上木翔という名の男2
これは、翔が店長の役職に就いて、初めての本部会議でのことだ。
「えー、今回も初めて参加する方が居るということなので……。改めて! いつものように、意識の統一のため、店長とは何かについて、共有していこうと思います」
翔が勤めているのは、業界のトップを走る大手チェーンストア企業である。
そんな人材の集まるこの企業において、彼は同期で最も早く店長に昇進してみせた。
それは、彼の非凡さを示していた。
「高圧的に、力で押さえつけるトップの時代は終わりました!」
翔は期待していた。
ここでは、より高い次元の議論がなされているに違いない。
「店長というのは、店のトップです。店を円滑に運営し、かつより多くの利益を出すのが役割です」
自分一人では導き出せないような答えを生み出せるに違いない。
「まずは、ミスをしないこと。無能だと思われれば、部下はついてこなくなります」
誰もが全力で取り組んでいるに違いない。
さすがにここなら、そういう人間が集まっていると……思っていた。
「ただし、完璧であり続けてはいけません。それは部下のモチベーションを下げ、店舗全体の生産性を落とします」
(……は?)
「でもミスはいけない。ではどうするのか。部下が進んで手を貸したくなるような、困った部分を作ってください。できる限り親しみやすい人柄を心掛け――」
(……はは)
なんだそれは――。
まず、ミスをしない。そして能力の高い根幹を示す。
その上で、部下が自らやる気を出すよう弱い部分を示す。
人は上の人間が完璧すぎると、自分が居なくても平気だと思い始め、能力が落ち込むというのだ。
そして、それが何十人もの従業員に発生すれば、店舗全体の生産性にかかわってくる。
一人が十全を尽くすより、店全体の総戦力を引き上げよ。
この企業が求める店長の在り方というのは、つまりこうだ。
“自分の人格を捨て、演じ続けよ。”
従業員に、気分良く働いてもらう。
職場環境の改善に努める。
とてもいい会社ではないか。
そもそも仕事において、自分を演じるなんて当たり前のこと。おかしな部分なんてあったか?
同じ店長の中でさえも、そんな反応は多々存在した。
しかしそれに対し、翔は拭いきれない違和感を覚えていた。
演じるのが嫌なんじゃない。
でも……わざと自分の能力を落とせっていうのか。
これじゃあ、何も……変わらない。
翔が感じている違和感。
それは、本来目指すべき当たり前の形との差異だった。
その形とは、従業員全員が仕事と割り切り、全力で業務に当たること。
仕事だから演じろというのであれば、どの従業員も仕事なのだから演じ、やる気に関係なく一定の業務を行うべきではないのだろうか。
無論それは理想であり、現実に成果を出しているのが会社の方針であることくらい、翔にもわかっている。その上での、これは疑念だった。
勘違いしてほしくないのだが、翔はだからといって、力で押さえつける昔のやり方がよかったと思っているわけではない。
既存のやり方も、そこから変わって、今現在自分が勤めるこの会社――トップ企業で行われているやり方も、どちらもおかしいと思っていた。
合理的ではない、と。
それに、これは要するに部下を騙し続けろということ。
言ってしまえば、いいように操れということだ。
そこが、善良な翔にとっては苦痛だった。
部下を気遣うというのは、本当にそういうことなのか。
もちろん、それを翔が口にすることは無い。
なぜなら……。
「そう難しく考えるな。俺たちはな、上の連中の言う通りやってりゃいいんだよ」
店長のみが集まるこの場においても、“従順”を演じることが求められていたからだ。
これは、世のやる気に満ち溢れた若者が受ける社会の洗礼。
割と少なくはない、現実のどこかでは起きている話。
“上木 翔”は、それに躓く程度には優秀で、けれど躓く程度の青年だった。