自由な妹と不憫な兄
祖父が取り出した箱の蓋を開けて説明をした。
「話は戻るが、先程ハーパコスキ伯爵の従者が礼を言いに来て、おまえにコレを、と置いていってな」
豪華な箱に負けないどころか、それ以上に無駄に輝くネックレス。しかも、年代物っぽい。
「……これ、ブルーサファイアじゃないですか!? こんな高価な物、いただけません」
「儂もそう言ったのだが、持って帰ると主に怒られると、無理矢理置いていってな」
治療の対価はすでにもらっているし、多少の色を付けるにしても、これは多すぎる。
「このようなことをするなら次からは治療しません、とお返しください」
「我が孫ながら気が強いな」
そこで私はハッとした。
「そうです! 私は今、レイソックです! ハーパコスキ伯爵の治療をしたのは妹のレイラ。レイラに渡してください」
ネックレスを片付けようとした祖父が目を丸くする。それから豪快に笑った。
「兄に女装させるだけでなく、こんな面倒事まで巻き込むとは。あいつはとことん不憫体質だな」
「そう思うならお祖父様からお返しください」
「あぁ、そうしよう。でないと、レイソックが心労で倒れるかもしれん」
「ですから、レイソックは私です」
祖父が呆れたように笑う。
「そうだったな。まったく、面白い遊びを始めたものだ」
「遊びではなく本気です!」
本気で推しを健康体にするためだから!
「その本気が分かるからレイソックも協力したのだろうな」
「……そういえばお兄様はどうされてます?」
昨日も今日も顔を合わせていない。
「おまえの髪を使ったカツラが出来るまでは部屋に籠もるそうだ」
健康なのに二日も部屋に籠もるなんて……って、私が原因なため、非難することはできない。屋敷内とはいえ突然の来客などもあり、その時にレイソックが二人いる姿を見られたら、ややこしいことになる。
真面目な兄のことだから、そこまで考えての行動だろう。
「この作業が終わったら、差し入れを持っていきます」
「そうしてやれ」
祖父が同情の色を残して去った。
「推しの匂いの香水を作りたかったけど、先にお兄様が好きな物を差し入れしよう。……あれ? お兄様が好きな物ってなんでしたっけ?」
私は一人、首を傾げた。
※
推しへの薬とレシピを仕上げた私はキッチンで紅茶を淹れ、収納袋から出した秘蔵のお菓子を皿に並べた。それらをトレイにのせて兄の部屋へ持って行く。
歩く姿勢はまっすぐ。頭頂部から糸で釣られているような感じで。持っているトレイは振動させず、ポットに入っている紅茶は揺らさず。動かす筋肉を意識するだけでも違う。
そんな私の姿に影から複数の囁き声がした。
「レイソック様が紅茶を淹れられるなんて珍しいですね」
「あれはレイラ様よ。姿勢が違うわ」
「そう言われれば」
「男性の服を着られているとレイソック様と瓜二つですね」
それより、ここまで似ていることに疑問を感じないのも不思議なんだけどなぁ。
そんなことを考えながら私は兄、レイソックの部屋の前へ。軽くドアをノックをすると「はい」と返事があり、私は少しだけドアを開けた。
「失礼します」
「レイラか」
ドアの隙間から室内を覗くと、机の前で本を読んでいる兄の姿が。
「今、よろしいですか?」
「あぁ」
私は室内に入って静かにドアを閉めた。私の部屋と同じ大きさだが、本棚がない分、広く感じる。
「ティーセットなんて持って、どうした?」
私は応接セットのテーブルにトレイを置いて、シャツとズボン姿の兄に訊ねた。
「お兄様、私の服は着ないのですか?」
「おまえなぁ、質問に質問で返すな。先に質問をしたのは、こっちだぞ。前々から思っていたが、おまえは一直線過ぎる。もう少し周りを見ろ」
「わかりました。で、どうしてお兄様は私の服を着ていないのですか?」
兄が額を押さえて深くため息を吐く。
「わかってないな……まぁ、これもいつものことか。この部屋から出ないのに、おまえの服を着る必要はないだろ」
