4-21 戦わざる者
同盟軍が冥王国に侵攻した事で受けた損害は甚大であった。調査の結果、竜の放った一撃によって約半数もの兵士が命を失ったという事が明らかになる。
ただ、それ自体が決定的な損害となった訳ではない。無論、当初の予定としては極力被害を出さないつもりであったため、それを考えれば指揮官の無能を疑ってもおかしくない損失だ。
しかし、今回においては誰も彼らを咎めなかった。
なぜならば、冥王国側に竜が味方している事など全くの想定外だったからである。
彼の者の力は強大で、情報をもたらした『光の剣士』マリア・ロイヤルですら敗北した事は、すでに多くの者に知れ渡っていた。
そして、そのせいで同盟軍は大きな問題を抱えてしまう。それこそが、甚大な被害の正体であった。
竜の存在、『光の剣士』の敗北――それらを知り、国外逃亡を図る者が続出したのだ。
ついこの前まで勝利を信じていた事による落差もあるのだろう。人々は冥王国に恐怖し、国を捨てる事を選び始めた。
当然、その動きは兵士にも波及する。
彼らとて、僅かな勝機があれば命を懸けるのにも躊躇いはない。しかし、竜という絶対に勝てない相手に勝負を挑まなければいけない状況において、そんな綺麗事を言っている余裕はなかった。
誇りを捨て、鎧を脱ぎ、代わりに食料や馬を盗んで逃げる。そういった者が日に日に増加していき、同盟軍の力は次第に低下していった。
あの日から3日が経ち、すでに全体の戦力は半分にまで減っている。
箝口令を敷くべきだったと、エンデバーは今更になって後悔した。
しかし、もう遅い。ただでさえ劣っている戦況が、更に追いつめられる事態となってしまっていた。
(くそっ・・・!)
故に、青年は頭を抱えている。
彼は今、天示京にて割り当てられている部屋に1人でいた。机に座り、地図を前にして思考を続けている。
机の端には大量の本が置かれており、それら全てが竜に関する資料であった。ここ数日、少しでも参考になればと、エンデバーは寝ずにそれらを読破している。
それでも悩んでいるという事は参考になるものは何もないという事であり、竜への対抗手段を見つけるのは不可能に思われた。
しかし1つだけ、気になる記述を目にする。
それは別に竜の弱点とかではないが、冥王国と竜の国との繋がりに関係していると思われる事柄であった。
『竜の血肉は人間にとって超常の霊薬である。それらを喰らえば、人の枠を超えた肉体を手に入れることが出来るだろう』
そのような事が書かれていた。
著者自身が実践できたかどうかに疑問が残るため、ほとんど眉唾物である。このような事を信じて実行しようなどと思う者は愚かであり、何の証拠もない情報であった。
しかしエンデバーは、ドレッドの有する『不老』が竜の血肉を喰らった結果なのだと推測する。そのような関係があったからこそ、竜が冥王国に力を貸しているのだと思ったのだ。
普通ならばあり得ない。竜は基本的に人間に興味を示さず、あまつさえその血肉を分け与えるなど考えられないからだ。
例えるならば、人間が血を吸いに来た虫に大人しく腕を差し出すか、といった話である。煩わしいと、叩き潰すだろう。
竜にとって人間とはその程度の存在であり、それが人間の国の王であっても同じはずだ。血肉を喰らおうと襲い掛かれば、譲ってくれと交渉を持ち掛ければ、次の瞬間には殺されているだろう。
ならば、冥王はどうやって竜の血肉を得たのか。
彼らが前代未聞の気まぐれを見せたとでも言うのだろうか。
全ては謎のままである。
(違う・・・!今は、そんな事を考えている場合じゃない・・・!)
