4-5 3人寄れば
とある一室にて、男と女が交わっていた。
男の体は大きく、女の上に覆いかぶさるようにして腰を振る。淫らな音が薄暗い部屋の中を満たし、女は喘ぎ声を漏らした。
そして、男が果てる。下腹部に満ちる快感に酔い痴れるように目を瞑り、快楽に溺れるように声を上げた。
それらが薄れて来ると男は疲れ果てたように女の隣に寝転がり、先程まで1つになっていた片割れに対して笑い掛ける。
「・・・このような寂れた街に、お前のような娼婦がいるとはな」
男の見つめる女の体は汗で濡れていた。散々貪り尽くした体に再び興奮を覚えた男であったが、今夜はこれ以上腰を動かせそうになく、手で触れるだけに留めておく。
その体は、一般的な女と比べて男の欲情を強烈に掻き立てた。顔が良いのも評価できたが、何よりそれが退屈な任務の息抜きには必要である。
加えて、この女は相手の悦ばせ方を知っていた。それが堪らなく気持ちよく、思わず祝杯を上げたくなるような気分に浸る。
「光栄ですわ、グンナガン将軍閣下」
相手に尽くせたのが嬉しいのか、女も微笑みながら礼を述べた。それがまた甲斐甲斐しく、グンナガンと呼ばれた男は女の頭を撫でる。
「嫌ですわ、将軍閣下。それではまるで、少女のよう」
少し不満気に女がグンナガンの手に触れた。
しかし、その腕に力はなく、振り払うような真似はしない。
「ならば、おかしくはあるまい。お前は俺よりも大分若かろう?少女のようなものだ。それとも、その見た目で三十路を超えているとでも言うつもりか?」
それはない、と彼自身思いながら聞いた。
女は何も答えず、はぐらかす様に小さく笑う。
「――愛い奴め」
その笑顔が愛らしく、男は賛美を送った。
女というのは体だけでなく、笑った時の華やかさも重要であると実感できる。
「お前、名前は?」
「あら?娼婦の名前なんて聞いて、どうなさるおつもりですの?」
「いいから答えろ」
少しだけ威圧的に言われ、女は体を起こし、理解できないとばかりに首を傾げる。
しかし、それは演技であった。
己の名前を素直に告げる訳にはいかない。今後の活動に支障をきたす可能性があるからだ。そのため、偽名を考える時間を彼女は作っていた。
そして、僅かな時間で思い出した仲間の名前を使わせてもらう事にする。
「マリンと申します」
名前の持ち主と娼婦という組み合わせが可笑しく、女は堪らず笑いそうになった。しかし、それを微笑に抑え、なんとか凌ぎ切る。
「娼婦マリンか・・・。国は?どこから来た?」
続く問いには、首を横に振った。
「それ以上の詮索はお止めください。私は娼婦。過去を捨てた女で御座います」
本音を言えば、これ以上嘘を重ねるのが面倒臭くなっただけである。彼女としては、さっさと本題に入りたかった。
「ふん、まあいい。もしこの国の者ならば、叩き斬ろうと思っただけだからな」
瞬間、グンナガンの眼が鋭くなる。並の女ならば恐怖を感じたであろう気迫であったが、女は平然と受け止めた。
「いやですわ、将軍閣下。侵略された国の女が、どうして敵国の者に抱かれようと思うんですの?」
「はっ!それもそうだな。俺とした事が、愚かな発言だった。だが、突然お前のような女が部屋を訪ねれば、警戒したくなるもの。謝罪はせぬぞ」
「勿論ですわ。私も、将軍閣下がこの身を買ってくださった事に感謝の念しか御座いません」
女の言葉に、グンナガンは僅かに口の端を上げる。
「お前は本当に良い女だ。この国の女は貧相な者ばかりで抱く気も起きず、兵達にくれてやったが、お前ならば毎夜ごとに抱きたくなる」
今度は女が、心の中でにやりと笑う。
その言葉を待っていた、と言っても過言ではなかったからだ。
「では、今後どちらに向かうか教えていただけないでしょうか?」
若干、グンナガンが警戒したかのように見えた。女もそれを察知したが、変に対応しようとせず、瞳を潤ませて答えを待つ。まるで恋い焦がれた相手を想う乙女のように。
「何故、そのような事を聞く?」
「御迷惑である事は重々承知しております。ですが、私も女で御座います。熱き殿方に再度抱かれたいと思うのは、いけない事でしょうか?」
それを聞き、グンナガンは理解する。つまり、自分がそうであるように、目の前の女もまた今宵の営みが忘れられそうにないのだ。
