4-1 職人
フォートレス王国には、王都ナクーリア以外にも様々な都市がある。
それぞれに特徴づけられた発展がなされており、その中でも取り分け有名なのが『技術都市レノ』だ。
その名の通り、王国の技術が結集している街である。
武器、防具などの戦闘に使う物を専門に作って来た歴史があるが、今では日用品までも手掛けるようになっていた。長い間他国との戦争に縛られていた王国は今、生活を豊かにするための繁栄を目指している。
それでも武器や防具を専門的に作る職人は未だ多くおり、その者達を尋ねに来る戦士も多くいた。
彼もまた、その中の1人である。
そしてその隣には、この街に似つかわしくない少女が2人付き添っていた。
「アタシ、ここに来るの初めてっす」
金属と汗の臭い、打ち付けられる槌の音と男達の豪快な話し声、立ち並ぶ鍛冶屋に職人達の半裸姿――それらに関心を向けつつ、レナリアは口走る。
「私は何度も来ていますから、案内は任せてください」
そんな彼女に、笑顔で語り掛けるのはエクセだ。
少女は今、お出かけ用の服に身を包んでいる。淡い水色のワンピースがとても可愛らしく、男だらけの空間では一種の清涼剤のようにも感じられた。頭には大きな白い帽子を被っており、日焼け対策も万全である。
ちなみに、レナリアはいつも通りの服装だ。
「そう言えば、ここはファセティア家の領地だったな」
こちらもいつも通りの服装であるグレンが、エクセに向かってそう言った。
彼の言葉通り、『技術都市レノ』はエクセの実家であるファセティア家が管理している。初代ファセティア家当主が、初代フォートレス国王からその権利を与えられたのだ。
物が生まれる都市なだけあって、この街の収益は莫大であり、その一部が税金として毎月ファセティア家に納められている。それから更に国王への税金が支払われているが、それでも使い切れない程の大金が手元に残った。
一応、これでも戦争が無くなったことを理由に税率を下げてはいる。
しかし、そのような事などお構いなしに、領主に利益をもたらすのがこの街なのだ。
その見返りとして、ファセティア家は街の警護に力を注いでいる。私兵を数多く常駐させており、その実力は騎士団程ではないが、確かだと言われていた。あのバルバロットの兵なのだから、そこに疑問を差し挟む余地はないだろう。
「やっぱ六大貴族は違うっすねー。『お嬢様っ!』とか、呼ばれてたりするんすか?」
「あ・・・いえ・・・そのような事は――」
「お嬢様ぁっ!」
確実にエクセの事だろう。
1人の中年男性が、グレン達に向かって走って来ているのが見える。
その男は、この街の市長であった。全力疾走で3人の目の前にまで辿り着くと、市長は肩で息をしながら、こう言う。
「はあっ・・・はあっ・・・!お越しになるなら・・・連絡してくださればいいのに・・・!」
「す、すいません。今日は個人的な用で来たものですから・・・」
「それでも・・・私としては・・・こう・・・歓迎を・・・!」
どうやら――と言うかやはり、この街ではファセティア家の人間は特別なようだ。もしかしたら、それが嫌でエクセも連絡を入れなかったのかもしれない。
「ですが、よくお気づきになられましたね?」
「それは、当然です・・・!お嬢様がいらっしゃると、必ず若い連中が騒ぎ立てますので・・・!すぐに連絡が来ましたよ・・・!」
女性がいない訳ではないが、男だらけのこの街で、エクセは異常に目立つ。
容姿、家柄、性格――その全てが男達を虜にし、エクセがたまに訪れる日の前日などは緊張して眠れない者も現れる程であった。
そのような存在であるため、少女に声を掛けようとする男は大勢いる。しかし、普段はバルバロットが同行してるため、それが出来ずじまいであった。
そして今回も彼女の隣には別の大男がおり、他の男達は指を咥えて見ている事しか出来ないのである。
そんな彼を、市長も不思議そうに見つめる。
「お嬢様・・・。こちらの御仁は、どなたでしょうか・・・?護衛の方ですか・・・?」
エクセが1人でここを訪れることはないため、極々自然な発想であった。加えて、レナリアの事も護衛と認識していたが、エクセの隣に立つにはグレン程の違和感はなく、問い質すつもりはない。
