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紅蓮の英雄  作者: 時つぶし
英雄の咆哮
8/86

1-8 英雄グレン

 かつてアマタイ山に住むオーガの住処となっていた場所、戦場を見渡しやすいよう薙ぎ倒された木々が転がるそこに、アンバット国の軍勢は陣取っていた。軍勢とは言っても人の数は少なく、また使役しているモンスターも森に忍ばせているため姿は見えない。

 「ほう、流石はフォートレス王国の騎士団だ。ワ―グやナイトバットでは太刀打ちできないか」

 その中の1人、一際上等な服を着込んだ人物が、戦場を監視しながら呟く。

 彼こそがリィス達奴隷に呪術印を刻み、此度の戦争を長年に渡り計画、そしてついに実行に移した中心人物――ヒュザロであった。

 ヒュザロの後ろには、アンバット国上層部のものと思しき服を着込んだ集団が規則正しく並んでいる。

 さらにその近くに、リィスのものと同様の眼帯を着けた奴隷の姿が見えた。

 しかしあれほど多くのワ―グやナイトバットを操れる数には足らず、老若男女合わせてせいぜいが20人ほどである。

 第一陣を操っていた奴隷は、アンバット国側から登ったアマタイ山の中ごろに待機させられているのだ。これは、奴隷ごときが自分たちと同じ場所で戦地を望むなど断じてあってはならないと、ヒュザロ達が考えたためであった。

 ワ―グやナイトバットを操るのに支障はないため、逃げ出さないよう数人の幹部を付けるだけに留まっている。無論、逃げた瞬間に呪術による死が待ち受けているため、実行できるはずもない。

 では、この場にいる奴隷はなぜ同伴が許されているのか。

 それは、彼らこそがサイクロプスを操っている者達だからである。アンバット国にとって、サイクロプスは今回の戦争の要。臨機応変に指示を出すため、特別に傍に置いているのだ。

 そんな奴隷達を見回しながら、ヒュザロは思う。

 (裏切り者の奴隷め・・・!見つけ出したらただでは済まさんぞ・・!)

 言うまでもなく、リィスのことであった。

 ヒュザロにとって、奴隷とはいかに上手くモンスターを操れるかによってでしか差異を見出せず、リィスの名前はおろか性別でさえ覚えてはいない。

 ヒュザロは忌々しげに地面を蹴る。その音に両目を――片目は永遠に閉じたままであるが――閉じてサイクロプスを操ることに集中していた奴隷たちが体を震わせた。その情けない姿に苛立ちを覚えたヒュザロであったが、今はまだ使える戦力だと怒りを鎮める。

 「ヒュザロ様」

 そんな彼に、幹部の1人が声を掛けた。

 「いたか?」

 「それらしき体駆の者が2、3人おりましたが、装備が平凡でして。どれがグレンかまでは・・・」

 フォートレス王国に存在すると言われる英雄グレン。今回用意したサイクロプスは、騎士団もろともその人物を消すために用意したものであった。

 15年前の戦争における英雄グレンの活躍はアンバット国にも伝わっており、それに尾ひれはひれが付いていることを加味すれば、今回の戦力は十二分なものであるとヒュザロは考えている。

 「ふんっ、グレンがいなくても勝てると踏んでいるのか。それともやはりその存在自体、王国側の作り話だったのか」

 ヒュザロはかつて協力関係にあったルクルティア帝国を思い浮かべた。

 「帝国も愚かなものよ。王国の作り話に怖れおののき、我らが信用を失うとは」

 しかし、帝国が二の足を踏んでいる今が好機であった。フォートレス王国の財産、豊穣な土地、愚かな国民、その全てをアンバット国のものにすることができる。

 ヒュザロは邪悪な笑みを浮かべた。

 「サイクロプスを出せ!残りのワ―グとナイトバットもだ!」

 フォートレス王国側は、自分たちがどこから攻めて来てもいいようにその人員を国境にそって分散している。しかし、もともと全ての騎士団を蹴散らす予定だったのだ。穴を空ける壁が薄くなって、ヒュザロは心から歓喜していた。

 (誰が考えた策かは知らんが、愚策であったな!)