愛い奴、と男は再び女を評価する。
「ならば、俺と共に来い。国に帰った暁には、妻にしてやろう」
彼女にとって、妻にする云々は置いておくとして、行動を共に出来るのは都合が良かった。しかし、すんなりと頷いては疑われる可能性もあるため、女は拒否をする。
「いけませんわ、将軍閣下・・・。私のような娼婦を妻になど・・・。貴方様と私は、ベッドの上だけの関係・・・。それ以上は望みません・・・」
お淑やかな女を装って、娼婦は目を伏せる。
その仕草はグンナガンの男を刺激したが、またの楽しみに取っておくことにした。
「ロドニストだ。ここから東にあるロドニストという街を襲撃する。攻め落とした後、これを持って街に入れ」
そう言うと、グンナガンは自分の荷物から1つの勲章を取り出した。数々の武勲を立てた彼の栄光の証である。
それを他人に預けるなど王に対して無礼であったが、数が多いため1つくらい無くなっても気付く者はいないだろう。それに、王に会う前に返してもらえば済むことだ。
「分かりました。預からせていただきます」
女は恭しく受け取ると、それを脇に置いた。
そして立ち上がり、着脱しやすい服に身を包む。
「では、失礼いたします」
再び勲章を手にした後、グンナガンに向かって頭を下げた。彼女の持ち物は己の体だけであるため、行きも帰りも身軽である。
「待て、マリン」
扉へと歩を進める女の背中に向かって、グンナガンは声を掛けた。何か失態を犯しただろうかと緊張が走ったが、平静を装って振り返る。
「金を忘れているぞ。持って行け」
そう言うと、グンナガンは金貨の入った小袋を女に向かって放った。
そう言えば自分は娼婦だった、と女は自分の迂闊さに心の中で舌を出す。
「ありがとうございます、グンナガン将軍閣下。私としたことが、貴方様と再会できる喜びで自分が娼婦である事を失念しておりました」
あくまで愛に酔う乙女を演じて、女は笑い掛ける。男もそれで納得したようであった。
「では、今度こそ失礼いたします」
そう言って頭を下げると、女は扉を開けて部屋を後にする。
その扉が閉まった直後、残ったグンナガンは、
「良い女だったが、警備の奴らは全員処罰ものだな」
と小さく言った。
彼の言葉が示唆する通り、廊下に出た女の周りには警備兵の姿がない。将軍という位につく人物にしては不用心であり、当然それはグンナガンの指示ではなかった。
そして、警備兵の意思でもない。
その理由を知っている女は気にする事なく、歩を進めて行く。
先程受け取った勲章を手で遊びながら歩く女の顔は、乙女でも娼婦でもない彼女本来の表情に変わっていた。
「あ!お帰りなさい、モルガンさん!」
グンナガンと別れた後、街を出た女は近くの森の中で仲間達と合流する。
彼には「マリン」と名乗ったが、「モルガン」という名こそが彼女本来の呼び名であった。一応それも偽名であるが、今では本名と相違ない。
「ただいま、ガーネ」
出迎えてくれた少女の名を呼び、モルガンはグンナガンに向けたものとは異なる笑顔を見せた。家族に見せるような自然な笑みである。
「首尾はどうでしたか?」
「上々よ。見て、これ」
言いながら、モルガンは将軍の勲章を見せびらかす。丁度指が通るくらいの穴があり、くるくると器用に回していた。
「将軍の勲章。また会おう、ってことね」
「わあ!流石はモルガンさんです!」
「ありがと。簡単だったわ。『人除け』で警備兵をどかして、この体で将軍から情報を聞き出す。少し長く抱かれなくちゃいけなかったけど、まあ下手じゃなかったから」
その言葉を聞き、ガーネはある事を思い出した。
「そ、そうです!モルガンさん!行為の最中、『念話』での報告はいりませんって言いましたよね!?」
「あら?そうだったかしら?」
「そうですよ!『入った』とか、『濡れた』とか、『果てた』とか!あー!思い出しただけで、顔が熱くなって来ましたー!」
ガーネは顔を両手で挟み、その場にしゃがみ込んだ。
その顔は少女の言う通り、赤く染まっている。
「『念話』は聞こえなくする事が出来ない、って知ってるじゃないですかー!モルガンさんの働きは素晴らしいですけど、こういった所は褒められません!」
そう主張する少女を、モルガンは面白そうに見下ろしている。
「別にいいでしょ?ガーネの将来に役立つかもしれないじゃない?」
