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紅蓮の英雄  作者: 時つぶし
冥王国の進軍
64/86

4-11 力に集う力

 冥王ドレッドは、玉座にて報告を聞いていた。

 話し手は『日陰花(ひかげばな)』ミシェーラであり、つい先程行われた『三か国会議』の内容を彼に伝えている所である。

 彼女の独自開発した魔法『這い寄る影(ファントム)』は、使用者にしか見えない影を遠方まで派遣することができ、その影が見聞きした物を同様にミシェーラ自身も知る事が出来た。

 最大5体まで作り出せる影のうち1体をロディアス天守国に置いており、それを使って『三か国会議』の内容を全て傍受したのである。

 今までは何の進展もないため報告の必要はないと判断していたが、今回に限り大きな動きがあったため、取り急ぎドレッドに伝えようと報告の場を設けてもらったのだった。

 そして、全ての報告を終えると、ミシェーラは小さく咳をする。

 「ご苦労、ミシェーラ。しかし、ブリアンダ光国の外交官・・・レッチアーノと言ったか?こちら側に引き入れたのはいいが、随分と露骨だな。もう少し、演技力を磨いて欲しいものだ」

 「仰る通りです・・・ゴホッ・・・」

 同盟を組む3か国の団結を妨害させるため光国の人間を手駒としたはいいが、その人物の過剰な奮闘ぶりにドレッドとミシェーラは苦言を呈す。

 もし、会議の場にドレッドが居合わせたのならば、足手纏いとして即座に切り捨てていた事だろう。

 いや、正確には敵対する3か国の足を引っ張っている事になるのだから、やはり野放しにした方が良いのだろうか。

 人材を端的に『要る、要らない』で考えるのが、ドレッドのやり方であった。

 この場にいる臣下は皆、必要な人材という事である。

 「いつの時代も、厄介なのは無能な味方という訳だな。そういう存在は早々に切り捨てるに限る」

 そこで、ドレッドは報告の中にあった1つの事柄を思い出した。

 相手側に、新たな戦力が増えたのだ。

 「そう言えば、エルフ共がテュール律国に加担すると決まったんだったか。予想だにしない展開だが、果たして危惧すべき事態なのか・・・」

 頬杖をついて思案するドレッドに向かって、1人の男が僅かに詰め寄る。

 その男は『大金(ビッグゴールド)』ギルであり、相も変わらず全身に悪趣味な程の金細工を身に着けていた。それが肥え太った肉体に似合っており、大商人としての欲と見栄を的確に表現している。

 「冥王様。恐れながら進言いたします。エルフ族が森を離れ、テュール律国と合流する前に奴らを襲うべきかと」

 「ほう。何故だ?」

 「え!?な、何故・・・で御座いますか・・・?も、勿論・・・エルフ族を捕らえるためで御座います・・・!」

 ギルには懇意にしている顧客が何人もおり、その中にはエルフを欲する者もいた。そのため、その者達に販売するエルフを分けてもらえるよう、先日ドレッドに頼んだのだばかりなのだが、冥王はすっかり忘れているようだ。

 「なるほど。エルフ族は美形揃いと聞くが、お前もその口か」

 しかも、依然言った台詞をそのまま口にした。

 本当の本当に、完全に頭の中から消去してしまったようである。

 「いえいえいえいえいえいえ!数日前、エルフを捕らえた暁には譲ると仰ってくださったではないですか!?13人!出来ればもっと欲しいですが、最低でも13人は欲しいのです!」

 「言ったか?そんな事?」

 「仰いましたとも!」

 2人のやり取りに、それを聞いていた『到達者(とうたつしゃ)』アレスターが笑い声を上げる。手に持つ杖で楽しそうに床を叩き、深い皺の刻まれた顔にさらなる皺を作り出していた。

 「ドレッドよ!歳を取らぬお前じゃが、頭の中は立派な老いぼれではないか!?その程度の事、儂ですら覚えておるぞ!」

 外見的には歳のかけ離れた2人であったが、実年齢的に差はなく、周りからも旧知の仲として知られている。そのため王を揶揄う様な発言をしても、誰も不快には感じなかった。

 「そうだったか。いかんな。興味のない事柄だと、すぐに記憶からなくしてしまう。――それで、俺はその時どのような指示を出した?」

 「ワジヤ、ビクタス両将軍に対してエルフの確保を伝達するよう命じていました!進捗の程を伺ってはおりませんが、約束は守っていただけますよね!?」

 商人として口約束がどれだけ当てにならないのかを熟知しているにも関わらず、それで済ましてしまった事をギルは後悔した。

 取引相手の性格を理解していなかった自分が悪いと言えばそうなのだが、王として君臨するドレッドであるならば、信頼関係を損なう様な迂闊な真似はしないだろうと考えたのだ。

 そして、それは別の形で証明される事となる。

 「ドレッド様・・・。それに関して・・・ワジヤ将軍から・・報告があります・・・・」

 どうやら彼の臣下達はドレッドとギルの約束を忘れてはおらず、少しばかりの進展があったようだ。もしかしたらすでに何人かを捕らえている可能性もあり、ギルは心を躍らせる。

 「おお!ミシェーラ様!その報告とは、どのような物でしょうか!?」

 興奮気味に問い掛けるギルに目を向ける事なく、ミシェーラは冥王に告げる。

 「どうやら・・・エルフに協力する人間が・・・ゴホッ・・・現れたようです・・・。しかも、500人の『干民(かんみん)』を・・・容易く退ける程の実力者なのだとか・・・」

 「ほう!興味が湧くな・・・!」

 ドレッドは、ここまでの報告の中で一番顔を輝かせながら言った。

 彼は優秀な人材であるならば誰彼構わず手元に置くことを望み、今回もまたエルフの協力者を自国に迎え入れる事を望んだのだ。

 しかし、エルフを欲するギルにとっては、そのような者達などどうでもよく、ミシェーラの報告の続きを聞きたかった。

 「そ、それで!ワジヤ将軍はなんと!?」

 「どうやら・・・腕の立つ護衛が・・・・複数いる模様・・・。『干民(かんみん)』の数を減らさないために・・・ゴホッ・・・今後は・・・・エルフの森への侵攻を・・・控えさせるようです・・・・」

