4-31 1対8
チュティに威圧されて黙るしかないグレンとは異なり、『名もなき祭壇』の子供達は彼女の提案について話をしていた。
「俺はあんま乗り気がしねえなー」
意外なことに、否定的な意見を最初に口にしたのはアギトである。彼は戦うことに楽しみを見出しているはずなのだが、今回の件に関しては首を傾げていた。
「珍しいな、アギト。お主がそのような事を言うとは」
「なんつーか、複数で1人をボコるってのはなー・・・。ボコれるかどうかは置いといてよー」
シンの言葉にもそう返事をする。
アギトが好むのは、対等な条件での戦いであるようだ。
「それについては某も同意だ。そのような真似をせずとも、師匠には指導していただけるのだからな」
かなり個人的な願望が入っていたが、シンも全員での戦闘に否定的な立場であることを明かす。チュティの提案に対して、少年2人はあまり興味を示せなかったようだ。
それでも1人、全員で戦うという状況に興奮している者がいた。
「ま、まさに聖戦・・・!我が渇望せし絆の証・・・!」
このために『名もなき祭壇』を一部隊のような位置づけにしたとでも言わんばかりに、ニャオが爛々と瞳を輝かせている。鼻息も荒く、胸の前で握られた両拳は力強い。
「クーちゃん!クーちゃん!!」
「え・・・!?ニャーちゃん、やる気なの・・・?」
全力の肯定を伝えるかのように、ニャオは何度も頷く。背中の翼もうるさいくらいに羽ばたかせており、今ならば本当に飛べそうな程であった。
「ん~~~~~~~~~~~~~~~~~・・・・・・じゃ、しょうがないか」
そのような姿を見せられたとあっては、クーリエも嫌とは言えない。彼女自身はあまり気が進まなかったが、大切な友人の意見に異議を唱えるつもりもなかった。
「はいはい、みんなー。隊長のニャーちゃんが戦うって決めたわよー」
「おい、なに勝手に話を進めてんだ」
だがそこで、ルキヤが不服を口にする。
そうくるだろうと予測していた少女は、大して表情も変えずに少年に言葉を返した。
「なに、ルキヤ君?まさか、さっきの会話を繰り返すつもり?」
「馬鹿。確かに俺が従う必要はないが、そういう事を言ってるんじゃない。誰か1人くらい、あのおっさんの力を警戒する奴はいないのか?本気を出されて、こっちに被害が出たらどうする」
「怖いの?」
「そういう安い挑発はやめろ。俺が話しているのは現実的な問題だ」
面倒臭いという理由もあるのだろうが、ルキヤは冷静に互いの戦力を比較した上で考え直すよう促していた。チュティの魔法による弱体化を受けていたのにも関わらず、あれだけの戦闘力を発揮したグレンの脅威を、彼だけが正しく認識しているように思える。
他の子供達はグレンに対して少なからず親しみを覚えているため、危機感が欠如してしまっているのかもしれない。
「下手に追いつめて意図しない反撃を受けてみろ。治す暇もなく死ぬことだってあるんだぞ」
「あ、それだったら俺も全員で戦うのは遠慮するわ。俺の体は回復魔法も効かないし」
自身の体質もあってか、ユーヴェンスがルキヤの意見に賛同する。
彼の場合は今この場での深手が死につながる危険性もあるため、誰も非難できないくらいに正当な拒否であると思われた。
「うふふふ。お二人とも、心配のし過ぎですわ」
しかし、それを笑うのがチュティという少女である。ただ蔑むような嫌味はなく、あくまで過剰な反応を楽しんでいる感じではあった。
「おじさまがそのような失態を犯すはずありません。私達全員を相手にしても、きっと上手く立ち回ってくださるに違いありませんわ」
そしてこの言葉は、少女の心からの本音である。グレンならば自分達の総攻撃を受けたとしても、反撃せずに対処できるだろうと心の底から信じていた。
それだけ彼の実力を買っていると言える台詞ではあったが、それは別に『無事に』という意味ではない。
チュティは自分を含めた『名もなき祭壇』の実力を過小評価しておらず、いかに相手がグレンと言えども、反撃してこないのであれば幾らかの損傷を与えられると考えていた。
攻撃を受けずに自分達だけが相手を傷付ける権利を持つ、という圧倒的に有利な状況で戦うのだから、別段おかしな発想でもないだろう。
最終的には負けに等しい結果にはなるかもしれないが、そんなことなど彼女にとっては興味の外。チュティは純粋に、グレンを困らせたいだけなのである。
「お前・・・極悪だな・・・・」
それら全てを察したルキヤは、非情とは異なる少女の悪徳ぶりに引いてしまっていた。チュティは可憐な笑みを浮かべるだけで、仲間からの苦言に何かしらの感情を覚えた様子は見られない。
「それに、このまま出番がないとあってはマテリアナさんが可哀想です」
代わりに発せられた台詞には、グレンの知らない名前が含まれていた。誰だ、と聞こうとしたが、一瞬そう考えてしまったために後れを取る。
「それでも構わないって言ったのはあいつだろうが。俺には関係ないね」
「まあ、ひどい。ルキヤさんの心には優しさという物がありませんの?」
「例え冗談でも、お前に言われると本気でむかつくから止めろ」
「もう、つれない方。――クーリエさんからも何か仰ってやってくださいな」
言葉とは裏腹に、ルキヤの不快気な表情を見れて上機嫌なチュティは、何故かクーリエに話を振る。しかしそれを不思議に思ったのはグレンだけで、少年少女の間に疑問は見られなかった。
「う~ん・・・あの子はルキヤ君の言う通り、それでも問題ないと思うわよ?それよりも重要なのは、ニャーちゃんがどうしたいかよ」
「お二人は本当に仲が良いのですね。美しい友情ですわ」
「ちょっと待て、それで片付けるな。俺らにとっては迷惑でしかないんだよ」
「仕方ないでしょ。ニャーちゃんは隊長なんだから」
「いつの間にかそうなってただけだろうが。――おい、お前らも何か言え」
このままでは埒が明かないと判断したルキヤは、先ほど全員での戦闘に消極的な発言をしたアギトとシンに助力を請う。2人は互いに顔を見合わせ、どうしたものかと目で相談していた。
「2人はニャーちゃんの指示に従うわよねー?」
クーリエにそう凄まれても、少年達は即答できない。それくらいには悩んでいるという事であり、彼らの考えも揺らいでいるように思われた。
「ニャーがやりたいってんなら、付き合わないわけじゃねえけどよ・・・」
「うむ・・・一応、某達の隊長であるわけだからな・・・」
ルキヤは仲間内での上下関係を軽んじていたが、アギトとシンは違うようであった。部隊の長である少女の決定に従う意思を、多少なりとも見せてくる。
「アギトはともかくお前もかよ、シン・・・」
「そう言うな、ルキヤ。こういった時、部隊を率いる者に従うのは必要なことだ」
「だから『名もなき祭壇』は正式な部隊じゃねえだろ。仮にそうだったとしても、従った方が危険な場合は意見をするのが普通だ。俺はそれをしているだけなんだよ」
「なんだよ?ビビってんのか?」
何も考えずに口を挟んだアギトに、ルキヤは軽い苛立ちを覚える。もし嘲るような言い方だったならば、殴りつけていた所だ。
「この馬鹿が・・・。お前の頭の中にはこれまでの会話は記録されてないのかよ・・・」
「別にそんな難しく考えなくてもいいじゃねえか。お前だって負けっ放しは嫌だろ?」
「・・・・ちッ」
苛立たし気に舌打ちを返したルキヤであったが、反論しない所を見るに再び図星を突かれたようであった。彼の場合は自分の感情ではなく、常識的な思考が物事を決める際に優先されるのだろう。
良識的な判断ではあったが、それが覆る可能性もあり得そうな雰囲気を醸し出している。
「これで漸く始められそうですわ。よろしくお願いしますわね、おじさま」
仲間内での意見が賛成に傾きつつあるのを受け、チュティはグレンに声を掛けた。その笑顔は愛らしく、誰であろうと願いを聞いてあげたくなるくらいの魅力を含んでいる。
「駄目に決まっているだろう・・・」
しかし、グレンは呆れたように拒否を返した。いつ言おうかと機会をうかがっていた言葉であり、ようやく口にできた事で彼の中に安堵が生まれる。
放っておけば強制的に戦わされる可能性もあったため、チュティが話を振ってくれて助かったといった所だ。もともと、その少女によって引き起こされた事態ではあるのだが。
「・・・何故ですの?」
どことなく不満を滲ませながら、チュティが理由を問い質す。少女の小さな怒りを察したグレンであったが、それで怯むような彼ではない。
「私が君達の実力を甘く見ていないからだ。無論、攻撃を加えるつもりなどない。しかし先程ルキヤが語ったように、咄嗟に手が出てしまう事も考えられる」
「大丈夫ですわ。おじさまでしたら大丈夫です」
「なんだその自信は・・・。根拠はあるのか?」
「私を受け止めてくださった時に感じましたの。おじさまならば、この身を任せても安心だと」
それは顔を赤らめながら発せられた台詞ではあったが、そこに男が喜ぶような要素はなかった。結局、『いいから戦え』と言っているだけなのだ。
「どのように言われても無理なものは無理だ。君達を傷付けてしまう可能性が少しでもあるような事を、私は受け入れるつもりはない」
「あん、流石は大人の男性ですわ。同い年くらいの男の子でしたら、簡単に篭絡できますのに」
なまじ外見が良いだけに、チュティの言葉には説得力がある。その結果どのような事態が引き起こされたのか、教えられなくとも分かるような気がした。
自分も同じ目に遭っては堪らないと、グレンは気を引き締める。
「それでしたら仕方ありませんわね」
そう身構えた矢先ではあったが、意外にもチュティがあっさりと引き下がる。完全に予想外の展開であり、グレンも少しばかり拍子抜けをしてしまった。
けれども歓迎すべき事態ではあるため、異議を唱えるような真似はしない。案外聞き分けが良いのかもな、とグレンは気を緩めるが、それで終わるチュティではなかった。
「では、おじさまのやる気が出るよう、御褒美を付けさせていただきますわ」
「褒美・・・?」
今度は予想外の提案である。思わず聞き返してしまったグレンの警戒心を気にせず、少女は説明を始めた。
「はい。おじさまが『名もなき祭壇』全員との戦いに勝てたのならば、素晴らしい特典を差し上げると、私チュティ・フィラルンの名において御約束いたしますわ」
そのような約束をされても、とは思ったが、匂わせた言い方をされると気になってしまうものである。受ける受けないに関わらず、グレンは内容について聞いてみるだけ聞いてみようと思った。
「ちなみに、その特典とはなんだ?」
「殿方でしたら、どなたでもお気に召すものですわ」
「具体的にはどのような物なんだ?」
「うふふ、気になりますか?おじさまが勝利した暁には――」
そこで、チュティは話し合いを続けている仲間に振り返る。
そしてある人物を指差した後、わざと全員に聞こえるくらいの大きさで、
「――ニャオさんの体を好きにしてくださっても構いませんわ」
と、語った。
その瞬間、誰もが無言で2人に振り向き、静寂が場を支配する。
チュティの話を聞いていなかった者達は言わずもがな、直前まで会話をしていたグレンも理解が追いつかず、短くない沈黙が流れた。
そのため少女はもう一度、
「おじさまが私達に勝てたのならば、ニャオさんの体を穢してくださっても構いませんわ」
と、先程よりも卑猥な表現で繰り返す。
今度は誰もがその言葉の意味を理解し、当事者であるニャオがチュティに勢いよく詰め寄った。
「な、なんでっ!?チュティちゃん、なんでっ!?なんでなんでっ!?」
涙目になりながら必死に抗議するも、チュティの笑顔は崩れない。
「落ち着いてください、ニャオさん。状況を考えれば、至って自然な発想ですわ」
「なーいー!そんなことなーいーっ!」
全力で首を横に振りながら、ニャオは心からの否定を見せる。そんな彼女に対して、チュティは諭すように語り掛けた。
「ニャオさん、『名もなき祭壇』の隊長はどなたですか?」
「え・・・?わ、私・・・」
「そう、ニャオさんですわね。では、それを決めたのはどなたですか?」
「わ・・・私・・・」
「そう、ニャオさんが『どうしてもやりたい』と仰ったんですわよね?」
他にやりたい者がいなかったり、そもそも部隊として認識していない者がいた、というのもある。けれども、事実ではあった。
「う、うん・・・」
「では、今回の任務を喜んで引き受けたのはどなたですか?」
「・・・私・・・」
「そう、ニャオさんですわね。では、失敗に終わった任務の続行を決めたのはどなたですか?」