とにかく、冥王国が竜の国と同盟関係、またはそれに準ずる間柄になったのは間違いない。ならば、他にも竜が戦力として加わっている可能性があり、絶望的なまでの戦力差が絶対的なまでに広がったと見て相違ないだろう。
自分達は、絶対に冥王国に敵わない。
それを理解している冷静な者の中には、冥王国との和睦を求める者もいた。しかし、そういった大人しい意見は、得てしてより大きな声に潰されるものである。
冥王が受け入れられるはずがない、と一蹴されるに終わったのだ。竜が暴れれば終わる戦いなため、向こうにとっては交渉する意味がないのだと。
互いに戦争被害を抑えるための和睦であるのだから、それで納得する者が多く、その意見に異議を唱えられる者はいなかった。
そのような議論が執り行われる中、エンデバーは人知れず、冥王国との戦いに向けて戦術を練っていた。寡兵で衆兵を倒すにはどうするべきか、それのみを模索している。
これは別に彼が戦う事を好んでいる訳でも、戦いを望んでいる訳でもない。ただ自分にできる精一杯をやろうと判断しただけである。
誰も勝てると思わないのならば、自分だけは勝てると思おう。その一心で、エンデバーは頭を動かしていた。
「やっぱり、無理だよなあ・・・」
だが、やる気があるからと言って、結果が伴うとは限らない。
竜という存在が大きすぎる壁となり、青年の思考を幾度となく打ち砕く。結局の所、あれをどうにかしなければ勝ち目はなかった。
だが、マリアが敗れた今、同盟軍の中に竜を倒せる者はいない。
あの少女も、相棒である『選び、導く絶対秩序』を失った事によって失意の底にあった。『光の剣士』たる彼女がその証を失ったのだから、精神的打撃の程度は推して知るべしだ。
今後、戦場に出れるかどうか。
(考えろ・・・!マリアちゃん抜きでも勝てる戦術を・・・ッ!)
未だ動きは見えないが、冥王国がこちらに侵攻して来るのも時間の問題だろう。
焦る気持ちは思考を乱し、エンデバーの1日は徒労に終わっていく。
別室にて、宝剣を失ったマリアも同様に籠っていた。
部屋の隅で冷たい床に座り、感情のない壁に体を預けている。
初めての敗北と『選び、導く絶対秩序』の喪失が、少女の心に大きな傷跡を形成していた。
マリアが失ったのは自信と武器ではない。祖国の歴史と大切な仲間である。
『選び、導く絶対秩序』は代々の『光の剣士』が受け継いできた物であり、ブリアンダ光国の象徴と言って良い。そして、継承者にとってはかけがえのない友人でもあった。
ともに生活し、ともに笑い、たまに喧嘩もした。
マリアの頭の中ではピースメイカーと過ごした日々が思い返されては消えていき、時折涙となって溢れ出る。
彼がいたから多くの人を救えた。彼がいるから多くの人を救える。
マリアは、母国の未来における安寧すら奪ってしまったような罪悪感を覚えていた。
仕方ないと諭され、良くやったと褒められても、その罪の意識が消え去る事はない。ではどうすれば良かったのかと自問しても答えに詰まり、マリアは『光の剣士』になったこと自体を後悔していた。
(誰かに任せられたら良いのに・・・)
そう考えても、そうするための存在はすでになく、唯一残った鞘も壁に立て掛けたままだ。それだけでも特別な力を授かる事はできるが、今後の戦いで満足に活躍できるかと問われれば疑問である。
最も重要な能力だと考えている癒しの力は、剣がなければ発動できないのだ。
その剣も、今や手元にはない。マリアを気遣ってか、誰かがどこかに保管しているという話だ。
今後、見る事もないだろう。
「うう゛・・・」
そんな事を考えてしまったために、マリアの瞳に涙が溜まる。何度拭っても枯れる事はなく、少女はそれを放置する事に決めた。
それとほぼ同時に、部屋の扉が何者かによって叩かれる。優しい、落ち着いた音が部屋の中に届いた。
なんて時に、とマリアは心の中で悪態を吐き、情けない姿を見せたくないため床に座ったまま動かないでいる。
そんな部屋の主に向かって、来客者は声を掛けた。
「入っても宜しいですかな?」
部屋に自分がいるのを分かっているような口ぶりである。
声からして、ヴァルジとか言う老人である事が分かった。あまり話した事はないが、自分の事を「お嬢様」と呼んでくれるため嫌な印象はない。
しかし、今の状態で会える程に親しくはなかった。
「すいません・・・今は、誰とも会いたくないんです・・・」
発せられた言葉は涙声であり、マリアは自身の状態を悟られたに違いないと確信する。皆と同じく慰めの言葉を掛けてくるのだろう、と陰鬱な気分になった。