 「そんな!」

 脂ぎった顔に更なる汗をかきながら、ギルはドレッドの方へ悲観的な顔を向ける。

 金儲けがしたいのか、それとも顧客の信頼を失うのが怖いのか、彼の表情は醜い程に必死だった。

 「慌てるな、ギル。エルフ達はテュール律国に向かうとの話だ。そこで捕らえさせる」

 「し、しかし!そこにはグンナガン将軍がいらっしゃいます!きっとエルフを傷物にしてしまうでしょう!最悪の場合、殺されてしまうかもしれません!」

 「ふむ、確かにな。あいつはそういう奴だ。今から指示を出しておくか」

 「お待ちください、冥王様!それでも不安です!ここは、私に任せてはいただけないでしょうか!?」

 「お前に?」

 ドレッドは、その申し出に興味を持った。

 ギルは商人であり、戦士ではない。そのため、仮に戦闘になった場合には何の役にも立たず、エルフにすら敗北するだろう。

 そんな彼が、どのようにしてエルフを捕らえるというのか。

 「はい!私が所有する部隊に、テュール律国に向かったエルフを襲わせます!上手くすれば、全員生け捕りなんてことも!」

 「なんだ、お前にそんな戦力があったのか。今まで隠していたとは、抜け目のない奴め」

 「誤解しないでくださいませ!私設部隊とは言っても、10人にも満たない私専属の護衛です!やはり財を集めると、その分嫉妬も集めてしまうようでして・・・!」

 「命を狙われるという事か。上に立つ者として、当然の代償だな」

 自身もそうであるというように、ドレッドは自虐的に笑った。

 それに応えるべく、ギルも見事な愛想笑いを浮かべる。

 「は・・・はい・・・!ですので、小心者の私は護衛を雇っているという事です・・・!護衛とは言っても、大した力を持っている訳ではありせん・・・!今まで黙っていたのも、お伝えするまでもないと思っていただけでありまして・・・!」

 「いい。気にしてはいない。お前ならば、それが俺に対して無意味だという事を知っているからな」

 「ええ!ええ!そうで御座いますとも!もし冥王様が崩御なされば、損をするのは私!商人として、これ程の()はありますまい!」

 それは仮の話をしたに過ぎなかった。

 しかし、冥王の死に言及したせいで、同席しているアレスターとミシェーラは気分を害する。あり得ないとは分かっていても、己の仕える主君が倒れる事を話題にされて苛立たない臣下はいないからだ。

 それでも、それを表情に出さないあたり、2人は自分を制御できる人間なようだ。もしここに大将軍がいたのならば、間違いなく制裁を加えていただろう。

 ただ、それもドレッドによって止められていたかもしれない。

 彼は、ギルの発言にも心を平静に保っていた。

 「その通りだ。よく分かっている」

 「はい!それで、エルフ族の件、私に任せていただけないでしょうか!?」

 「良いだろう。好きにやれ」

 「ありがとうございます!」

 ギルは満面の笑みを浮かべて頭を下げた。

 同時に、心の中で黒い笑みを浮かべる。これは別に、ドレッドを出し抜いた事を喜んだのではない。

 彼は先程『最低でも13人のエルフ』が必要と言った。つまりは、もっと多くを手に入れても問題はないのだ。

 商品が多くなればそれだけ利益も大きくなり、彼の懐も潤うというものである。

 出来るだけ大勢のエルフを無傷で捕らえる。

 それが達成されれば、一体いくらの金貨に化けるか。

 その妄想をしたため、ギルは心で笑ったのだ。

 これ以降の彼はエルフを捕らえる事にしか気が回らず、全ての話をぼんやりとしたまま聞いた後、冥王の前から去って行った。






 冥王の城にある専用の部屋に戻ると、ギルは待機させておいた召使い達に目を向ける。

 それらは全てが女性であり、肩や胸元、足が大きく露出した破廉恥な制服の着用を義務付けられていた。(はた)から見れば雇用主の趣味を疑う様な格好であり、彼女達も納得して身に着けている訳ではない。

 しかし、ギルに仕えるには必須であり、何より耐え忍んだ末に貰える給金が多かった。

 だからこそ、文句の1つも言わずに彼の望む姿を取っている。中には落ちぶれた貴族の娘もいるが、その誇りを捻じ曲げてでも仕える意味がギルにはあった。

 「『我が身の番人(ガーディアンズ)』を使います。そこの貴女と貴女。すぐに馬を走らせ、彼らを呼び付けておきなさい。落ち合う場所は、テュール律国に近い『ベナジ』でいいでしょう。さあ、準備を始めなさい」

 手を強く叩き、ギルは召使い達に動くよう合図を出す。2人以外には直接的な指示を与えてはいないが、他の者達は迷いなく支度を始めた。

 調度品を丁寧に鞄に納め、服を綺麗に畳んでいく。その最中、彼女達の下着が見え隠れするが、ギルはいやらしい目線を向けるだけで手を出そうとはしない。

 そのような事よりも、これからの仕事を思案する方が大切であった。もっとも、彼女達の体はすでに味わい尽くしているのだが。

 「さあさあ!皆、急いでおくれ!『時は金なり』!『時は金なり』ですよ!これから、貴女達が1か月働いて手に入れる給金よりも、もっと高価な商品を収穫しなければならないんですからね!」

 『はい!』

 召使い達の良い返事を聞き、ギルは笑う。

 この中にエルフを混ぜるのも面白いかもしれない。そんな事を考えながら、一足先に部屋を出て行くのであった。






 シオン冥王国最強の武人であり、大将軍の位に就く『国士無双(オンリーワン)』ガロウ・バルファージ。

 人並み外れた巨躯を誇り、数々の戦場を駆け抜けた猛将である。今までの人生、その36年間のほとんどを強さのために費やしてきたと言っても過言ではなく、彼の実力は歴代の大将軍と比べても突出していた。

 ガロウは今、新たな戦力を迎えるため、とある山里を訪れていた。ドレッドが殺した聖王への忠義を貫き通し、冥王国内に住みながら彼の下に集まらない者達がいるのだ。

 命までは奪わなかったが、地位や領地を剥奪され、このような非文明的な場所に追いやられている。

 「しかし、何故今更になって、そのような者達に助力を請わなければならないんですか?それも、ガロウ様程の御方が」

 そう聞いてきたのは、ガロウの隣を荷物袋を背負いながら歩く青年――エキノン・ルッカートンである。手に冊子を持っている事から分かるように、エキノンは『記録係』であった。

