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紅蓮の英雄  作者: 時つぶし
冥王国の進軍
62/86

4-9 光の剣士

 陽も落ちた薄暗闇の中、両軍は激突した。

 戦力はブリアンダ光国約3000、シオン冥王国約6000。

 倍の数ではあったが、兵士の練度に差があり、実質はほぼ五分である。それでも質より量が勝る場面が見られ、ブリンダ光国は押され始めていた。

 「何をしているッ!?押し返せッ!!」

 指揮官の指示が飛ぶ。

 相手は素人に武器を持たせただけの有象無象。剣も(ろく)に振るえなければ、弓の狙いも定まらない。せいぜいが槍を持たされた者が厄介なくらいだ。

 はっきり言って雑魚であるが、彼らの表情に真に迫る物があるのも事実であった。

 それに恐怖を覚えるブリアンダ光国軍。

 冥王国の兵士達は何かが違う。倒しても倒しても、喜々として戦場に戻って来る。殺す事を欲しているような、奪う事を希望としているような、そんな人として間違った欲を追い求めているように見えた。

 仲間の死体を笑う者もいれば、光国軍の中に女を見つけると一心不乱に付け狙う。

 まるで、飼い慣らされていない獣であった。

 「ちいッ!こう暗くては、平時のような連携は取れんか!」

 光国軍の指揮官の目には、戦場の変化が捉えられない。

 人間であるならば視界の悪い夜戦は避けたいはずだ。いかに魔法で光源を造り出したとしても、戦場全てを照らせる訳ではない。敵味方共に不測の事態に巻き込まれる可能性すらある。

