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紅蓮の英雄  作者: 時つぶし
冥王国の進軍
81/86

4-28 刺客

 冥王国との決戦に敗北した同盟軍は、残った2万の戦力と共に『岩窟(がんくつ)砦』に籠っていた。比較的大きな砦ではあったが、2万もの人員を完全に収容することは出来ず、そこかしこに怪我人が転がされている。

 その光景は見るに堪えず、彼らの呻き声は耳を塞ぎたくなるばかり。

 回復魔法を唱えられる者もいるが、それをして回る気力のある者が誰一人としていなかった。回復薬もすでに底を尽き、持久戦を考えていなかったため食料の備蓄も心許ない。

 砦の周りを冥王国軍にほとんど包囲されているため、同盟軍はすでに死に体であり、これ以上の抗戦は望めなかった。

 そのため、グレンは彼らに降伏するよう申し出るつもりである。以前は躊躇を覚えた考えであったが、この状況ではそれ以外の選択は悪手と言えた。

 生き残った者の中でそれを為すに相応しいのは、やはり冥王のもとまで辿り着いたジェイクであろう。

 ドレッドとの約束もあり、グレンは天守国の英雄が目覚めるのを待っていた。

 「ねえ、グレン・・・私達、どうなっちゃうのかな・・・?」

 今、彼の隣にはニノがいる。

 月食竜(げっしょくりゅう)を討つという使命を果たせなかった彼女であったが、グレンの慰めによって気を持ち直していた。オングラウスが命懸けで竜の気を引いてくれた事もあり、直接的な被害がなかった事も大きな要因だろう。

 「安心しろ。この戦いはもうすぐ終わる」

 おそらく唯一事情を知っているグレンは、優しくニノに語り掛ける。だがそのためには、制限時間前にジェイクを説得する必要があった。

 何故か分からないが彼の負った傷は回復薬では治らず、そのほとんどを無駄に費やしてしまっている。それでも応急処置は済んでおり、一応の止血もできた。

 後はジェイクがあの傷にどれだけ耐えられるかだが、そこを推し量れる者は誰もいない。一国の英雄である彼の回復力を信じるしかないのである。

 「ねえ、あんたがグレンって人・・・?」

 その時、グレンに声を掛ける者が現れる。それはランフィリカであり、彼女はジェイクの傍に付いているはずであった。

 その人物がここに現れた意味を、グレンもなんとなく察する。

 「ジェイクが呼んでる・・・ついて来て・・・」

 やはりジェイクが目覚めたようだ。生還してから僅か2時間ほどであるため、驚異的な生命力と言えよう。

 これで冥王と約束した時間に間に合いそうだと思い、ジェイクが生きていた事も踏まえて、グレンは一安心した。

 「ああ、分かった。案内してくれ」

 そう言って、ニノと共にランフィリカの後について行く。そしてある部屋の中に入ると、そこには寝台(ベッド)の上で上体を起こしているジェイクがいた。

 グレンはまず、彼に声を掛ける。

 「一命を取り止めたようだな、ジェイク。流石は天守国の英雄だ」

 グレンからの称賛を聞いていないのか、ジェイクの表情には変化が見えない。そこには自分が生きていた事への歓喜や、治っていない傷への苦痛などは微塵も感じられなかった。

 あるのはただただ、追いつめられているという不安である。

 それでも、グレンは言わなければならなかった。冥王国に降伏するよう、助言しなければならないのである。

 「ジェイク、実は話が――」

 「グレン殿・・・ッ!貴殿の実力を見込んで、お頼みしたい事があるのである・・・ッ!」

 グレンの言葉をかき消すような大声が、怪我人であるジェイクの口から発せられる。おそらくグレンの声など聞こえていなかったのだろう。気まずさの欠片もなく、ジェイクは話を続ける。

 「今、天示京(てんじきょう)におわす天子様が窮地に立たされているのである・・・ッ!それを是非、救う手助けをしてもらいたいのであるよ・・・ッ!」

 すでにランフィリカには話していたのか、彼女に動揺は見られない。しかし、それを初めて知ったグレンは少なからず狼狽を覚えた。

 目の前にいる異国の友人の君主が、危機的状況に陥っていると言うのだ。

 一目見たくらいの面識とは言え、それに対し同情はする。しかし、そう思うからこそ、今の同盟軍に必要なのは抵抗ではなく降伏であった。

 「心苦しいが、それに応えることは――」

 「すぐに南の『オトアキナ学術国』に向かって欲しいのであるッ!天子様をお救いするために、すぐにでも救援をッ!」

 ジェイクの様子がおかしい。自身の腕に伸ばしてきた手も震えており、グレンは彼が錯乱していると判断した。

 決戦における敗北、君主の危機、動けぬほどの重傷、誰かに頼らざるを得ない現状――理由としては、それらが挙げられるだろう。

 「落ち着くんだ、ジェイク。落ち着いて状況を考えるんだ」

 「こうしている間にも、天子様に魔の手が迫っているのであるッ!吾輩を救い出したその手腕を買って、天守国を代表してお頼み申すッ!」

 目を覚ましてからランフィリカが詳細を聞かせたようで、ジェイクも自分を救ったのがグレンであるという事を理解していた。その感謝よりも先に天子の身を案じるあたり、彼も必死なのだろう。