「いえ、こちらはグレン様です」
「グレン様・・・?となると、王国の英雄と謳われる?――なるほど、領主様が親しくしていらっしゃると伺っていましたが、お嬢様とも仲がよろしい様で」
にこやかな笑顔を見せてくる市長に対して、グレンは軽く会釈する。
初対面の人間に対する挨拶は、それだけで終了だった。
「それで、今回のご用件はなんでしょうか?視察ですか?それともファセティア家の私兵に――ああ、それでグレン様をお連れに」
独りで勝手に納得する市長。
そうではないと、エクセは頭を振った。
「そのどちらでもありません。今日は、グレン様の刀を直しに来ました」
「修繕のご依頼ですか。畏まりました。刀匠の御指名は御座いますか?」
「ジオンドールさんにお願いしようかと思っています」
「承りました。それでは、ご案内いたします」
「あ、大丈夫です。ジオンドールさんの職場でしたら、訪ねた事がありますので」
「しかし、お嬢様――」
「本当に大丈夫ですから。市長さんも、御自分のお仕事に戻ってください」
「・・・・・・そうですか・・・?そこまで、仰るのなら・・・」
そのような結論になり、市長はすごすごと去って行った。途中、何度かこちらを振り返るあたり、彼もエクセの世話がしたかったのだろう。
「随分と親しいようだな?」
その様子から、グレンはエクセに問う。
「この街には、幼い時から来ていますから。皆さん、お友達みたいなものなんです」
「そうっすよね。いきなり『お嬢様っ!』っすもんね」
レナリアの揶揄うような言葉に、エクセは「もう、レナリアさん!」と注意をする。この2人も随分と親しくなっていた。
(なるほど。エクセ君の人付き合いの良さは、ここで培われたんだな)
グレンはエクセが交友関係を大事にしている事を知っている。いつの間にか年上の女性と親しくなっていたのに驚きを感じた事もあったが、こういう事情を知れば、それも納得できた。
そして、自分と親しくなったのも。
「グレン様?」
「ん?」
そんな事を考えていたものだから、エクセの呼び掛けに驚いて反応しまう。
しかし彼らしく、表情は変わらなかった。
「あ、すいません。驚かせてしまいましたか?」
「え?旦那っち、今の顔で驚いてたんすか?」
長い同居生活の末、エクセはグレンの変わらぬ表情から、彼の感情を読み取ることが出来るようになっている。そのため、レナリアの方が一般的な反応だ。
ただ、グレンが素直にそれを肯定する訳もなく、
「いや、問題ない。どうした?」
と言って、誤魔化した。
「そろそろ、目的の鍛冶屋さんに向かおうかと」
「あ、ああ。そうだな。行くとしよう」
いつまでも立ち止まっていては他の歩行者の邪魔になるため、グレンはそう言う。そして、エクセの先導に従い、目的の鍛冶屋へと向かうのであった。
立ち並ぶ建造物の中、一際古めかしい小屋があった。
中からは金属が打ち付けられる音が漏れ聞こえ、ここが鍛冶屋であることを教えてくれている。
グレン達は今、その店先に辿り着いていた。
「ここが、ジオンドールさんのお店です。鍛冶職人の中では一番の腕利きで、職人組合の会長さんでもあるんですよ」
「ほう。それは素晴らしいな」
この街一番の職人と言う事は、王国一の職人と言っても過言ではない。
グレンは高まる期待に胸を躍らせた。
「しっかし、暑いっすねー。店の外でこれだけの暑さなら、中はどうなってるんすか?」
「ふふ。とても暑いですよ。ですから、今日は涼しめの服を着て来ました」
「だったら、いっそのことアタシみたいな服にするといいっす。旦那っちも喜ぶと思うっすよ」
「馬鹿な事を言うな。エクセ君にお前みたいな服は似合わない」
「とか言っちゃって。本当は頭の中で想像しちゃったんじゃないっすか?」
図星である。
「黙れ。――エクセ君。レナリアは放って、中に入るとしようか」
「ふふ。はい」
「ああ!ひどいっす!アタシも行くっす!」
3人は仲良く、鍛冶屋へと足を踏み入れた。
「む・・・」
「う・・・!」
途端、押し寄せる熱気。
販売も兼業している鍛冶屋であるならば、熱に配慮した構造をしているが、ここは完全に製造と修繕のみを行っている。そのため、店員の挨拶の代わりに、熱波が出迎えてくれるのだ。
