4-29 若き才能
4人の少年と3人の少女に囲まれている現状を把握しながらも、グレンは動こうとしない。正面の石柱に立つ少女が先ほど自己紹介のようなものをしてくれたのだが、何が何やら分からなかったからだ。
そのため、この子供達の正体や目的も把握できておらず、どのように対処するべきかを悩んでいた。
そんな彼に対して、『ネオ』と名乗った少女が再び口を開く。
「くっくっくっ・・・!時の回廊に彷徨いし我らであったが、汝の紅き血で聖杯を満たし、この身を侵す腐食を浄化せん・・・!さすれば、悠久の理は再び正しき輝きを取り戻すであろう・・・!」
やはり何を言っているのか分からず、グレンは自分から聞いてみることにした。
「すまない。よく分からないんだが、君達は何者なんだ?」
「我らは『名もなき祭壇』・・・!時の超越者の僕なり・・・!」
自信満々に答えられたが、この子供達が『名もなき祭壇』という名の集団である事くらいしか分からなかった。
もう少し詳細を尋ねるべきかとも思ったが、興味がないため話を進める。
「その『名もなき――君達の目的は何だ?」
何故か恥ずかしくなったため、グレンは『ネオ』達の部隊名を言うのを止めた。やはりまだこの地域に根付く、仰々しい名を付ける文化には慣れていないようだ。
「くっくっくっ・・・我が言霊を忘却の果てに追放したという事か・・・!ならば、今一度聞くがいい・・・!我らの使命は穢れし魂の救済・・・!其は、冥府の王より賜りし勅命なり・・・!」
背中の翼を広げ、とても嬉しそうに叫ぶ少女には申し訳なかったが、やはりよく分からない。これは会話が成り立たないと判断したグレンは、先を急ぐことを決めた。
「すまないが、私には用があるんだ。君達が何をしたいのかは分からないが、このあたりで失礼させてもらうよ」
そう言って、グレンは歩き出す。
それを見た『ネオ』は、何故か勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「我が身に満ちる闇の波動に恐れをなしたか・・・!無理もない・・・!この肉体には、古代神の力が封じられているのだから・・・!」
ちらり、と――『ネオ』はグレンの反応を窺った。しかし、特に驚いた様子も興味を持った様子もなく、変わりない足取りで少女が立っている石柱の横を素通りしていく。
それを見た『ネオ』は、慌てて声を掛けた。
「ま、待って!待って待って!」
その時に発せられた声は、歳相応と思われるものであった。そういう話し方もできるのかと、グレンは思わず少女の方へ視線を向ける。
『ネオ』はしゃがみ込み、足場の縁から顔を覗かせるように彼を見下ろしていた。
「戻って!戻って戻って!」
よく分からないが、戻ってくれと必死に頼まれたため先程まで立っていた場所に戻る。急いで同盟軍のもとへ向かいたかったが、少女が本気の懇願を見せたため無視するのも気が引けたのだ。
そして、改めて向かい合ったグレンに対して『ネオ』は、
「我が身に満ちる闇の波動に恐れをなしたか・・・!無理もない・・・!この肉体には、古代神の力が封じられているのだから・・・!」
と、先程と同じ台詞を発した。
けれども「古代神の力」の部分が最初のものよりも強調されており、どうやらそこが重要だと言いたいようだ。
(もしや・・・それが何か聞いて欲しいのか・・・?)
そこまでされるとグレンにも『ネオ』の思惑がなんとなく分かった。少女の期待に応えれば大人しく行かせてもらえる可能性があり、仕方なく問い質す。
「その『こだいしん』とは何だ?」
そう聞かれた『ネオ』は堪え切れずに破顔しながらも、すぐに真面目な表情を作って答えた。
「くっくっくっ・・・!扉を開きし者しか真に理解はできぬが・・・深淵に触れたいと言うのならば致し方ない・・・!」
「いや、無理にとは――」
「聞いて!」
なんだか聞かれたくないような調子だったため断ろうとしたのだが、逆に聞けと言われてしまい、グレンは大いに戸惑う。話し方の変化といい、この少女はどうにも分からない。
「古代神とは、八王神よりも前にこの大陸を支配していた神々のこと・・・!彼らは死すら超越し、再びこの地を我が物にしようと機を窺っている・・・!我はそれを阻止するため、禁じられた儀式によってこの身に3体の古代神を封じたのだ・・・!」
「なにっ・・・!?それは本当か・・・!?」
これは、グレンの素直な反応である。自分の知らない事などいくらでもあると知っているために、『ネオ』の話を幾分か真面目に受け取ったのだ。
しかし、その返しを聞いた少年少女の何人かは盛大に噴き出していた。笑い声を押し殺し、肩を震わせる様は明らかに彼の返事に対する反応だ。
グレンは気になったが『ネオ』は気にせず、意気揚々と説明を続ける。
「いかにも!我が異形はその代償ゆえ!白き翼は『天光神シュピリャディフルト』を封じたために!黒き翼は『暗黒神バーフィアットリドー』を封じた事で我が身に顕現せしもの!しかし!真に恐るべきは我が右目に封じられし『邪眼神カムディオーネス』の死の力!この呪われし眼は、捉えた全ての命を無へと帰す!」
「んん・・・?よく・・・分からないが・・・・凄い力を持っているようだな・・・」
少女の語った内容を、グレンは辛うじてほんの少しだけ理解した。彼の知り合いにも眼帯を着けた少女がいるが、それとは全く異なる理由であり、軽く身構えてしまう。
そんな彼の反応に、『ネオ』は不敵な笑みを浮かべた。そして、他の少年少女達は笑いを堪えていた。
「安心するがいい・・・!右目を閉ざす封印は然るべき儀式によってのみ解放される・・・!今の我は、その承認を得ていない・・・!」
「なるほど・・・そういった魔法道具なのか・・・。という事は、背中の翼も同様の理由なのか?」
「否!我が身の一部なり!」
「いや、それは嘘だろう?」
「え・・・?」
今まで自分の話を真面目に聞いてくれていたグレンの否定に、『ネオ』は少しだけ怯んだ様子を見せた。当然ながら彼にも根拠があり、それを少女に告げる。
「背中の翼はどちらも魔法道具だろう?どのような効果があるかは分からないが、少なくとも君の体の一部ではない。何故そのような嘘を吐くんだ?」
「え・・・あ・・・・うう・・・・・」
グレンの率直な疑問に、『ネオ』は言葉を詰まらせる。彼としては詰問しているつもりなどないのだが、狼狽える少女を見て、自然と申し訳ない気持ちになった。
「ああ、すまない。何か事情があるみたいだな。今のはなかった事にしてくれ」
そう言って切り上げるが、グレンには『ネオ』が少しだけ怒ったように見えた。顔も若干赤くなっており、恥を掻かされたと思っているようだ。
「わ・・・我が聖域に踏み込んだな・・・!禁忌に触れたその罪・・・もはや死で償うしかないぞ・・・!」
「な・・・なに・・・!?何故そんなにも腹を立てている・・・!?」
少女の感情の起伏が理解できないと、グレンは慌ててしまう。勘違いしようもない敵意が向けられており、このままでは面倒な事になりそうであった。
届くかどうか分からないが、『ネオ』に対し必死の説得を試みる。
「落ち着くんだ・・・!私はまだ、君達が何者なのかさえ分かっていないんだぞ・・・!」
「黙せよ!楽園への道はすでに閉ざされた!汝の命運は我が手中にあり!屈するがいい!我が『魔導』の前に!」
「・・・・・・『まどう』?」
初めて聞いた言葉に戸惑いも忘れ、グレンは疑問の声を返す。名称を唱える魔法や、呪文を唱える魔術については知っているが、『魔導』と呼ばれるものには今まで出会ったことがなかった。
どうやら説明はしてくれないようで、彼の疑問を放置したまま、『ネオ』は攻撃を開始する。
「集え!我が魔力よ!」
(・・・ん?)