 しかし、獣である彼らは別であった。

 場所を、時を、生死を問わず攻め入って来る。そこにあるのは名誉ではなく、欲望。

 恐ろしい以上に汚らわしかった。人間の姿をした化け物と戦っているかのような心地なのだ。

 「ロイド様!敵軍後方より増援!数は・・・不明です!」

 「なにいッ!?」

 魔法で戦場を観察していた部下からの報告が入る。薄暗闇であるため、およその数も推測できないのだろう。

 多いのか、少ないのか。戦闘継続か即時撤退かを決めるため、情報が必要であった。

 伏兵――それ自体は珍しい戦術ではない。

 しかし、冥王国の戦力は大きく、判断を見誤れば自軍が壊滅する可能性もあった。

 そうなったら、この先にある街はどうなる。冥王国の獣共に蹂躙され、女子供は凌辱されるだろう。

 そんな事はさせない。

 指揮官は声を限りに部下へ指示を出した。

 「皆の者ッ!死力を尽くせッ!我らが守るは、己の命にあらずッ!愛すべき国と家族に、その命を捧げよッ!!」

 指揮官の言葉を聞き、光国の兵士達の目に輝きが生まれる。

 そうだ。負ける訳にはいかない。

 勝つ。勝って帰る。

 その想いを全身に漲らせ、光国軍は前進した。

 しかし、やはり数の差は大きい。1人と相対している隙に後ろから斬られる者、倒れている敵兵に足を取られ倒れ込む者、仲間を守るため盾とした体を槍で貫かれる者。

 多くの被害が光国軍に出た。

 すでに逆転の目はなく、指揮官の男は唇を噛む。そこから血が出ても気付かない程に、彼は冥王国に怒りを覚えていた。

 「くっ・・・くそっ・・・!!くそおおおおおおッ!!」

 指揮官は部下の前で心乱してはならない。

 その程度の常識を忘れてしまった上官であったが、この戦況で誰が責められるであろう。

 「こうなったら・・・1人でも多くを道ずれにする・・・!!」

 指揮官は、己の剣を抜き放つ。

 「剣を取れる者は付いて来いッ!!我らが誇り!!奴らに見せつけてくれるッ!!」

 指揮官の周りにいる参謀や補佐官は、意を決したかのように武器を手に取る。

 その中で1人、黒い礼服を着た男だけが慌てているばかりであtった。

 その者に向かって、指揮官は叫ぶ。

 「お前は逃げろッ!!生き延びて、我らが雄姿を後世に伝えるのだッ!!!」

 礼服を着た男は記録係であった。手には冊子を持っており、この戦闘が始まってからを詳細に記録している。そして当然、自軍が敗北必死な事も。

 「で、ですが・・・ロイド様・・・!私も記録係(レコーダー)の端くれ・・・!せめて、皆様の最期を見届けたいと・・・!!」

 「これより先の記載は要らぬッ!今から起こるは、後の世に伝える価値のない凄惨な殺し合いだッ!そのような物、我が子が知る必要はないッ!」

 「ですが――!」

 「――行けえッッ!!!」

 指揮官の雄叫びを聞き、記録係の男はそれ以上何も言わず走り去る。馬に乗るべきであっただろうが、そう考えるよりも先に足が動いていた。

 その目には、彼の年齢に似つかわしくない涙が浮かんでいる。

 滲む視界と呆然とする思考。

 記録係とは、一般的には特権階級であった。戦場にいながら戦う必要がなく、それを良しとされる存在。男も、その地位にまで上り詰めた自分を大いに誇った。

 しかし今、彼は仲間と共に戦えない自分を呪う。

 剣もまともに扱えない。弓も槍も同様だ。上手くなったのは目上の人間に媚びへつらう事だけ。そんな自分を彼は初めて恥じた。

 同時に、友人達が何故この役職を目指さなかったのかを理解する。

 戦場において、真に恐ろしいのは何も出来ない事だ。敵を倒す事も、仲間を守る事も出来ない。そんな無力な己を自覚してしまう事が一番恐ろしい。

 命懸けで戦う仲間がいる。戦って死んだ仲間がいる。

 では、自分には何が出来る。何をした。ただ筆を走らせただけだ。

 その事実に、男は手を震えさせた。だからこそ、覚悟を決める。最後の任務だけは死んでもやり遂げなければならない。

 「はあッ・・・!はあッ・・・!ひい・・・ッ!はあッ・・・・!」

 仲間の死を無駄にさせないために男は走った。腕を振り、足を動かし、息が切れようが構わず走った。

 吐き気が込み上げて来る。慣れない運動に体が悲鳴を上げる。

 明日は筋肉痛だ、なんて考える余裕もない。ただひたすらに、我武者羅に走った。

 そして一頻(ひとしき)り走ったと思われた時、後ろを振り向いた男は愕然とする。今いる場所が、まだそれ程戦場から離れていない事を知ってしまったのだ。

 「そ・・そんなッ・・・・!」

 その事実に、男は号泣した。

 走らなければならないのに、帰らなければならないのに、すでに彼の体は限界に達していたのだ。

 「あああああああ・・・・・ッ!ああああああああああああッ・・・・!!!」

 あまりにも哀れな自分に、男は激怒した。地に向かって叫び、殴りつける。

 そんな事をしても無意味だとは分かっているが、足はもう動かないのだ。拳から血が滲むが、興奮した男に痛みはない。

 それでも飽き足らず、夜空に向かって叫ぼうとした男の視界に、いくつもの綺麗な星々が映った。

 地上での争いに関わりのない星を見つめ、男は自分もそうなりたいと願う。

 (願わくば、争いのない人生を・・・)

 そう考えた男の視界の中で、1つの星が流れる。

 流れ星か、と現実逃避でもするかのように目で追いかけると、それは不思議な事に一直線に男に向かって落ちて来た。

 最初は幻覚かと思った。錯乱した頭が幻を見せたのだと。

 しかし、すぐに思い出す。彼は知っていたのだ。その輝きが実在するものだと。救いをもたらす存在なのだと。

 男の目の前に、光が舞い降りる。

 「大丈夫ですか!?」

 輝きの中から姿を現したのは少女であった。

 肩にかかる黄金の髪と幼さの残る愛らしい顔立ち。上半身は大きな襟が特徴の真っ白な軍服を着用し、下半身は腰から太腿までをぴったりと覆う白いズボンとその上から短めのスカートを履いている。

