4-22 支え合う人々
同盟軍が月食竜によって撃退された後、冥王ドレッドは首都へと帰り着いていた。
今は玉座の間にて、臣下達と共に今後の対応について話し合っている所である。その場には、ドレッドの他にアレスター、ガロウ、ロキリック、ミシェーラがいた。
他の将軍に対しても、いつでも出られるように準備を進めさせており、冥王国内でも緊張感が高まりつつあった。それでも、今この場にいる者達ならば冷静な判断ができるだろう。
「――ロディアス天守国に関しては・・・天子を中心にまとまっていますが・・・ゴホッ・・・信じる者のいない他の2か国には・・・混乱が広がっています・・・。国外に逃亡する者が多く・・・それに乗じて略奪を計る者も出ているようです・・・ゴホッ・・・」
ミシェーラからの報告を聞き、ドレッドは困ったように額に手をやった。
「やはりそうなったか・・・」
彼が今まで慎重だったのは、このような事態が起こらないようにするためである。
自軍が圧倒的な武力を確保していると知られれば、間違いなく敵対する国々に悪影響が及ぶと分かっていたのだ。そしてその結果、不安や不信が蔓延し、傷つかなくてもいい人々が害を被るのは容易く予想できた。
必要な犠牲ならば看過するが、不必要な犠牲は不快に感じる。それが、かつて勇者とまで呼ばれたドレッド・オーバーロードの考え方であった。
「申し訳ありませんでした、冥王様。よもや月食竜が、あのような行動に出るとは」
頭を下げるのはロキリックである。
一応、竜の国で活動していた事もあり、彼は月食竜にも顔が知られている。そのため、首都における身の回りを世話するよう命じられていたのだが、それは決して制御できているという訳ではなかった。
ドレッドが出陣したという話を聞いた月食竜は、彼の制止を意に介さず、あっと言う間に飛び去ってしまったのだ。
「気にするな、ロキ。誰であろうと、あの者を止める事などできん」
冥王の慰めの言葉に、ロキリックはさらに深々と頭を下げた。
「しかしどうするつもりじゃ、ドレッドよ?こうなっては本格的にモタモタしておる暇はなさそうじゃぞ?」
「そうだな・・・。お前の寿命がどうの、と言っていた時が懐かしい・・・」
アレスターに対して放った、ドレッドの精一杯の軽口に対しても笑い声1つ立たない。それだけ冥王国も、竜という存在に圧力を掛けられているのだ。
ドレッドの考えた計画では、敵対国家の全戦力を一度の戦闘で撃破し、一気に征服する予定であった。しかし、こちらも相手も準備のできていない状態で月食竜が攻撃を開始してしまった事で、現状無駄な被害が広がっている。
あれが最終決戦ならば素直に喜べたものを、とドレッドは悔やんだ。
「ドレッド様、すぐに行動に移るべきかと」
そこで、大将軍であるガロウが進言する。
比較的好戦的な彼ならば当然の発言であり、それが間違いではない事を誰もが理解していた。
「その通りだ、ガロウ。だからこそ、今お前達をここに呼んだ。すまないが、知恵を貸してくれ」
焦るドレッドであったが、冷静さを失ってはいない。王としての立場を理由に独断などせず、仲間の意見を聞いて最善の選択をするよう肝に銘じていた。
冥王の希望を受け、ロキリックが素早く1歩だけ前に出る。ドレッドを含む皆の視線が、彼に注がれた。
「一刻の猶予もないと言うのであれば、最早こちらから動くしかないと思われます」
「ふむ。どのようにだ?」
「防衛に一部の戦力を残し、余った全戦力で侵攻を開始いたしましょう。それに先がけ、こちらが行軍する進路を同盟側に漏洩させます」
「それでどうなる?」
「こちらの動きが分かったとあれば、その機を逃すまいと向こうも動かざるを得なくなるでしょう。彼らに残された最後の手段は、冥王様――貴方様を討つこと以外には有り得ないのですから」
いかに強大な戦力を有していようとも、それを率いる者がいなければ存在理由がなくなる。例え竜がいようとも、多くの優秀な戦士がいようとも、王さえ討ち取れば戦争は終わるのだ。
