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ダンケルフェルガーへの一時帰還

 わたくしが自領へ一時帰還するための手配を側近達に頼んでいると、ラザンタルクが寂しそうな目でじっと見てきます。


 ……うぅ、そのような目で見ないでくださいませ。

 まるで「待て」をしながら無言で訴え続ける動物のような悲しげな目をされると、こちらが意地悪をしているような気分になってしまうのです。素知らぬ振りを続けられるはずもなく、わたくしはラザンタルクの方に向き直りました。


「ラザンタルクは返事を保留したことが不満なようですけれど……ドレヴァンヒェルは将来的な協力体制を利としていて、お父様の許可を得ているとおっしゃいました。わたくしがあの場で即座に断っては、次期領主であるお兄様の利を損なうことになりませんか?」


 ぐ……とラザンタルクが言葉に詰まりました。お兄様の側近として主の利を蹴飛ばすような真似はできないはずです。せめて、お父様の意向を確認するまでは回答を曖昧にして時間を稼いだ方が良いでしょう。


「わたくしが嫁ぐか否かで、ドレヴァンヒェルから引き出せる協力に差が出ます。それなのに、何故オルトヴィーン様がお父様から許可を得ていることをラザンタルクは隠したのですか?」


 ラザンタルクはわたくしの目を見つめ、キッパリとした口調で「隠していません」と否定しました。


「でも、ラザンタルクはドレヴァンヒェルに関して特筆すべきことはなかったと言ったでしょう? あれは嘘だったのですか?」

「嘘など吐いていません。ハンネローレ様の意識がない間、ドレヴァンヒェルに関して特筆された知らせなど本当にありませんでした」

「ラザンタルク、その言い方では堂々巡りだ」


 ケントリプスがわたくしとラザンタルクの間に割って入ってきます。「落ち着け」とラザンタルクの肩を軽く叩きながらわたくしに顔を向けます。


「ハンネローレ様、我々は確かにアウブからお言葉を受け取りました。ただ、それは嫁盗りを嫁取りにしようとする者が必ず出てくる。婚約者候補としてしっかり守れと忠告されただけです。個人や領地を特定したお言葉ではありませんでした」

「ドレヴァンヒェルやオルトヴィーン様に限ったものではなかったということですか?」

「そうです」


 ケントリプスとラザンタルクが揃って頷きました。どうやらラザンタルクが嘘を吐いたわけでも間違いだったわけでもないようです。


「我々はアウブから婚約者候補としてしっかり守れと言われたことを、ハンネローレ様に報告すべき事柄だと考えませんでした」

「それは……そうですね」


 わたくしはラザンタルクの言葉に同意しました。婚約者候補がわたくしに余所の殿方を寄せないように守ることはお父様に言われなくても行うことですし、ユレーヴェから目覚めてすぐに「嫁盗りを嫁取りにしようとする者が出てくるかもしれません」とか「我々がお守ります」と言われても返答に困ったでしょう。


「誰かが口説いてくると言われて思い浮かんだのは、講義中にすでに気持ちを伝えてきた上に嫁盗りディッターに名乗りを上げたオルトヴィーン様でした。我々が勝手に警戒していただけで、アウブから名指しはされていません」

「ケントリプスの説明をそのまま信じるならば、お父様が口説く許可を出したという言葉がしっくり来ないのですけれど……」


 本当に口説く許可を出ているのか、オルトヴィーン様の言葉の方が何だか疑わしく思えてきます。しかし、お父様に問えばすぐにわかるような嘘を言っているとも思えません。微妙に噛み合っていない言葉の数々に思い悩んでいると、ケントリプスが「あぁ」と何か思い当たったような声を出しました。


「これは私の想像ですが、口説けるものならばやってみろ……くらいの挑発的な言葉をアウブ・ドレヴァンヒェルやオルトヴィーン様が都合の良いように受け取ったのかもしれません」

「……お父様ならば言いそうですし、口説く許可を得たと解釈できなくもありませんね」


 それぞれの主張にあった微妙なズレが何となく埋まった気がして、わたくしはハァと息を吐きました。やはり裏を読み合わなければならない話し合いは疲れます。それでも、わたくしに対して情報が隠されていたり、嘘を吐かれたりしていたわけではないとわかって心は軽くなりました。