 ブリアンダ光国の者であるならば、誰もが知っている存在だ。

 「マ゛・・・マ゛リ゛ア゛ざばああああああああッ!!!」

 少女の名前はマリア・ロイヤル。

 光国の誇る『光の剣士』の称号を受け継いだうら若き乙女である。

 「記録係(レコーダー)の人ですね!?あそこに見える戦闘は、まだ続いていますか!?」

 「は・・・はい゛・・・!」

 男の肯定を受けて、マリアは唱える。

 「――『我、纏う光翼(セラフィム)』!!」

 瞬間、彼女の背中に一対の光の翼が出現した。

 そして間髪を入れず、少女の体が浮かび上がる。

 「マ゛・・・マ゛リ゛ア゛ざば・・・!」

 これだけは言っておかなければ、と男は急いで声を掛けた。

 「な・・・ながまを・・・・・だのみまず・・・!!」

 息も絶え絶えに告げる。

 涙でぐちゃぐちゃになった男の顔を見ながら、マリアは励ます様に微笑んだ。背中の光翼の輝きもあり、男には少女が神々しく映る。

 「はい!全部、ボクにお任せです!」

 そこから一気に加速を始め、マリアの姿はあっと言う間に男の視界から消えていった。

 いや、消えてはいない。その確かな輝きは、彼の瞳を煌々と照らしている。

 「たす・・・かっだ・・・・・・」

 少女に託すには責任重大な言葉ではあったが、それは決して間違いではなかった。





 「すごい数・・・!」

 上空から見下ろした戦場は、詳細とまでは言えなくとも少女に戦況を教えてくれた。

 自国の軍の旗色が悪い。その理由は紛れもなく冥王国軍の数であり、すでに光国側の3倍に達している。

 どこから、と問うのも馬鹿馬鹿しかった。現に姿を見せた敵の出所など、今更思案してどうなる。

 「――分かってる!」

 唯一人で空中に佇むマリアであったが、まるで誰かと会話をしているかのように言葉を発する。

 決して自問自答ではない。かと言って、やはり少女の周りには誰もいなかった。

 「まずはロイドさんを見つけよう!」

 自軍の中央に向かって、マリアは急降下を開始した。

 その最中、少女は自分の胸に手を当てる。すると、突如としてその部分が輝き出し、マリアの中から美しい剣の柄が出現した。

 「世界に、秩序の光を――!」

 叫び、少女は己の中から剣を抜き放つ。

 その剣こそ、マリアを『光の剣士』たらしめる伝説の宝剣『選び、導く絶対秩序(ピースメイカー)』であった。

 「行くよ!ピーちゃん!」

 「ピーちゃん、じゃねえ!『選び、導く絶対秩序(ピースメイカー)』様だっつってんだろ!!」

 マリアの言葉に、彼女にしか聞こえない声が答える。その声の発生源は間違いなく少女の持つ剣であり、明確な自我を持っているようであった。

 「細かい事はいいの!それより、ロイドさんを探して!」

 「んな事よりも、まずは仲間の回復だろ!急げッ!」

 本来ならば剣を扱う持ち主が、武器に指示されるという状況。

 世界に類を見ない彼女達だけが織りなす光景であった。

 「分かった!――『地、照らす光明(ガイア・ルーン)』!」

 マリアが叫ぶと、剣から光が迸る。

 その輝きは大地を照らし、光国軍の兵士の傷を瞬く間に癒していった。

 「おお!この光は!」

 「見ろ!マリア様だ!光の剣士が来てくれたんだ!」

 「マリア様ーーーー!!」

 兵士達の歓声を聞きながら、マリアはピースメイカーと次なる一手について相談をする。地上はすぐ近くにまで迫っており、このまま攻撃に移るのが良いか、それとも指揮官であるロイドに指示を仰ぐべきかを決めなければならなかった。

 「どっちだと思う!?」

 「決まってんだろ!蹴散らせッ!!」

 「分かった!」

 そこで、マリアは直角に進行方向を変えた。

 進む先は敵陣最前列。少女にとっては、最早慣れ切った場所だ。

 仲間の頭上を飛び越え、マリアは冥王国軍の前方に降り立つ。途端、彼女に向かって歓声が上がるが、それは仲間の物ではなく、冥王国の兵士達から発せられた声であった。

 「来た来た来た!お目当ての子が来たぜ、おい!」

 「遅かったじゃねえか!」

 「うっひょー!めちゃくちゃにしてやりてえ!」

 「マリアちゃーん!俺達と良い事しようぜー!」

 男達の下卑た台詞を聞きながら、マリアは不敵に笑う。

 「何か言ってるね?」

 「お前のこと、可愛いってよ」

 「そう。だったら――お礼をしなきゃいけないかな!」

 両手で柄を握り、マリアは剣を真横に振りかぶった。

 その瞬間、剣身が光り輝き、強大な力が収束していく。

 「おいおいおい!いきなりかよ!!」

 「やっべえ!逃げろッ!撤退だッ!」

 その光景を見た冥王国軍は、慌てたように後退を始める。

 だが、もう遅い。

 「――『夜、断つ光刃(アマテラス・ブレード)』!!』

 渾身の力でもって横薙ぎに振るわれた剣は、光を宿す刃を彼方にまで伸ばす。

 ピースメイカー自体の重さに変化はなく、故にマリアの細腕であっても巨大な光の剣を軽々と振るう事が出来た。

 つまり、その斬撃が冥王国の兵士達に迫るのは一瞬。逃げようと背中を向けた時には、既に何十人もの男達が切り裂かれていた。

 幾重にも重なる悲鳴が聞こえるが、マリアの表情に変化はない。少女であるならば直視できないはずの光景を、彼女はしっかりと見据えていた。

 そのための決心ならば、マリアはすでに終えている。

 少女が『光の剣士』になりたての頃は、当然の如く人を殺す事に躊躇を見せていた。しかし、冥王国の脅威、傷つく味方、聞こえる悲鳴――それらを現実として認識した時、ピースメイカーがマリアに語ったのだ。

 『このままでいいのか!?お前しか俺を扱えないんだ!お前しか皆を守れないんだ!傷付けるのが怖いのは分かる!だが!俺がお前を選んだのは、お前が強い心を持っていたからだ!見ろ、マリア!今あそこで戦っている連中は、お前が来るのを待っている!お前の光が全てを照らすと、馬鹿みたいに信じている!あいつらだけじゃねえ!俺だってそうだ!俺を掴め、マリア!俺を使え、光の剣士!お前と俺の光は、あまねく世界を照らす輝きになる!俺にお前の光を見せてくれ!――なあ・・・頼む・・・!輝いてくれッ!!マリアぁッ!!!』

 その言葉によって、マリアは『光の剣士』として覚醒した。

 剣を振るう姿はすでに、一人前の戦士である。

 「ふう・・・」

 撤退していく冥王国軍を視界に納めながら、マリアは一息吐いた。深追いするには辺りは暗く、ここが潮時と判断したがための行動である。

 「ご苦労さん!これで全部だな!」

 相棒であるピースメイカーに労いの言葉を掛けられ、にこりとマリアは微笑む。

 そして、剣を自分の胸に突き立てるように持つと、今度はゆっくりと押し込んでいった。抜き放った時と同様の光が迸り、剣がすっかり少女の中に納まると同時に、その輝きも消え去る。

 辺りも、夜としての暗さを取り戻した。

 「マリア!」

 呼ばれた声に振り返ると、そこには指揮官であるロイドがいた。

 彼もまた戦っていたのか、装備に損傷が見える。しかし、肉体の傷はすでにマリアが治しているため、心配の必要はなかった。

 「ロイドさん!よかった、無事だったんですね!」

 「ああ!お前のおかげだ!礼を言う!――しかし、何故ここに?確か、冥王国の将軍が率いる部隊の方へ向かったはずだが?」

 「そっちは陽動だったようです。ボクを誘き寄せるための囮でした。確かに将軍はいましたが、戦力は微々たるものだったんです。ですから急いで片を付けて、他の部隊の援護に回っていました。それで、ここが最後という訳なんです」

 「すごいな、君は・・・!流石は我が国の誇る『光の剣士』だ・・・!」

 ロイドとて、指揮官を任せられる程の戦士である。

 しかし、目の前の少女には到底敵わないと恥じる事なく断言できた。

 「そんな事ないです。全部、ピーちゃんのおかげですから」

 (そうだ、そうだ!よく言った!だが、ピーちゃんはやめろ!)