そこで再びの疑問。
少女の口から発せられたのは今まで聞いた事もない言語であり、自分達が普段使うものでは絶対にないと断言できた。ならば古代語かとも思ったが、学のないグレンには判別できない。
それでも、魔法にしろ魔術にしろ、使用するのは現代語である事くらいは彼でも知っている。少女の言う『魔導』はそれらと違うのだろうか、という思考を、続く『ネオ』の詠唱が妨げた。
「虚空より生まれし未知なる偶像よ!その同胞よ!我が敵を喰らい、非情なる闇へと導き給え!不滅久遠の音色が響き、静謐が今宵終焉を迎える!明くることなき悪の名の下!我が手が奏でる始まりを聞け!」
高らかに唱える『ネオ』の声を聞きながら、グレンは原因不明の羞恥心を感じていた。自分が言っている訳ではないのだが、首筋あたりに変な汗を掻いてしまっている。
一先ず、『ネオ』の魔導が魔術のように呪文を唱えるものである事は分かった。特殊な言語を並べ、それによって己の魔力を行使するのだろう。
(それでも・・・これは・・・)
大人であるグレンには耐え難い。そして何より長かった。
高所という地の利を得ているために時間を掛けているのだろうが、その長さゆえに少女の言う『魔導』は実戦には不向きと思える。グレンならばその隙に攻撃を加えることもできたが、当然ながら彼にそのような意思はなかった。
例え相手が攻撃を仕掛けてこようとも、事情を全く解さずに子供を傷付ける訳にはいかないからである。逃亡を図っても良かったが、一生懸命に言葉を紡ぐ少女を放置するのもどうかと思った。
仕方なく、グレンは待つことを決める。
そしてそれ故に、『ネオ』の魔導は無事完成した。
「呪われし世界に顕現せよ!――『幻想的永久機関』!」
叫んだ少女が突き出した手の平の上に、名状しがたき闇が収束していく。それは暗黒色に輝く多面体であり、まるで死の舞を踊るかのように一定の速度で回転していた。
「くっくっくっ・・・!これぞ、我が魔導『幻想的永久機関』・・・!『罪深き刃』よ・・・!汝にとっては、決して逃れえぬ追跡者となるであろう・・・!」
この時グレンは、少女からの死の宣告を聞きながらも、
(もしや・・・『罪深き刃』とは俺の事か・・・?)
と考えていた。
あまりにも呑気な思考であったが、『ネオ』の声が彼の意識を呼び戻す。
「さあ!闇と共に踊れ!」
そう叫んで放たれた多面体は、一直線にグレンへと迫って来た。とは言っても大した速度ではなく、精々が成人男性の走る速さくらいである。
グレンにとっては欠伸が出る程の遅さであり、危機感も覚えず避けようとした。
(むっ・・・!?)
しかしその時、彼の体に異常が起こる。いきなり全身に気怠さを覚え、視界が少し狭くなったのだ。
原因は分からない。もしかしたら『ネオ』の魔導によるものかとも考えたが、だとしたら発動から少し時間差があるため、それとはまた別の理由と思われた。
それよりもむしろ、ここ何日も満足のいく食事を取っていない事の方が直接の原因である可能性が高い。言うなれば体調不良であり、グレンはここに来て遂に限界を迎えたのではと捉える。
唐突な出来事であるため確実なことは言えないが、別にそこまでの支障がある訳でもなかった。
その状態でも少女の魔導を避けるのは容易く、自身の体調に気を配りつつもあっさりと躱す。しかし、『ネオ』の表情には依然余裕があった。
「む・・・」
その理由はすぐに判明する。躱したと思った多面体が即座に方向を変え、再びグレン目掛けて迫ってきたからだ。
「くっくっくっ!我が召喚せし暗黒物質は無限の追跡者!触れるは終焉!いかなる物をも虚空へと消し去る!」
状況とその発言から、グレンは『ネオ』の放った魔導についてなんとなく理解する。おそらく、標的に命中するまで攻撃を止めず、触れたものに損傷を与える類のものなのだろう。
確認のため小石を拾って投げてみると、音もなく吸い込まれて消滅した。率直に言って、子供が放ったとは思えない程に見事な代物である。
「すごいな、これは・・・!どれくらい持続するものなんだ?」
多面体を躱しつつ、石柱の上で不敵に笑う少女に尋ねる。
「無論、我に仇なす存在を滅するまで!」
「それ以外にこれを止める方法はないのか?」
「我が意思でのみ支配できる!」
興味を持ってもらえて嬉しいのか、『ネオ』は自身の魔導に関して喜々として答えてくれた。自分を不利にさせるだけなのだが、グレンにとっては有り難い。
「君ならば止められるという事だな?ではすまないが、このままでは危ないからすぐに攻撃を中止してくれないか?」
「くっくっくっ・・・!我が内に宿る漆黒の宝玉には一欠片の光もない・・・!命を喰らう獣に慈悲を求めるとは・・・闇に飲まれたか・・・!」
「それはつまり、聞き入れてはもらえないという事か?」
聞いても返事はなく、不敵に笑うだけであるため、そうだという事なのだろう。
ならば仕方ないと、グレンは『ネオ』の放った多面体を躱した後、即座に少女が立つ石柱へと接近した。そして握り拳を作り、柱に向かって強烈な一撃を叩き込む。
周りの木々すら震わす振動が発生し、一瞬にして石柱に亀裂が走った。
「――へ?」
自身の真下から発せられた衝撃音に、『ネオ』が気の抜けた声を漏らす。直後に足場が不安定になった事で体勢を崩し、両手と両翼をばたつかせて「はわわわわわ!」と慌てた。
そして無情にも、柱は崩壊する。必然、『ネオ』も落下した。
「ぴゃあああああああああああああ!」
(やはりあの翼では飛べないか・・・!)
そうだろうとは思ったが、必死に翼を動かしならも情けない悲鳴を上げて少女は落ちて来る。それを受け止めようと、グレンは瓦礫の雨の中で両腕を構えた。
しかしその時、先程から抱えていた体調不良がさらに悪化する。
(なんだっ・・・!?)
まるで重病を患ったかのように体が重く、視界がさらに狭くなる。もはや単なる不摂生では片付けられない異常が体に起こっており、グレンは大いに混乱した。
それでも少女を助けるため、霞む意識を集中させる。
そして辛うじてではあったが、『ネオ』を両腕で受け止めることに成功した。
(うっ・・・!?)
翼や服のせいだろうか、少女は意外に重く、自身に起こった異変もあってグレンは軽く体勢を崩す。すぐに離脱しようと考えていたのだが僅かに足が止まってしまい、そのための時間もなくなってしまった。
けれども膝を突くまでには至らず、落ちて来る残りの瓦礫から『ネオ』を守るため、そのままの流れで背中を盾にする。
それらは普段ならば物ともしない衝撃であるのだが、おかしな事に無視できない痛みがグレンを襲った。相変わらず原因不明なままの事態に混乱しつつも、少女を傷付ける訳にはいかないと渋い顔をして耐える。
幸いなことにそれはすぐに止み、グレンは堪えていた痛みを吐き出すように一息ついた。
そしてそれくらいの余裕が生まれた事によって、彼はある事に気付く。自分が、何か柔らかい物を握っているという事に。
確認のため視線を移すと、グレンは自身の右手が『ネオ』の胸を思いっきり握りしめている光景を目にした。
(うおっ・・・!)