「・・・・私・・・」
「そう、ニャオさんですわね。では、その責任を負わなければならない方はどなたですか?」
「・・・・・私・・・」
「偉いですわ。そう、ニャオさんですわね。ではそのような状況で、おじさまに『名もなき祭壇』と戦っていただくには、どなたが一肌脱ぐべきなのでしょうか?」
「・・・・・・わ・・・皆――」
「――そう、ニャオさんですわね」
「ええーーーーーーーーっ!?」
ニャオの悲鳴が響き渡る。
チュティはとても楽しそうにそれを聞いているため、一見全て冗談のようにも思えたが、そのように打ち明ける気配は微塵も感じられなかった。
それを見たグレンはなんだか悪い予感がしたため、自分の要望ではない事を急いで言及しようとする。
「おー・・・!じー・・・!さー・・・!んーーー・・・っ!!」
そんな彼に先んじ、地の底から這い出て来るような怒りの声が聞こえた。言うまでもなくクーリエの物であり、グレンは恐る恐るといった感じに少女へと顔を向ける。
槍の穂先が、鋭く輝いていた。
「やっっっっっぱり、ニャーちゃんの体が目的だったのね!この変態!」
「誤解です、クーリエ王女・・・!これはチュティ君が勝手に言っているだけで・・・!」
「ひどいですわ、おじさま。おじさまにやる気を出していただこうと、私真剣に考えましたのに」
「それで友人を売るんじゃない・・・!見ろ、ニャオも困り果てているだろう・・・!」
「ええ。相変わらず良い表情をしますわ」
心底愉快、といった感じにチュティは返す。これまでの態度を思うに、この少女は『名もなき祭壇』の仲間のことも気に入っている――つまりは困らせたい対象に含んでいると思われた。
「クーちゃん・・・クーちゃん・・・・」
「大丈夫よ、ニャーちゃん!ニャーちゃんは私が守ってあげるから!」
けれどもクーリエの中では依然グレンが敵のままであり、縋るニャオを庇うように槍を構える。それを少女同士の美しい友情と感じる余裕がグレンにはなく、どうしたものかと考えた結果、助けを求めるように同じ男である少年達に目を向けた。
しかしそこで、4人の少年が何故か気まずそうにしている姿を視界に収める。どこを捉えるでもなく視線を宙に泳がせており、彼の追い詰められている状況にも気付いていないようであった。
彼らの表情から察するに、チュティの台詞によって知人であるニャオがグレンに手籠めにされる光景を思い浮かべてしまい、妙な気分になっているのだろう。
思春期真っ盛りであるため仕方のない反応ではあるのだが、これでは助力を見込めそうになかった。
「さあさあ、おじさま。ニャオさんの魅力的な体を貪るために戦いましょう」
そして誤解に拍車を掛けるため、チュティが更なる扇動を見せる。それを聞いたニャオは「ぴぃっ!」という悲鳴を上げ、クーリエは「ふしゃーっ!」という獣のような威嚇をした。
これ以上ないくらいに混沌とした状況ではあったが、なんとかして収拾をつけなければならず、グレンはまずチュティを抑える。
「チュティ君、悪ふざけはここまでにしてくれないか・・・」
「なんのことでしょうか、おじさま?」
惚けているのは明白であるため、そのまま話を進める。
「みんな困っているだろう?君の無茶な望みを無理に叶えようとするんじゃない」
「ですが、隊長であるニャオさんも歓迎なさっていましたわ」
確かにそうだった。ならば、説得すべきはチュティではなくニャオか。
そう判断したグレンは、友人の背中に隠れる少女に目を向ける。一瞬びくっとされたのを見て心が傷ついたが、誤解を解くためにも言葉を紡いだ。
「ニャオ、そんなに怖がらないでくれ。私にそのようなつもりはない」
「ほ・・・本当・・・?」
「無論だ。ついでに言わせてもらうが、君達全員と戦うつもりもない。これ以上チュティ君に揶揄われないために、君もそれを了承してくれないか?」
「う・・・うん・・・・」
意外とあっさり解決したなと、グレンは胸を撫で下ろす。そのやり取りの中間にいたクーリエも、彼に向けていた槍を引っ込めた。
「なーんだ。結局、戦わないのね」
「む・・・クーリエ王女・・・まさか・・・・」
「そうよ。おじさんと戦うみたいだったから、ちょっとやる気を出してみました」
どうやらグレンへの敵対心は演技だったようである。2本指を立てて悪戯っぽく笑う姿からは、すでに怒りの感情はなくなっていた。
それでさらに安心したグレンであったが、ふいにぼそっと、
「・・・・つまらないですわ・・・」
という呟きを耳にする。
間違いなくチュティの物であり、まだ何か抵抗を見せるような気配があった。
「はいはい、みんなー。ニャーちゃんが戦うのを止めたわよー」
そんな彼の不安をよそに、クーリエが淡々と仲間に向かって報告をする。それを聞いた少年達はわざとらしいくらいに佇まいを直しており、自分の中にある如何わしい想像を振り払っているように見えた。
「そ、そうか・・・。ニャーが言うんなら・・・しょうがねえな・・・」
「そもそも、師匠に全力を出していただくということ自体が分不相応・・・。当然の判断と言える・・・」
動揺の痕跡を残しながらも、アギトとシンが隊長の指示に従う意思を見せる。もともと全員での勝負に消極的であったため、特に抵抗のある判断ではなかった。
「やれやれ、これでやっと帰れる」
「まあ、ちょっと惜しい気もするけどな」
「戦う気のない奴がなに言ってんだ」
ルキヤとユーヴェンスも異論はないようで、ニャオの判断をすんなりと受け入れていた。
そんな少年たちの反応を見て、やはりチュティが不満気な表情をする。
「皆さん、本当にそれでよろしいんですの?」
比較的落ち着いた口調ではあったが、その言葉からは思惑通りにいかない事による苛立ちを感じられた。けれどもそれで意見を変える者はおらず、誰もが口を閉ざしている。
「――アギトさん」
「お、おう?なんだ?」
その中の1人であるアギトの名を、チュティは呼んだ。突然の行いに少年は疑問の声を返し、少女の言葉に耳を傾ける。
「そのようなことで、アギトさんの目指していらっしゃる『超将軍』になれるとお思いですか?」
「いや・・・そうは言ってもよ・・・。やっぱり大人数で1人を囲むのは性に合わねえよ・・・」
「まあ、なんて事を。冥王様の仰っていたことをお忘れですか?アギトさんの父君であるガロウ大将軍様も、おじさまには複数人で挑まれたのですよ?必要ならば多勢も厭わない。それが将たる者の器量ではなくって?」
「ん・・・!?それもそう・・・か?」
正直いつの話をしているのか分からないグレンであったが、なんだか雲行きが怪しくなってきたという事だけは理解できた。
少年は腕を組んで悩んでおり、すぐには出せない結論を熟考しているようだ。
「――シンさん」
「む?何用か?」
アギトからの返答を待つことなく、チュティは続いてシンに話し掛ける。
「シンさんはおじさまに弟子入り志願をなさいましたわよね?」
「いかにも。それがどうかしたか?」
「その願いは、受け入れられましたか?」
「む・・・!い、いずれは――」
「なぜ受け入れていただけないか、お教えしましょうか?」
実質的に弟子入りが叶っていない事は自覚しているようで、少女の申し出にシンは口籠る。
少しも待つことなく、チュティは少年に向かって自身の考えを告げた。
「それはですね。シンさんがおじさまのお弟子さんとなるに相応しくないからなんです。弟子として迎え入れるにしても力不足。そう思われているのではないでしょうか?」
「やはり・・・そう思うか・・・?」
「はい。おじさまとの戦いも、あまり良い所を見せられずに終わってしまわれましたからね」
「う、ううむ・・・」
分かっていた事ではあったが、他人から言われると心により重くのしかかるものがあり、シンの顔は暗くなっていった。それとは対照的に、チュティはまるで救い手のように明るい笑みを浮かべている。
「ですが、まだ挽回はできますわ。私達の力を見せつけて、おじさまを見返しましょう」
そう激励されたシンは、アギトと同様に考える仕草を見せる。こちらもすぐには了解しないが、それでも悩んでいるという事であり、戦う意思を見せる可能性があるという事であった。
これはまずい流れになってきたと、グレンが動く。
「チュティ君、これ以上は止めるんだ」
「嫌ですわ」
だが、即座にきっぱりと断られてしまった。苛立ちこそ感じられなかったが、聞く気はないという拒絶が明確に含まれているように思える。
「何故そこまで固執するんだ・・・?」
自分の半分にも満たない年齢の少女に軽い恐怖を覚えつつ、グレンは問い掛けた。チュティはそれに答えるため振り向くと、両手を頬に当て、照れ笑いを浮かべて見せる。
「私、おじさまを見ていると胸がドキドキしますの・・・!きっと、そのせいですわ・・・!」
それは愛の告白とも取れる言葉であり、少女と近しい年頃の男子ならば心ときめかせることもあったに違いない。しかしチュティの本性を知っているグレンには裏があるように感じ、疑いの眼差しを少女に向けた。
それを見て、やはり誤魔化せないと判断したチュティは、態度をそのままに意見を大きく変える。
「おじさまのような強い殿方を地に這いつくばせるのは、きっと心地良い気分になるに違いありませんわ・・・!その古傷を1つ1つ開かせる光景を想像しただけで、全身がゾクゾクしてしまいますの・・・!」
それは恐ろしいまでの本音であった。恍惚とした表情を伴っており、グレンは思わず1歩引いてしまいそうになるくらいの寒気を覚える。
「ですので、諦めるつもりなど毛頭ありませんわ。おじさまの方こそ、諦めてくださいませんこと?」
「う・・・む・・・・」
表情をころころと変え、最終的にそう断言した少女に対してグレンは無意識に頷いてしまっていた。ここで断ったが最後、何故か恐ろしい未来が待っているような気がしたのだ。
「さあさあ、皆さん。おじさまもやる気になってくださいましたわ。あとは私達が決心するだけですわよ」
「ぴぃっ!」
嬉しそうなチュティの報告を聞き、危機が再来したと思ったニャオがまたもや悲鳴を上げる。両腕と両翼で自分の体を抱き締めており、特にグレンに触れられた胸を隠すような体勢を取った。
すかさず、クーリエが槍を構える。
「おじさん!結局ニャーちゃんの体を諦めきれなかったのね!」
力強い威嚇を見せられるが、今度のグレンに動揺はない。
それを見た少女は、不満そうな表情をしながらも大人しく武器を下ろした。
「もー、少しくらい反応してくれないとつまらないじゃない」
「クーリエ王女、楽しんでいませんか・・・?」
「さーて、なんのことかしらー」
誤魔化そうと思っていない惚け方をしつつ、クーリエは微笑む。
「おい、お前ら。なに蒸し返そうとしてんだ」
そんな彼らのやり取りを見ていたルキヤが、当然の如く異議を申し立てた。グレンにしてみれば彼だけが完全な味方であり、心の中で頑張れと声援を送る。
「あら、ルキヤさん?まだ何か御不満でも?」
「まだも何も、俺の不満は何一つ解消されていないんだよ。いい加減に諦めろ。おっさんと戦うなんて無謀だ」
「ルキヤさんはどうしてもおじさまと戦いたくありませんのね」
「さっきからそう言ってるだろうが。万が一を考えて何が悪い」
そう断言され、チュティは小さな溜め息を吐いた。
「それでしたら仕方ありませんわ。ルキヤさんは見学なさっていてください」
「あ・・・?」
思いもがけない提案をされ、ルキヤは怪訝な声を漏らす。それは歓迎すべきものではあったのだが、少女の言葉に少しばかり呆れが混じっていた事から反発してしまっていた。
「おい、それはどういうことだよ?」
「おじさまとはルキヤさん以外の全員で戦うということです。嫌がる方を無理に戦わせるわけにもいきませんから」
だったら自分も見逃してくれないか、とグレンは思ったが、それを言っても無駄だろう。
そして冷静に考えればチュティの意見は適切な妥協案と思われ、ルキヤも不要な反論はしなかった。
「なるほどな。それだったら文句はない。お前達で勝手にやってくれ」
「ああ、ですがどうしましょう?ルキヤさんが抜けるとなると、こちらの戦力が幾分か弱体化してしまいますわ。そうなると、いつ決着がつくか・・・」
しかしそこで、重大な事に気付いたと言わんばかりにチュティが呟く。それに関しては、ルキヤも不満気な表情をした。
「悪いが、俺は待たないぞ。勝負の結果なんて興味ないからな。見学すら面倒だ。1人だけでも帰らせてもらう」
「どうやってですの?」
「ここへ来るまでに乗って来た馬車に決まってるだろうが」