 「落ち着いて、ジェイクッ!まだ傷が治ってないのよッ!?」

 ランフィリカもジェイクの気を静めようと声を掛ける。温厚な彼の鬼気迫る振る舞いに、ニノは軽く怖じ気づいてしまっていた。

 「お頼み申すッ・・・!お頼み申すッッ・・・・・!!」

 もはや涙を流しながら、縋るように頼み込んでくるジェイクの両肩に、グレンは優しく手を置いた。そして、彼とは対照的に静かな口調で語る。

 「ジェイク、まずは落ち着け。詳しく話を聞こう」

 協力するしないは関係なく、グレンは心を乱すジェイクを落ち着かせるためにそう言った。それで彼も幾分か安心感を得たのか、黙って細かい呼吸を何度も繰り返す。

 グレンを掴んでいた腕を下ろし、痛みを思い出したかのように顔を(しか)めた。

 「ジェイクッ!」

 「大丈夫なのである、ランフィリカ・・・!――すまなかったのである、グレン殿・・・吾輩とした事が・・・正気を失っていたのである・・・」

 「気にするな。それで、私に頼みたい事とは何だ?」

 グレンはジェイクの両肩から手を放し、彼の要望について尋ねる。援軍を要請したいのは分かったが、『オトアキナ学術国』など聞いた事がなく、同盟軍とは関係ないように思われた。

 「実は、吾輩達の国は同盟を組んでいる国以外とも協力関係を築こうとしていたのであるよ・・・。それが南の隣国『オトアキナ学術国』・・・。しかし、彼の国は助力と引き換えにある条件を提示してきたのである・・・」

 それはそうだろう、とグレンは考えた。

 自分達に関わりのない戦争に協力するのならば、それに見合った報酬を要求するのは当然である。少なくとも、グレンの中ではそういう結論に至った。

 そして、それに応じられないからこそ、未だオトアキナ学術国は参戦していないのだ。

 「一体、どのような要求を?」

 「こちらが絶対に受け入れられない申し出なのである・・・!学術国は知識の国・・・!『破壊の女神シグラス』の血を引く天子様を・・・調べたいと言ってきたのである・・・!」

 天守国の者にとって、それは議論するに値しない要求であろう。

 自分達の君主を研究材料として差し出せと言っているようなものであり、どこの国であってもそのような事を承諾する訳がない。

 「だが、それに応じるつもりなんだな?」

 ジェイクは先程、グレンに対して学術国への救援要請を依頼した。それはつまり、天子の調査を認める意思があるという事だ。

 「こちらがいくら『別の条件を』と言っても聞かなかったのである・・・!天子様には耐えていただかなければならないであるが・・・それ以上の辱めを受けるよりは・・・!せめて・・・身の安全だけでも・・・ッ!」」

 どうやら、彼にしか分からない事情があるようだ。深く聞くのもどうかと思い掘り下げはしないが、それを聞き入れてやる訳にもいかなかった。

 「ジェイク、君の気持ちはよく分かった。しかし、これ以上の抵抗は無意味だ。私は、ここいらで手打ちにした方が良いと考える」

 グレンの言葉の意味を、他の3人は確かに理解した。

 彼は紛うことなく、冥王国に降伏するべきだと言っている。

 「アンタ・・・なに言ってんのッ・・・!?」

 「止めるのである、ランフィリカ・・・!グレン殿の意見は間違っていないのである・・・!」

 激昂するランフィリカを制し、ジェイクがグレンの意見に賛同する。

 しかし、ならば何故そのようにしないのだろう、という疑問が生まれた。

 「グレン殿・・・貴殿の言う通りなのである・・・!本来ならば、ここは負けを認めて冥王国に降伏するのが妥当・・・!しかし・・・!道が残されている限り、吾輩たちは天子様のために戦わなければならないのであるよ・・・!」

 やはり天子が原因なようだ。

 「素晴らしい忠誠心だ、ジェイク。しかし、降伏が抵抗より悪い結果を導くとも限らないだろう?私は冥王と言葉を交わしたが、思っていたよりも話の分かる方だった」

 それはジェイクも分かっていた。あの者は真に世界の安寧を望んでいる勇者である。それを実行しようとする意志、そして力を持ち合わせた、世界に2人といない傑物だ。

 しかし、それをランフィリカは理解していない。

 「はあッ・・・!?アンタ、まさか――!」

 「止めるのである、ランフィリカ・・・ッ!」

 「――冥王の手先なんじゃないでしょうねッ!?」

 ジェイクの制止を無視し、ランフィリカは自身の疑念をグレンにぶつける。同盟軍の者から見ればそのように映っても仕方ないため、グレンも言い返そうとはしなかった。

 「馬鹿を言うなッ!グレンは私達の味方だッ!」

 そんな彼を、ニノが庇う。

 「だったら!どうして降伏するべきだなんて言うのよ!?おかしいでしょ!?せめて一緒に最後まで戦うくらい言いなさいよッ!」

 「それは私達の都合だ!確かに、私もグレンに助力を請いはした!だが、グレンは最初から一貫して、相応しい位置で私達の戦いに協力してくれている!それ以上を望むのは身勝手でしかない!」