 ついに堪えることができなくなり、ヒュザロは声高く笑った。後ろにいる者たちもそれに倣って笑う。

 その声を聞き、奴隷たちは再びその身を震わせるのであった。






 エクセは待合室の扉を閉める。

 この部屋にいるのは、今やグレンと彼女だけであった。オーバルとメーアは勇士による連絡網をより迅速なものにするため加勢に行っており、エクセはその2人に戦争の状況を聞きに行っていたのだ。

 「サイクロプスの姿を確認したそうです・・・」

 「そうか」

 淡々と答えるグレンから、それ以上の返事はない。

 こんな時、ポポルがいればこの重苦しい雰囲気を打破してくれるのだが、とエクセは思う。そのポポルは、敵襲の知らせを受けると同時に、リィスを連れてどこかへ向かってしまった。

 どこかと言うのも彼女が、

 『昔~息子たちを~お仕置きするために~作った空間があってね~。そこなら~私以外~出ることも~入ることも~出来ないから~』

 と語ったからだ。

 アンバット国の者は、おそらく裏切り者としてリィスの命を狙ってくるだろう。そのための一手であった。

 『まあ~私としては~直に懲らしめてやれるから~掛かってこい~って感じなんだけどね~』

 とは、ポポルの言である。

 そう言う彼女の瞳は普段のおっとりとしたものではなく、はっきりと殺意が籠もったものであったことをエクセは思い出した。

 それは戦争のせいなのだと思われ、まるで日常が壊れて行くような感覚を覚える。その恐怖から自然とグレンの隣に座り、膝を抱えて俯いた。

 サイクロプス――あの強大なモンスターを相手に、グレン以外の者はどれほどのことができるのだろう。案外、彼のようにあっさり勝ってしまうのかもしれないではないか。

 そう考える自分の思考を、エクセは頭を振ってかき消す。

 それは有り得ないほどの希望的観測。実際にサイクロプスと対峙したことのあるエクセだからこそ、分かることであった。

 故に不安だった。いくら王国が誇る騎士団であったとしても、あのような怪物が何体もいたら被害は甚大なものになるのではないだろうか。さらに防衛線を突破されてしまったら、多くの命が失われる可能性すらある。

 エクセは隣に座るグレンを見た。こういう不安な時は、彼の落ち着いた姿を見ることで気が鎮まるような気がしたのだ。

 「グレン様・・・・」

 グレンの横顔は頼もしく、エクセは思わず彼の名を呼んでしまう。

 「ん?どうした?」

 いつもと変わらぬ声と表情でグレンは少女の方へ顔を向ける。エクセは整理のつかない頭で、グレンに語り掛けていた。

 「グレン様・・・・グレン様は、本当に御自分が戦わなくても良いとお考えですか・・・?」

 それは決して糾弾しているのではない。

 ただ、彼の真意を聞きたかったのだ。

 「まあ、私よりも頭の良いアルベルトやシャルメティエがそう考えているんだ。それで良いんだろう」

 あくまで淡々とグレンは答える。

 それは、本当にそう思っているように聞こえた。

 「――嘘です」

 しかし、エクセはそれを嘘と見抜く。

 そう言われたグレンは、少々驚いているようであった。

 「な・・・なんでだ?」

 そう聞かれたエクセは、その細く美しい指をグレンの首元に突きつける。

 そこには、ある物があった。

 「昨日までは、そのような首飾りはしていませんでした」

 エクセもつい先ほど気が付いたのだが、グレンの首には小さめの赤い石がはめ込まれた首飾りが掛けられてあったのだ。

 それはお世辞にも似合っているとは言えず、グレンの太い首と赤い石を繋ぐ細い銀の鎖が圧倒的な違和感を醸し出している。エクセが今までこれに気付けていなかったのは、やはり戦争という緊急事態が視界を狭めていたからであろう。

 「あ・・・・これはだな・・・そう、疲れを癒すもので・・・」

 なぜか誤魔化そうと、グレンはしどろもどろになっていた。

 「グレン様・・・!それは、戦うための物ではないのですか・・・!?」

 はぐらかさないで欲しい、そういった気持ちでエクセはグレンに強く迫る。

 「いや、しかしだな。シャルメティエも言っていたが、勇士が依頼もなしに動くというのは――」

 「ならば、(わたくし)が依頼します」

 断固たる決意を胸に、エクセはそう語った。

 「なに・・・?」

 「グレン様、今戦争が起こっている場所には、(わたくし)の護衛兵であるユーキさんとミカウルさんもいます。彼らは他の騎士様に比べれば未熟で、此度の戦争で命を落とすかもしれません。友人も家族が戦争に参加することになったと言って不安がっていました。もしかしたら、アルベルト様やシャルメティエ様ですら危ういかもしれません。(わたくし)はそれが、怖くて怖くてたまらないのです」