「私は、そんな事しません!」
言ってから、ガーネは自分がモルガンを侮辱してしまった事に気付く。途端に立ち上がり、慌てたように彼女に向かって謝罪をした。
「す、すいません、モルガンさん!わ、私、そんなつもりじゃ・・・!」
「安心して。分かってるわ。貴女は優しい子。だから、最初この作戦に反対したんだものね」
「だって、それはモルガンさんの・・・。あと、赤ちゃんとか・・・」
ガーネの気遣いに、モルガンは優しく微笑む。
そして、少女の不安を払拭するため、下腹部に手を当てながら、こう言った。
「大丈夫よ。私のここ、もう壊れちゃってると思うから」
それは、モルガンの過去に何かがあった事を意味していた。
彼女達の仲間は、総じて凄惨な過去を持つ。戦争に巻き込まれて家族を亡くしただけでなく、それ以上に過酷な目に遭った者すらいた。
モルガンは、その1人である。
具体的な事は述べない。聞くガーネも、それ以上彼女の過去に足を踏み入れたいとは思わなかった。共通の主に仕える仲間であっても、触れてはならない部分があるのだ。
ガーネは、それを欠片だけでも笑って語れるモルガンを「強い人」だと思う。彼女の他に、そのような事が出来る者が仲間の中で何人いるだろうか。
「あ・・・すいません・・・」
「もう・・・。だから、大丈夫よ。心はジェウェラ様に癒して貰ったから」
一度自然治癒しきった体は、回復魔法でも回復薬でも元の状態に戻る事はない。それが、その者にとっての完全な姿になってしまうからである。
そのため、モルガンの体は一生そのままなのだが、変わらず彼女は笑っていた。
「やっぱり・・・モルガンさんは凄いです・・・。色々な秘術も使えて・・・戦えて・・・勇気もあって・・・。私には出来ない事ばかり・・・」
少女は、己の未熟を嘆いた。
モルガンは、そんな彼女に向かって、
「でも、男に抱かれるのは趣味と実益を兼ねてるのよ?」
と告げる。
「もおーー!!モルガンさん!!」
しんみりとしかけた空気を見事に打破され、ガーネは大声を出した。しかし、怒っている訳ではなく、逆にほっとしている。
「で、貴方は相変わらず黙ったままなのね。クリス?」
実を言うと、その場にはガーネの他に仲間がいた。青年が1人、少女のすぐ隣に立っている。
クリスという名の青年は、モルガンが帰って来てから一言も口を開いていない。これは別に彼が言葉を知らないとか、口がきけないとかいう訳ではなく、声を出すのを極端に嫌うからであった。
だが、彼らには『念話』という手段があるため、
(お前が無事ならば、それで良い)
と声に出さず、気持ちを伝えた。
「もう。そういった良い台詞は、声に出して言って欲しいものね。貴方、声も良いんだから」
「そうですよね。私、クリスさんの声、好きですよ」
ガーネに言われ、クリスは少しだけ顔を赤らめる。男でありながら彼の肌は白く、照れているのが容易に見て取れた。
(ありがとう・・・)
ただ、やはり感謝は『念話』で伝える。
心の声での会話とは言っても、その声色は持ち主の物そのままである。しかし、やはり口が動いていないと違和感があり、声の良さが半減していた。
惜しい事を、とモルガンは溜息を吐く。
「もう・・・。――まあ、いいわ。とりあえず、ジェウェラ様への定時連絡を済ませておいてもらえる?」
(了解した)
彼らの主は、遠く離れたユーグシード教国の大神官ジェウェラである。彼は『戦いの神クライトゥース』に仕えており、裏では『戦神』という集団の指導者として活動していた。
『戦神』の活動理念は、戦争行動の妨害。つまり、モルガンの行動もそれに準じた行いだったのだ。
しかし、戦争の規模が大きすぎるため、完全な妨害は最早不可能であった。そのため、攻め込まれている側に助力する事で戦火の拡大を防ごうとしているのである。
それが戦争の延長に繋がる可能性もあったが、結果として疲弊してくれれば、いずれは撤退するだろうという思惑もあった。これは彼ら3人で考えた作戦であり、戦争に参加している国々は関わっていない。
「それで、これからどうしましょう?」
「そうね。今後の冥王国軍の動きを、それとなく伝えなくてはいけないわ。奴らは東にあるロドニストに向かうつもりよ」
「やっぱり、小さな街から攻撃して行くんですね・・・」