それに続く者が現れないとも言い切れないが、追いつめられた同盟軍にはそれしか手がないはずである。
「いや、待て。――ミシェーラ、同盟軍に和睦の動きはあるか?」
「はい・・・。ですが・・・ゴホッ・・・冥王国側に受け入れる理由がない、と・・・すでに選択肢からは外されています・・・」
「そうか・・・」
分かってはいた事だが、といった感じにドレッドは零す。
当初の予定からは大きく外れているが、それもまた彼の理想を叶えうる展開だったのかもしれない。長年に渡って争いを続けて来た、4か国の決着の形の1つでもあるだろう。
しかし、それは真の平和からは程遠い。
冥王たる彼は知っているのだ。痛みの伴わない変化は、いずれ覆されるという事を。
そして、同盟軍はまだそこまでの打撃を受けていない。未だ徹底抗戦を唱える者もいるはずだ。
もし同盟軍全体が和睦を求めていたのならば、ロキリックの案が使えないため、あくまで確認の意味でドレッドは問い質していた。
そして、その結果はミシェーラの言葉通りである。
「ならば、ロキの案でいく。――ロキ、各国の内通者どもに情報を流せ。ミシェーラ、奴らの動きの子細を逐次報告しろ。アレスターとガロウは、全将軍に今日中に準備を終わらせるよう伝えて来い。怠け者のミリオには、特にきつめにな」
冥王ドレッドの指示を受け、各員はそれぞれに応答の声を返す。
彼自身も出陣の準備をするため、玉座の間を後にした。
その日、エンデバーのもとに2つの情報が入る。
1つは良い知らせ、もう1つは悪い知らせであった。
まず良い知らせは、『光の剣士』であるマリア・ロイヤルが復活したというものである。彼女の武器である『選び、導く絶対秩序』が、僅か3日で修復されたとの話であった。
当然、それは歓喜するべき事態であり、それと同時に驚愕するべき事態である。そのような事ができる者が現代にいるのか、と誰もが疑ったが、元通りになった宝剣を見せられては信じるしかなかった。
一先ず、同盟軍に最強の戦力が戻った事になる。
そして、もう1つの悪い知らせだが、冥王国軍がここ天示京を目指して進軍を開始したというものだ。
各国の戦力を率いる者達が天示京に集まっているという情報を、どうやって入手したのかについては今更議論する余地はない。ロディアス天守国やブリアンダ光国にシオン冥王国と繋がっている者がいる事は予測の範疇であり、その者が情報を流したに違いないからだ。
しかしそうだとすると、冥王国軍に関する情報も同盟軍を混乱させるための嘘である可能性もあった。敵国に組みする裏切り者が、誤情報を渡してきた可能性も疑ってしかるべきである。
いや、それ以前に、そういった疑心暗鬼を狙った行動なのかもしれない。
物事をあらゆる側面から考えるエンデバーの思考は、そういった工程を繰り返し、混乱を増していた。
(落ち着けー、俺ー・・・。まずは、情報の真偽を確かめてからだ・・・)
そうするため、すでに人員を動かしてはいる。
だが彼自身、冥王国が天示京に向けて進軍しているのは確実だと考えていた。なぜならば、今が絶好の攻め時だからである。
考えてみれば、恐るべき戦略だ。
長い間、国境付近での小競り合いを主とし、こちらの足並みを乱す事に努めてきた。その間、自分達は力を温存させつつ、竜という強大な戦力の確保に時間を費やしていたのだろう。そして一度、国境付近や敵国から軍を撤退させ、冥王国内で何かが起こったと同盟軍に誤解させる。グンナガンが討たれたのを機に動いたのは、正に絶妙な判断であった。それをまんまと鵜呑みにし、意気揚々と侵攻する同盟軍に対して月食竜をぶつける。その結果、同盟を組む3か国で大混乱が発生し、戦力を大幅に削られてしまった。
つまり、ほとんど戦わずして敵の数を減らしたのだ。そうなれば後は簡単で、弱体化した敵の残党を全戦力で踏みつぶせばいいだけである。戦闘も少なく、敵国の領土もあまり傷付けずに手に入れることが出来るだろう。
誰が考えたかは知らないが、よく練られている――エンデバーはそう評価していた。
(やっぱり・・・冥王ドレッドかー・・・?)