「お疲れ様でした、ハンネローレ姫様。今日の姫様は大変よくできたと思いますよ。わだかまりがなくなったのでしたら寮へ戻りましょう」


 わたくしはコルドゥラに褒められて嬉しくなりました。ケントリプスとラザンタルクにエスコートされて寮に繋がる扉へ向かいます。


「書簡だけでは細かい部分がわからず、判断に困りますね。今後も同様のことがあるかもしれません。そのためにも、わたくしはお父様が何をどのように考えているのか知りたいのです」

「貴族院へいらっしゃってからクルクルと状況が変わっています。摺り合わせが必要でしょう。ハンネローレ姫様にも、アウブ夫妻にも」


 コルドゥラの手配により、わたくしは土の日に一時帰還とお父様との面会の許可を得ました。




「おかえりなさいませ、ハンネローレ様」


 土の日、朝食を終えるとすぐに貴族院の側近達に見送られて、わたくしはコルドゥラと共に帰還しました。城の転移陣の間には成人の留守番していた側近達が待機していて出迎えてくれます。


「ハンネローレ姫様、本日はこのまま領主の居住区域へ向かいますよ。領主夫妻がお待ちですから」


 土の日なので、お父様もお母様も執務室ではなく自室にいらっしゃるようです。貴族院の途中で帰還するのは初めてです。


「問題を起こして呼び戻されることがなければ貴族院から一時帰還する者などいないので、何だか落ち着きませんね。一時帰還させられるのはラオフェレーグが先だと思っていました。今日はまるでわたくしが問題児になった気分です」

「あら、ハンネローレ様はご自覚がございませんか?」

「悪いことではありませんが、問題は問題ですよ」


 廊下を歩きながら側近達が苦笑混じりにダンケルフェルガーでの出来事を教えてくれます。


「ハンネローレ様に時の女神ドレッファングーアが降臨されたのでしょう?」

「婚姻前に作製したレスティラウト様のユレーヴェを早急に送ってほしいと突然コルドゥラから知らせが来た時は驚いたものです。転移陣の間を閉ざす寸前でしたから、レスティラウト様もアウブも大慌てでした」

「突然と言えば、ローゼマイン様やフェルディナンド様の名前を叫び、記憶が……とおかしなことを言い出す騎士が続出したこともありましたね。あれも神々の影響だそうですけれど、結局詳細がわかりませんわ」

「多くの領地からディッターの申し込みがあって騎士達が大騒ぎしていたのですけれど、参加者が領主一族とその護衛騎士に限られたことで嘆いていましたよ」

「その代わり、今は護衛騎士達が訓練に張り切っています。我々も腕が鳴ります」


 側近達の言葉に、わたくしは親睦会でアナスタージウス様から「余計なことをしでかしてくれるな」と言われたことを思い出し、何だか冷や汗が浮かんできます。


「……あの、わたくし、もしかしてラオフェレーグ以上の問題児なのでしょうか?」


 ラオフェレーグの問題行動は寮内や城の中で収まる程度ですが、わたくしの問題は他領を巻き込んでいます。


「女神の降臨が発端ですから、ハンネローレ様が事を起こしたわけではないと思うのですけれど、あまりにも影響が大きいですね。領地に帰還されるのも仕方がないかと……」


 わたくしは側近達に慰められながら領主の居住区域に入ります。許可された者しか入れない扉を出て右に曲がるとお父様やお母様のお部屋、反対側の左に曲がるとお兄様とアインリーベのお部屋があります。


「今日はお兄様やアインリーベも同席するのかしら?」

「レスティラウト様はいらっしゃいます。アインリーベ様は社交の予定が入っています。本日は急なお戻りでしたから予定変更も難しかったようですね」


 アインリーベは結婚して一年目。領主一族となって初めての冬の社交です。地盤を固めることを考えると疎かにはできません。


「ジークリンデ様、ハンネローレ様が到着いたしました。入室の許可をお願いいたします」


 側近同士のやり取りを経て、わたくしはお母様のお部屋に入りました。お父様のお部屋には礎の間に繋がる扉などもあるため入れてもらえません。昔から家族で集まったり話したりする時はお母様の部屋と決まっています。


「お父様、お母様、お兄様。ただいま戻りました」

「おかえりなさい、ハンネローレ」

「よく戻った」


 わたくしは席に着くと、お母様の側仕えが淹れてくれるお茶を飲んでホッと息を吐きました。飲み慣れた味のお茶、貴族院のお茶会には出ない素朴なお茶菓子、身構える必要のない家族だけのお茶会に肩の力が抜けていきます。

