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新入生歓迎ディッターと婚約者候補達

 一の鐘が鳴ると起床時間です。起きたらすぐに着替えて訓練をします。この訓練は側仕えや文官も含めて、全員が行うものです。早朝の訓練は側仕えに合わせた軽い運動で終わります。側仕え見習い達が着替えや朝食の準備を始めるために離れると、領主候補生であるわたくしや文官見習い達は少し運動量が増えますけれど、騎士見習い達に比べると大した量ではありません。


 ただ、今日は貴族院に入った翌朝なので、わたくしは側仕え達が離れるのと同じ時間に訓練を終え、自分の護衛騎士見習い達と採集場所の見回りをしました。ラザンタルクが採集していた素材の量が多く、採集場所の荒れ具合が心配になったからです。


 ……案の定、ひどい有様でした。最終学年の者達が移動してくる前に気付いて良かったです。


 見回りを終えると、自室に戻って水浴びをしてから朝食です。朝食は食堂で他の学生達と一緒に摂ります。その際に、寮監や領主候補生から連絡事項を伝えることになっているので、わたくしは採集場所の見回りに行ったことと、土地の癒やしが必要であることを述べました。


「ローゼマイン様が教えてくださった土地の癒やしがあるとはいえ、皆、少し羽目を外しすぎです。本日は朝食後、寮にいる者全員で採集場所を癒やします」


 貴族院が始まるまでは、基本的に自由時間です。それぞれが講義に向けての準備をすることになっていますが、時間の使い方を指示されることは滅多にありません。それに、土地の癒やしは多くの魔力を使うことですから、皆が不満そうな声を上げます。


「ちょっとお待ちください、ハンネローレ様! せっかく訓練場が開放されたのですから、午前中は……」

「最終学年の者達のことも考えずにあのように荒らしたのは貴方達ではありませんか。朝食を終えたら採集場所へ向かいます」


 貴族院の講義が始まると、座学が終わるまで満足にディッターができません。入寮から貴族院が始まるまでの数日間はディッター好きな学生達にとって自由に遊べる期間なので、不満が上がるのは理解できます。けれど、できるだけ多くの者を癒やしに動員できるのは、今しかありません。講義が始まるまでに採集場所を癒やしておかなければ、講義に魔力が必要なので、後から土地を癒やすのは難しくなります。


 ……採集場所の管理は領主候補生の義務ですもの。


 わたくしはグッと拳を握って食堂内を見回しました。わたくしがしっかりしなければならないのです。


「癒やしが終わるまで訓練場を一度閉鎖します。ディッターばかりを優先するのはダメですよ」


 訓練場の閉鎖を口にした途端、騎士見習い達から悲鳴のような声が上がり始めます。


「そんな……!? 本物のディッターに参加されたハンネローレ様がディッター以外を優先するようにおっしゃられるなど……」

「いや、待て。違うぞ! ハンネローレ様のお言葉は本物のディッターに参加されたからこそ出てくる余裕なのだ!」

「くっ! さすが未成年でありながら唯一参加された姫様。女神の化身の親友として相応しい!」

「おおぉぉ、ハンネローレ様! ダンケルフェルガーの誇り!」


 ……まるでお酒を飲んだディッター後の成人達のような盛り上がりですね。朝食に酔ったのでしょうか。


 意味がわからない盛り上がりを見せている食堂の様子を見回し、わたくしは学生達のやり取りを面白がるように見ながら朝食を摂っていたルーフェン先生に視線を止めました。


「ルーフェン先生はどう思われますか?」

「ハンネローレ様の判断された通り、癒やしが終わってからディッターで構わないと思われます」


 そう言った後、ルーフェン先生は熱の籠もった青い瞳で皆を見回しました。あの青い瞳が熱く燃え上がっている時は上手く騎士見習い達を誘導してくださることがわかっているので、わたくしはそっと控えます。