「そうですか。では気が変わるまで、ここで待たせていただくとしましょう」
しかし、老人の返答は意外なものであった。
どこか揶揄っているようでもあり、悲しみに暮れる自分への言葉としては不適切に思われる。加えて部屋の前で待つなどと、とんでもない事を言い出した。
それは大変迷惑であり、マリアは追い返そうと決める。
「すいません、今は本当に1人になりたいんです・・・」
「そう仰らずに。他人との会話は、気を紛らわせますぞ?」
「お気遣いには感謝します・・・。ですけど、本当に結構ですから・・・」
「うーむ、それは困りましたな。このまま引き下がっては、格好が付かなくなってしまいます」
と言って、ヴァルジは軽く笑い声を上げた、
そんなの知った事ではない、とマリアは少しだけ怒りを覚える。優しいお爺さんかと思ったら、見栄っ張りなだけだったと失望した。
「帰ってください!お願いですから!ボクを1人にして!」
その感情が爆発し、彼女らしからぬ怒りを曝け出してしまう。即座に後悔を覚えたが、自分は悪くないと謝罪はしなかった。
それに対してヴァルジは、何故か満足気に返す。
「分かりました。これ以上は余計なお世話ですな。マリアお嬢様の涙が止まった事だけで、この場は良しとしましょう」
その言葉に、マリアは気付かされる。いつの間にか涙は消え、声を大にして叫べるくらいに元気が戻っている事を実感した。
晴れやかな気分とまではいかないが、他人に感情をぶつけた事で多少なりとも気持ちが楽になったように思える。
「どうですかな?人と話すのは気が紛れるものでしょう?」
それを見透かしたかのように、ヴァルジが言葉を投げ掛けてきた。
声を荒げてしまった手前、ばつが悪いマリアは黙ったままである。それでも、老人は話を続けた。
「これでも、マリアお嬢様よりは何十年も長く生きているのです。辛い時や悲しい時にどうすれば良いか、よく知っているのですよ」
ほっほっほっ、と老人の愉快な笑い声が聞こえる。
先程とは異なり、マリアはそれに温かみを感じた。
「マリアお嬢様、おつらいのは分かります。ですが、部屋の中に閉じ籠っていては一層つらくなるばかり。ここは、このヴァルジと共に散歩でも如何でしょうか?」
「お散歩、ですか・・・?」
マリアから返答があった事に、ヴァルジは優しい笑みを浮かべる。それを少女が見る事はできないが、不思議とそんな顔をしているような気がした。
「はい。じっとしているよりも、体を動かした方が余計な事を考えなくて済みますからな。ほんの小一時間、この老いぼれと話をしながらでも」
そう言われ、マリアは拒否をする気が起きなかった。それでも返事をせず黙っているが、ヴァルジが答えを急かす事はない。
変な人、と思い、マリアは立ち上がる。
そして部屋の外へ出ると、予想通りの笑顔を見せるヴァルジと対面した。
「それでは参りましょうか、マリアお嬢様」
老人はそう言うと、マリアの返事を待たずに歩き出す。
それは無理矢理に連れ出そうとしているのではなく、気を遣われた事で気まずくなっているであろう少女を慮っての行動であった。
慰めに対する礼などいらない、という事だ。
それを察したマリアは何も言わずについて行く――とは言っても、しばらくは互いに黙ったまま歩き続け、街の中を散策するだけであった。
その間、マリアはヴァルジの後ろを歩いているのだが、老紳士に先導されるというのは悪い気がせず、まるでお姫様になったかのような気分に浸る。
「――あはは」
その想いが表に出たのか、マリアは久しぶりに笑い声を零した。
それをヴァルジも背中で聞いており、満足気な笑みを浮かべている。
「どうです?少しは気分が良くなったのでは?」
「・・・はい。お爺さんの言う通りですね」
返す言葉にも暗さはなく、少女の内に輝きが戻っているように思えた。
「でも、どうしてボクの事を?」
その代わりに疑問が生まれたようだ。
それは当然、ヴァルジが自分の事を気に掛けた事に対する問いである。多少言葉を交わした事があるくらいで、そこまで親しい間柄ではなかったはずだ、と。
言葉足らずではあるが、老人はしっかりと理解していた。
「どうして、などと問われるような行いではありません。子供が困っているのならば助けたくなる。それが大人というものなのです」
「つまり・・・なんとなく、という事ですか・・・?」
「そうですな――と言えば格好が付くのでしょうが、少し違います。実は、以前にも似たような事があったのですよ。それ故、放っておけなくなってしまったのです」