「それでは、私達が帰る際の馬車が足りなくなってしまいますわ」
「知るか。それが嫌なら諦めるんだな」
そこまで言うと、ルキヤは仲間に背を向けて歩き出す。そちら側に少年が話題に出した馬車があるようで、帰る手段をなくしそうな他の子供達は慌てていた。
ただ1人、チュティだけが落ち着いている。
「ルキヤさん」
「無駄だ。これ以上お前らの我が儘に付き合ってられるか――」
「――『乙女の憂鬱』」
少女は持っていた傘をルキヤに向かって構えると、いきなり魔法を唱えた。どうやらそれが彼女にとって杖の代わりなようで、そういった物もあるのかとグレンだけが驚く。
そして、それとは別の要因でルキヤも戸惑い、慌てて振り返った顔には焦りの色が見えた。そして何かを言おうと口を開きかけた直前、少年の体は膝から崩れ落ちる。
「ぐあっ・・・!」
全身が脱力し、両手と両膝を地面に打ち付けるルキヤ。無様な格好ではあったが這いつくばるまでには至らず、少年も意地を見せたようだ。
「少々おふさげが過ぎますわよ、ルキヤさん。仲間を見捨てようだなんて、殿方として恥ずかしくはありませんの?」
「おま・・・え・・・ッ!」
何をする、とルキヤはチュティを睨み付ける。それを見たユーヴェンスが「おいおい・・・!」と急いで駆け寄り、彼に触れる事で魔法を解除した。
体の自由を取り戻したルキヤは全身に汗を掻いていたが、体力を消耗しきったわけではなく、少女を睨み付けながら立ち上がる。
「おい、チュティ・・・!お前、自分が何をしたのか分かってるんだろうなッ・・・!?」
「そんなに怒らないでくださいな。乙女の戯れですわ」
普段は余裕ぶった振る舞いを見せる少年の苛立ちに対し、チュティは楽しそうに返す。それがさらにルキヤの怒りを買い、遂には剣を抜き放ってしまった。
「あら、ルキヤさん?それで何をなさるおつもりなんですの?」
「お前は少し痛い目を見た方がいい・・・!なに、心配するな・・・!傷なら、謝れば治してやる・・・!」
「男の風上にも置けない台詞ですわね。女性を傷付けようと言うんですの?」
「自分に危害を加えてきた奴を、女だからって理由で許すと思うか・・・?恨むんなら、自分の軽はずみな行動を恨むんだな・・・!」
「まあ恐ろしい。自分が勝てると思っている無謀なところが、とても恐ろしいですわ」
正に一触即発。
互いの主張をぶつけ合った結果、少年と少女は争いを始めようとしていた。
それを見たグレンは「またか・・・」といった感想を抱いたが、放っておくわけにもいかず、急いで2人の間に割って入る。
「待つんだ、2人とも・・・!」
そう言ったグレンの左手はチュティの肩を、右手はいつの間にか姿を消して近づいてきたルキヤの腕を掴んでいた。先程まで少女と会話をしていた分身が水となって地面に落ち、本物のルキヤが姿を現す。
「素敵ですわ、おじさま。殿方はそうでないと」
「邪魔すんな、おっさん!あんたもこいつには迷惑してるだろうが!」
不意打ちを防いでもらった少女は感謝を、逆に妨害された少年は文句を口にした。どちらかと言うとルキヤ寄りの立場ではあったが、それを伝えてもこの場は収まらない。
「先程も言っただろう。喧嘩は良くないぞ」
「それはこいつに言ってくれ!先に仕掛けてきたのはこいつだ!」
「ルキヤさんが悪いのですわ。見学だけならまだしも、先に帰ろうとするんですもの」
分かっていた事ではあるのだが、やはり『名もなき祭壇』の子供達は我が強い。それ故に纏まらず、こういったぶつかり合いも日常茶飯事なのであろう。
どちらも躊躇を見せずに攻撃を加えたのが何よりの証拠であり、そこからどちらも簡単には非を認めないだろうと思われた。
「喧嘩両成敗という言葉もある。今回はどちらも悪い。2人とも、相手に謝るんだ」
「嫌ですわ」
「御免だね」
やはり言う事を聞かず、2人そろって拒否を明言する。このままでは衝突は避けられそうになく、喜ばしくない展開を招きそうであった。
このような事に巻き込まれるまでの関係性になった覚えはなかったが、現状を野放しにしておけないのもまた事実である。
なんとかして2人を仲直りさせようと、今度はグレンがある提案をした。
「分かった・・・。ならば、私が君達との戦いに勝てたのならばそうしてくれ」
「はあ?なに言ってんだ、おっさん?」
疑問の声を返したのはルキヤだけであり、チュティは嬉しそうに微笑みを見せている。なんだか少女の思惑通りに動かされたようで不安だったが、結局やることは変わらないため、グレンは自身の考えを告げた。
「チュティ君が『勝った暁には褒美を』と言っていたが、私が勝てたのならば、君達2人とも互いに謝罪をするんだ。それで仲直りとしよう」
「おいおい、なに勝手なこと言ってんだ。俺が戦う義理はないだろうが」
「む・・・まあ・・・確かにそうなんだが・・・」
当然の権利を主張され、グレンは言葉を詰まらせる。そこでチュティが彼を庇うように立ち、ルキヤに反論した。
「ですがそうなると、試合放棄と見做されて、ルキヤさんの不戦敗となってしまわれますわよ?」
「それがどうした?別に構わねえよ。意味のない戦いの勝敗なんて、俺にとっては無価値だ」
「その場合、私達がおじさまに勝ってしまったら、ルキヤさんだけが謝罪する義務を負うことになりますが?」
「理屈になってないな。俺はその話を受けたわけじゃないんだぜ?」
「そのようなこと関係ありませんわ。私の中では、『ルキヤさんが謝らなければならないのに謝らなかった』、その事実が残るだけですもの」
「好きにしろよ。お前にどう思われようが俺は気にならん。それ以前に、お前らだけじゃおっさんには勝てねえよ」
「分かりませんわよ?勝つとは言っても、様々な形がございますから」
「なに?」
ルキヤの疑問の声には軽やかな笑い声で応えるだけに留め、チュティはグレンに向かって優雅な動作で振り返る。そして、華やかな笑みと共に口を開いた。
「おじさま。私、お願いがありますの」
「な、なんだ・・・?」
「ただ単に戦っただけでは、私達がおじさまに勝つのは不可能ですわ。ですので、おじさまが膝を突いたら負け、という決まりにしていただきたいんですの」
「ああ、なんだ。そんなことか。それくらいならば別に構わない」
「お早い決断、称賛に値しますわ」
ルキヤではないが、正直な所グレンにとっても勝敗はどうでもよかった。彼が勝てばチュティとルキヤを仲直りをさせられるが、そのために勝利に固執するかと問われれば首を横に振るだろう。
そもそも最初は勝敗など無関係だったはずであり、彼も戦う気などなかったはずである。子供の喧嘩を見過ごせず、そのせいで戦う流れになってしまったが、もっと良い方法があったのではないかと今更ながらに思い悩んだ。
それでも時すでに遅く、チュティの中では全てが決定事項となっているようだ。再びルキヤに向き直ると、自信に満ちた笑みで語り掛けている。
「という訳です、ルキヤさん。おじさまに膝を突かせるくらいならば、私達でも可能だと思いませんこと?」
「知らねえよ。関係ないことを思考するのも面倒だ」
「関係なくはありませんわ。もし私達が勝ったのならば、ルキヤさんは一生負い目を感じて生きていくことになるんですのよ?」
「やれやれ、こいつは何を言ってるんだか。俺がそんな事を気にするとでも思っているのか?」
「確かに、私との関係が悪化したとしてもルキヤさんは気にしないでしょう。ですが、その情報が国中に広まったらどうなさいますか?」
「は・・・?」
「今回の任務が終わって国に帰り次第、私は我が家の財力を使ってルキヤさんの不義理を国中に広めようと思いますの。それこそ、あらゆる形で、ですわ」
「おい・・・」
「おそらく1日もしない内に誰もが知るところとなるでしょう。ああ、そうなるとルキヤさんの人生に多大な影響が出るに違いありませんわ」
心配だ、と言わんばかりの台詞であったが、その顔には明らかな笑みが湛えられていた。
チュティの生家は超が付くほどの資産家であるため、その気になれば彼女が語った計画を実現するなど容易いことである。それがどれだけ自分の平穏を乱す結果になるか、ルキヤは即座に理解し抗議した。
「おまえ・・・!性悪なのも限度があるだろうが・・・!」
「私は悪くありませんわ。言う事を聞かないルキヤさんが悪いんですの」
批判をすかされ、少年は覆る事のない意思を突き付けられる。こうなったチュティに説得が無意味なのはよく分かっており、そのためルキヤは思考に意識を割いた。
今どのように行動するのが自分にとって一番都合が良いか、それを少年は考える。
そしてその仕草が何を意味するのか、チュティはよく知っていた。
「ちっ・・・。くそ・・・俺も戦えばいいんだろうが・・・」
ぼそっと呟かれた結論を聞き、少女は思惑通りに事が運んだことを喜んだ。ルキヤにとっては不本意な決断ではあったが、こうでもしないとチュティは止まらず、また自身の望みも叶いそうにないと判断したのだ。
それでもグレンに対する脅威は未だ抱えており、一応の意味を込めて忠告する。
「おい、おっさん。下手な真似はしてくれるなよ」
「無論だ」
そして彼としても子供達を傷付けるつもりはないため、少年の言葉に確かに頷いた。
「え?なになに?結局、戦うことになったの?」
そこで、一部始終を見ていたクーリエが確認を取る。
どういった経緯で何のために戦うのか、もはや完全にあやふやになってしまっているが、その認識で正しいとグレンは頷いた。
「そうらしいです」
「お!なんだ!結局、戦んのか!?」
グレンが肯定すると同時に、戦うか否かで悩んでいたアギトとシンも会話に加わる。しかしその問いは彼にではなく、ニャオに向かってされていた。
先程まで怯えていたはずの少女は、これまでの会話を踏まえた結果として、何故か意味ありげな笑みを浮かべている。
「くっくっくっ・・・!今、不浄なる願望は改変された・・・!もはや我が覇道を妨げるものはない・・・!さあ!『罪深き刃』よ!我ら『名もなき祭壇』の裁きを受けるがいい!」
見事な変わり身と言うべきか。気持ちを切り替え、部隊の長たる少女は声高々と宣言をする。
それはすなわち戦闘開始の時が迫ってきているという事であり、7人の子供達はグレンと距離を取って集合した。
「あ、そういや俺、魔力ほとんど残ってねえから」
そしてその時、並んで立つ仲間に向かってアギトが報告をする。グレンとの戦いで少年が持ち得る最大の技を放ったための事態であり、彼の戦闘力が大幅に減衰していることを意味していた。
「は?使えねえ奴」
「仕方ねえだろうがッ!こんなんなるなんて思ってなかったんだからよおッ!」
「ならば、アギトは後ろに控えておいた良いな」
「馬鹿言ってんじゃねえよ、シン!戦う時、俺はいつだって最前線だぜッ!」
「頼もしいですわ、アギトさん。でしたら存分に私達の盾になってくださいね」
「おうッ!――ん?」
「あー・・・俺は後ろで大人しくしとくわ・・・」
「ユーヴェンス君はその方がいいかもね。ここぞって時に参加してくれれば良いから」
「え?参加はしなきゃいけないのか・・・?」
「当然でしょ!皆そろってこその『名もなき祭壇』なんだから!」
「ええー・・・まじかー・・・」
「さあ、皆の者!今こそ、我らの絆を見せる時!」
絆を感じる要素の大分少ないやり取りではあったが、最後にニャオの号令が発せられる。それを合図に全員がグレンに面と向かい、各々が臨戦態勢に入った。
アギトは拳を、シンは7本の刀剣を、ルキヤは剣を、クーリエは槍を構える。魔法使いであるニャオとチュティ、そして下手に傷を負えないユーヴェンスは後ろに下がった。
グレンは今までと変わらず構えない。それでもこれから始まるであろう猛攻に備えるべく、油断など一切ない心持ちで小さな対戦相手を眺めていた。
(しかし、俺は一体なにをやっているんだ・・・)
その状況につい現実的な思考が頭をよぎるが、それを言う適切な時期はすでに逸している。これもまた旅の果ての縁と割り切るしかないか、とグレンは無理矢理に結論付けた。
ふと日の位置を見ると、最後に見た時よりも大きく傾いており、子供達の相手に結構な時間を掛けてしまっていたことを知る。
このままでは同盟軍の砦に帰り着くのが冥王と約束した時間の間際になりそうではあったが、これから始まる戦いの決着を焦るのは禁物だ。
焦りが隙を生むという話ではなく、焦ることによって子供達を傷付けてしまうかもしれないからである。
(ん?そう言えば、どうやれば俺の勝ちになるんだ?)