 しかし、単なる記録係ではない。

 通常、記録係に就く者は戦闘訓練を行わず、実際の戦闘においても己の職務を全うするだけで良かった。だがエキノンは鍛錬を怠らず、戦いながら記録するという一風変わった行動を取る。

 戦う仲間の傍でこそ正しき記録を記せる、と考えたためであり、それが出来るくらいに彼は実力者であった。

 時には笑われる事もあるが、それをガロウはいたく気に入っている。

 そのため、彼が率いる部隊にはエキノンが必ず記録係として同伴し、大将軍の活躍を事細かに記録するのである。今回同行しているのもエキノンだけであり、ガロウの彼への信頼ぶりが垣間見えた。

 そんな記録係の質問に、大将軍は答える。

 「今まで何度も使者を向かわせたが、その(ことごと)くが追い返されたのだ。であるならば、最早この俺が出向かわなければなるまい。彼らとて、大将軍自らの訪問には応じざるを得ないはずだからな」

 「それは分かりますが、何故ドレッド様は奴らの力を必要としているんですか?今まで放置していたのにも関わらず」

 「お前ならば分かっているだろう?」

 「ええ、まあ・・・。戦力増強といった所だと思われますが、奴らの何が魅力なんですか?こんな辺境に住む連中が役に立つとは思えません」

 エキノンの冷淡な言葉を聞き、ガロウは小さく笑う。

 こういった素直な物言いが出来るのは、若さゆえの特権であった。

 「お前は知らんのだ。シガリット一族(いちぞく)の使う『無明(むみょう)(あかつき)流』がどれ程のものかを」

 「そんなに凄いんですか?」

 「ああ。彼らが振るうは剛力の剣。彼らの前では剣が枝に、鎧が紙になる。しかも特殊な鍛錬法によって、それを無呼吸の内に連続して繰り出す事が可能だ。対軍を念頭においた剣術という事だな」

 「なるほど。それは頼もしい。――あれ?ですが、それって・・・」

 思い当たる節があり、エキノンはガロウに視線を移す。

 目の前にいる武人も、そのような戦い方をするのだ。

 「その通りだ。俺も、20年程前に『無明(むみょう)(あかつき)流』を習得している。当時、シガリット一族の噂を聞き付けて、居ても立ってもいられなくてな。直談判して弟子入りしたのだ」

 「ガロウ様と同じ剣を使う・・・。それだけで、先程の発言が愚かな物であったと自覚しました」

 「順序を間違えるな。彼らが俺と同じなのではない。俺が彼らと同じなのだ。相手への敬意を忘れるなよ」

 「はい!」

 エキノンの返事を聞きながら、ガロウは意識を前方に向ける。

 もうそろそろ、目的の里が見えて来ても良い頃であった。

 「あ。ガロウ様、あそこではないですか?」

 言われずとも分かってはいたが、エキノンが指差した先に素直に目をやる。そこには小さな集落があり、近くに川が流れているのが見えた。

 水を汲んでいる子供や洗濯をしている女達、薪を割ったり狩り道具の手入れをする男衆、家の前で会話に興じながら編み物をする老婆達がいる。

 慎ましいながらも穏やかな生活を営んでいるようだ。

 見張りがいない所を見ると、警戒しなければならないような外敵は存在しないらしい。彼らの実力を知るガロウにとっては、外敵足りえる存在がいない、と表現するのが適切に思われた。

 そんな彼を、里の者達はすぐに視認する。

 巨漢と評されるガロウの姿を捉えても慌てる素振(そぶ)りを見せず、彼に最も近い位置にいた男がゆっくりと近づいて来た。

 武器は持っていないため、交戦する意思はないようだ。それはこちらも同様であり、エキノンは無駄な血が流れない事に安堵する。

 ただ、一見すると2人とも武器を持っていないように見えるだけで、ガロウの右腕に填められた腕輪『その手に持た(ラージ)ざる無数の刃(ナンバー)』があらゆる形状の武器となるため、万が一があっても問題はなかった。

 「おたくら、何者?」

 こちらに近づく足を止め、男が2人に問い掛ける。

 その時、エキノンは不自然な事に気付いた。

 (遠い・・・?)

 そう、男の立ち位置が話すには遠すぎるのだ。

 警戒していると言っても違和感のある間合い取りであり、その真意が理解できない。下手をすれば、会話すらままならないだろう。

 しかし、そう考えたのはエキノンだけで、ガロウは離れて立つ男に心の中で称賛を送る。男のいる位置こそが、ガロウが持つ技の中で最大の間合いを誇る『心天貫く無像の槍インヴィジブル・アーク』――その射程距離のぎりぎり外であったからだ。

 彼の技を知っていた訳ではない事は言うまでもなく、戦士として研ぎ澄まされた直感が足を止めさせたに違いない。シガリット一族に属する者の練度の高さに、改めて恐れ入ったガロウなのであった。

