バレてないからセーフだよね?
「それでは、皆さんお疲れ様でした」
その言葉から少しして使用しているアプリを切ったのち、梓は画面を確認し、問題がないことを確認してから息を漏らす。
いつもであれば、これで今日のやることは終了だ。
でも今日は今からが本番なのだ。
梓は「よし!」と気合を入れる声を上げてから椅子から立ち上がり、部屋の清掃をし始めた。
ボーリングのピン代わりになりそうな無数のエナジードリンクの缶たち。
ちょっと前に食べ終えたコンビニスイーツの器。
結構な頻度で頼みまくっている出前の容器たち。
手当たり次第に目についたゴミをごみ袋に放り投げていく。もちろん、分別はしっかりしながらだ。
昔買ったルンバは動ける範囲がなくなってしまいずっと定位置から動かない。
ようやく床などに居座っていたゴミを片付けてルンバが動き出す。常に満タンだったバッテリーを持て余すかのような縦横無尽の大活躍に期待したい。
次いで、テーブルや台所なんかの目につくところを片付けていく。
そうやって時期外れの大掃除をしていると、スマホが震えだした。
慌てて画面を確認すると、メッセージアプリからの通知で
『あと2時間ぐらいで、そっちつくから』
と表示されている。
そう、今日は彼が来る大事な日。
彼とは所謂遠距離恋愛とでも言う形になっているのだが、今日はそんな彼が上京してくる大事な日。
そんな日の当日、到着2時間前に部屋を掃除してる時点でどうかと思うのだけれど梓としてもやらないといけないことをやった上でこの時間なので仕方ない。
と言うか愚痴るぐらいなら手を動かさないといけない。
膨らんだゴミ袋ふたつを見てようやく梓は大きくため息をつく。
ゴミの日は昨日だったので出す訳にはいかない。
梓はもう一度ため息を付いて、ゴミ袋を二重に被せ漏れないようにしてから、クローゼットの奥へと押し込んでいく。
このまま放置した結果で特級呪物にならないようにしっかり覚えておかないと心に刻みつつ、次に壁に貼られたいくつかのポスターたちを見てもう一度ため息をつく。
彼が来るまでに、私がやってることに気づかれないように怪しいのは全部消さないといけないのだ。
梓は気合を入れ直し体を動かし始めた。
インターホンが鳴る。カメラで確認すると、スマホで何度も確認した彼の顔が映る。
その顔にホッとしつつ、梓は部屋を見渡す。
大丈夫だよね……? そう思いながら部屋をゆっくりと見るがとりあえず必要最低限にきれいな部屋にはなったように感じる。
と言うか、これ以上どうしようもないのだから覚悟を決めるしかない。
『梓ー。俺だよ』
「待ってね、すぐロック外すから」
ロックを解除し、彼が来るのをゆっくりと待つ。
でも待ちきれなくて、部屋から出て彼の姿が見えるのを待ってしまう。
あ……彼だ。梓の目に彼の姿が入る。
前に会ったのは3ヶ月前。その会えなかった時期から溜め込み続けていた感情を抑えきれずに梓は彼の元へと走っていた。
「久しぶりだよなぁ」
「ごめん、部屋ちょっと散らかってるかも」
散らかってなくても、こう言っておくのはちょっとしたマナーだ。
梓のそんな気持ちを知ってか知らずか、彼は梓の言葉にこう返す。
「気にしないで。今日は梓の顔見に来ただけだし」
「え、そうなの?」
てっきり泊まっていくと思ってた梓は意表を突かれる。
「うん、ホテル予約してるし。荷物はそっちにおいてきた」
「私、泊まると思って準備してたよ」
「あー、ごめん。それは言いそこねてた。それに朝一で現場行かないといけないから」
頬をかきつつ謝罪する彼を見ていると、怒る気持ちも一瞬でかき消えてしまう。
「じゃあ、晩御飯ぐらいは一緒に食べれるよね? もうウーバー頼んじゃったし」
そんな梓の言葉に彼はにっこりと微笑みつつ頷いてくれた。
「そういえば、こっちでの生活どうなの?」
「んー。大変なところもあるけれど、慣れては来たかな」
「そっかー。梓ももう都会の人って感じがするもんなー」
「おだてても何も出ないよ?」
そんな会話を楽しみつつ、頼んだ出前を食べつつ、冷蔵庫に入っていたお酒を互いに飲み明かす。
部屋を綺麗にしたかいがあったものだと嬉しくなっていく。
「そういえばさ。梓」
「なに?」
「めっちゃいいパソコン使ってない?」
彼の視線の先には、梓が普段使っているパソコンがあった。
そんな彼の言葉にどきっとする。
「そ、そうかな?」
「いや、だってあれ所謂ゲーミングPCってやつだろ?」
彼が立ち上がって、梓のパソコンのもとへと近づいていく。
黒光りするでかいデスクトップPCがそこには鎮座している。
「しかも、椅子もめっちゃいいやつじゃん」