先ほど敗北条件を提示されはしたが、勝利条件については言及されていなかった。遅まきながらもグレンはその点に気付き、急いで確認を取ろうとする。
しかし、そんな彼の目の前には、すでにクーリエが迫っていた。考え事をしている内に、戦いは始まっていたようだ。
「おじさん、油断し過ぎ!」
装備による強化を含めた単純な速度では一番なのか、同じように向かって来ているアギトとシンを大きく引き離してクーリエが叫ぶ。突き出された槍が燃え盛っており、武器で受けても火傷しそうな勢いであった。
当然グレンは大きく後退し、少女の攻撃を躱す。
「それで避けたと思わないでよね!」
言いながら、クーリエは槍の軌道を変え、穂先を地面に突き刺した。グレンには理解出来ない行動であり、そのため適した対応を取れない。
「――『満ちる炎槍』!」
瞬間、少女を中心に地面から何本もの炎の槍が姿を現す。それは膨大な範囲に及んでおり、グレンも鼻先を掠めるくらいに予想外な攻撃であった。
熱量に思わず顔を顰め、さらに大きく後退せざるを得なくなる。これだけの炎を浴びれば無事では済まないため、直撃しなかったことに安堵した。
「あぢいいいいいいいいいいいいいいいッッ!!!」
そんな彼の耳に地面をごろごろと転がる音が届き、同時にその発生源であるアギトの不格好な姿も視界に収める。どうやら炎の槍をまともに喰らったようで、必死になって体についた火を消しているようであった。
辛うじて範囲外であったシンは表情を凍らして固まっており、アギトのことを助けるような余裕はないようだ。
「あ、ごめーん。大丈夫、アギト君?」
やってしまった、といった感じにクーリエが尋ねる。
なんとか火を消したアギトは『ガバッ!』と起き上がると、少女に指を突き付けた。
「お前ッ!こういう時に、そういう技を使うんじゃねえよッ!」
「だからごめんねって。うっかり」
「『うっかり』じゃ済まねえよッ!本気で死ぬかと思ったわッ!」
舌を出して可愛く悪びれるクーリエに対して、アギトは精一杯の抗議をする。死にそうだったという割には元気であり、少年の頑丈さを窺い知れた。
「馬鹿か、あいつら」
そのやり取りを非難するルキヤの声が、グレンの左側から聞こえる。思わず視線を向けそうになるが、人としての気配がないため本人ではない。
それは囮であり、本命は姿を隠して彼の右手側にいた。そこからいくつもの氷弾が射出されるが、グレンは大太刀を抜き放ち、難なく斬り払う。
「やれやれ、やっぱり無理か」
そう言うと、分身は水と化して地面に落ちた。先の戦闘ではこの状態でも術者の支配下にあったため、グレンはその位置を一応記憶しておく。
「はあッ!」
その直後、立て直したシンが続いた。刀剣の1本を地面に突き刺し、それを足場にして高く飛ぶ。
すぐさま反応し視線を上げるグレンであったが、その下では少年の意思に操られた複数の刀剣が彼に迫っていた。
上下による同時攻撃――かと思えば、そこに接近してきたアギトも加わる。
「おらああああッ!!」
威勢のいい咆哮を発し、グレンに向かって撃ち込まれる全力の右拳。身体能力を大幅に向上させる『雷神特攻形態』は使えず、疲れも残ったままであるため、アギトは気合だけで動いていた。
そして気合だけで動いているため――厳密に言えば頭を使っていないため、仲間の攻撃の直線上にいる事に気付いていない。
「アギト!!」
唐突な出来事に僅かに混乱し、シンは自身の刀剣を制御するのではなく、まず始めにアギトに向かって警告をしてしまった。
このままでは直撃は免れないように思え、そう判断したグレンが動く。
まず、アギトの攻撃を左手で受け、その右拳をがっちりと握ると、少年の体を力づくで自分の前から移動させる。直後に迫った刀剣に対しては、右手に握った大太刀を振るった。
「うおおッ!?」
体を引っ張られたアギトの驚いた声と、剣戟の音が同時に響く。
それを見届けたシンは気持ちを切り替え、落下しながら両手に握る刀剣を相手に向かって振り下ろした。グレンは浮遊する刀剣を弾いた流れで、シンの体ともどもそれを受け止める。
そして、再び金属音が鳴った。
決して小さくない少年の体が空中に制止し、直後にグレンの大太刀に押されることで後ろに大きく飛び退く。弾かれた刀剣が追随しないのは、制御範囲の外にいるからだろう。
今回は先の戦闘とは異なり回収もできるため、シンはまずそれに動くと予想される。ならば少しの間だけは彼を気にする必要はなく、グレンは他の子供達に意識を向ける。
「やあッ!」
そんな彼に向かって、クーリエの横薙ぎが繰り出された。当然アギトのいる左手側からではなく、彼が大太刀を握る右手側からの攻撃である。
防ぎやすい状況ではあったが、今もまだクーリエの槍は燃え盛っているため、近くに寄せるだけでも火傷を負いそうだ。相手の武器に触れられないというのは意外に厄介だな、とグレンは思い、どのように対処すべきかを決めあぐねる。
そしてそれを判断する前に、対処しなければならない別の事態が発生した。槍を振るうクーリエの背後に、闇色の魔弾が迫っていたのだ。
遠くを見ればニャオの「やっちゃった」という顔があり、その状況を見ているシンも慌てた表情をしている。このままでは本来の標的に届く前にクーリエに直撃するのは明白であり、またもやグレンが動かざるを得ない状況になっていた。
(仕方ない・・・!)
グレンは捕まえているアギトともども姿勢を低くし、まず少女の振るった槍を躱す。その際、無理矢理に体を動かされた少年は顔から地面に激突して「うごッ!!」と叫んでいたが、この子ならば大丈夫だろうという無責任な信頼感のもと放置を決めた。
アギトの拳を放し、グレンはクーリエとの距離を詰める。
その僅かな間にも左右の地面から石の槍が飛び出してきたが、拳と大太刀で瞬時に迎撃。これまで見たどの攻撃方法でもない事から、チュティによるものだろうと予測された。
彼女の代名詞とも思える弱体化魔法をまだ使ってこないのが不思議ではあったが、グレンにとっては好都合。
気にしても仕方がないとその思考をすぐに引っ込め、グレンは自身に対して目線でしか反応できていないクーリエを左肩に担いだ。背中が少し熱い気がしたが、この状況では文句も言っていられない。
すぐにその場を離脱し、ニャオの放った魔弾を回避する。その進行方向にルキヤが作ったと思われる氷の壁が出現したが、それも踏み越えて高く飛んだ。
「ちょ!ちょっと、おじさん!どこ触ってるの!」
落下の最中、グレンに担ぎ上げられたクーリエが彼に向かって叫ぶ。咄嗟の行動であったためであろうか、グレンの左手は少女の尻を抑えてしまっていたのだ。
本来ならば即座に謝罪をすべき事態ではあったが、別の事に頭を使っているグレンはその状況と、羞恥から少女が暴れている事にも気付いていない。彼は彼女達『名もなき祭壇』が抱える、重大な欠点に気を取られていたのだ。
(この子達は・・・集団戦闘の経験がないのか・・・!)