「其方等のディッターにかける情熱はよくわかる。だが、ディッターは一人だけで行う物ではない。皆で楽しむ物だ! 違うか!?」


 ……いえ、全員を巻き込まないでください。


「これからやってくる最終学年や新入生を含めた全員が等しく講義を受ける準備をし、その上で皆が参加して心置きなくディッターをするべきではないか。そのためには朝食後は迅速に採集場所を癒やし、最終学年の者達が採集している時間を利用して其方等は回復薬等を作成する必要がある。そして……新入生が全員到着したら即座に歓迎ディッターを行えるように準備を怠るな!」

「うおおぉぉぉ! シュタイフェリーゼより速く!」


 ……お父様が言い出した「シュタイフェリーゼより速く」という言葉、すっかり定着しましたね。


 新入生歓迎ディッターは一年生に発破をかけるために行われます。騎獣を作れるようにならなければ参加できないぞ、と新入生を羨ましがらせるための催しと言っても過言ではないでしょう。寮内の文官見習い、側仕え見習いも含めて在校生の希望者全員が参加できるのです。希望者だけが参加するので勝手にすれば良いのですが、講義が始まる前に回復薬を使用するのは無駄だと思います。


 わたくし自身は新入生歓迎ディッターを止めれば良いと思うのですけれど、騎士コースの選抜に漏れて泣く泣く文官や側仕えのコースを取ることになった者達が心待ちにしているので取り止めることはできません。それに、ルーフェン先生によると、新入生歓迎ディッターを行うかどうかで、学生達の実技への身の入れ方が違うそうなのです。


 ……ダンケルフェルガーは座学よりも実技が得意な者が多い土地ですからね。


 食事をしながらどのようにディッターのチーム分けをするのか真剣に話し合っている騎士見習い達の様子を窺います。騎士見習い達の中心で、チームの戦力が均衡するように助言しているのはルーフェン先生です。最もディッターに力を入れているのが寮監ですから寮内がディッターで染まるのは仕方ないでしょう。


 ……採集場所を癒やせるならば、わたくしは構わないのですけれど。




 朝食を終えた後、皆で採集場所を癒やしました。その後は自由時間なのですが、講義と新入生歓迎ディッターの準備をするために調合室が混み合っているようです。多目的ホールで調合室の順番待ちをしている者達が多いと側近達から聞いて、わたくしは多目的ホールへ向かいました。順番待ちをしている者達からエーレンフェストの本について話を聞きたいと思ったのです。ダンケルフェルガーでどの本がどの程度受け入れられているのか、他者がどの本に対してどのような感想を持つのか予め知っておくことは社交の下準備に必要なことですから。


「ディッター物語やダンケルフェルガーの歴史本が出たことで、殿方が本を読むようになったことは大変嬉しいですよね?」

「ラオフェレーグ様は古語のお勉強がお好きではないようで、側近達がエーレンフェストにディッター物語を古語で出してほしいと零していたのを耳にしました」

「ローゼマイン様は今年どのような本を貸してくださるのでしょうか。とても楽しみですね。わたくし、恋物語が楽しみでなりません」

「あら? ローゼマイン様はアウブ・アレキサンドリアですよね? 御本を貸し借りするのはアレキサンドリアですか? それとも、エーレンフェストでしょうか?」


 他の方々の言葉にハッとしました。わたくしは「エーレンフェスト本」と呼んでいたので、エーレンフェストと本の貸し借りをするつもりでしたが、ローゼマイン様はすでにアレキサンドリア所属です。もしかすると両方と本の貸し借りをすることになるのでしょうか。