 マリアの中で、彼女にしか聞こえない声が発せられた。他人と会話をしている最中、マリアは基本的にピースメイカーの言葉を無視するため、それに応える事はない。

 「それに、スズさんにも言われましたから。『夫をよろしくね』って」

 「あいつが、そんな事を・・・。帰ったら、あいつにも礼を言わなければな・・・」

 言いながら、ロイドは自分の胸に手を当てる。

 マリアは知っていた。その鎧の下に、彼の妻が作ってくれた御守りが入っている事を。

 「――っと、感傷に浸っている暇はないな。皆を引き上げさせねば」

 そう言って、ロイドは踵を返す。

 しかし、すぐにマリアの方へ向き直り、笑顔を浮かべて少女に声を掛けた。

 「マリア、お前も疲れただろう?今日は我らの砦に泊まってくれ。一等いい部屋を割り当てよう」

 「はい。ありがとうございます」

 2人は疲弊した部隊を連れ、魔法使いの灯す明りを頼りに拠点へと戻るのであった。



 


 割り当てられた部屋の扉を閉めると、マリアはどっと疲れを感じた。冥王国軍は、どういう訳か撤退する時はすぐなので一戦一戦の疲れは少ない。

 しかし今日はいつも以上に戦闘の数が多く、今まで以上に体力を使った。今すぐ、睡魔に身を任せたい気分である。

 だが、眠るのは(あと)だ。空腹ではあったが食事も後回し。

 今やりたいのは――。

 (風呂だ、マリア!)

 そう、汗まみれ埃まみれの体を今すぐ綺麗にしたかった。浴場があるかは分からないが、水場で体を洗うくらいはしたい。

 (さあ行こう!すぐ行こう!極上の癒しが俺達を待っている!)

 やけに興奮しているピースメイカーを文字通り放っておくため、マリアは自分の胸に手を当てる。そして体の中から剣を、今回は鞘に納まった状態で取り出した。

 それを雑に壁に立てかけると、マリアは部屋を出て行こうとする。

 「ちょーーーい!ちょいちょいちょい!ちょい待ち!マリアさん、ちょっと待ってくださいよ!そりゃないっすよ!置いてけぼりはひどいっすよ!」

 呆れた様な目付きで振り返ると、マリアは自分の剣に問い掛ける。

 「だって、ピーちゃんって男でしょ?」

 「いやいやいや!まだそんな事言ってんのかい、この()は!剣に性別があると思う!?確かに声と話し方は男だけど、俺はれっきとした無性別よ!?だから、一緒にお風呂に入っても安心安全!」

 「――で、本音は?」

 「マリアの裸が見たい!」

 「はい、お留守番決定」

 「待ーーーーーーって!!お願い、待って!マリアが16にもなって、動物の絵が刺繍された下着を履いている事、黙っててやるから!」

 ピースメイカーの言葉に、マリアは顔を赤くする。

 「な、なんで知ってるの!?」

 「ふっふっふっ・・・。何日か前、疲れていたお前は俺を体の中に入れたまま眠ってしまったのだよ・・・。そして翌日の朝、それに気付かずに寝ぼけ眼で着替え始めてねえ・・・。いやあ・・・じっくりと楽しませてもらったよ・・・」

 少女にとって衝撃の事実を、ピースメイカーは下卑た感じに語った。

 しかし、それで得られるのはマリアの失望くらいである。

 「さ、さいってー!そこは一声掛けるべきじゃないかな!?」

 「下着も脱いで、って?」

 「ピーちゃんの変態!!」

 傍から見たら異様な独り言ではあったが、マリアは気にせず大声を出した。彼女と彼には、最早慣れ親しんだやり取りである。

 宝剣『選び、導く絶対秩序(ピースメイカー)』は持ち主と意思疎通が出来るだけでなく、(あるじ)の体の中であるならば自由に出し入れが可能な魔法道具(マジックアイテム)であった。

 また、それ以外にも強大な6つの能力を持ち主に付与する事が出来る。

 先の戦闘で使用した力もそれに属しており、攻撃や回復は剣を、それ以外の能力は鞘を用いて発動するのだ。鞘の能力であるならば体内に宿している間でも発動可能であるため、休息時以外に取り出す事はあまりしない。