 「我が名は、ガロウ・バルファージ。冥王ドレッド様に仕える大将軍である。ここに住まう一族が、再三に渡る招集に応じない理由を問い質しに来た」

 「大将軍!?ついに、そのような大物まで駆り出して来たか!?」

 先程まで控えていた警戒心を最大限まで引き上げて、男は叫んだ。その声を聞いた女達は子供を家に入れ、他の男達は手に武器を握って仲間のもとまで駆け付ける。

 そして、口々に言葉を発した。

 「帰んな!我らシガリット一族は聖王にのみ仕えると誓いを立てている!いくら大将軍様が出張ってこようと、冥王の下に付く気なんて微塵もない!」

 「そうだ、そうだ!」

 「おととい来やがれ!」

 里の者の挑発的な言葉にも、ガロウは表情を変えなかった。隣に立つエキノンは少し苛立った表情をしていたが、それでも距離が離れているため悟られる事はない。

 「お前達の当主と話がしたい!通してはもらえないか!?」

 大勢の男達に怯む事なく、ガロウが大声で問う。

 「御当主様はご病気に罹っていらっしゃる!客人と会えるような状態ではない!」

 ガロウ達を返すための言い分なのか、最初に自分達の前に現れた男が言った。

 真実を語っている可能性もあったが、それを鵜呑みにして立ち去る訳にはいかない。もっとも、そういう張ったりをいなすために、入り用になりそうな物は持って来ていた。

 「ならば丁度良い!手土産に回復薬を持ってきた!病も治す特級品だ!話を聞く聞かないに関わらず、受け取って欲しい!」

 シガリット一族には純粋な剣士しかいない。そのため、怪我や病を治すのには自然治癒か回復薬に頼らなければならず、苦労をしていた。

 このような山里で真面(まとも)な収入があるはずもないため、都市部において販売される回復薬は非常に手が出し辛い代物なのだ。しかも回復薬には傷を治す物、体力まで回復する物、病すら癒す物があり、彼らが最も欲しいであろう特効薬としての回復薬は最上級品であった。

 そのため、シガリット一族の者達はガロウの提案に色めき立つ。

 中には笑みを見せる者もおり、家族の誰かが病気に臥せっている可能性もあった。

 「エキノン、渡して来い」

 「はい」

 先程宣言した無条件での譲渡を実行すべく、ガロウはエキノンを向かわせる。彼が背負う荷袋の中には大量の回復薬が入れられており、やっと荷物が軽くなると安堵していた。

 シガリット一族の男達の前まで来ると、エキノンは荷物を下ろす。そして、荷袋の中に手を突っ込むと紐で5本ずつに纏められた回復薬を取り出した。

 「どうぞ、受け取ってください」

 「し・・・しかし・・・・」

 目の前に立つ男に1組の回復薬を手渡そうとするも、受け取っていいのか分からないのか、手を出し渋っていた。その反応も想定内であったため、エキノンは冷静に返す。

 「先程も申し上げましたが、貴方方の御党首と会わせていただけるかどうかは関係ありません。言わば、お近づきの印――突然の訪問に対する侘びとでも思ってください。これを受け取ったからと言って、我々が貴方方に何かを要求するつもりはありません」

 そういう事ならば、と男は渋々といった感じに回復薬を受け取った。

 それを見たエキノンは、周りの男達に声を大にして語り掛ける。

 「さあ、さあ!他の方々もどうぞ!我々としてもこれは荷物です!もし余るようならば捨てていかなければなりません!それがどれだけ勿体ないか、皆さんならばお分かりでしょう!?」

 その言葉を契機に、男達はエキノンに群がった。

 その手に握る武器を納め、代わりに回復薬を掴もうと必死に手を伸ばす。

 「く、くれ!俺にもくれ!妻が何日も寝込んでいるんだ!」

 「それは心配だったでしょう!これでもう大丈夫ですよ!」

 「なあ!これは、どんな病気でも治せるのか!?うちの子に妙な湿疹が出て、全く治る気配がないんだ!」

 「それが体にとって異常な物ならば、間違いなく治せます!大事になる前に飲ませてあげてください!」

 「そんな凄い回復薬なのか・・・!あんた、これ1本いくらなんだ・・・!?」

 「そのような事、お気になさらず!全て、ガロウ様がお買い求めになられた物ですから!きっと必要だろう、と!」

 そう言われ、回復薬を受け取った男達はガロウの方へ視線を移す。遠目であるため分かりにくかったが、腕を組んでこちらを見つめる大男の顔には特別な感情が見られなかった。

 回復薬に群がる自分達を嘲るでもなく、喜ぶ自分達を見て満足するでもなく、ただ当たり前の結果を当たり前のものとして受け取っているようである。

 その様に、男達はガロウが自分達よりも上等な人間であるように感じられた。勝利を喜ばず、淡々と策略を巡らせる。そのような器を持っているように思えたのだ。

 「おっと!もう品切れだ!」

 その時、回復薬を配っていたエキノンが声を上げた。

 荷物袋にはまだいくつか物が入っていたが、あっと言う間に回復薬がなくなってしまったようだ。まだ受け取っていない者もおり、落胆の声が聞こえる。

 「申し訳ありません。まさか、ここまで困っていたとは思わなくて。一先ず、先程渡した物を必要な人達で分けてください。また持って来るんで」

 そう言うと、エキノンは荷袋を背負い、ガロウのもとへと戻って行こうとする。

 「ちょっ――!」

 その行動に、1人の男が制止を掛けそうになった。

 彼らがここを訪れたのは自分達を引き入れるためであり、回復薬を配るためではないはずだ。せめて当主と話をさせてくれ、と申し出るのが妥当である。

 そういう意図ではないと言っていたが、臭わすくらいはするべきではないだろうか。シガリット一族の者達は、相手側になって考えてしまっていた。

 しかし、エキノンは一切そういった動きを見せる事なく、引き返そうとしたのだ。

 声がした事で振り返りはしたが、その顔には「してやったり」といった感じはない。純粋に、何の用か、と続く言葉を待っている。

 「・・・・・・・なんです?」

 いくら待っても何も言って来ないため、エキノンが男に問い掛ける。

 声を漏らした男は「あ・・・!いや・・・!」と言いながら手を振り、何でもないと主張した。手に持った回復薬が揺れ、瓶のぶつかり合う音が小さく鳴る。

 「そうですか。では――」

 「待ってくれ」

 エキノンが戻ろうと再び背中を向けると、今度は別の男が声を掛けた。一体なんだ、と疑問を表情に浮かべながら、エキノンは振り返る。

 「あんた、このまま帰るつもりか?当主様に会いたいんじゃないのか?」

 「それは、そうですけど。今、臥せっていらっしゃるんでしょう?だったら、早く回復薬で治していただかないと。完治した直後にお会いするのもなんなので、また明日出直しますよ」

 シガリット一族の者の問いにあっさりと答えると、エキノンはやはり逡巡を欠片も見せずに戻って行こうとする。

 その光景を見ながら、男達は「どうする・・・?」といった会話を繰り広げていた。

 これまで、冥王からの使者は頭ごなしの要求をするだけで、こういった手土産を持ってくる事はなかった。それに気を良くした訳ではなかったが、このまま帰すのは気が引けてしまう。そういった共通認識が場を支配していた。

