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紅蓮の英雄  作者: 時つぶし
冥王国の進軍
73/86

4-20 破壊の力

 作戦会議の後日、同盟軍は総勢5万の兵を進軍させていた。

 率いるはロディアス天守国のジェイクとアイン、ブリアンダ光国のマリアとロイド、テュール律国のジグラフとリッツィである。

 加えて、監督者としてエンデバーが、道案内としてエルフ族からニノが同行してもいた。しかし、2人は部隊の指揮を任されている訳ではなく、あくまで相談役といった立ち位置である。

 いかに軍師として優れたエンデバーであっても兵士を率いるには若く、経験のないニノには荷が重い話であるため、彼らもすんなりと納得している。

 ただ、特別待遇として指揮官や騎兵ではなくとも馬を与えられてはいた。

 「私、エルフって初めて見たわ」

 そんな中、『桃兎(とうと)端麗(たんれい)絢爛(けんらん)騎士団』の団長であるリッツィがニノに声を掛ける。『エルフの森』まで案内をしてもらうため、少しくらい親睦を深めようとしているのだろう。

 それを察し、ニノも会話に興じる事とした。

 「私は馬に乗るのが初めてだ。楽ではあるが、少し怖いな」

 「(じき)に慣れるわ」

 そうは言われても、高い目線に不慣れなニノは地面ばかりを見てしまう。落馬したら大怪我をすると言われたため、少し臆病になっていた。

 現在はゆっくりと行進中であり、心配のしすぎではあるのだが、どうしても視線が下を向いてしまう。そんなニノの横顔を、リッツィはじっと見つめて来ていた。

 「・・・なに?」

 気になったニノは、軽く視線を寄越しながらリッツィに問い掛ける。

 「あ、ごめんなさいね。少し見惚れちゃってたみたい」

 「え・・・?」

 「言ったじゃない、エルフを見たのが初めてだって。貴女達って、本当に綺麗な顔をしているのね」

 「いや、それ程では・・・!」

 「あ、そういった謙遜は止めておいた方が良いわよ?人間の女は嫉妬深いから」

 「なっ・・・!?」

 その言葉に、ニノは大いに慌ててしまう。

 それを見て、リッツィは冗談だとでも言うように笑った。

 「揶揄(からか)ってごめんなさいね。でも、貴女が綺麗だと言うのは本当よ。『エルフの森』も、さぞかし美しい場所なのでしょうね」

 「あ、ああ・・・。放棄はしたが、依然その美しさは保たれていると思う。拠点として使うには相応しくない程にな」

 種族の故郷を想い、ニノは悲しい笑みを見せる。

 敵対国家の領土内になければ、今でもあそこで安寧な暮らしを送っていたと断言できた。

 「いつか、戻れると良いわね」

 リッツィの思いやりに、ニノは頷く。全ての人間が彼女のように優しくあれば、と考えずにはいられなかった。

 冥王国との戦いがいつまで続くかは分からないため、今の彼女には故郷に戻れる日が来ることを願う事しか出来ない。それに関しては、先の作戦会議でエンデバーが言っていたように冥王国の現状がどうなっているかに懸かっていそうであった。

 そう考えれば、これからリッツィが担う任務はとても重要な意味を持っている事になる。彼女は今、ニノには想像も出来ない重責を感じているに違いない。

 その緊張感を欠片も見せず、自分に対して慰めの言葉を掛けられるリッツィを、ニノは尊敬に値する存在だと思った。

 「そうだな・・・。いつか・・・いつか必ず・・・」

 「その時は、『エルフの森』を案内してもらえるかしら?」

 それは、少し分からない言葉に聞こえた。

 種族全体で故郷には戻れないが、今から自分達はそこに向かうのだ。ならば案内程度、その時に済ませてしまえば良いと思えた。

 「こういうのは、区切りがついた時にするものなのよ」

 しかしそう言われたため、人間とはそういう発想をするのだな、という事にしておいた。

 ニノとて、そちらの方が望ましいのに変わりはない。

 「ところで、後ろの彼らはどういった人達なの?」

 会話を経て、ある程度の信頼が深まったと判断したのか、リッツィが踏み入った話題を持ち出す。

 『彼ら』とは言うまでもなくグレンとヴァルジの事であり、現在はニノより少し後ろを兵士達に混じって歩いていた。

 軽装のグレンも目立つが、紳士服のヴァルジはより目立つ。

 リッツィの興味は、どちらかと言うと老人に向いていた。

 「武器を所持している方がグレンで、もう一方がヴァルジと言う。ヴァルジは私の祖父の友人で、グレンはその仲間だ」

 「仲間?なんて言うか、一緒にいるのが不思議な2人ね」

 「そうでもない。2人とも恐ろしい程に強いんだ。冥王国の兵士500人を、彼らだけで撃退してみせたからな」

 それを聞き、リッツィは驚きを隠せない表情をする。

 騎士団長がそのような反応を見せた事で、ニノの中に少しだけ優越感が生まれた。

 「嘘でしょ・・・?多分『干民(かんみん)』だと思うけど、2人で500人を・・・?そんな事ができるのなんて、天守国のジェイクさんや光国のマリアちゃんくらいだと思ってた・・・」

 リッツィの言葉を聞き、今度は逆にニノが驚く。

 1人で100人以上を相手取る事が出来る人間が、彼らの他にいるという事実が意外であり異常であった。

 「人間とは、そこまで強いものなのか・・・?一体どのようにして、そんな力を・・・?」

 「あ、そこまで驚かなくて良いと思うわよ。そのくらいまで行くと、同じ人間である私達でもおかしいと思うから」

 一瞬、エルフ族と人間の種族としての圧倒的な差を見せつけられた気がして、ニノは落胆しそうになった。続くリッツィの言葉によって気分を変えはしたが、それでも名前の出た4人が人間としての枠を超えた実力者なのは言うまでもない。

 やはりグレンは凄いのか、とニノは後ろを振り返る。そんな彼女の行動を見て、リッツィは悪戯っぽく笑った。

 「ねえ、ここだけの話。貴女、あの剣士の人のこと好きでしょ?」

 「――は!?なあ!?」

 首を勢いよく回してリッツィに向き直る。

 多少仲良くなったとは言っても、不躾な問い掛けには激しく動揺した。

 「その反応に、その表情。図星って所かしら?」

 「ばっ!?なっ!?はっ!?な、何を言っている!?根も葉もない事を言うなっ!?」

 「そんな大声出して大丈夫?」

 ニノは慌てて口を塞いだ。

 周りを歩く者達の表情が気になったが、認識した瞬間に気まずくなるため見渡すのは止めておく。

 「ずいぶん初々しい反応をするのね。エルフは見た目に反して、長い年月を生きているって聞いていたけど・・・」

 それは確かにその通りである。

 だからと言って、何かにつけて経験が豊富という訳ではなかった。特に長命である事から、種の存続に対して意識の低いエルフならではの事情というものもある。

 「もしかして・・・初恋?」

 それをずばり言い当てて来るリッツィ。

 女の勘というのだろうか、それともごく当たり前に分かる事なのだろうか。とにかく、ニノには理解の出来ない洞察力であった。

 「し、仕方がないだろう・・・!200年間、異性に特別な感情を持った事などないんだ・・・!」

 「そうは言っても、『この人、格好良いな』とか『素敵な男性だな』とかくらいは、あったんじゃないの?」

 「ない・・・!別にエルフの男が不甲斐無いとかではないぞ・・・!ただ、人間ほどに女との差がないだけだからな・・・!」

 その意見を聞き、リッツィは男エルフの顔ぶれを思い返す。

 人間の女から言わせてもらえば、あれ程の美形が揃っていて恋心の1つも生まれないのはおかしいと言わざるを得なかった。それでも、種族全体の平均値が高いエルフならば顔が良いというだけでは心が揺れ動かないのでは、とも考えられる。

 目が慣れているのだろうか。いずれにしろ、贅沢な話である。

 「ああ。だから、あの人か。男らしさって感じだったら、確かに当てはまるものね。ほら、筋肉とか」

 「外見は・・・関係ない・・・!」

 「まあ素敵。でも、それもそうね。外見でエルフの男性より優れている人間の男なんて、そうはいないもの。だとしたら、やっぱり筋肉――」

 「もういい!お前は少し黙れ!」

 顔を真っ赤にしたニノに言われ、リッツィは悪戯っぽく微笑む。200年もの間、恋愛経験がなかったのだから、そういった話題に対する免疫のなさも頷けるというものであった。

 「・・・さっき、貴女の事を『綺麗』って言ったけど、訂正させてもらうわ」

 「なに・・・?」

 その唐突に発せられた言葉は、昂ぶっていたニノの気を静める。

 流石に言葉が過ぎたか――と最初は思ったが、隣を進むリッツィの笑みを見て、怒りを感じてはいないと分かった。

 「貴女、綺麗って言うよりも可愛いわ。とっても可愛い女性よ」

 もう何がしたいのかが分からない、とニノは口を(つぐ)む。

 その反応が面白く、リッツィは小さく声を上げて笑った。

 「呆れさせてしまったかしら?でも、話に付き合ってくれてありがとう。おかげで緊張が解れたわ」

 やはり彼女も、今回の自分の任務に幾らかの重責を感じていたようだ。それを紛らわせるため、ニノと日常会話に興じようとしたのだろう。

 いい迷惑だ、とは思ったが、決して糾弾しようとは思わなかった。

 彼女の役目を考えれば、それくらい大した事ではないからだ。

 「さあ、そろそろ皆とお別れかしらね。ニノさん、道案内よろしくね」

 遠くに目をやれば、『エルフの森』がある山が見える。到着にはまだ時間が掛かりそうではあったが、それ以降リッツィが口を開く事はなかった。

 作戦通りに敵の後ろを取るにしろ、諜報員として情報を収集するにしろ、彼女が率いる隊に懸かっているのだから無理もない。

 声を掛けようにも良い言葉が思い浮かばず、ニノも黙って馬を進めるのであった。






 「じゃあ、ここいらで待機としましょう」

 山を越え、高台へと進んだ同盟軍。少数部隊を『エルフの森』へと潜ませ、残りは迎撃に出て来る冥王国軍を待つばかりであった。

 相手がどれ程の戦力を動かすのか、誰が出て来るのか、迎撃にどれくらいの時間を要するのか。

 冥王国の対応次第で多くの情報を入手できると、作戦立案者であるエンデバーは考える。

 仮に大軍が押し寄せて来ても、すぐに撤退する心構えは出来ている。もし対抗できそうならば、作戦通りに挟撃して何人かを捕虜とするつもりであった。

 その捕虜の中に正規軍の兵士がいれば、相手側の内情について問い質すつもりだ。

 無論、簡単には話さないだろう。そういった場合は拷問も止む無しであるが、エンデバー自身が実行する訳ではないので気にする事ではなかった。

 「監視の配置が終わったよ、エンデバー君」

 兵士の配置を任せていた、ブリアンダ光国のロイドが報告に来た。同盟軍が陣取っている場所は見通しが良く、自軍と敵軍の双方が相手を視認しやすい。

 つまり、いつかは必ず捕捉され、相手の接近も早い段階で気付ける場所であった。

 「大体、どれくらいで来ると思う?」

 冥王国軍の動きが気になるのだろう。経験豊富なロイドが、年下であるエンデバーに意見を聞いて来た。

 年上に頼られるのは悪い気がしない、と青年も真摯に答える。

 「周りに街がないので、しばらくは掛かると思います。その間に、こちらは拠点を作っておきましょう」

 「拠点?この場を立ち去る事が決まっているのにか?」

 エンデバーの作戦では、相手と小競り合いをした後、すぐに天守国へと引き返す予定であった。つまり、今この場に拠点を作ったとしても放棄するだけであり、無駄な労力を使うだけだ。