 剣と鞘――どちらの能力に関しても規格外な力を持った魔法道具(マジックアイテム)であり、『破壊の女神シグラス』が初代『光の剣士』のために作らせた一品である。

 それ故、ブリアンダ光国の国宝として扱われていた。

 だが、剣の人格が国宝に相応しいかと問われれば、甚だ疑問である。

 「はあ・・・ボク、『選び、導く絶対秩序(ピースメイカー)』ってもっと紳士的だと思ってたんだけどな・・・」

 「理想を押し付けてからの失望は良くないと思いまーーーす!」

 「その理想なんて・・・とっくにボロボロだよ・・・」

 マリアは初めてピースメイカーと会話をした時の失望を思い出していた。出会って間もない頃は、体の中に入れるのも躊躇った程である。

 「ったくよー!外面と内面が違うなんて人間でも同じだろうがよ!先代の性癖を教えてやろうか!?」

 「やめてー!先代様はボクの中では憧れなんだからー!」

 『光の剣士』と言えば、ブリアンダ光国では誰からも支持される国民的存在である。かつてはマリアも憧れていたし、今では憧れられる対象となっていた。

 だからこそ、理想との落差に戸惑う事もある。

 「あいつはなー!全裸で空を飛ぶのが大好きだったんだよ!」

 「やめてって言ってるのに!今度先代様と会う時に、どんな顔すれば良いの!?」

 「そんときゃ『良い趣味をお持ちですね』とでも言やいいんだよ!それとも、マリアもやってみっか!?」

 「やらないよ!もしそんなとこ誰かに見られたら、もう一生お外出ない!」

 「まあなー。マリア、見せられるような体してないからなー。顔以外は女としての魅力がないし」

 「ひどい!これでも女の子らしく見えるよう頑張ってるのに!」

 「それは認めてやろう。その服も、そのためだもんな?」

 マリアの服は、およそ戦場で戦うためのものではなかった。身を守るための鎧としての効果はなく、少し派手な普段着といった印象が強い。兵士達の中に混ざれば、間違いなく『浮く』格好であった。

 だが、彼女は戦場でそれを着た。

 上半身は大きな襟が特徴の真っ白な半袖の軍服。下半身は腰から太腿までをぴったりと覆う白いズボンを着用し、上から短めのスカートを履いている。

 これは、彼女が未だ外見を気にする少女であるためであった。

 『光の剣士』ともなれば姿から行動までを事細かに記録されるため、下手な格好は出来ない。出来るだけ可愛らしい姿を心掛けたい、という少女らしい発想をマリアはしたのだ。

 『選び、導く絶対秩序(ピースメイカー)』の鞘を体内に宿すと肉体に著しい強化が施されるため、それで事足りるという事情もある。そこに6つの能力が備われば、彼女に敵う相手はそう多くないのだ。

 故に、マリアの服装に関しては誰も何も言わなかった。

 「でもよ、自分の事を『ボク』なんて言ってちゃあ駄目だろ。下手したら華奢な男と思われるぞ」

 「し、仕方ないじゃんか!男だらけの中で育ったせいで、そう習慣付いちゃったの!文句があるなら、お兄ちゃん達に言って!」

 「俺、お前としか喋れないから、無理ぷー」

 ピースメイカーのふざけた一言に、マリアは体の中から力が抜けていくのを感じた。

 「はあああああ・・・!本当・・・!なんでボクなんかが『光の剣士』になったんだろ・・・?」

 これまで何度となく呟いてきた弱音を吐き、マリアは肩を落とす。

 そんな彼女に向かって、ピースメイカーは至って真面目に答えを教えてあげた。

 「そりゃ、お前。適性がずば抜けてたからだろ」

 『光の剣士』となるには、『選び、導く絶対秩序(ピースメイカー)』に選ばれる必要がある。生まれも育ちも関係なく、ある特殊な適正によって持ち主として相応しいかが決まるのだ。

 実際、マリアは極々平凡な家庭に生まれ、極々平均的な少女として育った。

 しかしある日――先代『光の剣士』が引退を宣言した日の翌日、ブリアンダ光国の全国民を対象にした選抜が行われた事によって全てが変わった。

 一人一人に『選び、導く絶対秩序(ピースメイカー)』を持たせ、適性を確認していく儀式が執り行われる中、ついにマリアの番が訪れる。そして彼女が剣を手にした瞬間、突如として辺りを包み込む程の光が迸ったのだ。