「コルドゥラ、わたくし……」

「アレキサンドリアに新しい本があるかどうかはわかりませんが、他領と交換するための本は数冊、アウブよりお借りしているので問題ございません」


 コルドゥラの準備の良さに胸を撫で下ろしていると、調合を終えたらしいラザンタルクが数名の騎士見習いを率い、顔色を変えて多目的ホールへ入ってきました。


「ハンネローレ様、ルーフェン先生より新入生歓迎ディッターに参加されないと伺いましたが……」

「ラザンタルク、無作法でしてよ」


 コルドゥラの指摘にラザンタルクと騎士達がわたくしの前に一斉に跪きました。無礼を詫びて、丁寧な言葉で質問します。新入生歓迎ディッターにどうして参加しないのか、と。


「どうして、と言われても……。わたくし、今まで新入生歓迎ディッターに参加したことはありませんし、今年もその時間帯は講義準備の調合を行う予定なのです」


 新入生歓迎ディッターに参加する者達にできるだけ調合室を優先的に使わせているので、参加しない者はディッター中に調合を行うのです。わたくしにとっては例年通りなのですが、ラザンタルクは栗色の目を見開いて衝撃を受けたような顔をしています。


「我々は本物のディッターを経験したハンネローレ様とぜひ共にディッターを行いたいと思っていたのですが……」

「残念ですけれど、側近達もわたくしは不参加ということで予定を立てています」


 領主候補生であるわたくしが気分によって予定を変えると、準備を行う周囲の者が大変なのです。その程度のことがお兄様の側近であるラザンタルクにわからないはずがありません。しょんぼりと肩を落とされても困ります。


 ……どうしようかしら?


 わたくしがコルドゥラを振り返ろうとした瞬間、ラザンタルクが「で、では……!」と明るいオレンジの頭をバッと上げました。栗色の目にはどことなく縋るような感情が透けて見え、わたくしは思わず目を逸らしたくなりました。ラザンタルクがこういう目をしている時は非常に厄介なのです。


 ……領主候補生の魔力量で攻撃された時に護衛騎士がどうすればよいのか試すための訓練に付き合わされて大変な目に遭ったこと、わたくし、まだ忘れていませんよ!


 お兄様に攻撃させればよいのに、主を守るための訓練だという理由でなし崩しにお兄様とわたくしの側近でディッターを行うことになったのです。昔を思い出して警戒している間も、ラザンタルクはじっとわたくしを見つめています。


「ハンネローレ様が参加されなくても構いません。ですが、ぜひ新入生歓迎ディッターを見に来てください。私はできる限りの活躍を見せます。私は本物のディッターに参加されたハンネローレ様に相応しい男として周囲に認められたいのです」


 まぁ! と周囲から華やいだ声が上がりました。「まるで恋物語のよう……」と囁き合う声も聞こえます。


 ……そうですか。周囲から見れば、そのように見えるのですか。


「フェルディナンド様とハイスヒッツェがディッターによって友情を育んだように、ローゼマイン様とハンネローレ様もディッターによって友情を育まれました。私はディッターでハンネローレ様との愛情を育んでいきたいです。そして、私はハンネローレ様と結婚し、アウブ・アレキサンドリアの友人としてお二人が行うディッターにぜひ参加させていただきたいのです!」


 ラザンタルクは少し頬を染めて誇らしそうな顔をしています。「なんて素敵……」と目を輝かせている者がいます。ですが、わたくしは何だかガッカリしました。これがラザンタルクにとっては最上級の求愛の言葉なのかもしれませんが、わたくしが望む未来とはずいぶんとかけ離れています。


 ……ラザンタルクの望みはアレキサンドリアとのディッターではありませんか。


 ダンケルフェルガーの中だけでディッターを楽しむならばまだしも、成人後にアレキサンドリアとディッターを行うなどあり得ません。わたくしと結婚したところでラザンタルクの望みが実現することはないでしょう。


「婚約者候補になった途端、活躍を見せようとしてくるなんて、ラザンタルクは素直で可愛らしい方ですね」

「ラザンタルク様が求愛の魔術具を準備してくださったら、きっとハンネローレ様も感激したでしょうに……」

「今度ラザンタルク様に恋物語を貸して差し上げなければ……。ハンネローレ様がお好みのお話はどれだったかしら?」

「ハンネローレ様、これほど望まれていらっしゃるのですから新入生歓迎ディッターを観戦しなければなりませんね」


 わたくしは軽やかで華やいだ声に囲まれていることで、段々と気が重くなってきました。できるだけ早く多目的ホールを立ち去った方がいいでしょう。恋物語のお話をするのは好きですが、今のラザンタルクのことで様々な質問を受けたり、ラザンタルクを勧められたりするのは精神的にずっしりと重く感じられます。


