推しとお姫様抱っこ
サッパリと短くなった私の髪。この髪も体もすべてはタンパク質からできている。
「この髪も、目も、体も、すべては肉や魚、卵などと同じ栄養から出来ています。アンティ嬢の体は成長していますが、原材料が不足していれば成長は妨げられ、不調になります。肉や魚、卵にチーズやヨーグルトなどをしっかり食べてください」
「だが、アンティは小食であまり食べられなくてだな」
「ですから、胃腸の動きと消化を助ける薬を調合しました。あと、この粉」
私は大きな瓶を持った。
「この粉を毎日二十グラム、水に蜂蜜やジャムと混ぜて好みの味にして飲んでください。肉や魚が食べられなかった日は二十グラムを二回、飲んでください。あ、下痢をしたりお腹が痛くなるようなら教えてください。他の物と変えますので」
この粉は簡単に言うとプロテイン。
これも祖父が簡単にタンパク質が取れるように魔法で精製した。しかも、私が配合した水溶性ビタミン入り。
しかし、アトロは気に入らなかったようで。
「そんな腹痛が出るものを飲ませられるか!」
拒絶された私はアンティ嬢に訊ねた。
「牛乳とかヨーグルトとかチーズでお腹を壊したことがありますか?」
「ありません」
「なら、大丈夫だと思います」
「だが……」
何か言おうとしたアトロをアンティ嬢が諫める。
「お兄様は私の体を治したくないのですか? レイ様は私の体を治すため秘蔵の薬まで持参してくださったのに、拒否してばかり。これでは、どちらが私の体を治そうとしているのか分かりません」
「いや、そんなつもりは……そ、そもそも筋肉が解決すると言っていたのに、筋肉がどこにもないじゃないか!」
苦し紛れのように叫ぶアトロに私は説明した。
「健全な筋肉は健全な体に宿ります。まずは体を健全な状態にして、それから筋肉をつけるレシピを追加します。筋肉がつく頃には立派な健康体になっているでしょう。つまり筋肉が体の問題を解決するのです!」
「違うだろ! 体の問題が解決したから筋肉がつくんだろ!」
アトロの指摘に私は目を丸くした。
「……たしかに」
納得した私を指差しながらアトロがアンティ嬢に訴える。
「こんないい加減なヤツだぞ! いいのか!?」
「はい。体が治ることに変わりはないのですから。私はレイ様を信じます」
「くっ……」
押し黙るアトロ。代わりに私を睨まないで。
そこに押しの声がした。
「それで全部でしょうか? 問題ないのであれば、私は研究室に戻りたいのですが」
うんざりした様子で壁に寄りかかっている推し。
その姿も眼福だけど、やっぱり筋肉が……筋肉が足りない! 筋肉があれば壁にもたれかからなくても、立ったまま待っていられるのに! むしろ、筋トレチャンスなのに!
心の中で悔やむ私。
その間にアトロが推しに飛びついた。
「こいつが持ってきた薬に魔法の痕跡はないか!? 何か変な魔法の痕跡は!?」
推しが私に視線を移す。生で見る紫の瞳に心が震える。
(こ、こんなに何度も直に推しが見られるなんて! 顔が、赤くなりそうっ! お、落ち着け、私! ここで怪しい動きをするわけにはいかない!)
まるで睨めっこをするように私は表情を固くして推しを見返した。すると、すぐに推しが目線をアトロに移して。
「変な魔法の痕跡はありません」
そこで私は気がついた。
栄養素には抽出して精製した時の祖父の魔力が残っている。その魔力はごく微量で影響を与えることはないし、普通は気づかない。
けど、推しはその魔力を感じ取った。でも、そのことを言わないでくれている……さすが、推し。しっかり空気を読んでくれた!
感動している私をアトロが怪しむが、それ以上にアンティ嬢からの無言の圧が。
俯いたアトロが渋々譲歩した。
「……わかった。レシピ通りの料理を作るようにシェフに指示する」
「ありがとうございます、お兄様」
アンティ嬢の礼にアトロが複雑な顔になる。
「では、失礼します」
推しが素早く退室する。
(私も逃げないと!)
