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消える日常9

 …………。


 さて、このまま感慨にふけりたいところではありますが……。

 大したことはしていない私です。この、すごいことを成し遂げた人を、このまま地面に放ってはおけませんね。


「何ぼーっとしてるんです?」

「マリー……避難するように、言っておいたはずなんだけど?」

「本当にそうしていたら、今頃どうなってましたか?」

「う……」

「お父さんに感謝してくださいよ。こうしてお兄さんをフォローできたのも、お父さんが、それじゃ駄目だって、先導してくれたおかげなんですからね」

「そうだったのか……。ストスさん、本当にありがとうございました」

「……」


 この人は本当に……。

 どうやら口振りからして、かなりの確率で失敗することも覚悟してましたね?

 でなければ自分があれほど命の危機にさらされて、最初に私を咎めるなんて不可能です。予想外のことなら、まずは助かったと思うはずですよ。

 たぶん……最悪の場合、自分を犠牲に少しでも私たちを長く生かしてとか考えていたんです。

 これからは、私も、もっとしっかりしないといけません。

 今回のような悔しい思いをしないように。

 お兄さんに頼りきってしまうことがないように。

 今後は、もっと、ちゃんとこの人の隣で……。


「えっと、ストスさ――」


 お父さんに話しかけ始めるお兄さん。

 改めて様子を確認してみると、どうやら耳を怪我しています。それも結構な血が出ていて……。木にでも引っ掛けたのでしょうか。血でよく見えませんが、かなり深いかもしれません。

 はっきり言って、血を直視するのはつらいです。

 でも……こういうことにも打ち勝てるようになりたい。


 えと、とにかくここでは手当てもできません。

 村へ行って何かしら道具を……。

 でもなぜでしょう。お兄さんの台詞が止まっているような――


「――後ろぉ!」


 ――え。


 そのあまりの見幕に、呆然としつつも私は素早く振り向きました。

 私だけではなく、お父さんとアンシアさんも。おそらく同時くらいだったでしょう。


 そこに見えたのは……倒したと思っていた魔物で――。


 気づいた時には、事態が動いていました。

 お父さんが、正面切って魔物に突っ込んでいきました。

 手に握ったハンマーで魔物と一瞬競り合って……でも、次の一振りで私の視界外まで吹き飛ばされました。


「ストスさん!」

「お父さん!」


 それなのに、私は?

 私は何をやっているんでしょうか。

 でもなぜか、目に入るもの全部……全部遅れてしか理解できないんです。

 身体も……身体も動かないんです。


 それは、一度気を緩めてしまったせいかもしれませんでした。

 過去のトラウマと類似した状況。

 日が沈んだことや、魔物の向こうに広がる火の影響で、よりその巨体の黒が際立つようで。


「っ……! マリー! アンシアを連れてすぐに逃げ――」


 お兄さんが、私に向けてなにか言ってる。

 そう理解し始めた時、何かが視界で動きました。


 それは、アンシアさんでした。


 アンシアさんが、魔物と私たちの間に踏み出したんです。

 そしてすかさず、土魔術を放ちます。巨大な土の塊が、魔物から私たちを守る壁となりました。

 ……しかし、またしてもそれは一瞬のことでした。

 魔物が腕を、二度三度と振りぬくと、その壁はあっけなく崩れ去り……そのままアンシアさんも吹き飛ばされました。

 まるで小石でも掃ったみたいに、それはもう軽々と……。

 残ったのは、黒――魔物だけ。


「あ……?」


 あ……違いました。

 まだお兄さんが……お兄さんが居ます。


 私は、呆然としたお兄さんの声でそれに気づきました。

 せめて……せめてこの人だけでも、守らないといけない。

 そう思っても、私の身体は言うことを聞きません。できたのはせいぜい、魔物との間に入るように、抱きつき遮ることくらい。

 そしてお兄さんもまた……座り込んだまま、既に満身創痍で動けません。


 何が、いけなかったんでしょうか。

 十年前。ある日、幸せな日常が壊れて。

 それから十年、村の衰退にさらされながらも生きてきました。

 裕福とは言えなくても、それは新しい日常でした。

 我慢を続ける生活でも、それが私の日常だって、胸を張って言えるものでした。


 それすらも……。

 ああ……このまま消えてしまうんですね。


「ううああああああああああ!」


 お兄さんが、叫び声を上げました。

 現実の理不尽さに、感情をぶつけるみたいな大声。納得できない――その気持ちは、きっと私と同じものだと思います。


「――ぉぉぉぉおおあああ!」


 その時でした。

 遠くから、知らない声が聞こえてきます。

 その方向から、光が近づいてきます。

 やがてそれは、絶望の黒を明るく塗りつぶして――。


 …………。


 これは、十年前の再現でしょうか。

 いえ、あの時とは場所も違いますし、光から感じる温かさも違いますが。

 でも、どこか似ているような……。


 振り返って確認すると、そこに魔物の姿はありません。

 代わりに居たのは、金髪で同い年くらいの男の人。


 まだ、みんなが無事かはわかりません。

 でもこれは……運がいいと言ったほうがいいのでしょう。

 目の前の脅威は今度こそ消え去り……私はどうやら、また助けられたみたいです。

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