 「関係ないわよ!ジェイクを助けられるくらい強いんでしょ!?守りたい人がここにいるんでしょ!?だったら何も言わないで、さっさと私達に手を貸しなさいよ!」

 それは、グレンが無条件で他者を思いやれるくらいに善人であったのならば、届いた言葉であっただろう。

 彼女の言う通り、ここにはグレンが守りたいと思える者達がいる。しかし、その者達の命を守るだけならば、彼が戦う必要など最早ないのだ。

 大人しく降参する。それだけで戦いは終結し、全ては解決へと向かう。

 それ以降の待遇には一抹の不安もあるが、あの王ならばそこまで悪い結果にはならないのでは、とも思えた。

 それを同盟軍の者が信じるのは無理だろう。だからこそ、グレンは必死になって説得しようと決めていたのだ。

 「申し訳ないのである、グレン殿・・・。ランフィリカも、天子様を想って言っているのであるからして・・・」

 「分かっている。このような状況だ。だがジェイク、君はどうなんだ?」

 「先ほど申し上げた通りなのであるよ。天子様を御守りするため、道が残されている限り諦める訳にはいかないのである。例え、この身がどうなろうとも」

 真摯な眼差しを伴って発せられた台詞は、ジェイクの本心に違いない。それが、天守国の民ならば誰もが持ち合わせている覚悟なのだ。

 今まで何度も見せられてきたその頑なな想いは、価値観の異なるグレンでは(ほぐ)すことはできない。何か良い手段はないかと思案した末に、グレンはある結論に至る。

 「・・・分かった。君の頼みを聞き入れよう」

 「おお!グレン殿ッ!」

 「ただし、条件がある。冥王との話では、この砦を攻めるのにあと22時間ほどの猶予があるとの事だ。それまでに天子の安全が確保できた時は勿論、私が帰って来なかった場合や、交渉決裂の知らせを持って帰って来た時には、即座に降伏するよう全軍を説得すると誓ってくれ」

 「むッ・・・!それは・・・!天子様を助けられるのならば・・・いいであるがッ・・・!」

 「安心しろ。私も手を抜くつもりはない。わざと交渉を決裂させたり、制限時間まで待つような真似はしないと約束する。全力で駆け、誠意を持って頼み込むつもりだ。だが、それでも無理ならば・・・諦めてくれるな?」

 最後の言葉は、決心を問うように聞いた。

 そこまでやってもらって駄目ならばと、ジェイクも頷いてくれる。

 「かたじけないのである。どのような結果になろうとも、必ず礼はさせてもらうのであるよ」

 「気にするな。思えば、君にはニノを快く迎え入れてもらった借りがある。それを返す良い機会だ」

 「・・・・・そうであるか・・・」

 そう言って、ジェイクはランフィリカに手紙を書かせた。そこには天子の現状と学術国の要求に応える旨、そして救援要請に関する事が書き記されている。

 グレンはそれを確かに受け取り、なくさないよう大切に仕舞った。

 「では、行ってくる」

 そう言って部屋の出口に進むと、その背中に向かってランフィリカが声を掛けて来た。

 「ここからは、南門から出るといいわ・・・。そこなら、冥王国の兵士もいないから・・・」

 先ほど感情をぶつけた事を謝罪するかのように助言を送ってくる。

 グレンは振り返り、それに応えた。

 「そうなのか?突破する必要がなくて楽だが、なぜ穴を開けるような真似を?」

 「エンデバーって子が言ってたけど・・・逃げ道を作ることで、脱走兵を出させようとしているんだって・・・」

 逃れる術もない程に包囲されれば、誰もが諦めるか、命を捨てて抵抗するしかない。しかし僅かに希望を残されれば、そこに群がるのは必然である。

 その結果、少なくなった戦力がさらに弱体化する事となるだろう。加えて、逃げる者の背中は無防備である。

 「なるほど、最後まで手を抜くつもりはないのか」

 冥王の徹底的なまでの戦いぶりに、グレンは思わず感心する。

 今そのような事態になっていないのは、おそらくエンデバーが秘匿しているからだと思われた。あの青年も、最後まで足掻くつもりなようだ。

 両軍互いに気を緩めない戦いの終わりも近い。

 日が沈みかける頃、学術国までの地図を受け取ったグレンは密かに砦を抜け出す。そして、目的地へ向かって全速力で駆け出した。






 「――ッ!?」

 「どうした、ミシェーラ?」

 表情の変化に乏しいはずのミシェーラの驚愕を見て、ドレッドが不思議そうに問う。

 今、彼らは砦の近くに張った天幕(テント)の中にいて、冥王は傷一つない新しい椅子に腰掛けていた。他にもロキリックが同席しており、ドレッドは彼と今後の対応について話している最中だったのだ。

 その中で目にしたミシェーラの衝撃を受けた顔。

 話し合いを中断し、ドレッドは彼女の返答に耳を傾ける。

 「申し訳ありません・・・グレンという男を・・・ゴホッ・・・見失ってしまいました・・・」

 ミシェーラはあの直後からグレンを『這い寄る影(ファントム)』で監視しており、彼が冥王との約束を破らないかどうかを確認していた。すでにそれに等しい行いは為されていたが、ドレッドがロキリックとの会話を終わらせるまで報告の必要はないと黙っていたのだ。

 しかし、砦を出たグレンが圧倒的な速度で『這い寄る影(ファントム)』を引き離したため思わず息を呑み、それをドレッドが目にしたという訳である。

 追い付こうにも影すら見えず、追跡はすでに断念している。

 「お前がか。グレンが馬よりも速く駆けたとかではないだろうな?」

 「その通りです・・・」

 ドレッドの問いは当然ながら冗談であり、否定してもらうための言葉であった。それを即座に肯定――しかも、冗談など今まで言ったこともないミシェーラからの発言とあっては信じるしかなく、冥王は少し間を置いた後に大声で笑った。