先程モルガンがいた街も、比較的小都市であった。戦力の少ない都市から順に攻め落とすつもりなようだ。
その事実から、冥王国の目的が略奪ではなく、計画的な殲滅である事が窺える。
一体、どのような理由でそのような行動に走るのか。3人で議論したりもしたが、とどのつまり冥王の計画であるという結論しか出なかった。
「すぐに向かうという感じではなかったから、そんなに急がなくても良いと思うわ。とりあえず、これで美味しい御飯でも食べましょうか」
モルガンは、冥王国の将軍から貰った金貨袋を取り出す。ここら一帯の国々では同じ通貨を用いるため、換金の必要も怪しまれる可能性もない。
これだけあれば、活動資金をジェウェラに要求する必要も当分の間はないはずだ。
そう考えるモルガンの緊張感が少しだけ欠けているのは、彼女達の使命が絶対ではない事と、自分達の国が関係していないからである。危険な真似は避けるよう指導者からも厳命されているため、3人は出来る限りの事はやっていると言っていい。
クリスがジェウェラへの報告を済ませるのを待ってから、3人は休息を取るため、近くの街へ向かって移動を開始した。
『戦神』の3人とは国と時を変え、また別の3人が山中を歩く。
グレン、ヴァルジ、そしてニノであった。
『戦神』の3人がまるで家族のように違和感のない組み合わせだとしたら、こちらの3人は見た目からして不均一である。
1人は顔や腕に古傷の見える大男。腰には白塗鞘の大太刀を差し、歩く姿からしてただ者ではない。
もう1人は、紳士服に身を包む老人。山中に似つかわしくない服装だけでなく、その柔らかな面持ちが男の仲間である事を疑わせる。
最後の1人は先頭を歩く細身の女エルフ。とは言っても、外套によって目元まで隠してしまっているため、一見しただけでは性別や種族の判別はつかなかった。
ちぐはぐと言ってもいい3人であったが、彼らの目的は共通して唯一つ。そう、エルフ族と人間の間に同盟関係を築く事である。
現在、彼らは三国同盟の一角をなす『ロディアス天守国』を目指していた。
それはつまり、国が3つも揃わなければ冥王国に対抗できないという事であり、その戦力に改めて驚愕したグレンである。
「その『ロディアス天守国』とは、どういう国なんだ?」
エルフの森に向かうため、3つの国の内いくつかを通った事は確かである。しかし、目的地に急ぐことを優先していた事もあり、あまり詳しい情報収集はしていなかった。
そのため、母国から遠く離れた異国の事に関して無知であるグレンは、おそらく知っているであろうニノに声を掛ける。
服装のせいで視界の悪い彼女は振り返る事なく、
「知らん」
と答えた。
あまりにもはっきりと断言されてしまったため、グレンも言葉を詰まらせる。そんな彼に向かって、代わりにヴァルジが答えてくれた。
「大分前に聞いた知識ですが、確か『天子』と呼ばれる存在を頂に置く国だったと思います」
「『てんし』?王ではないんですか?」
「申し訳ありませんが、それ以上は私も詳しくはありません。何分、興味がなかったもので。ただ、王のような存在と考えて問題ないかと思います。呼び方が違うだけではないでしょうか」
なるほど、とグレンは頷く。
しかし、それは納得とは異なり、どうでもいいかと結論付けただけであった。2人はただ、エルフと人間の橋渡しをすれば良いのだから。
「まあ、詳しい話はロディアス天守国の者に聞けば良いでしょう」
そして、ヴァルジも同じ考えなようだ。
「そうですね。――それにしても、エルフの森は不運な場所にあったんですね」
グレンがそう言うのも無理はなかった。
冥王国が攻めて来れる事からも分かるように、エルフの森がある山は彼の国の領土内にある。そしてそれだけでなく、ロディアス天守国の領土近辺でもあった。
その立地条件から2国間の戦争に巻き込まれる可能性があり、族長であるクロフェウが覚えた危機感の中にはそれも含まている。
ただ、それにより冥王国内を移動する必要がなくなり、グレン達は会敵する事なく、順調に目的地まで行けるというものなのだが。
「グレン。まるでエルフが悪いように言うな。全ては争いを好み、自国の領土を拡大しようとする人間の責任だ。私達は、それに巻き込まれているに過ぎない」
