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紅蓮の英雄  作者: 時つぶし
神を継ぐ者
46/86

3-17 戦刃

 起床後のジェウェラは服飾棚を開けると、大神官用の装束を手に取る。

 神官の物より少し豪華なそれは、他の大神官の物と比べてもそれほどの差異はない。それでも肩や胸の刺繍には各々の神を象った紋章が縫い合わされており、八王神に信仰を捧げている者であれば誰でも判別が可能であった。

 大神官の装束には、汚れることのなくなる『清浄』と形を保つ『保持』の加護が付与されている。そのため、ジェウェラが手にする装束は大神官という地位が作られてから今日(こんにち)まで、戦いの神に仕える大神官に代々受け継がれてきた由緒ある代物である。先代からこれを譲り受けた時に覚えた感動を、ジェウェラは今でもはっきりと思い出すことが出来た。

 その時の想いと共に、ジェウェラは装束を身に着ける。

 歳を重ねた彼には少し重く感じられる衣装であったが、それ以上に歴史という重みを全身に覚えていた。それと同時に大神官としての誇りも彼の内に宿り、そして次第に大きくなっていく。

 しばらく目を閉じ、それを実感するとジェウェラは錫杖に手を伸ばした。

 普段持ち歩く事はあまりないが、装束を着た直後は不思議と手に取りたくなってしまうのだ。

 その錫杖は初代教王によって作られた代物であり、神官以上の位につく者しか所持することを許されていない。

 そして、神官達の使う秘術の使用にはその錫杖が必要不可欠であった。

 秘術には攻撃や強化などの効果はない。あるのは物体や空間への干渉、そして連絡に関する効果だけであった。そのため戦闘に用いられることはなく、せいぜいが『加護』の付与された武器や防具が用いられるくらいである。

 神官になると、そのような秘術の習得許可を手にすることができ、それを以って神に仕える存在として一人前と認められた。つまりは神官以上でなければ秘術の習得は禁じられており、もし発覚したのならば即破門と定められている。

 しかし、ジェウェラもそうだが、それを破る者が一定数いるのが現状だ。

 それは己の信仰のため、己の野望のためであり、その者達にしてみれば至極真っ当な理由であることから「正しくない」という認識はない。

 ジェウェラの作った『戦刃』も、そのような意思の下に成り立っており、彼らの信仰は間違いなく戦いの神に捧げられていた。

 その信仰心を確認するために、ジェウェラは錫杖を手にするのかもしれない。それは暗に自身の行いに対して「正しくなさ」を感じているだろうが、それを肯定出来ない程に彼は己の信仰を進めてきてしまっていた。

 勿論、後悔はしていない。彼の仲間が死んだことも全ては神のためであり、名誉ある事なのだ。ただ、少しだけ自分の信仰に陰りが生じている事も認識はしており、そのせいか彼が錫杖を手にする時間は日に日に長くなってきている。

 まるで何かに縋っているようだな、とジェウェラは自嘲した。

 意を決したように錫杖から手を放した後、今更ながらに姿見で己の格好を確認する。大神官として振る舞わなければならない彼は、身嗜みについても気を使わなければならない。そうでなければ彼に付き従ってくれる者達に示しがつかず、またその者達にも恥をかかせてしまうからだ。

 「ははっ・・・」

 そんな事を考えることすらなかった過去を思い出し、今度は声を出して自嘲する。神官、そして大神官という地位に付くということが、これほどまでに自分を変えることになるとはジェウェラ自身思いもしなかった。

 もしかしたら、リットーにもこのような変化が起こったのかもしれない。

 かつて同じ神に仕えた人物の昔の表情を、おぼろげながらに記憶から掘り起こそうとする。

 しかし、その作業は部屋の扉を力強く叩く音に中断させられた。

 「ジェウェラ様!ジェウェラ様!起きていらっしゃいますか?ジェウェラ様!」

 その声はマリンのものであった。

 彼女にしては珍しく、酷く慌てている様子である。そのため、ジェウェラは急いで扉を開けた。

 扉を開けて対面したマリンは普段よりも狼狽しており、その顔には悲壮感がありありと見受けられる。

 「どうしたと言うのです、マリン!?一体、何が・・・!?」

 「ジェウェラ様・・・!ハルマンが・・・、ハルマンが・・・!」

 「ハルマン・・・?彼の身に何かあったのですか・・・!?」

 言いながらも、ジェウェラは底知れぬ不安をその身に抱いていた。

 普段感情の起伏が少ないマリンがこれ程までに取り乱す理由、それにジェウェラが思い当たらない訳がない。今感じている不安は、仲間の1人であるモンドから迫りくる死を伝えられた時に感じたものとよく似ていたというのもあるだろう。