 「一体、何があったんですか?」

 笑い続けるドレッドの代わりに、ロキリックが問う。ミシェーラは、グレンとジェイクの会話の内容を重要な部分だけに絞って伝えた。

 「あの男ッ!やはり冥王様との約束を(たが)えたかッ!」

 悪い予感が的中したといった感じに、ロキリックが怒りの声を上げる。しかし、同じ話を聞いていたドレッドは至って平静な面持ちであった。

 「そう怒るな、ロキ。ジェイクを説得するための一環と思えば約束の範囲内だ。実際、どちらに転んでも降伏はしてくれるようだしな」

 「冥王様はあの男に甘すぎますッ!一体、何が気に入ったと言うんですかッ!?」

 「あいつの強さをお前も見ただろう?それにも関わらず、あの腰の低さだ。竜よりもかなり扱いやすい戦力だとは思わないか?」

 「あの男との交渉の際にもそのような話題が出ましたが・・・まさか冥王様、あの者を引き入れるつもりなのですか?」

 そう聞かれ、ドレッドは意味ありげな笑みを浮かべる。

 「それも視野に入れてはいる。大陸統一には、ああいった人材が必要だ」

 ジェイクにも語ったように、冥王は優しき心を持った強者が欲しいと言っていた。彼自身も本心はそういった人間なのだから、似た者同士という事なのだろうか。

 「ですが、オトアキナ学術国が戦線に加わりでもしたら厄介なことになると思われます。天子の救出くらいならば、容易に成し遂げるかと」

 「ふむ、そうだな・・・。脅威とまでは言わないが、せっかく手に入れた人質だしな・・・。簡単に手放すのも、癪というものか・・・・」

 冥王の言葉を聞き、ロキリックはしたり顔で笑う。

 「ならば、妨害いたしましょう」

 言われずとも、ドレッドはすでにその線で頭を働かせていた。そんな主君に対し、ロキリックは自分の考えを告げる。

 「冥王様、すでにあの砦は攻略したも同然です。包囲するにしても、これ程の戦力は不要と考えられます。この場はガロウ大将軍に任せ、残り全ての将軍をグレン妨害に向かわせましょう」

 それでやっと妨害できると考えているのか、それとも単なる嫌がらせか。

 ロキリックは、普通ならば過剰とも取れる戦力を提案してきた。

 「そうだな・・・」

 しかし、ドレッドはそれでも絶対に敵わないような気がしていた。あの者ならば、そこにガロウを加えても容易く退けるような気がしたのだ。

 殺されまではしないだろうが、妨害にもなりそうにない。それでは向かわせる意味がなく、むしろ放っておいた方が結果的に良かったとなりそうである。

 「ご不満ですか・・・?」

 ドレッドの沈黙を自分の意見への否定と受けったロキリックが、不安そうに尋ねる。

 「不満というわけではないが・・・」

 などと返しながらも、ドレッドは思考を重ねていた。

 今、自分の国にグレンを僅かでも止められるような者がいるだろうか。

 倒す必要はない。彼がオトアキナ学術国の――おそらく首都に辿り着く前に十分な足止めをできる人材であればいい。

 それは、今いる将軍では無理だろう。あの者達ができる事と言えば精々が奇襲程度。それでは弱い。 

 (こんな時、グンナガンの奴だったらどうしたか・・・)

 ドレッドは、久しぶりに亡き将軍のことを思い出す。

 こういった時に間違いなく真価を発揮してくれるのがグンナガンという男であり、それは他の者にはない彼だけの才能であった。

 『いたぶり尽くせり(フルコース)』の称号を与えたあの男ならば、グレンを確実に手間取らせる策を思い付いてくれたはずである。

 誰もが顔を顰めてしまうような、それでいて効果的な手段。卑怯卑劣と罵られようと、それを負け犬の遠吠えと笑える精神力。

 グレンには、それくらいで丁度良い。

 (ん・・・?)

 そう考えた時、彼の中で1つの妙案が生まれた。

 「そうか・・・!あいつらでいいか・・・!」

 記憶の隅の隅、忘れていなかったのが不思議な程の存在をドレッドは思い出す。

 「あいつら、とは・・・?」

 その呟きは他の2人にも聞かれており、代表してロキリックが質問した。

 それを受け、ドレッドは自信に満ち溢れた顔で答える。

 「『名もなき祭壇(ネームレス・アルター)』だ・・・!」

 しかし、そう言われてもロキリックには覚えがなく、分からないと言うように眉間に皺を作った。逆にミシェーラはその存在を知っていたようで、ドレッドの口からその名が発せられたと同時に、異常な程に咳き込んでしまう。

 「ミ、ミシェーラ!?」

 彼女のらしくない反応に、学生時代から付き合いのあるロキリックは大いに戸惑った。加えて、ミシェーラがここまで狼狽える程の存在が、まだ冥王国にいたという事実に驚愕する。

 とりあえず、備え付きの水差しから1杯分の水を注いで手渡した。礼を言うことも出来ずに受け取った彼女をよそに、ロキリックはドレッドに謝罪する。

 「申し訳ありません、冥王様。調べが不足していたようで、そのような部隊がいる事を見落としていました」

 「ん?ああ、気にするな。これはお前が不在の時に作られた部隊だ。――いや、違うな。別に正式な部隊という訳ではない」

 「という事は・・・裏の・・・!?そのような者達がいたのですか・・・!?」

 「そこまで大仰な物でもない。だが、あのグレンを止めるには打って付けの連中だ」

 「打って付け・・・!?」

 「ああ。俺の予測が正しければ、あいつのような真人間は絶対に苦戦する相手だ」

 「冥王様がそこまで仰るほどの強者・・・!素晴らしいッ・・・!」

 グレンが苦戦すると聞き、ロキリックの顔には笑みが浮かぶ。

 しかしそれとは逆に、気分を落ち着かせたミシェーラは抗議の眼差しをドレッドに向けていた。それもまた彼女らしくない行動であり、ロキリックは訝しむが、ドレッドは愉快に笑う。