一応の覚悟をして入ったのだが、エクセ以外の2人は予想以上の暑さに一瞬足が止まる。
「旦那っち、この暑さも斬って欲しいっす・・・」
「今は、刀がない・・・」
無理だ、と言わないあたりがグレンであった。
その返答に驚きもしないレナリアもおかしかったが。
「もう無理っす・・・。脱ぐっす・・・」
そう宣言して、レナリアは外套を外す。しかし、今度は露出された肌に熱が直撃するため、むしろさっきよりも暑さを感じた。
「うう・・・!これも別な感じで暑いっす・・・!八方塞がりっす・・・!」
「仕方ない。お前は、外にいろ」
そこで、グレンはある事を思いつく。
今回レナリアを同行させた理由は、詫びとして何か買ってあげるためである。この街でならば、勇士としての彼女に必要な物が見つかるはずであり、自分の刀を直すついでに丁度良いと判断した。
そのため自分の用事が終わるまでの間に、レナリアには独りで買い物をしていてもらおうと考え付く。
「レナリア。金を渡す。待っている間、それで好きな物を買って来い」
「あ、それ、いい考えっす・・・。じゃあ、いただくっす・・・」
レナリアが外套を持っていない方の手を差し出すと、グレンは懐から取り出した小袋をそこに乗せた。それは少女の小さな手には収まりきらず、袋がたるんではみ出してしまう。
「重・・・!旦那っち、これ、いくらあるんすか・・・?」
「知らん。刀の修繕にいくら掛かるか分からんから、預けていた分から適当に持ってきた」
「てことは、旦那っちの懐の中には、まだこれくらいの小袋が・・・?」
「ああ。いくつかあるぞ」
レナリアは驚愕する。
そして、小袋の中を確認して、もう一度驚愕する。
その中に入っていた硬貨は、全て金貨であったのだ。おそらく、ユーグシード教国への同行依頼を達成した時の報酬と同じくらい入っている。
「やっぱり・・・英雄ともなると、お金持ちなんすね・・・」
「使わんだけだ」
と、グレンは答えたが、別に不自然な話ではない。
15年前の戦争における莫大な報酬、兵士時代の――当然、規格外の――給金、そして勇士になってからの報酬などが積み重なっているのだ。たまの浪費を除けば、大きな出費をしない彼の貯蓄は相当なものになっていた。
「これなら、家も買えそうっす・・・」
「お前がそうしたいなら、それでいい」
さすがにそれは無理なのだが、レナリアは「わーい・・・」と言うと、店の外へと向かって歩き出す。暑さに肌と頭が限界であった。
それを見届けると、グレンは鍛冶屋の中を見渡す。
先ほどからエクセが会話に入ってこない事に違和感を覚えていたが、今は姿すら見えない。どうやら1人で奥に進んで行ったようだ。勝手知ったる、というものか。
グレンも後を追うように、奥へと進む。
すると、すぐに話し声が聞こえてきた。
1人はエクセのもの。もう1人――いや2人か――は、男の声であった。おそらく、この鍛冶屋の職人であろう。
「――エクセ君」
とりあえず、エクセの名を呼びながら合流する。
そこにはやはり、少女の他に2人の男がいた。
1人は正に鍛冶職人といった風貌の人物。どっしりと椅子に座っている様が、妙に雰囲気がある。
髭や髪が白いため年老いているのは分かるが、腕の太さや体の大きさは現役の戦士のそれと同等であった。それでもそれが鍛錬ではなく、日々の労働によって培われているのは想像に難くない。熱で何度も焼けた肌が、熟練の職人である事を物語っていた。
もう1人は、比較的若い職人である。老人の弟子なのだろうか。
「あ、グレン様」
「ほう。こいつが英雄グレンか。なるほど、良い体してやがる」
「おー。初めて見ましたよ」
好奇の目に晒されたグレンは居づらさを感じたが、礼を失しない様、頭を軽く下げて挨拶をする。
「どうも。グレン=ウォースタインと言います」
その態度に、2人は驚いたように顔を見合わせた。
しかし、すぐに態度を改めると、それぞれに口を開く。
「俺は、ジオンドール=ゼオフィスト。話は嬢ちゃんから聞いてる。後は任せときな」
「俺は親方の弟子のベンディ=ウェイカーって言います。英雄様とこんな所で会えるなんて、思ってもみなかったですよ」