私は急いで立ち上がり、一礼した。
「私も失礼いたします! 何かありましたらヤクシ家に伝達してください!」
アトロが何かを言っていたけど無視して部屋から駆けだした。
「推し! 推しは、どこ!?」
魔法師団の研究棟に戻るまでの推しを影から観察するチャンス! 話しかけるなんて恐れ多いけど、背後から見つめるぐらいは許してほしい。いくらでも課金しますから!
屋敷を出たところで推しの後ろ姿を発見。すぐに私は近くの柱の影に隠れた。
まっすぐ歩いて魔法師団の研究棟に向かう推し。その歩く体格が……姿勢が……筋肉が圧倒的に足りない!
「早く、早く健康体にしたい!」
ハンカチを出してギリギリと噛みしめながら追いかける。
それにしても周囲の店に見向きもせず、まっすぐに歩いて行く推し。本当に研究一筋なんだなぁ。
どんな些細な動作も見逃すまいと、推しを目に焼き付ける。
「次はいつ姿を見ることが出来るか……いや、推しを健康体にするんだから、何とか接点を作らないと! 魔法師団に薬草を納品する以外に接点は……あっ!?」
先を歩いていた推しの体がふらついた。そのまま倒れかける。
「危ない!」
反射的に飛び出した私は、気がつくと推しの体を支えていた。
ふわりと漂うミントの香り。徹夜して再現しようとしていた匂い。爽やかだけど、どこか甘く誘惑的な……
(この匂いだけで昇天しそう……って、ダメ、ダメ! 今、私が倒れたら推しも一緒に倒れてしまう!)
私は腰を落とし、腕に力を入れた。
(推しと共に倒れたとしても、私の体をクッションにして守る!)
グッと足に力を入れたところで体が安定した。倒れることなく推しの体を支える。
少し視線を下げれば風に揺れる銀髪。紫の瞳を閉じた顔はどこか苦しそうで。
「あ、あの……」
私の声に推しが目を開けた。
「申し訳ありません……って、君か」
「だ、だだ、だっ、大丈夫ですか?」
極力普通を平静を装う。
腕の中の推しの存在に私の心臓は張り裂けそうなほど爆走。ドキドキしすぎて苦しいし、尊すぎて今にも全身が震えだしそう。
それを気力で押さえ込む。
「最近、徹夜が続いて。もう、大丈夫なので」
そう言いながら体を起こそうとする推し。その顔色は悪く、このままでは研究室に戻る前に、また倒れてしまうかもしれない。
(こうなったら!)
覚悟を決めた私は腕を動かした。
「何をっ!?」
驚く推しの膝に腕を入れ、抱き上げる。俗に言うお姫様抱っこ。
「魔法師団の研究室まで運びます」
「運ばなくていいです!」
「遠慮しないでください。すぐ目の前ですから」
「遠慮とかではなく!」
暴れる推し。けど、その体は軽くて余計に心配になる。
推しをお姫様抱っこした私はまっすぐ研究棟へ歩き出した。でも、緊張で推しをまともに見られない。
私は足を動かしながら間を持たすために必死で会話を探した。
「あの、もう少し筋肉をつけませんか?」
「は?」
「健康体になれば体がフラつくことも、倒れることもありません」
「その前に降ろしてほしいのですが」
今降ろしたら再び倒れるかもしれないし、その時に怪我をする危険も。こればっかりは推しの頼みでも聞けない。
けど……
「健康体になるなら、降ろします」
「脅しか!?」
魔法師団の研究棟の前まで来た私たちを門番が苦笑いを浮かべて通す。
「……あの門番とは顔を合わせられない」
両手で顔を覆い、沈む推し。
私は一生懸命、慰めた。
「健康体になれば小さなことも気にしなくなります!」
「そういう問題ではありません!」
「健康体になれば解決です!」
「人の話を聞け!」
「健康体になってください!」
「断る!」
そこに乾いた笑いが響いた。
「魔法師団の副師団長ともあろう者がそのような姿とは情けない!」
聞き覚えがある声。正面から見覚えがある赤髪が歩いてきた。
推しが明らかに顔を歪める。
「……どうして、ここに?」
「魔法師団の在り方について団長と議論してきた」
そう言って腰の剣の鞘を鳴らすのは、今朝ぶつかった若騎士のカッレだった。