 「そう睨むな、ミシェーラ。前に語っただろう?『正攻法よりも邪道が勝る』とな。今回のは邪道も邪道。その成果は確実だろう」

 「ですが・・・」

 「安心しろ。あいつらには足止めだけさせるつもりだ。それ以上は許可するつもりもない」

 「もし・・・追い付くよりも前に・・・学術国の軍が動いた場合は・・・・?」

 「それこそ何もさせん。軍を相手取るには不足だ」

 2人の会話を聞きながら、ロキリックは『名もなき祭壇(ネームレス・アルター)』という部隊について自分なりに考察していた。

 まず、ミシェーラが嫌悪する程に残虐な部隊であることは間違いない。そしてそれは、個人を狙うことを念頭に作られたものなのだ。

 自分のいない間に生まれた新設の部隊、されどグレンを止めることのできる実力者の集まり。それが――『名もなき祭壇(ネームレス・アルター)』。

 「時間がない。すぐに手配しろ、ミシェーラ。言っておくが、アレスターとガロウには言うなよ」

 「あの2人も嫌悪する程なのですか・・・!?」

 どれだけ恐ろしい部隊なのだと、ロキリックの期待は膨らむばかりである。

 「ここに到着次第、会わせてやる。とにかく今は、あいつらを呼ぶんだ」

 こんなに面白い事はないと、ドレッドはその顔に笑みを(たた)える。それを見て、ロキリックもまた満足気に笑うのであった。






 岩窟(がんくつ)砦を出た後もグレンは走り続け、すでにオトアキナ学術国の領土に入り込んでいる。当然、入国手続きなどはしておらず、これが判明すれば不法入国もいい所であった。

 しかし、今はそのような事を気にしていられない。

 学術国との交渉が成功するにせよ失敗するにせよ、冥王国軍が再攻撃を開始する前に戻るのが最善であることに変わりはないのだ。

 ジェイクの依頼、それ自体は彼の自己満足に過ぎないと思える。

 しかし、涙を流してまで頼み込まれた願いなのだ。泣き落されたという訳ではないが、彼に言った通り、借りを返すくらいの気持ちはあった。

 幸い、オトアキナ学術国は領土の小さい国。首都に辿り着くのもあと僅かであり、すでに辺りが暗くなっている事から、グレンは少しだけ仮眠を取った。

 そして日が昇り、この国の人間も活動を始めていると思われる頃に首都へと到着する。

 ここまでは何事もなく順調。仮に追手が放たれようとも、グレンの速度に追いつけるはずもないため当然の事ではあった。

 問題があるとするならば、首都にいると思われる上層部の人間と上手く接触できるかどうかである。

 一応ジェイクの手紙を持っているため、それと彼の名前を適した人物に示せば対応してくれる可能性があった。あとは、その適した人物をどう探すかだ。

 これに関しては失念しており、出立する前に誰に会えばいいかを教えてもらっていなかったのだ。

 とりあえず良い考えが浮かばなかったため、グレンは足で探すことを決める。こういった時、人見知りを少しでも克服しておいて良かったと思えた。

 まず宿屋に向かい、店主が人のよさそうな老人である事を確認してから話し掛ける。

 「ああ、それだったら会長さんだよ」

 やはり温厚な老人だったようで、見た目に威圧感のあるグレンの質問にも親切に答えてくれた。彼の言う会長とは、学術国に存在する『叡智学会』と呼ばれる組織の長であるとの事だ。

 それが何をする組織なのかは興味がないため尋ねず、代わりに会長と会える場所を聞いた。 

 「今くらいの時間だったら、研究所にいると思うよ」

 その研究所と呼ばれる建物の場所を聞き、グレンはすぐさま赴いた。

 目的地に近づいて行くにつれ、次第に人通りが多くなっていく。人々が手に持つ書物のせいかグレンにはその誰もが知的に見え、反対に帯刀しているせいで学術国の人々は彼を避けるように歩いていた。

 この国では普段から武器を持ち歩いている者は珍しいようで、かなり目立つ上に視線が痛い。それでも未だ面倒事になっていないところを思うに、違法という訳ではないと考えられた。

 そういった異国の法律に関して何の質問もしなかったのは迂闊すぎたな、とグレンは思ったが、問題ないのならばそのまま行くだけである。

 研究所への扉を開け、中へと入って行った。

 そして、グレンの姿を見て怯える受付嬢に用事を告げる。

 「すまない。会長という方に会いに来たんだが」

 「か、会長様ですか・・・!?面会の御約束は・・・されているでしょうか・・・!?」

 青褪めながら聞く受付嬢に向かって、グレンはジェイクから預かった手紙を差し出した。

 「約束はしていないが、今すぐにお会いしたい。これを読んでもらえれば、事情を理解してもらえるはずだ」

 震える手で手紙を受け取った女性は、逃げるように建物の奥へと向かう。その間、グレンは1人で待っているのだが、やはり他の者からの視線を感じた。

 それに慣れてしまうくらいの時間が経った頃、先程の受付嬢が戻って来る。

 その表情からはすでに彼に対する恐怖は見受けられず、彼女も隣国の現状を理解したようであった。

 「お待たせしました。どうぞ、こちらに」

 受付嬢の先導に従い、グレンは研究所の奥へと向かう。

 そして、『会長室』と書かれた部屋の前にまで案内されると、扉を静かに叩いた。

 「入ってください」

 中から年老いた男性の声が聞こえ、グレンは部屋の中へと入る。そして、声から予測された年齢層そのままの男と、机を挟んで対面した。

 「急な訪問に応じていただき、感謝します」

 手始めに、約束もなしに会ってくれた事に対して感謝を告げる。最低限礼儀を示しておけば、余計な言い合いもないだろう。

 「手紙を読ませてもらいました。もし、ここに書かれている内容が真実ならば、無理もない事です」

 その会長の言葉に、グレンは少しだけ違和感を覚える。まるで手紙の内容が嘘であるかのような言い回しであり、何故そのように言うのかと疑問を持った。

 しかし、気にしても仕方ないと話を進める。

 「はい。不躾とは思いますが、すぐにでも天子――様の救援に向かっていただきたいのです」

 一応、同盟軍の代表としてここにいるのだから、グレンは天守国の人間として振る舞うようにした。全く関係のない国の者が今回のような任務を任せられるのも異常であり、その過程を説明する手間を省くためでもある。