と言いながら、ベンディと名乗った男はグレンに向かって手を差し出した。
グレンも、その手を握り返す。
武器を握るのとはまた違った手の硬さを感じ、若者の日々の仕事ぶりを垣間見ることが出来た。
「おい、ベン。『こんな所』とはなんだ。ナメた口利きやがって。放り出すぞ」
「こんな素晴らしい所って事ですよ!さ、親方!そんな事より、グレンさんの刀を直して上げてください!」
「ったく。――おい。刀、見せてみな」
座ったまま手を出したジオンドールに向かってグレンは近づいて行き、軽くなった大太刀を渡した。重量から察せられる刀の状態に老人も顔を顰めるが、一先ず鞘から抜き放つ。
そして、刀身の全くない刀を目にし、さらに顔を歪ませた。
「こりゃ、ひでえ。折れた部分はどこいった?」
「それが、いくら探しても見つからなかったんです」
グレンの代わりにエクセが答える。
あの日の翌朝、傷心のグレンを慰めるため、エクセとレナリアは一所懸命に折れた刀身を探した。しかし欠片も見つける事が出来ず、時間もない事から諦めて引き上げていたのだ。
「一体、何をすればそうなるんだよ・・・」
「あれじゃないっすか?国を両断したとかいう噂の」
「馬鹿を言え。あんなの嘘に決まってるだろ。どうせ、他国を牽制したいお偉方の作り話だよ」
「いや、でも、実際に見たって騎士団の人が報告したそうじゃないですか?」
「それがどうした。俺は自分で見た物以外は信じねえよ。それが突拍子もない話なら、猶更だ」
ジオンドールは頑なに信じようとはしなかった。
グレンも無理に信じてもらう必要はないため、何も語らない。
しかし、エクセは違うようだ。
「そんな事はありません、ジオンドールさん。私は、この目ではっきりと見ました。グレン様は間違いなく、それ程の実力をお持ちなんです」
「そうか?嬢ちゃんが言うんなら、しょうがねえ。信じるぜ」
エクセの説得にすらならない言葉に、ジオンドールはあっさりと自分の意見を取り下げる。弟子のベンディは、そんな師匠を呆れたように見つめていた。
「出た。親方は、ホントお嬢さんに甘いんだから」
「うるせえ。領主様の娘なんだから、当然だろ」
「いーや、絶対に別の理由ですね。お嬢さんがここに気兼ねなく来れるように、熱を防ぐ魔法道具をわざわざ作ってあげちゃうんですから」
その言葉に、エクセは隠し事を明かされてしまったという表情をした。
それをグレンは見逃さず、少女に笑いかける。
「なるほど。エクセ君が汗一つかかず平然としていられたのは、そのおかげか。黙っていた所を見ると、背伸びをしたかったのかな?」
「うう・・・。知られてしまいました・・・」
グレンの言葉は、そっくりそのままエクセの思惑を言い表していた。
エクセは単なる少女ではなく、フォートレス王国に属する貴族の頂点――六大貴族の1つであるファセティア家の娘である。
そのため、領地であるこの街では、それ相応の態度が求められ、その姿をグレンに見てもらおうと意気込みをしていた。
グレンが絡むと、妙に見栄を張りたくなるのがエクセなのである。
その上で、熱にも慣れているように振る舞いたかったのだ。加えて、汗まみれの姿を見せたくなかったというのもある。
「実は・・・この耳飾りが熱から守ってくれるんです・・・」
エクセは左耳につけた装飾品に触れながら、そう言った。
それは一見、お洒落で身に着けるような代物である。おそらくミスリルで作られているのであろう。薄い羽の形をした澄んだ青色の耳飾りは、見事と言うしかない一品であった。
「それが魔法道具である事は分かっていたが、そのような効果があったとはな」
言いながら、グレンは少女の耳飾りに触れる。
彼にしては大胆な行動であったが、そこに躊躇はなく、エクセにも動揺の色はない。
「ほう。お前、目が利くのか?」
そのやり取りにジオンドールは興味を持った。
基本、魔法道具を見ただけで、そうと判断するには職人としての経験が必要である。多くの物を見て、己で作って、漸く鑑定眼を手に入れるのだ。
その原理を職人に問うと、
『物の周りに、ぼやっとした霧のようなものが見えるようになる』
と答える者がほとんどであった。
