真ヒロインは監禁中です。
「貴方との婚約を破棄させてもらう」
それは青天の霹靂だった。
数日前に会ったときはなにも変わった様子はなかったのに。
彼女は言葉を失い、青ざめた。その隣にいる妹の姿に卒倒しそうだった。
「代わりにセオドアと婚約するよ。それで、約束は果たせるでしょう?」
それならばそれなりの手順を踏んで欲しいと考える程度には冷静だった。いや、それは現実逃避に近い。
何を口にして良いのかまだわかっていないのだから。
「父様は承知していますの?」
「これから。断られもしないと思うけどね」
彼は肩をすくめて見せた。
「お姉様、ごめんなさいね」
くすくすと笑う妹がぎゅっと彼にしがみつく。困ったようにその頭を撫でる仕草に苛立ちを覚えた。
全てを手に入れるのは、妹だというのだろうか。
忠告も教えることも全てやった結果がこれか。
「わかりました」
叫び出しそうな気持ちを押し込めて、そうとだけ口にした。
そうしなかったのは公衆の面前だったからだ。なにも卒業式典後のパーティーでしなくてもよいだろうに。
こうして彼女は振られた女として知らしめられるのだろう。
騒ぎを聞きつけたのか高位貴族の介入が入ったが全ては意味がない。
騒ぎを起こしたとして二人が排除されるのも人ごとのようだった。
「お姉様は幸せにね」
すれ違った時に落とされた言葉の意味がずっとわからなかった。
■ □ ■ □
ごめんなさい。
手紙はぐしゃぐしゃに丸めて捨てられた。
■ □ ■ □
「どうしたの?」
突然かけられた声に驚いた。慌てて振り返ろうとすれば思ったより近い顔にびっくりした。
今の婚約者はとても距離が近い。
知り合ってすぐという状態にしては。
そもそも女性の部屋にひっそり入るのはどうなのだろう。咎めようと思い、そして、相手の顔を見てやめた。
言ってやめるようではない。
美しいというよりはやや男性的な顔立ち。鍛えられてはいるが細身の体はしなやかで音もせず歩く。気配も薄いのか気がつけばそこにいるときがある。
……実は少し恐い。
「少し考え事をしていたの」
「ふぅん?」
先を促す言葉ではなかったので笑顔でそれ以上は黙る。
留学中だった隣国の王子が私の今の婚約者だ。
ただの辺境伯の娘の相手としてはあり得ない。それでも四番目で臣籍降下するからと押し切られて現状にいたる。
彼の留学中の住まいに同居してしばらくたつ。父親の了解は得ていたものの不安は消えていない。仮の住まいとはいえ王族の住まいだ。お屋敷と言った方が良い。
少し前に婚約解消された訳ありの娘をどうするつもりなのか。
婚約などと言われても正直うさんくさい。
もっともそんな事を表に出せるわけもない。逆らうこともできないほどの身分差がそこにある。
そんな警戒心も相手には隠し通せていないようで触れるまではしてこない。
ただ甘やかすように望みを叶えたがる。
だから、余計なことは口にしないことにした。焼き菓子が好きだと言えば有名店のものが取りそろえられ、お茶を望めば数十種は用意されるのだ。
呆れた顔を隠しきれなかった。それにはさすがにばつの悪そうな顔をしたが今後も同じ事が起こりそうだ。
ドレスも一気にそろえられたのだ。
最初だけ、ね? そんな言葉に黙っていたが、なにかにつけ作ろうとする。無駄と思うのは辺境住まいの弊害だろうか。
全てのお茶会や夜会の誘いも断っているのにどこに着ていくのだろう。
「お茶会のお誘い。これは断れない筋のだけど、行きたくないなら断るよ」
そう言って差し出したのはカードだけだった。封がされていないと言うことはないので中身は改められたのだろう。
差出人はアッシュベリー侯爵令嬢。
妹の件を思い出し思わず眉を寄せる。妹が失礼なことを繰り返し、何度か謝罪した相手だ。気にしなくても良いとは言っていたが、お茶会に呼ばれるほどには近しくない。
名目は季節のお茶会ではあったが、異国に嫁ぐ前に皆がお別れを言いたいということで開くことにしたとあった。
婚約者が友人にも会わせないとはどうなのだろうと苦言も呈されている。
「……わるかった。皆が面白可笑しく吹聴しているものだから」
視線を向ければすぐに謝罪される。そうなれば出ないわけにはいかない。
「君を守りたかったんだ」
「ありがとうございます」
