推しの執事と乳母
推しを健康体にすることになってから数日。私は毎日、推しを屋敷まで送り迎えすることに。
なぜなら、あれだけ屋敷で休むようにと念押しした初日から研究室に推しが泊まっていたから。こうなったら徹底的に管理するしかない!
(……決して、一秒でも長く推しを見たいという下心からではない! 決して!)
リュックを背負った私は朝日を全身に浴びながら両腕をしっかり前後に動かし、競歩の歩きで目的地へ。
「プロテイン! 飲んだらば! 筋肉もりもりばーきばき! 今日も推し! 明日も推し! 推しを推すのが推し事です!」
最初の頃は歌いながら歩いていると、周囲から妙な視線を向けられていた。けど、数日もすれば誰も気にしなくなり、私はいつも通り推しの屋敷へ邁進する。
「おはようございます!」
「おはようございます、レイソック様」
執事のセバスチャンさんが屋敷のドアを開けて私を迎える。執事=セバスチャンって、安直な気がするけど、そういう名付けをするゲームなので深く考えない。
玄関に入ると季節の花の香りが私を包んだ。
これは推しの乳母であるマリアさんが毎朝、庭の花を摘んで玄関に飾っているから。さすが、推しの乳母。細かいおもてなし精神が光る。
花の香りを堪能しているとセバスチャンさんが声をかけてきた。いつもは私から話しかけないと会話がないのに。
「昨日は貼り薬とサポーターとやらを、ありがとうございました。サポーターを膝に付けたところ、とても楽に動けました。貼り薬も寝る前に貼りましたが、今朝は痛みがなく驚きました」
私は初日にセバスチャンさんと会った時、膝を庇うような動きがあった。そこで話を聞くと最近、膝が痛むとか。
ならば、と私はサポーターを作製して貼り薬と一緒に渡していた。
「効果があって良かったです。貼り薬は痛みが酷い時だけ使うようにしてください。膝は温めるだけでも痛みが楽になりますから、お湯に浸かったり、蒸したタオルを当てるのも良いと思います。あとは無理はされないように、適度に休んでください」
「はい、ありがとうございます。ところで、本当にお代はよろしいのでしょうか? レイソック様のご負担になっておりませんか?」
淡々としながらも私を気遣う言葉。私は慌てて両手を振った。
「いえ、いえ! むしろ、こちらが毎日ご褒美をいただいてますし!」
「ご褒美?」
上品に少しだけ首を傾げるセバスチャンさん。まさか、推しに会えることがご褒美になってるなんて言えない。
「そ、そそ、そ、その! ま、毎日……毎日のお昼ご飯が美味しくって! そう! マリアさんが作ってくださる、毎日のお昼ご飯が美味しくて! それが、ご褒美になっていまして!」
私の苦しい言い訳に明るい声が入る。
「まぁ、朝から嬉しいお言葉を。ありがとうございます」
コロコロと微笑みながら乳母のマリアさんがバスケットを持ってやってきた。白髪交じりの茶髪に茶色の瞳。軽く日焼けした肌で、五十代ぐらい。ふんわりとした柔らかな雰囲気。
「本日のお昼ご飯になります」
「ありがとうございます」
「いいえ。私にはこれぐらいしかできませんから」
そう言ってバスケットを差し出した手の皮膚は厚く、あかぎれやささくれなどで荒れている。
私は懐から小さな軟膏壺を出した。
「よければ、水仕事の後でこちらの傷薬効入りの軟膏を手に塗ってください」
「まぁ! そんな高価なもの、いただけません」
萎縮するマリアさんの手からバスケットを受け取り、代わりに小さな軟膏壺を握らせる。
「無理を言ってお昼ご飯を作っていただいていますから。これは、そのお礼です。それに……」
私の手の中で萎縮している、ゴワゴワでガサガサの手。水仕事から庭の土仕事まで、様々な仕事をしている働き者の手。
それも、すべては推しの屋敷を少しでも綺麗に保つため。推しが過ごしやすくするため。すなわち、推しのため。
(いわば、セバスチャンさんとマリアさんは同志! そして、二人がいなければ推しは生き延びれなかったかもしれない。ゲームの世界だから、大丈夫だったかもしれないけど、それでも可能性はゼロではない)
私は敬意を込めてマリアさんの手に額をつけた。
「この手を少しでも癒すことができれば、という私の自己満足です。どうか、受け取ってください」
するとマリアさんが頬を染め、年頃の少女のように恥ずかしがりながら私の肩を叩いた。
「もう! そんな顔で女たらしなことをするもんじゃないですよ! 年頃の女の子だと勘違いしてしまいます!」
「そんな顔? 勘違い?」
「マリア! レイソック様に失礼ですよ!」
セバスチャンさんに咎められ、マリアさんが我に返る。
「私としたことが! 失礼いたしました」
素早く頭をさげたマリアさんに代わりセバスチャンさんが説明をした。
「ご自覚がないのでしょうが、レイソック様は女性を惹きつける外見をされておりますから」
「惹きつける? 誰が?」
「レイソック様が、です」
私は軽く笑って否定した。
「私は平凡な顔立ちで、目立つ筋肉もありませんし、惹きつけるほどの魅力もありませんよ」
軽くあしらう私にセバスチャンさんが迫る。
「レイソック様。女性は筋肉があるから惹きつけられるわけではありません。その整った中性的な顔立ちと、綺麗な立ち姿はそれだけで視線を集めます。服装も自然と流行を取り入れておられますし、惹かれない女性の方が少ないでしょう」
セバスチャンさんがあまりに真剣な顔のため返事に困る。
そこに響く足音。この屋敷に住んでいるのはセバスチャンさんとマリアさんと推しの三人。つまり、この足音の主は……
ゆっくりと顔をあげる。まず目に入るのは玄関ホールと二階を繋ぐサーキュラー階段。緩やかな曲線を描いて二階へと繋がる木の手すり。その下にある蔦模様の柵が荘厳な雰囲気をより強調する。
その先には、柔らかな日差しに包まれてこちらを見下ろす推し!
白銀の髪が粉雪のように輝き、紫の瞳が宝石顔負けに煌めく。筋肉はまだまだ足りないけど、その端正な顔がすべてを凌駕する勢いで……
(あぁぁぁあ! このアングル!! 手すりに手をかけて見下ろす、その姿勢!! 朝から最高です! 眼福です!! 生きてて良かった!! ごちそうさまです!!!)
毎朝、見ているけど見飽きない、この光景。毎回、その姿を目に焼き付けようと凝視してしまう。
今日も最高の姿を見られたことに感謝しながら、私は笑顔で声をかけた。
「おはようございます」
「……おはようございます」
怪訝な顔の推し。でも、昇天しかけている私には些細なことで。
私はセバスチャンとマリアに見送られて推しとともに研究室へ移動した。




