現状打開作戦5
結局、二人目のお客さんは購入には至りませんでした。
それでも、日に一人も立ち寄る人がいないことも多い中、これは充分成果と言えます。
私にだって、もうこの店を十年は続けている経験がある。そう思っていました。
でもお兄さんは、きっと私とは比べものにならないほどの……。
「……色々驚きました」
「色々って?」
お兄さんは、相変わらずなんでもない様子のまま。
「色々は色々です。もう全体的におかしいですよ。例えば……私も常連の人となら、多少の話をしたりもします。でも初めて会った人と、短期間であんなに話をするなんて」
「マリーも、あれくらいすぐできると思うよ?」
「いや、べつにやりたいわけではないのですが……」
確かに成果は出ました。
でも私にとって、あのやりとりが常識外なことには変わりありません。
それに、気になったことは他にもあります。
「あとはそうです。一番驚いたのは、安売りの剣が、もう作ってから2年経っていると、お客さんに伝えたことです」
「え、何かおかしかったかな」
そんなに……そんなに違うものなのでしょうか。
そう思いつつも、私は思ったままの気持ちを口にします。
「おかしいですよ。確かに、普通はあんなふうにしないところを、お客さんとあれだけおしゃべりしてましたし、その流れで言うことになってしまったのかもしれません。でもだからって、商品の悪いところをお客さんに言うなんて……」
「……普通言わないの?」
「そりゃあそうですよ。言わなくてもいいことを言って、それで買ってもらえなくなったらどうするんですか。あ、粗悪品であることを、隠して売るとかそういうことじゃないですよ! それじゃあ詐欺です……!」
「顔! 近い近い!」
っ!?
「す、すみません!」
いつの間にか、私はお兄さんに詰め寄っていました。
どうして、ここまで熱くなっているのでしょうか。
これは……焦り? それとも戸惑い?
「わかってるよ。作ってから年月が経っていても、手入れは行き届いている。べつにこれといって問題があるわけじゃない。それなのに、なぜお客さんが買うのをためらうような情報を、話したのかってことでしょう?」
「そうです。自分のところの商品はここが悪いですーだなんて、普通は言いません。そんな買う気を削ぐような真似、していたらただのバカです」
「うん、まあそうかもね。聞かれたならまだしも、普通は言わない。さっきの人も、俺が剣を古い物だって言った時、驚いてたし」
「だったらなぜです?」
自分でそう尋ねながらも、私は既に思うところがありました。
そんなことまで話さないという私にとっての常識は、あくまで私の知る接客であればの話だということです。
あそこまで、まるで知人のように会話をするなら、当然話は変わってきます。
それでも聞いたのは、ちゃんと確認をしたいからです。
「それは、今回は普通じゃないから。具体的には、買うために理由が必要だからかな」
「……全然具体的じゃないです」
「ええとね……」
お兄さんの言う理由とは、至って単純なことでした。
高い値段の物を買うのに理由が必要なように、低すぎる値段の物を買うにも、理由が必要であるということです。
そうでなければ、安いはずなのに売れないという不可思議な現象が起きることもあるんだとか。
それから、私の勘違いについて。
古いことを伝える必要が無いと私が思ったのは、それが本来値下げするような理由に当たらないと考えていたからです。
うちの商品は、古いものでも手入れを欠かさず、新品同然の状態を維持しています。そこを疎かにしたことはありません。
だからお客さんが古いものを買ったとしても、不利益は全く無いんです。食べ物なんかとは違うんですからね。
でも、お兄さんの考えは違いました。
同じ質の良い剣の中でも、長年売れてない物がある。
それは、立派な値下げの理由になると言うんです。
売れないという事実は、商品としての価値が低い証明であると言うんです。
質の良い悪いも、劣化の有無も関係なく……。
事実、お兄さんが今回割引対象としたのは、全て年単位で売れ残っている物でした。
言っていることは理解できます。
それでも、どうにもすぐには飲み込めません。
並んでいる武器の質は、値引きされている物も、されていない物も同じだからです。
どうしても自分の中で、そこが引っかかってしまいます。
「わからないですよ……。お兄さんのやることは、色々ぜんぶ、変なことばかりです」
つい、そんなことを言ってしまいます。
私の十年が、全部無駄だったような気がしてしまって。
あまりに、見えているものが違う気がして。
「そうだよね。一日も無駄にできないと思って、碌に説明もできずに始めちゃったけど、きちんと説明するべきだった。ごめんね」
「……お兄さん」
私が今言ったのは、やつあたりでした。
それなのに、お兄さんはまるで気にした様子がありません。
きっとそれほどに余裕があるんです。もしかすると、今の状況を脱することくらい、この人にとっては朝飯前なのかもしれません。
本当に……お兄さんとは、いったいどれほどの差があるのでしょう。
「でもこれだけは信じてほしい。俺はストスさんの武器好きだよ。例えばこの剣とかさ! スラッとしてかっこいいよね!」
私なんてお兄さんから見れば、もしかしたら子どもみたいなもの……えっ?
