英雄の思惑
英雄の帰還のユースタス視点の前日譚です。愛が重いです。
先生はおれの8歳年上の血の繋がらない家族。おれがずっと片想いしている相手で絶対に結婚したいおれの運命の人だ。
おれが小さい頃は姉さんとかドロシーって呼んでたけど、前の院長先生が風邪を拗らせて亡くなって、彼女が新しい院長先生になってから先生って呼ばされるようになった。
まだ10代の少女には荷が重かっただろうに先生は背筋をピンと伸ばしてがむしゃらに頑張っていた。
他の子どもたちに示しがつかないから先生って呼んでねと言われた時、目の奥が赤く染まるくらい強い怒りを覚えた。なんでドロシーがそんなことを言うんだと喚き散らしたかった。当時のおれは喋るのが苦手で何も言えなかった。その日からおれはドロシーのことを先生と呼ぶようになった。
歳をとるにつれておれは先生のことを意識してしまってついそっけない態度を取ってしまっていた。先生から見たらおれは子どもかもしれないけど13歳の少年が風邪を引いたからといって保護者が胸に薬を塗るというのはちょっとおかしい。
でも、先生がそういう態度をとれば取るほどおれはまったく男として見られていないことに落ち込んだ。孤児院ではみんな血の繋がりはない。前の院長先生と先生だって義理の親子関係だという。だから、おれと先生は結婚できるし、おれはずっとそのつもりだった。
先生の一番身近な男はおれだし、あと何年かすれば今はまだ先生よりも少し小さい背だって追い抜く。18歳になれば結婚できるからその時にプロポーズしようと思っていた。でも、その願いは叶わずおれは14歳の時に戦地へと送られた。
最後の夜におれは先生にプロポーズをした。指輪もなにも用意できない不甲斐ない男だけど、待っていて欲しいと言った。久しぶりに先生の頬にキスをして、その柔らかさと近付いた時の甘い匂いにドキドキした。おれは先生と離れることが辛いけど、男として成長して立派になると固く心に決めた。
先生と孤児院のちびたちが泣きながらおれのことを見送った。ぎゅうぎゅうに人が詰め込まれた馬車でおれは戦地へと送られた。おれは自分がまだ14歳だし馬車の中には女の人もいたから補給とか雑役をやるものだとばかり思っていた。
でも、おれが連れてこられたのは前線だった。敵味方関係なくバタバタと人が死ぬ。血と肉の焦げる臭い、悲鳴、土煙、それにじりじりと照り付ける太陽。魔法使いたちは強力な戦力であるぶん狙われる。詠唱時間に攻撃されないように魔法使いの盾になるのがおれの役割だった。
一緒の馬車に乗っていた女の人はペイシェンスと言って乙の魔法使いだった。彼女は薄紫色の髪を後ろで一つ結びにして真っ黒のシャツとズボンを着ていた。彼女の恩恵は広範囲の火炎魔法で敵からは炎の死神と呼ばれていた。
炎のように真っ赤な瞳はいつも敵を睨みつけて、たくさんの人間をその炎に閉じ込めていった。ペイシェンスさえ倒せば勝てると思った敵軍は彼女を狙って攻撃をしてくる。そんなやつらを仕留めるのがおれの役目だった。
戦っていない時のペイシェンスはごく普通の女性だった。先生よりは少し年上だろう。故郷に小さな娘を残して来たらしい。でも、娘のために国を守り、絶対に戦争に勝つと言っていた。時間がある時には簡単な魔法を教えてくれた。おれには適性があったようで簡単な治癒や身体強化の魔法はすぐに使えるようになった。
ペイシェンスには小さい娘以外にも妹がいるらしい。とても才能があるけれど恥ずかしがり屋で気弱だと言っていた。おれは孤児院のことや先生のことを良く相談した。年上の女の人が何を喜ぶかを聞けばあなたが無事に戻ることでしょと笑いながら言った。
戦火が酷くなっていって味方もたくさん死んで新しい兵士が増えた。おれは魔法使いっていうほどではないけれど元々の身体能力に加えて簡単な魔法を使えることで武功を上げていった。
ペイシェンスの近くにいたというのも大きいだろう。彼女1人で多くの敵兵を鎮圧した。人を殺すことの罪悪感で彼女が涙を流していることも知っていた。それでもおれは何も出来なかった。