 ロイドにはエンデバーの考えが理解できなかった。

 「言いたい事は分かります。でも、これも向こうを欺くための準備なんですよ。こちらが本格的に攻め込んで来たと思わせるためのね。相手が来るまでの間、何もしないで待機なんて絶対おかしいですもん。他に意図がある、って思わせたくないんですよ」

 「なるほど・・・。君は本当に色々考えるんだな・・・」

 噂に違わぬ徹底ぶりに、ロイドは深く感心した。

 しかし、エンデバーの思考の根幹は、気になるからといった理由ではない。

 「いやね、俺って戦う事に関してはあんまり役に立てないんすよ。だから、それ以外の部分で俺の代わりに戦ってくれる人達の補助が出来ればな、と考えてましてね。その人達のために中途半端な事はしたくないんです。命張ってくれている人達には、万全な状態で活躍してもらいたいんですよ」

 青年の素直な心の内を聞いて、ロイドは彼に対する称賛と共に小さく微笑む。

 「君が多くの騎士団長から信頼されている理由が分かったよ。自分達の事を第一に考えて立てられた作戦ならば、安心して身を任せる事が出来る」

 「始めは大変でしたけどね。ジグラフ団長なんて、『小賢しい手段など要らん』とか言ってましたから」

 昔を思い出し、エンデバーは苦笑いを浮かべる。

 しかしそれは、ジグラフ程の戦士が認めざるを得ない程の実力を彼が有しているという事であり、目の前の青年にロイドは改めて敬意を覚える。

 「ロイドさーん!」

 その時、2人のもとにマリアが駆け寄って来た。

 同時に、先程まで誠実さを帯びていたエンデバーの顔が弛緩する。

 「マリアちゃーん!どうしたんだい!?」

 本人に代わって、呼ばれた訳でもないのに返事をした。男女によって大きく態度を変える青年に対して、ロイドは苦笑を浮かべる。

 そんな2人の傍まで来ると、マリアは立ち止まった。

 「あ、エンデバーさんでもいいや。何もしないでいるのも暇なんで、周りに敵がいないかボクが見て来ましょうか?」

 『光の剣士』としてのマリアには、飛行する能力が備わっている。この空を飛べる力はとても珍しく、魔法の中でも確立されたものはなかった。

 絶対にいないという訳ではないだろうが、ロイドもエンデバーも空を飛べる人間を他に知らない。

 また、エンデバーは魔法を使えはするが開発は専門外であり、魔法での飛行がどれだけ難しいのかもよく分からなかった。ただ、有名な魔法の中にそれがない事から、途轍もなく難易度の高い所業だという事はなんとなく分かる。

 それを実現させた、神話時代の職人には驚かされるばかりであった。

 そして、その者に作られた『選び、導く絶対秩序(ピースメイカー)』を受け継ぐ少女の申し出に、エンデバーは返事をする。

 「あ、いいよいいよ。ロイドさんが偵察兵を配置しておいてくれたから。気にしないで」

 「でも、空からの方が見通し良いですよ?」

 「本当に大丈夫だから。むしろ今回に限っては、ジェイクさんやマリアちゃんみたいな強いと噂の人達には動いてもらいたくないんだ」

 その言葉に、マリアは少しだけむっとした。

 「噂じゃないです。本当に強いんですからね」

 口調はややきつめであったが、幼さの残る少女からは恐怖を感じず、逆に可愛らしさが伝わって来る。

 そのため、エンデバーの顔は完全にだらしなくなっていた。

 「分かってるよ~。マリアちゃんは、俺なんかが束になっても敵わないくらい強いよ~」

 「じゃあ、なんでボクやジェイクさんは動いちゃ駄目なんですか?」

 「それはね~。今回の作戦の最終段階が『撤退』だからだよ~」

 「?――どういう意味ですか?」

 エンデバーの説明の意図が分からず、マリアは首を傾げる。

 傍で聞くロイドは、なるほどと頷いていた。

 「うんとね。一騎当千の戦士が2人もいて『逃げる』ってのは、ちょっと変だと思わない?」

 「うーん・・・・・・変・・・ですね。戦えばいいのに、って思います」

 「その通り。どう考えても違和感あるよね?相手の立場になって考えると、罠を疑っても不思議じゃあない。まあ実際、罠なんだけど」

 そこで(ようや)くマリアも気付く。

 「ああ、そうか!撤退を自然に見せるために、ボク達は目立たない方が良いんですね!――あれ?でもそれだと、ボク達は付いてこない方が良かったんじゃ・・・?」

 いくら隠そうとしたところで、ジェイクとマリアの存在が絶対に発覚しない訳ではない。それを考えれば、彼女の言う通り、連れてこない方が適切であった。

 しかし当然、それに関してもエンデバーには考えがある。

 「それとこれとは話が別ってね!2人がいなかったら、実際問題こんな呑気に話してないから!」

 つまりは守ってもらおうという事であった。例え相手が少女であろうとも、頼るべき所は頼るという逞しい性根である。

 ただ、それに関してはロイドが不服そうな顔をした。

 「エンデバー君。会議の時に言わせてもらったが、あまりマリアに頼り過ぎるのは――」

 「分かってますって。だけど、腫物みたい扱うのも返って可哀想ですからね。程々に、って感じで」

 「む・・・。それもそうだな・・・。すまない、思いのほか過保護になっていたようだ・・・」

 「事情は分からないですけど、理解は出来ます。気にしないでください。ロイドさんや他の人にも、たっぷり働いてもらう予定なんで」

 少しだけ気まずくなりそうな雰囲気も、エンデバーが笑顔で霧散させる。

 年下の青年の計らいに、ロイドは自嘲気味に笑った。 

 「あ!そうそう!エンデバーさんに質問!」

 その気配を微塵も理解していなかったマリアが、元気に手を挙げてエンデバーに声を掛ける。

 どうぞ、とでも言うように青年は少女に顔を向けた。

 「あのグレンさんって人、どれくらい強いんですか?」

 「え?グレンさん?」

 予期せぬ問いに、エンデバーも困惑の声を漏らす。明確な答えを持ち合わせていないという事もあったが、何よりその質問の意図が理解できなかった。

 問題の人物は遠く離れた場所で、道案内を終わらせたニノを迎えている。

 「なんでグレンさんの事を?――はっ!まさか、マリアちゃん!ああいう人が好み!?」

 「意外だな。マリアは筋肉が好きだったのか」

 「ち、違うよ!大体、実力を聞いたのに、どうしてそうなるのかな!?」

 勿論、2人とも冗談を言っていた。

 そのため、ロイドとエンデバーは揃って笑い声を上げる。

 「ひどいや2人とも!ボクは結構真面目に聞いてるのに!」

 「ごめんごめん、マリアちゃん。――で、グレンさんが強いかだっけ?」

 確認を取るようにマリアに聞くと、少女は頬を軽く膨らませながら頷いた。

 そんな彼女の意見に同意するように、ロイドも口を開く。

 「実を言うと、私も気になっていたんだ。見た目からして只者ではない風格を有しているからな。おそらく並大抵の実力者ではないだろうが、グレンという名でそのような者がいるという話を聞いた事がない。エルフと懇意にしている事も不思議だ」

 そうそう、とマリアがロイドの意見に対して首を縦に振る。

 「それに加えて、あの老人も気になる所だ。戦うための装備で身を固めた我々の中で、当たり前のように紳士服を着ている。場違いとも考えていないようだし、自分の身を心配してもいないようだ。おそらく、あの方も只者ではないだろう」

 「まるでマリアちゃんみたいですね」

 マリアもまた、鎧を着た兵士達の中では目立つ格好をしていた。しかし彼女は『光の剣士』であり、戦いに関する心配は無用である。

 同じくらい軽装であるグレンを含めて、この3人からは己に対する絶対の自信が感じられた。ニノも鎧を身に着けてはいないが、彼女はエルフの戦闘服を着用しているため例外的な存在だ。

 「つまり、それが許されるくらい強いって事なの?」

 マリアからの再度の問いに、エンデバーは考え込むような仕草を見せる。以前にグレンやヴァルジと同じ戦場に立った事があったが、2人の戦う姿を間近で見た訳ではなく、何とも言えなかった。

 「ごめんよ、マリアちゃん。俺も、あの人達に関しては詳しくないんだ。エルフの護衛、って事くらしか教えてもらってないんだよ」

 「そう、それ!なんであの人達、エルフの護衛をやってるの?」

 「うーん・・・それも聞いてないかな・・・」

 どちらかと言うと男に興味のないエンデバーは、グレン達に対してあれこれ聞くような真似はしなかった。彼らの事情を無遠慮に掘り下げるのも失礼であるため、基本的には軽い自己紹介を交わした程度である。