 「ハルマンの遺体が、知識の神殿にあると!絶対、リットーの奴が!」

 普段感情を露わにしないせいだろうか、マリンは心だけでなく言葉も乱していた。それでも全てを理解したジェウェラは急いで部屋を出る。その後を、目を赤くしたマリンが続いた。

 (何故?何故!?何故・・・!?)

 あの少年には待機するよう命じておいたはずだ。

 いや、考えるまでもない。ジェウェラに尽くす事を生きる理由としているハルマンが、たった一日だけでも何もしない事を良しとする訳がない。彼はそれくらい実直な人間なのだ。

 そのハルマンが死んだ。

 マリンの口からは間違いなくその事実が伝えられており、リットーの名を出したことから彼が絡んでいる可能性があるのだろう。

 とにもかくにも事実を目にしなければ始まらない。ジェウェラの足は衰えてきた体に相応しくない程に大きく、そして素早く動いていた。

 そんな彼の視線の先にグレンの姿が映る。傍にはエクセもおり、何やら話をしていた。

 ジェウェラが2人に近づいて行くと、まず始めにグレンが彼に顔を向け、続いてエクセが振り向く。

 「これはジェウェラ殿――どうしたんです?」

 朝の挨拶でもしようとしたのだろう。

 始めは穏やかに語られたグレンの言葉であったが、ジェウェラの表情を見るや、一転してその顔と言葉に真剣実を含ませる。エクセも何か良からぬ事が起こったに違いないと不安を滲ませていた。

 「グレン様・・・エクセリュートさん・・・」

 教えていいものだろうか。

 ジェウェラは悩んだ。

 今回の一件は目の前の2人にも大いに関係している可能性があり、彼らはハルマンとも少なからず交流があった。伝えることこそが正しいのかもしれないが、まだ確証の取れていない悲しい事実を教えていいものなのか。

 「どうなさったんですか・・・!?」

 ジェウェラの後ろにいる女性の赤くなった両目を確認し、エクセが驚いたように声を掛けてきた。今の自分の顔を見られたことに動揺したマリンは少しだけ顔を隠す。

 「何かあったんですか?」

 グレンの2度目の問いに、ジェウェラは覚悟を決めたように話を始めた。

 確かではないが、ハルマンが亡くなったことを彼らに告げる。

 「ハルト君が・・・!?」

 ジェウェラの話を聞き、エクセは驚きのあまり口を手で覆う。グレンの表情に変化は起こらなかったが、その内側には驚愕と疑念が生まれていた。

 「何故、あの少年が・・・?」

 「それは分かりません・・・。私もマリン――マリナに言われて、今しがた知ったばかりですので・・・」

 「マリナさん、本当なんですか・・・!?」

 エクセの問いにマリンは頷く。

 「今朝の事です・・・。あの子は朝が苦手で、いつものように起こしに行ってあげました・・・。しかし部屋の中に姿はなく、探していると1人の警備兵が近づいてきました・・・。その方に言われたんです・・・。『知識の神殿』で見知った少年の遺体が磔にされているという噂を聞いた、と・・・。私は急いで向かいました・・・。そこで・・・磔にされた・・・あの子・・を・・・!」

 噂を流すよう指示をしたのは、何を隠そうリットーであった。

 「何故、そんな所でハルトが・・・?」

 グレンの疑問は、ハルマンの使命を知っている者であれば、誰でも答えることが出来た。

 しかし、マリンは「それは・・・」と言うだけで答えることが出来ず、その場は静まり返ってしまう。

 「グレン様、その事については後程説明いたします。今は、ハルトの件を確かめさせてください」

 ジェウェラの言葉に、グレンは自分が彼らを呼び止めてしまったことを察した。

 「これは申し訳ない。どうぞ、先を急いでください」

 グレンがそう告げると、ジェウェラとマリンは一礼をした後、足早に去って行ってしまう。グレンは彼らの姿が見えなくなるまで見届けようとしたが、そんな彼の服をエクセが軽く引っ張った。