 同時に、マリアは「こいつだー!」という声を聞いた。

 それによって、少女は単なる町娘から『光の剣士』へと身分を変える。

 今いる光国民の中で、間違いなくマリアが『選び、導く絶対秩序(ピースメイカー)』の持ち主として一番の適性を持っていた。

 「その『適正』って、実際の所・・何なの・・・?」

 何となく予想付いていたため聞こうともしなかったが、話の流れ上、問い質してみる。

 「詳しくは俺も分からん。ただ、なんつうの?相性みたいな?惹かれ合う絆みたいな?」

 「ええぇ~・・・ピーちゃんと~・・・?」

 「あらやだ、この子!そんな事言う『光の剣士』に育てた覚えはないよ!」

 「はいはい・・・で、それが凄いとどうなるの?」

 「そういや説明した事なかったっけか?当然、俺の力をより深く引き出せるようになる。同じ能力でも、全く別物みたいに感じる程にな」

 「ボクは、それが凄いってこと?」

 「おう。しかも抜群にな。はっきり言って、初代よりもすげえぞ」

 「初代様よりも!?確か初代様って、宗主であるシグラス様から直接ピーちゃんを受け取った人だよね!?」

 「だから、ピーちゃんやめい。――まあ、そうなるな。俺はその時の記憶があんまりないんだけどよ」

 もしあったのならば、『選び、導く絶対秩序(ピースメイカー)』は歴史的価値も含む事になっていただろう。

 正に生き証人といった感じであるが、マリアは興味を示さず、自分の才能を実感するばかりであった。

 「そっか・・・ボク、そんなに凄いんだ・・・」

 少女にとって、その事実は勇気になった。

 戦う上では、死に対する恐怖が常に付きまとう。そのため、少しでも自信を身に付けられるのは、その恐怖を忘れるのに必要であった。

 「ねえ、ピーちゃん。その『適正』って、もっと上げる事は出来ないの?」

 より確かな安心を手に入れるため、マリアはより強くなる事を欲した。

 延いては国のためにもなり、自己保身という言葉で表現するには及ばない。

 「出来ると思うぜ。俺とお前の絆が、今よりもっと深まればな」

 「それって、どうするの?」

 「別に教えてやってもいいが・・・覚悟はあるのか?」

 ピースメイカーの真剣な問いに、マリアは一瞬だけ怯む。

 しかし、すぐに決意を固めると、己の剣に向かって「うん!」と力強く頷いて見せた。

 「良い返事だ。ならば教えよう。絆を深める方法とは――」

 「方法とは・・・?」

 マリアは胸の前で手を組み、身構える。

 そんな少女に向かって、ピースメイカーは大声で答えた。

 「俺と一緒に風呂に入って、イチャイチャする事だーーーーーいッ!!」

 真面目な問いに対する下品な対応。

 その冗談は、あまりにも長い沈黙を生んだ。

 それでもしばらく経った後、マリアが口を開く。

 「ねえ、ピーちゃん・・・」

 「な、なんでしょう・・・?」

 「――折るよ?」

 「さっせんした!!マジ、さっせんした!!!」

 頭を下げる事の出来ない――と言うか、頭部のないピースメイカーは言葉で必死の弁解をする。その声を聞きながら、マリアは深い深い溜め息を吐いた。

 これでも短くない時をピースメイカーと過ごしており、多少なりとも互いを理解し合っている。しかし、彼のこういった下品な冗談には未だ慣れず、マリアは頭を悩ませているのだ。

 「マリア、いるか?」

 その時、部屋の扉が叩かれた。

 声から、その人物がロイドなのだと判断する。

 「あ、はい」

 マリアは返事をして、扉を開けようと出入り口に向かった。その間、後ろの方でピースメイカーが「危ない、マリア!男は皆、狼なんだぞ!」と言っていたが、完全に無視する。

 「どうかしましたか?」

 扉を開けると、そこにはやはりロイドがいた。戦場で身に着けていた鎧は外されており、彼の逞しい腕が少女の目に映る。

 体のいたる所に傷があるのを見るに、相当な場数をこなした戦士である事が容易に理解できた。20代後半という若さでありながら指揮官に任ぜられているあたり、それは間違いないだろう。

 そして、マリアの部屋に訪ねて来れるくらいには、少女と男には交流があった。

 「先程の礼を改めて、と思ってな。隊を代表して、感謝を述べさせてもらう」

 と言って、ロイドは頭を下げる。

 「そんな!気にしないでください!ボクはただ、自分の使命を果たしただけですから!」

 「だから、それを感謝しているんだ。君のような少女が背負うには重すぎる使命を、我々のために全うしてくれて、心の底から感謝している」

 そう言って、ロイドは再び頭を下げた。

 そして顔を上げると、今度は優しい笑みを作る。

 「おかげで、スズに怒られなくて済むよ」

 「泣かれなくて、じゃないですか?」

 図星を突かれた返しに、ロイドは少しだけ動揺してみせた。思わず苦笑いを作ってしまい、まいったなとばかりに頭を掻く。

 「ロイドさん、子供もいるんですから。あんまり無茶はしない方がいいですよ」

 「そうは言ってもだな。国だけでなく、妻や子を守るためにも戦っているんだ。無茶もするというものだよ」

 「それは分かります。ボクも家族を守るために戦っていますから。でも、ロイドさんはピーちゃんみたいな凄い剣を持っていないじゃないですか。ですから、全部ボクに任せてくれても良いんですよ?」

 それはつまり、兵士を辞めて家族と共に静かに暮らしたらどうだ、という事を言っていた。

 見知った顔であるロイドだからの提案であるが、そんな事は国が許してくれない。ブリアンダ光国の成人男性は、戦争への参加を義務とされているからだ。

 ただ、マリアはそれをあまり詳しく解していない。

 そうなるよりも前に、彼女は争いに加わっていたのだ。

 「ボクのお兄ちゃん達なんて、『光の剣士』の身内ってだけで特権階級ですよ?毎日ぐーたらな暮らしを送っていて、恥ずかしくなっちゃいます」

 無論、『光の剣士』の親族だから特別なのではない。やはり特別なのは『光の剣士』なのであり、その者を戦いに駆り出すために家族を保護しているのだ。

 家族の安全のために戦え。

 それが、少女が理解していない国の思惑である。

 「でも、やっぱり家族が安全なのは安心できますよね。もし戦場に誰かいたらと思うと、気が気でなくなっちゃいますから」

 至って素直な感想を無邪気に話すマリア。

 そんな少女を、ロイドはとても寂しそうに見つめていた。彼の目には、はっきりとした悲哀の念が込められている。

 「マリア・・・私は・・・君のような少女が戦う事を・・・・良くは思えない・・・」

 「え・・・?」

 唐突な一言に、マリアは驚いたような声を出す。

 「ああ、誤解しないで欲しい。君の力が不要だ、と言うつもりではない。勿論、君の力は唯一無二であるし、冥王国に対抗するには必要な存在だ。年老いた先代では、最早戦力にはならないからな」