 「ジェイクさんなら知っているんじゃないかな?」

 自分の他に彼らと親しい人物と言えば、ロディアス天守国のジェイクである。

 そのため提案をしたのだが、マリアは良い顔をしていなかった。

 「ええ~・・・ジェイクさんかー・・・。ボク、あのお(ひげ)が苦手なんですよー・・・」

 少女としては至って一般的な反応をするマリア。ジェイクの事を嫌ってはいないようであるが、彼の風貌を少し怖いと感じているのだろう。

 それに対して、ロイドが異議を唱える。

 「分かっていないな、マリア。(ひげ)というのは、男の魅力を何倍にも高めてくれるものなんだぞ?」

 「えー!あそこまで長いと、ちょっと不潔だと思うんですけど。ロイドさんだって伸ばしてないじゃないですか?」

 「私の場合は妻に禁止されているからな」

 「出たー!ロイドさんはすぐにそれ!なんでもかんでもスズさんのせいにする!」

 「マリア。お前には分からないだろうが、夫というものは妻に縛られる立場にあるんだ。幸せの続く毎日だが、時折ほんの一瞬だけ独り身だった頃を懐かしむくらいにな」

 そう言うロイドの表情は物憂げであり、マリアはそれ以上何も言えなかった。妻には言えない本音というのだろうか、何やら聞いてはいけない事を耳にしたような気がした。

 「ボ・・・ボクには分からない話だなー・・・・」

 「そうか?ならば語って聞かせようか?」

 「結構です!――と言うか!ボクの始めの質問はどうなったんですか!?グレンさんについて知りたいんです!」

 「――私がどうかしたか?」

 「うわああああああっ!」

 背後からの一声に、マリアは大いに驚く。

 急いで振り返ると、そこにはヴァルジとニノを連れたグレンが立っていた。

 「グ、グレンさん!?何か御用ですか!?」

 「いや・・・同行させておいてもらって何もしないのもどうかと思ってな・・・・。エンデバーに指示を仰ごうとしたんだが・・・」

 言いながら、グレンはマリア達が自分の事を話題にしていた理由について考えていた。

 少女の驚き様から良い話ではなさそうであり、この場にいる事を批判でもされているのでは、と邪推してしまう。

 一応協力を申し出てはいるが、どの勢力にも属さないため、場違いな事に変わりはないのだ。

 「変な勘ぐりをさせてしまい申し訳ありません。実は、貴殿の実力について議論をしていたんです」

 その心情を察したのか、ロイドが説明をする。

 だが、その事実も意外であり、グレンは疑問に思った。

 「私の実力?」

 「はい。一見しただけで貴殿が並々ならぬ力を有している事は分かります。ならば、それはどれくらいなのだ、とマリアが興味を持ちまして」

 それを聞き、グレンはマリアに目を向ける。

 見つめられた少女は気まずそうであったが、何も悪口を言っていた訳ではないため怯みはしない。

 「何故、そんな事を?」

 「あ!いえ!ボクではなくてですね!ピーちゃんが変な事を言うものですから!」

 グレンに興味を持つ切っ掛けとなったのは、確かにピースメイカーの一言からである。しかし、彼はすでにその話を打ち切っており、今更話題に出す気はさらさらなかった。

 そのため、マリアにしか聞こえない声で、

 (おい!俺が男に興味あるように言うなや!)

 と、全力の抗議をしている。

 当然の如くそれには答えず、マリアはどうしたものかと慌てるばかりであった。

 それを見かねたグレンが、少女に言葉を投げ掛ける。

 「何度か聞かれた事はあるが、私も自分の実力を上手く説明できない。明確な基準があれば別なんだが・・・すまないな」

 「あ、じゃあ・・・空は飛べますか?」

 それは突拍子もない質問であり、グレンは少しだけその質問の意味を探る。

 しかし、マリアの目からは純粋な興味しか感じ取れず、素直に当たり前の事を答えた。

 「いや、飛べないな」

 「じゃあ、剣を伸ばせますか?」

 「いや・・・伸ばせないな・・・」

 「じゃあじゃあ、仲間を癒す事は出来ますか?」

 その問いに関しては少しだけ考える。

 グレン自身にはそのような能力は備わっていないが、彼が身に付けている『英雄の咆哮』ならばそれが可能だ。つまり実行可能な手段であるという事であり、グレンは頷く事に決める。

 「そうだな・・・一応、できなくはない」

 「うーん、なるほど。じゃあ――」

 「待ってくれ。その前に、1ついいか?」

 矢継ぎ早に発せられるマリアの質問を片手で制し、グレンは今まで気になっていた事を問う。

 「やけにのんびりしているようだが、何か準備のような事をしなくていいのか?」

 それはエンデバーに向かってされた問い掛けであった。

 敵国の領土内だと言うのに、グレンにとってはどうでもいい事に時間を割いていたため、少し不思議に思ったのだ。いくら今回の作戦が撤退ありきだとは言え、気が抜けすぎているようにも思える。

 「あ!やっべ!指示を出すの忘れてた!」

 そう言ったのはエンデバーであり、会話に夢中になっていた事に(ようや)く気付いたようだ。彼ほどの人間が気を緩める程に、今回の戦力が――特にジェイクとマリアが頼もしいという事であったが、自身の慢心にエンデバーは慌てて行動に移る。

 挨拶も無しに、その場を走り去って行った。

 「おやおや、行ってしまいましたな」

 事の成り行きを見守っていたヴァルジであったが、指示を仰ごうとした者がいなくなった状況に思わず呟く。前回の戦闘とは異なり、今回は用意周到とはいかないため、急ぐに越した事がないのは理解できた。

 「グレン、私達は結局どうすればいいんだ?」

 手持無沙汰といった状態に、ニノも答えを知らないと分かっているグレンに尋ねる。

 自分が体験した事のない緩い戦において、彼が考え付いた案はただ1つ。

 「とりあえず、体力を温存しておこう・・・」

 その後、冥王国軍が現れるまで5人は語り合うのであった。






 待ち構える同盟軍と相対するため、冥王ドレッドが率いる10万の軍勢が進行する。

 その中には冥王国の最低身分である『干民(かんみん)』は誰一人として存在せず、全てが正規軍の兵士達で構成されていた。

 ドレッド自身はどうでもよかったのだが、彼の参謀であるロキリックが、

 『冥王様の御出陣に下賤な輩が伴っては無粋でございます』

 と言って聞かなかったため、このような布陣となった。

 ドレッドを中心に両翼に騎兵を配置し、その内側には弓兵と魔法使い、中央を歩兵部隊が固めた陣形である。数の多さを生かして、敵を包囲する事を目的としていた。

 ただし、今回に限りは見せかけである。

 冥王国に侵入してきた同盟軍が小競り合いをしただけで撤退する予定なのは知っており、包囲するまでもなく戦闘が終わる事を知っているからだ。

 戦う気のない相手をわざわざ必死に攻め立てる必要もない、という事である。 

 だが、その事を兵士達には知らせておらず、君主の前である事から彼らの中には確かな戦意が宿っていた。演技ではなく、本物の殺意を持って相手に襲い掛かってくれるだろう。

 「ドレッド様ッ!」

 共に軍を率いる将軍の1人――ビクタスが馬を走らせ近づいて来る。

 減速し、ドレッドの乗る馬に並んだ。

 「見えたか?」

 「はい。簡易の柵や寝床を作るなど、僅かですが拠点を築いている模様です」

 「こちらを欺くためにそこまでやるか。面白い事をする」

 心底楽しそうにドレッドは言う。今回の行軍が本格的な物ではないと分かっているから余裕があるのではなく、単純に相手を褒めていた。

 決して戦いを好んでいるのではない。例え敵であろうとも、敬意を払うべき相手には適した態度を示すのがドレッドの性分なのだ。

 「ビクタス、向こうの動きは分かるか?」

 「はい、すでにこちらを捉えているようです。前陣に弓兵部隊と魔法部隊を配置し、両翼に騎兵、後方に歩兵部隊を待機させております」

 「なるほど。遠距離のやり合いだけで終わらせるつもりか」

 その後は、鎧を身に纏うせいで足の遅い歩兵を一番始めに退却させるつもりなのだろう。そして、弓兵と魔法使いに下がりながらの攻撃をさせ、こちらを牽制すると予測された。

 「ビクタス、攻撃が集中するよう重装歩兵を他よりも前に出せ。こちらは守りを固める」

 「――御意」

 指示を出すと、ビクタスは陣形の前方に向かって馬を走らせた。

 将軍は彼とワジヤの2人しかいないが、他にも優秀な分隊指揮官がいるため、すぐにでも先程の指示が行き渡るだろう。

 相手の動きに合わせて軍を動かすという久しぶりの感触に、ドレッドは不思議と笑みを浮かべていた。

 いずれはこのような事をせずとも良い時代が来ることを願っているが、それでも彼の中の戦士としての血が闘争心を掻き立てる。

 だが、大勢の部下の手前、ドレッドはすぐに表情を平時のものへと戻した。






 「――見えて来たかな」

 監視に当たらせていた兵士からの報告通り、エンデバーの目には冥王国軍の姿が見え始めていた。

 同盟軍が陣取っている場所は山を背後にした高地であり、地の利はこちらにある。見晴らしが良いため、迂回する敵部隊がいた場合にも見逃す可能性は低いだろう。

 とは言え、後方からの奇襲を警戒していない訳ではなく、歩兵部隊の一部には背後に注意を払わせている。

 今回の作戦には、退路の確保が最優先であった。

 「うーん・・・思ったよりも多いなー・・・」

 いくら本格的に戦わないつもりであっても、やはり数の多さは脅威である。見ただけで戦意が失われるし、多少の損害が出る事も覚悟しなければならなかった。

 「大体、こちらの倍か?」

 「おそらくは。リッツィさんには隠れたままでいてもらう事になりそうですね」

 隣に立つジグラフに問われ、エンデバーは頷いてから答える。

 彼ら2人を含む指揮官は全員が陣形の後方に集まっており、誰もが冥王国軍に視線を注いでいた。その中でも表情に違いが見え、ロディアス天守国のジェイクとアインは馬上で腕を組んで毅然としており、ブリアンダ光国のロイドとマリアは初めての光景に少しだけ怯んでいるようだ。

 エルフ族のニノは明確に恐怖を覚えたが、傍にグレンとヴァルジがいるため、すぐに落ち着きを取り戻している。

 「しかし、これではっきりとしたな。迎撃に来たという事は、未だ同盟軍(こちら)と戦う意思があるという事だ」

 「そうですね。あれだけの数を引き連れて、挨拶に来るわけもないですから」

 「冥王の立場も変わりないという事か・・・」

 「あ、それに関しては違うっぽいですよ?」

 エンデバーの一言に驚いたジグラフは、理由を問うため青年の横顔を見る。

 その様子を横目で捉えたエンデバーは、冥王国軍のある1点を指差し、騎士団長に説明をした。

 「あそこ。多分、冥王ドレッドがいます」

 「なにッ!?」

 先程以上の驚きを覚え、ジグラフは大声を出した。その様子を訝し気に見つめてくる者がいるが、気にはしていられない。

 「それは本当かッ!?」

 「ですから、多分ですよ?俺だって、ドレッドを見た事がある訳じゃないですからね」

 冷静に言うエンデバーに感化され、ジグラフも声の調子を落とす。

 「では、何故そう思った?」

 「それはですね。さっき、敵軍を『逃さぬ視覚(スナイプ・サイト)』でざっと見渡してみたんですけど。その時に1人、やたら立派な格好をした人がいたんですよ。始めは将軍かと思ったんですけど、話に聞く冥王の姿に酷似していましてね」

