。このままお昼寝をしたら気持ちいいだろうけど、そうはいかない。
私は水筒とコップを片付けてタオルを出した。それから上着を脱ぐ。
「えっ!?」
推しの驚く声に私は説明を忘れていたことに気づいた。
「まず、私が見本として滝に打たれてきますので」
「あ、そういうことですか……」
納得しながらも推しが視線を私から外す。
「裸にはなりませんよ。ちゃんと服を着てますし」
私は予め着ていたシャツの姿になる。足は薄手のハーフパンツ。胸にはサラシを何重にも巻いていて、体の線を男性に近いものにした。
(鏡の前で何度も確認したし、これなら濡れても女とはバレない!)
靴を脱いだ私は滝壺の周囲の岩をぴょんぴょんと渡り、滝の下に続く岩へ移動した。シャワーのような水しぶきを浴びながら深呼吸をする。
(ここの滝は水の量が少ない方だけど、気を抜いたら圧に負けて滝壺に落ちてしまう)
私は足に神経を集中させると滑らないように滝の下の岩に飛び移った。頭上から絶え間なく落ちる水が全身を叩く。
滝の水圧に負けず、まっすぐ立つと両手を胸の前で合わせて目を閉じた。自分の汚れた思考を、煩悩を洗い流すように。自然と同化するように、ひたすら無になる。
こうして自分と向き合うこと数分……
「限界!」
予想より水が冷たかった。体が冷え切る前に急いで滝から離れる。
推しのところに戻った私はタオルで体を拭きながら説明した。
「こんな感じです。わかりました?」
「え、えぇ……」
微妙な返事の推し。しかも、こちらを見ようとせず、ジリジリと下がっている。
「あの、本当に分かりました?」
距離を詰めて下から覗き込む。なんか耳が赤いような?
「もしかして風邪気味ですか? 顔が赤いような……」
すると、推しが盛大に私から離れた。
「大丈夫です! なんでもありません! 滝に打たれてきます!」
そう言うと靴を脱いで滝に走り出した。
「服を脱がないと、そのままでは……」
あっという間に移動して滝に打たれる推し。しかも、ずっとブツブツ言い続けていて気合いというか迫力が凄くて近づけない。
「……体幹は安定しているし、大丈夫かな」
翌日、自分の考えが甘かったことを知った。




