油断大敵! 迫り来る影!? その2
女幹部にささやかな意趣返しをした篠原良。
が、それは根本的な問題の解決には繋がっては居ない。
自分の動画がネットに広がってしまったという衝撃から、アナスタシアはげんなりとしていたが、直ぐに立ち直っていた。
「と、とにかく! こんな事よりも大変なんですよ!」
こう言わせるのは、彼女の気丈な正確故だろう。
ついさっきの狼狽など何処へやら、女幹部は自分を取り戻す。
対して、上司である良はと言えば、気楽である。
「いや、まぁ、ほら、変身した姿を見られたり撮られたりしたけどな。 でもさ、顔はバレてないし」
あくまでも呑気な首領に、アナスタシアはギリリと歯を鳴らした。
「何を悠長な事を仰いますか!? マズいんですってば!」
「いや、だからさ、何がマズいんでしょうか?」
ズンズンと近寄り、顔が当たらんばかりのアナスタシアの迫力に、良はついつい弱気が出てしまう。
普通の男ならばドキマギしそうだが、眼を血ばらせた相手とはそうは成り難い。
「あんなに派手にやっちゃってるんですよ!? 私もですが……」
「あー、はい」
「どう成ってると想いますぅ!?」
「えと、あー、おおさわぎ?」
良の疑問に、アナスタシアは頭を文字通り抱えた。
頭を両手で掴みつつ、ウーウーと唸る。
改造された彼女も、疲れは在るだろう。
ハァハァと息を切らし、ダラリと両腕が落ちた。
「そうです。 首領」
力を失った様に落ちていた頭が、ゆっくりと持ち上がる。
その様は、獲物を見つけた蛇の様でもあった。
実際、上目遣いとも見える視線は魅力的と言うよりも、恐ろしい。
「あ、はい」
もはや蛇に睨まれた蛙の様な良。
「今、世論で何が注目されていると想いますか?」
「え? あー、うんー、お、俺たちかな?」
破れかぶれの答えに、女幹部の頭が縦にゆっくりと揺れた。
「そうですよぅ? では、私達って何でしょう?」
地を這う様に低いアナスタシアの声に、良が唸る。
「あー、うん、と……」
このままではアナスタシアが正体を現し兼ねない。
出来る事なら喧嘩を避けたい良は、必死に頭を巡らせた。
が、良が首領に成ってから今まで、色々と在り過ぎた。
その中で、何かを言われたかと問われてもポンとは出て来ない。
それでも、なんとか思い出す。
「あ、悪の、秘密組織……かな?」
原点に立ち返り答えを搾り出す。
良の微妙な声に、アナスタシアはスッと姿勢を正した。
「そうですよぅ、ソレなのに……こんなに目立っちゃって」
アナスタシアの憤りの理由。
元々彼女は悪の組織の女幹部である。
今でも勿論女幹部ではあるが、良が来て以来、組織は様変わりしてしまっていた。
以前ならば、粛々と、そして、淡々と首領が打ち出す【悪の計画】を実行していた。
が、そんな勤勉な前首領と違い、今の首領である良は全く違う。
良く言えば【お人好し】だが、悪く言えば【やる気が無い】のだ。
従う事に掛けては、アナスタシアも簡単だったが、今の事態は組織に加入以来、類を見ないモノだろう。
女幹部が、突如として首領をビシッと指差す。
「とにかく! 首領!」
「は、はい」
「貴方には、これからの計画を立てて頂きたいのです!」
キリリとしたアナスタシアに、良は「えぇ?」と微妙な声が漏れていた。
*
自宅へ帰りたいです。
そんな良のささやかな願いは、アナスタシアに因って無碍に却下された。
その対価として、良は、地下基地のとある場所へと通される。
「此方です、首領」
其処は、組織の者でも大幹部か、上級構成員でなければ入る事すら禁止されている区域。
そんな前置きに、如何なる怪しい場所のかと良は戦々恐々であった。
が、いざ通されて見れば、反応は驚きである。
「おぉ、こりゃあすげー」
良の目に映るのは、豪華な部屋であった。
ソレもその筈、なんと其処は首領用と銘打たれた居住区である。
「あれ、でもさ、コレ……」
良の疑問も当然である。
何故ならば、以前の首領は実体としての身体を持っていなかった。
そもそも、果たして前首領とは誰なのか。
その答えを良は勿論知らない。
「如何です?」
得意満面というアナスタシアに、良は部屋を見渡した。
調度品は品が良く、室内の色使いは明るい。
例えるならば、何処ぞの高級ホテルの特等室といった風情である。
「如何って言われればほら、凄いよね? でもさ、前の首領って、此処使ってたの?」
素朴な良の疑問に、アナスタシアの目が泳いだ。
「いえ、私はただ、部屋を用意するのだ、としか」
そんな答えに良は納得が行った。
以前の組織は、首領が完全に統率していたのだろう。
で在れば、自ら考える者は不要なのだ。
支配者に取って有益な部下とは【考える戦士】ではない。
如何なる指示で在ろうとも【忠実に実行する駒】である。
それ故に、アナスタシアも部屋を用意するのだと言われ、それに黙って従っていたのだと察する。
「まぁ、いっかぁ」
良にとってみれば、過去は過去。 全ては過ぎ去ったモノに過ぎない。
振り返り見る事は出来ても、それを動かす事は出来ないと知っていた。
で在れば、前を向いて進む他は無い。
「でと? アナスタシアさん?」
「はい、首領」
