4:でも油断は禁物であって、犯罪なんかに手を染めてはいけない。
「おっしゃ、じゃあ、皆持った?」
缶ビールを掲げ、ゴリラは俺とジロさんへと問う。
「ああ、持ってる」
「おうよぉ。早くしやがれゴリラぁ、てめぇ」
いつもの野営地へと帰った俺達は今まさに酒盛りを始めようとしていた。
35円の俺たちがなぜこんなことをしているというと、もちろん、気持ちを入れ替えた記念だ。
そして、大量の酒やつまみの入手経路等は秘密だ。知らないでいいこともこの世にはある。
「てめぇっていうな、お前。じゃあ……乾杯」
わりかし静かにゴリラがそう言い、酒盛りは今まさに始まった。
「けぇ~っ……うめぇな、ちくしょう」
ジロさんはカップ酒を多めに一口いくと、身体を振るわせながら噛み締める。
「言うて、いつも飲んでるけどな。ジロさんは」
「いちいちうるせぇんでぇ、ゴリラはよぉ。この酒はいつもと違うっつぅんでぇ、馬鹿やろうぃ」
「いつもと、違うって。同じやん、いつものと」
「だーからよぉ、気持ちが違うっつってんだろうげぇ。酒に向き合う気持ちがよぉ」
酒に向き合う気持ち、か。
「それに、いつも飲んでるって言うがよぉ。俺っちは楽しい気分の時にしか飲まねぇんでぇ。ストレス発散だときゃぁ、失恋だときゃぁ、うまくいってねぇ時飲む酒は美味くもねぇし、心身ともにいい訳がねぇだろぃ。酒は逃げ道じゃなく向かう道であるべきなんでぇ」
向かう道であるべき……。確かになんかわからんでもないような気がするな。
「なんだってそうだろぃ。合戦で勝利して祝う、合格して祝う、仕事がうまくいって祝う、試合に勝って祝う、彼女やぁ、彼氏になれて祝う。祝う酒に向かうもんなんでぇな」
「そう言われたら、確かにそうやな。……でも、景気づけとかいうのもあるとは思うけど。あと、歓迎とかも」
「そらぁ、おめぇ、景気づけってのは結局は何らかの目処が立ったりぃ、向かう道が決まり始めたりだとかぁ、希望があるからだろぃ、楽しい酒でぇ。歓迎も今から始まるっつぅ、向かう道があって、楽しい酒だろぃ」
「ああ、そうか。いやぁ、そうやな」
ゴリラも納得したようで、反論が出ることは無かった。
ジロさんでも、なんかちょっと深くていいこと言いやがる時あるんだな。
「まぁよぉ、悲しいときに飲む酒や、むしゃくしゃして飲むしかねえって時も当然あるとは思うんだがよぉ。俺っちぁ、そういう時ぁ、悲しくて悲しくてよぉ、酒なんて飲めたもんじぁねぇんだやぁなぁ」
「ガラス、いや豆腐とか洋菓子の複雑すぎる見た目のケーキ並みに脆いハートなんだな、お前」
なんだよ、自分ができないって事を正当化して論じてただけなのか、このアルマジロ。
「うるせぇっ。でも間違ってねぇだろういっ! 馬鹿! あほぉ! 死んじまえ!」
結局、吼えたよこいつ。何が楽しい酒だまったく。
「ちくしょう! ちくしょーーーう!」
殆ど、泣いてるじゃねえかよ。
「ほっほっほ。確かに間違っていませんねぇ~」
「いや、確かに間違ってはいないけど、散々語った後に結局泣いてる――って、あれ? えええっ……誰ぇぇぇぇぇっ?」
聞きなれない声に気づき隣を見ると、高級そうな多分、イタリアン? な、黒いスーツに身を包んだ、細身でスマートな紳士的な印象のキツネが俺たちと同じように酒を持ち、胡坐をかいて座っていた。
「ぶふぅっ……げほ、ごほっ……ほんまっ……誰ぇっ……いづの間……げほっ」
ゴリラも気づいたようで、飲んでいたビールを吹き出すと、むせながらもキツネに問う。
「おやおや、気管などに入ったのですか? 大丈夫ですか? 大丈夫ですか、ほんとに」
紳士的なキツネはゴリラを心配はしているのだろうが、声に抑揚は無く一定で、顔つきも目が細く、常に笑っているような印象をうけるので、逆に苦しむゴリラをみて楽しんでいるように見え、なんだか怖く思えた。
「げほっ……んんっ……。ああー、いや、も、もう……大丈夫ですけど……」
で、誰ですか? とは、紳士的なキツネの視線をモロに受けたゴリラも俺以上に言い知れぬ恐怖を感じたようで聞けないようだった。
「なら、結構。よかったです。よかったです、本当に」
紳士的なキツネはそう言いうと、手に持ったモモ味の缶チューハイ(俺が次に飲もうと置いといたやつ)を一口飲む。
「…………」