 「余程、急いでいたようですね。しかしそのせいか、この手紙には重要な部分が抜けているようです」

 「え・・・?」

 一体なんだろうか、とグレンは狼狽えた。

 学術国側の要求に応える旨は、確かに書き記されているはずである。加えて、ジェイクの名前まで書かれているのだから、これが天守国の――国家としての要請である事は疑うまでもない。

 理解できないと黙るグレンに対して、会長は静かに告げた。

 「これが本物である証拠がどこにもありません。確かに、ロディアス天守国の英雄ジェイク・マックスの名前が書かれてありますが、彼は有名人です。名を騙るなど、誰にでも出来る」

 「あ・・・!」

 事実、ジェイクの名前があっても、それはランフィリカが書いた物なのだ。

 「貴方が天守国の使者としての証拠品を持っているかとも思ったのですが、何かを提示される訳でもない。これでは、信じようと考えるのが無理だとは思いませんか?」

 会長の言葉は、反論の余地がないくらいに正論であった。

 普通ならば考慮すべき事柄であったものにも関わらず、あの場にいた誰もがそれについて失念していたのは、やはり敵軍に周辺を囲まれているという極限状態であったからだろう。

 それでも比較的余裕のあった自分は気付くべきであったとグレンは考え、自身に対して激しい苛立ちを覚えた。

 「も、申し訳ありません・・・!なにぶん、急いでいたもので・・・!」

 言い訳をしようにもそれしか思い浮かばず、グレンは歯がゆさを覚える。

 しかし意外な事に、会長は優しい笑みを浮かべてくれた。

 「心配しないでください。この手紙の真偽に関わりなく、天子奪還の名目の下、我が国は軍を動かします」

 「え・・・?」

 嬉しいことではあったが、理由が分からないとグレンは声を漏らす。

 仮にこの手紙が偽物であったのならば、自分から罠に嵌まりに行くようなものである。本物であるためそのような心配はいらないのだが、何が彼をそう結論付けさせたのか。

 「ロディアス天守国の天子の体には、『破壊の女神シグラス』の血が流れています。『八王神』と言えば、この大陸に存在する国々の確かな基盤であり、未だ全貌を知らぬ深い謎でもあるのです。それを解き明かす機会を得られるというのならば、知識の国として、オトアキナ学術国は動かなければなりません。無論、この手紙が偽りであったのならば大きな痛手を受ける可能性もあるでしょう。ですので、そのような事態にはならないようにと願うばかりです。貴方を信じて、よろしいのですよね?」

 最後の言葉は、グレンの目をじっと見つめながら発せられた。国の重鎮たる者としてはあまりにも軽率な判断であったが、それがこの国の考え方なのだろう。

 いずれにせよ、動いてくれると言うのならば批判する必要もなく、グレンは会長の確認に対して肯定を返す。

 「はい。宜しくお願いします」

 最後に深々と頭を下げ、グレンは感謝を告げた。

 それに対して、会長は誇らしげな笑みを浮かべる。

 「気にしないでください。これも、『知識の神』であるアセンテンス様の教えに従っているだけですので」

 どうやら、この国にも八王神に敬意を捧げる風習があるようだ。相変わらず共感できない感覚だが、今は都合が良い。

 「知識の神ですか」

 「はい。この国はアセンテンス様が建国された頃より、名前も規模も変わってはいません。言わば、神の遺産という事になります」

 「なるほど」

 なんだか長くなりそうであったため、グレンは適当な相槌を打っておく。それでも止まらず、会長は話を続けた。

 「アセンテンス様の御言葉の中には、このような物があります。『あくなき探求心を持って、智を極めよ。さすれば道は開かれん』。これは、知識を深める事こそが文明の発展に繋がっているという意味です。ですので我々は、どのような危険を冒すことになろうとも、智を深める機会を見逃してはいけないのです」

 語る会長は興奮しているようで、声に熱が入り始めていた。グレンには自分に酔っているように見え、それが理由でこちらの要請を引き受けたかのように思える。

 軽率な判断だと捉えた会長の行動は、妄信的な部分が強いようだ。

 「ならば急ぎましょう」

 時間がないため、グレンは無理矢理にでも会長の話を終わらせる。それで彼も我に返ったのか、少し照れくさそうにしながら頷いた。

 「それもそうですね。これは恥ずかしい所をお見せしてしまったようですな。少し前に志を同じくしていた方が亡くなったので、私だけでも『知識の神』の教えを全うしようと、最近は妙に熱が入ってしまうんですよ」

 「それはお気の毒に。ご友人ですか?」

 「とんでもない!私などよりも遥かに偉大な御方です!『知識の神アセンテンス』様にお仕えしていた遠い異国の同志――リットー大神官ですよ!」

 その名を聞いた瞬間、グレンは即座に大太刀を抜き放ち――そうになった。

 リットー大神官という人物は以前に、彼が親しくしていた少女達を攫って人質にした事のある老人である。それに怒り狂ったグレンが国ごと斬り捨ててはいるが、殺してもなお許してはおらず、不意に名前が出た事で思わず殺意を抱いてしまったのだ。