遠目では分からなかったが、これはあの少女と比べても遜色ない――という下品な思考を精神力で断ち切り、グレンは慌てて手を放す。もちろん故意ではなかったが、自身の犯した過ちに大きな罪悪感を抱いた。
「あ、ありがとう・・・ございます・・・」
しかし『ネオ』は気付いていなかったようで、受け止めてくれた事に対して涙目で感謝を告げてきた。先程よりも大きな安堵を覚えたグレンは、少女に向かってこのような真似をした理由を告げる。
「すまないが、急いであれを消してくれないか?」
「え・・・?」
彼が顔を向けた方に『ネオ』も視線を向けると、もうすぐ近くまで暗黒色の多面体が迫っていた。
「きゃわああああああああ!消えて消えてー!」
急いで手をかざし、少女は自身が生み出した物体を消し去る。それを見届け、グレンは『ネオ』と一緒に安堵の溜息を吐くのだった。
一先ず、危機は去ったと見ていいだろう。
「ちょっと!おじさん!」
その時、『ネオ』が立っていた柱の隣、同じような石柱の上に立っている少女が叫んだ。反射的に視線を向けると、怒りを含んだ眼差しでグレンを睨み付けているのを目にする。
その少女は真紅の髪を肩まで伸ばし、それよりも少しだけ長い後ろ髪を三つ編みにして束ねていた。体の線がはっきりと分かるような赤い礼装で身を包み、その手には真っ赤な槍が握られている。
グレンはふと同じ髪色をした母国の少女を思い出したが、彼女と比べると女性的魅力に大きく欠けていると言えた。
(何を考えているんだ、俺は・・・)
と、再びの下品な思考を中断し、石柱から飛び降りる少女を目で追う。どうやら見事な身体能力を持っているようで、片手で服を抑えながらも槍を突き刺す事で衝撃を殺し、優雅な着地をしてみせた。
一連の動作には気品が漂っていたが、グレンを睨み付ける瞳には攻撃的な感情が宿っている。その少女は少しだけ近づいてから立ち止まると、彼に向かって鋭く指を突き付けてきた。
「おじさん今!どさくさに紛れてニャーちゃんのおっぱい揉んだでしょ!?私、見てたんだからね!」
その少女の言葉にグレンは狼狽え、周りにいる少年達が一瞬ざわつく。しかし、そんな男達よりもさらに慌てたのが腕に抱える『ネオ』であり、グレンから逃れようと必死に暴れ始めていた。
「わ、わわ!ひゃわわわわわ!」
「お、落ち着いてくれ・・・!別にわざとでは・・・!」
背中の翼に顔を殴られながらも、グレンは『ネオ』をゆっくりと下ろした。すると脱兎の勢いで仲間の少女のもとへと向かって行き、その背中にそそくさと隠れてしまう。
翼がはみ出ているため丸分かりではあったが、今はそこよりも苛立ちを抱える赤髪の少女に視線が向く。グレンを威嚇するように突き出された槍が、鋭く光っていた。
「ニャーちゃんの話に付き合ってくれてたから良い人かと思ったけど!本当は体が目的だったのね!いい歳して子供に興奮するなんて!変態なんじゃないの!?」
少女のきつい言葉に、グレンは圧倒される。
「待つんだ・・・!さっきのは不慮の事故で――!」
「あー!言い訳するんだ!?ニャーちゃんのおっぱいを揉んだのは事実なのに言い訳するんだ!?」
「大声で繰り返すんじゃない・・・!」
それは『ネオ』も思ったのか、制止を掛けるように少女の服を引っ張っていた。赤髪の少女は振り向き、仲間の用件を確認する。
「なに、ニャーちゃん?」
「クーちゃん・・・それはもういいから・・・!それよりも、名前・・・!私の名前・・・!」
「あ、そっか。その格好をしている時は『ネオ』ちゃんだっけ。ごめんね」
そのやり取りに対し、グレンは違和感を覚える。
『ネオ』というのは、どうやら偽名であるようだった。
「どういう事だ?『ネオ』というのが本名ではないのか?」
「なに、おじさん?気になるの?まさか、ニャーちゃんが実はエッチな体してるから好きになっちゃったとかじゃないでしょうね?」
「クーちゃん!」
「冗談だってば、ニャーちゃん――じゃなかった、『ネオ』ちゃん」
『ネオ』にそう言った赤髪の少女は、グレンに向き直ると悪い笑みを浮かべた。何故そのような表情をしているのかが分からず、彼も訝しむ。
「別に教えてあげてもいいけど。この子の本名を知ったら、おじさん絶対に平謝りする事になるわよ?『馬鹿な真似をしてすいませんでした!』ってね」
「何故だ?もしや身分が高いのか?」
「そういう事だけじゃないわよ!いい!?この子の名前は、ニャオ・テンペストって言うの!」
自信満々に告げられた『ネオ』の本名であったが、グレンにはそれの何が恐ろしいのかが分からなかった。そのため特別な反応を見せず、それを認識した赤髪の少女は逆に慌てる。
「ちょ、ちょっと!少しくらいは驚きなさいよ!この子のお爺様は、あのアレスター・テンペストなのよ!?」
「有名な方なのか?」
「信じられない!お父様の大親友で、長年に渡って国を率いてきた重鎮よ!?『到達者』なのよ!?」
「偉大な方なんだな」
「どうして何も知らないのよー!?」
じれったそうに叫ぶ赤髪の少女であったが、グレンには彼女の祖父以外に気になる点があった。それは『ネオ』本人に問い質すべき事柄であり、真剣な眼差しを少女に向ける。
「しかし『ネオ』、どうして君は本名を名乗らないんだ?」
急に話を振られた『ネオ』は少しだけ戸惑った様子を見せたが、先程までの尊大な振る舞いを再開し、グレンに向かって答えを返した。
「くっくっくっ・・・!ニャオ・テンペストとは、我が肉体に刻まれし偽りの名・・・!『ネオ・ザ・〈鮮血の王冠〉』こそが、内なる闇より導かれし真実の名である・・・!」
それを聞いたグレンは、少しだけ機嫌の悪くなった表情をした。『ネオ』にそれを察することは出来ず、不敵な笑みを依然として浮かべている。
そんな少女に対し、グレンは真面目な口調で問い掛けた。
「『ネオ』、君は御両親と不仲だったりするのか?」
「え・・・?」
それは唐突な問いであり、『ネオ』は意味が分からないと狼狽える。グレンの声や表情からは揶揄っているような雰囲気は感じ取れず、少女は怒られているような状況に困惑しながらも答えた。
「いえ・・・パパとママは大好きですけど・・・・」
「だったら、その御両親から頂いた名前を『偽り』などと言ってはいけない。私に対しても、自分の本名を名乗るべきだった」
「で、でも・・・私としては・・・名乗るんだったら・・・もう少し格好良い名前がいいなって・・・・」
「親が付けてくれた名前に不満を感じてはいけない。余程のものならば理解できるが、『ニャオ』というのはそこまでではないだろう?君に似合った、可愛らしい名前じゃないか」
それは、すでに両親を亡くしているグレンだからこそ生まれた想いであった。
大切な家族から贈られた物を蔑ろにするような真似は絶対に避けるべきである。そういった教訓めいた事を、グレンは『ネオ』に――ニャオに語り掛けた。
それが正論である事は少女にも分かっていたが、すんなりと聞き入れられる程に彼女はまだ大人ではない。
そのため仲間の少女に対して、
「クーちゃん!私、あのおじさん嫌い!!」
と、聞こえよがしに宣言していた。
「あーあ、知ーらないっと。ニャーちゃんは一度怒らせると長いんだから。おじさん、覚悟しておいた方がいいわよ?」
「む・・・何かまずい事でもあるのか?」
「そう簡単には機嫌を直してくれないってこと。ニャーちゃんのお爺様だって参っちゃったくらいなんだから」
「あ、あれはお爺ちゃんが悪いんだもん・・・!私がせっかく考えた魔導を、『無駄だからやめなさい』なんて言うから・・・!言葉も1から作ったのに・・・!」
「それで3日くらい拗ね通して、最終的には認めさせたんだっけ?あのお爺様の意見を変えられる人なんて、お父様以外だとニャーちゃんくらいよね」
グレンは依然として少女の祖父が誰かを理解できていなかったが、魔導に関する見解については同意であった。と言うよりも、ニャオには無駄な要素が多い気がする。
直接的な表現は控えるつもりだが、老婆心ながらそれを伝えたくなった。
「まあ・・・それは言い過ぎかもしれないが、私も時間の掛かり過ぎだとは思ったな」
グレンの言葉を聞いた途端、ニャオはそっぽを向いて不機嫌を露わにする。その代わりに、赤髪の少女が応えてくれた。
「無駄だってば。ニャーちゃんにはニャーちゃんの拘りがあるんだから」
「しかし、戦いの場でそれは通用しないだろう。今回は私が相手だったから良かったものの、今後は改めるべきだ。ついでに言うが、その翼も外すべきだと思う。恩恵も少ないように見えるし、何より目立ち過ぎる。能力を上げるにしても、もう少し小さな物を選んだ方が良い」
「ちょっと、おじさん!それこそ大きなお世話なんですけど!女の子のお洒落に口出ししないでよね!」
「なに・・・?お洒落・・・?」
戦うための装備ではないのか、とグレンは驚く。彼の目に狂いがなければ、あの翼は間違いなく魔法道具であるし、魔法道具であるならば何らかの効果があるはずだ。