でも、それ俺のなんですけど、なんて言える筈も無く、一回口にしてるとはいえ華麗にスルーされてしまったし、もう一度、貴方誰? なんてのも聞ける気がしなかった。
というか、なんか話し掛けづらい雰囲気がある。なんか怖い。
だが、俺とゴリラがどうしようかと思って口を噤んで様子を窺い、居心地の悪い沈黙が訪れるかと思った矢先、ジロさんがようやく気づいたとばかりに紳士的なキツネに視線を向け口を開いた。
「あれぇ、おめぇ、いつから居たんでぇ?」
マジで泣いてたから気づかなかったのかこいつ。なんでなんだ? という疑問は尽きないが、聞いてくれたことだけは評価してやる。
「ほっほっほ。数十秒、いえ、1、2分くらいから、といったところでしょうかねぇ」
まあ、そうだろうけど……やっぱり完全に今さっきだ……。
でも、なんの気配も音も無く現れて、それどころか、チューハイ片手に馴染んでたぞ、このキツネ……。なに者だよ……。
「そうけぇ。まぁ、なんでぇ、久々とはいえ、急に頼んじまって悪かったねぁ」
「いえいえ。貴方と私の仲ではありませんか。お気になさらずともよろしいですよ」
この感じ、知り合いなんだろうな……。
しかし、ジロさんも謎多いやつだな、謎の紳士的なキツネの知り合いが居るなんて。
「そうけぇ。なら、言葉に甘えて気しねぇっ、ひゃっひゃっひゃ」
「ええ、それでよろしいですよ」
と、言いはしたが、「ですが」と紳士的なキツネは言葉を繋ぐ。
「ここにあるお酒やおつまみは、私の店から盗んだものではありませんか? いけません。いけませんよ、ほんとに」
えっ……私のお店って、この人まさか……。
「うそ、やろ……もしかして、あのコンビニの店長……?」
つうか、絶対そうだ。ロピアンさんも店長はキツネって言ってたし、この人キツネだし、間違いない……。
「ほっほっほ。そうです。申し遅れましたが店長と申します。よろしくお願いしますねぇ~」
や、やべぇ……ジロさんが勝手にやってたとはいえ、飲み食いしてる俺らも同罪だ。
あんなにいい人だったロピアンさんを裏切り、こんな俺達を面接することにしてくれたこの人も裏切って、恩を仇で返すようなことしてしまってる……。
「す、すいませんっ! 残ってる分はお返しして、そのっ、飲み食いしちゃったもんは、お、お金ができたら返しますっ!」
「ほんま、すんませんっ!!」
俺とゴリラはすぐさま、店長へ向かって土下座をした。
「ほっほっほ。大丈夫ですよ。許しません」
「いえ、そんなことでは、俺達の気持ちが済みません――」
って、あれ、この人今、許しませんって言った……?
「許さないだとよぉ。どうすんでぇ、モモ太郎ぃ」
「いや、それは、そうだろうし……でも、今返そうにも金も無いし……」
つうか、ジロのやつ、なに他人みたいな雰囲気で言ってやがるんだ。そもそも、パクってきたのお前だってのに。
「お金がない。そうですねぇ、確かにそういうお話を頂き、私のお店でということでしたねぇ」
「そうなんです……それであの、こんな恩を仇で返すようなこと、“こいつ”がやったんですけどっ……」
平然とタバコを吸ってやがるジロの頭を無理やり下げさせつつ更に言葉を繋ぐ。
「俺もゴリラも知っていながら飲み食いしちゃったわけで……ほんと、すいませんでした」
「すいませんでした」
再度深々と頭を下げる俺とゴリラに店長さんは、頭を上げるよう言う。
「そこまで謝らなくてよろしいですよ。ほっほっほ、少し冗談が過ぎましたねぇ。まったく。まったく、ほんとに」
「え、冗談? いや、これはマジでパクったやつだと思うんですが……」
言ってる意味が分からず顔を見合わせる俺とゴリラを見て店長さんは更に笑う。
「ほっほっほ。それは確かに私の店から取ったものでしょう。ですが、このお方がそういう事をやってしまうのは分かっておりますので、驚きも怒りもありませんよ」
「へっ。人聞きの悪いこと言うんじゃねぇぜ、ったくよぉ」
人聞き以前に本当に悪いことしまくってるジロがなんだかプンスカしてやがるが、それを無視して俺は店長さんへ確認の意味を込めて問う。
「じゃあ、その、犯人を捕まえたり、なんなら警察に突き出してやろうとかって思って来たわけでは、その、ない……?」