やはり振り返る事なく、ニノはグレンに向かって意見を述べる。
確かに、と思ったグレンは「そうだな」と答えた。そんな彼に向かって、ニノは続ける。
「人間というのは、実に欲深い。全てが自分達の物であるように考えている。物欲、性欲、支配欲。奴らの心には、どす黒い物が詰まりに詰まっている」
それに関しては、肯定し辛かった。
なぜならば、彼とヴァルジもれっきとした人間だからである。グレンに対する誤解や偏見は解けたようだが、ニノは未だ人間に対して憎しみを持っているようだ。
「ニノ。頼むから、同盟を結ぼうとしている相手には、そのような態度を取ってくれるなよ」
「分かっている。私とて、族長の孫としての責務がある。迂闊な真似はしない」
「ああ、そうだな。私にもすぐに心を開いてくれたお前だ。きっと、クロフェウ殿の期待に応えることが出来るだろう」
グレンとしては、励ましの言葉を送ったつもりであった。
しかし、ニノは彼に向かって振り返ると、
「ば、馬鹿!」
と罵しりの声を上げる。
また何か粗相を働いてしまったかと思ったグレンであったが、ニノはそれ以上何も言わず、少しだけ歩く速度を上げた。それに付いて行くため、グレンとヴァルジも歩みを早める。
「待て!」
その時、ニノが急に立ち止まり、2人に制止を掛けた。
敵か、と少しだけ身構える。しかし、元からそのような気配はなく、一体何事かとニノの言葉を待つ。
「この音は・・・交戦中か・・・?」
エルフは耳が良い。
そのため、グレンにもヴァルジにも聞こえない音を拾ったのだった。彼女の耳に届くのは無数の足音、戦闘音、そして幾重にも重なる雄叫びである。
彼女の言葉通り、それは交戦を示唆していた。
「となると、天守国と冥王国ですかな?」
最も可能性の高い組み合わせを、ヴァルジが示す。ニノの呟きが勘違いではないと信用した上での発言である。
「分からない。同盟軍の可能性もある」
いずれにしろ、行って確かめるしかない。
ニノの「行ってみるぞ」という言葉を合図に、3人は走り出した。目的の場所が分かるのはニノだけなので、他の2人は彼女の後を付いて行く。
そして徐々にではあるが、彼女が聞いたものと同じ音を捉え始めた。
グレンには馴染み深く、ヴァルジには新鮮な武力衝突の音。駆ける足音に紛れる事なく、ついにそれは彼らの耳に確かな現実として届いていた。
その時点まで来ると、グレンとヴァルジにも戦闘が行われている方角が分かる。しかし、関係のない彼らがこれ以上急ぐ必要はなく、ニノの後ろを維持していた。
「あれか・・・!」
山を下りる途中、ふいに開けた視界の先に捉える。それによって、足を止めた3人は戦場の様子を観察した。
数は、両勢力とも5000と言った所か。もし片方が冥王国だとしたら、相手に対抗され得る数しか揃えていないのが疑問であった。
昨日戦った兵達では、数で押さなければ容易く敗北しそうである。
「どちらが、どちらでしょうな?」
ヴァルジの問いに答えられる者はいない。敵味方を判別するための印が装備のどこかにあるはずなのだが、ここからでは距離があるため見ることは出来なかった。
とりあえず、2つの旗が翻っているのが見える。そこから2国間での争いである事が窺えるのだが、どのような勢力が争っているのかすら分からなかった。
昨日の冥王国軍の装備を参考しようともしたが、どちらも軽装とは程遠く、やはり判別はつかない。
「もう少し近くに行ってみるぞ」
グレンの耳に、ニノの指示が届く。
この部隊の指揮権は当然彼女にあり、グレンとヴァルジは了解したとばかりに頷いた。
それと、ほぼ同時の出来事である。
3人の耳に、何者かの雄叫びが聞こえて来たのだ。
それは悲鳴でもなければ、勝鬨でもない。彼らのいる場所は戦場から距離があったが、それでも五月蝿い程に響いたため聞き間違えようもなかった。
それは誰が聞いても、その声の主の名前であった。
「ジェーーーーーーーーーーーーーーーイクゥゥッッ!!!!!マーーーーーーーーーーーーーーーーックスゥゥッッ!!!!!!」
それは、自己紹介としては異常な――それでいて咆哮としては異様な叫び声である。
グレン達は堪らず呆気に取られ、その声の出所に視線を移した。
遠く離れていても分かる。巨大な馬に跨った巨体の戦士。全身に鎧を纏い、両手には身の丈程もある大剣が握られている。