 家族だけで気兼ねなく話せるように側近達が下げられた途端、お兄様がわたくしを睨みました。


「おい、ハンネローレ。他領との嫁盗りディッターが近付いている今、わざわざ一時帰還したのだ。緊張感のない顔でいつまでもお茶を飲んでいないでさっさと本題に入れ」


 お兄様に注意されなくてもこれから重要な話をすることも、気を抜いている場合ではないともわかっています。それでも、上級生の領主候補生として常に気を張っていなければならない貴族院と違い、様々な判断や責任を任せられる親元へ帰ってくると何となく気が緩んでしまうのです。


「レスティラウトは少し黙っていなさい。貴方が強い口調で急かして口を出すと、ハンネローレが口を噤んでしまって話が進みません」

「さて、情報の摺り合わせをしたいと聞いているが、其方は何を知りたいのだ?」


 お母様がお兄様を黙らせ、お父様に促されたことで、わたくしはカップを置いてグッと拳を握ります。


「ドレヴァンヒェルとのお茶会において、わたくしに知らされていない情報がありました。貴族院で判断を下す際に必要な情報が共有されていないように思えます。他領とのやり取りで適正な判断をするためにも、情報は全て共有してくださいませ」

「ふむ……」


 これだけは絶対に受け入れてもらわなければ困るとわたくしが訴えると、お父様は面白がるように腕を組み、わずかに唇の端を上げてわたくしを見ました。


「何人もの目に触れる手紙では伝えられないこともあるし、情報を出す時期を見計らうこともある。全て共有しろと言われても困るな。其方も我々に隠している情報があるだろう? 本当に全てを報告していると言えるか? 女神降臨に伴う情報はコルドゥラの目から見ても誤魔化しがあるようだが……」

「うっ……。伝える対象や口外できる時期を見計らうべき情報があることは理解しました」


 わたくしは神々の世界で起こったことやアレキサンドリアの現状など、ローゼマイン様やフェルディナンド様と相談するまで公開すべきではないと判断した情報をいくつも抱えています。自分の立場に置き換えると、情報の全てを共有することが難しいことが理解できました。


「なるべく情報共有はするが、短期間に変化がありすぎる。ひとまず現状の確認と情報共有をするか」

「嫁盗りディッターやドレヴァンヒェルとの共闘についてかしら?」


 わたくしはお茶の入ったカップを再び手に取って、お父様とお母様の言葉に頷きました。


「発端は女神の降臨だな。ヴィルフリート様、オルトヴィーン様、其方の三人で東屋に行くことになり、そこに女神が降臨したと聞いているが……」

「三人で貴族院の東屋に行くのがそもそもおかしいだろう? 何故そうなった?」

「教室で話すつもりだったのに、何故か三人で東屋に行くことになっていたのです。花を見たいから……だったかしら?」


 お兄様が怪訝そうな顔をしていますが、わたくしにもよくわかりません。あの時は求婚の課題を得られるかどうかで頭がいっぱいだったので細かいことはよく覚えていないのです。


「ヴィルフリートに誘われてノコノコと出かけたわけではあるまいな?」

「エーレンフェストの貴族との繋がりを求める相談が側近からあり、それについてヴィルフリート様とお話しすることになったのです。そこに何故かオルトヴィーン様が加わりました。ケントリプスも同行しましたから、疚しいことはございません」


 嘘です。疚しいです。わたくしがヴィルフリート様に求婚の課題をいただくために画策して失敗したことを両親に知られたくありません。わたくしは精一杯の虚勢を張って、疑わしそうに見てくるお兄様の目を正面から見返します。


「レスティラウト、脱線させないでください。何を三人で話したのか聞くのが重要でしょう。同席を許されたとはいえ、領主候補生の会話ということで盗聴防止の魔術具が使われていてケントリプスは内容を知らないのですから」


 そうでした。直後に女神が降臨しましたし、目覚めたら嫁盗りディッターで大変なことになっていたので東屋での会話を改めて報告していません。それでも大凡の内容が知られているということは、共闘の申し入れの際にオルトヴィーン様から情報が流れたに違いありません。


「オルトヴィーン様とは劣ったシュタープを持つお兄様やわたくし達の世代が次期アウブに就くことについてのお話もいたしました」

「なるほど。そこから共闘の密約に繋がったのか。ほんの数日でよくあれをまとめたものだ」


 お父様がお菓子を口に入れながら感心したように呟きました。


「あの、お父様。ドレヴァンヒェルとの共闘は何故決まったのでしょう?」

「それこそ発端は女神の降臨だ。それを知ったジギスヴァルト様から正式に求婚の申し込みが来た。領地対抗戦で顔を合わせる時に詳細を詰めましょうと、こちらの拒否を許さぬ姿勢で」