「せっかく私の服を衣装ケースごと、この部屋に移しましたのに」
「その代わりオレの服が半分、おまえの部屋にいったけどな」
「どうせなら全部移してほしかったです」
ソファーに座った私に兄が怒鳴る。
「止めなければ寝間着と下着まで持っていっただろ!」
「いけませんか?」
兄の剣幕に首を傾げる私。服を交換するのだから、下着も服に合わせないと形が崩れると思ったのに。特に女性用は。
そんな私の意見に兄が頭を抱えながらソファーに沈んだ。
「それは、わかる。だからと言って、なぜ妹が使った下着を着ないといけないのだ? それなら新品を購入する」
「あ、その手がありましたか」
納得した私がポンと両手を叩くと、俯いていた兄が視線だけをあげて私を睨んだ。
「……まさか、オレの下着を履いているのか?」
「いえ。こういう日が来るかもしれないと思いまして、下着と服は前もって準備しておりました」
「準備っ!? いつから!? いや、他にも聞きたいことはあるが……とにかく、服があるならオレの服は必要ないだろ。返せ」
「ダメです。いきなり新品の服ばかり着ていては変に思われる可能性があります。今まで着ていた服を着つつ、新しい服も着ていきます。あ、私の服は全部どうぞ。当分、着る予定はありませんから」
「当分ない……つまり、当分この生活が続くのか……」
うなだれる兄。
私は持ってきた紅茶をカップに入れてお菓子の皿と一緒に差し出した。
「紅茶を飲んで落ち着いてください。私の秘蔵のお菓子も一緒にどうぞ」
兄がチラリとカップを見る。湯気とともに漂うカモミールの爽やかな香り。
「……普通の紅茶だろうな?」
「カモミールをブレンドした普通の紅茶です。どうしてですか?」
「以前、お祖父様が仕入れた遠方の珍しい薬を混ぜた茶をオレに飲ませただろ? 本当に効果があるか確かめるためとか言って」
私は顎に指を置いて考えた。
「どの薬のことでしょう?」
「……待て。あれ以外にも薬を混ぜたことがあるのか!?」
「鼻が伸びる、という薬でしょうか? それとも、背中に手が生えて腕が四本になる薬? あっ! 目から魔法が出るようになる薬ですか!? 目から魔法が出ました!?」
ウキウキと訊ねる私とは反対に、どんどん顔を青くしていく兄。
「おまえが淹れた茶は口にしない!」
バンッとテーブルを叩いた兄。その叩き方だと手のひらが痛いし、腕まで痺れ……あ、痺れたみたいで手を振って誤魔化している。
私はソファーから上半身を浮かせて兄に迫った。
「で、目から魔法は出ました?」
「出るわけないだろ!」
「そうですか……」
「本気で残念がるな!」
私は自分で淹れた紅茶を一口飲んだ。喉を温めながら、カモミールの香りが鼻を抜ける。
「では、こちらのお菓子をどうぞ。私の秘蔵です」
ピンクやブルー、オレンジなどのカラフルな色のマカロン。サクッとした食感だけど、口の中ですぐに溶ける。挟んであるチョコは甘すぎず、ベリーやナッツなどの珍しい味。ちなみに、この国では売っていない。
「子どもじゃないんだから、お菓子なんかで……って、コレがどうしてここに!?」
「以前、お祖父様が他国のお土産で買ってきてくださった物で、収納袋に入れて取っておきました」
「クッ……」
兄の手が彷徨う。こう見えて甘い物には目がない兄。たぶん好みだろう、と予想したら大正解。
ソッと視線を机にずらせば積み上げられた本。そこには女性向けの社交界のマナー本から、女性の間で流行している小説まで。真面目な兄だから完璧に私の代わりができるようになるつもりなのだろう。
「私がこう言うのもなんですが……どうして、そこまでされるのですか?」
「なんのことだ?」
兄がマカロンを掴みかけた手を慌てて引っ込める。
「私のフリをすればいいだけなのに、完璧な淑女になろうとされているでしょう?」
「本当におまえが言うな、って感じだな」
兄が呆れたように足を組んでソファーに背中をつけた。