何か、ここまでの話とまるで違うレベルの台詞が、気持ちが沈みかけていた私の耳に飛び込んできました。
それはそう……まさしく子どものような台詞です。
脳裏に浮かんでいたすごいイメージの人であれば、言うはずのない台詞です。
私はしばらく呆然とした後……思わず吹き出すように笑ってしまいました。
「なんですかーそれ? 勇者に憧れる子どもじゃあるまいし」
「えーダメかな? はあああああ瞬刃剣!」
「ちょっと、危ないからやめてくださいよぉ!」
なぜでしょうか。
さっきまでの気持ちが嘘みたいに、笑い続けてしまいます。
ここまで笑ったのも、これまた久しぶりのことです。
お兄さんと知り合ってからというもの、本当にこんなことばっかりですね。
「マリー、順番が逆になっちゃったけど、もっときちんと説明するよ。そもそも納得できなきゃダメって言われていたのに、説明無しに進めてごめんね」
「いいですよ。なんにせよ一度は、お兄さんに任せてみようって決めていましたしね」
「ありがとう」
この笑顔に……つられてしまうんですかね。
そうですよ。
知識や経験に差はあるのかもしれません。
でも、お兄さんがこういう子どもみたいな人なのも事実なんです。
それにそもそも、今お兄さんを養っているのだってうちの家計。私が引け目を感じる理由なんてないじゃないですか。
「だからね……」
「はい?」
だから前を向いていきましょう。
なんて、気持ちを切り替えた時でした。
なぜかお兄さんが、両手を私の肩へと乗せてきました。その上、こちらをじっと見ています。
「……あれ、こんなことが最近あったような」
本当になぜなのか、気が遠くなり、口から台詞が漏れ出る私。
そんな私に、お兄さんは無邪気な声でこう言いました。
「今夜から、ビシビシ教え込んでいくからね! 頑張って!」
……はい?
今夜……今夜から……え?
急速に、頭の一部が冷静になっていく自分が居ました。
お兄さんの台詞の意味。
そして、そういえば自分が徹夜明けであることも思い出して……。
これは……これは何かがまずいのでは!?
「いえいえいえいえ、待って下さい! 大丈夫ですそんなに急がなくても、ゆっくり行きましょう!」
私、実はそんなに気にしてませんでした。
理屈とかそんなに急いで知らなくてもいいですお兄さん信じてますっ。
「大丈夫。昨日一気にこのあたりの情報を聞き出したみたいに、いきなり全部教え込もうとは思ってないよ。とても一日で覚えきれるような量じゃないからね」
信じてましたお兄さんっ。
「そ、そうですよね。よかった……」
私は、ホッと胸を撫で下ろします。
「でも、前提になる部分っていうのがあると思うんだ。そこがわかっていないと、接客していて俺と食い違いが出るかもしれないし、それは良くない。その部分だけは、全部覚えてほしいと思う」
「……な、なるほどー」
しかしそんな私を弄ぶかのように、またしても不穏なことを言われます。
「マリー!」
「は、はい!」
そして、嫌な間があった後に……予感は的中しました。
「今夜は、寝かさないから……」
「い、いやああああああああああああああああ!?」
私はもう知っています。
この人がこう言ったら、本当にやると知っています。
この日、私の久しぶり経験がさらに増えました。
お兄さんの魔の手によって、涙を流すことになったのです……。