何十年という年月を念頭においた戦略である。そんな物、『不老』の力を持つドレッド以外には実行できまい。
エンデバーは、今更ながらに冥王の恐ろしさを実感していた。
「勝てないなあ・・・」
最早お手上げだ、と青年は両手を挙げる。
机の上に置かれた地図にはびっしりと文字が書かれていたが、全てが斜線で消されており、彼の努力が無駄な結果に終わったことを伝えていた。
勝てると思って何日も戦術を練ってきたが、ついに制限時間が来てしまったようだ。冥王国には、無策で挑むしかなさそうである。
「なっさけねー・・・」
自分が唯一誇れる分野で全く役に立てない事に、エンデバーは心底自己嫌悪を覚える。このような状況で起死回生の一手を思い付くなど誰も期待していなかったが、自分なら出来ると彼自身が信じていたために落胆していた。
「はー・・・・俺も逃げよっかなー・・・」
などと、心にもない事を口走る。
そんな彼の弱音を叱りつけるかのように、突然けたたましい音が部屋の中を満たした。どうやら、扉が力一杯に開かれたようだ。
「うおうッ・・・!?」
それはもう勢いよく開かれており、驚いたエンデバーは椅子から転げ落ちそうになる。
それをなんとか耐え、突然の来訪者に視線を向けた。
「こんな所にいましたか!エンデバーさん!」
それは、『黒虎精鋭明峰騎士団』の団長セノシィであった。気分を落ち込ませたエンデバーとは対照的な、日の光のような眩しい笑顔を湛えている。
「お、お嬢さん!?なんで、ここに!?」
彼女は騎士団の長であったが、冥王国との決戦に参加するつもりはなかった。
それは当然、セノシィに戦闘力がないからであり、彼女の親もそれだけは絶対に許可しなかったためである。故に、セノシィがここにいるのは本来ならばあり得ないはずであった。
「なんでも何も!団員の窮地なのですから、団長である私が駆け付けるのは当然の事でしょう!」
「いや、でも・・・旦那様や奥様からは禁止されていたはずじゃ・・・。それ以前に、コーリーさんの監視はどうしたんですか・・?前回の件で、めっちゃ怒られてましたよね・・・?」
セノシィは戦場に出ることを許されていない身であったが、『ロドニストの戦い』にて執事の目を盗み、それを成し遂げている。結果として戦闘は行わなかったが、執事であるコーリーが激昂してしまい、実家に強制送還となっていた。
「はい!ですから!コーリーも一緒です!」
セノシィの背後に視線を移すと、眼鏡を光らせたコーリーが立っているのが見える。執事公認という事なのだろうが、その理由がエンデバーには分からなかった。
「ちょっ・・・!コーリーさん、なに考えてるんですか!?ここには冥王国が向かって来ているんですよ!?すぐにお嬢さんを連れて、律国へ帰ってください!」
「君の言う通りです、エンデバー君。ですが、お嬢様が君に借りがあるのも事実。見過ごせないという想いを踏みにじるほど、私は冷酷ではないつもりです」
「だからって――お嬢さん!一体、何しに来たんですか!?」
コーリーと議論しても仕方ないと、エンデバーはセノシィに話を振る。彼女のやりたい事を終わらせれば、とりあえずは帰ってくれると思われたため急いで済まそうと考えた。
「もちろん!エンデバーさんに助言をしに来たんですよ!」
「え・・・?じょ・・・助言、ですか・・・?」
「そうです!団長として!部下であるエンデバーさんに、ためになる話をしてあげます!」
そう豪語するセノシィであったが、正直に言ってエンデバーはあまり期待していなかった。どちらかと言えば彼女は頭が良い方ではなかったし、何より戦いについては素人そのものであるからだ。
現在直面している問題に、セノシィが的確な答えを出せるとは到底思えない。
「エンデバーさん!」
「は、はい・・・!」
そんな考えはお見通し、とでも言うようにセノシィは声を上げる。エンデバーは椅子に座ったまま背筋を伸ばし、彼女の意見を真面目に聞こうとした。
そして、セノシィ渾身の助言が発せられる。
「エンデバーさんは――――考え過ぎ!」
「・・・・・・・・はい?」
言葉の意味が分からないのではない。
簡潔に纏められ過ぎて、何がどう『考え過ぎ』なのかが分からなかったのだ。