そのうちに先生へ出した手紙が戻ってくるようになった。何かの間違いじゃないかと思って先生の返事を待った。その後も何度も手紙を出したけれどその返事はなかった。
ペイシェンスがきっと子どもたちとどこかに避難してるんだろうと慰めてくれた。ペイシェンスと先生の見た目は似てないけど、こういう優しいところは似ていた。その日、おれは戦場に来てから初めて泣いた。
その後も口の減らない仲間や信念のある敵、クソみたいな上官もいた。おれはたくさん殺して、味方もたくさん死んだ。ペイシェンスは敵の司令官に殺された。おれはその時、自分が死んでも構わないからペイシェンスの敵を打つべくそいつへと切りかかった。
運が味方をしたのかおれはそいつを殺すことができた。おれ自身が致命傷になるような怪我をしなかったのは奇跡だと思う。それでも強く優しい魔法使いは死んだ。おれは英雄と呼ばれたけど、ペイシェンスこそ真の英雄だった。彼女は大勢殺して、多くの命を守ったのだ。
戦争は敵国内でのクーデターによって呆気なく終わった。おれの5年間もペイシェンスや仲間の死も戦争を終わらせる要因にはならなかったのだ。でも、おれはたくさん殺して生き残った。だから、英雄になった。おれは別に英雄になんてなりたくなかった。
でも、英雄になったおれは金だけじゃなくて地位も貰えるらしい。それならきっと先生も安心してくれると喜んだけれど、どうやら貴族のお嬢さんと婚約させられるらしい。そんなの絶対に嫌だと思ったけど、その家の当主という女の人に会って驚いた。先生にあまりにも似ていたのだ。
綺麗な服を着て、髪の毛の色が黄金になったら先生もこんな感じだろうなと思った。おれがじっと見つめていると、イングラム侯爵は何か?と聞いてきた。声も似ていてやっぱり先生となにか関係があるんじゃないかとおれは考えた。
でも、初対面でそんな話をするのは変だから言わなかったけど、彼女と親しくなるうちに家族の話になり、生き別れの姉がいると聞いてそれが先生のことだと確信した。
おれは絶対に先生と結婚したかったからイングラム侯爵の家族を味方につけて先生を家に迎えることを了承させた。驚くべきことにイングラム侯爵はもともとそうするつもりだったらしい。ただ、予想以上に人探しが難航したけれどこの縁はきっと運命だと言っていた。おれも同意見だった。
かくして先生の知らないうちにおれと先生の結婚の話は進んでいった。
パレードの日、式典用の軍服を着ながら先生は見に来てくれるかなとか格好良いって思ってくれるかなと考えながら鏡を見ていると近くにいたアンリに笑われた。
おれがベタ惚れな相手がいるのは知っているのでずっとニヤニヤしててむかついた。病的に惚れっぽくてすぐ女の人にプロポーズして振られるような人間におれの一途な愛を笑われたくなかった。
おれはいつもよりも気を引き締めて馬車に乗り込んだ。見せ物みたいであんまり好きじゃないけど先生が見てくれるなら頑張ろうと思える。先生が見に来るように色々手を尽くしたのできっと来てくれるだろう。だって、おれは先生の家族なんだから。
アンリの顔と性格に似合わない白い花びらが街中に舞っている。それをみた人たちが声を上げて喜んでいる。小さい子どもたちは花びらを拾うためにジャンプしたりしていて可愛かった。もうすぐ、ちびたちにも会える。それから、大好きな先生にも。
おれは目が良いからどんなに遠くからでもわかった。ベージュの地味なワンピースに紺色のエプロンをした先生は少しだけ痩せて大人っぽくなっていた。横にいるマーシャルとリンネが随分大きくなっていて驚いた。おれはみんなに向けて手を振った。みんな気付いたみたいだった。
どう、先生。おれは先生に釣り合うような立派な大人の男になれたかな? 夢の中では何度も抱きしめてキスをしてそれ以上もしたけど早く本物の先生に触れたい。先生は優しいし俺のことが家族として好きだからきっと絆されてくれる。家柄の問題だってクリアした。あとはおれの気持ちがずっと変わってないことを伝えるだけ。
あと少しだから、待っててねと小さくつぶやいておれは遠くなる先生の姿を見送った。
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