 そのため、彼らの中で最も年老いていると思われる男がエキノンの背中に声を掛ける。

 「待ってくれ!実は・・・当主様は病気になど罹っていない!会おうと思えば、いつでも会える!」

 周りの男達は「お、おい・・・」と諫めるような反応を見せるが、それ以上何も言わず、エキノンの言葉を待つ。

 冥王の使者はくるりと向きを変えると、

 「それは良かった。きっとガロウ様もお喜びになります」

 と笑顔で言った。

 そして、三度(みたび)踵を返すと、またもや去って行こうとする。

 「ちょっ!ちょっと待て!」

 「はい?」

 「い、いいのか・・・?会って行かなくて・・・?」

 「ああ、その事ですか。いつでも会える方が『会えないと言え』と仰ったんでしょう?それでしたら、無理に会うのは野暮というもの。明日また、出直します」

 「いや・・・!だから!もしかしたら会ってくれるかもしれないっていうか・・・!」

 「会わせてもらえるんですか?」

 「え!?あ・・・・お、俺達は・・・構わねえよ・・・・?」

 それに異論を唱える者はおらず、男達は互いに顔を見合わせながら頷き合う。

 「そうですか。では、確認を取って来てもらっても良いですか?」

 「え・・・?お、おう・・・。――おい」

 男が隣に立つ若者に指示を出すと、その者は急いで走り出した。そして、ある家の前まで来ると戸を叩き、声を掛けているのが見える。

 続いて家の中に入り、しばらく姿を見せなかった。

 (さて、どうかな?)

 それを眺めていたエキノンは、ここまでは理想の展開であると考える。大将軍直々の手土産を無条件で渡し、それを恩に着せずに立ち去る振りまで見せた。

 これで自分達への警戒心も薄れたはずである。実際、容易く当主との対面が果たせそうであった。

 エキノンが取った一連の行動、これらはガロウが考えたものではない。

 彼はこういった策を講じるのを好まず、真正面からぶつかる事を良しとしている。ガロウの指示通りならば、本当に回復薬を渡して終わりなはずであった。それを何度も繰り返し、信頼を勝ち取ろうとしたのだ。

 しかし、それは面倒臭いと考えたエキノンが一芝居打ったのである。

 相手が親しみを感じるような言葉を発し、良心が揺れ動くような行動をした。そのおかげで、ここまで持って行けたのだ。

 仮に当主が会う事を渋ったとしても、先程向かった若者やここにいる者達が説得をしてくれる可能性すらあった。

 回復薬にあれ程群がったのだ。『無理ですか。じゃあもう来ません』と自分達に判断されては、シガリット一族の者達も不都合であるだろう。

 (こんな事、ガロウ様に知られたら叱られるかな・・・?)

 指示のない勝手な行動が、部隊長にとっては予期せぬ結果を招く事もある。それをよく知っているガロウならば、例え良い結果を導いたとしても多少は小言を言ってくるかもしれない。

 戦いだけでなく頭も回る人物であるため、隠したとしてもいずれは露見するだろう。だからエキノンは、後でしっかりと報告しようと考えた。

 「あ!出て来た!」

 男達の1人が叫んだ通り、当主の家に向かった若者が再び姿を現す。行った時と同様に走って帰ってきた。

 息を切らしながらエキノンの前まで辿り着くと、

 「ど、どうぞ・・・だ、そうです・・・」

 と言った。

 どうやらシガリット一族の当主は、ガロウと会う事を受け入れたらしい。

 「感謝します。では――」

 エキノンはそう言って、表面上は平静に結果を受け取る。

 そして、ガロウの所にまで戻ると、一部始終を報告した。

 「随分と時間を掛けていると思ったが、そういう事か。(さか)しいな、エキノン」

 「ありがとうございます。それで、これからあちらの当主と会えるとの事です」

 「上々だ。お前を連れて来て正解だった」

 ガロウはエキノンに称賛を送ると、それ以上何も言わずに歩き出す。とりあえず怒られるような結果にならずに済んで、エキノンは胸を撫で下ろした。

 そして、ガロウとエキノンは当主の家の前まで案内される。

 遠目からでも分かったが、それは当主と呼ばれる者の家としてはみすぼらしい物であった。山里で暮らしているため仕方ないのだが、一介の記録係でしかない自分よりも貧相な住処に、エキノンは心の中でシガリット一族全体を見下(みくだ)してしまう。

 先程の回復薬への執着といい、かなり貧困に悩んでいるようだ。

 (ただ、金じゃあ動かないんだよな・・・)

 金銭で(くだ)るようならば今まで訪れた使者達は苦労しない。加えて、地位や領地を与えると言っても心変わりはしなかった。

 (だとしたら、必要な物は回復薬のような消耗品か・・・?)

 当主と会う前に交渉材料となり得そうな物を考えながら、エキノンはガロウの背中を見る。

 今回、大将軍自ら出向いたという事もあり、シガリット一族の引き入れは確実に成功させなければならなかった。これが失敗すれば次はなく、冥王の望んだ戦力が手に入らない事になるからだ。

 それだけでなく、ガロウの経歴に傷を付ける事にもなるだろう。

 敬愛する上司の失態を見過ごせる訳もなく、エキノンは自分の力を彼のために生かそうと考える。勿論、出しゃばる様な真似はせず、あくまで援護に回る形を心掛けるつもりだ。

 そんな事を考えるエキノンの前で、ガロウが家の戸を叩く。

 軽く叩いたつもりだろうが、かなり大きな音が響いた。

 「冥王国の大将軍、ガロウ・バルファージだ。入らせてもらうぞ」

 家の中に声を掛け、戸を引く。

 またもや軽く力を込めたのだろうが、それによって家を揺らすほどの振動を生み出した。

 「まったく・・・馬鹿力は相変わらずか・・・」

 家に足を踏み入れようとした瞬間、中から老人の声が聞こえた。まだ木戸が1枚あるため姿は見えないが、声の張り具合から健康的な人物である事が分かる。

 確かに、病気を患っている様子ではない。

 「やはり、この家・・・貴方でしたか」

 「いいから上がって来い。話というものは、そのような場所でするものではない」

 話しぶりから、ガロウとシガリット一族の当主は知り合いであるようだ。20年前に彼らが使う『無明(むみょう)(あかつき)流』を習得するため、ガロウはここを訪れているのだから不思議な話ではなかった。