それが魔法道具が発する魔力なのかは分からないが、とにかく職人にはそれが見えるのだ。
ただ、グレンにそれが見えている訳ではない。
彼は物体から漂う気配によって、それが魔法道具かどうかを判断していた。それはグレンにしか分からないような微細なものであり、多くの装備品を目にしてきた――それが彼の趣味である――経験によって、いつの間にか備わっていたものである。
「ええ。目利き、と言う程ではありませんが」
「いや、それでも大したもんだ。ベンなんかじゃなく、お前を弟子にした方が良いかもな」
「え!?嘘でしょ、親方!?」
ベンディの反応に、ジオンドールは豪快に笑う。
それだけで、この師弟の関係が理解できた。
「それはテメエの頑張り次第だ。――さて、話を戻すぞ。実はな、この刀なんだが、直すことは出来ねえ」
「ええ!?」
驚きの声を上げたのは、エクセである。
グレンも少しだけ表情を曇らせた。
「どうしてですか!?」
ジオンドールならば直せると思って、ここまでグレンを連れてきたのだ。これでは期待させるだけさせておいたようなものだ。
「勿論、刀身を作り直すことは出来る。朝飯前だ。だがな、こいつに込められていた能力を復元することは出来ん」
「能力、ですか?」
「そうだ。――おい、グレン。これ、アズラ=アースランの刀だろ?」
アズラ=アースランとは、グレンの持つ大太刀『二刀一刃』の制作者である。
ジオンドールがそれと判断したのは彼が熟練の職人であるからではなく、単に製作者を表す刻印が彫られていたためだ。
三角形の中に、ひし形が3つ。それがアズラ=アースランという職人が、自分の創作物に刻む印であった。
「はい、そうです」
「この鞘は、『二刀一刃』か。能力は単純だが、構造は複雑だ。俺には復元できねえ」
「そんな!ジオンドールさんでも、無理なんですか!?」
王国一の職人と謳われる者に出来ないのならば、もうこの国には直せる見込みのある人物はいない。その事実に、エクセは持ち主であるグレン以上に悲観した。
「すまねえな、嬢ちゃん。アズラ=アースランって職人は、それ程の存在なんだ。伝説と言ってもいい。丁度、他の戦士に対するそこの英雄みたいなもんだ」
グレンも能力の復元までは高望みであると覚悟していたが、完全に直る事は絶対にないと告げられるとやはり堪えた。
その感情の機微を、エクセは察知する。
「なんとかなりませんか・・・!?このままでは、グレン様が悲しまれてしまいます・・・!」
「いや、いいんだ、エクセ君。これは私が招いた事態。諦めるとするよ」
「ですが・・・」
気を沈める2人に影響されて、ベンディまでもが切ない気分になった。
しかし、その中でジオンドールだけは豪快な笑みを浮かべている。
「そこで、だ。グレン、お前には、俺が作った刀をくれてやる」
意外な一言に、全員の視線が老人に注がれた。
「貴方が作った刀を・・・?」
「そうだ。さっきはああ言ったが、俺だってアズラの野郎に追いつくのを諦めた訳じゃねえ。今だって、研鑽に研鑽を積んでいる。そん中で出来た俺の最高傑作を、お前にくれてやるよ」
「お、親方!それって!」
それが、どの作品を指しているのか知っているベンディが色めき立つ。ジオンドールは、意味ありげな笑みを弟子に向けると、
「ああ。――おい、ベン!持ってきな!」
と指示をした。
「は、はい!」
威勢の良い返事をしたベンディは、その勢いのまま走り出す。
グレンとエクセは、そのやり取りをただ見つめていた。
しかし、同時に期待もする。どのような一品を見せてくれるというのか。
「持って来ました!!」
ベンディが大事そうに抱えて持ってきたのは、『二刀一刃』と同じ大太刀であった。
それだけで、グレンの期待は高まる。やはり、今まで使っていた物と同様の武器というのは好印象であった。
「こいつが俺の最高傑作『雪月花』だ。白塗りの鞘に、白の鞘糸。名前は見た目から適当に付けたが、刃には俺の全力が注いである」
ベンディから『雪月花』を受け取ったジオンドールは、刀を鞘から少しだけ抜く。白塗鞘に負けない、白銀の刀身がグレンの目に映り、思わず見とれてしまった。
「美しい・・・」
まるでエクセのようだ。