 「グレン様・・・」

 「ん?どうした、エクセ君?」

 「私達も向かった方がよろしいのではないでしょうか・・・?」

 「ん?ああ・・・、そうだな・・・」

 エクセの提案は知人の生死に関係している事柄なのだから、極々自然なものであった。しかし、少女にそのような人物の死体を見せたくないと考えたグレンは判断を鈍らせる。

 「とりあえず、私だけ向かう事にしよう。エクセ君はシャルメティエ達にこの事を伝えておいてくれ」

 一先ずそういうことにして、グレンは先を行くジェウェラ達を追いかけた。






 2人を視界に納めつつも、付かず離れずグレンは進む。

 少年の死という報は確かに衝撃的であったが、戦士である彼にとって他人の死は慣れた物であり、今ではすっかり心を落ち着かせていた。

 そして、目的の場所である知識の神殿へ辿り着く。

 遠くからでも、それは分かった。

 磔にされた子供が1人、確かにいる。そして、それは間違いなくグレンの知る少年であった。

 それが判別できるくらいにはハルマンの顔は綺麗なままであったが、その四肢はボロボロで腕や足が折れているのが目に見えて分かる。着用している黒装束が血に塗れていることから、服の下は凄惨な状態となっているであろう。

 「ああああああああ・・・!ハルマン・・・!」

 悲劇的な光景を目にしたジェウェラが叫ぶ。その声には絶望が宿り、その表情には悲痛が現れていた。

 少年の元まで駆け寄るジェウェラとマリンの後ろ姿を見ながら、グレンはその場にいる他の者達に注意を向ける。かなり鍛えられた男達が磔にされた少年の下で屯しており、走って来る2人を待ち構えているようであった。

 「どーも、大神官様」

 その中の1人が、ジェウェラに向かって挨拶をする。彼の表情には2人に対する嘲りや侮りはなく、かと言って敬いや情けもなかった。

 「あ、貴方方は自分が何をしているのか分かっているのですか・・・!?こんな・・・年端も行かない子に・・・こんな事を・・・!」

 「と、言われてもね。こっちも仕事としてやっただけなんで」

 「仕事・・・!?子供にこんな仕打ちをすることが、貴方の職務だと言うんですか・・・!?」

 「いえいえ、違いますとも。自分達の仕事はリットー大神官の護衛です。昨晩、この少年がリットー大神官を襲いましてね。それで仕方なく対応した所、行き過ぎてしまい、このような結果に。全くもって、お悔やみ申し上げます」

 勿論、その言葉は嘘である。

 その事はハルマンを良く知るジェウェラやマリンだけでなく、少し離れて話を聞いていたグレンにも理解できることであった。

 しかし、それを否定するだけの材料はない。

 「この子がそんな事をする訳がない!人として真っ当な判断ができるのであれば、即刻彼を下ろしなさい!」

 それでも、ジェウェラはそう言うしかなかった。それはハルマンの名誉を守るため、彼をこれ以上辱めないため。

 「そうはいかんな、ジェウェラよ」

 「リットー・・・!」

 外の喧騒を耳にし、神殿からリットーが現れる。先の男とは異なり、彼の顔からはジェウェラに対する明確な侮蔑が見て取れた。そして、ジェウェラの顔にはリットーに対する怒りが浮かんでいる。