 会長に罪はなく、おそらくリットーの本性を知らないためにそのような事を言うのであり、無礼を働かないで済んで良かったと彼は胸を撫で下ろす。

 「どうかしましたかな?」

 「ああ・・・いえ・・・」

 会長の疑問の言葉に歯切れ悪く返したグレンであったが、実を言うと彼の中には今、ある感情が生まれ始めていた。それは、リットーを偉大な人物と評した会長の考えを改めておきたい、というものである。

 赤の他人とは言え、自分の知人に手を出した罪人を良く言われるのは気分が悪く、それが一国の頂点に立つ者ならば猶更と思えたのだ。

 そのため、余計なお世話であったが、リットーについての真実を教えようと口を開く。

 「そのリットーが、どうして亡くなったのかは御存知なんですか・・・?」

 「これはいけない。いくら本人が亡くなっているからと言って、呼び捨ては失礼ですよ?」

 そう言われても訂正せず、グレンは自身の問いに対する答えを待った。その態度に少しだけ怯みながらも、会長は答える。

 「・・・ええ、まあ。賊に殺されたという話です」

 おそらく自分のことだろうとグレンは判断した。

 しかし、あの件についてはリットーが諸悪の根源である事について誰からも異論はなく、事情を知っている者ならばグレンのことを賊などとは言わないはずである。

 そのため、あの男を無条件で信奉していたような人物が、自分に都合の良いように伝え聞かせたのだと思われた。それともその誤情報で憐れみを買い、学術国での庇護を求めたか。

 詳細の究明や犯人探しなどするつもりもないが、グレンは目の前にいる人物の誤解だけは解いておこうと決める。

 「それは真実ではありません。リットーは2人の少女を誘拐したため、その知人に倒されたんです」

 当然、それが自分であるという事は伏せておく。

 「な、なにを・・・!神に仕える者が、そのような不埒な真似をする訳がない!大体そんな事を、貴方がどうやって知ったと言うんですか!?」

 やはりすぐには信じないのか、会長は怒りを露わにして反論する。グレンをこの地域の人間と考えているようで、遠く東にある国の事情を知っているはずがないと言っていた。

 「偶然、耳にしました。それと、その人物が多くの少女を監禁していたという話も」

 「そ・・・それこそ!根も葉もない噂だ!確かに私も似たような話を心無い者から聞いたが、それが真実である訳がない!」

 「では、貴方の言う賊はどうなったんですか?当然、何かしらの処罰が下ったはずだ」

 そう聞かれた瞬間、会長は口籠る。

 適当な事を答えれば良いのだが、真面目な性格なのだろう、聞いていなかったと言葉を詰まらせた。

 「そういう事です。そのような賊などいなかった。だから情報提供者も何も言わなかった。真実を知るというのは時に残酷ですが、貴方が信じていたリットーという男は欲に塗れた人間だったんです」

 そう言い切った時、グレンは不思議な達成感に包まれる。

 それは彼自身の名誉を守れた事もあるが、何よりも遠く離れた母国で暮らす少女のための行動を取れたと思えたからだ。今日、自分がここを訪れなければ、このような結果は導けなかったに違いない。

 その事実に、グレンは満足していた。

 「さて、誤解も解けたようです。早速、天示京(てんじきょう)へと向かいましょう」

 話は終わったとばかりに背を向けるグレンであったが、果たしてその一連の行動は必要であったのだろうか。今の彼の目的はオトアキナ学術国の戦力を天示京(てんじきょう)に向かわせる事であり、自分と少女の名誉を守る事ではない。

 無論、エクセの事となると見境がなくなるのがグレンである。あの少女を想えば扉を容易に破壊するし、国だって両断する。

 しかし、今この場でそれは不適切な行動であったと言わざるを得ない。正論や真実というものは、それを信じたくない者にとっては暴言でしかないのだから。

 「ふざけるなよ、貴様・・・!」

 グレンの背中に、苛立ちを含んだ会長の声が投げ掛けられる。

 驚いて振り向くと、老人は深い怒りを覚えた表情をしていた。

 「どうしたんですか・・・?」

 「我が同志を侮辱しておいて『どうした』だと!?よくもそんな台詞が吐けたものだな!この大噓吐きめッ!」

 会長の言葉に、グレンは眉を顰める。

 「嘘・・・?」

 「そうだとも!リットー大神官が、そのような行いをするはずがない!貴様の言葉は全てが嘘だ!――そうだ!この手紙とて!偽物に違いない!」

 そう断定すると、会長はグレンの目の前でジェイクの手紙を力の限りに引き裂いた。

 「何を!?」

 「うるさい!危うく騙されるところだった!リットー大神官を侮辱する者が持ってきた手紙だ!それが本物であるはずがない!」

 「何を言っているんですか!?全て公表された事実です!」

 「それが嘘だと言っているんだ!大方、リットー大神官の失脚を狙った者が流したものだろう!攫われた娘というのも、自ら望んでリットー大神官に体を差し出したに違いない!」