言いかけた言葉を飲み込み、グレンは『雪月花』を見入る。
「へっ。第一声がそれか。やはり俺の見込みは間違っちゃいねえな。こいつは世にも珍しい白色アダマンタイトを使っている」
「アダマンタイトは、職人でも一握りの人間しか扱えないんですよ」
師匠の解説に、ベンディが付け加える。
「ジオンドール殿。貴方の腕は、すでにアズラ=アースランを超えているのでは?」
「ははっ!かなり嬉しい誉め言葉だが、そこまでじゃねえよ。ま、こればっかしは職人じゃなけりゃ分からんからな」
「いや、実際親方は凄いと思いますよ。アズラとかいう人よりも上ですって」
「それはお前が未熟だからだ、ベン。――っと、話を戻すぜ。グレン、お前にはこいつをくれてやる」
そう言って、『雪月花』を差し出すジオンドール。
グレンは逸る気持ちを抑え、まずは客として当然の質問をした。
「いくらですか?」
いくらでも構わなかった。
どれだけ高くても手に入れるつもりであったし、もし手が届きそうになかった場合でも金を借りる宛はいくつかある。
しかし、グレンの言葉に対して、ジオンドールは首を横に振った。
「金はいらねえ。俺の頼みを聞いてくれればいい」
それもまた、構わない事である。
どこぞの鉱山に行って、鉱石を取って来るのか。あるモンスターからしか取れない素材を入手して来るのか。それとも、また別の何かか。
いずれにしろ、拒否するつもりはなかった。
「――嬢ちゃんがな」
しかし、続く言葉にグレンもエクセも意表を突かれた。
「え?私、ですか?」
「そうだ。嬢ちゃんにしか出来ねえことだからな」
エクセに語るジオンドールの目は真剣そのものである。
そこから、彼の要望が領主であるファセティア家の者に対しての物であることが分かった。
ジオンドールは職人組合の会長であることから、職人達を守るために動く時がある。税率の軽減や職場環境の改善などがそうであり、時には領主であるバルバロットにも意見をした。
そして、今回は彼の代わりにエクセに話を聞いてもらおうと言うのだ。
バルバロットの不在を利用しようとした訳ではなく、エクセも立派な領主の1人であると捉えているが故の行動であるのに疑いはない。彼の表情が、それを物語っていた。
「わ、分かりました・・・。伺います・・・」
無論、エクセだけでは判断できないこともある。
ただの娘である彼女には、そこまでの権力はなく、勝手が許されている訳ではなかった。しかし、それを理由にジオンドールの話を拒否しては、せっかくの彼の信頼を裏切ることになってしまう。
故に、エクセは力強い眼差しで老人を見つめ返した。
「そうか。じゃあ、言うが。俺が嬢ちゃんに頼みたい事は、ただ1つ――」
エクセはジオンドールの言葉に集中する。
「――1回だけで良い・・・俺の事・・・お・・『おじいちゃん』って呼んでくれねえか・・・?」
「・・・え?」
あまりにも意外な要望に、エクセも拍子抜けしたような声を漏らす。
ジオンドールの顔は恥ずかしさで赤くなっており、先ほどの言葉が冗談ではないことを理解できた。
「うわ。親方、きも」
その様子を見たベンディが素直な感想を口にする。
弟子の無礼な発言に、ジオンド―ルは堪らず立ち上がった。その体躯はやはり大きく、ベンディを見下ろす形になっている。
「う、うるせえ!嬢ちゃんの事は小せえ頃から知ってんだ!孫みてえなもんだろ!」
「そういう問題じゃないでしょ。っていうか、親方にはお孫さんがいるじゃないですか?その子じゃ駄目なんですか?」
「うちのは、まだ喋れねえんだよ!それに、孫が生まれたから呼んで欲しい訳じゃねえ!」
「てことは、前々から言って欲しかったって事っすね・・・。よりきもいっすわ・・・」
その言葉はさすがに限度があったのか、ジオンドールは弟子の頭を思いっきり殴りつける。鋼鉄のような拳が頭に激突し、ベンディはその場で蹲ってしまった。
グレンとエクセは先程の発言も含め、その光景に唖然とする。
その視線を感じ取ったジオンドールはちらりとエクセの方を見ると、
「だ、駄目かよ・・・?」
と尋ねる。
「い、いえ・・・!私もジオンドールさんの事は、祖父のように思っていましたので・・・だ、大丈夫です!」