 冥王ドレッドは不老の力を獲得しており、外見に関する変化は一切ない。

 そのため、数十年前の情報がそのまま適用できた。

 「特に目を引いたのが、その人物が身に着けている鎧ですね。冥王国の前身である聖王国、その勇者にのみ与えられると噂の『残されし希望(ラストホープ)』でした。文献で見たまんまです」

 「し、しかし・・・冥王自らが戦場に出る必要があるのか・・・?」

 かつて勇者と謳われた程の者なのだから、相応の実力を有しているのは分かる。しかし、君主たる者が決戦になる訳でもない戦に出る理由が不明であった。

 兵士への鼓舞が必要な状況でもない。たかだか5万の相手に10万の手勢を揃えて臨む。

 「もしかしたら、冥王への対抗勢力が生まれたのかもしれませんね・・・」

 同盟軍の上層部が論ずるように、冥王を討つ者が現れたとはいかないまでも、彼の指示に従う事を良しとしない動きが見え始めている。

 エンデバーは、そう考えた。

 「そのために冥王自らが戦場に出なければならなくなった、という事か・・・?もしそうならば、冥王国内部は今、ぼろぼろという事になるな・・・」

 ドレッドの求心力が弱まったのか、かつて彼がしたように新たに台頭した者が現れたのか。

 理由は分からないが、ジグラフは自分が納得できる結論を導き出した。

 「だとしたら、これは千載一遇の好機ではないのか・・・?」

 未だ思考を続けるエンデバーに向かって、ジグラフは提案をする。青年は言葉を返さないが、それでも話を聞いているのは分かっており、騎士団長は話を続けた。

 「エンデバー、作戦を変更するべきだ。冥王が次の戦場に出る確証などない。奴が自分の地位を立て直す前に、今ここで討ち取るんだ」

 周りに聞こえないように小さく発せられた声であったが、彼の中に生じた興奮は隠し切れていない。戦力は圧倒的に不利であったが、目の前の青年ならば良い策を考え付いてくれるのではないか、と期待していた。

 しかし、思考を中断したエンデバーは首を横に振る。

 「それは無理です。いや、駄目です」

 「何故だ?」

 「冥王が戦場に出たこと自体が向こうの作戦かもしれないからです。こちらに強行策を取らせるのが目的なのかも。それ以前に、『残されし希望(ラストホープ)』を装備しているからと言ってドレッド本人である確証にはなりませんから」

 先程の思考の最中に、そういう結論を導き出していた。

 「それはそうかもしれないが、現状を考えてみろ。長い間、3か国に攻撃を仕掛けさせていた軍を撤退させ、あまつさえ我が国に攻め入った勢力までをも国に呼び戻している。今までにない事が起こっているんだ。ならば、冥王国の内部分裂という異常事態が起こったとしてもおかしくはあるまい」

 エンデバーとて、ジグラフの意見を希望的観測だと一蹴するつもりはない。

 自分の考えが絶対だと思っている訳でもないし、経験のある年長者の(げん)なのだから尊重するべき事も分かっている。もしかしたら今回の戦闘で全てが終わるのかもしれないと考えると、身震いすらした。

 しかし、こういった時こそエンデバーは慎重になる。

 他ならぬ、自分を信じてくれている人のために。

 「ジグラフ団長、作戦は変更しません。やはり数に圧倒的な差があります」

 「しかし、こちらには天守国の英雄や『光の剣士』がいる。戦力で劣っているとは思えないぞ」

 「そうかもしれませんけど、他の兵が無理です。彼らは、ここで決戦があるなんて思っていない。いきなり命令されても戸惑うばかりで、満足に動けないと思います。陣形だって逃げるためのものなんですから」

 「む・・・!そうだったな・・・」

 今から陣形を変えようにも時間が掛かり、それを相手が待っていてくれるはずもない。それを気付かされたジグラフは、己の意見を取り下げる事を決めた。

 「分かった。お前の作戦のままでいこう」

 「納得してくれたようで助かります」

 そう言って議論を打ち切ると、エンデバーとジグラフは視線を冥王国軍に戻す。

 それと同時に敵軍は行軍を終え、陣形を保ったまま停止した。弓矢が届くか届かないかといった間合い取りであり、一般的な魔法の射程距離からも大きく離れている。

 ただ、まるで狙ってくれと言わんばかりに歩兵部隊が突出しており、エンデバーも弓兵と魔法使いにはそこに攻撃を加えるよう指示を出そうと考えた。

 (用意されているようで(しゃく)だけど・・・)

 加えて、こちらの思惑を見透かされているようで不気味でもある。しかし、もしそうであるならば待ち構えていれば良いだけの話であり、予め罠を仕掛けておく事も出来たはずだ。

 現状、自軍に被害はないのだから情報が漏れている事はない。エンデバーは、そう判断した。

 「それじゃあ、ジグラフ団長・・・」

 「ああ、頼む」

 部隊に指示を出すため、エンデバーはジグラフに『君に届け、この声よ(トゥーユー)』を施す。

 前回の『ロドニストの戦い』と比べて指示を伝えなければならない範囲が広く、自軍の只中(ただなか)であっても魔法の補助が必要であった。

 掛け終わると、ジグラフは大きく息を吸い、叫ぶ。

 「弓兵部隊、構えろッ!魔法部隊は、弓兵への強化魔法を最優先ッ!終わり次第、近づいて来る敵兵を牽制するため、出来るだけ射程の長い魔法を唱えておけッ!」

 敵陣にまで届いていそうな大声を受け、兵士達は一斉に応答の声を返す。続いて弓兵は矢を構え、魔法使いは魔法を唱えた。

 急造とは言え、中々に連携が取れている。

 「ふっ・・・」

 それを見て、冥王ドレッドは不敵に笑う。これから、互いに別の思惑を用意した勝つ気のない戦いが始まるのだ。

 同盟軍は退却前提、冥王国軍は見逃し前提である。

 そのような戦など一度も経験した事がなく、思わずといった感じに笑い声が漏れてしまっていた。

 そんな彼の目に、同盟軍の動きを受けてビクタスが指示を出したのか、冥王国軍の重装歩兵が一斉に盾を頭上に構える姿が映る。その一糸乱れぬ全体行動は正に訓練の成果であり、それだけで相手を威圧できそうであった。

 だが、いまさら怯むエンデバーとジグラフではない。

 「一番前に出ている歩兵部隊を狙ってください」

 「目標ッ!敵陣中央より突出した歩兵部隊ッ!全員、力の限りに矢を引き絞れえッ!!」

 エンデバーの指示を、ジグラフが弓兵部隊へ命ずる。同盟を結ぶ国々の兵士によって混成される一団が、矢先を上げて一斉に弓を引き絞った。

 魔法の補助によって増強した筋力が、弦の張りを極限にまで高める。

 今回、同盟軍の中では弓兵が最も多く、その数2万に達した。これは相手を寄せ付けないためであり、同盟軍が陣取っている場所の立地を考えれば、敵軍の行進も遅いだろうと予測される。それでも後退が遅れたり、冥王国軍が予想外の速度を見せれば間違いなく痛手を受ける。

 矢を放った瞬間からが勝負。

 その開始の合図とも言うべき指示を、ジグラフが渾身の力でもって発する。

 「第一波――!」

 弓兵達の緊張が一気に高まっていく。いきなり「放て」と命じないのは、そのような彼らを気遣ってのことか。

 それでも、一瞬後には冥王国軍に向かって矢を放つ事になる。接近戦を考えていないとは言え、あの大軍に追われながらの戦いを繰り広げる事になるのだ。

 恐れはある。だが、同時に覚悟もあった。

 同盟軍の誰もがそれを分かっており、この戦場において気を抜く者など誰一人として存在しないと確信できる。

 その点において、ジグラフも絶対の自信を持っていた。自分が指示を出せば誰もが適した行動を取ってくれるだろうと、心の底から仲間を信頼している。

 しかし――どうした事だろうか、ジグラフが続く言葉を発する事はなかった。

 躊躇ったのではない。臆したのでもない。

 ただ理由は分からない。何故か急に、声が出なくなったのだ。

 「ぐっ・・・!?」

 勇敢な騎士団長である彼の全身に悪寒が走った。

 今まで味わった事のない絶対的な恐怖。悪い予感だとか、不吉の予兆だとかではなく、もっと明確に死を連想させる絶望感がジグラフを――いや、一部を除いた全ての人間を襲っていた。

 全ての人間、つまりはその場にいる同盟軍と冥王国軍の兵士達であり、敵味方問わず理由の分からない恐怖を覚える。

 怯え、震え、凍える体。喧騒に満ちると思われた戦場は、一瞬にして墓場のようになった。

 何も聞こえない。誰も言葉を発しない。

 生者が争うために集ったとは思えない光景が広がり、まるで全員が亡霊となったかのようである。

 一体、何が起こったのか。何が変わったのか。

 それにまず最初に気付いたのは同盟軍の方であった。

 冥王国軍の頭上――雲一つない青空に、歪な穴が存在しているのが見えたのだ。

 正確には穴に見えた何か、と表現するべきだろう。鳥すら達する事の出来ない天空に、生物を(かたど)った漆黒が漂っている。

 あれが戦場を支配する恐怖の源であると直感したエンデバーは、震える唇で自身に『逃さぬ視覚(スナイプ・サイト)』を施す。

 そして強化された視力が、辛うじてその全体像を捉えた。

 「え・・・?」

 目に映るは巨大な翼。人間と同じく手足を持ちながらも、その先には巨大な爪を有している。全身が闇を固体化したような鱗で覆われており、それと同じく深淵な4つの瞳がこちらを見下ろしていた。