見た目に気を使った物がある事くらいは承知しているが、それでも自分を着飾るためだけに魔法道具を装備するなど、彼は今まで聞いた事がなかった。
そんな戸惑いを、赤髪の少女は間を置かず肯定する。
「そうよ。最近の若い女の子は戦闘や生活以外にも、お洒落のために魔法道具を身に着けるの。ニャーちゃんの翼は、自分の意思で自由に動かせられる物なんだから。右目の眼帯だって、着けている本人からはしっかり透けて見えてるのよ?」
その独自に発展した異国特有の文化を知り、グレンは少なからず心理的な衝撃を受けた。自国に住むだけでは絶対に出会えなかった価値観が、そこにはあったからだ。
その事実にやや呆然とする彼を放って、ニャオが赤髪の少女に詰め寄る。
「クーちゃん、違う違うー!この翼は神を取り込んだ代償で、眼帯は封印なの!」
「あ、そうか。ごめんね、ニャーちゃん。そういう設定だったよね」
「設定じゃなくて、宿命なのー!」
「ごめんごめん。設定、ね」
仲良さそうに会話をする少女2人を見ながら、グレンは今更ながらに疑問に思ったことがあった。そのため頃合いを見計らって、それを口にする。
「そう言えば、君達はいくつなんだ?」
自分でも言っていたように、少女達は若い。子供と言い表すのが適切な年齢層である事は間違いなく、グレンはここに来て――と言うよりも、会話が成り立つ人物が現れたのを受けて、『名もなき祭壇』の正体や目的を探ろうとした。
そして希望通り、赤髪の少女が答えてくれる。
「15歳よ。私達みんなね」
「15・・・!?そんな子供達が、どうして私を襲うんだ・・・?」
「お父様に頼まれたからよ。『グレンという男が同盟軍のために援軍を呼びに行ったから、妨害してくれないか?』って」
なぜ情報が漏れている、という驚きを覚えつつも、グレンは一番気になった事を尋ねる。
「その『お父様』とは誰だ?君達のような子供にそのような依頼をする人物には、心当たりはないんだが」
「嘘ばっかり。私のお父様は冥王ドレッド・オーバーロードよ?つい昨日会ったばっかじゃない」
少女から告げられた事実に、グレンは言葉を失う程に驚愕する。
その発言の内容自体にも驚いたが、そこから推察できる様々な事情に困惑していた。
「という事は・・・君は――いや、貴女は・・・王女・・・ですか・・・・?」
とりあえず、一番口にしやすいものから言葉にする。
「あー、やだやだ。私が高貴な身分だって分かった途端に下手に出ちゃって。そんなに権力が怖いの?」
「いえ・・・そういう訳では――」
「冗談よ。お父様も言っていたけど、礼儀は弁えているってことみたいね。あ、ちなみに私は第23王女クーリエ・オーバーロードだから。今後は名前で呼ぶことを許可します」
最後に王女らしい言葉遣いをすると、クーリエは朗らかに笑った。そのあどけない笑みは正に少女そのものであり、だからこそグレンは冥王が取った行動に疑問を持つ。
それは彼女達を差し向ける以前の問題で、子供達を――しかも王女をも――戦力として組み込んでいる事についてである。
「クーリエ王女、つかぬ事を伺いますが・・・冥王国には、子供の兵士もいるんですか・・・?」
同盟軍との決戦の時に見た冥王国軍には、多くの兵士がいるだけでなく、優れた戦士である将軍が何人もいた。戦力としては十分であり、どう考えても子供を戦争に巻き込む必要はないと思われる。
だが現実として、今グレンの前には冥王の指示で動く子供達がいた。一体何を考えているんだと、彼は異国の王の思惑を受け入れられない。
が、その不安はクーリエによってすぐに否定された。
「そんな訳ないじゃない。私達まだ学生よ?さっきニャーちゃんが『称号を授かりし』とか言ってたけど、あれも自称だから。私達が何かしらの実績を上げられるのなんて、本当だったらまだまだ先の話。今回の任務は適任だからって任されただけなの。特例中の特例って感じでね。ま、それもとっくに失敗してるんだけど」
「ん・・・?それはどういう意味でしょうか?」
「私がさっき言ったじゃない。『援軍要請の妨害』が目的だって。でもおじさん、もう用事を済ませて来ちゃったんでしょ?だから天守国に帰って来たんでしょ?」
「あ・・・はい、その通りです」
「だったら、そこから先は私達の知ったことじゃないのよ。おじさんが交渉に成功しようが失敗しようが、学術国の首都に辿り着いた時点で私達の出る幕はなくなったって事なの」
「では、何故こうして私の前に?」
「それは、隊長であるニャーちゃんが『そうしたい』って言ったからよ。『せっかく任されたお仕事なんだから何もやらずに帰りたくない』って。だから、おじさんが行きに通ったこの場所で待ち伏せしてたってわけ。きっと帰りも通るだろうってね」
「はあ・・・・なる・・・ほど」
自分が通った道を探り当てる能力は素晴らしいが、その後の対応は如何なものか、とグレンは思った。これが正式な軍人ならば命令違反であり、厳しく罰せられるに違いない。
「あ。言っておくけど、これは絶対に秘密だからね。ばれたら怒られちゃうんだから」
それをクーリエも理解しているらしく、グレンに釘を刺してくる。彼としても暴露するつもりはないため、すぐに頷いた。
しかし実の所、この事態についてはミシェーラによってすでに把握されていたりする。グレンを見失った彼女ではあったが、当然『名もなき祭壇』の監視は行っており、子供達の勝手な行動をずっと見ていたのだ。
後日、少年少女達はミシェーラから長時間にわたって静かな説教を受けるのだが、今の彼らにそれを知る術はない。
「では、私はもう行って良いという事ですね?」
そしてそれをグレンが知るはずもなく、子供達の用が済んだのならばと、何の憂いもなくこの場を立ち去ろうとする。
特に反対する理由はないのか、ニャオは何も言わず、クーリエは肩を竦めた。
「別にいいんじゃない?」
その言葉を受け、グレンは別れの言葉を告げた後、2人の少女に背を向ける。同盟軍降伏まではまだ猶予があるはずであり、自分の失態に対する埋め合わせを考える時間も十分にあると思われた。
そのように思考を切り替えて歩を進めたグレンであったが、そんな彼を制す、威勢の良い声が突如として響き渡る。
「待ちなッ!おっさんッ!!」
その呼び方に心を傷付けられながらも、呼ばれた方へと視線を向ける。
雄叫びの主は少年であり、腕を組んでグレンを見下ろしていた。なにやら興奮した面持ちをしているように見え、真っ白な歯を剥き出しにして笑っている。
日の光を受けて輝く短い金髪。自身の筋肉質な体を自慢するかのような、腕と腹部を大きく露出した上半身。下半身にはエルフ族のような腰巻を着けており、その下には動きやすそうなズボンを着用していた。
そんな少年の外見において最も注目すべきなのは、やはり拳を覆う拳鍔と足首から下を覆う脚甲だろう。黒と金で彩られており、存在感の主張がかなり激しい。
「とうッ!」
グレンが一通りの観察を終えると同時に、少年は石柱から『バンッ!』と飛び立つ。そして『ドンッ!』と膝を曲げて着地をすると、何故かしばらく動かなくなった。
どうしたのかと様子を窺っているグレンに対し、少年は絞り出すような声で、
「ちょっと待っててくれ・・・・足が痺れた・・・・・ッ!」
と告げてくる。
言われた通り少し待つと、痺れは収まったようで、少年は『ガバッ!』と立ち上がった。
「おおおおっしゃああああああッ!治ったぜええええッ!」
先程から思っていた事だが、この少年は妙に声が大きい。今まで黙っていたのが不思議なくらいに元気であり、そのような少年が自分を引き留めた理由をグレンはまず問い質す。
「何か用か?」
それにはすぐに答えず、少年はグレンの目の前まで近寄って来る。そして彼に向かって『ニカッ!』と笑みを浮かべると、右拳を突き出してきた。
「おっさんッ!俺と勝負しようぜッ!!」
「・・・・・・は?」
意味が分からないといった声が、グレンの口から思わず零れる。実際、納得のできない言葉であり、必要のない戦闘であるのだから当然であった。
しかし少年は気にせず、自身の高まった闘志を伝えてくる。
「俺もよ!始めはそんなつもりじゃなかったんだぜ!?王様からセレ姉ちゃんやカシューン兄ちゃん、それに親父が何も出来なかった相手って聞かされてもピンと来なかったしな!『そんな奴、ほんとにいんのか?』って感じでさ!でもよ!さっきおっさん、拳で柱を砕いたよな!あれはかなり痺れたぜ!あんな真似ができる奴は並じゃねえ!おっさん、かなり強えだろ!?そう思ったらウズウズして来ちまったんだ!だからさ、今から俺と戦ってくれよッ!」
矢継ぎ早に発せられた少年の言葉を、グレンは冷静に頭の中で総括する。かなり雑な主張であったが意志は伝わり、彼にとっては考えるまでもない返事をした。
「何を言っている?戦う理由がないだろう?」