精一杯の気遣いを込めて、エクセはそう言う。
そして、「こほん」と軽く咳ばらいをすると、期待を昂ぶらせる老人に向かって笑みを浮かべた。
「お・・・お爺様!」
眩いばかりの笑顔と共に、出来る限りの愛嬌を込めて、エクセは言葉を発する。
その声には、隣で聞いているグレンも少しばかりの高揚感を覚えた。
では、言われたジオンドール本人はと言うと、
「ま・・・参ったな、おい・・・!『お爺様』と来たか・・・!」
と、完全に照れ切っていた。
その顔はにやけており、彼の厳格さが跡形もなくなっている。
「デレッデレじゃないですか、親方・・・」
痛みから立ち直ったベンディがすかさず突っ込みを入れた。
「うるせえ、つってんだろ!」
それを叱りつけると、ジオンドールは再度『雪月花』を差し出す。
「さあ、嬢ちゃん――じゃねえ、グレン。こいつを受け取ってくれ」
「は、はい・・・」
この場合、エクセに礼を言うのが筋な気もするが、グレンはジオンドールに向かって頭を下げた。
それでも新しい自分の武器を手にすると、満足感に思わず小さな笑みを作る。
やはり、新しい装備は良い。
しみじみと思いながら、グレンは大太刀『雪月花』の重みを感じていた。
「グレン様に喜んでいただけて何よりです。ありがとうございました、ジオンドールさん」
「おっと、礼を言うのはまだ早えよ。それはこいつの試し斬りをした後だ」
ジオンドールの言葉に、エクセは首を傾げる。
「試し斬りですか?」
「そうだ。始めに言ったが、こいつは俺の最高傑作だ。ぜひ、最初の一刀をこの目に収めたい」
まだ一度も物を斬ったことのない新品と知り、グレンは更に『雪月花』の事を気に入った。新雪に初めて足跡を付けるのが自分である事を誇りに思う。
「おい、ベン。試し斬りが出来るような物、持って来い」
「分かりました。とりあえず、アダマンタイトとかで良いですかね?ここにある中で、一番固いですから」
「おう。なるべくデカい奴を持って来い。俺達は外で待ってる」
「へーい」
さすがにこの場で刀を振るう訳にはいかず、ジオンドールの言葉通りに皆は動き出す。
鍛冶屋の熱に慣れたのか、グレンは外に出た際に少しばかりの肌寒さを感じた。
「さて、ベンが来るまでにそいつの説明でもしてやろう」
ジオンドールはグレンの持つ『雪月花』を指差しながら言う。
「説明?この刀にも何か能力があるんですか?」
「当たり前よ。職人の醍醐味ってのは如何に良い武器を作るかってのの他に、どれだけ良い能力を装備に付与できるかってのもあるんだ。魔力負荷が少なく、誰でも扱えるのが最高だな」
なるほど、とグレンは思う。
魔法道具が持つ魔力負荷は、装備の持つ能力の質や数によって変動するが、それを抑えるのも職人の腕の見せ所なようだ。
魔力負荷に耐えるために必要な装備容量が一般的なグレンにしてみれば、願ったり叶ったりな事柄である。
「で、そいつの能力なんだがよ。『使用者の実力に応じて切れ味が増す』ってやつだ。実力者であればあるほど効果が高くなるのは、『二刀一刃』と似た様なもんだな」
「それはグレン様に相応しいですね!」
『雪月花』の能力を聞き、一番に喜びの声を上げたのはエクセであった。
グレンは「使いやすそうだ」という感想を持つ。
「グレン様程の絶大な力をお持ちの方ならば、その刀の鋭さは比類なきものになるはず!きっとどのような物でも簡単に斬ってしまわれます!」
「ほう、そんなにか。嬢ちゃんは、よっぽどこいつの事を評価してんだな」
「勿論です!ジオンドールさんも、グレン様の実力を目にすれば、きっと驚かれると思いますよ!」
はしゃぐエクセと同様に、グレンも己の新たな力を試したくなっていた。
早く試し斬り用の鉱物が来ないかと入り口に目を向けると、丁度良くベンディが出て来る。
「はい。持って来ましたよ」
ベンディが両腕で抱えてきたのは、成人男性の頭くらいあるアダマンタイトであった。黒光りする表面が特徴的な金属だ。
「おし。じゃあ、グレン。さっそく始めてくれ」
ベンディが地面にアダマンタイトを置くと、ジオンドールが指示を出す。
それに軽く頷くと、グレンは金属と相対した。