 それが何なのか、エンデバーは知っている。この地方に生まれた者達ならば、当たり前の知識として教えられている。

 歴史、伝承、物語――ありとあらゆる言い伝えによって、それは恐怖すべき存在として記録されていた。

 「・・・・・・竜・・・?」

 そう、同盟軍と冥王国軍が相対する戦場の上空に突如として現れたのは、『竜』と呼ばれる存在である。

 大陸の最西端には巨大な山々が連なる領域があり、そこが彼らの国として定められていた。そして、そこがシオン冥王国と隣接している事も知られている。

 「なん・・・でだ・・・・・?」

 しかし、分かったのはそれだけ。依然、何故ここに竜がいるのかが分からなかった。

 その答えを見つけようとしたエンデバーの視界の中で、竜は(おもむろ)に口を開き、同盟軍を食い尽くさんとばかりに牙を向ける。それを間近で見たのならば、肉を嚙み切られるよりも前に恐怖で絶命したことだろう。

 しかし、その行動の真の意味は他にある。

 それを証明するかのように、開かれた竜の口に力が収束し始めた。空間が悲鳴を上げているような高音が響き渡り、聞く者の鼓膜を痛烈に刺激する。

 収束する力は光となって可視化され、まるで日の下に輝く星が生まれたようであった。

 そこに集うのは人間やエルフが持つような魔力ではなく、植物が持つ魔素(マナ)でもなく、ただただ純粋な破壊力である。

 それが今、急速に凝縮していた。

 「や・・・ばいッ!!――全軍、撤退ッッ!!」

 事態をただ茫然と眺めていただけであったエンデバーだったが、事ここに至り自軍の窮地を悟る。

 何故、竜がここにいるのか分からない。何故、こちらを狙っているのかも分からない。

 ここまで分からない事だらけで混乱した頭の中で、エンデバーは以前に呼んだ文献の内容を思い出していた。

 『その光こそ、竜を最強の存在たらしめるもの。名を付けるならば、『咆哮(ほうこう)()』が相応しいだろう』

 人間の使う魔法など及ぶべくもない、圧倒的威力を誇る攻撃手段である。

 「撤退だッ!撤退しろッ!!」

 エンデバーが大声を発した事により、傍に立っていたジグラフも何とか正気を取り戻す。そして、魔法によって響くようになった声で、全軍に対して指示を出した。

 その瞬間、堰を切ったように逃げ惑う同盟軍。動けず呆けたままの者も少数いたが、それに構ってやれる余裕は誰にもなかった。

 一刻も早く戦線を離脱しなければならない。

 そうでなければ間違いなく死ぬと、全員が確信していた。






 「何故、ここにいる・・・!?」

 自軍の頭上を見上げ、冥王ドレッドは戦慄する。

 あの光が何なのか、光を生み出す漆黒が何なのか、ドレッドは良く理解していたのだ。

 あれこそが臣下であるロキリックの働きによって、新しく戦力として加わった怪物。あらゆる者を凌駕する絶対の強者である。

 しかし、その出番はまだ先のはずであった。

 ここに来るよう指示を出した覚えはなく、臣下の者が勝手に命じたとも考えられない。それ以前に、竜が人間の命令に従うとも思えなかった。

 彼らにとって、人間など取るに足らない存在なのだ。

 遥か天空を飛行できるため、剣や槍など使い物にならず、弓すら届かない。魔法の中には長距離射程を誇るものもあるが、竜の鱗は魔力を纏ったもの全てを(はじ)く性質を持っている。

 つまり、人間が竜に対抗する手段は皆無であり、彼らは全生命体における圧倒的かつ絶対的な上位者であった。『竜の国』が本気で攻め込めば、大陸全土を手中に収めるのに3日と掛からないだろう。

 しかし、その絶望的なまでの力の差が、逆に人間を救う結果となっている。

 竜にとって人間などいつでも滅ぼせる存在、ならば自分達がわざわざ気に掛ける必要もないと判断してくれているのだ。勿論、『竜の国』に攻め入るような命知らずは容赦なく滅するが、それ以外では竜が人間に干渉する事はなかった。

 人間の栄枯盛衰など、竜にとっては小虫の一生に等しい。それは例え冥王であるドレッドであっても同様であり、竜が戦力に加わったと言っても、支配下に置く事に関しては始めから放棄している。

 そのため竜が今、彼の指示なくこの場に現れたとしても責める事は出来なかった。

 しかし、あの光は危険だ。

 「――ワジヤッ!!」

 ドレッドは大声で臣下を呼ぶ。

 それを聞き届けた将軍ワジヤは、風の早さで駆け付けた。

 「ドレッド様!あれは――!」

 「『咆哮破』を使うつもりだッ!全軍を後退させろッ!」

 自分の疑問を飲み込み、ワジヤは君主の命に応じる。

 臣下が馬を走らせる音を聞きながら、ドレッドは同盟軍に目を向けた。彼らも何が起こるかを理解しており、一斉に退却を始めているのが見える。

 およそ5万――。

 (逃げろッ・・・!)

 予想外の事態に、ドレッドは思わず同盟軍に憐れみを覚えた。これは不必要な殺戮であり、心の底に仕舞い込んだ勇者としての彼が姿を現す。

 しかしその願いも空しく、莫大な威力を孕んだ光弾が轟音と共に放たれた。







 一瞬にして、視界が白に染まる。

 耳があらゆる情報を遮断し、意識が搔き消されるような心地がした。

 「うおああああああああああ・・・・・ッ!!!」

 前方からの衝撃波に、エンデバーは堪らず叫ぶ。

 まだ声が出るという事は死んではいないという事であり、どうやら『咆哮破』の直撃は避けられたようであった。外したのか外れたのか不明であるが、一命を取り止めた事には間違いない。

 「い゛っ・・・・!?」

 そう安堵した青年の体に激痛が走る。『咆哮破』の着弾によって飛び散った木石が、同盟軍の兵士に避けること叶わない速度で襲い掛かっていた。

 その数、無数。大きさも枝から巨木、小石から大岩まであり、物によっては鎧を貫通する程の威力を有している。頭部に直撃を受けた者は即死し、回復魔法や回復薬でも治せないと断言できた。

 エンデバーは腕を掲げて必死に頭部を守る。

 判断力のある者達は皆そうしており、彼の隣にいるジグラフも同様の仕草を取っていた。けれども、その腕や守る事のできない体は襲撃され、数々の激痛が積み重なっていく。

 ふいに、体が揺れた。乗っていた馬が絶命したようであり、エンデバーは地面に叩き落される。

 それでも地べたに這いつくばり、死にはすまいと腕を壁とした。その腕がおかしな方向に曲がっている事など気にはしていられない。幸いにも痛みは感じず、捨てる覚悟でその状態を維持した。

 そうして耐え続けていると、しばらくして死の嵐が止む。

 直視できない程に痛めつけられた腕を支えにする事は出来ず、エンデバーは立てるくらいには無事だった足で起き上がった。

 健気にも現状把握に努めようとした彼の視界に、同盟軍の死屍累々が広がる。

 陣形の後方――つまりは退却時の一番前を進んでいた歩兵部隊は全滅であり、1万人以上の死体が転がっていた。しかし、エンデバーはそれ以外の事実に驚愕する。

 「山が・・・ない・・・・」

 つい数時間前に越えて来た山が、その大部分を削り取られていたのだ。まるで巨大な(あぎと)で食い千切られたようであり、竜の放った『咆哮破』の威力がどれ程かを物語っていた。

 あまりの事態に愕然とするエンデバー。傍には呻くジグラフがいたが、回復魔法を唱える余裕はなかった。

 そんな青年の耳に、ある者の声が届く。

 「――『地、照らす光明(ガイア・ルーン)』ッ!!」

 それは、『光の剣士』マリア・ロイヤルのものであった。

 彼女は爆風が過ぎ去ると、すぐさま『選び、導く絶対秩序(ピースメイカー)』を抜き放ち、そして今、癒しの力を仲間のために発動したのだ。

 現状を把握するよりも前に、自分がやらなければならない事を直感的に悟った行動である。

 「傷が・・・」

 エンデバーを含んだ、運よく死を免れた者達の傷が癒えていく。

 体中に突き刺さった異物が取り除かれ、呼吸も落ち着き出した。折れた腕も、負傷した顔も、全てが元通りになって行く。

 穴だらけになった鎧を鳴らしながら、先程まで呻いていたジグラフも立ち上がっているのが分かった。

 「エンデバー!」

 その彼が自分を呼んだと思ったが、声が違う。

 応えるように顔を向けると、グレンが走って来るのが見えた。彼もまた生き残ったようであったが、エンデバーはその姿に少しだけ違和感を覚える。

 だが、それが何かに気付くよりも早く、グレンが青年のもとに辿り着いた。

 「無事だったようだな」

 「ええ。さっきまで、かなり危なかったですけど。マリアちゃんのおかげで助かりました」

 「それは良かった。しかし、ゆっくりもしていられないぞ」

 確かに、グレンの言う通りであった。体中の痛みがなくなった事で気を緩めてしまったが、次の攻撃がすぐに飛んで来てもおかしくない状況なのだ。

 空を見上げれば、依然として危機は去っていなかった。

 「そうだった!急いで軍を引き上げないと!」

 「ああ。すまないが、こちらとしても余裕がない。『エルフの森』がある部分も先程の攻撃でなくなったようで、ニノがひどく心を乱してしまってな。急いで撤退を指示してもらえると助かる」

 そのグレンの発言によって、エンデバーはある事に気付いてしまった。

 『エルフの森』には、5000もの味方がいたはずなのだ。

 「――リッツィさんッ!」

 思わず叫んでしまったエンデバーであったが、その言葉の受け取り手はすでに存在していないだろう。『エルフの森』が特殊な空間だという話は聞いていたが、あれほどの攻撃を受けて無事でいられるとは思えなかった。

 「ど、どうしよう・・・!お、俺の作戦のせいで、リッツィさんや皆が・・・!」

 これだけの損害を出したのは、エンデバーにとって初めての経験であった。常に不測の事態を想定し、万全な状態で勝負を挑む彼のやり方は、基本的に被害が少ない。

 けれども、今回の出来事はあまりにも異常すぎる。考慮できる訳がないとは理解しているが、それでも若い彼に仲間の死は重たかった。

 「落ち着け、エンデバー。これは君の責任ではない。あんなもの、予測できる方が不自然だ」

 青年を落ち着かせるため、グレンはそう言った。

 竜という存在がいる事については彼も知ってはいたが、ここまでの力を有しているという話は聞いた事がない。詳しく知りたい事がいくつかあったが、今はそんな事をするよりも逃げる方が先だ。