 わたくしは一度コルドゥラを振り返ると、できるだけ自分の内心を見せないようにニコリと微笑んで立ち上がりました。


「時の女神 ドレッファングーアの糸が交われば訓練場へ向かうつもりです。ラザンタルクもドレッファングーアにお祈りしていてくださいませ」


 調合が終わって時間があれば向かいます、という曖昧な返事でもラザンタルクは嬉しそうな笑みを浮かべます。明るい笑顔が何だかとても重く感じられました。できれば新入生歓迎ディッターへ行きたくないと思っていたため、わたくしはラザンタルクの笑顔にひどい罪悪感を覚えながら多目的ホールを出ます。


 ……ごめんなさい、ラザンタルク。ディッターのために結婚したいと言われても、わたくしは全く嬉しくないのです。


 自室に戻ると、コルドゥラが苦笑気味に口を開きました。


「姫様、ダンケルフェルガー内で伴侶を決めるということは急なお話ですから気が進まないのはわかりますが、一度きちんと候補者と向き合ってみなければ今の御自分にとって納得できる答えは出ませんよ」


 わたくしは少し唇を尖らせました。ディッター観戦のお誘いを受けても嬉しいとは思えません。婚約者候補として良いところを見せたいのであれば、ディッター以外で見せてほしいものです。




 新入生歓迎ディッターが行われている時間、わたくしは予定通りに調合室で講義の準備をしていました。ディッターに参加していなくても見学している者が多く、見学もしない者は普段から個人の部屋に引き籠もっている者がほとんどなので調合室はガランとしています。


「これで終わりですね」

「では、姫様。観戦に参りましょう。お約束を破ると、光の眷属に嫌われますよ」


 人がいなくて集中できるので、すぐに調合は終わってしまいました。気は進みませんが、新入生歓迎ディッターの観戦へ向かわなければならないようです。


 ……わたくし、これほどお祈りしているのにドレッファングーアには嫌われているのかも知れません。


 わたくしが足取り重く自室へ戻り、ゆっくりと訓練場へ向かっていると途中でケントリプスに出会いました。他領であれば騎士と見間違えられるような体格のケントリプスが、わたくしの側近達の許可を得て近付いてきます。


「ハンネローレ様、ケントリプス様が観戦にご一緒したいそうですよ」

「わたくしは構いませんけれど……ケントリプスは新入生歓迎ディッターには参加しなかったのですか?」


 武寄りの文官見習いがディッターに参加できる機会はそれほど多くありません。特に今年は情報収集に奔走することになるので、講義を終えた後にディッターの訓練に混じるのも難しくなります。ケントリプスは絶対に新入生歓迎ディッターに参加していると思っていたので、寮内にいることに驚きました。


「ハンネローレ様こそ本物のディッター参加者ですから、今年は参加をねだられたでしょう? 不参加を知ったラザンタルクが悔しがっていましたよ」


 ケントリプスとラザンタルクは異母兄弟ですが、まるで親友同士のように非常に仲が良いのです。ケントリプスの母親もラザンタルクの母親も他領の者で、ダンケルフェルガーの風習に馴染めるように協力し合っていたせいでしょうか。


「わたくしのことはいいのです。文官が参加できるディッターはそれほど多くはないでしょう? ケントリプスはあれほどディッターに参加できる機会を窺っていたではありませんか」


 昔のことを思い出しながら尋ねると、ケントリプスが少し驚いたようにわたくしを見つめた後、小さく笑いました。その後、わたくしの手を取り、訓練場に向かって歩き始めます。


「時が経てば人は変わるものです。情報収集に面白さを感じている今の私は、寮内で行われるディッターに大して興味はありません。それぞれの騎士の癖を見たり、魔術具の用法を考えたりするのは楽しいと思いますが、エーレンフェストと行った嫁盗りディッター程の高揚は感じられませんから」


