もう一人の女の子
この名も無き村には、マリーの他に、たったもう一人だけ、翔より年下の者が居る。
その子の名前は、アンシア。
時は少しだけ遡る。翔が初めて村に来て、挨拶回りをしていた時だ。
わたしは、この村が嫌いじゃない。
なぜかって、それはとにかく静かだから。
争いはない。
厳しいことも言われない。
いつも変わらない。
だからそれでよかった。
家に帰って、おばあちゃんとお話しさえできれば。
他に、何もなくていい……。
「おはよう! はじめまして! 俺は、翔。君くらいの子も居たんだね。お手伝い? いいこだね!」
それはある日、突然だった。
静かだったこの場所を一人で変えてしまった。
さっきから当然聞こえていたけど、頭が真っ白になって震えている間に、その人はとうとうわたしの前へやってきた。
「あ、の……あ……」
ああ、わたしはいつもこう。
ううん、いつもよりひどいよ。
だって、もうわからない。
わたしはだめな人間なんだって、それしか頭に浮かばない。
でも大きな声を聞くと、嫌でもそんな自分を思い出しちゃう。
「えっと……」
「あ、の……」
だめ……きっとまた大きな声でっ。
きっとそうなると思った。
昔、耐えられなかったあの時みたいに。
「ごめんねー……。これから、よろしくねー……!」
「……え」
でも、次にその人が出した声は、わたしと同じくらい小さな声だった。
なんで?
考えてもまるでわからない。
だって、悪いのはわたし。
やれることをやれない、意気地なしのわたし。
みんな頑張ってるのに、逃げたままの……わたし……。
戸惑っている間に、その人はもう隣の店に行ってしまった。
わたしがだめだったのに、これっぽっちも怒ったりせずに。
……なんて考えてたら、こっちに戻ってきた!
「ねー……えー……!」
「……え、あ」
わたしの口は、またまともな返事を返せない。
それでも、向こうはなぜか笑顔のままだった。
最初に視界に入れた時から、ずっとそう。
「……よかったら、今日は名前だけでも教えて? さっき聞き忘れたよ」
「あ……」
名前?
名前……お返事しないと。
そう思っても、頭のほどんどはやっぱり白くて。
その上、すぐには身体に伝わらない。
もうどれだけ待たせたんだろう。
今度こそ、今度こそだめ。わたしはそんなことを思った。
でも……その人はまだ笑って待ってた。
「アン……シア……」
「お。アンシア……で、あってる?」
「は、い……」
「そっか。じゃあ今日は驚かせちゃってるし、また明日話そう。またねアンシアっ」
「あ……」
「……」
「はい……」
「うん」
わたしの返事を聞き終えてから、その人は今度こそ挨拶回りに戻っていった。
だめ。
わたしだってもう大人で。
お店もやってて。
ずっと静かな市場で、お客さんとやりとりするだけなら、なんとか頑張れるようになってきてた。
でもさっきはだめだったのに。
普通のことすらできなかったのに。
とてもとても待たせてたのに。
だめなわたしに、合わせてくれた……?
――翔のやったことは、元の世界なら至る所でされている子どもとの向き合い。
しかしこの世界の現状において、そうした優しさや甘やかしは基本的に許されない。そのままでは、文字通り生きていけないことにだってなるからだ。
それ故に、アンシアから見た翔は、理解しがたいものだった。
たしか……翔、さん。
翔さんは、いったい何者なんだろう。
初めは大声で怖がっていたはずの人なのに。
わたしはいつの間にか、その人に興味を持っていた。