「俺は、いつまで此処に居れば良いんすかね?」
居心地は良さそうながらも、あまり落ち着かない。
住み慣れた場所に拘りが在る良だが、女幹部は目を細めた。
「無論、今後の計画か立つまでですよ?」
ニッコリと笑っては居るが、女幹部は笑っては居ない。
顔の筋肉が笑顔を形作っているだけである。
その顔は、下手な怪物よりも恐ろしく見えた。
「あの、それってもしかしたら……缶詰めされるってんじゃ?」
恐る恐る良が尋ねても、女幹部のニコニコ顔はそのままだ。
「そうですよぅ? それがどうかされましたか?」
もはや、反論は許されて居なかった。
*
一人部屋に残されてしまった良。
幹部から【計画を立てろ】と言われたが、悩む。
とりあえずと、突っ立っていても仕方ないからか、用意されていたソファへと腰を下ろした。
「おー、こら随分と高級品だぜ」
腰が沈む感覚、背中に当たる感触から、良は声を漏らす。
どっかりと座り、備え付けのテーブルを見た。
一応の用意として、女幹部から紙と筆記具が渡されている。
アナスタシアからすれば【ソレに書け】とのお達しだろう。
が、何も出て来ないのだ。
それも無理は無い。
人の上に立つに当たり、必要なのは、技術でもなければ知識でもない。
支配者に取って求められるモノは、ただ一つである。
【如何に相手を踏み潰し、その上に立つか】
他人がどうなろうが微塵も何とも思わない、非情さ。
ソレこそが、支配者に求められるただ一つの資格である。
その非情さが無ければ、そもそも始まらない。
逆に言えば、ソレさえ在れば人は人の上に立つことが出来だろう。
何故なら、技術や知識などは他人から奪えば済むのだから。
但し、悲しいかな、良はソレとは真逆の性格をして居た。
誰かが困って居れば見捨てられず、他人が落ちそうならば手を差し伸べてしまう。
必要ならば、相手が強大であっても牙を剥く。
在る意味、支配者には一番向いていない者だろう。
豪華なソファに座りながら、ウンウンと呻いていた。
「計画ねぇ……何すりゃ良いのかなぁ」
アナスタシアが課した課題は、良にとっては辛いモノでしかない。
組織を支配する柄でも無ければ、非情さを持っても居ないのだ。
ウーン悩むが、悪の組織を統べる案が全く出て来ない。
空の箱から何か出せというのも、無理である。
悩む良だが、ハタと何かに気付いた。
「うん?」
耳を済ませれば、聞こえてくるのは水の滴る音。
どうやら、首領用の部屋には風呂場が在るのだろう。
ただ問題なのは、誰が入っているのかであった。
ドアがガチャンと開き、音の主が現れる。
「……あ、首領、居たんだ」
そう言うのは、大幹部の虎女であった。
いつもの豪華な衣装ではなく、彼女の趣味なのか虎柄のバスローブ。
「いや、居たんだ……って、なんで?」
良は焦る。
この部屋は組織の中でも一部の者しか入れない筈。
ソレはその通りだが、虎女も大幹部の一人である事を失念していた。
さて、この大幹部が何故勝手に部屋に居るのか。
その答えは何も難しくはない。
アナスタシアが良に説教喰らわせて居るのを、虎女が自慢の耳で盗み聞きして居ただけの話である。
そして、彼女は首尾良く部屋に先に入り、身を清めていたのだ。
猫化を想わせる足取りで、ゆっくりと間合いを詰めてくる虎女。
が、今の格好はどう見ても戦うソレではない。
寧ろ、飼い主を見付けて近寄る猫の様ですら在る。
特に許可も得ず、良の隣へ座る虎女。
本来ならば、この様な行いは上下を無視した蛮行なのだが、良はそれを咎められる性格ではなかった。
「えーと? あの?」
「首領」
「はい」
「膝、貸して」
虎女の唐突な声に、良は「え? あー、はい」と答えてしまった。
湯上がり故か、しっとりとしたカンナの頭が良の脚へ乗せられる。
「あー、えーと」
何が何やらの良に、虎女は頭を擦る。
「どうしたの?」
「へ? なんか、今後について考えようかなぁ……と」
言ったは良いが、何もない良は言葉に詰まってしまった。
組織の首領としては頼り無いが、虎女にとってはそれは大した問題ではなかった。
「別にさ、直ぐに決めなくても良いんじゃない?」
「そう、ですかね?」
「そだよ、今まで色々在ったし、少し休んだって良いと想うよ? ゆっくりね」
虎女の露骨な誘いだが、良は別の事に頭が行っていた。
アナスタシアからも【何時何分までに仕上げろ】とは言われて居ない。
だが、一つ良は忘れている事がある。
「首領? お疲れでしょうか、少しご休憩……を!?」
カンナという大幹部が部屋に入る事が出来るならば、他の大幹部も可能だ。
そして、部屋に入って来て声を漏らしたのは、アナスタシアである。
「コラ!? 其処の泥棒猫!? なにをして居る!?」
猫、という声に、虎女も何かが引っ掛かったらしい。
名残惜しげに良から離れると、髪を逆立てる。
「あ? 誰が猫だって? 虎なんですけどぉ?」
「だからなんだ? 虎は猫科だろう? 泥棒猫め」
「海老だかなんだか分からないシャコに言われたくないんですけど?」
「シャコって安易に云うな!? 失礼だろ!!」
睨み合う大幹部二人に、良は、ハァと息を漏らしていた。