そのため仲間の位置を把握せずに攻撃を繰り出すという、致命的な連携不足を見せたのだと思われる。
おそらく隊長であるニャオの指示などもなかったのだろう。誰も彼もが自分の好きな時に好きなように前へ出るため、他人の動きなどほとんど意識していないのだ。
普通ならば、それはグレンにとって好都合であったに違いない。相手が勝手に自滅してくれるのだから、多勢に無勢の状況では付け入る隙としては大きいはずである。
しかし今回に限り、それは全く異なる意味を持っていた。
『名もなき祭壇』の子供達は敵ではない敵であるため、そのような事態になるとグレンの体と思考は彼らを救うために動いてしまうのだ。
彼らも、それを意識して故意にやっている訳ではないだろう。でなければ、流石のアギトとて炎の中に飛び込むはずがないからである。
その事実に、これは別の意味で苦戦を強いられそうだと思ったグレンであったが、その問題点を理解している者もいるように感じられた。
それは、ルキヤとチュティである。
比較的冷静に物事を判断し、自分の望み通りの展開を導きたがる彼らは切れ者だ。先ほど行われた一連の攻防にもその片鱗が見え、グレンが救助へと動くのに合わせて魔法を発動させていたように見受けられた。
それを偶然と捉えるのは彼らを見くびっているだけであり、相手が子供とは言え迂闊でしかない。グレンにしてみれば、その欠点を利用されるだけでも苦戦が予想され、2人をこの戦いにおける最大の障壁と位置付ける。
仲違いをした2人が同じような発想をするとは面白い偶然であったが、今はそんな事に気を取られている暇はなかった。
着地すると同時にクーリエを下ろし、急いで問題の2人の動きを確認しようとする。そんな彼に向かって、助けた少女の槍が振るわれた。
炎を纏っていなかったため反射的にそれを大太刀で防ぐと、きん、という小気味よい音が響く。
「おじさんって、やっぱりそういう趣味なの・・・?」
じとっとした目で言われるが、彼には何のことだか分からない。それでも少女の瞳に軽蔑が含まれていたことから、何かしらの誤解をされている事だけは察せられた。
それを解こうとも思ったが、そのような時間は与えられないようだ。グレンの耳には、自身に向かって駆け寄って来る2人分の足音が聞こえていた。
「痛ってえじゃねえか、おっさんッ!!」
先程の対応の中で、顔面を傷付けられたアギトが吠える。それでも初めてグレンから攻撃――みたいなものによる損傷を受けた事もあり、若干嬉しそうではあった。
その後ろにはシンが追走しており、すでに全ての刀剣を回収した後のようである。近づくだけで操れるのだから、さもありなんと言った所か。
「ちょっと!私の話、聞いてる!?」
2人の少年に意識を向けていると、放っておかれたクーリエが怒鳴ってきた。罰として防いでいた槍に炎が灯されるが、熱さを感じた瞬間にグレンはそれを弾く。
しかしその対応を予測していたのか、少女は槍を回転させて衝撃を殺し、1歩も動かず再度の攻撃を仕掛けてきた。突き出された穂先を後退して躱すと、続いてアギトが飛び掛かって来る。
「さっきのお返しだぜッ!!」
と、グレンの顔面に向けて右拳を放つ。
今までと同じようにそれを左手で掴もうと腕を伸ばすが、何度も見せた対応であるためか、少年は攻撃を中断し、逆に手首を掴んできた。
してやったりといった笑みを浮かべ、即座に左拳を繰り出す。しかし少年の力ではグレンの腕を抑えるまでには至らず、手首を掴んだままの左手で拳を捕えられてしまった。
「なッ!?ずりいぞッ!!」
彼の中では何かが不服だったらしく、そのような不満を間近でぶつけられる。それでもグレンの顎めがけて蹴りを放つあたり、戦意を失ったとかではないようだ。
顔を引いて躱すと、『ブンッ!!』という勢いのある音が耳まで届く。
「アギト!離れよッ!」
仲間の攻撃が不発に終わったのを受け、シンが2度目の攻撃に挑む。このままアギトを捕まえておけば無闇な攻撃もできないだろうが、それを実行するグレンではなかった。
とりあえず思いっきり放り投げておき、どちらにとっても邪魔にならないようにする。先程からアギトへの対応が雑な気もするが、今は気にしないでおいた。
「おわあああああああッ!!」
「はああああああああッ!」
飛んでいくアギトの声と交代するように、シンの力強い雄叫びが接近する。これまでと同様、浮遊する刀剣を牽制に用いるかと警戒したが、少し様子が違った。
全ての刀剣を身近に置き、十分な距離まで近づくと、それらを使って総攻撃を仕掛けて来る。
初手は右手に持った刀による突き、次に浮遊する刀剣が縦横無尽に迫り、最後に左手の剣が水平に振るわれた。結果として全てを防がれてしまったが、シンは怯むことなく連続攻撃を継続する。
この攻勢を最初の戦いで見せなかったのは、彼にとっても神経を使うものであるからだろう。左右の手に持つ刀剣以外は意思で操っているため、絶えず複雑な思考を続けているのと同じなのだ。
間隙なく踊る刀剣に規則性はなく、単なる防御ではたちまち崩されるに違いないと思える程の猛攻。それでもグレンは全てを迎え撃ち、うるさい程に剣戟の音を鳴り響かせた。
弾き飛ばせば楽なのだが、それをしても先程の繰り返しである。どうしたものかと思案しながら大太刀を振るい、攻防を積み重ねていくと、次第にシンの動きが鈍くなっていった。
体と頭を全力で動かし続けたせいで、疲労が蓄積したのだろう。
「ふ・・・不甲斐無い・・・!」
息を切らし、項垂れる少年。浮遊する刀剣もどこか弱々しく、高度を保てていないように見える。
体からは大量の汗を流しており、鼻先から地面に向かって落ちていくのを目にした。
「いや、私がここまで武器を交えたのは君が初めてだ。そう悲観するんじゃない」
それが涙のように思えたため、グレンはシンに向かって励ましの言葉を贈る。手加減をしていたとは言え、実際に彼と何十回と打ち合ったのはシンが初めてであり、事実を伝えたに過ぎなかった。
その真摯な想いが伝わったのか、少年は顔を上げ、満面の笑みを浮かべて見せる。
「はい、師匠・・・!」
「だから、それは止めてくれと――」
相変わらずの師匠呼ばわりに注意をしようとしたが、背後に気配を感じたため中断する。振り返るとクーリエがおり、槍を振りかぶっている所であった。
真後ろに下がるとシンがいるため、グレンは右方向へと回避する。不意打ちを躱された後、少女はそれをすぐさま追いかけた。
槍という間合いが最大の武器を巧みに振るい、クーリエもまたグレンに対し猛攻を仕掛けてくる。突きは鋭く、穂先は美しい弧を描いた。
手数ではシンに劣るものの、少女の武器には炎が纏われており、それが槍を長いだけでなく横幅のある獲物に変えている。早め早めの対処を要求されながらも、後退しつつ捌き、グレンはなんとか全てを凌ぎ切ってみせた。
「もー!どうして当たらないのよー!」
渾身の連続攻撃を防がれたために、クーリエが可愛らしく地団太を踏む。
しかし、その光景はすぐにグレンの前から消え失せた。なぜならば、少女の攻撃が止んだ瞬間、彼を囲むように石の壁が出現したからだ。
大柄なグレンよりも幾分か背の高いそれらは、ただ彼を閉じ込めるため、そのために生み出された物のように思える。けれども鉄壁であるはずもなく、グレンはすぐに脱しようと拳を握るが、それを振るう直前にニャオの声を耳にした。
「――『無貌眷属暗黒胎・終焉的破滅』!」
一体なんの言葉だ、と思ったということは、少女が魔導を発動したということである。
彼女が最初に見せた、標的を追跡し続ける物質の脅威はグレンの記憶にも新しく、今回もそれに等しいものが生成されたのではないかと思われた。
そしてその悪い予感を肯定するように、周りを壁で囲まれた僅かな空間に影が差す。ならば真上か、と視線を狭い上空へ向けると、そこに奇妙な暗雲を見つけた。
いや、雲と言うには高度が低く、また高い硬度を誇っているようにも思える。それは今まで見たこともない、あってはならない異質の物体であり、グレンには「黒い何か」と表現することしかできなかった。
彼の見つめる先、ニャオの作り出した異形が怪し気に蠢く。不変と思われたそれは不定形へと存在を変え、自身に大きな亀裂を生み出した。
間を置かず裂開し、全てを飲み込むかのような深淵を曝け出す。
(なんだか知らんが、まずそうだ・・・!)
そう直感し、グレンは壁に体当たりを仕掛けて脱出を図った。幸い破壊不可能な代物ではなく、あっさりと逃げ出すことには成功する。
そして、そんな彼をシンとクーリエが出迎えた。
(まずい・・・!)
正面から武器を手に飛び掛かって来る2人を見て、グレンは危機感を覚える。けれどもそれは自身が討たれることを意味しておらず、彼らがニャオの魔導に巻き込まれる可能性を心配してのものであった。
どれだけの攻撃範囲かは分からないが、グレンが先ほど立っていた場所からは大きく離れていない。直撃とまではいかないまでも、余波を受ける危険性は考慮して然るべきである。
おそらく、もう猶予はない。ならばと、グレンは2人に向かって突き進んだ。
そんな彼の心配など露知らず、シンとクーリエはそれぞれの武器でそれを迎え撃つ。今、それらに構っている余裕がグレンにはなく、損傷覚悟で両腕を広げた。
そして右腕にシンを、左腕にクーリエを抱える。それまでに幾分かの傷を負わせられたが、致命傷とは程遠いため問題なしとした。
「師匠!?」
「ちょっと、また!?」
グレンの腕に捕らえられた2人が怪訝な声を上げたが、それに応えるよりも前に足を走らせる。すぐに距離は稼げ、どうなったのかとグレンは背後を振り返った。
そして目にした光景は、無音の崩壊である。
魔導が顕現させた物体からは黒い滝が零れ落ちており、それが直下に存在するもの全てを音もなく分解しているのだ。狭い範囲とは言え地面すら消え去り、どこまで達しているのかも分からない。
それを見たグレンは堪らず背筋を凍らせ、自分にあのような攻撃を放ってきたニャオを恐ろしく思った。どちらかと言うと無邪気な印象を受ける彼女であったが、魔導による攻撃は『名もなき祭壇』の中でも一番えげつない。
「なんと。隊長の魔導にはあのようなものもあるのだな」
「わあ!ニャーちゃん、すっごい!」
それでも仲間には頼もしく映ったようで、シンとクーリエからは感心したような言葉が聞かされた。戦いを中断し、ニャオの放った魔導の威力を観察している。
しかし、人数差で圧倒的に劣っているグレンにそのような暇は与えられない。
凄惨な光景に気を取られて少しばかり反応が遅れたが、彼の目の前にはルキヤが迫っていたのだ。
(む・・・?)
その事実に、グレンは大いに面食らう。
これは、いつの間にか接近されていたという事に関してではなく、ルキヤのような慎重派が姿を見せて近付いてきた事に対しての驚愕である。戦闘前にはグレンからの咄嗟の反撃を危惧する旨の発言もしており、このように真正面から攻め込んでくるとは到底考えられなかったのだ。
無論、始めは魔法で作られた分身ではないかと疑った。けれども確かに人の気配が感じられ、目の前の少年がルキヤ本人であるという事は疑いようもない。
ならば近付くことで効果のある攻撃を繰り出してくるつもりなのだと考えられ、グレンは警戒を強める。そんな彼に対して、ルキヤは剣を振り上げた。
(なに・・・?)
この行動に関しても、グレンは困惑する。
あまりにも単純、あまりにも素直。ルキヤという少年の人格全てを理解しているつもりなどなかったが、彼がなんの捻りもなく剣で斬りかかってくるような人物だとはグレンも評価していなかった。必ず、何かしらの工夫があるはずだ。
そのため、今回の不自然極まりない行動には何かあるのではないかと疑念ばかりが募る。けれども対応しないわけにはいかず、グレンは振り下ろされた剣に向かって手を伸ばした。
結果、その手は何も掴めず、水で作られた見せかけの剣を素通りする。
(偽物・・・!?)
そう判断した後すぐに拳を握ったが、やはりルキヤからは実体としての気配が感じられる。このまま殴っては少年を傷付けることになり、グレンは反撃を躊躇った。
そう思わせるために剣だけを作り出した可能性もあったが、さほど意味があるとは思えない。
(では何だ・・・!?)
乱れた思考では答えに辿り着けず、グレンの動きが僅かではあったが完全に止まる。そんな彼に向かってルキヤは勝ち誇ったような笑みを浮かべ、膨張し、爆ぜた。
(なっ・・・!?)
それはあまりにも唐突な出来事であり、グレンは大きく目を見開く。
辺りに水が舞い、彼が今までルキヤ本人だと思っていた物が偽物であったという事が判明した。ならば感じた気配は自分の勘違いか、と思ったグレンであったが、それすらも間違いであるという事がすぐに分かる。
爆ぜた分身の中から、アギトが姿を現したのだ。どうだ、と言わんばかりの笑みを湛え、すでに攻撃態勢に入っている。
(そういうことか・・・!)
