消える日常3
私はただ流されるままに、二人の後ろについていきました。
「おばあちゃん、ただ、いま」
最近話すようになって、アンシアさんは怖がりなようで、芯はしっかりしている方だとわかってきてはいました。
その証拠に、今だってこうして、できることをやっています。
お兄さんと同じように……。
「アンシア……。何度でも言うけどね、私はこの通り動けない。あんただけでも、逃げのびてちょうだい。頼れる人が、今はいるんでしょう?」
「だめ、わたし、おぶっていく、から……逃げよう? 翔さんにも、協力して、もらう、から」
「あの、お邪魔してます。はじめまして、上木 翔と申します。おばあさん、俺がおぶっていきますから、ここから逃げましょう」
「あなたが、翔さんですか。話はアンシアから聞いてます。本当はゆっくり話でも、と言いたいけれど、それどころでは無いみたいね。だから、単刀直入に言うわ。私を置いて、早く逃げなさい」
「おばあ、ちゃん……!」
「そんなこと言わないでください。ほんの少しでも、生きる可能性が高くなるように、できることをやりましょう」
「翔さん、あなたの声は、さっきここで聞いていました」
「あ、そうでしたか……すぐ近くですしね」
「市場の子たちはどうでしたか。私と同じで、逃げずにいる子が多いのではないかしら」
「……おっしゃる通りです。みんな疲れたと言って、もう、なるようになれといったふうで……何か理由があるんですか」
「特別な理由があるわけじゃないわ。ただね、あの子たちは、あなたが思っている以上に、ギリギリで踏ん張っていたというだけなの。その理由は、きっとそこのお嬢さんもわかってるわ」
まるで他人事のようにやり取りを眺めていた私に、突然話が振られました。
「マリーさん、お久しぶりね。もう、ずいぶん会っていない気がするけど、私のこと覚えてるかしら」
「はい、お久しぶりです……」
「マリーさん、私はここでゆっくり過ごさせてもらうようになって、もう長いわ。私ではなくて、ずっと頑張っていたあなたから、伝えた方がいいと思うのよ」
「……っ」
今だけは、子どもに戻りたい気分です。
ただ守ってもらえたあの頃に。
目の前のこの人にも…………お母さんにも。
……でも、私は大人ですからね。
「マリー……教えて。なぜみんな、できることがあるのに、諦めてしまうの?」
確かに……この場の面子なら、言うべきは私なんでしょう。
「……お兄さんとアンシアさんは、知らないから、耐えられるんですよ」
「知らない……?」
「お兄さんたちは、今の市場しか知らないから! 耐えられるんです! 私たちは、今よりずっと幸せだった頃を知っています! ご飯だってもっとたくさん食べられて! 市場ももっと活気があって! そういう頃を知っているんです。それが私たちにとっての普通なんです。私たちは、ずっとずっとずっと! 今を必死に頑張っていたんです……。もう、これ以上……頑張るのは、無理なんですよ……」
本当は、こんなことを言うのは私だっておこがましいんです。
本当の本当につらいのは、ソウさんや村の皆さんたち。
私の記憶にあるマシな頃の思い出なんて、はっきり言っておぼろげなもので。何十年も当たり前だった生活を、失った皆さんに比べたら……。
それでも、十年です。
私も十年、頑張ってきました。
お兄さんは、今が頑張り時だと言います。
でも……もう限界いっぱいに頑張ってたんですよ。
あんな暗い雰囲気の市場でも……あれでも頑張ってたんですよ……。
つい先日のあの件の時ですら、耐える事ができていたのに。
今の私は、歯止めが全く効かなくなっています。
だって、だって……。
それほどに、未だに大きなままの傷。あの日……十年前、日常が目の前で壊された。
その傷を作った存在がまたここに……私のところに来るかもしれないんです!
「マリー、さん、よし、よし……」
「え……」
私の身体が、びっくりするくらい優しい力で、そっと抱きしめられました。
「こう、されると、安心、しませんか? わたしは、しました……」
「アンシア……さん……」
ああ、いきなり何かと思いましたが……私、また泣いてしまってますか。
なさけないですね。
本当になさけないです。
それなのに……また“久しぶり”を感じてしまいました。
こんなふうに、つらい時に撫でてもらって……あやしてもらって……。
これも十年ぶりでしょうか……っ。
「だいじょう、ぶ。わたしも、ここにいるから」
私は、いつの間にかすがるように抱きついていました。
今の私が言うのもなんですが、アンシアさんは、こんなにしっかりしていませんでした。
ずっと怯えている様子で。
お客さんとのやり取りの声も、あの店の近さでも聞こえてこないくらいで。
気持ちになんとか余裕がある日は、念のため見守っていたりしていました。
成長したのは、やっぱりきっと……。
「――よな……!」
「……お兄さん?」
きっと、お兄さんの影響に違いありません。
そう思った時、頭に描いたその人が、何かを言った気がしました。
そしてそれは、気のせいなんかではなくて。
「みんな、これから作戦会議をする」
「翔、さん?」
「だから、俺に知っていることを全部教えてほしい!」
わたしの頭は、まるでついていっていません。
けれど確かに、わかったことがありました。
この人は、諦める気なんてない。何かをするつもりなんだって……。