「あの・・・お嬢さん・・・それはどういう・・・?」
困惑したエンデバーは素直に問い質し、聞かれたセノシィは1つ咳ばらいをする。
そして人差し指を1本立てると、まるで教え子に対する態度のように解説を始めた。
「いいですか!?エンデバーさんは、仲間の事を心配し過ぎなんです!『なるべく安全にいこう』とか!『被害のないようにしよう』とか!考えているんじゃないですか!?」
「はあ・・・まあ、そうですね・・・。それが何かまずいんすか・・・?」
「良いに決まってるじゃないですか!」
断言され、エンデバーはさらに混乱する。
じゃあ何が言いたいんだ、と眉間に皺を作った。
「でも!全部が全部、それでいける訳じゃないんです!時には犠牲が出る時もあるんですよ!」
その疑問に答えるように発せられた台詞は、少女には似つかわしくないものであった。
なんだか軽い失望すら覚える程に、エンデバーは残念な気持ちになる。青年は、セノシィの真っ直ぐな心根に好感を持っていたのだ。
「でも・・・だからって、犠牲は出ない方が良いでしょうよ・・・」
そのため、少し冷たい口調で言葉を返してしまう。
彼も思考に疲れ、己の感情を上手く制御できていなかった。
「それは当然です!でも!エンデバーさんは、それがいっつも出来る人なんですか!?いつでも完璧な作戦を考えられる凄い人なんですか!?」
「いや・・・違うと思いますけど・・・」
「だったら!もっと皆を信じましょう!」
そう言われ、エンデバーは言葉に詰まる。しかし、その間にも思考をしており、セノシィの指摘するように自分は仲間を信じていないのかどうかを考えていた。
そして、今までも仲間を信用してきたと、少女の言葉を否定しようとする。
「お嬢さん、俺はいつだって仲間を信じてきましたよ?」
「嘘です!もしそうなら、1人で考え込んだりなんかしません!」
その一言には、心臓が強く脈打った。
ほとんど無意識で行動していたため気付かなかったが、なぜ自分は1人で策を練っていたのだろう、と今更ながらに疑問に思う。
エンデバーの驚きの表情を見て、セノシィは自分の指摘が正しい事を理解した。
「エンデバーさんは背負い過ぎなんです!戦いにおける作戦も!その勝利も!全てを自分だけで見つけようとしています!そこに仲間の安全を加えてしまったら、もう頭がいっぱいになって爆発しちゃいますよ!だから!エンデバーさんは今!考え過ぎ状態なんです!」
最後に指を突きつけられながら言われ、エンデバーは黙り込む。
それでもやはり思考は続けており、セノシィの言い分を受け入れ始めていた。
「じゃ、じゃあ・・・皆と一緒に作戦を考えれば良いんですかね・・・?」
「それはやってみないと分かりませんね!」
「ええ・・・。お嬢さん、それは無責任じゃないですかね・・・?」
「お手本です!エンデバーさんも、これくらい無責任になればいいんです!」
それを聞き、エンデバーはセノシィの言いたい事を完全に理解する。
つまり、彼女はこう言いたいのだ。
『多少危険性のある方法でも、勝算があるのならば試してみればいい。それで仲間が傷ついても、そこは自己責任という事にしよう。なあに、信頼できる仲間ならば、きっとやり切ってくれる』
直接そう言わないあたりが、セノシィの要領の悪さである。
だが、気持ちは十分に伝わった。
「無責任・・・ですか・・・。そんな奴が考えた作戦に、皆が乗ってくれるかどうか・・・」
それは否定の言葉ではない。その証拠として、エンデバーの顔には笑みが作られている。
今までのやり方では無理な局面なのだから、少し変わってみるのも手なのかもしれない――そう考えていたのだ。
「その時はその時です!そうなったら綺麗さっぱり諦めて!私達と一緒に逃げましょう!」
先程、エンデバーが冗談で言った選択肢を提案してくる。
最後に逃げて良いというのは意外と気が楽になるもので、青年は肩の荷が下りた気がした。頭の中も、なんだかすっきりしたような心地になる。
「団長命令じゃ仕方ないですね・・・。ま、やれるだけやってみますか」
エンデバーの言葉を聞いて、セノシィも大きく頷く。
そんな少女に向かって、青年は思わずといった感じの台詞を発した。
「ねえ、お嬢さん。この戦いが終わったらなんですけど・・・俺達、付き合いません?」