先程クーリエから教えてもらった情報では、彼らの任務はすでに失敗しているという事であった。ならばこれ以上関わる必要はなく、それ以前に子供相手に手をあげる気がグレンにはない。
申し訳ないと思わない程に、少年の要求には応えられなかった。
「いいや、あるぜッ!強え奴と出会ったら、勝負したくなるのが男ってもんだろッ!?」
しかし少年は謎の理論を展開し、彼の意見を退ける。とても逞しい思想ではあったが、同時に危険でもあり、グレンは諭す様に言葉を掛けた。
「少年、君のその考えは間違っている。争いなど本来あってはならないんだ」
「なんでだよッ!?おっさんだって戦いを楽しむ口だろッ!?隠そうとしたって無駄だぜッ!その姿と実力を見れば、馬鹿でも分かるッ!」
いや、グレンにそのような性分はない。
誰かの役に立つ戦いができるのは嬉しい事だと考えてはいるが、戦い自体を楽しんだ事など今まで一度としてなかった。極稀にそのような勘違いをされることもあったが、それはグレンにとって不本意でしかないのだ。
「それは君の勘違いだ。私にそのような趣味はない」
「じゃあ、なくてもいいぜッ!俺が戦いてえから戦ってくれよ、おっさんッ!」
「だから、戦う理由がないと言っている。それは学生である君達も同じだろう?子供が戦争に関わってはいけない」
「あ!さては俺達がただの学生だと思って見くびってんなッ!?安心しろよ!俺達8人は、全員が『六学聖武祭』の上位入賞者なんだぜッ!?」
「・・・なんだ、それは?」
少年が口走った『8人』を記憶に留めつつ、グレンは問い質す。
「なんだ知らねえのかよッ!冥王国にある6つの学園が、毎年合同で開く武闘大会だよッ!それぞれの学園の代表者が参加して、一番強え奴を決めようって大会だッ!」
それを聞き、グレンは母国の王都で行った『合同実習』を思い出す。あれと似たような物かと思われるが、少々規模が大きいようだ。
「ふむ・・・学生にやる気を出させるための一環か?模擬戦闘でもやるのか?」
「なに言ってんだッ!そんなんで本当に強え奴が決まるかよッ!武器も魔法も使いまくりの!超本格的な戦いをやるんだよッ!」
少年が語った言葉の意味を、グレンはすぐに理解できなかった。そしてよく考えた末に理解はできたが、納得できなかったため一番気になった点を尋ねる。
「それだと・・・最悪の場合、大怪我をしないか・・・?」
「当たり前だろ!?流血や骨折なんて珍しくもねえッ!つっても、戦闘後にはきっちり治してもらえるし!本気でやばい時は審判が止めに入るけどな!」
「なんだそれは・・・!そんな危ないものに出て・・・君達の御両親は心配しないのか・・・!?」
「俺達の親もやってきた事だぜ!?今の王様が王様になった頃からの政策だとよ!」
「冥王の・・・!?」
この時グレンは、思い掛けない所で冥王国の強さの源を知ったような気がした。
学生時代からの実戦経験。それを積み重ねてきたからこそ、あの時に冥王を守護していた者達は見事な実力を有していたのだ。
それはフォートレス王国にはない環境であるし、おそらく他のどの国にもないものであるだろう。同盟軍が冥王国に負けたのも、納得できるという話であった。
「で!その大会における今年の上位8人が俺達ってわけだ!言っとくが、これはかなりすげえ事なんだぜ!?大会に参加できるのは15~20歳の学生で、俺達は全員が最年少!史上初の大快挙なんだとよ!世間では俺達のことを『第二黄金世代』なんて呼んでる!まあ、ニャーの奴がそれじゃあ地味だから『名もなき祭壇』にしてくれって、大会後の謁見の時に王様に言ったんだけどな!」
グレンがニャオに振り向くと、少女は肯定するように芝居がかった仕草を取った。ふざけたような言動をしていた彼女も、少年が説明してくれた大会の上位者なのだと言う。
「おっさんは誤解してるかもしれねえけど、実はニャーだってかなり強えんだぜ!?『1対1』っつう大会の形式上、魔法使いの連中はかなり不利なんだ!一応距離を取ってからの試合開始だっつっても、詰められたら終わりだからな!それでもあいつは上位に食い込んでる!『魔導』なんて自分だけのものを作っちまうくらいには天才なんだよ!」
「それは凄いと思うが・・・あれで良く勝てたな・・・」
「大会の時は普通に魔法を使ってたからな!」
なるほど、とグレンは呆れながらも納得した。
しかしそうなると、先程の攻撃はニャオの全力ではないという事だ。少年の言う通り、かなりの潜在能力を秘めていると思われた。
「これで分かっただろ、おっさん!俺はおっさんが思ってる程に弱くはねえ!だから戦おうぜッ!」
そんな彼に向かって、自分の強さを説明し終えたとでも言うように、少年が再び勝負を挑んでくる。だが依然として受けるつもりはなく、自分だけでは説得できないと、グレンは話の通じるクーリエに助力を請うことにした。
「クーリエ王女、貴女からも何とか言ってもらえませんか?」
「あー、無理無理。アギト君はニャーちゃんと同じくらい人の言うこと聞かないから」
「いや、しかしですね・・・」
「別に少しくらいだったら戦ってあげれば?それで満足すれば、アギト君も大人しく引き下がると思うけど」
そう言われても、と思いつつ、グレンは少年へと視線を戻す。どうやらアギトという名であるらしい少年は、やる気満々といった感じに準備運動までしていた。
その光景に、グレンはどうしたものかと思い悩む。
これがもし母国に関する戦いだったのならば、彼も躊躇せず目の前の少年と戦ったことだろう。殺しまではしないまでも、当身の1つでも喰らわせて気絶させるくらいは平気でやったに違いない。
しかしグレンは今、異国間の戦争に首を突っ込んでいるだけなのだ。それに関連して急ぎの用があるにはあるが、厳密に言えば彼が同盟軍のもとに辿り着こうと着くまいと、最終的な結果は何一つ変わらないのである。
彼が急ぎたいのはあくまで自分の尻拭いをするためであり、それだけの理由で少年に危害を加える訳にはいかなかった。無視して去りたかったが、ニャオと同じくそれを許してくれる性格ではないだろう。
「さあ!こっちの準備は万端だ!さっさと始めようぜ、おっさんッ!」
拳を握りしめて吠えるアギトは、すでに心身ともに臨戦態勢である。下手をすれば無理矢理にでも戦闘を始めそうであり、グレンは仕方なく受ける事にした。
とは言っても、最低限度の対応しかしないが。
「分かった・・・。少しくらいならば付き合おう」
「へッ!そう来なくっちゃ――なあッ!!」
言うが早いか、アギトはいきなり拳を繰り出す。見事な拳速であり、グレンは王都の学院で組み手を行った少女と同じくらいの高評価を少年に対して覚えた。
出会ったばかりの人間に躊躇なく殴り掛かれるのは、冥王国の学生が実戦慣れしているからだろう。
だがそれでも、グレンにとっては苦労する程のものではなく、打ち込まれる拳を容易く右手で受けた。
(うっ・・・!)
すっかり忘れていたというように、グレンは心の中で苦悶の声を上げる。彼は今、原因不明の体調不良に襲われており、痛みに対しても弱くなっているのだ。
アギトの拳は拳鍔で覆われているため、単純な殴打よりも遥かに威力がある。何かしらの損傷を負うという程ではないが、やはり無視できない痛みが発生した。
「おらおらおらおらあッ!」
初撃を受け止められても動揺を見せず、アギトは拳を素早く交互に打ち出してくる。グレンはそれらを全て右手だけで防いでいるのだが、これは別に少年を見くびっているからではない。
彼の左手は今、自身の大太刀の鍔と鞘を一緒に握り締めており、反射的に刀を抜かないようにしているのだ。少年とは実力差があるため心配はいらないと思うが、戦士として鍛え抜かれた故の反応を見せないとも限らないためである。
用心に越したことはない、という事だ。
「おらああああッ!」
そんな中、最後に特大の咆哮と共に打ち出された右拳を防ぐと、アギトの動きが『ピタッ!』と止まった。諦めたのかと思ったが、拳を引いて佇まいを直した少年の顔には明確な不服が見える。
それを十分に込めた不満を、アギトは口にした。
「あのよ~、おっさん・・・。なんで反撃してこねえんだよ・・・?」
その声に力はなく、正に落胆といった感じである。
頭を乱暴に掻く仕草が、少年の苛立ちを表していた。
「悪いが、こちらから攻撃を仕掛けるつもりはない。私には君を傷付ける理由がないんだ」
そのグレンの宣言を聞いても、アギトに納得した様子は見られない。むしろ不快感すら覚えているようであり、少しだけ眉を上げていた。
「なんでだよッ!?それじゃあ戦いにならねえだろうがッ!」
「分かってくれ。特に理由もなく、子供に手を出す訳にはいかないんだ」
「な・・・にぃ~~~ッ・・・!!?それはッ・・・俺が子供だから殴れねえって事か・・・!?」
「何も特殊な考えではないだろう?大人ならば誰もが思う事だ」