 ジギスヴァルト様が元王族として扱われる一年間を有効利用したやり方なので、第一位になったダンケルフェルガーとはいえ、退けるのは簡単ではないそうです。


「不誠実な行いから離婚したばかりだから、せめて一年くらいは間を開けた方が……と領主会議でドレヴァンヒェルが牽制したことで一年は猶予があると思っていたのですけれどね」


 お母様は額に指先を当てて軽く頭を左右に振りました。予想外に面倒臭いことが発生した時に見せる仕草です。ジギスヴァルト様の予想外の求婚によほど驚いたようです。


「そういう余計な横槍が入ることを想定し、嫁盗りディッターに移せるように婚約者候補を決めておいたのだ。ダンケルフェルガーでは其方が目覚めたら婚約者を選んでもらい、本気で奪いたければ嫁盗りディッターを申し込めと言うつもりだった」


 ところが、わたくしが目覚めるより先にオルトヴィーン様からドレヴァンヒェルの文官見習い伝いに、「第二の女神の化身が現れた以上、縁付くのは元王族が相応しいとコリンツダウムが噂を流して他領を牽制している」という情報が届いたそうです。


「それでドレヴァンヒェルから嫁盗りディッターの申し込みがあったのですね」

「流れとしてはそれで間違いないが、父上がドレヴァンヒェルに嫁盗りディッターを申し込めと言ったのだ」

「……え? お父様が?」


 わけがわからないまま視線を向けると、お父様はニヤリと笑っています。とてもよろしくない笑顔です。


「ダンケルフェルガーが元王族の正式な求婚を蹴って嫁盗りディッターを突きつけるより、ドレヴァンヒェルが嫁盗りディッターを申し込んできたからディッター以外の求婚は受け付けないとした方が、我々には都合が良い」

「……それはそうですけれど、ダンケルフェルガーに都合良くドレヴァンヒェルが動くとは思えません。何か別の思惑でもあったのか、弱みでも握っていたのですか?」


 わたくしは色々と裏事情を考えながらお父様の言葉を聞きます。


「弱みという程ではないな。春の求婚が本気ならばドレヴァンヒェルから嫁盗りディッターを申し込んでこい、と返事をしただけだ」

「ちょっと待ってくださいませ! 春の求婚とは何ですか!?」

「あぁ、領主会議の時にドレヴァンヒェルから打診があったのですよ」


 予想もしていなかった言葉に、わたくしの頭が真っ白になりました。驚いて家族の顔を見回しても、驚いているのはわたくしだけです。お母様は平然とお茶を飲んでいます。


「わたくしは存じません。どうして教えてくださらなかったのですか?」

「即座にお断りしたからです。アナスタージウス様にアドルフィーネ様の離婚に関する話し合いの場で起こったことを教えていただきましたから」


 アウブ・ドレヴァンヒェルはアドルフィーネ様の婚姻を継続させたいならば、王命で女神の化身であるローゼマイン様に、もしくは新しくツェントになったエグランティーヌ様にオルトヴィーン様を婿入りさせてほしいと要望したそうです。


「女神の化身とツェントの配偶者を望んで拒否された直後にハンネローレとの婚姻を望まれて、何故わたくし達が真面に取り合うと思うのです? いくら政略とはいえ都合が良すぎるでしょう?」


 わたくしは俯くことで苦い顔の両親から目を逸らし、オルトヴィーン様の求愛を思い出します。熱の籠もった目と述べられた言葉、差し出された求愛の魔術具……。


「……オルトヴィーン様の求愛も政略の一環でしょうか?」


 あの言葉をそのまま信じて良いのかどうかわからなくなってきました。少なくとも、あの場で返事をしなくて正解だったと思います。


「どうでしょうね? 領主会議での打診はアウブによるものでしたから、オルトヴィーン様の本心は存じません。けれど、全く政略の絡まない婚姻など貴族にはありません。こうして嫁盗りディッターを申し込んできた以上は政略以外の気持ちもあるかもしれませんね。どう思いますか、レスティラウト?」