エンデバーは今までセノシィを口説いた事がない。それは単純に彼女が好みの外だからであるとともに、自分の雇い主の娘であるからだ。
『黒虎精鋭明峰騎士団』の騎士は、そのほとんどがセノシィの生家であるジニカ家の使用人で構成されており、故にエンデバーもセノシィのことを『団長』ではなく『お嬢さん』と呼んでいた。
そういった間柄であるため、本来ならば告白など許されない行いである。セノシィの後ろに仕えるコーリーも、不快そうに眼鏡を光らせていた。それでも、彼女への感謝と自分の想いを伝えるには、それが一番適した行動だったのだ。
そして、当のセノシィは口元を両手で覆い、瞳を潤ませている。
そう、まるで喜んでいるかのように。
「エンデバーさん・・・・!」
青年の名を呼ぶ声も震えており、エンデバーの中に期待感が生まれる。
これは脈ありか、と捉える青年のことを、セノシィは再度呼んだ。
「エンデバーさん・・・!」
「はい・・・!」
「笑っていいですか・・・!?」
「ですよねええええッ!どうぞーーーーッ!」
そうなんじゃないかと考えていたため、エンデバーは即座に反応を返す。許可をもらったセノシィは、大きな声を出して笑い始めた。
普段ならば振られても動じないエンデバーであったが、その時はものすごく恥ずかしい気分になる。告白を袖にされた事ではなく、セノシィに対してそれだけ本気になってしまっていたという事実が彼の中では意外であった。
思っていた以上に弱っていたか、という事にしておく。
「――あー!とても笑ってしまいました!やっぱりエンデバーさんはすごいですね!こんな窮地に、そんな事を言えるなんて!」
「はあ・・・どうも・・・」
「これならもう心配は無用ですね!さあ!今すぐ作業を再開です!」
言いたい事だけ言って、笑いたい分だけ笑って、セノシィは最後にそう指示を出した。
エンデバーは頭を掻き、溜め息を1つ吐くと机に向き直る。
彼女の言うように、無責任な作戦を考えるのも悪くない。にやりと笑みを作ると、エンデバーは思考を開始する。
それを見届けた後、セノシィは静かに扉を閉め、その場を後にするのであった。
竜の登場によって様々な人間が苦悩する中、エルフである彼らも故郷を失うという事態に陥ってた。その苦痛は、例えるならば国が消滅したと同義である。
エルフにとって、今回の戦争参加は種族全体を守るための行動であり、そこに故郷の防衛は含まれてはいない。そのため放棄を決め、今『エルフの森』は無人であった。
しかし、決して帰る事を諦めた訳ではないのだ。
いずれは――それがどれくらい先かは分からないが――以前と同様の生活を送ることを夢見ており、それを原動力に戦っているという側面もあった。
美しい自然、慣れ親しんだ我が家、犯罪も災害もない平穏な領域は、何物にも代えがたい彼らの共通の財産である。
それが、目の前で失われた。
その光景を見てしまったニノの悲痛は大きく、直後には真面に会話が出来なかった程である。あの場にグレンやヴァルジがいなければ、そのまま呆然としていたに違いない。
そして彼女は、それを仲間に伝えるという大きな――それでいて重い役割を必然的に背負ってしまった。
嘘だと言う者もいた。どうするのと問う者もいた。
族長の孫であるニノは、クロフェウと共にそのような同胞を慰める側に回らなければならない。それもまた当然の役割であったが、彼女とて心に傷を負っているのは確かであった。
しかし、ニノには寄る辺がいる。
それが、グレンであった。
「突然邪魔をして・・・悪かったな・・・」
グレンの部屋を訪れ、中に入れてもらったニノは開口一番に謝罪をする。彼女の声には力がなく、仲間へ慰めの言葉を掛けるのに疲れ果てているようであった。
「気にするな」
それを察し、グレンも優しく迎え入れる。
安心したのか、ニノの表情に少しだけ力が宿った。
向き合う2人の距離は近く、グレンはその機微をしっかりと視界に収める事が出来ており、厳しい状況の中でも健気に努める女性に敬意を覚える。
しかし、この場を訪れたという事は、多少なりとも疲れているという意味でもあるだろう。そのためグレンは、彼女の気分が安らぐよう会話に興じるつもりであった。