グレンとしては比較的優しく語り掛けたつもりであったが、彼との真剣勝負を楽しもうと思っていたアギトにとっては、自分の覚悟を軽くあしらわれたと同義であった。
怒りに体が震え、拳がグレンに向けられた時よりも固く握られている。
「そうかよッ・・・!だったら、こっちにも考えがあるぜッ・・・!!」
一体何をするつもりなんだと、グレンは少しだけ用心する。ニャオの前例もあってか、この子供達の秘められた力は侮れない。
そのように警戒するグレンの視界の中で、アギトは徐に握った右拳を上げた。
「だったらよおッ・・・!これで――どうだあああッ!!」
少年の咆哮が轟いたと同時に、強烈な打撃が放たれる。直後に『ガンッ!』という音が響き、グレンはあまりの事態に呆然としてしまった。
それは何故かと言うと、アギトが拳を打ち込んだ先が、彼自身の顔面だったからである。
全く意味の分からない行動であり、グレンは口を半開きにして固まっていた。しかし、拳をどかした少年は満足気な笑みを浮かべており、これで彼が自分と戦ってくれると確信しているようだ。
「ざあ、おっざんッ!これで俺は傷を負っだッ!だからおっざんが俺を攻撃しでも、なんの問題もねえっで事だよなあッ!?」
この発言を聞いた時、グレンは生まれて初めて自分以外の人間を馬鹿だと思った。
おそらくこれ以上傷付いても同じだと言いたいのだろうが、少年が傷を負ったとしても彼が手を出す理由には全くならないからである。
むしろ鼻血を勢いよく出すアギトの事が心配になってしまい、グレンは魔法使いであるニャオに彼を癒すよう頼んだ。
「ニャオ、アギトの傷を治してやってくれないか?」
しかし返事はなく、少女はそっぽを向く。
「おじさん、今のニャーちゃんは『ネオ』ちゃんなの。仲の良い私とは会話をしてくれるけど、おじさんはしっかり呼ばないと、なんにも話してくれないわよ」
「そうなんですか・・・。では『ネオ』、アギトの傷を治してやってくれないか?」
無反応だった理由をクーリエが教えてくれ、グレンは助言通りに言い直した。すると『ネオ』――もといニャオは不敵な笑みを浮かべ、こう言い放つ。
「くっくっくっ・・・!無垢なる牙は地に堕ちる事を恐れず・・・!例え天に還ろうとも、再び己が翼を穢すだろう・・・!」
少女の過剰な表現はやはりグレンには伝わらず、分からないと眉根を寄せる。
「申し訳ないが、君の言葉は私には難しすぎる。先程はクーリエ王女と普通に話をしていただろう?私に対してもそれで頼む」
そのためそういった申し出をしたのだが、ニャオは不満気に「むー!」と頬を膨らませてしまった。それでも素直に聞き入れてくれ、先程の言葉を分かりやすく伝えてくれる。
「アギト君は馬鹿だから!治してもまた同じようにしちゃうってこと!」
始めからそう言ってくれれば、とグレンは思った。
そうしない理由が少しだけ気になり、クーリエに尋ねてみる。
「クーリエ王女。これも大きなお世話かもしれませんが、なぜ彼女は難しい言葉遣いをするんですか?」
「んー?よく分かんないけど、去年くらいから急にそうなったのよ。『くっくっくっ・・・!我は遂に真理を得た・・・!』って言い出してね。始めは私も戸惑ったけど、ニャーちゃんが楽しんでるんならそれで良いのよ」
グレンはふと、ニャオが変わった言動を取り続ける要因の1つとして、クーリエの包容力も含まれているような気がした。甘やかすと言うか、全肯定すると言うか、仲が良過ぎる故なのだろう。
「おいごら、おっざんッ!俺を無視ずんなッ!」
相変わらず鼻血を垂れ流しているアギトが、少女達との会話に興じるグレンに文句を垂れる。このまま放っておいたら貧血で大人しくなりそうではあったが、そんな非情な真似は流石に出来なかった。
「アギト、とりあえず鼻血を止めるんだ」
「おっざんが俺と本気で戦うっで言っだらなッ!」
「それは約束できない」
「じゃあ――!」
「だが、君が本気を出すに値する戦士だと分かったのならば別だ」
「――んッ!?」
グレンの提案を聞き、アギトは興味深げな表情を覗かせた。それ自体は嘘であるため、どのような状況になろうとも本気を出すつもりはない。
しかしこう言えば、この少年は従ってくれるだろうと判断していた。
「そのためには、万全の状態にならないといけないだろう?」
これが駄目押しとなり、アギトは「そうだなッ!」と頷く。頑固ではあるが素直な性格なようで、ニャオのもとに小走りで近付いて行った。
「という訳だ、ニャー!治しでくれ!」
「くっくっくっ・・・!我が深淵に慈悲などない・・・!全ては等価交換の原則の下に紡がれる闇の契約・・・!それでも良いと言うの――」
「『ネオ』、なるべく急いでやってくれないか?」
アギトを気遣ったグレンの言葉であったが、台詞を途中で遮られたニャオは不機嫌に頬を膨らませた。それでも言うことは聞いてくれるみたいで、アギトに向かって手を伸ばす。
一癖も二癖もある子供達ではあったが、総合的には良い子達なのだな、とグレンは思った。
「集え!我が魔力よ!」
「ああ。魔導ではなく、魔法で治してやってくれ」
少女が開発した魔導では時間が掛かると判断し、グレンは魔法での治癒を指示する。もはや悔し涙すら浮かべるニャオであったが、やはり文句は言わず、どこからか指輪を取り出した。
「それは?」
「我が理を外れ、魔導ならざる力に縋る際の供物・・・」
「つまり?」
「むーっ!私が魔法を使う時の物ってことっ!」
グレンによって完全に自分の個性を潰されてしまい、ニャオは吹っ切れたかのように怒鳴る。少女の苛立ちも気になるが、それよりも魔法を使うのに指輪を取り出した事の方が興味深かった。
「杖は使わないのか?」
「うわ!おじさん、一体いくつなの!?」
グレンの呟きに対し、驚きの声を返したのはクーリエである。自分としては変な発言をしたつもりはないため、どういう事なのかと不思議に思った。
「魔法を唱える時というのは、杖を使うものではないんですか?」
「そんなのお年寄りくらいよ?最近では指輪だけじゃなく、腕輪や耳飾りが主流かな?男の子とかは剣とか使うけど」
「はあ・・・そうなんですか・・・」
独自に発展した異国の文化を耳にした事で、グレンはまたもや衝撃を受けた。ヴァルジから聞かされた記録係の話を思い出し、目立つための工夫なのだという事にする。
「よっしッ!おっさん!俺はいつでも始められるぜッ!」
グレンがクーリエと会話をしている最中に傷を治してもらったのか、アギトの威勢の良い声が発せられた。目を向けると確かに鼻血は止まったようで、元気に肩を回している。
「分かった。掛かって来るといい」
疲れ果てるくらいまで相手をすれば諦めるだろうと考えたグレンが、少年に向かってそう言い放つ。
先程の攻撃を受けてみた限り、年齢の割には確かに見事と言えた。しかし捌くことはそこまで難しくないため、何事もなく終わらせるのは造作もない事だとも断言できる。
「そんじゃあ!こっからは本気で行くぜえええええッ!!」
「・・・・・・・なに?」
しかし少年の口から飛び出した予想外の言葉に期待を裏切られ、グレンは戸惑いを露わにした。その反応を見たアギトは満足気な笑みを浮かべながら、腰を軽く落とし、両拳を力強く握る。
「さっきのは小手調べだぜ、おっさん!あんなもんが俺の実力だなんて思ってんじゃあねえぞッ!」
この子供達の秘められた力は侮れない。
つい先程そう考えたのにも関わらず、それを失念してしまった自分をグレンは恥じた。原因不明の体調不良のせいか、いつも通りの思考ができていない気がする。
狼狽えるグレンであったが、もう遅いとでも言うようにアギトの雄叫びが響き渡った。
「うおおおおおおおおおおおッ!『雷神特攻形態』ッッ!!」
瞬間、少年の体が雷を纏う。
『バリバリバリッ!』という音がグレンの耳にも届き、目の前で起こった現象が見間違いでないことを理解できた。
「・・・・・は?」
しかしそれ以上は理解できず、堪らず疑問の声が漏れてしまう。アギトが体に雷を発生させた原理が、彼には全く分からなかったのだ。
魔法という訳ではなく、魔法道具という訳でもなさそうである。
「へへッ!驚いたみてえだな、おっさんッ!俺の『雷神特攻形態』に!」
「それは一体、どういう原理なんだ・・・・?」
「身体能力を強化する魔法があるだろ!?それの応用だ!魔力を体外に出さずに、自分の中で力に変える技だぜ!」
「ヴァルジ殿と同じようなものか・・・?少年、それは誰に習った?」
「学園の教師だ!なんでも、昔いきなり勝負を仕掛けてきた奴が使ってたんだとよ!俺になら合いそうだから挑戦してみろって言われて、やってみたら出来ちまったんだ!もちろん俺流の改良も加えて、だぜ!」
「すごい才能だな・・・」
おそらく、40年前ヴァルジが勝負を挑んだ者の中に、彼の技の本質を見抜いた実力者がいたのだろう。そしてその人物が教師となり、上辺だけではあったが、そういった事ができるとアギトに伝えたようだ。