ヴァルジの言う『似たような事』とは、彼の君主であるアルカディアとの出会いを指していた。
友を失い悲しむマリアを、孤独に苦しんでいたアルカディアと重ねてしまい、その心を癒してあげたくなったのだ。
「似たような事・・・ですか・・・?」
「はい。その方も今のマリアお嬢様と同じく、耐え難い苦境に立たされておりました」
ヴァルジの言葉に、マリアは疑問を覚える。
彼女は友を失っただけではない。国を守るための力をも失っているのだ。
言うなれば一国を窮地に立たせてしまったも同義であり、今後どのような顔で国に帰れば良いのかも苦悩の原因であった。
それは1人の少女には解決できない程の難題であり、それと同等の状況と言われても俄かには信じられない。
口から出まかせなのでは、という想いが、
「信じられません・・・」
と、言葉となって口から漏れてしまう。
自分の尺度のみで語ってしまうのは、若さゆえ仕方のない事だろう。
それを理解しているため、マリアの前を歩くヴァルジは軽やかに笑う。
「な、何が可笑しいんですか・・・!?」
「いえいえ。マリアお嬢様の仰る事も尤もだ、と思いましてな。確かに、10歳の少女が国を1人で管理していたなどと、誰が信じましょうか」
「え・・・!?」
ヴァルジの発言を聞き、マリアは耳を疑った。
自分よりも小さな子供がたった1人で国政を担っていた、と言うのだ。
「そ、そんな子供が1人で国を管理できるものなんですか・・・!?」
半信半疑ではなく、ほとんど疑いながら問う。話を大袈裟にする事で信憑性を持たせようとしているのでは、と疑念を抱いていた。
しかし、ヴァルジの背中からは狼狽えるような動きは見えない。
その後ろ姿からは、当時を思い出した老人の悲しみが感じられた。
「いいえ、出来ませんでした。必死になって最低限度の事はやっていましたが、出来てはいなかったのです。故に心身ともに擦り減ってしまい、初めて出会った時、その方の目は赤くなっておりました」
その光景を思い浮かべ、出会った事もない人物であったがマリアは心を痛める。自分よりも幼い少女の体験だと言うのならば尚更で、疑った事に罪悪感を覚えていた。
「それは・・・とてもつらかったですよね・・・」
「想像を絶する孤独だったでしょう。自分が為さねばならないという使命感がなければ、間違いなく逃げ出していたに違いありません」
「その子は、どうしてそんな事を・・・?」
「身分ゆえでございます。私がお仕えしている方は、一国の君主なのですよ」
さらりと言ってのけた情報に、マリアは何度目かの驚きを覚える。一国の王に仕えるという事は、その者自身も相当な地位に就いているに違いなく、目の前の老人がいきなり偉い人に思えた。
親交の浅い人物との会話は意外な事実を知れるものだが、この老人からはとびきり予想外な話を耳にする。
「え・・・?じゃあ、お爺さん偉い人なんですか・・・?」
「とんでもございません。私は単なる執事。地位とは無縁の者でございます」
しかし、それをあっさりと否定され、マリアは肩透かしを食らった。
「じゃ、じゃあ・・・どうしてお爺さんは君主様に仕える事になったんですか・・・?」
少女の質問が続く。
正体不明だったヴァルジに興味があったためでもあるが、何より会話をする事で気を紛らわせるという老人の助言を実践していたのだ。
実際に嫌な事を考えずに済んでいるため、年の功とは中々に侮れない。
「その時の私は当てもなく、意味もなく世界を回るだけの半死人でした。およそ15年前、すでに年齢も50に達し、あとは死するのみと絶望していたのです」
それは、今の老人からは想像も出来ない過去であった。
この人ならばどのような出来事でも笑ってやり過ごせそうだと、マリアは漠然と思っていたからだ。だからこそ、悲しみに暮れる自分に対して笑顔で接する事が出来ているのだと考えていた。
「そのような折り、私はあの方と出会います。偶然ではありません。縁、と申すのでしょうか?とにかく、私は明確な意思を持って、あの方のもとを訪れました。そこで語らい、心を通わせ、仕える事になったのです」
「そうなんですか・・・。その子は幸せですね・・・お爺さんみたいな優しい人と出会えて・・・」
そして、この老人は今も自分を慰めようと語り合ってくれている。それに感謝を覚えたマリアであったが、ヴァルジの君主と自分では状況が異なる事にも気付いていた。
少女は孤独に苦しんでいるのではなく、今まで共に戦ってきた戦友を失った事で気を沈めている。それを補うのは、赤の他人には絶対に不可能なのだ。