その者が敵軍に向かって、単騎特攻を仕掛けたのだ。
「無茶な・・・」
その光景を目にしたヴァルジが零す。ニノも呆れたように頭を振っており、誰の目にも結末は明らかであった。
しかし、3人の視線の先で予想だにしない出来事が起こる。
なんと、大剣の戦士の特攻を見た相手軍が一斉に逃走を始めたのだ。
「む・・・」
「ほほう・・・」
「嘘・・・!?」
それぞれに驚きの声を上げた3人であったが、さらに驚愕すべき事態が起こる。
馬上から飛んだ戦士が振り上げ、逃げる敵兵に向かって力の限りに振り下ろした大剣が、轟音と共に大地を数十mに渡って切り裂いたのだ。
「なっ・・・!?」
それに関して驚きの声を上げたのはニノだけであった。目にした光景が信じられないとばかりに、驚愕によって美しい顔を崩している。他の2人に見えていなかったのが、女性としての救いであっただろう。
その攻撃を受けた相手軍は完全に瓦解。
散り散りに逃げて行く様を勝ち誇ったように見送る戦士は、最後に味方に振り返ると勝鬨を上げた。
「我らぁッ!!!ロディアスのぉぉッ!!!!大ッ!勝利であああああある!!!!!」
それを受け、大剣の戦士の仲間達も己の武器を掲げて勝利の雄叫びを上げる。
とりあえず、彼らがロディアス天守国の者達らしい。
「なんだ・・・?あいつは・・・?」
呆然としたニノが呟く。
「天守国の者ではないのか?」
「馬鹿!そういう事ではない!あの力、あの雄叫び!ただ者ではないぞ!」
「そうですな。自分の名前を叫びつつの特攻とは、珍しい戦法を取る者がいたものです」
グレンの的外れな意見に対して、ニノは声を大にして返した。続いて、自分の言いたい事とは異なる感想を述べるヴァルジの言葉を聞き、ニノは老人に視線を向ける。
「そっちか!?むしろ、あの力に驚くべきだろう!?」
「む?そうですな。凄まじい怪力でした。おそらく、一流の戦士に違いありません」
言葉ほどの感情を込めず、ヴァルジは棒読み気味に答える。本音を言えばあまり評価しておらず、グレンだけでなく自身と比べても未熟に等しいと思っている。
しかし、その事実が知れ渡れば、自分達を求めて群がる者もいるに違いなく、ヴァルジは黙っておくことにした。例えそれが友人だったとしても、今の彼は仕える主以外に全力を捧げるつもりはない。
「ニノ。丁度良い。彼らに話をしてみてはどうだ?」
グレン達はとりあえずの目標として、ロディアス天守国の街を目指していた。街、という漠然とした表現なのは彼らが天守国について詳しくないからである。
首都がどこにあるのか、最寄りの街はどこか。情報が全くないため、足で探す事にしたのだ。
しかし今、彼らの前には防衛の要とも言うべき軍隊がいる。
天守国側の主要人物がいる可能性も高く、同盟関係を結ぶ交渉を持ちかけるには絶好の機会であった。
「くっ!驚いているのは私だけか・・・!?――だが確かに、グレンの言う通りだ。2人とも、行くぞ」
ニノを先頭に、3人はロディアス天守国の戦士達を追いかける。
おそらく拠点に帰るのだろう。彼らはどこかに向かって、ゆっくりと行進している所であった。
ロディアス天守国軍に追いつくと、3人はゆっくりと彼らの先頭に近づいて行く。
『先頭を止めれば、話を聞かざるを得ない』
という、ニノの考えを実行した形である。
少し無理矢理ではないかとグレンは思ったが、彼女がそうしたいと言うのだから従ってあげる事にした。
しかし当然、急に姿を現して接近して来る者達に友好的な態度を見せる兵士はおらず、3人の姿を目にした者達は一様に武器を構える。
「何奴!?」
「おのれ!冥王国の残党か!?」
「たった3人とは恐れ入った!しかし、加減は出来ぬぞ!」
そう言う天守国兵達のやけに芝居がかった話し方に、グレンは疑問を覚えた。
格好付けていると言えばいいのか。とにかく、むず痒くなる言葉遣いである。
「面白いでしょう?」
グレンの疑問を察したヴァルジが小さな声で言った。それは決して馬鹿にしているのではなく、演劇を楽しむ観客のような口振りである。
「グレン殿。あそこにいる全身黒づくめの礼服を着た者が見えますかな?」
「ええ。あれが何か?」