笑顔でそう言っておいた。彼は顔を背けてなにかもごもご言っていたがよくわからなかった。
この屋敷に来てから徹底的に磨かれたせいか少しは見られるようになった。
結果、笑顔一つでごまかすことが出来るようになった。
確かに、妹はそれなりに有意義な提案をしていたのだと今更思う。
お姉ちゃんは可愛いよ。絶対だよ。
真顔でそう力説していたのはいつの頃だろうか。そして、父に叱責されてからは口にしなくなっていた。
いつ頃からかまた身なりを構うように言い始めたのだろうか。
妹、セオドアは、いつ変わってしまったのだろう。
要領の良い、美しい妹。
お姉ちゃんと後ろをついて歩いて、勉強も一緒にすると机を並べて。
いつからか何もしなくなった。本気で取り組んだのは楽器くらいだろうか。それもある日捨ててしまった。
飽きた。
そう言っていたが、時々歌っていたことは知っていた。顔を隠して、街の広場で。
自由な行動に眉をひそめたが、何も言わなかった。
あの頃から変わっていっただろうか。
学院に入ると王子に取り入って気ままに振る舞うようになった。高位貴族の子息をも侍らせてわがまま放題を言うようになり、その婚約者に苦言をされても聞かなかった。
そして、卒業パーティーで私の婚約者を奪った。
その途中を埋められない。
私は、妹に興味がなかったのではない。と思いたい。
やらかした後始末に奔走したが、本質を理解しえなかった。
離れるように、真っ当になるように諭したところで意味がなかった。そのことに本当に私は思い至らなかった。
王族に気に入られている間は良くても飽きたらどうなるのだろう。
飽きる前に自分から離れていくものを許すだろうか。
今ならわかる。
王族に好まれるということは、自由などない。
私は、いい。
賭けるのは自分の命。
異国の王子に自由に出来るのはそれだけ。
父も領地も手を出すことはできない。
妹の時は違った。
この国の王族だったら、どうとでも出来る。
ああ、彼女は守りたかったのだと。
そして、守られたのは私だ。
恥知らずと罵倒した父。
失望をあらわにした領民を。
私の元婚約者は良いとばっちりだが、今は兵士として暮らしていると便りがきた。
昔からの取り決め通りの手段で届いた手紙が。あの時は二人の秘密として楽しんでいたはずなのに。
今はこんなに遠い。
あれは茶番だったと皆が知っている。しかし、口にしてはいけない。
王族の愛人を始末し損ねて辺境に送り込むためにこんなばかげたことしたなんて指摘してはいけない。
婚約破棄も醜聞だろう。卒業パーティーを騒がせたのも。
けれど、それを罪に問えるほどのなにかではない。
その程度で王族の不興を買ったとしてもちょっと不遇になるくらいだ。
それが辺境の修道院に入れられ二度と出ない。二度と出したくないくらい不都合があるということ。
「それとこれ」
嫌そうに。
差し出されたそれは手紙だった。
妹の。
「届いたの」
純粋に驚いた。辺境の修道院に送られた妹は手紙を送る約束を覚えていたようだ。
「あとで読んでも良いかな?」
「女の秘密を覗く趣味がおありですの?」
お断りだ。
どうせ断っても見るのだろうけど。意志は示しておいても良い。
このくらいで不興は買いはしないだろう。
そのことには何も言わず、彼は去っていった。
まずは、お茶会の返事をしよう。
それから。
妹へ手紙を書こう。
それはたぶん、謝罪から始まる。
【真ヒロイン】
ある漫画の主人公。妹に婚約者を取られるが、その後、他の者の手によって妹がざまぁされる。
別に妹が嫌いなわけでもなく、ただ、現状認識が甘かった。
異国の王子に求婚され、断れないので婚約者となる。絶賛、監禁中。
【妹】
辺境の修道院に送られた。現在、悠々自適な生活を謳歌している。
異世界転生者。ただし、気がついたときには詰んでた。
覚醒後は姉に対してちょっとした恨みや呪いを送りたいくらいには屈折済み。嫌がらせのお手紙は確かに効果はありましたが、本人にとってちょっとした不幸が訪れます。
人を呪うのはやめましょう。
【異国の王子】
おそらくストーカー。
ちょっと仲良しの王子とお話して、話がまとまった結果、おいしくいただきました。
【元婚約者】
不遇属性の長男。兵士として普通に生活中。おそらく姉にも妹にも興味がない。
【侯爵令嬢】
お茶会事件がこれから起こります。