「私と主。互いに互いを必要とし、一度は折れかけた心を持ち直しました。ですからマリアお嬢様、貴女もこの程度の苦難で気を沈めてはなりません。世の中には貴女の力になってくれる者が必ずいるはずです」
そのため、ヴァルジの更なる慰めも空虚に聞こえてしまう。
依然として老人の行いには感謝を覚えていたが、マリアの心が完全に癒されることはなった。
「ありがとうございます、お爺さん・・・。でも、ピーちゃんのいないボクなんか・・・何の役にも立ちません・・・。お爺さんの君主様のように地位がある訳でもないんです・・・。だから、ボクの力になってくれる人なんて・・・」
事実、マリアが部屋に籠り出してからも、彼女のもとを訪れた者は誰一人としていなかった。
その方が都合が良いため気にはしなかったが、まるで見放されたような気がして、少女は物憂げな表情を作る。
「そのような事はありません。マリアお嬢様の力になってくれる者は必ずいます。持つべきものは友、という言葉もあるくらいですからな」
そこで、ヴァルジは急に向きを変える。
くるりとマリアに振り返り、少女に向かって頼もしさを感じさせる笑みを浮かべて見せた。
「かく言う私にも、多くの友人がいます。そしてその中に、つい最近ですが、出会った者がおりましてな。当初は友人の友人という関係でしたが、今では立派な友と言っていいでしょう」
急に何を言い出すんだ、とマリアは訝しむ。
取り留めのない会話をしようとしているのは分かるが、老人の交友関係を持ち出されても反応に困るだけであった。
しかし、ヴァルジの狙いは当然ながら別にあり、自信を持ってそれを伝える。
「その者の名前はアズラ=アースラン。浅学ゆえ存じませんでしたが、東大陸で一番の刀匠とのこと。あのグレン殿が言うのですから間違いありません。そして、アズラ殿はあらゆる武具に精通しているようなのです。いやはや、このような偶然があるものなのですな」
マリアの中に、言い知れぬ期待感が生まれる。今この場でその話が関係するのは、あの宝剣くらいであるからだ。
気付けば、老人と共に歩き続けて見知らぬ場所に来ている。
少女の耳には、金属と金属を打ち合わせているような音が届いていた。
「お爺さん・・・!も、もしかして・・・!」
「聡明でいらっしゃいますな。その通りでございます。アズラ殿は今、マリアお嬢様の御友人であらせられる『選び、導く絶対秩序』を直している所なのですよ。そして、作業がもうそろそろ終わりそうだと言うので、私がお迎えにあがったという次第でございます」
その事実に、マリアは心から震えた。しかし同時に疑問にも思った。
『選び、導く絶対秩序』が破壊されてから、まだ3日しか経っていない。そんなにも簡単に直せるものなのだろうか、という考えが頭をよぎる。
曲がりなりにも神話時代の遺物なのだから、失われた技術で作られている可能性もあるだろう。同じような物が作られていないのだから、現代の技術が通用しない場合も考えられる。
期待外れになる事を恐れたマリアの頭の中には、ヴァルジの発言を否定する考えばかりが浮かんでいた。
けれども、老人の口からは「すでに直っている」という旨の発言もされており、少女の中では最終的に期待感が勝る。
どちらだろうか。
それは、確かめれば済む話である。
「お、お爺さん!」
「はい。では、向かうとしましょう」
老人に連れられ、マリアは金属音のする場所へと向かう。近づくにつれて大きくなっていく音が、あのお調子者の鼓動のようにも聞こえた。
1つ、2つ、3つと打たれていく。
1歩、2歩、3歩と近づいて行く。
期待は増すばかりである。
そして、ある小屋の前にまで来ると、その音は止んだ。それは決して鼓動の終わりを意味するのではなく、作業の終了を意味しているに違いない。
マリアは小屋の中に入ろうとしたが、それよりも先に誰かが外に出て来た。
「うん?何だいや、ヴァルジと・・・あん?あんだあ、こん娘は?」
その老人は長い白髪と白鬚を持ち、体中に汗を掻いていた。
紹介されずとも分かる。この者が、先程ヴァルジが言っていたアズラ=アースランという人物なのだ。
「あ、あの・・・!ボク、マリア・ロイヤルと言います・・・!」
「ああ。お前さんが、あの駄作の持ち主かい。ったぐよお、ほんにつまんねえ仕事だったでよ」
「え・・・?駄作・・・?」
少し苛立ちながら発せられたアズラの言葉を聞き、マリアは狼狽える。