それを正式な師の下ではなく独学で身に付けてしまうあたり、少年の才能が突出している事が窺える。
技の開発者であるヴァルジから言わせれば未熟極まりない練度であろうが、年齢を加味すれば素晴らしいと評価できた。
「見れば分かると思うが、こいつの脅威は打撃と雷撃の二重奏ッ!ついでに言うと、この状態の俺はめちゃくちゃ疾い!」
「教えてしまって・・・良いのか?」
「不意を突いて一瞬で終わり、なんてつまんねえからな!」
そう言うと、アギトは半身に構える。左手は開いて前に、右手は握って腰の近くに据えていた。重心を前に持っていく様は、少年の攻めっ気を表してるのだろうか。
すぐにでも闘いを始めそうであったが、それよりも先に声が飛ぶ。
「そういや、自己紹介がまだだったなッ!俺の名前はアギト・バルファージ!いずれ『超将軍』になる男だから、覚えといて損はないぜッ!」
「『超将軍』?そのような地位があるというのは初耳だな」
「当然だッ!俺が初めてなるんだからよッ!」
存在しないものを目指すとはどういう事だ、とグレンは思った。
思えば、登場してからこれまでの少年の言動は思慮に欠ける部分が多く、ほとんど本能で生きていると言ってもよかった。戦う必要のないグレンに勝負を挑んだのも、そういった性格が災いしたからであろう。
困った性分ではあったが、実の所グレンは不快感を全く覚えておらず、少年に一定の好感を抱いてさえいた。男子とは斯くあるべき、とでも言うような、清々しい実直さがあると思われたからだ。
「君は本当に面白い少年だな」
「『面白い』じゃなく!すぐに『強え』に変えてやるよ!それじゃあ行くぜ――」
「アギト君ッ!!」
少年が仕掛けようとした矢先、突然ニャオが声を上げた。何事かとアギトが顔を向けると、表情に抗議の意思を宿した少女と目が合う。
「な、なんだよ・・・!?なんでそんな怒ってんだ、ニャー・・・!?」
「あ、多分あれじゃない?前にニャーちゃんが皆に称号をつけてくれたでしょ?それを名乗ってないから怒ってるのよ」
「ああ、あれか!」
アギトの疑問にクーリエが答えてくれ、それが正解だと言うようにニャオも頷く。覚えがある少年は合点がいったと返事をしたが、すぐに腕を組んで渋い顔をし出した。
「アギト君、もしかして忘れちゃったとか?」
クーリエの確認に対し、アギトは肯定をする。
「そうなんだよ。俺、馬鹿だからなー」
「そんな・・・!皆のために一生懸命考えたのに・・・!」
「わあああああッ!泣くな、ニャー!女を泣かせたのが親父にばれたら、絶対に半殺しにされるッ!」
慌てたアギトは必死になって頭を働かせる。
そして少しの間を置き、『ガバッ!』と顔を上げた。
「そ、そうだ!思い出したッ!よし、おっさんッ!仕切り直しだッ!!」
子供達のやり取りが終わるまで待ってあげていたグレンに対して、アギトは再び構えを見せる。そして、記憶の底から引っ張り上げた言葉と共に、攻撃開始を合図した。
「俺は『進撃雷帝』アギト・バルファージ!ぼけっとしてっと、置いてくぜええええええッ!!」
言い切ると同時に、アギトの姿が消える。
しかしそれは並の動体視力しか持たない者にのみ映った光景であり、グレンは自身の右側面から迫る少年をしっかりと横目で捉えていた。
大太刀を差した左側から来ないのは、戦いを分かっている証拠だ。やる気と勢いだけではない少年の実力には、グレンも十分な覚悟を持って当たる事を決める。
無論、全てを避け切る覚悟を。
「おらあッ!!」
電撃を纏ったアギトの右拳が、グレンの側頭部めがけて放たれる。上体を後ろに逸らす事でそれを躱すが、その直後には後頭部に向かって少年の左回し蹴りが迫っていた。
身長差があるため空中での連撃となり、それがそのままアギトの身体能力の高さを表すこととなっている。
(確かに速いな・・・)
少年への称賛を心の中で呟きながら、グレンは蹴りを躱すために左へ大きく飛んだ。その際に向きを変え、ついにはアギトを真正面で捉える。
少年は着地――と同時に距離を詰める。
「ふっ!!」
今度は腹部に対して曲線的な動きで右拳を打った。その打撃は射程距離が短く、グレンは僅かに後退することであっさりと躱す。
アギトは空を切った拳を止めることなく振り切り、そのままの勢いで一回転してから、続いて右回し蹴りを放った。それすらも避けられると軸足で地を蹴り、距離を詰めるため、前方に飛びながらも左足による後ろ回し蹴りを繰り出す。
しかし届かず、アギトの蹴りはグレンの直前で伸びきった。
「ちッ!」
自信があったのか、少年は舌打ちをする。それでも止まらず、今度は地面に着地した右足で不安定な体勢ながらも跳んだ。
まるで獣のように追い縋るアギトを見ながら、グレンは思う。
(この少年は・・・恐ろしいな・・・)
悔しいが、これ程までの実力を有した学生はフォートレス王国にはいないだろう。
息もつかせぬ連続攻撃。加えて、少年が攻撃を放った後、さながら残像のように残る電撃が見事な工夫だと言えた。
攻撃をした際というのは隙が生じるものだが、それが相手の反撃を潰す役割を果たしている。もちろん完全という訳ではないが、怒涛の連続攻撃の中、その部分を避けて攻撃を仕掛けるのは骨が折れるに違いない。
年上の学生と闘う大会で、上位に入ったのも納得できるというものである。
(くっそ!)
そんなグレンの評価とは裏腹に、アギトは自分の攻撃が悉く躱される現状に苛立ちを覚えていた。自分は相手の本気を引き出す事すらできないのかと、自身への不満を募らせていく。
(いいや!まだだ!)
せめて一撃は喰らわす。
そういった意志のもと、アギトは攻撃を続けた。
拳を連打、足払い、右と見せかけて左からの蹴り、後ろを取ろうとする動きも見せる。グレンはその全てに対応し、少年の打撃にも雷撃にも触れない。
体に電撃を纏い続けるのにも負担は掛かるはずであり、このまま躱し続ければ、いずれはアギトの体力と魔力が尽きるだろうと思われた。
「――ん?」
そんな中、アギトの攻撃を躱すため、何度目かの後退をしたグレンの背中に固い物が当たる。
何があるのかと確認を取ると、そこには1本の石柱があった。先程クーリエが立っていたものだろうか、特に人の気配は感じなかったはずだ。
(まずい・・・!)
普段ならば絶対にしない失態。これも体調不良のせいだと言い訳をするグレンの目の前に、アギトが迫った。
その顔には狙い通りといった笑みが見え、彼のこれまでの攻撃がこの状況を導くための布石だった事が察せられる。先程アギトは自身のことを馬鹿だと評したが、戦闘に関しては見事な閃きをするようだ。
好機を逃さず、渾身の右拳がグレンに向かって放たれ、そして石柱に激突した。
外れた――が、アギトの視線はすでに獲物を追っている。左右に逃れるのは予想されていると思ったグレンは、上に向かって跳んでいた。
当然、アギトも追うように跳躍。それを見たグレンは石柱を蹴って少年の上を飛び越すように距離を取る。
追いつめられた状況で完璧な対応をしてみせたが、それすらもアギトは追った。同様に石柱を蹴り、空中のグレンに向かって飛ぶ。
もはや離れる事はできず、十分な射程距離に到達した。
「っしゃあッ!!」
地に足がついていないため威力は低いが、初めて攻撃を当てられる状況にアギトは鋭い声を上げる。渾身の右拳がグレンに向かって放たれ、避けることのできない彼はそれを右手で受け止めた。
途端に体中を電撃が駆け巡るが、僅かに苦悶の表情を浮かべるだけである。しかし、それだけでは終わらない。
「もらったぜ、おっさんッ!」
自身の魔力を極限にまで高め、アギトは膨大な雷撃を生み出そうとする。接触した右拳からグレンに向かって流し込み、致命的な一撃を与えようとした。
しかしそうなる前に、彼と少年との距離が開く。予想だにしない事態を前に、アギトの両目が見開かれた。
(はあッ!?ふざけんなッ!ここ空中だぞッ!)
どうやって移動したのかと困惑したが、答えは単純であった。移動したのはグレンではなく、右拳を押されたアギトであったのだ。
それを理解した瞬間、少年の中に屈辱が生まれた。
今、アギトはグレンに容赦のない攻撃を繰り出そうとしたのである。それは相手にも理解できたはずであり、それを防ごうと思ったのならば、普通は穏便な手段など取れないはずだ。
アギト自身、ある程度の反撃を覚悟しての攻撃だった。
それを、優しくあしらわれた。
「ふ・・・っざけんなああああああああああッッ!!」
大人であるグレンとしては当然の行動ではあったが、まだ子供であるアギトには許せない対応であった。そのため、落下しながらも怒りの声を大きく上げる。
最初に着地したのはグレンであり、それを聞いていたがために、少年の襲撃に備えてすぐさま大きく後退した。しかし、アギトは微動だにしない。
(諦めたか?)