 エクセは一気にまくしたてる。今までの不安を吐露するために。

 「ですからグレン様、どうかお願いします。(わたくし)のこの不安を取り除くため、戦ってはいただけないでしょうか?」

 少女は頭を下げない。これはお願いではなく、依頼なのだ。

 ならば対等な立場として、相手の目を見つめるだけである。

 「エクセ君・・・」

 グレンもその言葉が本気のものであるか確かめるように、エクセの瞳を見つめ返した。

 その中に、彼女の父親であるバルバロットと同じ強い意志を見出す。なるほどあの人の娘だな、とグレンは思った。

 「――はっはっはっ」

 突然笑い出したグレンに、エクセは戸惑ってしまう。

 「グレン様・・・?」

 「分かった分かった。他ならぬ君からの依頼だ。受けよう」

 そう言われたエクセは、満面の笑みを浮かべる。

 「本当ですか!?」

 「まあ、君には借りがあることだしな」

 これは実習の際、エクセを危険な場所に連れて行ってしまったことを言っていた。

 しかし少女には何の事だかわからず、しばらく考えた後、

 「左手の傷を治したことですか・・・?それでしたら別に・・・」

 と間違った解釈をする。

 「いや、気にしないでくれ。それよりも善は急げだ。早速、向かうとしよう」

 そう言って、グレンは立ち上がる。

 今まで座りっぱなしだったのもあるだろうが、久しぶりに彼の立ち姿を見たエクセは、その雄々しさに胸を震わせた。

 「・・・あ!それでしたら馬車を用意していただくよう、メーアさんに言って来ます」

 「いや、いいよ。自分で走った方が早い」

 急いで部屋を出て行こうとするエクセを、グレンが制す。少女は信じられない台詞を聞いたと思ったが、彼ならば有り得ると思い、慌てず扉をゆっくり開けた。

 「では、お見送りを」

 「ああ、頼む」

 2人は勇士管理局から外に出る。あれほど騒いでいた人々も今や自分たちの家に籠っているのだろうか、誰一人として見当たらない。

 そんな静寂の中、グレンは背後のエクセを振り返る。

 「では行ってくるよ、エクセ君」

 「ええ、いってらっしゃいませ」

 「あら~、グレンちゃん~結局~行っちゃうのね~」

 いつの間に戻っていたのか、ポポルがエクセの少し後ろに立っていた。

 「ポポル様・・・!」

 「グレンちゃん~戦いに行くからには~容赦なんてしちゃ駄目よ~」

 驚く少女をよそに、左右の拳を交互に突き出しながらポポルは言う。

 そんな彼女に向かって、グレンはやや口元を緩めながら、

 「容赦?何でしたっけ、それ?」

 と聞いた。

 予想外の冗談に拳も思考も止まったポポルであったが、すぐに笑顔を浮かべ「いいわよ~」と返す。それを受け、グレンは進むべき道へ向き直った。

 「ではエクセ君、ウェスキス殿。今度こそ行ってくるよ」

 「はい、いってらっしゃいませ」

 エクセは頭を下げる。ご武運を、と祈りを込めて。

 再び頭を上げると、そこにはすでにグレンの姿はなかった。

 「ほ~んと~、人間離れした子ね~。魔法でも使ってるみたい~」

 ポポルのその言葉を聞き、エクセの中である疑問が生まれる。

 「あの・・・ポポル様?」

 「なあに~?」

 「グレン様は、もしや魔法使いなのではないですか?」

 少女にとって、今まで魔法とは杖と時間を使って発動させるものだと思っていた。

 しかし、先日ポポルが見せた神業にも等しき所業を思うと、グレンも同じように魔法を使って戦っていたのではないか、という考えが頭をよぎったのだ。

 これは決して、彼の剣士としての実力に疑いを持ったために出た言葉ではない。

 ただ何となくそう思った、だから聞いたというだけなのだ。

 「違うわよ~。だって~、グレンちゃん~魔法使えないし~」

 「え?魔法が使えない・・?」

 ポポルの言葉にエクセは疑問を覚える。得手不得手はあるが、全ての王国民は魔法を使うことができるはずだ。

 これは魔力の所持が特別なものではないからであり、故に魔法を使えない者がいるなど聞いたことがなかった。

 「まあ~、正確には~使い方を知らない~ってだけなんだけどね~」

 「使い方・・・ですか・・・?」

 魔法の習得は、赤ん坊が成長すれば1人で勝手に立てるようになることと同じではない。親や教師などに教えられて、初めて魔力の使い方を覚えるのだ。

 「なぜ・・・なぜグレン様は魔法の使い方を知らないのでしょうか?」

 エクセはそれを知りたくなった。それが、グレンの異常なまでの強さの根幹を成しているような気がして。

 「ん~、私が~言っていいのかな~?」

 もったいぶるポポルであったが、こと今回に限っては本心からきた言葉である。

 「お願いします!」

 しかし、力強く請うエクセに押され、ついに話し出す。

 「私も~グレンちゃんから~直接聞いたわけじゃないんだけど~。アルベルトちゃんが言うにはね~――」




 グレンは貧しい家に生まれた。

 その貧しさは、通常誰でも通うとされる学院に行くことができないほどである。

 耕す畑も小さいため毎日の食事に困り、着る服も一着だけでしかなかった。それでも、なぜかグレンは順調にすくすくと育っていった。

 そんなある日、栄養失調で両親が倒れる。グレンが10歳の時のことであった。

 実は、彼の食事は両親の分を削って少し大目に与えられていたのだ。

 そして成長し大きくなるにつれて分け与える量が増え、ついには何も食べなくなっていたのである。子供だけにはお腹いっぱいご飯を食べさせてあげたいという、親心からきた献身的行動であった。