 ローゼマイン様に仕掛けた嫁盗りディッターを当て擦られ、グッとお兄様が喉を鳴らしてわたくしを睨みながら話を元に戻します。


「父上の返事を受け取ったドレヴァンヒェルは、嫁盗りディッターの申し込みと同時に共闘の申し入れをしてきたのだ。根回しがよくできていると父上が褒めていた」

「言われるままに嫁盗りディッターを申し込んでくるほど、アウブ・ドレヴァンヒェルはダンケルフェルガーとの関係を求めるのでしょうか?」


 嫁盗りディッターはアウブも参戦しなければなりません。アウブ・ドレヴァンヒェルが戦いに参加する決断をするとは思いませんでした。


「離婚によってドレヴァンヒェルはコリンツダウムから賠償を得られることになりました。今はアドルフィーネ様の扱いも悪くないようですが、情勢が変わればアドルフィーネ様の離婚が槍玉に挙げられるようになるかもしれません。ジギスヴァルト様は世論の誘導に長けた方ですから」

「それに、離婚したことでドレヴァンヒェルがジギスヴァルト様に強く出られるのはせいぜい一、二年のこと。賠償を終えた後、コリンツダウムが反撃に出ることも考えられる。元王族の影響がどの程度続くかわからない状況である以上、ドレヴァンヒェルとしてはダンケルフェルガーとの協力関係が欲しかろう」


 お母様とお兄様の説明で、わたくしは思っていたよりアドルフィーネ様のお立場が不安定であることを知りました。それと、お母様が「世論の誘導に長けている」と評するほどジギスヴァルト様に力があると思いませんでした。


「ドレヴァンヒェルとしてはその一、二年の間にダンケルフェルガーとの関係を盤石にし、余計なことをしそうなコリンツダウムの影響力を少しでも削いでおきたいようだ。嫁盗りディッターで共闘すれば、其方が最終的にドレヴァンヒェルへ嫁がなくてもコリンツダウムの力を削ぎつつダンケルフェルガーとの関係を強化できる」


 お父様がそう言いながら教えてくださった共闘と密約に関してはオルトヴィーン様に聞いた内容と同じでした。


「……内容自体は同じですけれど、何だかオルトヴィーン様から聞いたお話と少し違って聞こえますね。口説く許可が出ているというのも、ケントリプスが言ったように許可ではなく挑発的な言葉だったのでしょうか?」


 わたくしはオルトヴィーン様とケントリプスとラザンタルクの認識の違い、話の微妙なズレに加えて、ケントリプスの予想を話します。


「クッ……。ケントリプスの方が正しいな。ドレヴァンヒェルは我々の言葉を拡大解釈している」


 お父様は「嫁盗り」を「嫁取り」に変えるのは容易ではない。婚約者候補達がいて、心の内にまだエーレンフェストの領主候補生がいる以上、ハンネローレの意識はそう簡単に変わるまい。やれるものならばやってみろ……とドレヴァンヒェルに伝えたそうです。


「ドレヴァンヒェルの解釈も完全に否定はし難い。だが、こちらも口説けたら最終的に嫁取りにしてやっても良いとは言ったが、別にオルトヴィーン様を婚約者候補と同列に扱うとも無条件に認めるとも言っていない。解釈の違いなど至るところにある」

「ドレヴァンヒェルはその辺りが上手いのです。文官が多い土地柄だからでしょうね。別に悪いことではありませんよ」


 お母様はそう言いますが、どうにもわたくしには馴染みません。言葉の裏の裏を読むような会話はあまり得意ではないのです。


「嫁盗りディッターに至った流れやドレヴァンヒェルとの共闘については理解しました。結局、お父様はわたくしをどうしたいのですか? ケントリプスやラザンタルクを正式な婚約者ではなく婚約者候補とし、拡大解釈とはいえオルトヴィーン様に口説く許可を与えるなんて……」


 アウブの真意がわからなければ最適な行動が取れません。わたくしの問いにお父様はゆっくりと顎を撫でながらお母様へ視線を向けます。


「私はジークリンデが選択肢を与えてやれと言うから、そうしただけだ」

「お母様が?」


 わたくしもお母様に視線を向けました。お母様は少し考えるように上を向いてから「元々ハンネローレは他領へ嫁ぐ者として育てたでしょう?」と言いました。


「政変が起こり、グルトリスハイトが失われたことでダンケルフェルガーは中立として王族から距離を置くと決めました。政変に巻き込まれないように、当時のアウブによって次期アウブだったヴェルデクラフ様の婚姻は領地内に限られました」


