推しへのレシピと祖父登場
珈琲が入ったビーカーを持って屋敷に帰った私は自分の蒸溜室に飛び込んだ。
ビーカーに油紙をのせ、紐でグルグル巻きにして珈琲が零れないように固定。それからビーカーと同じ大きさの箱にいれで収納袋へ。これで腐敗も劣化の心配もない。ビーカーは同じ物を買って返そう。
で、次にやることは!
「プロテイン! 飲んだらばっ! 筋肉もりもりばーきばきっ! 推しのためっ! 最高のっ! 薬とレシピ! 作りましょ!」
歌いながら棚に並ぶガラス瓶を睨んだ。
「推しは痩せていて、抵抗力も弱っていそうで……胃腸を温めて、体を滋養するユニコーンの角の粉と、血液の流れを改善する血花を乾燥させた粉。消化促進、健胃に優れた作用があるクマの肝と、血管を拡張させて冷えを除く炎丸と、気分をあげる火竜の睾丸……は効果が強すぎるから、火トカゲの目玉ぐらいにしておいて」
私は薬の効能と相性を考えながら数種類のガラス瓶を手に取った。それから、それぞれの量を測って混ぜ合わせ、一回分に分包する。
次にレシピの作成。紙とペンを準備して、料理に使用する食材と注意事項を書いていく。もちろん空気椅子の筋トレをしながら。
「この世界ってゲーム設定の影響なのか食材の種類が豊富なのよね。料理は肉や魚、卵などのタンパク質がとれる食材を中心に。あと体を温める白菜や生姜、ネギに黒ごま。血流を良くするためにトマトとタマネギも追加。冷たい飲み物や食べ物、生野菜は避けるように。あ、寝る前のジャスミンやカモミールのハーブティーも忘れずに。どうせだし、手に入りにくいけどナツメとクコの実も書いておこう。で、次は運動について」
私は別の紙を出した。
「まず朝。起きたら真っ直ぐ手足を五秒伸ばして休む。これを三回繰り返す。次に両手足を広げて五秒伸ばして休むを三回。あと、手首、足首を回して。あ、腰を捻るストレッチと、膝を抱えるストレッチと、肩甲骨を動かすストレッチも書かないと。そしてカーテンを開けて太陽の光を浴びること。昼の筋トレは私が指導するから、夜は……必ずお風呂に入ることと、寝る前のストレッチを……」
ウキウキとレシピを作成しているとノックの音が響いた。
「レイラ……いや、今はレイソックだったな。調子はどうだ?」
「お祖父様! 調子はとてもいいです!」
短く刈り上げた白髪。深いシワに囲まれた藍色の瞳。適度に日焼けした褐色の肌と、鍛えられた筋肉。私が目指す理想的な健康体が具現化した姿。
祖父は若い頃、世界中を旅して様々な薬を集め、他国の薬について勉強をした。その結果、健康の重要性に気づき、いかに効率的に栄養を摂取するか、という研究を始めた。
父が成人すると同時に家督を譲って引退。家で研究三昧の日々を過ごしていたという。そして、私が十歳になった時、祖父は魔法で食材から栄養素を抽出することに成功。
ただ、それが体にどう作用するのか、という知識が祖父にはなかった。
なので私は前世の知識を活かし、食材から何の栄養素が抽出されたのかを予測。その栄養が不足している症状の人に飲ませるように、さり気なく祖父にアドバイスをした。
すると、不足していた栄養が補われ、祖父に相談に来ていた人の症状が改善。中には薬を飲まなくても症状が改善する人まで。
祖父が世間話をするように私に話しかけた。
「突然だが、ハーバコスキ伯爵を覚えているか?」
「えっと……一ヶ月ほど前に痺れと痛みを訴えられていた方ですか? 大酒飲みで偏食家で中年だけど独り身の。やけに私のことをジロジロと見てましたが」
「後半の言葉は黙っといてやれ。で、そのハーパコスキ伯爵の従者が礼を言いにきてな。治療師が治療しても、しばらくしたら痛みと痺れが現れていたのに、今回はそれがない。嘘みたいだ、と」
「栄養が不足して起きていた症状でしたから。症状を一時的に消すだけの治療魔法では、また症状が出て当然です。栄養不足という根本を治せば症状は消えます。ただ、食生活を改善して、それを続けないと、また起きますけどね」