 床に伏せる親の隣でグレンは呪った。貧しさを、己の体を。

 しかし、そんな彼に両親はこう語ったのだ。

 「誰かのためになることをしなさい」

 それが、2人の最後の言葉であった。

 グレンは悩んだ。なぜ自分たちがこんな目に遇っていても救ってくれない他人を救わなければならないのかと。逆に、自分は他人から奪っても許される身なのではないかと。

 飲食もせず悩み抜いた結果、グレンは剣を取る。

 誰かのために強くなろうとしたわけではない。ただ剣を振っていれば、余計な事を考えなくて済むと思ったからだ。剣は戦場にいくらでも落ちていたため、隙をみて盗んだ。

 剣を手に入れてからというもの、グレンはただひたすらに素振りを繰り返した。

 騎士や兵士の訓練、戦場で見た型を自分が納得するまで続ける。本当に納得するまで、食事もせず、睡眠も取らず、ただひたすらに剣を振った。

 そして1つの型を満足いくまで極めた後、たっぷりと眠り、起きたら別の型を練習した。

 こうして或る程度の強さを手に入れると、グレンは山で暮らすようになる。そこでは果物や獣の肉がたくさん確保でき、食べることには困らなかった。

 ただ、温暖な気候とされるフォートレス王国でも冬は寒く、1年目の冬は死ぬ寸前までいった。また、山にはモンスターもおり、それらと戦うことが何度もあった。

 そのような環境が、グレンの強さを飛躍的に高めていったのだ。

 そして今から15年前、グレンが17歳の時、初めて兵士として戦場に立ち、その非凡な実力を発揮したのであった。




 「――って~感じだったかな~。ちょ~~~っと話がずれちゃった気が~するけども~」

 その言葉を、エクセは聞いていなかった。

 グレンは魔法を使えない。それは学院に通っていなかったからということと、おそらく彼の両親に魔法を使うだけの体力がなかったからだろう。エクセはそう考える。

 グレンが魔法を使えない理由を知った。それに納得もした。故に、改めて思う。

 「グレン様の肉体には、神が宿っていらっしゃるんだわ」

 少女のその言葉に、ポポルは当たらずも遠からずといった顔をした。






 戦況は拮抗していた。

 アンバット国が投入してきた20体のサイクロプスの戦闘力は圧倒的で、いかにフォートレス王国騎士団と言えども容易く打ち破れるものではなかった。

 それに加えて、ワ―グとナイトバットもいる。先程は容易く蹴散らした両モンスターも、サイクロプスと共闘されると非常に手強い相手となった。

 ただ1つ幸運だったのは、心弱い奴隷がモンスターを操っているため、戦闘不能にまで追い込まれることはあっても、止めを刺されることがなかった点だ。

 しかしそれでも、サイクロプスは別である。巨人の一撃は騎兵部隊の突進を容易く打ち壊し、地面を軽々と抉っていく。腕や足を斬り落とされる者もいた。

 「負傷した者は下がれ!」

 指揮をするシャルメティエの怒号が飛ぶ。それでも、剣を支えに敵に向かおうとする騎士が見えた。

 彼女は、その肩を力強く掴む。

 「下がれと言っている!」

 そう言われた騎士は悔しそうな表情を浮かべるが、シャルメティエの必死の形相を見ると大人しく下がっていった。

 サイクロプスの数は残り17体。わずか2個隊でよくぞ3体のサイクロプスを倒したと称賛されるべき戦果であった。

 しかし、状況は騎士団側にとって不利になりつつある。魔法で強化された騎兵や歩兵ですら、サイクロプスには太刀打ち出来ないのだ。

 かと言って魔法使いを前に出せば、ワ―グとナイトバットの餌食になる。今も仲間の騎士を癒そうと前に出すぎた魔法使いが、ワ―グの群れに襲われていた。

 シャルメティエは、そこに全速力で向かう。

 「――はあああっ!」

 魔力を注ぎ、切れ味を強化した剣でワ―グをまとめて切り裂く。

 礼を言ってくる魔法使いに「下がれ!」とだけ言うと、再び周りを見渡した。すると、今度は倒れ伏した騎士にサイクロプスが止めの一撃を加えようとしている場面を目にする。