 「失礼します」

 「・・・失礼します」

 少しだけ態度の改まったガロウに違和感を覚えつつ、エキノンも続いて家の中に入り込んだ。

 外から見たままのボロ屋敷であり、備えられている家具や農具も傷んでいる。本当に金で動かない理由が分からない暮らしぶりであった。

 それらに目もくれず、ガロウは老人がいると思われる部屋の戸を前にする。そして、今回は力を加減してゆっくりと開けた。

 後ろから覗くエキノンの目に、シガリット一族の当主の姿が見える。

 座椅子に正座する細身の老人であり、頭に髪の毛がない事から相当な高齢であるようだった。しかし、老人特有の弱々しさはなく、戦士としての見事な覇気を身に纏っている。

 躊躇なく部屋に足を踏み入れるガロウとは対照的に、エキノンは二の足を踏んだ。当主の存在感に恐れをなしたのだ。

 それでも心を奮い立たせ、なんとか部屋に入り、静かに戸を閉める。閉め切った際に発せられた僅かな音でさえも邪魔に感じる程、エキノンが背中を向ける2人からは異様な気配が感じられた。

 正直、振り返るのが怖い。

 間違いなく、自分などよりも遥か高みにいる戦士2人と同席――あまつさえ顔を向けるなど、彼のような若者には到底耐えられるものではなかった。

 せめて何か声を発して欲しい。沈黙が支配する場は重く、エキノンは戸を開けたい衝動に駆られる。

 そんな部下の胸中を察してか、まずガロウが口を開いた。

 「お久しぶりです、師匠。当主になられていたんですね」

 「え!?」

 ガロウの言葉に驚いたエキノンは、先程まで恐怖を覚えていたにも関わらず後ろを振り返る。

 いつの間にかガロウも正座をしており、エキノンは急いで荷物を下ろた。そして、2人に倣って正座をする。

 「風の噂で聞いてはいたが、ついに大将軍にまで上り詰めたか」

 「全て師匠のおかげです。『無明(むみょう)(あかつき)流』がなければ、命を落とすような機会もありました」

 「世辞など要らん。お前がどれ程の才覚を宿しているか、私は知っている。僅か2年で『無明(むみょう)(あかつき)流』の免許皆伝にまで達した者など、今までおらんかったからな」

 「師匠の教えがあればこそ。見も知らぬ私を快く弟子にしてくださった恩、今も忘れてはいません」

 「あの時は、お前がドレッドの下に付くとは思わなかったからな」

 自国の王を敬称もつけずに呼ぶあたり、やはりシガリット一族はドレッドを受け入れていないようであった。本来ならば正すべきなのだろうが、ガロウは何も語らず、エキノンも口を閉ざすしかない。

 「師匠。いい加減にドレッド様への恨みを忘れ、国のために尽くすべきです。シガリット一族の者達であれば、たちまち多くの武勲を立てる事ができるでしょう」

 「何も言うな、ガロウ。私がお前をここに招いたのは、皆に回復薬を分け与えてくれた事を感謝するためだ。お前らの提案を受け入れるつもりなど毛頭ない」

 「師匠ならば気付いているはずです。このような生活が一族のためにならない事を」

 そう言われても、当主は何ら動揺を見せなかった。

 それでもガロウは言葉を続ける。

 「シガリット一族と、それが連綿と受け継ぐ『無明(むみょう)(あかつき)流』。それらが、このような山里に閉じ籠っていて良い訳がない。その力を生かせる者の下で発揮するべきです」

 「その存在を殺したのが、お前の仕える冥王ではないか。自らの仕える主君を殺した者に従う程、我々は堕ちてはいない。自分の理想を実現するために主君を殺す者ならば、部下をも容易に殺すだろう。そのような者に一族を預ける訳にはいかないな」

 「確かに、その通りです。ドレッド様は理想の邪魔になる者や役立たずは容赦なく滅する。しかし、それも全ては輝かしい安寧のため。ドレッド様の理想は、争いのない世界なのです」

 意外な事実を聞かされたと、当主は驚愕を心の内に宿す。

 話で聞く冥王の所業は、そのどれもが彼の理想とはかけ離れているはずであった。

 「師を(たぶら)かすつもりか、ガロウよ?『干民(かんみん)』などという地位を作り、他国への侵攻を娯楽のように扱っている男が、そのような理想を掲げていると信じるとでも?」

 「仰りたい事は分かります。しかし、それも全ては平和のため。犠牲なき平和など、所詮は仮初に過ぎないのです。他国を制し、民を抑え付けない限り、必ず争いは起こります」

 「今行っているのは、そのための(いくさ)という事か?」

 「はい。ドレッド様は大いなる理想を抱いていますが、決して理想家ではありません。必要な犠牲は一切の迷いなく払います」

 そこで、会話が途切れる。

 双方が何を考えているのか、ただ見ているだけのエキノンには理解できなかった。

 「・・・・・・なるほど。それが、我が一族である可能性もある訳だな・・・」

 「はい。そして、私である可能性も」

 当主の否定的な発言に対しても、ガロウは間をおかず肯定する。加えて、自分すら冥王の理想の果てに死する可能性に言及し、エキノンを驚かせた。

 「余程入れ込んでいると見える。あの男の何がお前を惹き付けるのだ?お前程の強者ならば、ドレッドのように王座を奪う事すら出来るというのに」

 「ドレッド様は、すでに人間という枠を超えた御方です。そのような方と同じ場所に立とうとする事自体、おこがましいかと」

 「それについても聞いている。『不老』とは正に人外。如何様にしてその力を得たのだ?」

 「言うに及ばず。その事実さえあれば、我らは従います故」

 国の頂点に君臨する者の中には能力の足りない人間もいる。そういった人物には血や歴史が付加価値として機能するが、何もない人間には実力が必要であった。

 冥王国の王であるドレッドは、かつて聖王国の勇者と謳われる程の戦闘力を持ち合わせ、またその時に超常の性質を獲得している。

 それが強力な求心力となっており、故にガロウも付き従っていた。

 「そうか。しかし、それはお前達だけだ。聖王に誓いを立てたシガリット一族が力を貸す事はない」

 「捧げる相手のいない誓いなど、空しいだけではありませんか」

 少し、空気が重くなった気がした。

 エキノンが唾を飲む音でさえ、うるさく響いた気がする。

 「そう言えば、お前には技や闘い方を教えはしたが・・・礼儀は教えていなかったな・・・」

 「戦士に礼儀があるとするならば、国のために尽くす事を言うはず。それを怠り、このような人気(ひとけ)のない場所に隠れる事を、貴方達は恥とは思わないのですか?」

 「それを強制したのは誰だ?我らシガリット一族の地位と領地を奪い、このような僻地(へきち)へと追いやったのは他ならぬ冥王ドレッドではないか。そのような者が今更になって我らが力を必要とするなど、図々しい話だ」