 わたくしも知っている内容です。その決定によって、本来ならば上位領地から第一夫人を迎えて第二夫人になるはずだったお母様が第一夫人に決定し、お兄様が次期領主とされました。


「両親が共にダンケルフェルガーの一族なので、レスティラウトは他領との繋がりが薄い領主になります。グルトリスハイトのないユルゲンシュミットで領地の境界線に隔てられた旧ベルケシュトックを管理するには他領との協力や連携が不可欠です。そのため、側近には他領出身の父か母を持つ領主一族の傍系が集められ、同母妹のハンネローレは上位領地へ嫁ぎ、兄の力になることを前提に育てられました」


 ケントリプスとラザンタルクの二人がお兄様の側近になったのは、二人の母親が他領出身で伯父様の息子だからです。他領へ嫁ぐことを前提に育てられたわたくしに、領主一族の傍系の側近は多くありません。


「けれど、グルトリスハイトを与えられたツェントが就任し、領地の境界線は引き直され、領地順位は第一位になりました。旧ベルケシュトックは完全にダンケルフェルガーの土地となり、国境門を開くことも可能になったわけです」

「これから先は他領との繋がりより、自領の再編成と国境門の先との関係構築に尽力した方が良いということだ」


 お父様が楽しそうに笑っています。ローゼマイン様が国境門を光らせた時、誰にも負けないような歓声を上げて大騒ぎしていたのはお父様です。


 ……でも、女神の化身の親友という肩書き以外にもわたくしをダンケルフェルガーに留める利があったのですね。


 自領の再編成に尽力するのであれば、同母妹のわたくしをダンケルフェルガーに留めて協力を得る方がお兄様にとっては楽でしょう。他領に嫁いで縁を繋ぐことはルングターゼでも可能ですが、領地で協力する相手には向きません。お父様の第二夫人は派閥が違うので、その娘であるルングターゼではアインリーベと協力することが難しいと思います。


「ハンネローレがドレヴァンヒェルに嫁げば他領との協力や連携という意味では利が大きい。もちろんエーレンフェストでも構わぬ」

「……お父様が選択肢にエーレンフェストやドレヴァンヒェルを入れると思いませんでした」


 ダンケルフェルガーの貴族達はエーレンフェストが嫁盗りディッターの契約を違えてわたくしの嫁入りを拒否したことに怒っていますし、ドレヴァンヒェルは嫁盗りディッターを申し込んできた領地です。嫁ぎ先として心証が良いとは思えません。


「ハンネローレは自分で決めたことに固執する頑固な一面があるだろう?」


 ……ディッターに固執するお父様に言われたくありません!


 心の中で反論している時に、似たようなことをケントリプスにも言われたことを思い出しました。何故かお母様もお兄様も同意しています。


「決めるまでが長いけれど、一度決めると頑固なのですよね」

「一度決めたら譲らぬところは父上にそっくりではないか」

「私はハンネローレのように迷わぬぞ」


 ……え? わたくし、お父様似なのでしょうか? ちょっと嫌です。


 むむむ……と眉を寄せていると、お父様が「そのように嫌そうな顔をするな」と苦笑しました。


「エーレンフェストに関しては其方がジークリンデに啖呵を切ったのだろう? 其方の選択の結果ではあるが、レスティラウトの暴走の被害者とも言える。父親としては其方がエーレンフェストに再び立ち向かい、どのように利益をもたらし、ヴィルフリート様との縁を繋ぐつもりか見てみたいと思っていた」


 ディッターの最中にヴィルフリート様の手を取ったのも、エーレンフェストの主張を受け入れて嫁入りを辞退したのも、わたくしの選択です。領地の貴族にとって褒められたものではない言動で、貴族達の目や当たりが厳しくなることを理解した上で選びました。領地にとって不利益な行動をしたわたくしでしたが、それでも特別に罰を与えられるわけでもなく、領主候補生として生活できました。そんなふうに見守られていたことを今更実感するなんて、我ながら自分の視野の狭さに呆れてしまいます。