 (間に合え!)

 シャルメティエは心の中で叫び、全速力で駆けた。

 揺れる視界の中、巨人が轟音と共に剣を振り下ろす。騎士の命もこれまでかと思われたその時、間一髪シャルメティエの盾がそれを受け止めた。

 金属と金属が激しくぶつかり合う音が生じ、彼女の全身に軋むような痛みが走る。自身の身体能力を大幅に向上させる『戦乙女(ヴァルキリー)(メイル)』と相手の攻撃を半減する『(ディバイン・)なる(シールド)』を以ってしても、サイクロプスの一撃は強烈であった。

 (グレン殿はこれを・・・片手で受け止めたというのか・・・!?)

 自然と、アルベルトの部屋で聞いたエクセの話を思い出す。

 受けたからこそ分かる。そのような事、できる訳がないと。

 「シャルメティエ様・・!」

 倒れ伏した騎士が彼女の名を呼んだ。

 「退・・・け・・・・・っ!」

 潰されそうになるのを堪えながら、シャルメティエは指示を出す。

 騎士は頷くと地面を這うように移動を開始するが、焦りを覚えてしまう程に遅い。それでもしばらくすると、その気配が十分な距離まで遠ざかったことが分かった。

 「はあっ!!!」

 声を上げ、サイクロプスの剣を流す。轟音と共に地面が抉られ、礫が顔に当たるがシャルメティエは気にしない。巨人の足元まで一気に駆ける。

 「はああああっ!!!」

 そして魔力を『ジャッジメント』に注ぎ、その切れ味を最大限にまで高め、力の限り振るった。

 「っ!?」

 しかし、両断とはいかない。

 シャルメティエの剣は分厚い皮を切り裂きはしたが、完全に切断するまでには至らず、サイクロプスの足の肉を少し切った程度で止まってしまったのだ。

 (グレン殿はこれを容易く切り裂いたというのか!?)

 驚愕する彼女に、サイクロプスが攻撃を加えようとする。シャルメティエは剣を急いで抜き、巨人の股を潜ることでそれを回避した。

 「シャルメティエ様ーーーーーっ!!」

 複数の魔法使いがシャルメティエの危機に馳せ参じる。そして十分な射程距離まで近づくと、あらかじめ形成しておいた己が最強の魔法をサイクロプスに向かって放った。

 膨大な爆発音の後、巨体の倒れ伏す音が響く。それに喜ぶ魔法使いたちであったが、すぐにワ―グの標的となってしまった。

 「くそっ!」

 悪態を吐きつつ、シャルメティエは味方を救おうと足を動かす。しかしその時、1羽のナイトバットが体当たりを仕掛けてきた。

 「ぐっ・・!」

 それが頭部に直撃し、『(イーグル・)(アイ)』が地に転がる。

 シャルメティエも、額から血を流していた。

 「このっ・・・!」

 怒りに身を任せ、突進してきたナイトバットを両断する。

 その瞬間、魔物の内側から目も眩むほどの閃光が迸った。『閃光(フラッシュ)』である。

 ナイトバットの死亡を『警報(アラーム)』で引き金にし、『閃光(フラッシュ)』が発動されるようにした呪術印が刻まれていたのだ。

 「しまっ・・・!」

 ナイトバットが突進後、すぐ飛んで逃げなかったことに違和感を持てなかったシャルメティエの軽率な行動が招いた結果である。

 目の前が真っ白になり、一時的な失明状態に陥ってしまった。すぐに両目を閉じるも、俯瞰風景は展開されない。

 『(イーグル・)(アイ)』は、未だ地に転がったままであった。目を閉じれば、もはや何も見えない暗闇が待っているだけである。

 先程までとの落差に、シャルメティエはひどく狼狽した。

 そんな彼女のすぐ傍で、サイクロプスのものと思しき足音が響く。おそらく、すでに攻撃圏内に入っているのだろう。

 シャルメティエは急いで盾を頭上に掲げた。そして暗闇の中、恐怖に耐える。

 しかし、それでも死ぬ恐怖には抗えず、震える手から剣が零れ落ちてしまう。シャルメティエは空いた右手を、鎧の下にある発光石に被せた。

 (グレ――!)