 マリアに誤解を与えないよう、ロイドは言葉を慎重に選びつつ心情を述べた。そこにあるのは本心であったが、同時に矛盾とも言える主張を内包している。

 「だが、どんな力を持っていようとも君はまだ子供だ。君のような少女を戦場の最前線に立たせて、気に病まない大人はいない。生死を賭けた戦いに子供が関わるのは、やはり異常な事なんだ」

 それは、マリアにとって意外な言葉であった。

 他の大人と比べて特別大きな力を持たない子供であるならば、ロイドの言う通り戦線に加わるのは無謀だろう。事実、同い年の友人は誰一人として戦場に出ていない。精々が街の警備くらいだ。

 しかし、自分は別である。

 強大な力を有しているし、先程もロイド達では敵わなかった敵軍をいとも容易く撃退している。

 おそらく自分を気遣っての言葉なのだろうが、だからこそ分からなかった。

 何故、今頃になって――。

 「え・・・っと・・・・?あ・・・あの・・・・」

 故に、マリアは言葉を詰まらせる。同意も否定も、発言の意図を問い質す事も出来なかった。

 それを見たロイドは「あ・・・!」と声を上げ、途端に申し訳なさそうな表情になる。

 「いや!すまない!本当にすまない!私としたことが、今更な事を言ってしまったな!これまで何度も君の力に世話になっているというのに!まったく・・・!どうしたのかな、今日は・・・!?」

 頭を掻きながら、ロイドは自問する。

 しかし、その理由はすでに彼の中に存在していた。

 「実を言うとな・・・マリア・・・」

 「は、はい・・・」

 ロイドの急に小さくなった声に戸惑いつつも、マリアは返事をする。

 「先程の戦い・・・私は死を覚悟した・・・。君が体を癒してくれる直前までは、ほとんど死ぬ寸前だったんだ・・・。だから、生きている事に歓喜した・・・助けてくれた君に感謝した・・・。しかし、同時に思ったんだ・・・。もし君が同じ目に遭った時、私は君を助けられるのか・・・と」

 大勢の敵を前にし、それを退け、傷ついた仲間のもとへ参じる。

 それが出来るのは、この国ではマリアくらいであろう。

 「私は君の恩に報いる事が出来ない・・・君は誰よりも強いからな・・・。そんな君に訪れた危機に、私は――私達は・・何が出来るだろう・・・?もしかしたら、指を咥えて見ている事しか出来ないのかもしれない・・・。その程度の者達と共に戦う理由が、君にあるのか・・・と、考えてしまってな・・・」

 死を間近に感じたからこそ生じた疑問である。当たり前のようにいる強大な味方――それに自分達は甘えているのではないだろうか、と。

 ただ、この問いに答えを得たからと言って、何かが変わる訳ではない。マリアの力が必要である事に変わりはなく、彼女の代わりはいないのだ。

 それを、誰よりもマリア本人が理解していた。

 「・・・ロイドさん。ボクは、あんまり難しい事は分かりません。そんな事、考えたこともありませんから。ピーちゃんと出会ってから――『光の剣士』になってから、ボクはただ皆のために戦ってきました。それはこれからも変わりません。あの人だから守ろうとか、誰かに守ってもらおうとかは気にしなくて良いと思います。――あ。でも、ロイドさんは家族を守りたいから戦っているんでしたよね?」

 「あ、ああ・・・そうだな・・・。妻と子を守るため、私は戦っている・・・」

 「だったら、ボクはその2人を守るロイドさんを守ります。ロイドさんだけじゃありません。誰かを守ってくれている人達皆を守ります。そうすれば、たくさんの人を助けられると思うんです。そして、そのたくさんの人達がきっと、ボクの力になってくれる。なんとなくですが・・・なんとなく、そう思うんです」