 それをエンデバーも理解してくれたようで、狼狽の見えた顔に冷静さが宿る。

 「そ、そうですね・・・。今は逃げないと・・・」

 そうしなければ、仲間の死を悼むことすら出来なくなる。

 エンデバーは、いつもの自分に戻るよう努めた。

 「――よし!ありがとうございます、グレンさん!やっぱ、こういう時に頼りになる人だなって、俺は始めから分かっていましたよ!」

 無理矢理にでも笑顔を見せる青年に、グレンは力強く頷く。

 「では指示を頼む。私はニノを連れて――」

 その時、グレンの言葉を遮るようにして再び空間が悲鳴を上げた。

 急いで確認を取ると、竜が先程と同様に力を凝縮しているのが見える。もう一度、『咆哮破』を放とうとしているのだ。

 「――ジグラフ団長ッ!」

 初撃を見た事で、エンデバーは『咆哮破』を撃つのには時間が掛かる事を見抜いていた。

 急ぎ撤退させるよう、ジグラフの名前を呼ぶ。

 「全軍ッ!退けッ!退けえッ!!」

 ジグラフも声を限りに号令を掛けるが、それで兵士達の足が早くなる訳でもない。第二撃は免れず、今度こそ直撃するように思われた。

 それを、あの少女もまた理解していた。





 「――『我、纏う光翼(セラフィム)』ッ!」

 光の翼を出現させたマリアの腕を、ロイドが急いで掴む。

 「何をする気だ、マリアッ!?」

 答えは聞かずとも分かっていた。

 他人を守る事に躊躇いのない少女が、これから何をするのか、何をするべきと考えているかなど容易に察せられる。それでも、聞かずにはいられなかった。

 「ボクが、あの竜の相手をします!」

 やはりか、とロイドは苦悶の表情を浮かべる。

 「馬鹿を言うなッ!いくら君でも、竜には勝てんッ!」

 「でも!そうしないと、皆が死んじゃいます!誰かが時間を稼がないと!それが出来るのは、空を飛べるボクだけなんです!」

 マリアの意見は、至極真っ当なものであった。

 感情を抜きに考えれば、ロイドとて賛同できる当たり前の選択肢である。

 「駄目だッ!子供を盾に逃げるなど――!」

 「ロイドさん!」

 それでも反対を表するロイドに対して、マリアは大声を出した。

 怒りが込められているようにも思われたが、それとは逆に少女は微笑む。

 「安心してください。何も命懸けで戦おうとしてはいません。皆が逃げ切ってくれたら、ボクも急いで後を追います」

 「マリア・・・」

 その笑顔は、かつて彼女が戦う理由を教えてくれた時に見せたものと似ていた。

 危機が迫る戦場において、輝かしいまでの笑顔をマリアは浮かべている。その気高さにロイドは心打たれ、仕方なく少女の腕を放した。

 「分かった・・・。だが、必ず戻って来てくれ・・・。礼を言いたいからな・・・」

 「言葉じゃなくて、お礼に新しい服を買ってもらおうかな?」

 最後に軽口を言うと、マリアは飛翔する。

 そして臆することなく、一直線に竜に向かって突き進んでいった。その光り輝く後ろ姿をロイドはただ見ているだけしか出来ない。

 この場は、少女と彼に任せるしかないのだ。

 「ごめんね、ピーちゃん」

 竜へと全速力で向かっている最中、マリアはピースメイカーに謝罪をする。

 実を言うと、ロイドの説得を受けている間に、ピースメイカーからも考えを改めるよう言われていたのだ。

 「けっ!ここまで俺の話を聞かねえ主様も珍しいぜ!俺がこんだけお前の事を想ってやってるってのによ!」

 「だから、ごめんね。でも、皆を守るためにはボク達が何とかしなきゃ」

 「分ーってるって!だが、本当に時間稼ぎくらいしか出来ねえからな!そこんとこ、気を付けろよ!」

 「竜って、そんなに強いの?」

 『光の剣士』になる以前、マリアは受けて来た教育の中で『竜』についての特質を学びもした。近くに『竜の国』があるためであるが、最もよく聞かされた言葉が「竜には近づくな」である。

 それ程までに強大であると歴史が語っており、ピースメイカーも恐れているように感じられた。

 「(つえ)えなんてもんじゃねえ!あれに勝てる人間は皆無だ!」

 「でも、宗主様は倒したって習ったよ?」

 戦争に関わる国々全てを合わせた国土を支配していた者――八王神の1柱である『破壊の女神シグラス』は、伝承によると竜を単体で倒したのだと言う。

 「それはもう例外でいいだろ!とにかく、お前じゃ勝てねえ!」

 「だったら、精一杯時間稼ぎしなくちゃね!」

 話している内に、マリアと竜の距離が近くなっていく。

 自身の放つ光よりも巨大な光弾が、その力を十二分に高めていた。

 「まずは、あれを皆から逸らそう!」

 「じゃあ!いっちょかましてやれ!」

 「分かった!――『汝、穿つ光芒(レイ・グニール)』ッ!」

 マリアが突き出した剣から、一筋の光が放出される。

 それは瞬きの内に竜のもとへと達し、そしていとも容易く弾かれた。

 「固いッ!?」

 「違うッ!俺だって魔法道具(マジックアイテム)だ!魔力の込められた攻撃は、竜には効かねえんだよ!」

 「でも、少しくらいは痛くないの!?」

 「知らねえよッ!」

 ピースメイカーはそう言ったが、多少は感触があったのか、竜の4つの瞳がこちらを捉えたように見えた。その瞬間、マリアの中にある恐怖心が腕を形成し、自身の首をしめているような息苦しさを覚える。

 それでも、ここで逃げる訳にはいかない。

 「こっちを見た!」

 「だったら成功だ!射線をずらせ!」

 ピースメイカーの指示を受け、マリアは進行方向を変える。竜へと向かうのではなく、離れるように横方向へ飛翔した。

 それを追って、竜も顔の向きを変える。

 狙いをマリアに定めたのだ。

 「当たるなよッ!」

 ピースメイカーが叫んだ直後、竜の口より『咆哮破』が放たれる。猛烈な勢いで迫る巨大な破壊力の塊を、マリアはすんでの所で避け切った。

 それでも、すぐ横を通過した光弾には恐怖を感じ、少女の額には冷や汗が流れている。耳鳴りもしており、遥か後ろで着弾した爆発音もあまり聞こえない。

 せめて誰もいない所に当たっていて、と願うが、他人の心配はそこまでである。

 マリアはついに、竜と対峙していた。

 「竜って・・・こんなに大きいんだ・・・・」

 初めて間近で見る竜に、マリアはまずそういう感想を持った。

 全長は10mを優に超える。人間である自分など、まとめて100人くらい飲み込めそうだと思えた。

 『光の剣士』として覚悟を決めてから、久しぶりの恐怖が心臓を激しく鼓動させる。

 呼吸が浅い。

 剣が重い。

 自分の体が自分の物ではないような感覚が、マリアを支配する。

 「貴様ガ・・・『光ノ剣士』か・・・・」

 少女の揺らぐ心をさらに刺激するように、竜が言葉を発した。

 まるで地の底から響くような声である。

 「あなたは・・・竜、ですね・・・」

 始めから分かっている事であったが、何か言い返さなければと思い、マリアはそれだけ言う。

 竜が人語を解する事は知っていたが、一見魔物(モンスター)と思えるような存在と会話をしたのは初めてであり、マリアは奇妙な気分を味わっていた。

 剣と会話を日常的にしている彼女であっても、目の前の怪物が話をするようには思えなかったのだ。

 「我ト同じ空に立ツという事。それが何ヲ意味スルか、分かっているだろうナ?」

 その台詞によって、マリアの鼓動は速度を増す。

 会話が出来るのだから説得も可能かと思った。けれども、相手はすでに戦う事を選んでいる。

 激突は避けられない。

 「な・・・なんで、こんな事をするんですか・・・?」

 少女に出来るのは、始めから分かっていたように時間稼ぎだけである。

 そのため、マリアは竜との会話を試みた。しかし、それに対する返答は無慈悲である。

 「矮小ナ人間如きが、我に問ウか。身ノ程を知レ」

 直後、小さな光弾がマリアに迫る。

 反射的に剣を振るい、間一髪の所でそれを弾き飛ばした。

 「ホウ・・・」

 感心したような声が発せられたが、喜んでいる余裕などない。先ほど放たれた光弾が、竜の周りに次々と出現しているのが少女の瞳には映っていた。

 「待ってください!ボク達が何をしたって言うんですか!?」

 「『光ノ剣士』とは、他の人間ヨリも少しばかりは上等ナようだ。ドレ、遊んでヤロウ」

 会話はできるが、する気がない。

 竜にとって、人間とはそれだけ小さな存在なのだ。

 「マリア!もう無理だ!覚悟を決めろおッ!」

 ピースメイカーの叫びに応え、マリアは剣を構える。

 小さな光弾は今も数を増しており、すでに数百に達していた。

 これを今から捌き切らなければならない。一撃がどれだけの威力かは分からないが、きっと痛いに違いないだろう。

 それは嫌だ、とマリアは瞳に闘志を燃やす。

 「その意気ヤ良し」

 楽しそうな竜の声が聞こえたと同時に、まず1つ目の光弾が飛んできた。

 それを、マリアは余裕をもって叩き斬る。一度見た攻撃ならば、ある程度の対処が可能だ。

 続いて2つ目、3つ目。

 それらを斬り払うと、間髪を入れずに10を超える光弾が迫った。

 (1個ずつにして!)