 グレンの名を心の中で叫ぼうとしたが、できない。できるわけがない。

 彼にこの戦いへの不参加を強制したのは、自分なのだから。

 その代わりにシャルメティエは祈った。

 自分の無事を、ではない。この戦いが、自分抜きでも王国の勝利に終わることをだ。

 死ぬ寸前まで国のことを想う。『戦乙女』の名に恥じぬ行為であった。

 「――・・・?」

 そして祈りを終えると、自分がまだ生きているという違和感に気付く。目も大分見えるようになってきていた。

 もしかしたらこれは全て夢だったのではないか。そう思いながらも、シャルメティエは恐る恐ると瞼を開ける。

 そして、目にした。倒れゆくサイクロプスの姿を、あの頼もしい背中を。

 「グレン・・・・殿?」

 名前を呼ばれ、グレンはシャルメティエに振り返る。

 「大丈夫か?危ないところだったな」

 ここまで急いできたのか、顔は汗にまみれていた。

 「な・・・なぜ・・・・?」

 「分からないか?」

 シャルメティエの問いに、グレンも問い返す。決して糾弾しているわけではない。

 お前ならば分かるだろうという、信頼から来る言葉であった。

 「やはり・・・あなたは・・・」

 そこまで言って、シャルメティエは口を閉じる。

 頭から血を流しすぎたのか、意識が朦朧としてしまい、最終的に座り込んでしまった。彼女は速攻を信条としていたため、回復系の魔法や装備は身に着けていない。

 「怪我をしているようだな。待ってろ」

 そう言って、グレンは自身の首に装備した装飾品の宝石を掴む。それが何を意味するのかを知っているシャルメティエは、声を振り絞った。

 「待ってくれ・・・!それは・・・最前線の・・・仲間のもとで・・・!」

 あくまで仲間のことを考える彼女らしい言葉だと、グレンは笑う。

 加えて、周りが見えない程に必死だったんだな、とも。

 「おそらくだが、ここが最前線だと思うぞ」

 「え・・・?」

 シャルメティエは霞んだ視界で辺りを見渡す。混戦状態となっているためはっきりとは言えないが、確かに彼女のいるここが最前線であるように思われた。

 「はは・・私は・・・副団長失格だな・・・。味方に指示も与えず・・・こんな前に・・・」

 打ちひしがれるシャルメティエに、グレンは言う。

 「そんなことはない。お前が前線で戦ってくれたからこそ、助かった命もあるだろう」

 グレンのその素直な言葉に、シャルメティエは涙が出そうであった。

 「グレン殿・・・あなたは・・・・・・甘すぎる・・・」

 「もういい。しゃべるな。少しの辛抱だ」

 そう告げ、グレンは再び首飾りの宝石を掴む。そして、唱えた。

 「――開け」

 瞬間、彼を中心に赤色の光が半球状に広がる。





 「ヒュザロ様っ!」

 戦場の監視を続けていた部下がヒュザロを呼ぶ。

 「言われなくても分かる。あれが噂に聞く英雄グレン、そしてそれが発する光か」

 ルクルティア帝国では、あの光を見たら即時撤退と言われるほどの脅威らしい。

 ヒュザロは、噂に名高い英雄グレンの素顔を見てやろうと『望遠(スコープ)』を自身に施した。

 「ん?」

 しかし、その前に奇妙な事に気付く。グレンを中心にして発せられた赤い光、それが通過した途端、周りに倒れ伏していた騎士たちが起き上がり始めたのだ。

 「なんだ・・?何が起こっている・・・?」

 ヒュザロは光の中心点だった場所に目を移す。

 そこには、赤黒い鎧を全身に纏った戦士が1人、悠然と立っていた。




 

 グレンが身に着けていた首飾りは、その名を『英雄の咆哮』と呼んだ。

 世に伝えられる八王神話の『戦いの神クライトゥース』によって作られたと言われる魔法道具(マジックアイテム)である。

 装備者が鍵となる言葉を発することで赤い光が展開され、半径500m以内の全ての友軍に対して『大回復(ハイヒール)』、『全能力大向上(オールハイアップ)』、さらには士気を高める『勇猛(ブレイブ)』が掛かるという破格の性能を宿している。