 自らがディッターに参加するのではなく、観戦して情報収集を行いたいと言ったケントリプスを見上げてまじまじと見つめました。新入生歓迎ディッターに沸き上がる寮内で今まで聞こえていた言葉に、そのような物はありませんでした。まるでお父様の文官達のような物言いに少し不思議な気分になったのです。


「……私だけではなく、ハンネローレ様もずいぶんとお変わりになりました」

「そうでしょうか?」


 わたくし自身はあまり変わったとは思っていないのですけれど、周囲からはとても変わったと評されています。わたくしが自分を見下ろすと、ケントリプスが「領主候補生らしくなられました」とからかうような口調で言いました。


「私は最上級生として寮に到着すると同時に採集場所を確認し、癒やしが必要であればルーフェン先生やハンネローレ様に協力をお願いしなければならないと考えていたのです。ですが、ハンネローレ様が皆に声をかけて採集場所を回復してくださったとルーフェン先生から伺いました。最終学年の者達を代表して感謝申し上げます」

「……お兄様がいた頃は、学生達をまとめる仕事は基本的にお兄様任せでしたからね」


 お兄様が卒業したことで、意外と多くのことをお兄様がこなしていたことを知ったのです。そういう意味では去年の一年間が大変でした。お兄様が次期アウブなので、お仕事を奪うようなことはなるべくしないように、と言われていたのですが、卒業後を考えて少しは教えてもらっておくべきでした。


「それだけではなく、幼い頃から存じている私にはあの泣き虫姫が恥を雪ぎ、友人を救うためとはいえ、本物のディッターに自ら参加するなど……とても信じられませんでした」


 ケントリプスの灰色の目が懐かしそうに細められています。洗礼式前後によく呼ばれていた「泣き虫姫」という渾名が何だか恥ずかしくなってきました。


「あの時は……あれが一番適当だと思ったのです。本物のディッターに参加したことがずいぶんと評価されていますけれど、わたくし自身がディッターを求めているわけではありませんよ」


 あの時はローゼマイン様とエーレンフェストからもたらされた全ての情報に関して裏付けを取るための時間もありませんでした。ローゼマイン様が嘘を吐いてはいないだろうと判断できても、隠していることはあるかもしれません。


 ……グルトリスハイトを持っているらしいことを仄めかしてはいらっしゃいましたが、アウブが使用する水鏡越しのお話だけでは証拠がありませんでしたから……。


 ローゼマイン様が次期ツェントになるならば、戦力に出し惜しみはできませんし、領主一族が騎士達を率いた方が良いのです。けれど、中央にも危機が迫っているならばアウブや次期アウブは中央を守るべきで、アーレンスバッハへ出すことはできません。また、中央との連絡が上手くいかなかった場合はアーレンスバッハへ向かうことで何か咎めがある可能性もゼロではありませんでした。


 ディッターの恥を雪ぐため、そして、友人であるローゼマイン様のために……。そのような理由付けが可能で、いざという時にはディッターにおける汚点があって切り捨てることが可能であるわたくしが先頭に立つことが最も適当だったのです。


「状況を考えれば適当でも、私の知っている泣き虫姫ならば本物のディッターで先頭に立つようなことはできなかったでしょう。同様に、このような複雑かつ混乱した状況下では泣き虫姫が他領へ嫁入りするのは難しいと思いました」


 先を進む先導の側近が訓練場の扉に手をかけました。扉が大きく開かれた瞬間、ディッターへの興奮と叫び声、熱の籠もった声援、様々な物音が一気に流れ込んできます。あまりにも大きな音で思わず耳を押さえてしまいたくなる喧騒の中、ケントリプスが少し身を屈めるようにして囁きました。


「ハンネローレ様が変わられたのであれば他領へ嫁入りすることも考えてはいかがですか? どうしても嫁ぎたい先があるならば、できる限りの協力はいたします」

「ケントリプス?」


 ダンケルフェルガー内で婿を探せと言われている中、当の婚約者候補から他領へ嫁ぐことを提案されて、わたくしは目を瞬きました。思わずケントリプスを見上げると、「席へ向かいましょう」とエスコートされます。