 「それを招いたのは当時の御当主ではないですか。ドレッド様の求めに応じず、亡き聖王への誓いに固執し、結果一族を苦境へと導いた。一族が皆殺しにされなかっただけ、有り難いと思うべきです」

 「あの時の私は(とお)もいかぬ(わらべ)であった。しかしガロウ、お前は生まれてもいない。当時の事情を知った風に語るな」

 「ドレッド様より話を聞き、文献を読み、己で導き出した考えです」

 「ほう。奴は何を語った?さぞ傲慢不遜な物言いだったであろうな?」

 「ドレッド様はこのように語られました。『聖王は素晴らしき王であった』、と」

 これまでの会話の中で、2人は感情を露わにしなかった。

 表情も口調も至って平静そのものであり、言葉に含まれる威圧感こそあれ、決して声を荒げたりはしていない。それでも、傍で話を聞くエキノンには冷や汗が流れており、不思議な息苦しさを感じている。

 そして、ガロウの発した最後の一言。それを切っ掛けに、その緊張感は更に強まった。

 「異なことを・・・。奴はその素晴らしき王を殺したというのか?だとしたらドレッドは暗君か?何故だ?何故、聖王を殺した?」

 「聖王は優秀過ぎたのです。優秀過ぎるが故、夢を見なかった」

 「夢・・・だと?」

 「先程語ったようにドレッド様の夢は『世界平和』。常人であるならば望むだけで、決して実行しようとはしない彼方にある理想です」

 「それが聖王と何の関係がある?」

 「ドレッド様はかつて、聖王に直談判しました。『いくら争いを繰り返しても無駄だ。和平の道を歩むべきだ』、と。聖王は、それを『無理だ』と一笑に付したようです」

 聖王と同様に、シガリット一族の当主も鼻で笑った。

 「まるで筋が通らんな。かつて和平を望んだ戦士が、今や死を招く王となったのか。分不相応な(くらい)に就き、気でも狂ったか?」

 「狂ったのではありません。単に、ドレッド様が愚かではなかっただけです。自分の望んだ理想を達成するためには生温(なまぬる)い方法では足りない。そうお気づきになったのです」

 「そのための60年か。そして、そのために我らの力が必要だと」

 「(しか)り」

 ここまでの会話を、エキノンは自分の持っている知識と照らし合わせながら聞いていた。

 冥王ドレッドが己の主君を手に掛けたのは、聖王が(かたく)なに争いを止めようとしなかったからである。そして、王殺しは自分の理想を笑われた事による突発的な殺戮衝動ではなく、戦いの中で悟った思想が根幹にあると教えられていた。

 その思想までは知らされていない。

 だが、自らの仕える主君に対する疑問はなく、今行っている戦争も必ず安寧を導く行動であると信じている。

 「何故、我らの力が必要なのだ?60年もあれば幾らかの戦力は整えられたであろう?」

 「幾らかの戦力では足りないのです。相手と拮抗した力では、(いくさ)を無為に長引かせるだけ。我らが王は、短期間での制圧を望んでおられます」

 「まさか・・・自国と敵国の被害を最小限に納めようと?」

 「はい。ドレッド様は大陸に存在する全ての国を1つに纏めるおつもりです。加えて、種族も人間だけを残す意向。『生まれと種族、そして思想が統一されれば争いなどなくなるはずだ』と、お考えなのです。その際の損害はなるべく小さい方が良い」

 「詭弁だ。そうなる保証がどこにある?力任せの方法では必ず禍根や怨嗟が生まれる。それらを、どう処理するつもりなのだ?」

 「それについて、ドレッド様は時間を掛ける必要があると仰っていました」

 「ふん。何の考えも無しか。大言壮語、そう言われても――いや、違う・・・!」

 そこで、当主は初めて心を乱す。

 変化のなかった表情にも狼狽が漏れ出し、少し汗を搔いているようにも見えた。

 「まさか・・・!そのために・・・!」

 「はい。ドレッド様は、力を手に入れたのです」

 ドレッドは歳を取らない。

 故に、目的達成のために莫大な時間が必要になったとしても問題はなかった。あとは、彼の精神が耐えられるかどうかなのだ。

 「大陸に存在する人間全てのために・・・予想もつかない時を捧げるというのか・・・!?あの男は・・・その覚悟を・・・・・!?」

 「すでに完了しております」

 「馬鹿なッ!」

 言って、当主は勢いよく立ち上がる。

 昂ぶった感情を表現するに相応しい行動が、彼の中ではそれだったのだ。

 そしてその態勢のまま、ガロウを見下ろしながら叫ぶ。

 「自分の命を他者のために使うのか!?あいつが、そのような聖人だと言うのか!?」

 「聖人ではありません。手を汚してでも理想を叶える姿は、正に俗に塗れた人間そのものかと」

 「言葉遊びはしていない!お前は・・・それを信じたのか!?お前達を利用するための嘘であるかも知れぬだろう!?」

 「ドレッド様に仕えた経験のある者ならば、誰もが納得する事です。師匠も、間近で見ていただければ理解を得られるでしょう」

 「聖王を討った男が、そのような人格者である訳がない!」

 「師匠は御存知ないだけです。ドレッド様が玉座に腰掛ける時、必ず(こうべ)を垂れる事を。それは亡き聖王への敬意。あの御方の中には今も、(おの)が主君に捧げた忠誠が息衝いているのです」