 フォートレス王国は、かねてよりこれを戦争の切り札としていた。

 最前線で戦う友軍が傷つき、敵軍に押し込まれかねない時に発動させ、逆転の糸口としてきたのだ。

 しかし、それだけの恩恵を何の犠牲もなく得ることはできない。

 これを使用した者は代償として生命力を吸い取られ、そして例外なく死を迎えた。そのため勇敢にも自分の命を賭して仲間を助ける間際、声高らかに合言葉を叫ぶことから『英雄の咆哮』と名付けられている。

 けれども、この役目を任せられるのは決まって役立たずな者であり、悪く言えば捨て駒であった。

 そしてある日、グレンは帝国との戦いに参加する。

 その日の帝国の攻撃は凄まじく、まさに総力戦を仕掛けて来ていた。そのような戦況で、ついに『英雄の咆哮』を使用する時が来る。

 装着していたのはグレンではない。名も知らぬ若者であった。

 その若者が最前線に混じり、『英雄の咆哮』を発動させようとする。しかしその瞬間、王国軍は帝国の一斉攻撃を浴びたのだ。どうやら帝国側に『英雄の咆哮』の存在と、その日の装備者の詳細が知れ渡っていたらしい。

 これは、金に釣られたフォートレス王国の執政官が情報を漏らしたためであると、後にアルベルトはグレンに語った。その者はすでにアルベルトに捕えられ、とうの昔に処刑されている。

 それでも、あの時ばかりは敗北を覚悟した。

 フォートレス王国軍は『英雄の咆哮』ありきで戦っていたために、装備者が発動させる前に死亡してしまったことで戦略は完全に崩壊。もはや戦う力の残っていない王国軍は、一気に帝国側に押し切られそうになった。

 そんな折、最前線にいながらも軽傷で済んだグレンが『英雄の咆哮』を見つける。そして何ら迷うことなくそれを手にし、合言葉を唱えた。この時アルベルトはかすれた声で制止をしたのだが、グレンには聞こえていなかった。