 お兄様の意地悪が度を過ぎると、それとなく庇ってくれていたケントリプスの灰色の目に今は何の感情も映っていないように思えて、わたくしは少し顎を引き、警戒混じりにケントリプスを睨みました。何か試されているのかも知れません。


「ケントリプスはわたくしにコリンツダウムへ嫁げとおっしゃるのですか?」


 観覧席に座ったわたくしは隣の席のケントリプスに盗聴防止の魔術具を渡しながら「いくら何でもひどいでしょう」と不満を述べます。お兄様の側近であるケントリプスならばジギスヴァルト様のなさりようを知っているはずです。わたくしがダンケルフェルガーに留められることになった一番大きな理由がコリンツダウムからの申し入れなのですから。


「いいえ、コリンツダウムではなく、ハンネローレ様の望む領地のつもりだったのですが……」

「それが容易であれば、お父様はお嫁に出したと思いますよ」


 魔術具を握ったケントリプスが何かを考えるように腕を組み、しばらくディッター場を見下ろしています。わたくしも飛び交う騎獣を見下ろしました。敵味方がわかるようにマントの上から色の違う布を付けていますが、全員が全身鎧です。騎獣の形や色が珍しければ判別できる者もいますが、大半はよくわかりません。


 ……あれがラザンタルクかしら?


 ダンケルフェルガーらしい青色の天馬を見つけたところで、「アウブやレスティラウト様は……」というケントリプスの声が聞こえて、わたくしはそちらに視線を向けます。


「ハンネローレ様をダンケルフェルガーに留めたいようですが、ハンネローレ様が留まろうとすることで生まれる火種がないわけではありません」


 ディッター場へ視線を向けたまま、ほとんど唇を動かさずにケントリプスが言いました。


「わたくしが留まることで生まれる火種とは何ですか? どういう意味ですか?」

「確証が持てない情報で徒にハンネローレ様を混乱させるつもりはございません」


 薄く微笑んでそれから先の話を断ったケントリプスが、話題を強制的に終了させるように目の前の騎士達を指さしながらラザンタルクの位置や動きについて述べ始めました。けれど、そのように思わせぶりに情報を隠されて気にならないわけがありません。


「ケントリプス、確証が持てなくても構いませんから教えてください。わたくし、気になってラザンタルクの活躍など全く目に入りません」


 わたくしがそう言うと、ケントリプスは少しの迷いを見せた後でわたくしに向き直りました。


「私の欲しい情報と交換であれば……」

「ケントリプスが欲しい情報ですか?」

「はい。領主候補生コースの講義中に他領が次期アウブについてどのように考えているのか、情報を得ていただきたいと存じます。上級文官見習いである私には立ち入ることが不可能ですから。その情報と引き換えに、であれば……」


 悔しそうにも聞こえる声の響きが妙に懐かしく聞こえました。騎士見習いの選抜に漏れて文官見習いになったためにケントリプスは、ディッター関係でできなくなったことがいくつもあり、その度に少し悔しそうな声を出していたのです。どうやら今は領主候補生コースでの情報を得たいのに得られないことが悔しいようです。

 わたくしが思わずクスと笑いを零すと、ケントリプスが「何でしょうか?」と不可解そうに眉をひそめました。


「いいえ。ケントリプスの変わらないところを見つけて少し懐かしくなってしまっただけです」

「私は変わらない、変えられない部分も多いです。……そうは言っても、ラザンタルク程ではありませんが」


 ケントリプスが懐かしむような声を出しながら、青色の天馬を指さしました。こちらに気付いたのか、大きく手を振り回しています。わたくしも思い出しました。「レスティラウト様にお仕えしてディッターをするのだ!」と腕を振り回していたラザンタルクの姿を。