「だが、これほど取り巻く状況に変化があり、其方がダンケルフェルガーの姫である以上、悠長に様子を見ていられぬ」

「少なくとも、わたくし達はあのディッターから今まで……貴女の動きを二年間待ったつもりです」


 お父様とお母様の言葉に、わたくしは小さく笑いました。二人の中でわたくしはまだ「エーレンフェストやヴィルフリート様に固執した娘」のままなのでしょう。


「……わたくし、もうヴィルフリート様に対する気持ちに決着をつけたのですよ」

「そう思い込んでいたり、自覚がなかったりするだけではないのか?」


 眉を寄せて疑り深い顔でわたくしを見ているお兄様をチラリと見て、わたくしはツンと顔を逸らしました。


「結婚した後もローゼマイン様やエグランティーヌ様の絵を描いていらっしゃるお兄様は黙っていらして。……わたくしは本当に。その、神々の世界に招かれた前後に色々とありましたから……」


 ケントリプスには秘密にしてほしいと言いましたが、領地にどれだけの情報が流れているのかわからず、わたくしは言葉を濁します。東屋で求婚の課題を得ようとして断られたこと、神々にお願いして一年前の世界に行ったこと、そこで得た気付き、側近達との話し合い……。短い間に起こった様々な出来事が脳裏を駆け抜けていきます。


「わたくしにはエーレンフェストのもつれた糸を解くことができませんでした。ヴィルフリート様に求められれば応えるつもりでしたが、わたくしは糸に触れることさえ許されなかったのです」

「女神が降臨した後、ハンネローレにずいぶんと変化があったとは聞いていたが……」


 黙っていてほしいと言っても全く聞いてくれないお兄様を軽く睨んでいると、お父様が一つ咳払いをし、姿勢を正しました。改められた顔に先程までの苦笑混じりに笑みはなく、厳しいアウブの表情があります。わたくしも自然と姿勢を正し、お父様の方へ向き直りました。


「ならば、選べ。元王族であるジギスヴァルト様と縁付くのか。オルトヴィーン様の求愛を受け入れてドレヴァンヒェルへ嫁ぐのか。それとも、婚約者候補を受け入れてダンケルフェルガーに留まるのか。ここで其方が選ばないならば、アウブである私が決める。それに従え」


 エーレンフェストを除いた選択肢が示されました。圧を感じるお父様の赤い目は甘えも迷いも許してくれません。追い詰められているような緊張感でカラカラに喉が渇いていくのを感じて、わたくしは既に温くなっているお茶を一口飲みました。ニコリと微笑んでお父様の赤い目を見返します。少しは領主一族らしい余裕を持っているように見せることができているでしょうか。


「……女神の降臨によって他領へ嫁いだ時に求められる役割がダンケルフェルガーの領主候補生から第二の女神の化身になりました。けれど、わたくしはローゼマイン様を呼ぶために女神に体を貸しただけです。グルトリスハイトを授けたり、神々と交渉したり、神々の求めに応じて協力したりするローゼマイン様と同じことを求められても困ります」


 オルトヴィーン様はわたくしに女神の化身の役割を求めないかもしれませんが、周囲の者達が勝手に抱く期待まで抑えることなど不可能です。周囲の期待に添えない者がどのような目で見られ、どのような扱いを受けるのか、領主一族として育ったわたくしは理解しています。


「わたくしは自分の身の丈を知っているつもりです。他領へ嫁いで第二の女神の化身としての期待を負いたいと思えません。ダンケルフェルガーに留まり、アウブとなるお兄様の補佐をしたいと思います」


 貴族の婚姻に政略が必ず絡むのですから、第二の女神の化身として周知された今のわたくしにとって他領へ嫁ぐのは重荷でしかありません。


「ハンネローレがそう選択したならば、ダンケルフェルガーは一丸となって宝である其方を守る。……だが、其方は敵に利する行為をしないと誓えるか? 土壇場で裏切り、騎士の忠誠を蔑ろにする行為を二度も許すつもりはない」


 念を押すお父様にわたくしは小さく笑いました。


「もしドレヴァンヒェルへ嫁ぎたいと少しでも考えていたら、オルトヴィーン様とお話しするためにドレヴァンヒェルのお茶会室へ赴いたでしょうし、誰にも邪魔されないように領主候補生コースの講義中に話を進めます。わたくし、今は他領へ行きたいと考えていません。それは信じてください。お母様も、お兄様も……」


 わたくしがお父様だけではなく、お母様やお兄様にも視線を移すと、皆が頷いて了承の意を示してくれました。


「わかった。其方の言葉を信じよう。だが、其方は婚約者候補のどちらを選ぶのだ? それはもう決まっているのか?」


 ダンケルフェルガーに留まることを表明した途端、お兄様に婚約者の選択まで問われ、わたくしは言葉に詰まりました。正直なところ、第二の女神の化身として扱われるのが無理だから他領へ嫁ぐ選択肢を消しただけで、自発的に婚約者を決めたわけではないのです。