 そして効果が発動。敗戦濃厚だった王国軍に、再び活力が戻ったのだ。

 しかし、そこで起こりえないことが起こった。今まで『英雄の咆哮』を使用した者は皆、生命力を絞り取られたように痩せ細って死んでいた。

 今回もまたグレンの死体がそこに転がっているかと思われたが、違う。

 赤黒い鎧をその身に纏い、雄々しく立っていたのだ。

 実は、これこそが『英雄の咆哮』の真の能力。今まで誰も死の試練を乗り越えられなかったため、(まみ)えること叶わなかった神域の力である。

 その鎧は、後にその色と唯一無二の装備者の名前から『紅蓮の戦鎧』と呼ばれることとなった。






 シャルメティエは傷の癒えた体を起こし、周りを見渡す。『英雄の咆哮』が発動したことにより、次々と仲間たちも立ちあがり始めていた。加えて、勇ましき声も聞こえてくる。

 「傷が・・・治った・・!?」

 「行ける、行けるぞ!まだ戦える!!」

 「勝負はこれからだ!!」

 しかし、そんな友軍の雄叫びを聞きながら、シャルメティエは複雑な表情を浮かべていた。

 「いや、もう終わりだよ・・・・」

 そう言った彼女の目の前から、『紅蓮の戦鎧』を身に着けたグレンの姿が消える。そして周りにいたサイクロプス、ワーグ、ナイトバットの全てが一瞬にして切断されていった。

 これこそが死の試練を超えてグレンが獲得した力、『紅蓮の戦鎧』が与える強化の恩恵である。

 『紅蓮の戦鎧』は装備者に、能力向上系魔法の最上位『神衣(カムイ)』、回復系魔法の最上位『永続なる大回復エターナル・ハイヒール』を付与する。

 さらには『鷲の目(イーグル・アイ)』の完全上位版――戦場と認識した全ての領域をその脳裏に俯瞰風景として映す『神の目(ゴッド・アイ)』を備えさせた。

 これをただでさえ超人的なグレンが身に着けるのだ、この戦争はもはや終結したも同然である。

 その証拠に、シャルメティエ隊の近くにいた敵は全て殲滅した。

 しかし、報告を受けた数と比べると僅かに足らず、おそらく南北に位置する友軍の所であろうとグレンは考える。

 確認のため俯瞰風景を見ると、まずアルベルトのもとへと向かった。

 「おお!来てくれたか、グレン!」

 『紅蓮の戦鎧』を身に着け移動する彼の姿を、微かでも捉える事が出来るのは、騎士団の中でもアルベルトとシャルメティエくらいだ。

 グレンは、友人の隣で立ち止まった。

 「お前の所に来る必要はなかったかな?」

 見れば、サイクロプスは1体もいない。ワ―グやナイトバットが数体いるくらいであった。

 俯瞰風景を見ていたグレンは始めから知っていたが、アルベルトを揶揄うために顔を出したのだ。

 「そう言ってくれるな。これでも騎士団団長としては、限界ぎりぎりの最前線なんだ」

 「はっはっはっ!冗談だ」

 グレンの楽しそうな声を聞いて、アルベルトは嬉しそうに笑う。

 「なんだか随分と上機嫌じゃないか、友よ。なにか良いことでもあったのかい?」

 そう言われ、グレンは考える。確かに今、気分がいい。

 戦場に立てたからなのだろうか、アルベルトやシャルメティエが無事だったからなのだろうか、それとも―――。

 (エクセ君の願いを叶えられたからか・・・)

 グレンは、知人の無事を聞いて喜ぶエクセの顔を思い浮かべる。途端、胸の内に幸福感が沸き上がって来た。

 (もしかしたら俺は、彼女を娘のように思っているのかもな)

 かつて共に戦ったバルバロットの娘ではあるが、グレンはエクセにそのような感情を抱いている自分がいることに気付く。

 そしてそのような事に思い耽っている友人を、アルベルトは黙って眺めていた。それは、久しぶりに見るグレンのその姿を懐かしく思っているようである。

 「さて・・・」

 けれどもそれはほんの少しの間だけであり、グレンは残りの敵戦力を排除するために行動を再開しようとした。その体の向きが気に掛かり、アルベルトは友人に声を掛ける。

 「おいおい、こっちを片付けてはくれないのかい?」

 アルベルトのその言葉にグレンは軽く笑うと、その姿を消した。続いて、アルベルトの視界に納まる全てのモンスターが瞬く間に切断されていく。

 「お見事」

 グレンに聞こえるならば拍手でもしてやりたい気分ではあったが、おそらくすでにシャルメティエ隊の所にいるだろうと思い、アルベルトは傷ついた部下のもとへ歩き出した。

 その彼の予想を超え、グレンはすでにドゥージャン隊のもとに辿り着いている。そこで、残りのサイクロプスが2体存在しているのを視認した。

 ワ―グやナイトバットの数はかなり少ないが、それでも苦戦しているようである。シャルメティエの所に騎兵隊を割いたことで、戦力が低下してしまったからだろう。

 しかし、負傷者は少ない。どうやら随分慎重に戦っているみたいであり、それがドゥージャンの戦い方なのだとグレンは思い出していた。

 助力をするため、速度を落とさず残り2体のサイクロプスを切り捨てる。

 何が起こったか分からずにいる騎士たちの前にグレンがその姿を現すと、『紅蓮の戦鎧』を知る熟練の騎士から彼を称賛する声が聞こえた。その声はたちまち広がり、騎士たちの士気は上がっていく。

 歓声の中、グレンはやや離れた人物に目を向けた。

 そこにはドゥージャンがおり、グレンが自分の方を向いていることに気が付くと、不本意そうではあったが軽く頭を下げてくる。感謝を告げているのだと思われ、頷き返しておいた。

 実を言うとグレンは、ドゥージャンという男に嫌悪感を抱いてはいない。自身に対する態度も、対抗心から来るものと気付いていたからである。

 ドゥージャンが常日頃から熱心に訓練に励むのは、彼に追い付こうとしているためなのだ。

 これがグレンには嬉しかった。グレンはその異常な強さから尊敬されることはあっても、対等な立場で対抗心を燃やされることは少ない。

 皆、グレンに追い付くことを考えもしないのだ。しかしドゥージャンは異なり、グレンもそれに刺激され、毎日欠かさず鍛錬を行っている程である。

 むしろ感謝を告げたいのは、彼の方なのかも知れなかった。

 (これで全部か)

 グレンが2体のサイクロプスを倒したことにより、ドゥージャン隊の所にいるモンスターは残りわずかとなった。

 これならばここにいる者たちで十分だろうと思ったグレンは、アマタイ山の方を向く。

 『神の目(ゴッド・アイ)』には視界を確保するための隙間はなかったが、グレンにはまるで兜を付けていない時のように広々とした風景が見えていた。

 そして俯瞰風景で捉えた存在、おそらくあれらが今回の戦争の首謀者達。

 グレンは、アマタイ山に向かって一気に駆け出した。

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