 「しかし・・・その『なんとなく』で君が命を賭ける必要は・・・!」

 この時、マリアはロイドという男が思っていた以上に誠実な人物であった事を理解する。

 戦場で戦う逞しい姿、妻に叱られる情けない背中――そのどちらをも見ているからこそ、未だ知られざる戦士の一面に驚いた。

 その驚きが、少女の顔に笑みを作らせる。誰もが穏やかな気分になる程の笑顔を、マリアはロイドに見せた。

 「それで良いんですよ。人を助けるのなんて、『なんとなく』で良いんです」

 ロイドの耳には、それがあまりにも美しい言葉のように聞こえた。

 ここに記録係がいたのならば間違いなく書き留めたであろう一言を聞き、ロイドは己の心が昂ぶるのを認識する。

 その高揚感を発散するため、彼は大声で笑った。

 「――はっはっはっはっはっ!!恐れ入ったッ!流石は『光の剣士』だ!正に眩いばかりの心を持っている!」

 褒められているのか揶揄われているのか分からなかったマリアは、戸惑うようにロイドの笑みを眺める。少し顔を赤くしているのが、自分でも分かった。

 「ロイドさん、笑い過ぎ!慰めようと思ったボクが馬鹿みたいじゃないかな!?」

 「いや!悪かった!命の恩人に対する態度ではないな!」

 それでも、ロイドはしばらく笑い続ける。

 終いには頬を膨らませて怒りを露わにするマリアに睨まれ、目の端に溜まった涙を拭うのだった。

 「はー・・・笑った・・・!これ程笑ったのは、いつ振りかな・・・?」

 「ボク、これだけ笑われたのは初めてなんですけど!」

 「悪かった、悪かった。せめてもの詫びに助言を1つ。――マリア・・・逃げなければいけない時が来たら、いつでも逃げて良いからな」

 おそらく、それを言うためにここまで来たに違いない。

 大声を上げて笑っていたロイドの顔は、一変して真面目なものになっていた。先程の会話を蒸し返すような発言ではあったが、彼の気遣いにマリアも笑顔で答える。

 「はい。考えときます」

 「それと、もう1つ」

 まだ何か言いたい事があるのだろうか、とマリアは首を傾げる。

 指を1本立てたロイドはそれを見て、にやりと笑った。

 「『選び、導く絶対秩序(ピースメイカー)』と会話をする時は、もう少し声を抑えた方が良い。君が1人で喋っているように聞こえる声が、廊下にまで届いていたぞ。おかげで、扉を叩くのが大分遅くなった」

 それはつまり、ピースメイカーとのやり取りを聞かれていたという事であった。

 ロイドには見せた事のない騒ぎっぷりを思い出し、マリアは恥ずかしさから頬を朱に染める。

 「だが、君が元気な事が分かって良かった。食事も出来そうだな。冷めてしまう前に食堂に来るといい」

 「あ・・・。ボ・・・ボク、先に汗を流そうかと」

 「そうか?だったら、男連中が飯に夢中になっている間に済ませてしまうことだ。覗こうとする者が出るかもしれないからな。――いや、君の体では誰も興味が湧かないか?」

 自分の知っているロイドらしくない発言に、マリアは驚いた。

 それと同時に怒りが込み上げて来る。その言葉は誰であろうと許されるものではないのだ。

 「ひ、ひどい!ロイドさんって、そんな事言う人だったの!?」

 「おうともさ。これだけ腹を割って話したんだ。このくらいの本性は見せてもいいだろう?」

 「だからって、ボクの体について言うのは失礼じゃないかな!?これでも女の子なんだからね!」

 「そうは言っても、そのなりではな。俺の妻を思い出してみろ。見事な物だっただろ?」

 「う・・・!た、確かに・・・!あれはボクでも触りたく――じゃなくて!ロイドさん、今までそんな風に考えながらボクと接してたの!?」

 「別におかしくはないだろう?人は誰しも、他人と接する自分とは別の自分を隠しているものだ」

 ピースメイカーにもさっき同じような事を言われたな、とマリアは思い出す。それでも、それを受け入れたくはなかった。

 ロイドとより親しくなれたのは嬉しいが、やはり下品な会話は苦手であるのだ。

 「もー!ボクに対して、そういう話は禁止!ピーちゃんだけで手一杯なの!」

 「なんと!ピースメイカーも卑猥な話をするのか!話せないのが悔やまれるな・・・」

 「悔やまなくていいの!ボクはお風呂に行くんで、これで話はお終い!それじゃあ!」

 と言って、マリアは扉をぴしゃりと閉めてしまった。

 「用が済んだら食事にしてくれ。火は消さないように言っておく」

 扉越しに、ロイドが最後に言ってくる。

 それに対してマリアは沈黙を貫き、ロイドも返事がない事を確認してから去って行った。扉の前から離れていく足音を聞きながら、これまでのやり取りに疲れたマリアは体を洗うための準備を始める。

 そこで、ある違和感に気付いた。

 おしゃべりなはずの伝説の剣が、まったく言葉を発しないのだ。ロイドとの会話を聞いていたのだから、自分を揶揄うくらいの事はするはずである。

 「どうしたの、ピーちゃん?」

 少し心配になり、マリアはピースメイカーに声を掛けた。

 一応作り物であるので、壊れる可能性もあるのかもしれない。

 「なあ・・・マリア・・・」

 返って来た言葉は、どことなく力ない物であった。

 どうしたのかと考えるマリアに向かって、ピースメイカーはぼそぼそと問い質す。

 「やっぱり、お前みたいな子供が戦いに加わるのは、おかしいのかな・・・?」

 ロイドの言葉を聞き、ピースメイカーの中にあった疑問が触発されたようだ。

 今まで見た事のない落ち込み様に、マリアも首を傾げる。

 「どうしちゃったの、ピーちゃん?らしくないよ?」

 「らしくなくなりもするわ・・・!あの野郎、俺が今までずっと気にしてた事を、あっさりと聞きやがって・・・!」

 つまり、ピースメイカーも少女であるマリアに戦いを強いる現状に疑問を持っていたという事であった。

 いつもは能天気な相棒の意外な事実に、マリアは小さく笑う。

 「あ!笑ったな!俺が真剣に悩んでいたって言うのに!ひどい主様だ!まったく!」

 不貞腐れたような発言をするピースメイカーに向かって、マリアは慰めの言葉を掛けなかった。

 それよりも、もっと効果的な方法を彼女は熟知しているのだ。

 「ねえ、ピーちゃん」

 「あん!?なんざんしょね!?この哀れな剣に、何か御用が!?」

 「やっぱり、一緒にお風呂入る?」

 「え!?マジ!?やったー!入る入るーーー!」

 予想通り彼らしい元気を取り戻したピースメイカーに対して、マリアは優しく微笑む。

 そして、扉の取っ手に手を掛けると、

 「――嘘」

 と言って、部屋を出て行ってしまった。

 あんまりな仕打ちに、伝説の剣はただ茫然としてしまうのであった。

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