 ……ラザンタルクは本当に変わっていませんね。


「わかりました。情報を得てきましょう。ですから、必ず教えてくださいませ」




「ルーフェン先生! 一刻も早く実技を終わらせて、私もディッターに参加したいです!」


 新入生歓迎ディッターを終えた後の夕食の席で、新入生として入寮した領主候補生のラオフェレーグが十歳らしく紫の目を輝かせながら拳を握ってそう叫ぶと、一年生からは賛同の声が上がりました。第二夫人の息子であるラオフェレーグは、まとう色合いは違えどもお兄様やラザンタルクの幼い頃の容貌によく似ています。何というか、やんちゃ盛りという印象ですね。


 ……きっとお兄様も一年生の頃はこのような感じだったのでしょう。


 予定通りに一年生のやる気に火を付けることはできたようで、ルーフェン先生は満足そうです。


「あぁ。其方等は今のうちに心ゆくまでディッターを楽しんでおくといいぞ。婚姻して他領へ入ると、領主一族はもちろん、騎士とはいえダンケルフェルガーほど頻繁にディッターはできないからな」

「えぇ!? そんな!?」

「騎士がディッターをしなければ何をするのですか!?」


 ディッター熱に浮かされている者達に対してひどい言葉のように思えるかもしれませんが、こうして騎士見習い達に現実を見せることも大事なのです。現実を知った上で他領へ向かわなければ、結婚相手に大変な迷惑をかけることになります。ダンケルフェルガーの騎士達が他領へ出たがらない現実からは少し目を逸らしながら、わたくしは新入生歓迎ディッターの夜が例年通りに進んでいることを微笑ましく感じていました。


「ハンネローレ様」

「何でしょう?」


 ラオフェレーグの呼びかけにわたくしがカトラリーを置くと、ラオフェレーグは真っ直ぐにわたくしの席へ向かって歩いてきました。唐突すぎるラオフェレーグの行動にハイルリーゼを始めとした護衛騎士達が警戒の態勢を取り始めます。


 新入生歓迎ディッターの熱狂に包まれていたダンケルフェルガーの学生達が「一体何が起こるのか」と興味深そうに見つめる中、ラオフェレーグはわたくしの足下に跪きました。今はダンケルフェルガーの青いマントに金髪の頭しか見えません。今まで接点がほとんどなかった異母弟の突然の行動に、わたくしは不安が胸に広がっていくのを止められません。


「ラオフェレーグ、何を……」

「天上の最上位におわす夫婦神のお導きにより、私は貴女に出会えました。ハンネローレ様には私の光の女神であってほしいと願っています」


 キリッとした表情で言われた言葉がすぐには理解できなくて、わたくしは軽く眩暈がするのを感じました。周りがざわついたことで、空耳ではなかったことが知れます。けれど、これは求婚の言葉です。ラオフェレーグは意味がわかった上で言っているのでしょうか。


「……大変申し訳ございません、ラオフェレーグ。わたくし、よく聞き取れませんでした。何とおっしゃったのかしら?」


 わたくしが目をゆっくりと開け閉めしながら首を傾げると、ラオフェレーグは「お断り」の空気を察したのでしょう。慌てた様子で言葉を重ね始めました。


「私が年下過ぎることは百も承知ですが、ハンネローレ様はダンケルフェルガーに留まるために領地内で婿を探すと伺っています。私もぜひ本物のディッターを経験したいと思っているので、ハンネローレ様の婚約者候補に入れてください。本物のディッターに参加されたハンネローレ様ならば、私の熱い思いを理解してくださると信じています」


 十歳の少年のディッターにかける情熱は理解できますが、求婚は理解できません。そもそもほとんど交流もなかった四歳も年下の異母弟の求婚を本気で受け取れるわけがないでしょう。


「ダンケルフェルガーで留まるように、とわたくしがアウブから申しつけられた時に婚約者候補の名前を伺いましたけれど、ラオフェレーグの名前はなかったはずです」

「それでも、ぜひ! 婚姻で他領へ出ることになればディッターができなくなってしまうではありませんか!」


 ……またディッターですか。もしかすると、わたくしはディッターのおまけなのでしょうか。


 アウブの名前を出しても止まろうとしないラオフェレーグの暴走をどのように扱うのか、学生達が静かにわたくしの言動を見定めようとしていることを視線で感じます。今この場でコルドゥラの方を振り返ってはならない空気があります。