 「嘘を吐くなッ!!」

 激昂した当主は自分の背後に飾ってあった剣を取ると、それを鞘から引き抜いた。

 その一連の動作は素早く、彼が一流の剣士である事実を証明している。ガロウの隣に座るエキノンは、あまりの事態に思考が追いついていなかった。

 しかし、ガロウは至って冷静沈着。当主が剥き出しになった剣を突きつけて来ても、冥王国の大将軍に恐怖を覚えた様子は見られなかった。

 「良いか、ガロウ・・・!これよりの会話にて、貴様の言葉に欠片でも虚偽があると私が判断した時・・・・!容赦なく、その頭蓋を斬る・・・!」

 「それで師匠が納得してくださるのなら」

 躊躇など一切ない即答である。

 それだけで、今までの会話に嘘が含まれていない事が分かった。

 しかし、当主は納得していない。

 「よくぞ言った!ならば問う!冥王の中に聖王への忠誠心があると、お前は心の底から信じられるか!?」

 「無論」

 「それを信じた末に冥王の裏切りにあったとしても、お前は後悔せぬか!?」

 「私が後悔する時、それは騙す価値もない存在となった時でしょう」

 「何故だ!?何故、お前はそこまで奴に尽くせる!?冥王の理想の果てに、お前は何を掴む!?」

 「私にも守りたい者がおります。家族や仲間、そしてその者達に続く子孫に争いのない時代を作ってやりたいのです」

 「何百年かかるか分からんのだぞ!?貴様達の行いは、その者達をも死地へと導いているに過ぎん!」

 「正しからず。我らが赴くは理想郷。戦場など、そこに到達するまでの通過点に過ぎません」

 「ならば冥王は・・・我らシガリット一族をも、そこへ導こうと言うのかッ!?」

 「(しか)り。シガリット一族の誇る『無明(むみょう)(あかつき)流』。それを、このような所で(くす)ぶらせる訳にはいきません」

 「そうしたのはドレッドであろうがッ!!」

 「否!これまでの60年、和解の機会は何度もあったはず!それを反故にしてきたのは、他ならぬ貴方達だ!」

 「我らの心を解さぬ小童(こわっぱ)が何を言うッ!!(こうべ)を垂れるは冥王であり、我らではないッ!!」

 「ならばドレッド様に代わり、私が今ここで(こうべ)を垂れましょう!」

 「要らぬッ!!そのような無様を晒せば、その頭蓋!すぐさま断ち切ってくれようッ!」

 「その後は!隣にいるエキノンと共に、ドレッド様の(もと)へと向かってくださいませ!」

 「要らぬと言っているッ!!!」

 「御免ッ!!」

 「この――馬鹿弟子があああああッッ!!!!」

 手を付き頭を下げるガロウに向かって、当主は剛剣を振り下ろす。

 大将軍たる者が命を奪われそうな場面になっても、エキノンは微動だに出来なかった。それ程までに2人のやり取りに圧倒され、彼の体は完全に麻痺していたのだ。

 呼吸も忘れていたのかもしれない。夢でも見ているような感覚。

 ただただ結末を見る。

 「――はあ・・・!はあ・・・・!はあ・・・・・!」

 当主の荒い呼吸音が部屋を満たす。

 それを聞いていたのはエキノン――そして、もう1人。

 「ガロウよ・・・!そこまでか・・・?そこまでの男なのか・・・?お前が命を賭ける程の・・・」

 元弟子の後頭部、その直前で剣を止めた当主が問う。

 ガロウは頭を下げたまま、それに答えた。

 「はい。あの御方は、それ程の存在です」

 死が間近に迫った直後であるのにも関わらず、ガロウは冷静に言葉を発する。

 その落ち着き様に、他の2人は愕然とした。

 「死んでも良いと言うのか・・・。それ程の主君を、お前は見つけたのか・・・」

 「師匠も――いえ、シガリット一族にも分かるはずです。ドレッド様こそ、正に大陸の覇者に相応しい」

 言われ、当主は剣をガロウの後頭部から離し、鞘に納める。

 その音を聞き、ガロウは顔を上げた。

 「師匠――」

 「言うな、ガロウ・・・!最早、言葉は不要・・・!貴様に剣を向けて分かった・・・!」

 そう言うと、当主は剣を持ったままガロウの横を通り過ぎ、部屋を出て行く。

 そしてそのまま家の扉を開けると、騒ぎを聞きつけた一族の者達を見渡し、こう宣言する。

 「聞け、皆の者。我らはこれより冥王の(もと)(くだ)る。すぐに出立する故、各自準備せよ」

 突然の言葉に、一族の者達はさらに困惑した。

 互いに顔を見合わせ、どういう事なのかと相談し合う。

 「すぐに納得は出来ないだろう。異議のある者は、後で私の所まで来ると良い」

 当主はそう言ったが、誰も何も言わなかった。

 実際、あっさりと納得は出来ていなかったが、文句のある者はいなかったからだ。

 ドレッドが聖王を討ってから、すでに60年。その間に一族の顔ぶれも変わり、聖王への忠誠心を持つ者はほとんど残っていない。

 今まで冥王に従わなかったのは、かつての記憶と当主としての意地がそうさせていた。

 しかし、それも変えられた。

 元弟子であり、大将軍となった男に変えられたのだ。

 「お・・・お見事です・・・!ガロウ様・・・!」

 家の中では、エキノンがガロウの偉業を称えていた。

 部屋に満ちた緊張感はすでになく、少しばかり脈拍は早くなっていたが、次第に落ち着きを取り戻していく。

 「いや・・・俺も少し肝を冷やしたがな・・・」

 「御冗談を・・・!シガリット一族当主の剣を間近に受けて、微動だにしない胆力・・・!このエキノン、記録係としてしかと後世に伝えさせていただきます・・・!」

 シオン冥王国の小さな山里で起こった今回の一件。

 それは後に『臨死の一礼』という故事成語として後世に語り継がれる事となる。「死を覚悟した説得ならば、どのような人物をも心変わりさせられる」という意味で使われるようになるのだ。

 歴史的現場に立ち会えたエキノンは高揚する心を抑え、ガロウと共に冥王の城へと戻るのであった。

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