「しかし・・・何と言うか・・・大変なことになったな・・・」
こういった場合は明るい話題が相応しいのだろうが、彼にそこまでの話術はない。そのため、直面する問題について取り上げる事にした。
「ああ・・・あのような存在が、この世にいるとはな・・・・」
エルフは竜について無知だったようで、その存在を知った時の騒ぎは相当なものであった。人間たちが国外逃亡を図る中で、自分達もどこかへ逃げる事を模索する必要があるのでは、という声が出た程だ。
だがしかし、エルフ達は残る事を決めた。
故郷を失い、勝機を見失い、彼らに残された道は僅かに抵抗するのみである。その結果、どのような末路が待っているかなど容易に想像できた。
それでも、確かな逃げ場がある訳でもなく、せっかく加えさせてもらった同盟から脱するのも不義理である。彼らはすでに、そう決めていた。
「グレン・・・これから私達は・・・どうなると思う・・・?」
ニノの語りが弱々しい。
覚悟を決めたとは言っても恐ろしくない訳ではなく、彼女が弱音を吐ける数少ない相手であるグレンに対して、その心情を吐露していた。
少しだけ間を置き、彼はそれに答える。
「分からない・・・。普通ならば、降伏をするのだろうが・・・」
このまま戦争を続けても被害が増えていくばかりである。それならば苦渋の選択として、相手に下るのも手ではあった。
その末路がどうであってもグレンには関係のない事であるし、彼が異国の未来を心配する必要も本来ならばない。しかし、その異国に知り合いがいるのも事実であり、彼らを見捨てたくないという心情もあった。
当事者達が悩み苦しんでいる中で、グレンもまた現状に対してどのように立ち回るべきかを悩んでいるのだ。冥王国側に竜という強大な存在がいると知ってしまったせいで、同盟軍に憐れみすら覚える。
「貴方は、降伏をした方が良いと思う・・・?」
「いや、そうではない。お前達にしてみれば、それは望ましくない行動だからな。だが、被害を抑えるための選択肢としては仕方ないとも思える。和睦ではないため、厳しい状況に立たされるだろうが――」
言ってから、グレンは胸が痛むのを自覚した。なんて無責任な発言なんだろう、と自分に対して叱責したい気持ちが生まれる。
追いつめられた者の心情を考えれば、そのような発言はすべきではない。
「――いや、すまない。このような事、わざわざ言うべきではなかったな・・・」
「構わない・・・。貴方の気持ちを聞けたから・・・」
ニノはそう言って少しだけ笑みを作る。
グレンを心の底から頼っているのだろうか、彼の意見を聞けたことで心の整理がついたようだ。
「爺様がね・・・『理弓』の使用を考えているみたい・・・」
「『理弓』・・・?」
なんだったろうかと考え、以前にエルフの森で見た弓だった事を思い出す。確か、エルフ達に住処を与えた『豊穣の女神スース』が残した物であり、植物が有する魔素を用いた唯一の武器とのことであった。
「なるほど・・・。竜には魔力が通じないと聞いた。ならば魔素を使うという事か」
それはかなり効果的な手段なのではないか、とグレンは思った。
八王神と呼ばれる神々は、強大な魔法道具を世に残しており、それがどのような威力を秘めているかは彼自身よく知っている。ならば竜に用いても通用する可能性が高く、同盟側に残された最後の対抗手段のように思われた。
「でも・・・そう簡単にはいかない・・・」
しかし逡巡するように発せられたニノの言葉を聞き、グレンは訝しむ。
「何故だ?そのような物があるのならば、使えば良い。何か問題でもあるのか?」
グレンが問うと、ニノは頷く。
あの時アズラが発動条件のようなものを言っていたが、グレンは忘れてしまっていた。
「爺様が言っていた・・・。あの弓は多くの魔素を使うって・・・。それこそ、1つの山が死んでしまう程に・・・」
自然を愛するエルフにとって、そういった行為は避けたいものだ。しかしグレンは、背に腹は代えられないだろう、と考える。
「ニノ、最早そのような事を気にしている状況ではない。自分たちの身を守るため、自然には犠牲になってもらう他ないだろう」
「違うんだ、グレン・・・!犠牲なんて表現では足りない・・・!永遠の死が出来てしまうんだ・・・!」