ヴァルジが言葉だけで指した人物を容易く見つけられたのには訳があった。彼が言った通り、その人物は真っ黒な礼服を着ていたため、周りの鎧を着込んだ兵士達から異様に浮いていたのだ。
「あの者は『記録係』です。この地域の国の軍には、必ずあのような者がいます。『記録係』の名の通り、あらゆる事を記録するんですな。勝敗、戦術、天候や戦場、果ては発言や名称まで」
「発言や名称・・・?」
「そうです。誰が言ったか、何の名前なのかは関係ありません。『記録係』の印象に残った台詞や名称は須らく記録として残るのです。それによって、後の世に伝えられるという訳ですな。ですので、多くの戦士が歴史に残ろうと、機会があれば積極的に印象的な台詞を言ったり、凝った名前を装備や技や魔法に付けたがるのです。ああ、そう言えば、二つ名のように『称号』と言って、これまた面白い呼び名を持つ者もいるようですよ。どのようなものが出て来るか、楽しみですな」
「はあ・・・」
それが一体何になる。
グレンはそう考えたが、これから同盟関係を築こうとしている国に関する事のだ。下手に否定しないでおこう、と思うのであった。
「ええい!何を話し合っている!?」
「悪巧みか!?ならば無駄だ!我が軍にはジェイク殿がおられる!」
「不運な奴らめ!己が無力を嘆くがいい!!」
ジェイクと言うと、先程大声で敵軍に単騎突撃した戦士である。兵士の発言からも分かるように、実力者というだけでなく、仲間からの信頼も厚いようだ。
そして、その人物が3人に向かって近づいて来るのが見えた。手には大剣を持っておらず、その後ろに仕える従者が4人掛かりで何とか持ち運んでいる。
「一体、何事であるか!?」
声を大にして仲間に問う彼の風貌は、一言で言えば髭面である。
肩まで伸びた赤茶色の髪はボサボサしており、それと同じ色の髭を見事に蓄えていた。体格はグレンと比べても見劣りせず、顔の無骨さも似た様なものである。
しかし話し方に愛嬌があるためか、親しみやすい印象があった。
「ジェイク殿!この者達、どうやら冥王国の残党のようです!」
「なんと!?」
「ジェイク殿!今一度、この者達に『天上断罪剣』を喰らわせてやりましょう!」
「むむむ・・・!しかし、相手はたったの3人・・・!」
「ジェイク殿!ならば、この者達は捕虜として捕えましょう!何か情報を持っているかもしれませぬ!」
「おお!それは名案である!」
とりあえず、話はまとまったようだ。
しかし、それを受け入れる訳にはいかず、どうするのかとグレンはニノの背中を見る。
彼の視線に背中を押されたかのように、彼女は言葉を発した。
「誤解しないでもらおう!我らは冥王国の者などではない!我らはエルフの森よりの使者!この軍の代表者は誰か!?折り入って話がしたい!」
『エルフ』という言葉が出た瞬間、彼らの中に動揺が走る。その中で1人、ジェイクだけが落ち着いた表情でニノを見つめていた。
「エルフであるか。後ろの者達は人間なようであるが、森からの使者という証拠はあるので?」
「貴様がこの軍の指揮官か?」
ジェイクの質問に対し、ニノも質問を返した。しかも、その物言いは高圧的であり、グレンとヴァルジはひやりとした気分を味わう。
正直に言ってかなり失礼な応対であり、いきなり心証を悪くしたのではないかと2人は危ぶんだ。人間とエルフの同盟関係を結ぶ交渉を上手く運ぶため、ニノの行動を諫めるのも彼らの仕事である。
「おお、これは失礼だったのである。吾輩こそは天子様より『天駆勇壮』の称号を授かりし者、ジェイク・マックスである。そして、この隊の長なのである。用があるならば伺うのであるぞ」
しかし、ジェイクは至って平静に言葉を返した。勇敢さだけでなく、かなり心に余裕のある人物なようだ。
彼の言葉を受け、ニノは顔を隠している外套の覆いを外し、その素顔を露わにする。途端、兵達の口から感嘆の声が漏れるが、気にはしない。
「私はエルフ族の長クロナッドフェウグスタスの孫ニンフィノフィロフェルフィン。用というのは他でもない。我らエルフ族も、冥王国に対抗する同盟に加わらせてもらいたい」
単刀直入。
確かに伝えたい事はそれであるし目的もそれなのだが、事情など多くの要素を省いているため警戒されないか心配だった。
と言うか、はっきり言って不躾な要求であり、それを誰が易々と聞き入れてくれるだろうか。