 心の中で愚痴を零すと、マリアは斬り落とすのではなく回避を選択する。1つ1つ丁寧に対処する必要はないと判断したためであったが、移動したマリアを追うようにして光弾の軌道が変わった。

 「そんな事もできるの!?」

 「マリア!前だ!」

 後ろを振り返り驚愕するマリアの耳に、ピースメイカーの叫び声が届く。前を向くと、背後に迫るものと同数の光弾が襲い掛かって来ていた。

 「もう!」

 どうする事もできず、マリアは上方向に進路を変える。だが、それが功を奏したようで、激突し合った光弾が全て爆発した。

 「や、やった!」

 「油断してんじゃねえッ!」

 ピースメイカーからの叱咤を受け、マリアは意識を竜に向けた。同盟軍が今どこまで移動したのか確かめる暇すらない程に苛烈な攻撃が続く。

 すでに、100を超える光弾が迫っていた。

 「――『絆、守る光壁(アイギス・シールド)』ッ!」

 片手を突き出し、目の前に十字を(かたど)った光の盾を出現させる。

 大きな盾はマリアの体を隙間なく覆い、竜の光弾から少女を守る。

 「うううううぅぅぅぅーーーーッ!!」

 10、20、30、40――ついには100を超え、全てを防ぎ切った。

 同時に消滅する光の盾。直後に2つの光弾がマリアに迫るが、それらを瞬時に切り裂く。

 後続がない事を確認すると、マリアは一度距離を取った。

 「や・・・やっと止んだ・・・」

 絶え間ない攻撃を凌いだと思ったマリアであったが、状況は少し違う。

 竜の周りには未だ大量の光弾が残っており、ただそれを飛ばしていないだけなのだ。

 「(やっこ)さん、どうしたってんだ?次が来ねえぞ?」

 「来なくていいよ・・・少し休みたい・・・」

 体力的には疲弊していなかったが、マリアは今までにない戦闘に精神を擦り減らしていた。これまでの戦闘でここまで苦戦した覚えはなく、やはり竜が人間よりも遥かに強い存在なのだと痛感する。

 「面白イ・・・」

 何故か攻撃の手を休めた竜が、マリアを見ながら言った。

 今まで微動だにしなかった腕が動き、3本ある指の内1本が少女を指差す。

 「娘ヨ、名乗る事を許ス。汝の名ヲ答えるがイイ」

 そう言われ戸惑ったマリアであったが、ややあって答えた。

 「マリア・ロイヤルです・・・」

 戦いの末に友情でも芽生えたのだろうか。

 名を伝えた事で、マリアは竜に少しばかりの親近感を覚えていた。

 「マリアか。覚エテおこう。ここまで我ノ攻撃を防ぎ切ったノハお前が初めてダ。評価に値スル」

 「ど、どうも・・・」

 マリアは、この竜について少しずつ理解をし出していた。

 おそらくだが、戦いに美学を見出すような性格をしている。そして、これまでのやり取りで、自分は気に入られたようだ。

 今ならば、話を聞いてくれるかもしれない。

 「あ、あの・・・あなたの名前は・・・?」

 今度はこちらの番と、マリアは名前を聞き返す。

 しかし、竜は苛立たし気に尻尾を振った。

 「図に乗るナ。人間如きが、我ノ名を知るナド言語道断」

 「で、でも!じゃあ、なんて呼べば・・・!」

 そう言われ、仕方ないとばかりに竜は鼻から息を吐く。

 人間のような仕草をするんだな、とマリアは思ったが、それだけで突風が体を横切って行った。

 「呼ぶ必要などナイ――と言いタイが、ここマデ生き残った褒美だ。教えてヤロウ。我ノ事は『月食竜(げっしょくりゅう)』と呼ベ。真名ではナイが、それで事足りるダロウ」

 月食竜(げっしょくりゅう)――竜の中にも様々な種類がいるのだろうか、彼は自分の事をそう説明した。

 とりあえず呼び名は分かったため、マリアは月食竜(げっしょくりゅう)の説得を試みる。

 「では教えてください、月食竜(げっしょくりゅう)さん。なんでボク達を攻撃するんですか?ボク達はただ、人間同士で戦っているだけです。竜の国には迷惑を掛けていないはずでしょう?」

 「確かにそうダ。だが、コチラにも事情がある。我は今、竜王様ノ命により、あの男に手ヲ貸している」

 「あの男・・・?――まさか、冥王ドレッド!?」

 考えてみれば、おかしな話であった。

 今この場には2つの勢力が集っているのにも関わらず、冥王国には何一つ被害が出ていない。ならば彼の言う通り、向こう側に力を貸しているのは真実なのだろう。

 そしてそれは、同盟軍にとって衝撃的な事実であった。

 (どうしよう・・・!早く皆に伝えて、対策を考えないと・・・!)

 竜のような存在を有しているのだから、同盟側が圧倒的に劣っているのは確定である。

 そのためには全戦力を集結するなどでは物足りない。同盟軍最強の戦士と思われるマリアでも、守りに徹する事しか出来ない相手なのだ。

 付け入る隙があるとすれば、意思疎通が可能な点くらいか。

 「サテ、マリアよ。話が済んダのならば、少し下がってイロ」

 「え?」

 思考を重ねるマリアに向かって、月食竜(げっしょくりゅう)が命ずる。

 一体どういうことか、とマリアは疑問の声を返した。

 「な、何をするつもりなんですか・・・?」

 マリアの声には怯えがある。

 目の前の竜が何をするつもりなのか――いや、この場で何をしても彼女の意にそぐわない事になるのは分かっていた。

 そして、その通りの返答を月食竜(げっしょくりゅう)は口にする。

 「奴らヲ始末スル。先程は不意打ちユエ慈悲をかけたが、娘1人ヲ置いて逃げる軟弱者ドモなど生かすに値シナイ。残サズ消し去ってクレる」

 それを聞いて、マリアは戦慄した。

 急いで味方の動向を確認すると、未だ穿たれた山を越えたくらいの所を進んでいる。山を登る必要がなくなったのは良いが、飛び散った木石が悪路を形成しているようだ。

 まだ時間を稼ぐ必要がある。

 「待ってください!ボクが1人で戦っているのは、ボクがあの中で1番強いからです!あの人達に罪はありません!」

 「人間に罪があるとスルならば、ソレは『弱さ』だと我ハ思う。マリアよ、もう一度言ウ。――下がれ」

 有無を言わさぬ物言いに、マリアは怯む。

 だが、『光の剣士』としての使命を帯びた身で、仲間を見捨てる訳にはいかなかった。

 「下がりません!月食竜(げっしょくりゅう)さんが仲間を攻撃すると言うのならば、ボクはここをどきません!」

 その宣言を受けても、竜の表情は一切変わらなかった。

 もともと表情があるのかすら分からなかったが、マリアにはそれが恐ろしく見える。

 「ソウカ。ならばマリアよ。しばしノ出会いであったが、実に楽シかった。竜王様への良イ土産話ができたというモノ。感謝シヨウ」

 口調こそ優し気であったが、その台詞は聞き間違えようもなく別れの言葉であった。強大な力を有した竜が、マリアもろとも同盟軍を殲滅する事を決めたのだ。

 「させません!ボクが皆を守ってみせます!」

 「無駄ダ。お前では我ヲ止められン」

 「月食竜(げっしょくりゅう)さんにだって、ボクを倒せませんでした!やってみなければ分からないじゃないですか!」

 「言ったデあろう?あれは遊びダ。本気ヲ出せば、お前などスグに殺せた」

 それが月食竜(げっしょくりゅう)が最初に見せた慈悲であり、その言葉が最後に見せる慈悲であった。

 言い終わると、竜は口を大きく開く。

 三度(みたび)、『咆哮破』を放とうと言うのだ。

 「逃げろ、マリアッ!」

 手に持つピースメイカーが叫ぶ。

 しかし、少女は首を横に振った。

 「駄目だよ、ピーちゃん。ボクは『光の剣士』なんだから、皆を守る義務があるんだよ」

 「それが通用する状況じゃねえだろうがよ!お前が守ろうと逃げようと、あいつらは間違いなく死ぬ!そこにお前が加わるか加わらないかの違いだけだ!」

 「そんなの、やってみなくちゃ分からないでしょ?さっきだって防ぎ切ったんだから、今度も――」

 「さっきのやつと『咆哮破』じゃ、威力に差があり過ぎるだろうが!防げる訳がねえ!お前だって分かってんだろ!?」

 その問いに、マリアは心の中で頷く。

 けれど、意志を曲げるつもりはなかった。

 「ごめんね、ピーちゃん」

 「なんて・・・!なんて馬鹿な主様だ!」

 それ以降、ピースメイカーが言葉を発する事はなかった。

 おそらく、彼も覚悟を決めたという事であろう。

 そして2人が会話をしている最中にも、月食竜(げっしょくりゅう)は力を収束させている。放たれるのに、最早そう時間は掛からなそうであった。

 マリアは『選び、導く絶対秩序(ピースメイカー)』を体の中に仕舞うと、射線をしっかりと塞ぐように竜と同盟軍の間に移動する。

 そして、両手を光弾に向かって突き出すと、

 「――『絆、守る光壁(アイギス・シールド)』」

 と、先程と同様の光の盾を生み出した。

 両手で支えているからと言って、盾の強度が変わる訳でもない。それでも、心の持ちようによって少しでも持ちこたえられないかと考えた。

 それが気休めなのは分かっている。しかし、今の少女にはそれしか縋る物がなかったのだ。

 目の前で膨れ上がる『咆哮破』からは、見た目の美しさとは裏腹に恐怖しか感じない。

 怖い、逃げたい。

 しかし、同じくらいに守りたい。

 マリアのその行為を、自己犠牲の精神だと言う者もいるだろう。事実、少女もなぜ自分がここまで――命を賭けてまで彼らを助けたいのかが分からなかった。

 だが、だからこそなのだ。だからこそ、マリアは『光の剣士』として選ばれた。

 その無自覚で純真な、誰かを助けたいという気高き精神があったからこそ、『選び、導く絶対秩序(ピースメイカー)』は彼女を選んだのだ。

 それを打ち明けた事はない。しかし分かっているからこそ、マリアの今回の行動を止める事はできないと彼も理解していた。

 もしも彼女の身に何かあれば自分が、とピースメイカーはすでに誓っている。

 「来る・・・!」

 マリアの差し迫った声が聞こえた。

 『咆哮破』の輝きはすでに臨界点に達し、あとは手放すだけである。僅かでも待ってくれているのは、マリアに対する別れの言葉でも思考しているのだろうか。

 だが、それも終わったようだ。

 無慈悲な破壊の力が、ついにマリアに向かって放たれた。

 「止まれえええええええええッ!!」

 少女の咆哮は、迫りくる光弾に比べれば小さなものであった。

 間違いなく飲み込まれる。為す術もなく飲み込まれる。

 しかし、光の盾に直撃した『咆哮破』は、一瞬だけだがその動きを止めた。

 「ホウ・・・」

 月食竜(げっしょくりゅう)が再び感心したような声を漏らす。それがマリアの耳に届くことはなく、代わりに光の盾にひびが入る音を全身で聞く。

 ほんの短い時間であったが持った方だ。

 恐怖で瞳に涙が溢れ始めたが、拭う必要などないだろう。一瞬の(のち)に、それもろとも掻き消えるのだから。

 「うおおおおおおおおおおおッ!!!」

 その時、マリアの体から『選び、導く絶対秩序(ピースメイカー)』が独りでに抜き放たれ、彼女の目前で制止した。

 このような事が出来るなど知らず、マリアは驚愕に目を見開く。

 一体、何をするつもりなのか。

 僅かに残された時間を使って、ピースメイカーは(あるじ)にそれを伝えた。

 「マリア・・・あばよ」

 瞬間、『選び、導く絶対秩序(ピースメイカー)』の刀身が輝き出す。それは『咆哮破』にも負けない輝きであり、自身に内包された力を開放しているようであった。

 『選び、導く絶対秩序(ピースメイカー)』は『光の剣士』に6つの能力を与える。しかし、それとは別に彼自身が使える力があった。

 それこそが『主、救う光剣(クレイヴ・ソリッシュ)』――剣としての存在が、主を守るべく盾となるのだ。

 今までそれを使った事はない。そのような窮地など経験したことがなく、またそこまで守りたいと思えた持ち主もいなかった。

 まだ若いマリアには、やはり甘くなってしまったようだ。

 「ピーちゃんッ!!」

 その少女の叫びは、膨大な光と音にかき消され、飲み込まれていった。






 マリアが竜に向かって飛び立った直後、同盟軍は移動を開始する。

 それに混じって、グレンもヴァルジやニノと共に駆け足で退却を始めていた。

 故郷を失ったニノの表情は暗く、馬に跨って呆然としている。竜の放った『咆哮破』の余波によって多くの人と馬を失ったが、グレンとヴァルジがいた事によってニノのものは無事であった。