猛る気持ちを抑え、柄に手を掛ける。待ち行く人々も、老舗の鍛冶屋から出て来た者達が何やら始めたのを遠巻きに見つめていた。
呼吸を整え、意識を最大限まで鋭くする。今ここにいるのは、自分と標的だけ。
例え相手が無機物であっても、それ程の精神統一が彼には出来た。
そして、左手の親指で鍔を押し出す。
僅かな抜刀の微かな音が、喧騒満ちる通りに静かに響いた。
それと同時に、目の前の金属が真っ二つになる。
「・・・・・・ん?」
疑問の声を上げたのはグレンだけであったが、その現象を目にした全ての者が同じ感想を持った。
刀を振ってもいない――それ以前に抜き切ってもいないのにも関わらず、最高の硬度を誇るアダマンタイトが両断されている。
何が起きたのか、さっぱりであった。
皆、それを説明できるはずである唯一人の人物に、回答を求めるように視線を送る。
「こりゃあ・・・。すげえや・・・」
腕組みをしたジオンドールは、感心したような、呆気に取られたような言葉を口にした。そんな彼に向かって、エクセが説明を促す様に問い質す。
「あの、ジオンドールさん・・・。今のは、一体・・・?」
「ああ・・・。おそらくなんだが・・・。グレンの奴が強すぎるせいで、『刀を抜く』という行為が『刀で斬る』に昇華したみてえだ・・・」
その言葉には、周りにいる全職人が眉間に皺を作った。
代表して、弟子であるベンディが否定的な意見を述べる。
「えぇ・・・。親方、それは流石に無理があると思いますよ・・・」
「俺だって、信じられねえよ。自分で打った刀にここまでの潜在能力があるなんてな。いや、ここはそれを引き出したグレンを褒めるべきか?」
賛辞を贈られながらも、当のグレンに変化はない。
ただ、今度はゆっくりと剣を抜いていた。
「お、おい!」
それが何を意味するのか、先ほどの光景を見ていた者ならば容易に察することが出来るため、ジオンドールは慌てたように制止の声を上げる。周りにいる人々も、腕で体を守る様な仕草をしていた。
しかし、今度は何も起こらない。
「な、なんでえ・・・。驚かせやがって・・・」
「ほら、親方。やっぱりさっきのは、偶然だったんですよ。偶々、丁度良く石が割れただけですって」
周りの職人達もその意見に同意なようで、近くにいる者達と「やっぱりな」と言った風な会話をしていた。
それでも、ジオンドールには自分の意見が正しいような気がして、刀を持つグレンの姿を熱心に見つめている。そして、それはエクセも同様であった。
少女はグレンに近づいて行くと、
「今回は何も起こりませんでしたね?」
と聞く。
その問いに対して、グレンは己の中で構築した答えを伝えた。
「どうやら、敵意の有無が関係しているようだ」
「それは・・・つまり、攻撃する意志、ということですか?」
「ああ。対象を斬るつもりで刀を抜くと、斬撃が発生してしまうらしい」
「では、そうしなかったから、今回は何も起きなかったという事ですか?」
「その通りだ」
2人のやり取りは、当然周りにいる者達にも聞こえていた。それにより、先ほどまでジオンドールの意見に否定的な考えを持っていた者達も「もしかしたら」と思い始める。
グレンは、そんな彼らを気にも留めず、自分の新しい武器をじっくりと眺めていた。
「素晴らしい刀だ。しかし、使用には注意が必要だな」
淡々と語られるその言葉から、彼が冗談を言っている訳ではないことが分かる。
グレンは刀を鞘に納めると、ジオンドールの方へ体を向けた。
「感謝します、ジオンドール殿。これ程の物は、そうは手に入らないでしょう。大切に扱わせていただきます」
「お、おう・・・」
そう言うグレンに辛うじて返事をするジオンドール。
グレンは老人に頭を下げると、今度はエクセに向かって、
「では、エクセ君。レナリアと合流して、王都に帰るとしよう。今度は、君への詫びの品を買わなければ」
と言った。
「はい、分かりました」
グレンの提案に頷くと、エクセはジオンドールに向けて頭を下げる。
「では、ジオンドールさん。ありがとうございました」
「お、おう・・・。またな・・・」
エクセの言葉に手を振って応え、ジオンドールは2人を見送る。
あとに残った者達は、先ほどの光景を今夜の肴にしようと思うであった。