店長さんは『はい』と、頷き、何かを見定めているように、顎に手をやり、細い目を更に細めて俺とゴリラを上から下までじっくりと見る。
「え、あの、なんですか?」
「なんか、緊張するんですけど」
店長さんの視線に耐えられない俺とゴリラは、なんだかもぞもぞと身体を動かしながら問うてしまう。
「ふむ……。実に面白いので、よろしいでしょう」
「な、その、なにがよろしいんですか?」
問うと、店長さんはいつもの細さくらいには目の大きさを戻し『採用です』と言う。
「え、採用……?」
「なにが、そうさせたんですか?」
特に何もしていないのに今あっさり採用され、俺とゴリラは超高速で話から置いていかれてる気分だった。
「飲み食いしてしまったものは、ジェラルドさんの給料から天引くとして、貴方方はお咎めなし、そういうことにしましょう」
そう言った店長さんに対し、ジロさんは待ったをかける。
「おぃおぃっ、おめぇ、そっちの名前は呼ぶんじゃねぇ。俺っちは今、ジロ、ジロさんなんでぇ。その名前のやつぁ死んだんでぇ」
しかも、天引きの話じゃなくて、名前の方にだった。
なんなんだろうか……ジェラルドってなんか強い将軍みたいでかっこいいのと思うんだがな。
「ほぅ、それは失礼しました。それでは私もジロさんとお呼びすることにしましょうかねぇ」
「おうよ。おめぇは悪戯が過ぎるからなぁ、信用できねぇんでぇ。ほんと、頼むぜぇ、おい」
「ほっほっほ。貴方に警戒されるとは、光栄でございますねぇ」
店長さんはからかう様にそう返すと、放置気味だった俺とゴリラに謝罪をし、続きを話し始める。
「さて、晴れて採用となられたわけですが、お金の問題は完全に消えたわけではありませんねぇ」
「そう、ですね……いや、でも、給料日まではなんとかなりそうな気もするんで、大丈夫ですよ」
「いけません。いけませんよ、ほんとに。まだ給料日までは約一ヶ月あるのです。私の立場からしても、店の在庫がちょこちょこ無くなっていっては気持ちの悪さを覚えてしまいます」
店長はそう言いっている間、寝転がってタバコを吸い、屁をこいてケツを掻いているジロさんしか見ていなかった。
「ですから、まず、祝い金としまして、貴方たちに一人10万を差し上げましょう」
「じゅっ、十万っ……!」
「うせやろ、やっばっ……」
驚く俺とゴリラに店長さんは平然と懐から茶封筒を取り出して手渡し、ジロさんの分だけは、これまた平然と焚き火へとくべた。
「うぉぉおおおおおおおおい! なにやってんでぇええええええ!」
当然だろうが、ジロさんは、驚き焦って、でもごうごうと燃えてるし手を入れれないし、あーもう、って感じでその場でジタバタして騒ぐ。
「ほっほっほ。冗談です。あれは新聞紙を詰めたものですねぇ」
今度はちゃんと本物をもらったジロさんは、片腕で目元を覆い、静かに泣いた。
「あの、採用してもらっただけでもありがたいのに、お金までもらって、ほんとありがとうございます」
「ありがとうございます」
俺もゴリラも、こんなの受け取れません、とか言って拒否できねえ現状なのが悲しいところだが、せめて、仕事中は身を粉にして働くつもりで、今できる精一杯の気持ちを込めて店長さんに頭を下げる。
「どうか、お気になさらずに生活の糧へとお使いください。ほっほっほ」
なんていい人なんだ。一生付いて行きたい気分になってしまうくらいだ。
「あの、このご恩は仕事にて精一杯返させていただくので、どうか、これからよろしくお願い
いたします」
再度、慣れない敬語を自分なりにフル活用して述べ、頭を下げた後、これにて御暇するという店長さんを山の出口まで三人で送り、この日は一旦、お開きとなった。
「いやぁ……なんか凄いな」
「ほんまやな。まさか、ここまでいい方向にいくとはな」
ほんの、約一時間の内に信じられないくらい現状が好転するとは、人生分からないもんだ。
ゴブリンと鼻くそで飢えを凌いでとりあえず死ぬまで生きるんだと思ってたのに一寸先は闇っていうのを改めて実感させられた。
店長さんには勿論感謝だし、もしかしたら色々報告してくれた可能性もあるロピアンさんにも感謝するけど、こうなれたきっかけである、店長さんとそもそも知り合いで話を通してくれたジロさんには感謝する気が起きないのは何故なんだろうな……。
まあ、いいか。変態トラブルメーカーだし。