つまり、グレンが感じていた気配はアギトの物であったという事であり、ルキヤだと思っていた外見は分身を被っていたという事である。
彼とて気配によって人の区別ができている訳ではない。そのため誤認が発生し、対処に幾分かの遅れを生んでいた。
先程のニャオとチュティといい、今回のアギトとルキヤといい、始めは集団戦闘の経験が浅いと思われた子供達であったが、次第に連携が取れてきているように思える。
戦いの中で成長しているとでも言うのだろうか。おそらくルキヤとチュティによる指示があったのだろうが、それでもグレンの特技を逆手に取った戦い方を見せるまでになっていた。
「おらああああああッ!!!」
そしてそれは彼の動きに隙を生じさせ、それを好機と判断したアギトが渾身の力を込めて拳を放ってくる。もはや避けるには遅く、グレンの左手は防御に動いた。
(む・・・!?)
だがその時、更なる苦境が彼に訪れる。
自身に対して攻撃を仕掛ける少年の後方から、巨大な氷刃が迫っているのを目にしてしまったのだ。間違いなくルキヤが放った魔法であり、「避けられないだろう?」と言われているような気がした。
それは単純に回避できるかどうかという事ではなく、子供を犠牲にしてでも自分を守れるか、という意味合いである。
グレンが何もしなければ氷刃に直撃するのはアギトであり、仮に彼を抱えて逃げたとしても背後にいるシンとクーリエが被害に遭うだろう。3人を抱えるには腕と時間が足りず、今いる位置での対応がグレンには求められていた。
危惧していた通り、やはりルキヤは仲間を彼に対する人質のように使ってきた。グレンにしてみれば苦言を呈したくなる選択ではあったが、実の所それは彼の実力を信頼している裏返しでもある。
グレンならば損傷を顧みずに動き、他の連中を必ず守り切るだろうという確信があったればこそ、ルキヤもそのように非情な手段に出ているのだ。
そして、それはこれ以上ないくらいに効果的な戦法であり、実際にグレンは今、紛う事なき窮地に立たされている。
どうする――などと考えている時間もなく、すでに体は動いていた。
アギトの攻撃は無視し、その襟首に左手を伸ばす。掴む直前、腹部に『ドゴンッ!』と衝撃が打ち込まれるが、動きを止めるほどの痛みではないため気にせず行動を起こした。
少年を持ち上げ、再び放り投げる。
アギトの声が遠くなっていくのを聞きながら、続いてグレンは迫る脅威に向かって大太刀を振り下ろした。その一撃によって氷刃は2つに分かれ、左右に大きく軌道を逸らして飛んでいく。
それらが地面に激突する音を背中で聞き、後続がないことを確認するとグレンは振り返った。シンとクーリエには目立った被害はないようであり、他の子供達が巻き添えになった様子も見られない。
先ほど投げ飛ばしたアギトも、空中で体勢を整え無事に着地していた。
一安心。そう判断したグレンであったが、不意に自分の足に生じた違和感に気付く。
視線を移して見てみると、両足の脹脛から下が石で完全に覆われている光景を目にした。これが足枷となっており、動きを阻害されているようだ。
ならば外すか、と足に力を入れようとした時、
「シンさん!クーリエさん!今ですわ!」
というチュティの声が響く。
ニャオの魔導を観察していた2人は、それで自分達が戦闘中であったことを思い出し、仲間の魔法によって動けないグレン目掛けて攻撃を繰り出した。
シンは7本の刀剣を縦一列に並べてグレンの右側面から、クーリエは炎を纏った槍を左側面から同時に振るう。今までならば後退することで躱せていたが、状況があまりにも悪く、グレンも防ぐ以外の対応ができなかった。
そしてそれは、多大な傷を負うことを意味している。
流石のグレンと言えども、一度に振るわれた7本の刀剣を大太刀1本で防ぐことはできず、上半身は守れても下半身を防ぐまでには至らなかった。右足に2本の刀剣が食い込み、斬撃とは別に、属性による痛みも伝わってくる。
逆側から襲い来るクーリエの槍は手で捕らえたが、炎が燃え盛っているため左腕全体に火傷を負っていた。
(ぐっ・・・!)
痛い、そして熱い。
このままでは本格的に危険であり、グレンは力を込めて2人の攻撃を退けようとした。同時に足にも力を込め、束縛から脱しようと試みる。
しかしその瞬間、全身が重くなり、傷から伝わる痛みの強さが増した。刀剣がさらに深く沈み込み、左腕の焦げた匂いがきつくなる。
無論、この感覚には覚えがあった。今まで出し惜しみしていた弱体化魔法を、チュティが使用したのだろう。
(なんて時に・・・!)
と、グレンが思ったという事は、最適な使い時だったという事だ。事実、チュティは彼が追いつめられる時を狙っており、それは今だと判断していた。
そうすることで、グレンが中途半端な傷で敗北を宣言しないように調整していたのだ。傷付けるのならば限界まで、それが少女の胸の内である。
それによって導かれた状況は、『名もなき祭壇』にとって勝機に満ちていた。つまり、彼が参戦する頃合という事である。
「なんか・・・申し訳ないっすね・・・」
ユーヴェンスの声が、背後から聞こえた。身動きの取れないグレンに対して罪悪感が芽生えているのだろうが、背中に伝わる闘気によって彼がすでに構えているのが分かる。
両腕と両足を塞がれた状態に加えて、ユーヴェンス程の剣士に後ろを取られる状況は絶体絶命以外の何物でもなく、グレンの額には冷や汗が流れていた。
そして放たれた神速の抜刀は今度こそグレンに達し、その背中に大きな傷を作り出す。もっと深く斬り付けることも出来たと思われるが、無抵抗な相手をそこまで傷付けるのは躊躇われたようだ。
それでもグレンは激痛を感じ、小さいながらも苦悶の声を上げそうになる。しかし子供達の手前、歯を食いしばってなんとか耐えた。
グレンがここまでの深手を負ったのは、いつ以来だろうか。
一応は稽古という形ではあったが、このままでは本当に倒されそうであり、彼は改めて『名もなき祭壇』に属する子供達と、それを育て上げた冥王国の力に称賛を覚える。
見事。それ以外の言葉が思い浮かばず、グレンは負けを認めるしかないか、と思い始めていた。
実際、この戦いの勝敗に拘る必要が彼にはなく、むしろ勝利の見えない戦闘なのだから諦めても支障はないと言えた。だったら始めから戦うなと自分に言いたくなるが、あの場を収めるためには仕方のない決断だったとも考えている。
理由のあやふやな戦いであっても負けてしまえば終わるため、グレンは潔く敗北条件である膝を突こうとした。
しかし、それをチュティが許さない。彼女の中では勝負はまだ途中であり、間髪を入れずに別の魔法を唱えていたのだ。
(む・・・?)
それによって自身の足元に生じた違和感を、グレンは即座に感知する。誰かの追撃だと判断し、巻き込んでしまわないようにシンとクーリエを突き放した。
直後に目線が急上昇し、グレンは自分が何か高い物の上に立たされている事を理解する。
おそらく『名もなき祭壇』が最初に登場した時に出現した石柱と同様の物だと思われ、まるで生贄とするかのように彼を掲げていた。
しかしその意図が分からず、グレンは今の状況に困惑する。
そんな彼とは異なり、『名もなき祭壇』は全員がこの戦いの終わりを確信した。
「目標――補足」
そう呟いたのは1人の少女である。
薄茶色の髪を肩まで伸ばし、それよりも長く伸びた左右の横髪を三つ編みにしているのが特徴的だ。革製の上着と短いズボン、太腿にまで至る長い靴下で細身を着飾っている。
少女の名前はマテリアナ・オーバーロード。
クーリエと同じく冥王ドレッドの娘であり、24番目の王女として周知されている。クーリエとは同じ年に別々の王妃から生まれた間柄、つまりは異母姉妹であった。
現在マテリアナが仲間と離れて待機している場所は、森の中にある小高い丘の上である。周囲を十分に見渡すことができ、グレン達が広場で戦っている光景も一部始終を観測していた。
少女の背後にはここに来るまで乗ってきた馬車が2台あり、一応の保護者として付いてきた成人男性が1人ずつ御者台に座っている。『名もなき祭壇』ではない彼らは戦闘に関心がないのか、暇そうにうつらうつらと――馬車に乗りながらではあったが――船を漕いでいた。
そうなってしまうくらいには長い時間が経過しているという事なのだが、マテリアナの意識はしっかりとしており、標的として差し出されたグレンを確かに見据えている。
それでもかなりの距離があるため、彼女がこの場で取れる手段は限られているように思われた。強いて言うならば魔法であるが、マテリアナの手にはそれとは異なる方法で攻撃するための物が握られている。
それは剣でも槍でも弓でも杖でもない。マテリアナの手の大きさに合わせた持ち手が2つ付いた、射出口のある長い筒状の物体である。
世の中に出回っているどの武器とも異なる外見をしているそれは、少女が自分で作製した物であった。彼女は若いながらも腕利きの職人であり、自分だけの魔法道具をこれまでにいくつも作り上げた実績がある。
今回の任務に持ってきた物もその中の1つであり、正式名称を『超長距離狙撃用魔力射出装置』と言って、使用者の魔力を直接標的にぶつけるための武器である。
それならば魔法でもいいのではないかと思われるが、マテリアナは魔力を魔法に変換するのを苦手としていた。それにも関わらず彼女の中には膨大な魔力が眠っており、様々な人物から『宝の持ち腐れ』という評価を頂いている。
そのためマテリアナは自分の長所を生かせる方法はないだろうかと考え、趣味である物作りと絡めた結果、自分に最適化した魔法道具を作るという発想に辿り着いたのだ。
それが見事に功を奏し、彼女の戦闘力を飛躍的に上昇する成果をもたらす事となる。
『六学聖武祭』の時にも片手で持てる『近距離迎撃用魔力射出装置』を用いて勝利を積み重ね、ついには上位入賞を果たすことができた。
そんな彼女の将来の夢は『戦う職人さん』になること。
その想いはマテリアナの原動力となり、それ故に生まれた脅威が今、孤立しているグレンを狙っていた。『超長距離狙撃用魔力射出装置』に付けられた望遠用の照準が、的確に彼を捉えている。
体のぶれが少なくなるよう膝は地面に突いており、更なる安定を求めて深呼吸をしてから息を止めた。
頬が紅潮しているのは、その行為が苦しいからではない。『超長距離狙撃用魔力射出装置』を実戦に用いるのは今回が初めてであり、それが嬉しくて仕方ないのだ。
どちらかと言うと無表情なマテリアナであったが、その瞳には恍惚とした感情が見て取れる。狙われているグレンにしてみれば勘弁してもらいたいことに、少女は彼のことを的くらいにしか思っていなかった。
故に、攻撃を開始するのにも逡巡などない。
仲間が戦っている間に魔力の充填は完了しており、あとはそれを放つだけ。魔力は基本的に直接使用することはできず、魔法などに姿を変えなければ体外に出た瞬間に拡散していくが、それでも問題ないほどの量が蓄えられている。
少女は僅かに口角を上げると、己の意思を鍵として、強大な魔力を打ち出した。それは目も眩む程の光と、耳をつんざく爆音を発し、猛烈な勢いと威力を伴ってグレンに向かって行く。
衝撃によって乱れた髪をそのままに、マテリアナは呟いた。
「想定以上・・・傑作・・・」
自身の作り出した魔法道具をそう評すると、少女は標的のために祈り始めた。予想以上に威力のある光弾が射出され、あれが直撃すれば骨も残らないだろうと思ったからである。
けれども、マテリアナに罪悪感や後悔などは微塵もない。
技術の発展に、犠牲は付き物なのだ。
(なんだ、あれは!?)