ハッハッハッと祖父が豪快に笑う。
「一時的な誤魔化しでは健康にならん、ということだな。そのためにも筋肉をつけて健康な体を維持しなければ。それにしても、栄養不足による症状だと、よく分かったな。まさか米ぬかから抽出した栄養素が効果を出すとは思わなかった」
祖父の言葉に私は愛想笑いを浮かべた。
普通は膝下を叩くと足が跳ね上がるが、ハーパコスキ伯爵はそれがなかった。この反応はビタミンB1が不足すると出なくなる。
偏食家で大酒飲みのハーパコスキ伯爵。あまりビタミンB1を接種していなかった上に、アルコールの飲み過ぎでビタミンB1が多く消費され、不足していた。
これらは前世の知識。
だけど、そのことを言うわけにはいかない私は言い訳を考えた。
「ハーパコスキ伯爵の食事の内容を聞いた時、不足している栄養素があるように思えまして。栄養が充足するまでは、お祖父様が調合してくださった痛み止めと痺れを和らげる薬で対応できました」
「どの栄養が不足しているのかを予想できるのも凄いが、こんなに上手く栄養素を使ってくれるとはな。儂の研究が無駄にならなくて良かったぞ」
このように栄養素を使った健康体作りは少しずつ成果を上げている。
「世間では治療魔法が注目されておるし、儂の薬学も時代遅れになりそうだな」
「栄養素は健康な体を作るために必要なだけで、病気を治すことはできません。治療魔法でも病気を根本から治せるとは限りませんから、薬は必要です。それに薬の知識がなくなったら『幻夢灰の末世』が再来する可能性もあります」
「幻夢灰の存在は薬を扱う者以外は極秘になっているからな。薬を扱う者が消えたら、その知識も消えて、知らぬ間に蔓延する可能性もある」
祖父の言葉に私は大きく頷いた。
「ですから、薬師が不要になることはありません」
「それは分かっておる。おまえなら、薬と栄養を合わせた新しい治療法を確立して発展させそうだと思ったんだ」
栄養素を使って症状を改善する私を見た祖父は、この世界の薬の知識を徹底的に教え込んだ。薬の知識は深く広いため、まだまだ未熟だけど。
祖父がこれまでの朗らかな気配を消して、真剣な顔になる。
「レイラの知識はいつも飛び抜けている。その知識がどこのモノなのか、儂には皆目検討もつかん。だが……」
一呼吸おいて、重い声が落ちた。
「気をつけないと、狙われることになるぞ」
私が持つ栄養の知識は、この世界には存在しない学問。だから、栄養について聞かれたら、外国の本から学んだと誤魔化していた。
そうしないと、前世の知識なんて言ったら、どうなるか。異端審問や幽閉、最悪の場合は虚言で治療をしたと処罰される可能性も。
(お祖父様はこの知識が外国の本からの知識ではない、と気づいているのかもしれない。それでも……)
ゲームが始まったら推しは世界を救うため、王命によって魔法師団を代表して主人公と旅に出ることになる。
だけど虚弱な体のため、たびたび体調を崩して倒れる。ゲームでは主人公が介抱して好感度を上げていくけど、もし介抱されなかったら……
旅や野宿に体が耐えられなくて、体調を悪化させたら……
(最悪の場合、死……)
私は大きく頭を横に振った。
今は半年以内に推しをできるだけ健康体にして、その状態をゲーム開始まで維持する。そうすれば、ゲームのように旅の途中で倒れたり、体調を悪くする心配はなくなる!
(それが、どうゲームのストーリーに影響が出るか分からないけど……でも、推しが苦しむ姿は見たくない! 安心して旅立てるようにしたい!)
私は祖父を安心させるように微笑んだ。
「ですから、目立たないように治療しておりますし、教えていただいた護身術の練習もしております。それに、何かありましたら、すぐにお祖父様に相談しますから」
「それならよいが……あまり己を過信しないようにな」
「はい」
「突然こんな話をしたのは、こういう問題があってな」
祖父が困ったように眉尻を下げ、丁寧な装飾が施された箱を出した。