「どういう事だ?」
どうやら草木が枯れる程度ではないらしい。
『豊穣の女神スース』がエルフの森を作り出した時は山中の植物が枯れ果てたと聞いたが、今回はそれ以上の何かが起こるようだ。
「『理弓』は山1つ分の自然を殺してしまう・・・。それ以降、その地には何も生まれない程に・・・。植物も、動物も、人間やエルフでさえも住めない土地が出来てしまうという話だ・・・」
その光景は、少し考えただけでもおぞましい物であった。
生命が寄り付かない不毛の地――それを自らの手で作り出してしまうのだから、躊躇するのも仕方ないだろう。
「教えて、グレン・・・。そんな事をしてでも勝つ必要があるの・・・?勝つためならば、何をしても良いの・・・?」
難しい質問であった。
エルフの心情を思えば、取りたくない手段であろうことは分かる。それが非道な手段である事も理解でき、それを選択するのは、まるでニノの仇であったグンナガンが好んだ戦法のようにも思えた。
かつて仇と呪った相手と同じ立場になる――それは大いに不服であろう。
しかし、勝利を得るためには仕方ない犠牲とも思える。
どちらだろうか、という問いが残るが、それはグレンが示すものではなかった。
「ニノ、すまないが私には答えが出せない。これはお前達の戦いのはずだ。相談する相手は、私ではないだろう?」
突き放すような台詞ではあったが、グレンは諭す様に優しく語り掛けた。ニノにも誤解はなく、それは当然の事だと理解しているような表情をする。
「そうだな・・・。流石はグレンだ・・・。このような時でも、決して甘やかさない・・・」
「このような時だからこそ、とも言える。しかし、クロフェウ殿はどのような判断で『理弓』の使用を?」
「『族長として、一族を守る義務がある』との事だ・・・。辛い判断だろうが、その罪を一身に背負うつもりなんだろう・・・」
「そうか・・・」
それが正しいかどうかもグレンには分からない。そのため何も言えず、ニノも口を開かない事から短くない沈黙が続いた。
気まずくはなかったが、動けずにいる状況はもどかしい。
「ねえ、グレン・・・」
「――ん?」
そんな彼に向かって、ニノが声を掛ける。
続く言葉を口籠っており、視線が泳いでいた。
「どうした?」
「あ・・・いや・・・その・・・・もし、だ・・・。もしもの話なんだが・・・もし、私が貴方に助けを――」
この時ニノが何を言いたかったのか、グレンには分かっていた。そして、それに対する回答は未だ彼の中では固まっていない。
しかし、そのどちらも答える必要はなくなった。なぜならば、ニノが言い終わる前に、けたたましい足音が彼女の言葉を遮ったからである。
その足音は部屋の前で消え去ると、扉を叩く音となって2人の耳に届いた。
「もし!こちらにニノ殿はおられるか!?」
続いて尋ねる声に覚えはなく、グレンはどうするかとニノの顔を見る。
ニノは扉に振り向くと、
「あ、ああ・・・。なんだ・・・?」
と、気まずそうに聞き返した。
ここはグレンの部屋であるため、あらぬ誤解を抱かれてしまうのを恐れたのだろうが、それでも声の主が急いでいるようだったので仕方なく所在を明らかにしている。
扉の裏にいる者は姿勢を正すと、早口にこう伝えた。
「これより、冥王国との最終決戦に向けた作戦会議が開かれます!至急、会議の場にお集まりいただきたい!」
それを聞いてニノが少しだけ怯えたのを、グレンは後ろ姿から察した。
「あ、ああ・・・すぐに行く・・・」
「よろしくお願いします!では!」
来た時と同じような足音を立て、その者は去って行く。再びグレンに向き直ったニノの顔は、後ろ姿以上に不安に塗れていた。
その様子を見て、グレンは彼女を抱き締めてやりたくなる衝動に駆られる。
欲ではなく、単純に激励の意味を込めてだ。
「ニノ・・・」
その声によって、自分が今どんな表情をしているのかを悟ったニノは、急いで背中を向けた。先ほど言いかけた言葉も、すでに胸の内に仕舞い込んでしまっている。
「では・・・行こうか、グレン・・・」
消えるような声で言うニノのあとを、グレンはついて行くしかない。
会議の場に自分が相応しいかどうかなど、もはや気にしてはいなかった。