轟音のした方へ顔を向けると、グレンは自身に向かって飛来する光弾を目の当たりにする。どこから放たれたのか分からない程に遠方からの攻撃だと思われたが、高速で接近してくるため悠長に構えている暇はなさそうであった。
そしてそれに合わせるように、石柱の上に立つ彼を見上げる『名もなき祭壇』の中で、遠距離攻撃ができる者達が一斉に動く。
「――『魔水弾』!」
「――『飛び出でる大地の拳』」
まずルキヤとチュティが、詠唱後即座に放てる魔法を唱えた。凡人ならば発動までに時間を要するが、彼らほどに才のある者ならばそれも無視できる。
「――『遥かに至る焔』!」
同時に、クーリエが炎を纏った槍を投擲する。少女の手から離れた瞬間、爆炎を噴き出して加速し、猛烈な勢いでグレンに迫った。
「――『流星直撃すなわち破滅』!」
そして、ニャオも祖父直伝の魔法を発動させる。彼女も魔導の欠点は理解しており、今ばかりは魔法に頼ることを決めたようだ。
魔法を発動するために填めた指輪が空に向けられ、そこから一筋の光が伸びていく。そして、小さいながらも禍々しき魔力の塊が落下してきた。
それぞれの速度は大きく異なり、着弾は別々になるだろう。それでも1人の人間に対して放つ攻撃としては過剰と思われ、グレンは3方向から迫る5つの脅威に困惑していた。
それくらいやらなければ自分を倒せないと子供達が考えている、とするのが妥当であったが、配慮の一切ない攻撃には殺意すら宿っていそうである。数で勝っているのにも関わらず押し切れない戦況に、自然と戦意を高揚させていると考えられなくもないが、少しばかり居心地の悪くなったグレンであった。
(これ以上の戦闘は危険か・・・)
力比べ程度に考えていた勝負は、もはや彼の想定以上に苛烈なものになっている。このままでは自分の傷が増えるばかりであり、グレンはこの攻防を最後に必ず戦闘を終わらせようと決心した。
そのためにはまず現状を無事に乗り切ることが必須であり、大太刀を握る手に力を込める。そして迫り来る計5つの攻撃、それぞれに向かって適した速度で腕を振るった。
適した速度――それはすなわち少年少女が放った攻撃を相殺するくらいの、という事であり、貫通してしまわないように細心の注意を払う。
無論、グレンの刃が届くにはまだ距離がある。けれども、彼の斬撃は子供達が繰り出した脅威へと確かに向かって行き、寸分違わぬ威力でそれらと交わった。
瞬間、5つの衝撃が発生する。
それは爆発であり、拡散であり、粉砕であり、破壊であり、切断であった。
それらが順繰りに起きていく壮絶な光景は、勝利を確信していた『名もなき祭壇』全員の中に驚愕を生み、信じられないと思考を停止させる。特にグレンの死すら予測していたマテリアナの動揺は凄まじく、彼女の自尊心を傷つけるのに十分な事態が起こっていた。
けれどもグレンは冷静であり、子供達が呆然としている隙にチュティによって作られた足枷を外して石柱から飛び降りる。地面に着地した際に大きな音が鳴り、それによって我に返った少年少女達は彼に視線を寄越した。
それでも動きはなく、じっと見つめられること数秒。
『う・・・・・うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!』
静寂を維持していた子供達の中から、突如として雄叫びが発せられた。
叫んだのはアギト、シン、そしてユーヴェンスであり、グレンに向かって全速力で突進してくる。
「待つんだ!私はもう――!」
その姿を見たグレンは彼らが攻撃を仕掛けに来たのだと思い、急いで停戦を呼びかけようとした。しかし彼の目には近付いて来る少年達の瞳が輝いているように見え、何かに歓喜しているようだと眉根を寄せる。
グレンの傍まで来ると、3人は彼に向かってその感情を言葉にした。
「うおおおおおおおおいッ!!おっさんんんんッッ!!なんッッだあああああああッ、今の技はああああッ!?」
「そ、某の目には斬撃を飛ばしたように見えたのですが!!?」
「どんな鍛錬を積めばそんな事できるようになるんすか!?まじで教えて欲しいんですけど!」
どうやらグレンの放った技に興奮しているようである。そう言えば以前にもこのような反応を見せられた覚えがあるなと、グレンはふと昔を思い出した。
「馬鹿か、お前ら。どう考えてもその刀の力だろうが」
その時、はしゃぐ仲間に対してルキヤが冷静な意見を述べた。普通に考えれば武器が魔法道具であることを疑うのが正しいのだが、今回に限っては彼の方が間違っている。
「あ・・・いや・・・この刀にそのような力はない」
「はあ・・・!?」
「ではやはり!師匠の実力なんですね!」
「ってことは、鍛えれば俺も・・・!?」
「おい、おっさんッ!今の技はなんて名前なんだッ!?」
納得できないと疑問の声を上げたルキヤとは対照的に、他の3人はグレンの言葉を信じてさらに興奮する。その最後にアギトから技名を聞かれたが、彼はすぐに答えることができなかった。
先程の技には一応『真空斬り』という名前があるのだが、彼自身が付けたわけではなく、それを口にするのは恥ずかしい感じがしたのだ。
そのため困ったように口を閉ざしていると、彼の代わりとでも言うように別の者が声を発した。
「ああああああああああああああああっっ!!」
悲しみに塗れた叫び声はクーリエのものであり、何が起こったのかと、全員が彼女に視線を向ける。
「わ・・・わ・・・・私の・・・私の『高貴なる朱』があああああ・・・!」
背中を向ける少女の両手には、見るも無残に真っ二つとなった槍が握られていた。先程グレンに向けて投擲したため、彼の迎撃によって壊されてしまったのだ。
クーリエがそれを愛用していたことは、事前のやり取りでグレンも理解している。激戦ゆえの代償と言えなくもないが、それで納得してくれるはずはないだろう。
その証拠に、振り向いた少女の怒りの矛先はグレンに向いている。瞳に涙を滲ませているあたり、相当悲しんでいるように見えた。
「ク・・・クーちゃん・・・・」
親友の身に起こった悲劇を慰めるため、ニャオが駆け寄って声を掛けるが反応はない。ただ無言で、グレンに向かって前進していた。
俯いた顔からは表情を窺い知ることができず、それが得も言われぬ威圧感を少女に帯びさせている。グレンは思わず逃げ出したい衝動に駆られるが、それをしたら更に事態を悪化させるに違いなく、冷や汗を流しながらクーリエの到着を待った。
そしてほぼ至近距離、少女からどのような制裁が飛んできてもおかしくない地点にまでなると、グレンは唾を飲み込んだ。
「おじさんの・・・・・・馬鹿ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
まず繰り出されたのは、耳を劈くような怒号である。2本になった槍を両手に握っており、それで刺されないかグレンは戦々恐々とした。
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿っ!!なんで壊しちゃうのっ!?」
「す・・・すいません・・・、つい・・・」
クーリエの非難に、グレンは素直に頭を下げた。
相手が王族であるからというだけでなく、彼にも似たような経験があり、少女の気持ちを理解できたからである。
「謝ったって・・・私の『高貴なる朱』は・・・!うううううう・・・!」
そして彼の真摯な想いが伝わったのか、クーリエの口からは続く言葉が出なくなる。少女も、自身の攻撃に対するグレンの対応が間違っていたと言うほど自分勝手ではなく、心乱しながらも謝罪に関して理解を示すくらいの度量はあった。
しかし、愛用の武器を壊されて悔しい想いをしているのも事実であり、少女の頭の中で相反する意見が混ざり合う。そして出した結論として、クーリエはまず両手の残骸を地面に落とした。
それをグレンは自分の謝罪を聞き入れてくれたものと判断したが、少女は両手を固く握り直す。そしてグレンの腹部めがけ、それらを何度も打ち付けてきた。
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿っ!!おじさんの馬鹿あああああああああああああああああああああっ!!!」
ぽこぽこと叩かれても痛くはなかったが、少女の怒りを鎮める術が思い浮かばず、グレンは途方に暮れてしまう。その間にもクーリエは「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿っ!!」と連呼しながら彼を叩いており、気が済むまで止めるつもりはないようだ。
「もう。皆さん、戦闘はまだ続いていますのよ?」
もはや戦いを行うような雰囲気ではなくなったことに対し、全ての元凶であるチュティが愚痴を零す。彼女が提案したグレンの敗北条件は未だ満たされておらず、正しい意見と言えばその通りであった。
「いや、チュティ君、これまでだ。私は負けを認めよう」
けれどもグレンはそれを否定し、自身の敗北で子供達との勝負を終わらせようとする。
「拒否しますわ」
しかし、それをチュティが突っぱねる。
彼女がグレンとの戦闘を望んだのは彼を困らせたいと思ったからであり、今回の態度もそれに準じた行為であった。顔はそっぽを向いていたが、心の中は楽し気である。
「しかしだな、やはり君達は強い。私も相当な痛手を負った。これではもう戦えないだろう」
彼の言う通り、右足に切傷、左腕に火傷、そして背中には大きな真一文字の傷を負っていた。それ以前の個人戦でも攻撃を受けているのは、誰もが覚えている事実だろう。
当然流血も伴っており、グレンにしてみれば久しぶりの重傷である。特にクーリエの燃える槍を握り続けた左腕がひどく、広い範囲で発赤していた。
「御冗談を。あのような力を見せられて、それを信じると思いますか?」
しかしチュティの言う通り、それらはグレンにとって戦闘続行が不可能になる程の傷ではない。そのため一斉攻撃を難なく迎撃できたのであり、痛みに苦しむ様子すら全く見えなかった。
演技でも顔を歪めた方が良かったなと、手遅れながらもグレンは思い至る。それでもチュティに考えを改めさせるため、なんとかして誤魔化せないかと頭を動かした。
「先程のは・・・何と言うか・・・あれだな・・・。追い詰められた際に出る、底力というものだ・・・」
「まあ、素晴らしい。その底力のおかげで、まだまだ戦えますわね」
「い、いや・・・そんな事はない・・・!先程のような力は、もう二度と出せないだろう・・・!」
「おじさま?」
「ん・・・?な・・・なんだ・・・・?」
自身のことを呼ぶ少女の顔には、不思議と優しい笑みが見える。しかしそれが逆にグレンの不安を煽り、なんだか怒っているように感じられた。
「それが虚偽だった場合、私がどのような行動に出るか、お分かりですか?」
やはり少し苛立ちを覚えたらしく、率直に報復を宣告してくる。それがどのようなものにせよ、自身にとって多大な迷惑になるのは容易に想像ができた。
けれども、嘘かどうか知られなければいい、とも言える。チュティにはグレンの言葉を嘘と断定する材料はなく、彼が主張を貫き通せば問題はないように思われた。
「う、嘘などではない。この左腕を見てくれ。これで満足に戦える方がどうかしている」
そのため、グレンは物的証拠として左腕を提示する。少女の眼前に突き出すには痛々しい光景であったが、彼女を納得させるためには必要な事だと割り切って行動した。
それを見たチュティは、しばらく何も言葉を返さない。しかしそれは、火傷に覆われたグレンの左腕に衝撃を受けているだとか、彼の言葉の真偽を推し量っているとかではなかった。
チュティは、グレンの傷に見惚れてしまっているのだ。
うっとりとした瞳と上気した顔。誰もが目を背けたくなるような惨状を前に、少女はそのような表情をしていた。
そしてそこに指先を近づけると、
「――えい」
と、可愛らしく振る舞いながら、一切の躊躇なく突っついてくる。
「うっ・・・!――何をする?」