彼の言葉通り、梓のPCやチェアーはこの部屋のものの中で最も高価な物たちである。
「梓ってこういうのに興味なかったと思ったから意外だなぁって」
「ほ、ほら。最近はオンラインで色々やるから、椅子とかパソコンもいいやつ買っておいたほうが良いかなぁって」
「じゃあ、これは?」
彼が指を指したのは、モニターの横にあるバイノーラルマイクだ。
片付けるのを忘れていたことを梓はここにして気づく。
普通の女の子の家にこんなのがあるのは冷静に考えたらおかしいのだと。
「い、今って打ち合わせとかでも、こういうのを使ったりするんだよ」
「まじで?」
「う、うん。オンラインでの環境をしっかりしとくのはマナーなの」
「まじか。東京は怖いな」
実際の大学などで使う打ち合わせなんかはほぼスマホで済ませているのだけれど、彼にそんなことを教える必要はない。
こういうときに、言葉に納得感を生ませてくれるマナー講師って存在は便利だなって梓は思い知った。
「そういえばさ、そっちだと何流行ってるの?」
「んー。韓ドラとか色々だな。ユーチューバーも、ブイチューバーも見てるやついるし」
なんとか話を逸らすことに成功した梓は心のなかでほっと一息付きながら、追加の酒を飲みつつピザへと手を出す。
「俺の最近の推しはブイチューバーのAZだな」
彼のその言葉に、ビザを吹き出しそうになる。
むせ返りそうな中で、慌ててお酒で流し込もうとして咳き込む。
「だ、大丈夫か?」
「けほっ。だ、……大丈夫」
嘘だよね? 彼がAZ見てる??
梓の心がこれまでにないほどに動揺する。
「AZってさ、ど、どうなの? 友達からはたまにその名前聞くんだけれど」
「良いよ。あの人妻って言いつつも慣れてない感じが良い」
AZは、若妻系ブイチューバーとして最近SNSでも話題になっている存在だ。
エッチなことも言うこともあるが、旦那への愛が極まってる。
ゲームも不慣れなところがあるが一生懸命に頑張っているのが伝わると評判も高い。
そして、梓がそんなAZの中の人である。
きっかけは、コロナ禍でのちょっとした暇つぶしだった。
コロナ禍で会えないことで彼への想いを募りに募らせた梓はその思いを架空の旦那様へと恋心を抱くブイチューバーとして活動をし始めたのだ。
そしてAZは今では高価なPCやゲーミングチェアなんかを買えるほどには稼げるようになっている梓にとっては、収入源としても一面もあるが、自分の隠した本心を晒して自由気ままに動ける大事な存在になっていた。
そんなAZを彼が推してると思うと恥ずかしさやその他の思いが頭の中を支配する。
「いや、ほんとAZ良いんだよな。たまに下ネタするところもいいし。ホラーゲームとかめっちゃいい反応するし、でもさFPSとかめっちゃ頑張るじゃん。前のコラボ大会とか努力が実ってて活躍してるの最高に良かった。あんな子に惚れられてる旦那様羨ましいよなぁ。俺も旦那様になりたいとか思っちゃったり……」
やめて、それ以上言わないで。と梓の感情がついに爆発してしまう。
「わ、私の前で、ほ、他の女の子の話って、ど、どうかと思うの」
動揺が限界に達していた梓が発したその言葉とともにテーブルを叩くその音は彼を青ざめさせるには十分なほどだった。
「わるい……」
あー、そんなつもりじゃなかったのに……。
嬉しさと恥ずかしさからでた言葉と行為によって生み出された気まずさに梓も彼もそれ以上に話すことができなかった。
「うーーーーーー!!!!! うーーーーー!!!!!」
彼が帰ってから、梓はベッドでゴロゴロしながら悶絶していた。
なんであんなことを言ってしまったのかという反省と、AZを推してくれている嬉しさ。
『AZの旦那様はあなただよ』って言えるのであればどれほどに気が楽になるだろうか。
でも自分が若妻系でたまに卑猥なことを言ってるブイチューバーとばれたらと思うと今はこうするしかなかったと思う。
そうだ……と思って梓はスマホを操作する。
ツイッターを起動させ、AZのアカウントでツイートする。
『お昼の配信見てくださった皆様ありがとうございました。
今日はちょっと嬉しいことが有りましたので。
メンバー限定で配信させてください。』
梓は、ベッドから起き上がりパソコンへと向かう。
そう、自分にはAZがいる。
この高まりきった気持ちを聞いてほしい。もちろん彼とは言わない。
女の子の友達とで起きた出来事として語るつもりだ。
うん、これなら彼にだってバレないはず。
梓はそう思いながら配信の準備を始めるのであった。
なお、彼がAZの中の人に気づくことになるのはメンバー登録していた彼がこのメンバー限定配信を見てまもなくのことである。
アウトでした