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消える日常4

 お兄さんは、休むことなく私たちに質問を続けました。

 この辺りの地理について。そして何より、魔物について。どんな些細な情報も漏らさないというように。

 それは、いつか受けた質問責めの時とは違って、見たことのないくらい真剣で。

 それなのに、一切慌てた様子はなくて。

 また一つ、この人の知らなかった一面を、見ているような気がしました。

 なんというか……この姿だけなら、すごく頼りがいがあって。いつの間にか、こっちまで気持ちが落ち着いています。


「……うん、ならこうだ」


 だから、お兄さんが一通り質問をし終えた時……私は密かに、淡い期待まで抱いていました。


「まず、俺が囮役になって砦方向の山へ向かう。そして魔物をとある場所に誘導する。そこで迎え撃とう」

「……はい?」


 お兄さんが、馬鹿なことを言い始めるまでは。


「人を動かすには時間がない。村のみんなの心を動かして、逃げる手段は取れない。魔物が村に来た時点でアウト。なら習性が噂通りであることを信じて自分が動くべき。俺が先に遭遇すれば、人を追う魔物は釣られてくれるはず」


 お兄さんは、不気味なほど淀みなく話し続けました。

 その内容はあろうことか、魔物に立ち向かうという意味を持つ作戦で。

 まるで、お兄さんの好きな空想のお話のようでした。

 でも、そこには私も組み込まれていて、この話が現実であると語っています。

 やがて、うまく飲み込めないうちにも話は進んで……。


「こういう作戦で行こうと思うんだけど、どう思う?」


 そう水を向けられた時には、落ち着きなんてまたどこかへ行っていました。


「ど、どうって……」

「翔、さん、おち、ついて?」

「そ、そうですよ! 頭落ち着いてください!」

「マリー、落ち着いて。本当落ち着いて」


 わかっています。私の方が、よっぽど慌てているということは。

 それでも、言ってることが正気じゃないのは、間違いなくお兄さんの方なんです。


「ねえ翔さん、魔物はね、天災みたいなものよ。こういっては何だけど、できるなら、アンシアを連れて、素直に逃げてほしいわ」

「でも、その天災と、日々戦っている人も居るんでしょう?」

「それは! 何らかの力を持っているからです! お兄さんは何の力も持っていないじゃないですか! 簡単な魔術すら、まともに使えないのに……」

「ああうん、ここで押し問答していても、埒が明かないからね。問題は、明らかに失敗する作戦の綻びがあるかだよ」

「全部です!」

「ぜんぶ……」

「うん、急増の作戦だけど、その通りに行けば大丈夫そうだね」

「お兄さん……」


 一見、私たちの意見を無視したかのような返答。

 でもお兄さんは、まるで何かを見透かしているみたいでした。


 お兄さんは、普段無駄に笑っていて緩いように見えて、こういう人なんです。

 やさしくても、お気楽なわけじゃないんです。

 全部に理由があって、理屈が通っていて。気合を入れて理解をしないと、話についていけないことがあります。

 そしてそんなとき、お兄さんはそれ以上意見を求めてきません。

 夜の勉強会でも、何度となくそんなことがありました。その時は、もう一度説明してくれたり、話を戻してくれましたが……。


 今は切羽詰っているからでしょう。

 私は、すぐに理解できなかった。

 具体的な指摘ができなかったんです。

 混乱しているとか、気落ちしているとか、そんなことは言い訳で。

 とにかく、お兄さんと対等に話ができなかった。

 その、ついていけなかったことが……なぜか心に刺さりました。


「大丈夫だって……とは言えないけど、どの道、その天災がこの村まで来ちゃったら、終わりなんでしょう? だったら、何もしないよりよっぽどマシだよ」

「翔、さん、やっぱり、逃げよう? マリーさんも、一緒……。死んだり……しないで」


 アンシアさんの言うことはもっともです。

 私だって、逃げるべきだと思っています。

 でもきっとお兄さんは、逃げる選択肢をあえて選ばす、さっきの馬鹿な作戦をすると言ったんです。

 これは……これはこの場で、お兄さんとたくさんたくさん話しをした私だけが、わかることなのかもしれません。


「あー、じゃあ、約束しよう」


 だからきっと、お兄さんは意見を曲げずに押し通してくる。それが私にはわかりました。

 覚悟を決めなければならないんだと。

 それなのに、なぜか今度は、少しだけ心が落ち着いた。


 …………その瞬間でした。


「えっ……」

「はい!?」

「あらまあ……」


 お兄さんが、アンシアさんと小指を絡め、さらりと誓いの儀式をしたのは。


「俺は死んだりしない。必ずみんなを守ってみせる。約束だ……」

「は、はい……」


 ……はい?

 は、いや。はい? はい? はい?


「だから、アンシアも頼んだよ。必死に頑張ってくるからさ」

「……」


 いやいや何を言ってるんですか何を頭撫でちゃったりしているんですか――


「ほら、マリーも」

「……ほえっ!?」


 ――ああああああああああ!?!?


「わ、あ……」

「おやまあ……」


 お兄さんと! 私の小指が! なんで勝手になんでそういうことするんですかなんで!?


「約束、ね? マリーのためにも、みんなのためにも、必ず成功させてみせるから。だから頼んだよ!」


 もう、頭で考えるのは無理でした。


「……ああもうっ! もう色々わけがわかりません! もういいです。こうなったらお兄さん、絶対に成功してくれなきゃダメですからね!」

「おっけー。さっきまで、このまま死ぬなら仕方ないみたいな様子だったのが、嘘のようだね」

「う、うるさいですよ! 確かに、どの道死んでしまうくらいなら、何かしていた方がマシだって、その通りだって、誰かさんに言われて思い直したんです。ちょっと冷静になれば、このくらい当たり前ですよ」


 冷静になれば?

 自分で言っていて笑ってしまいます。

 今の私は、かつてないほどに慌てふためいていますとも。

 それはもう、さっきまで塞ぎ込んでいたのに、それを勢いで脱してしまうくらいには。


「よし、じゃあおばあさん、すみません。ちょっと冒険してきます。おばあさんも、きっと守ってみせますから」

「……仕方ないねえ、頑張っておいで」


 もう本当に、現実がまるでわかりません。

 今ははたして、どんな状況なのでしょうか。

 絶望的な状況のはずです。

 ぐるぐると、まとまらない思考があったはずです。

 それなのに、縁遠いと思いつつも憧れていたような、色恋の局地に居るような気もしています。

 衝撃的な出来事が、寄ってたかって同時に起こりすぎなんですよ。


「それじゃ、マリー、アンシア、こっちは任せたよ。……作戦開始だ!」


 でも、お兄さんが、わかりやすく宣言してくれました。

 勢いとはいえ、さっき自分も言ってしまったことです。

 作戦……自分の役割を……。


 ……挑む?

 あの……化け物に…………?

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