未だチュティの弱体化魔法は解除されておらず、それ故に小さな痛みを覚えたグレンは慌てて火傷を負っている左腕を引っ込めた。非難の声を上げるが、少女に悪びれた様子は見えず、むしろ楽しそうに微笑んでいる。
「痛かったですか、おじさま?痛かったですか?」
何故か興奮して聞いてくる少女に、グレンは明確な恐怖を覚えた。さらに触れようと手を伸ばしてくるため、チュティでは届かないくらいに腕を挙げる。
「あん、意地悪ですわ。もう少しくらい楽しませてくださってもいいのに」
「頼むから、人の怪我で楽しまないでくれ・・・」
そう言っても諦めてくれず、チュティはグレンの左腕に触れようと手を伸ばしながら飛び跳ねる。先程まで持っていた傘や手提げ鞄も地面に放っており、彼女の熱の入れようが窺えた。
熱の入れようと言えばクーリエも同様で、チュティと会話をしている最中もグレンを叩く手を休めていない。相変わらず「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿っ!!」と怒っており、疲れはしないのかと疑問に思った。
「チュティの奴、暴走しかけてるな・・・」
そんな中、ユーヴェンスが呟く。それはグレンのすぐ傍で発せられた言葉であり、彼に聞かせるのを目的としていると分かる発言であった。
「グレンさん、悪い事は言わないっす。チュティがこれ以上おかしくなる前に逃げた方が良いっすよ」
「おかしくなる、とはどういう事だ・・・?」
ユーヴェンスからの警告に、グレンは内なる恐怖心をさらに肥大化させる。まるで暗殺者に命を狙われているような心地であり、あまり良い気分はしなかった。
その訳を答えてくれる少年も、戦々恐々とした表情をしているのだから猶更だ。
「いや、なんつーんすかね・・・興奮し過ぎて歯止めが利かなくなるって言うか・・・。我を忘れてやり過ぎるんすよ、こいつは」
「それは恐ろしいな・・・・」
詳細は分からなかったが、それ以上の情報は不要である。とにかく身の危険であることは確かであり、グレンは早々にこの場を立ち去らなければならないと判断した。
全員での戦闘もある程度はこなしたため、子供達も無理に引き留めはしないだろう。元々チュティの我が儘に付き合っていただけなのだから、ここら辺が落し所である。
「分かった。ならば、警告に従うとしよう」
「あ。でも、その傷どうしましょう?かなり重傷っぽいっすけど」
「問題な――くはないが、まあ大丈夫だ」
問題ない、と言いかけた事でチュティの目が鋭くなり、グレンは慌てて言い繕う。そんな彼に対し、ユーヴェンスは眉間に皺を作りながら応えた。
「流石とは思いますけど、やっぱり治した方が良いっすよ」
「ふむ、君は随分と心配してくれるんだな」
他の子供達とは違って、という意味である。
「いや・・・冷静になって考えてみると、結構ひどい事したなと思いまして。背中の傷、痛みません?」
どうやらグレンへ斬りかかった事を気に病んでいるようであった。
少年の言う通り、反撃できない相手を大人数で攻め続けたのだから、そのような気分になっても仕方のないことであろう。けれどもグレンは、その点に関して特に不満を覚えてはいなかった。
「気にするな。真剣勝負の末の傷だ。避けられなかった私も悪い」
「それでもやっぱり治した方が・・・。――おい、誰かグレンさんの傷を治してやってくれよ」
気にしないでくれと言っても納得できないようで、ユーヴェンスは仲間に向かってグレンの傷を治すよう指示を出す。しかし魔法使いで即座に応じてくれる者はおらず、ニャオは気まずそうに狼狽え、ルキヤは感心がなさそうにあらぬ方向に目をやっていた。
そしてチュティはと言うと、
「何を仰いますの、ユーヴェンスさん?無数の古傷と新しい傷をその身に刻んだ今のおじさまは正に芸術。これを治すだなんて、とんでもありませんわ」
などと主張している。
「いや、お前の考えの方がとんでもないだろ」
それを聞いたユーヴェンスは冷静に返すが、少女に目立った反応は見られなかった。ただ一心にグレンの傷を見つめ、恋する乙女のように胸をときめかせている。
傍から見れば羨ましい状況かもしれないが、少女の瞳の中に黒く澱んだ悪意を見出した彼には恐怖でしかなかった。
「と・・・とりあえず、私の傷に関して君達が気にする必要はない。自分で何とかしよう」
チュティの熱い視線を逸らすため発せられたその言葉は、グレンを叩き続けるクーリエ以外の関心を思いのほか引く。一体どうやって、という疑問が生まれ、率先してアギトが問い質した。
「おい、おっさん。もしかして、どこかに回復薬でも隠し持ってたのか?」
「いや、そうではない。そうではないんだが・・・」
歯切れ悪く答えると、グレンは自身が身に着けている首飾りに手を伸ばす。それこそは、彼の母国であるフォートレス王国において国宝とされる、『英雄の咆哮』であった。
グレンはそれを手にし、真っ赤な宝石を見つめる。正直、これをここで使うのは許されないと思われた。
と言うのも、本来『英雄の咆哮』はフォートレス王国やその民を守るために用いられるべき物であり、今回のような条件下で気軽に使っていい代物ではないからだ。
所有権がすでに彼にあるとは言っても、それで好き勝手しようなどとは思っていない。グレンが『英雄の咆哮』を託されたのも、そういった性格が理由だろう。
「師匠、それは?」
首飾りを見つめて動かないグレンに向かって、シンが興味深そうに尋ねる。その存在については始めから理解していたが、身体能力を強化するための物だろうという事くらいにしか思っていなかった。
けれどもこの場面で取り出したのだから、それ以外の能力を有している可能性が考えられる。師と仰ぐ者の新たな力に、シンは興味津々であった。
「これは私の国に伝わる物だ。悪いが、それ以上は教えられない」
そう言って、グレンは返答とする。
国宝の詳細を外に漏らすのも如何なものかと思え、最低限のことしか伝えられなかった。シンはまだ聞き足りなそうな顔をしていたが、何か事情があるのだと考えてくれたようで、相槌を打って会話を終わらせる。
「どうでもいいけど、やるならさっさとやってくれないか?それでこの馬鹿馬鹿しいお遊びも終わるだろ?」
逡巡するグレンに向かって、今度はルキヤが言葉を投げ掛けてくる。これまでにも帰りたそうな素振りを見せていたため、今が転機と急かしているのだろう。
少年の言うことも尤もであり、グレンは決断を下した。
「――開け」
そして唱える。瞬間、辺り一面に赤い光が広がり、突然の出来事にクーリエ以外の少年少女は面食らった。
そして、その直後に更なる驚愕を覚える。彼らの目の前にいたグレンの全身が、いつの間にか強固な鎧で包まれていたからだ。
クーリエが彼を叩く音も響きが変わり、手に傷みが生まれたことから少女も異変に気付く。手を止め、自分にされるがままであった大男をゆっくりと見上げた。
「ど、どういうこと・・・?」
目の前にいるのがグレンであるのは分かっていたが、いきなり装備を整えられたために困惑してしまった。クーリエの他にもシン、ルキヤ、ユーヴェンス、そしてチュティが似たような反応を見せており、どういう原理だと頭を働かせている。
そんな彼らとは異なり、ニャオとアギトは瞳を眩いばかりに輝かせていた。
「異国の未知なる技術の賜物か!『罪深き刃』よ!このような力を隠し持っていたとは!」
「うおおおおおおおおッ!なんか知らんが、かっけえええええッッ!!」
興奮した2人はグレンに詰め寄り、彼が身に着けている『紅蓮の戦鎧』にべたべたと触れる。何かが彼らの琴線に触れたらしく、いたく気に入っているようであった。
「その鎧には癒しの力があるという事ですか、師匠?」
そんな2人――クーリエも加えて3人――に囲まれているグレンに向かって、再びシンが問い質す。答えてくれるくれないに関わらず、単純に興味関心として聞いていた。
「まあ、そんな所だ。――こら、3人とも。危ないから離れてくれ」
今のグレンは身体能力が著しく強化されているため、軽く触れた程度でも害を及ぼす危険性があった。そのため子供達に注意を促し、傍から離れてもらうようにする。
まだ物足りなそうな顔をしていたが、3人とも大人しく引き下がってくれた。
「さて・・・では、私はここいらで失礼させてもらう」
疲れたと言わんばかりの溜め息に続き、グレンはそう切り出す。子供達に構っていてはいつまでもこの場を離れられなさそうであり、意思をはっきりとさせておく必要があった。
「ちょ、ちょっと!私はまだ怒り足りないんだけど!」
「申し訳ありません、クーリエ王女。時間も差し迫っているようですので、それはまたの機会にお願いします」
日を見れば、冥王と約束した時間まであと僅かに思えた。すっかり忘れてしまっていたが、一応グレンには急いで帰る理由があるのだ。
間に合わなくても問題ないとは言え、間に合わせるよう努力するのが誠意というものである。
「なんだ、もう行っちまうのか。もう少しくらい楽しみたかったんだけどよ」
「それもまたの機会にすればいい」
「ま、それもそうだなッ!」
と、アギトとの会話を済ませ、
「ならば再会の折には、某を正式な弟子にしてください!」
「・・・考えておこう」
「ありがとうございます!」
と、シンと約束をし、
「俺もさっきの斬撃を飛ばす技、教えてもらいないなー・・・なんて」
「教える程の技術などないが、別に構わない。再び出会った際にはそうしよう」
「まじっすか!あざっす!」
と、ユーヴェンスに頭を下げられる。
おそらく嫌がられるだろうがルキヤに視線を向けると、「俺はそういうのいらないから」と言いたげな表情をしていたため、そっとしておいた。
そんな少年に代わり、チュティがグレンに語り掛ける。
「残念ですわ。もう少し、おじさまのことを困らせたかったのですけど」
「あ、ああ・・・。それも、また今度だな・・・」
「あら?絶・対・に――ですわよ?」
迂闊なことを言ってしまった、と後悔したが、少女の確認にはぎこちなく頷き返すことしかできなかった。とりあえず気にしない方向で考え、残ったニャオの方へ顔を向ける。
『名もなき祭壇』の隊長である彼女は、何か言おうと慌てる様子を見せていたが、何も思い浮かばなかったのか小さく手を振るだけに終わった。
それに頷くことで返事とすると、グレンは最後に光弾が放たれた方角を見つめる。おそらく8人目の子供がいるのだろうが、ここからでは声も届くまい。
この場にいる子供達に視線を戻し、最後に別れの言葉を告げようとした途端、グレンは胸に少し痛みを覚える。それは罪の意識であり、彼が子供達に嘘を吐いたのが原因であった。
先程『名もなき祭壇』の面々に再会を約束したグレンであったが、実を言うと現実的にその日が来るなど欠片も思っていなかったのだ。
フォートレス王国とシオン冥王国には距離があり、何の理由もなしにそれを行き来するなど有り得ない。加えて、彼らはグレンの母国を知らないため、手掛かりとなる情報を一切持ち合わせていなかった。
これでは再会など叶うはずもなく、それを黙ったまま立ち去る事に少しばかり気が引けてしまっている。けれどもわざわざ教える必要もないため、最後にグレンはこれだけ伝えた。
「では、さらばだ」
言い切ると同時に、グレンは同盟軍の砦へと走り出す。
残ったのは彼に対する刺客――『名もなき祭壇』だけであったが、その誰もが目の前で起こった現象に呆然としていた。
『紅蓮の戦鎧』を身に着けたグレンの移動速度は凄まじく、少年少女には音もなく消え去ったように見えたのだ。自分達との戦闘では見せなかった彼の真の力だと予想され、それを目の当たりにした子供達は全員が似たような感想を抱いていた。
「な・・・・なんじゃそりゃああああああああああああああああああああああッッッ!!!!」
その場に残った全ての者の気持ちを代弁したアギトの咆哮は、静かな森に広く響き渡る。しかしその声すら、グレンに追いつくことは出来ないのであった。