 「何だ、その目は?お前の所の信徒が迷惑を掛けたのにも関わらず、謝罪もなしか?歴代の大神官を含めても、お前以上の痴れ者はそうはいないだろうな」

 その言葉に怒りを覚えたマリンは、リットーに食って掛かろうとした。しかしそれをジェウェラが抑え、代わりに同じ立場の者として彼に言う。

 「リットー、貴方がハルマンをこんな目に遭わせたのか・・・!?」

 「仕方が無かろう。この小僧が儂の命を奪おうとしたのだからな」

 「だからと言って、このような仕打ちをするとは・・・!これは拷問だ・・・!我らの信仰においては、禁忌とされる行為のはず・・・!」

 「拷問ではない。小僧の抵抗が激しくてな。儂の雇った護衛も容易には無力化できなんだ。それ故、少々手痛い仕打ちを加えさせたら死んでしまっただけだ。言わば、正当防衛。なんら神に恥じることはない」

 「ならば、ハルマンを磔にするのも正当な行いだと言うのか・・・!?」

 「それもまた致し方のない事。再び同じ事が起こらぬようにするのも、皆の上に立つ大神官として必要な事だ。これは見せしめなのだ、ジェウェラよ」

 リットーの意見は正しくも聞こえた。

 しかし、ハルマンの人となりを知っているジェウェラにしてみれば、それは全くの出鱈目であり、信じるには値しない。この者は、ただ単にハルマンを傷つけたかったのだ。

 (いや、そうではない・・・。ハルマンの口から私の関与を証言させ、それを以って私に何らかの圧力を掛けようとしていたのか・・・?)

 リットーに従う神官や大神官は何人もいる。それでもそうでない者はおり、その筆頭がジェウェラであった。おそらく遂に自分を潰そうと動き出したのだろう、とジェウェラは思い至る。

 「だが安心しろ、ジェウェラよ。儂はお前まで疑ってはおらん」

 「なに・・・?」

 しかし、続くリットーの言葉にジェウェラは戸惑いの言葉を漏らす。

 「この小僧がお前の所の信徒だったとしても、お前と懇意にしていたとしても、儂はお前が儂の命を狙うとは全くもって考えてはおらん」

 それは確かにそうであった。

 ジェウェラはハルマンに対してリットーの監視を命じたことはあっても、リットーの殺害を命じたことはない。そのため、今回もハルマンが彼の命を狙ったという事が嘘だと分かったのだが、それを言っては意味がなかった。

 なぜならば、それはハルマンの意志をも踏みにじってしまう事になるからだ。

 ハルマンとジェウェラは『念話』によって離れた距離でも会話をすることが出来た。つまり、ハルマンは暴行を受けている最中であっても助けを呼ぶことが出来たのだ。

 しかし、それをしてしまっては2人の繋がりを証明してしまう事になってしまう。加えて信徒に『念話』を教えたことが露見すれば、それだけでジェウェラへの非難は免れないだろう。それを理解していたハルマンはただ黙って傷つけられ、そして死んでいったのだ。

 昨夜、聞こえたと思ったハルマンの声は、少年が思わず零した救難信号だったのかもしれない。

 「その通りだろう、ジェウェラ?」

 リットーのその問いをジェウェラは否定することも、その理由を述べることも出来なかった。

 故に苦々しい思いをしながら、ただ一度だけ頷く。それを見たリットーも満足気に頷いた。

 「そうだろう、そうだろう。お前は無関係なのだ。だからこの件は儂に任せ、お前はもう帰れ」

 「なっ・・・!?」

 無関係なのだから関与させない。

 リットーはそう言っていた。

 「何を言っている・・・!?私の信徒が殺されたんだ・・・!このまま何もせず帰る訳がない・・・!ハルマンの遺体を、こちらに渡してもらおうか・・・!」

 「それは出来ん。言ったであろう?これは見せしめなのだ。儂の命を狙っているかもしれない他の不届き者にも、それがどういう結果を招くか理解してもらわねばならん。この小僧は、今日一日このままだ」

 それはハルマンの遺体を衆目に晒しておく、ということであった。

 教都にある神殿には一日に数多の信徒達が祈りを捧げに来るため、多くの者が彼の悲惨な姿を目にすることになるだろう。

 「大神官暗殺未遂の犯人」としての汚名も着せられたままの少年に、人々は一体どのような言葉を浴びせるのか。それを考えただけで、ジェウェラの胸はひどく傷んだ。

 「死者を辱めると言うのか・・・!リットー、貴様・・・!」

 「そう睨むな、ジェウェラ。――仕方ない。ならば、持って行っていいぞ。お前らに、その小僧を下ろすことが出来るのならばな」

 意地の悪い笑顔を浮かべながら、リットーはそう言った。

 ハルマンが磔にされている拘束架は鉄でできており、見た目からでも相当な重量である事が理解できる。また、ハルマンの体は高い位置に固定されており、拘束架を倒さぬ限り彼の体に触れることすら出来そうになかった。