 「な・・・にっ・・・!」

 それはあまりにも許せない発言であった。

 本当ならば顔面に拳の1つでも叩き込んでやりたい所であったが、そこまでは出来ない。その代わりに、膨大な殺意を叩きつける。

 「訂正しろ・・・!あの子への侮辱を許すわけにはいかない・・・!」

 しかし、会長は何も言葉を発することが出来なかった。グレンから送られる殺気に恐怖し、身も心も凍り付いていたのだ。

 それを見て取った彼は気を落ち着かせ、老人が話せるくらいの状態には戻す。それでも、怒りは抱えたままだ。

 「無礼だぞ、貴様・・・!それが・・・助力を請う者の態度か・・・!?」

 「最初に無礼を働いたのはそちらだ。こちらに非はない」

 「頼む側の態度なのかと聞いている!」

 その態度に、グレンは呆れたように小さく溜息を吐く。

 そして再び、会長に背を向けた。

 「もう結構だ。貴方のような人間のもとに天子を預けたとあっては、ジェイクの覚悟も報われない。この話はなかった事にしてもらおう」

 「こちらこそ願い下げだ!さっさと出て行けッ!」

 言われるまでもなく、すでにグレンは扉の取っ手に手を掛けていた。そして何も言葉を返すことなく、部屋を後にする。

 未だ消化しきれない怒りを抱えているため、彼の歩みは力強い。研究所を出た後もそれは続き、グレンはそのままの足取りで学術国の首都を去って行った。

 しかし次第に落ち着いてきた事で、自分が何をやってしまったかに気付く。グレンは今、折角の助力を蹴ってしまったのだ。

 (い、いかん・・・まずい事をしてしまった・・・・)

 それがどれだけ愚かな行いかは彼にも分かり、自分こそがジェイクの覚悟を台無しにしてしまったのだと理解する。体中から嫌な汗が流れ、失態を演じた事で心臓が激しく鼓動していた。

 (なんとかして・・・この埋め合わせをしなければ・・・)

 そう考えても良い案は浮かばず、グレンは悩む。

 埋め合わせとは言っても、冥王との約束もあるため、勝敗を覆すような真似はできない。けれども彼のような真面目な人間が、純朴なジェイクに対して嘘の報告をできるはずもなかった。

 (とりあえず・・・移動しながら考えよう・・・・)

 そう結論付け、グレンは天守国へ向かって走り出す。

 昨晩の間に仮眠を取ったこともあり、帰りは1度の休憩も挟まずに天守国の領土へと至る。日の位置を見れば、約束の時間までまだ少し余裕がありそうであった。

 それでもまだ打開策は思い浮かばず、グレンは考え事をしながら森へと入って行く。ここは行きの時も通った道であり、大した障害がないのは確認済みだ。

 (ん・・・?)

 そんな場所ではあったが、前方に違和感のある空間を捉える。

 そこは何故か広い範囲で木々が取り除かれており、森に囲まれた広場になっているように見えた。行きの時にはなかったため、グレンがここを通った後に何者かがそうしたに違いない。

 では誰が、そして何故――といった疑問が浮かぶが、グレンは気にせず広場に入り込んだ。

 そしてその中心に辿り着いた瞬間、突如として彼を囲むように、地中から8本の石柱が轟音と共に姿を現す。

 (なんだ・・・!?)

 思わず足を止めるが、捕らえるための罠という訳でもない。広い等間隔で円を作るように出現した石柱は、抜け出そうと思えば簡単に抜け出せる配置であった。

 しかしそうするよりも前に、8本の石柱の上に7人分の人影が舞い降りる。

 見間違いではない。8本あるにも関わらず、1本につき1人ずつ、計7人の人間が姿を現したのだ。

 そのほとんどが目を引くような派手な格好をしていたが、グレンにはそれよりも気になる事があった。

 それは、全員が小柄な体格をしていること。

 そう、グレンを囲むように柱の上に立っているのは7人の――少年少女達だったのである。

 その中でも取り分け派手な格好をした少女が、彼の視線の先で両腕と両翼を広げてみせる。

 これもまた見間違いではない。真正面に立っているため見間違いようもない。

 右目に眼帯を着け、背中には黒と白の翼を生やし、その身を退廃的かつ少女趣味を思わせる漆黒の礼装(ドレス)で着飾っている。長い薄紫色の髪が芝居がかった少女の仕草によって滑らかに揺れ、同じ色に染められた唇が厳かに開かれた。

 静寂を、声が切り裂く。

 「今、時は満ち!星々は正しき位置に連なった!殻を破り生まれし我らは、目覚めの贄を求める獣!我らが王に仇なす『罪深き刃(ギルティ・ブレイド)』よ!その身を汝の血で染め、我らの生誕を祝福せよ!我らは第2の輝ける秘宝『名もなき祭壇(ネームレス・アルター)』!そしてその長たる我こそが、『闇の(ダーク・)殺戮(マーダー)執行者(エグゼキュータ―)』の称号を持つ至高なる存在!記憶に刻むがいい!我が名は『ネオ』!『ネオ・ザ・〈鮮血の王冠(ブラッディクラウン)〉』!全ての魔を統べる者なり!」

 それは正に恐るべき宣戦布告。命に対する冒涜的なまでの反逆宣言。

 その言の葉の意味を理解した者は、すべからく正気を失い絶望するだろう。

 では、グレンはどうだろうか。

 少女から発せられるおぞましき高笑いを聞きながらも、彼の思考は唯一つの答えを導いていた。

 (――ん?)

 そう、グレンは過剰な表現を多用する少女の台詞を、ほとんど理解できていなかったのである。この子供たちは一体何のために現れたのだろう、という事ばかり考えていた。

 それでも、彼はすぐに思い知る事になるのだ。

 自らを囲む少年少女達が、今まで出会った誰よりも相性最悪の強敵であるという事を。

 それこそ、王国を出てからこれまで体験した全ての出来事が、彼にとって単なる――そう、単なる前座でしかなかったと思える程に。

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