『選び、導く絶対秩序』と言えばブリアンダ光国の国宝であり、世に2つとない伝説の宝剣である。
それを指して『駄作』とは、言葉が過ぎるのではないだろうか。
「おら!さっさと持って来んかいっ!」
「は、はいッ!」
呆気に取られているマリアの前で、アズラは小屋の中に向かって大声で叫んだ。怯えたような返事が寄越されたのだが、その声には聞き覚えがある。
アズラに続いて小屋の中から姿を現したのは、他ならぬロイドであった。
「ロイドさん!?どうして、こんな所に!?」
「あ、ああ・・・マリア・・・。少しな・・・」
ロイドの顔は、喜んではいるが疲れ果てているといった感じである。常に大きく見えたその体も、なんだか小さくなっていた。
「ロイド殿ですが、実は今まで『選び、導く絶対秩序』の修繕を手伝っていたのですよ。この街に帰還して早々、直せはしないだろうか、と全ての職人を当たっておりましてな。困り果てている所を見かねて、私がアズラ殿を紹介したという次第なのです」
「その節は・・・誠にお世話になりました・・・」
弱々しくヴァルジに頭を下げるロイド。
これまでの事情は分かったが、何故そこまで憔悴しているのかが分からなかった。
「ロイドさん、そんな事を・・・。でも、なんでそんなに疲れているんですか?」
マリアの疑問を聞き、ロイドは困ったように唸る。視線がアズラの方を向いているあたり、原因は彼にあるのだろう。
そう言えば先ほど怒鳴られていたな、と思ったマリアに向かって、ヴァルジが説明をしてくれる。
「実はですな。アズラ殿が『選び、導く絶対秩序』修繕の依頼を引き受けてくれた事に恩義を感じたようで、ロイド殿は自らも手伝うと言い出したのです。ですので、実際にはアズラ殿だけでなく、ロイド殿もマリアお嬢様のために動いていたという事になるのですよ」
「けっ!こん馬鹿たれは、邪魔ばかりしちょったがな!ほんに、俺の指示通りに動けねえもんでよ!」
「は、はあ・・・」
アズラの激昂っぷりに、マリアは戸惑いの声を漏らす事しかできなかった。
ロイドとて立派な大人なのだから、ある程度の指示ならば無難にこなすはずである。ただ、彼自身も否定しない所を見るに、言われても仕方ないとは思っているようだ。
「アズラ殿は、作業に取り掛かると人が変わりますからな。私が少し見学しようとした時も、『ド素人はすっこんどけ!』と叱られてしまいました。作業を手伝ったロイド殿ならば尚更でしょう」
その謎も、ヴァルジによって解き明かされる。
専門外の作業なのだから、円滑に動けなかったであろう点について疑問はない。そして、その悉くを叱りつけられたのだと考えて間違いはないだろう。
だから、少々打ちのめされた感じになっていたのだ。
「ロイドさん・・・ボクのために、そんな目に・・・」
「気にするな・・・。私には、これくらいしか出来ないからな・・・」
格好良い台詞を言っていたが、焦燥しきった顔からは憐れみしか感じなかった。彼もその点についてはあまり触れて欲しくないのか、話題を変えるため――と言うよりも、本題を進めるためマリアに向かって剣を差し出す。
「さあ、受け取ってくれ・・・。アズラ殿が打ち直した・・・『選び、導く絶対秩序』だ」
刀身を剝き出しにした長剣は、確かに見慣れた姿に戻っていた。
折れた形跡などどこにもない、まさに復活と言って良い状態である。
「すごい・・・本当に元に戻ってる・・・!」
アズラの腕前を疑っていた訳ではないが、マリアはその事実に驚愕した。手に持った時の重さも、そこから伝わる力の何もかもが、以前のままであるように感じられる。
「はあ?どこかだで?」
しかし、それを否定するようにアズラは言った。
それはつまり元に戻った訳ではないという事であり、驚愕した3人は即座に職人に視線を移す。
「え!?え!?アズラさん!直してくれたんじゃないんですか!?」
「直したには直したで?だどんも、元には戻ってねえべよ」
「?――どういう事ですか?」
意味が分からないと、他の2人もマリアと同じように頭の上に疑問符を浮かべる。
変わり者のアズラの発言は、少々理解しづらかった。
「さっき言ったでよ。こん剣ば『駄作』だってよ」
「言いました・・・けども・・・。それ、どういう意味なんですか・・・?」
「言葉通りだで。未完成品に『駄作』ば言うて、何かおかしな事でもあんのが?」
「え!?未完成!?」
衝撃の事実を突きつけられた気がした。
今まで、数多くの人間が『選び、導く絶対秩序』を見て、触れて来たのだ。その中の誰も『選び、導く絶対秩序』を『駄作』と称した事はなく、あまつさえ『未完成品』と判断した事もなかった。