 しかし、3人の心は動揺したままである。

 「話には聞いていましたが、あれが竜・・・。なんとも恐ろしい力を持っているのですな・・・」

 流石のヴァルジであっても、竜の強大さには狼狽を覚えていた。

 人間では勝てないと、人間の中でも実力者である彼が確信する程に。

 「そうですね。急いで逃げた方が良いでしょう」

 いや、ここに1人いた。

 グレンならば竜に勝てるのではないか、とヴァルジは考える。しかし、戦えなどと指示するはずもなく、今は死をもたらす存在から逃げるのに専念するばかりであった。

 無我夢中で逃げ惑う兵士達を、追い越す様にして前へ。

 グレンとヴァルジの駆ける速度は速く、それに馬もしっかりと付いて来てくれている。ニノを安全地帯まで連れて行かなければならず、2人は他の者など気にせずに走った。

 「グレン殿ッ!」

 そんな彼らの傍に、数少なくなった馬に跨った者が近づいて来る。ロディアス天守国の戦士であるジェイクとアインであった。

 彼らの装備に傷一つない事から、どうやら先程の余波を難なく耐え切ったようである。

 「御無事であったであるな!」

 「ああ。君も無事なようで何よりだ」

 走りながら、グレンはジェイクに返事をする。

 この時ジェイクは、グレンとヴァルジが馬の走る速度に遅れていない点に気付いていなかった。それだけ彼も必死という事である。

 「ジェイク、あの竜はなんだ?」

 「分からないのである!よもや、このような事態になろうとは!」

 兵達の傷はマリアによって癒された。しかし、今後に支障をきたすのは明白である。

 この中の何人が、戦場に戻って来れるのか。

 「とにかく!今は逃げなければ!」

 ジェイクの言葉に異論を挟む者はいない。

 だが、それとは別の大声が後ろから発せられた。

 「急げッ!急いで退却しろッ!」

 声を枯らさんばかりに叫んでいるのはロイドである。慌てふためく兵士達をさらに急かしており、恐れというよりも焦りが見えた。

 彼の馬も健在であり、おそらくマリアが守ったのだろうと予測される。しかし、傍に少女の姿が見えず、グレンは疑問に思った。

 「ヴァルジ殿、ニノを頼みます」

 「どうなされたのです?」

 「少し、話を聞いてきます」

 そう言ってニノをヴァルジに託すと、グレンはロイドのもとまで走った。逃げ惑う兵士達とは逆方向であったが、手際よく躱し、目的の人物の傍に近づく。

 「すまない!」

 ロイドの大声に負けないよう、グレンも声を張り上げた。

 「なんですかッ!?」

 返す疑問には苛立ちが見え、彼の必死さが伝わってくるようだ。

 その怒りに当てられないよう、グレンは落ち着いた口調で問い掛ける。

 「マリアの姿が見えないようだが、どこに行ったんだ?」

 怯んだように少しだけ間を置き、ロイドは答える。

 「マリアは今、竜の足止めをしてくれています!あの子が時間を稼いでくれている内に、急ぎ撤退をしなければ!」

 「なに!?」

 先程、竜があらぬ方向に攻撃を放ったのを見た。

 それがどうやらマリアのおかげだと言うのだ。

 今も追撃がないのは、あの少女が竜と戦っているからに違いない。

 「なぜ行かせた!?」

 マリアに殿(しんがり)を任せたのが当然の判断ならば、グレンの怒りも(もっと)もな反応である。いかに『光の剣士』と言えども、少女1人に強大な力を持った存在を任せるのは非道だと考えられた。

 「申し訳ない!私には止められなかった!」

 それを、ロイドは素直に謝罪する。

 全てを察したグレンは、それ以上は何も言わず、急いでヴァルジ達と合流した。

 「如何でしたか、グレン殿?」

 グレンが何をしたかったのか分からないヴァルジであったが、一応の確認のため尋ねてみた。

 そして、グレンの口からマリアが1人で竜に向かった事を知ると、顔を驚愕に歪める。

 「なんと!マリアお嬢様がお一人で!?」

 「吾輩達のために戦ってくれているのであるか!?」

 傍で話を聞いていたジェイクも大声を出す。

 途端、馬を急停止させた。

 「何をしている、ジェイク!?」

 「吾輩は戻るのである!あのような娘を、1人で戦わせる訳にはいかないのであるよ!」

 アインの問いに、ジェイクは逡巡せずに答えた。

 「私も行こう!」

 それを聞き、グレンも再び逆走する。

 「ヴァルジ殿!ニノを頼みます!」

 「承知しましたぞ!」

 最後にヴァルジに向かって告げると、グレンはジェイクと共に同盟軍の兵士達を掻き分けて進んだ。

 空を飛ぶ相手に自分達が何かできるとは思えなかったが、それでも少女のもとに駆け付けたいという想いがあった。

 彼ら2人が群衆を抜けると、もうそこには誰もいない。

 死体のみが残されているだけであった。

 「――む!」

 それを確認したと同時に、膨大な爆発が上空で生じる。見ようにも眩しく、グレンとジェイクは目を細めた。

 しかしその視界の中で、こちらに向かって飛来して来る物が見える。

 マリアと思しき人物と、あとは――。

 「ジェイク!マリアを頼む!」

 「応である!」

 マリアはジェイクに任せ、グレンはもう1つの落下地点へと向かう。

 本来ならば軽視するべき対象であったが、少女がそれと親しい事を思い出し、助けておくべきだと考えた。

 高速で飛んでくる落下物に劣らない速度で駆け、一早く到達点に辿り着く。

 そして両手に1つずつ――刀身と柄を手にした。

 「やはり、『選び、導く絶対秩序(ピースメイカー)』・・・」

 グレンが掴んだのは、折れた宝剣である。

 それからは以前に感じられた力は伝わって来ず、おかしな表現だが死んでいるように思われた。

 「グレン殿ッ!」

 マリアを抱えたジェイクが馬を走らせてくる。

 感傷に浸っている時間はないと、グレンはジェイクに向かって頷き、急いで同盟軍の後を追った。

 「ピー・・・ちゃん・・・・」

 微かであったが、マリアの口から相棒の名を呼ぶ声が聞こえる。

 しかし、それに応える声はどこからも発せられなかった。






 『光の剣士』を撃退した月食竜(げっしょくりゅう)は、冥王ドレッドのもとへと降り立つ。

 自分の攻撃を前にしても逃げなかった少女に敬意を表し、同盟軍を見逃してやることにしたのだ。

 「これは月食竜(げっしょくりゅう)殿、御助力感謝します」

 ドレッドは隠そうとしているようだが、予期せぬ事態に不服さが滲み出ている。普段ならば叱責の1つでもくれてやるが、素晴らしき出会いに免じて不問とした。

 「構ワぬ。我モ面白き者ト出会えた」

 「しかし、何故このような場所に?わざわざ貴殿にお越しいただく程の戦ではないと思いますが」

 ドレッドの言葉を聞き、4つの瞳が一斉に彼を向く。背筋を凍らせた冥王であったが、周りに兵がいるため表情には出さない。

 そんな彼の問いに、月食竜(げっしょくりゅう)は答える。

 「貴様がイツまでモ動かぬからダ。竜王様ノ命により、力は貸してヤル。だが、ソレはお前に従うという意味ではナイ。我は我ノ考えで動ク。人間ノ領土など、さっさト統一し、国に帰らせてモラウぞ」

 戦力に加わってからまだ数日しか経っていないと言うのに、なんと(こら)え性のないことか。

 ドレッドは心の中で舌を打つが、竜が制御できる存在でない事など始めから分かっていた事だ。それでも計画に干渉してくるとは思わず、冥王は焦りを覚える。

 これも力を求めた反動か、と思わざるを得なかった。

 「分かりました。少しだけ計画を早めさせます。ですので、もうしばらく辛抱していただきたい」

 人間の王であるドレッドであっても下手に出るしかなく、月食竜(げっしょくりゅう)の機嫌を損ねない対応を選んだ。

 竜は何も答えず、翼を羽ばたかせ飛翔する。少なくとも不満はないか、とドレッドは一先ず安堵した。

 そして突風を巻き起こして上昇すると、そのまま冥王国の首都へと向かって行くのを見送る。

 「ワジヤ、ビクタス。帰るぞ」

 「「御意・・・」」

 傍に仕えている2人の将軍に指示を出し、冥王国軍も首都へと引き返す。彼らを含む全員が竜に圧倒されていたのか、動き出しが幾分か遅くなっていた。

 最後に同盟軍のいた方へ視線を向けると、すでに撤退を完了したようで人影は見えない。

 予期せぬ損害を受けた彼らは、今後どのような対応をするのだろうか。

 この戦争は、もはや最終局面に達したと言って良い。しかしそれはドレッドの望んだ形ではなく、また安定した状態とは言い辛かった。

 だからこそ、ドレッドは非戦闘員にまで被害が及ばないか不安視する。

 帰還後、臣下と共に今後について議論する必要があった。そう定め、ドレッドは馬を走らせる。

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