と思ったが、俯いたまま立ち上がった少年からは不気味な笑い声が聞こえてきた。それは彼が先ほど見せた怒りではなく、今まで見せたどの感情でもなかったため、グレンは軽く恐怖を覚える。
「ど、どうした・・・?」
様子を伺ってみるが答えはなく、アギトは感情を抑え込むかのように『ギリッ!』と歯を噛み締めた。続いて顔を上げた少年には笑みが見えたが、その目は笑っていない。
「上等だぜ、おっさん・・・ッ!そこまで余裕を見せられちまったら、俺も本気の本気を出すしかねえじゃねえか・・・ッ!!」
あれ以上がまだあるのかと、グレンは戦慄する。
どこまで捌き切れるか予測がつかず、絶対に反射的な行動を取らないよう大太刀を封じている左手に力を込めた。
「見せてやるよ・・・ッ!これが俺のッ・・・全力・・・・・ッ!!」
言いながら、アギトは腰を深く落とし、両拳を固く握りしめる。体全体に力を込めていることが、膨れ上がる筋肉から見て取れた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!『雷神特攻形態・限界突破』オオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!!」
少年が上げた雄叫びは、発生した雷の音によってすぐに掻き消された。それ程の電撃がアギトの体を覆い、グレンには眩しいくらいに輝いて見える。
「あ、あれは・・・!」
そんな彼の耳に、驚愕したクーリエの声が聞こえた。
「『六学聖武祭』の決勝戦でアギト君が使った大技!まさか!死ぬ気なの!?」
「なっ・・・!?」
少女から発せられた不穏な言葉を聞き、今度はグレンが驚愕する。死ぬ気とはどういう事だと、問い質すようにクーリエに視線を向けた。
「あれは自分の中に限界以上の電撃を発生させる技なの!今まで以上の力を生み出すとは言っても、それは使用者のアギト君ですら耐えられないほど!短期決戦のためのものなのに、おじさん相手じゃきっと・・・!」
「ど、どうすればいいんですか・・・!?」
「あの状態のアギト君は説得に応じないだろうから・・・!おじさんに攻撃を当てないと止まらないと思う・・・!」
それはつまり、あの大量の電撃を受け止めろということか。
そう考えた瞬間、流石のグレンも嫌な予感がした。けれども少年を見捨てる訳にはいかず、嫌々ながらも覚悟を決める。
アギトとの勝負を軽い気持ちで受けると言った事を、大いに後悔しながらではあったが。
「クーリエ王女・・・!申し訳ありませんが、これをお願いします・・・!」
そう言うと、グレンは自分の大太刀をクーリエに向かって放る。あれ程の雷撃を受けたとあっては、愛刀も無事では済まないと判断したからだ。
「え!?わわわッ!――っと!お、重いいいいい!」
自身の槍を体で支え、大太刀を両手で受け取った少女は体勢を崩しそうになる。それでも落とすことなく持ち直してくれ、グレンは安心して背中を向けた。
「頼みます・・・!」
「お、おじさんも・・・アギト君をお願いね・・・!」
などと言ったクーリエであったが、グレンがこちらを見ていない事を確認すると、ぺろりと舌を出した。
そう、少女が先ほど説明した事はほとんどが嘘であり、グレンが攻撃を受けるよう誘導しただけなのである。彼に全く歯が立たない仲間を気遣っての行動であり、素晴らしい機転だと称賛できるだろう。
ただ、それがグレンにとってかなり迷惑な行いだというのは、言うまでもない事である。
「俺をここまで本気にさせたんだッ!少しくらい痛い目に遭ってから――逝けやああああああああッ!!」
叫んだアギトが繰り出したのは至極単純、けれども猛烈な疾さの突進であった。まるで全身を拳として打ち出すかのような攻撃であり、横薙ぎの落雷に襲われるかのような光景でもある。
グレンは両手を前に出して構え、少年の攻撃を回避せずに待った。
そしてそれは一瞬の内に到達し、アギトの両肩を『ガシッ!』と抑えて止める事には成功する。だが直後、グレンの全身を強烈な電撃が暴れ回った。
(ぐっ・・・!これはっ・・・・!!)
生涯で味わったことのない激痛。
皮膚が焼かれ、内臓が破られるような痛みが至る所で発生する。先程まで聞こえていた電撃の音も遠くなり、視界は真っ白に覆われていた。
いつ終わるのか分からない悪夢のような時間を、グレンは歯を食いしばって耐える。
そしてそれは、結果的には1分にも満たない時間であった。
数秒だったのかもしれないし、数十秒だったのかもしれない。しかし並の人間ならば数回は死んでいると確実に言える一撃を、グレンは意識を朦朧させながらもなんとか凌ぎ切る。
「――かはっ・・・!はあ・・・!はあ・・・!はあ・・・!」
どうやら息も出来ていなかったようで、彼は大きな呼吸を何度も繰り返した。まだ体が痺れており、アギトの肩に置いた両手を放すことができない。
その手が触れる体は、やはり歳相応のもの。痛みを味わった今であっても、先程の雷撃の発生源とはとても思えなかった。
グレンにそこまで思わせる少年は、力を使い果たしたかのように何の反応も見せない。クーリエが言っていた事もあり、もしや死んでしまったのではないかと不安に駆られる。
僅かな時間の内に少しだけでも体が動くようになったため、両手を放して様子をうかがおうとすると、支えを失ったアギトはゆっくりと後ろに倒れ込んだ。『ドサリッ!』と大の字になって寝転がった少年の顔には、満足気な笑みが湛えられている。
「はあ~~~~~~~~・・・・・ッ!『限界突破』でも無理なのかよ~・・・・ッ!どんだけ強えんだ、このおっさん・・・!」
自身の最大火力を以てしても倒せなかったグレンに対し、アギトは賛辞を贈る。息も絶え絶えなのは少年も同じなようで、体中に汗を掻き、荒い呼吸を繰り返していた。
そのような状態でも言葉を発したくなる程、彼はグレンの強さに感動していたのだ。
「いや・・・君も素晴らしい。私が出会った子供の中では、間違いなく一番の強さだろう」
そしてそれはグレンも同様で、アギトに対して素直な評価を伝えた。
戦いを経た後の充実感と言うのだろうか、2人の間には不思議な友情が生まれていた。それを証明するかのように、グレンはアギトに向かって手を伸ばす。
「大分言われ慣れた言葉だけどよ・・・おっさんに言われると嬉しいぜ!」
歓喜が疲労を上回ったようで、少年は上体を起こし、対戦相手だった者の手を『ガシッ!』と掴んだ。そこからはまだまだ力強さを感じ、将来有望な才能の塊にグレンは畏怖を覚える。
引っ張り起こしてやると若干体勢を崩しはしたが、しっかりと自分の足で立つこともできた。あらゆる面において非凡であり、これならば少年の語った『超将軍』の実現も可能なのでは、と思えてしまう。
「はい、おじさん」
アギトの手を放すと、後ろからクーリエが声を掛けてきた。何用かと問い質すまでもなく、大太刀を返しに来たのだと理解する。
そのためグレンは受け取ろうと振り返ったのだが、何故か少女は視線を横に逸らし、顔を少し朱に染めていた。
「どうかしましたか?」
「仕方ないけどさ。おじさん、服ボロボロだから」
言われて初めて気付いたが、アギトの電撃を真正面から受けたせいで服の所々が焼け落ち、グレンの逞しい肉体が露わになっていた。彼としては恥ずかしくなかったが、少女であるクーリエには直視できない光景なのだろう。
「これは失礼を」
「だから良いってば。それよりも、はいこれ」
クーリエは早く受け取ってくれと大太刀を差し出した。グレンはそれを手に取ると、左腰に備える。
「しっかし!おっさん、すげえ古傷だらけなんだな!」
剥き出しになったグレンの肉体を観察していたのか、アギトが驚いたように大声を出した。今度は少年に振り返ると、その爛々とした瞳を目にする。
「腕とか顔にあるのは分かってたけど、体中に傷跡があるんだな!」
「ああ。昔、少しな」
「少しって感じじゃねえだろ!一体、どんだけの戦いをしてきたんだ!?」
「悪いが、説明している時間はないんだ。君ももう満足しただろう?先を急いでも構わないか?」
ほとんど忘れかけていたが、彼が今やらなければならない事は急いで帰還することである。目的を忘れてはならないと、グレンは少年の興味を退けた。
「ああ、そうか!そういや急いでるんだっけな!じゃあまた今度、どこかで会えたら教えてくれよ!」
「分かった。約束しよう」
そう言いはしたが、同盟軍と冥王国の戦争が終われば、グレンはすぐに王国に帰ってしまうのだ。そのためアギトと再会する日など訪れないと思われたが、それを正直に言っては悲しませるだけなので嘘を吐いた。
「絶対だぜ!」
心苦しかったが、少年の確認にも頷いてみせ、グレンは別れの言葉を告げる。少女達にも言おうかと迷ったが、先ほど伝えたのだから別に良いだろうと考えた。
もはや彼を止める者はおらず、グレンは帰還のための1歩目を踏み出す。
その時――。
「待たれよッ!」
再び、彼を制止する声が響いた。それは、アギトとは異なる少年の声。
それを聞いた瞬間グレンの動きは止まり、ある事を直感した。
自身の前に立ち塞がる『名もなき祭壇』――この子供達には、まだまだ苦労を掛けられそうだ、と。