「どういうことですかな、アズラ殿?その剣は、あのグレン殿も称賛した程の一品。駄作や未完成などの言葉は相応しくないように思われますが」
ヴァルジの言うように、『選び、導く絶対秩序』にはグレンも高評価を与えている。彼も目利きには多少の覚えがあるため、それは決して間違いではなかった。
しかし、職人の頂点に立つアズラの鑑定眼には、全く違う印象として映っていたようだ。
「はあ~?こん駄作がか?王国の英雄ちゅーても、目利きまでできる訳ではねんだな。ま、しゃあねえけどもよ」
「ふむ。確かに、グレン殿の本業は鍛冶職人ではありませんからな。――しかしそうなると、今この状態の『選び、導く絶対秩序』はどうなるのですか?」
未完成品と罵ったのだから、それを放っておくわけもない。
今マリアの手にある宝剣には、少なからずアズラの手も加えられているはずだ。
「んなもん、きっちりと作り上げといてやったでよ。ったくよお、俺には分からんだで。自分の作品を、こんな状態で世に送り出すなんてなあ」
だからこそ、彼の機嫌は悪かったのであろう。
駄作や未完成品などと称したのも、全てはそれに対する怒りが関係していたのだ。職人として、物作りに真摯に取り組んでいる者だからこそ言える台詞である。
「そ、そんな事が出来るものなんですか・・・・?」
尋ねるマリアとて良くは知らないが、他人の作った魔法道具に後から手を加えて完成させるのは困難なように思える。
そしてそれは実際、ほとんど不可能な所業であった。例外があるとするならば、修繕者が元の製作者よりも優れている場合だろうか。
「言うほど難しくねえでよ」
つまり、アズラがそうなのである。
他の3人には分からない事であるが、これは歴史に名を残してもおかしくない偉業であった。
神話時代に作られた『選び、導く絶対秩序』には失われた技術が全てにわたって使われており、今の時代では再現不可能なものが多い。それをアズラは即座に理解し、さらにそれを上回る技術で以って『選び、導く絶対秩序』を完全な姿に導いている。
その功績を称え、後に彼はこの地方において『神話超越者』と呼ばれるようになるが、それはまた別の話であった。
「それでマリア、『選び、導く絶対秩序』に何か変わった点はないか?」
宝剣が直っただけでなく完全な力を得たことを聞き、ロイドが声に力を込めて問う。
しかし逆に、マリアは力なく返事をした。
「それが、さっきから何も話さないんです・・・。自分の事を『駄作』とか『未完成品』とか言われたら、絶対に怒るはずなんですけど・・・」
そこで、マリアはアズラを見る。
理由を知らないか、と聞いていた。
「俺には分がんねえな。もしかしで、未完成だったから喋れたんかもな」
「そ、そんな!」
アズラの非情な一言に、マリアは悲しみを覚える。
話せなくとも能力は使えるだろうが、それはなんだか寂しい気がした。
「ピーちゃんッ!ピーちゃんッ!!ねえ、聞こえる!?ピーちゃんッッ!何か話してよおッ!」
必死になって剣に話し掛けるマリア。
少し異常な光景ではあったが、事情を知る3人は同情を覚えるばかりであった。
「・・・・・・・う・・・」
その時、マリアの耳にのみ微かな呻き声が聞こえた。
それは何物でもない、『選び、導く絶対秩序』が発したものである。
「ピーちゃんッ!」
マリアの声も、期待を伴って大きくなる。
その様子に、他の3人も事の成り行きを見守った。
「・・・う・・・・うう・・・・ううううう・・・・・」
「ピーちゃん!起きて!私だよ!分かる!?マリアだよ!」
「マ・・・マリア・・・・?」
「そうだよッ!」
「マリア・・・・・様・・・?」
「え?」
今、聞き慣れない言葉を聞いた。
一応、主従関係とはなっているが、マリアとピースメイカーの間に格差はない。そのため、ピースメイカーが少女の事を敬称を付けて呼ぶなど、今まで一度としてなかった。
「ピーちゃん・・・今、なんて・・・?」
「マリア・・・様・・・・マリア・・様・・・・マリア様・・・」
彼から慣れない呼び名を連呼され、マリアの体に悪寒が走る。
「ど・・・どうしちゃったの、ピーちゃん!?なんか変だよ!?」
「ああ・・・マリア様・・・私は・・・一体どうしていたと言うのでしょうか・・・?まるで、今までの自分が嘘のよう・・・生まれ変わったような心地がします・・・」
「絶対に変だよー!」
ピースメイカーが復活した事に対する喜びを忘れ、その変わり様にマリアは戸惑う。彼はこんなに礼儀正しくないし、大人しくもなかった。