「それは、まだ……」

「そうか。だが、どちらでも構うまい。私に置いて行かれたとべそべそ泣いている其方の面倒を見慣れているケントリプスでも、私を負かそうと必殺技やら協力技やらを一緒に考えていたラザンタルクでも、其方に第二の女神の化身を求めることはなかろう」


 頭が真っ白になり、わたくしはひぅっと息を呑みました。


「うぁ、あ、お、お兄様っ! 洗礼式前後の昔話を引っ張り出してくるなんて、無遠慮にも程があります! お兄様だってシュタープごっこと称して木の棒を振り回していたではありませんか! わたくしの幼い頃の行動なんてほとんどお兄様の真似ですよ」


 わたくしとお兄様の幼い頃の暴露合戦は、お母様がパン! と強く手を打つ音に遮られました。


「お止めなさい。見苦しい。それほど昔話がしたいならば、二人の筆頭側仕えの日誌でも読み上げてあげますよ」


 勝てるわけがありません。お母様が最強なのです。わたくしとお兄様は即座に謝りました。

 笑いながらわたくしとお兄様の言い合いを聞いていたお父様も、笑みを消して指先でトンと一度テーブルを叩きました。


「では、ハンネローレ。他領との嫁盗りディッターに先駆け、まず寮内を統一せよ」

「……寮内の統一はわたくしも必要だと思っていましたが、お父様はどこまでをお求めですか?」


 アウブであるお父様がラオフェレーグを潰せと命じるならば、貴族院で教育的指導を行う程度で済ませられるわけがありません。ラオフェレーグを下すのは簡単ですが、その後をどうするのか決めておかなければ、やり過ぎる可能性があります。


「貴族院における模擬戦で良い。ラザンタルクとラオフェレーグを中心に行え。ラザンタルクが勝利した場合、ラオフェレーグは上級貴族に落とす」

「領主一族として洗礼式を行ったラオフェレーグを今から上級貴族に落とせば、第二夫人の派閥にも大きな影響があるでしょう。それでも構わないのですね?」


 婚約者候補ではありますが、上級貴族が領主一族を下し、その結果、領主一族の立場を失うのです。わたくしにとっては母親の派閥が違うので貴族院に入るまでほとんど交流のなかった面倒な領主候補生でしかありませんが、お父様にとっては息子の一人です。見守るという選択肢はないのでしょうか。


「少しでも自分の行動に伴う覚悟なり、勝負における領地の利益なり、自分の意見があればよかったが、アレの頭にあるのはディッターをしたいという欲望だけだ。嫁盗りディッターに申し込むことで起こる先々を全く考えていないどころか、ハンネローレを娶る意味さえわかっていない」


 お父様は腹立たしそうに小さく溜息を吐きました。


「あの愚か者をこの先もダンケルフェルガーの領主一族として遇することはできぬ。領主一族の立場を剥奪して上級貴族とするのは、フリュートレーネの力で生まれ育つタルクスをフェアフューレメーアの下に移すのと同じだ」


 ディッターのことしか考えていないラオフェレーグには領主候補生として育つより上級騎士として訓練に明け暮れる方が良いとお父様は考えているようです。身分の剥奪と言えば乱暴で厳しく聞こえますが、適した環境に移すと考えれば親の愛情とも言えます。


 ……ならば、遠慮はいりませんね。


「わかりました。ラザンタルクと共に寮内の統一をいたします」



微妙なズレが起こったワケとハンネローレの選択でした。

ちょっと長いけれど切りどころが難しかったので一話で上げてしまいました。

個人的に幼い頃の暴露合戦が、書いていて一番楽しかったです。


次は、寮内の統一に向けてです。

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― 新着の感想 ―
やはりケントリプス優勢か... オルトヴィーンとヴィルフリートの幸せを祈ろう。
やはりおてんばタイプの姫だったのかハンネ ルングターゼSS読む感じだと典型的思慮深ダンケル女性は貴族院入学前からその傾向が見て取れるし、洗礼式前後に必殺技考えてるようではハンネが武に長けた姫になるのも…
元王族への優遇処置はあくまでも温情で権力有るわけじゃ無いのにねぇ? 領地整えるのが大変だろうから他領から協力取り付けるなりなんなり上位領地の立場で頑張りなさいな、って餞別なだけで元王族権威をひけらかす…
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