「うむ。歓迎するのである」
しかし、ジェイクはすんなりと受け入れてくれた。
しかも、かなり良い笑顔をしながら。
「そ、そうか・・・。感謝する・・・」
あまりにもあっさりとした対応に戸惑いながらも、ニノは礼を述べた。
見れば、記録係がものすごい勢いで何やら冊子に書き記している。このやり取りが、後世に伝えられるのだろうか。
「お、お待ちください!ジェイク殿!」
「そうです!そんなに簡単に決めてしまって良いのですか!?」
彼らの発言が逆にグレンとヴァルジを安心させた。少しくらい渋ってもらわなければ、こちらを嵌める罠を疑ってしまう。
「良いに決まっているのである。悪逆非道な冥王国に苦しむ者であれば、それが例え種族を異ならせようとも助け合わなければならないのである」
「しかし!エルフが今まで我らに何かしてくれましたか!?それを急に仲間にしてくれなど、虫が良すぎます!」
「栄えある天守国の兵が、なんと狭量であるか。救いを求める者に手を差し伸べる事こそ、我らが使命であるぞ」
部下を叱りつけるようにジェイクは言う。
驚く程の聖人ぶりである。
「しかし、それをテュール律国とブリアンダ光国が納得してくれるかどうか・・・」
「むむむ・・・。それもそうであるな・・・。吾輩の独断で決めるのは早計であるか・・・?」
一件落着かと思われた矢先、今度は一転して雲行きが怪しくなる。しかし、それは当然の流れであるため、グレンとヴァルジに動揺はない。
それでも、一旦は承諾された事であるため、ニノは不服そうであった。
「待て。貴様、一度認めた事を反故にするつもりか?我らが異種族という理由で、仲間には出来ないとでも言うつもりか?」
彼女としても、一族全体の命運がかかっているため必死である。ジェイクの人の良さに付け入るような発言をしたのも、そのためだ。
「い、いや!そのような事はないのである!しかし、これは吾輩の一存で決めて良い事柄ではない事ゆえ!しばし時間をいただきたい!」
「『しばし』とは、どれくらいだ?その間、我らエルフ族が滅ばないという保証がどこにある?貴様に責任が取れるのか?」
「むむむ・・・。困ったであるな・・・」
筋骨隆々の大男が、華奢な女性に言いくるめられている光景は非常に滑稽であり、可哀想であった。ものすごい勢いで筆を走らせる記録係の手を止めてやりたいと思う程に、グレンは同情する。
「ニノ殿。焦る気持ちは分かります。しかし、頭ごなしの要求をしても相手を困らせるばかり。ここはジェイク殿の言う通りにしましょう」
そこでヴァルジが仲裁に入る。
ニノはジェイクに集中するあまり気付いていなかったが、周りの兵達が彼女に対して敵意を向け始めていたがためであった。無礼と取られて然るべき態度であったため、彼らの感情は間違いではない。
「おお。礼を言うのである、ご老人。吾輩、頭を使う事がどうも苦手なのであって」
その言葉に、グレンは親近感を覚えた。ただ、初対面の相手に気さくに話し掛けはしないため、事の成り行きを黙って見守る。
そして、眉間に皺を寄せて考え事をしていたジェイクは、ふいに顔を輝かせると、
「そうである!我ら、今から天子様のおわす『天示京』に戦勝報告をしに戻る所なのである!エルフの使者殿も同行しては如何だろうか!?その都市には他の同盟国の者も滞在している故、エルフ族が同盟に参加できるよう説得してみるのである!」
と言ってきた。
信じられない程に協力的である。
それが何かを企んでのものではない事は、ジェイクの笑顔を見れば分かった。ニノへの態度からも察せられるように、この者は正真正銘の善人なのだ。
他者を見捨てず、全てを守る。厳つい顔とは裏腹に、透き通った心の持ち主であった。
「それしかないのならば・・・分かった。宜しく頼む、ジェイクとやら」
その提案をニノも了承した。相手が人間であるためか、未だ仏頂面であったが、どこか気持ちが弛緩した雰囲気を纏っている。
「うむ!任されたのである!――では行くぞ!皆の者!」
ジェイクは振り返り、仲間に号令を掛ける。それを受け、兵士達は力強い応答の言葉を返した。
しかし、彼らの顔には大なり小なり不服が見え隠れしており、グレンは一抹の不安を覚える。ニノの使命が、未だ終着点から程遠い事を痛感するのであった。