「アズラさん!これ、本当にピーちゃんですかッ!?」
「あん?なんか問題でもあんのか?」
「何と言うか・・・すごく真面目になっちゃってるんです!以前のピーちゃんは、もっと下品でうるさかったのに!」
「はーん。で、それの何が問題なんだべ?」
問われ、マリアは考える。
人が変わったという表現が適切かどうかは置いておくとして、今のピースメイカーは以前までの彼とは全く違った性格になっている。人間ならば不気味な程の変わりようであり、実際にマリアは薄気味悪く感じた。
しかし、それは不都合な事だろうか。
マリアとて、ピースメイカーの下品な物言いを不快に感じたことは何度もあるし、それが聞けなくなったからと言って不満に思う事は何もない。
ならば、彼が真面目になったのは災いから転じた福ではないだろうか。
マリアは熟考を重ね、そういう結論を導き出した。
「あ、問題ないですね」
「ちょーーーーーい、ちょいちょい!待ってくださいよ、マリアさん!そりゃないっすよ!少しくらいは以前の俺を惜しんでくださいよッ!」
そこで、ピースメイカーが本性を表す。結局、彼の性格は変わっていないようであった。
しかし、マリアはアズラに笑顔を向けている。
「ありがとうございます、アズラさん。これからはきっと、ピーちゃんも『光の剣士』の武器として真面目になると思います」
「おん?まあ、お前さんがそれでええなら」
「あーーーー!この子!俺が変わった体で押し通すつもりだッ!やめろーーー!俺は今まで通りに下品で騒がしい『選び、導く絶対秩序』様だああああッ!」
マリアにしか聞こえない叫び声を上げ、ピースメイカーは自分が全く変わっていない事を主張する。
少しばかりの沈黙はあったが、最終的に少女が溜め息を吐くことで決着となった。
「もう・・・相変わらずだなあ、ピーちゃんは・・・」
「おうよ!俺は変わらず元気だぜ!」
「でも良かったよ・・・無事に直ってくれて・・・」
「へへ!寂しい想いをさせちまったかな!?」
「うん・・・とっても寂しかったよ・・・。もう、あんな無茶はやめてね・・・」
少女の笑みに、涙が加わる。
マリアの言葉しか聞けない他の3人は、彼女と彼女の相棒をただ見守るだけであった。
「へへ・・・悪かったよ・・・。でも、無茶はお互い様だろ・・・?」
「うん・・・そうだね・・・」
「もう泣くなよ・・・。俺は手がねえから、その涙を拭ってやる事ができねえんだ・・・」
「なにそれ・・・?格好付けてるでしょ・・・?」
笑って誤魔化すピースメイカーの声を聞きながら、マリアは自分の指で涙を拭う。
少女の瞳から溢れ出た雫は、それで止まってくれた。
「あれからどれくらい経ったか分からねえが・・・強くなったな・・・」
「たった3日だよ・・・?なんにも変わってないよ・・・」
少女の言葉を聞き、それだけの時間で自分を修復できる者がいるとは、とピースメイカーは驚愕する。しかし、この場で論ずる事ではないため、その話は後にしようと決めた。
今は、主との話の方が大事だ。
「そうか・・・それでも・・・もう一度輝いてくれるか・・・マリア・・・?」
「うん・・・ピーちゃんと一緒なら・・・」
少女と宝剣は、こうして再会を果たす。
ピースメイカーを手にするマリアの姿は、先程まで部屋に籠っていたとは者とは別人のようだ。最早、何の心配もいらないだろう。
「ところでマリア、もう1つだけ確認を取っていいか?」
「え?なに・・・?」
しかし、ピースメイカーには気になる事があるようだ。
訝しむマリアを他所に、宝剣はそれを尋ねる。
「そろそろ俺と一緒に風呂に入ってくれても――」
言い終わるのを待つことなく、マリアは『選び、導く絶対秩序』を放る。
直前までかなり良い雰囲気であったのにも関わらずの行動であったため、傍観していた3人は呆気に取られてしまい、放物線を描いて飛ぶ伝説の宝剣を目で追うだけであった。
かたん、と小気味いい音を立てて地面に着地――もとい落下するピースメイカー。
「おいいいいいいい!何も放ることねえだろうがッ!」
「もう知らない!ピーちゃんなんて、そこで錆びちゃえばいいんだ!」
「錆びませーん!折れる事はあっても、俺は錆びませーん!」
「もー!前よりひどくなってるー!」
傍から見れば激しい独り言を繰り広げるマリアに向かって、他の3人は何も言えずにいる。ただ、全てが元通りになったのだろうな、という事だけは分かった。
少女の眩い笑顔が、その何よりの証であるだろう。