 ……でも、どうしましょう? 四歳も年下の異母弟から求婚を受けることがあるとは思わなかったので、対処の仕方がわかりません。


 ここで扱いを間違えると、しつこい求婚の課題請求が始まるでしょう。ゴクリと息を呑んだ時、「ラオフェレーグ様」と呼びかけながらケントリプスとラザンタルクがゆっくりとこちらへ歩いてきました。


「新入生歓迎ディッターを観戦すれば新入生は熱くなるものですが、海の女神 フェアフューレメーアの祝福が足りなかったのではございませんか?」


 子供がはしゃぎたいのはわかるが頭を冷やせ、という意味の言葉を丁寧に言いながらラザンタルクがわたくしの右側に、ケントリプスが冷笑を浮かべてラオフェレーグを見下ろしながらわたくしの左側に立ちました。


「領主候補生とはいえ、アウブの決定に口を挟むものではありません。選択肢に入りたいのであれば、先にアウブへお話を通すべきでしょう」

「上級貴族が領主候補生同士の話の邪魔をするのか? レスティラウト様の側近はずいぶんと高慢ではないか。控えよ」


 身分を前提に考えれば、確かに領主候補生同士の会話に許可なく割り込むのは非常識で無礼な行為です。けれど、憤慨するラオフェレーグの声を聞いても、二人は退こうとはせずにラオフェレーグの側近へと視線を向けました。


「お話の内容がハンネローレ様の婚姻に関わることであれば、アウブより婚約者候補としてお話をいただいている我々には参加する権利があるのですよ、ラオフェレーグ様。貴族院に入学したばかりではご存じないかも知れませんが、求婚の申し入れの前に諸々の手順について側近から教育を受けた方がよろしいかと存じます」


 じろりとラオフェレーグの側近達を睨みながらケントリプスがそう言いました。他領の領主候補生からの申し入れがあっても、わたくしを守る者が領主候補生という立場に遅れを取らないように二人が婚約者候補として定められたのでしょう。


 ……まさか貴族院が始まる前に自領の領主候補生に対処することになるとはお父様も思わなかったでしょうけれど。


 お父様とお兄様の気遣いを感じて、わたくしはそっと息を吐きました。ここでラオフェレーグの申し出はしっかり断っておいた方が良いでしょう。


「わたくし、手順も知らない子供の求婚を受けるつもりはありませんよ」




 わたくしは年齢差を理由にしっかり断ったと思ったのですけれど、後でコルドゥラに注意されました。


「姫様のお相手はアウブが決定するので、わたくし共が姫様にお教えした対応は他領の殿方に対するものでした。大変間が悪かったといえる事態ですが、姫様の断り文句では手順を踏めば問題ないと判断するのがダンケルフェルガーの男ですよ」


 ……それは、つまり、ラオフェレーグへの断りにはなっていないということではありませんか!?


三年生の時の嫁盗りディッターの後、レスティラウトの側近とは少し距離を置いていたハンネローレ。

婚約者候補達とは今の距離感や考え方を探り、探り……。

というところで、ディッター目当てで名乗りを上げた新たな求婚者。

早く貴族院が始まってほしいけれど、ラオフェレーグの言動に頭の痛い予感がするハンネローレでした。


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― 新着の感想 ―
はっきり言えば良いのだ。 「わたくしはディッターを好まない」と。 ダンケルフェルガーの領主候補生としてそうは言えないのかもしれないが。  「ディッターの強さで選ぶつもりはありません」  「ダンケルフェ…
>お父様が言い出した「シュタイフェリーゼより速く」という言葉、すっかり定着しましたね。 うんまあ、発端は貴方のお友達ですけどね。 ハンネローレは、一日神殿長体験ならぬ、一日他領領主候補生体験をした…
ダンケルフェルガーの男子マジむさ苦し…
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