 ジェウェラが試しに両手で拘束架を掴んでみても、やはりびくともしない。

 「それは今朝、大の男8人掛かりで立てた物だ。無理だとは思うが、頑張ってみろ」

 リットーの挑発的な言葉に、他の男たちは小さく笑う。最初にジェウェラと会話をした男とその隣に立つ理知的な男だけが、面倒臭そうに口を閉ざしていた。

 「ジェウェラ様、私も手伝います」

 苦戦するジェウェラと同様に、マリンも拘束架に手を伸ばす。2人分の力を合わせて抜こうとしてみても、やはり僅かに動かすことすらできなかった。

 その様子を見た男達は、口々に彼らを囃し立てる。

 「無理無理!俺らがやっとの思いで、立てたんだ!老人と女には、荷が重すぎるぜ!」

 「どうしてもってんなら、手伝ってやってもいいぜ!?ただし、その時はそっちの姉ちゃんにたっぷりとお礼をしてもらうがな!」

 「ほら、姉ちゃん!もっとケツ出して、踏ん張りな!」

 最後に発言をした男が、マリンの尻を掴む。羞恥を感じたマリンはすぐにその手を払いのけ、男を睨み付けた。

 「下衆が・・・!私に触れるな・・・!!」

 「おお、怖い怖い。こりゃベッドの上でも暴れてくれそう――」

 さらにマリンを揶揄おうとする男の言葉が途中で止まる。

 いつの間に近づいて来たのか、彼の視界にはグレンが映りこんでいたのだ。ただならぬ気配を纏う彼に他の者達も恐れるように視線を注ぐ。

 先ほどまでの騒ぎは消え、場は静まり返っていた。

 「グレン様・・・何故、ここに・・・?」

 ジェウェラのグレンに対する疑問が、ひどく大きく聞こえた。

 「ジェウェラ殿、ここは私に任せてください」

 それには答えず、グレンは拘束架を右手で掴む。

 そして、それを一思いに抜くと、ゆっくりと地面に横たわらせた。

 「・・・・・・はあ・・・?」

 目の前で起こった事が信じられない、といった感じの声が聞こえる。それは始めにジェウェラと会話をした男――集団を率いるアスクラの物であった。

 他の者に至っては未だ現実を受け入れることが出来ず、呆けてしまっている。グレンがあまりにもあっさりと、そして自然に、極々当たり前のように事を成したことに彼らの頭では理解が追いついていなかった。

 「おお・・・!感謝いたします、グレン様・・・!」

 「それよりも、ハルトをお願いします」

 グレンに言われ、ジェウェラとマリンは急いでハルマンの体を解放するため動き出す。

 この時、グレンの中にはいくつかの疑問が生まれていた。

 何故、ジェウェラは少年をハルマンと呼んだのか。

 この男達は何者なのか。

 何故、少年にこのような仕打ちをしたのか。

 少年は何をしたのか。

 そして――何故、少年があの時アルカディアを襲った刺客と同じ黒装束を身に着けているのか。

 色々と聞きたい事はあったが、それらはこの場で問い質すことではない。そう判断したグレンは、最後にやり残した事をやってから戦いの神殿に戻ろうと考える。

 「そこのお前」

 「あ・・・?」

 先ほどマリンに不埒な働きをした男に向かって、グレンは声を掛ける。男は彼に恐怖していたが、仲間が近くにいた事から少しだけ強気な態度でそれに応じた。グレンはその男の傍まで歩いて近づき、こう告げる。

 「女性の体に気安く触れるな」

 言い終わると同時にグレンは右拳を放った。

 打撃音に続き、男の体が壁に激しく叩きつけられる音が辺りに響く。

 少しばかりの静寂の後、それにさらに続いたのはグレンの足音であった。彼以外、その状況において身動きを取れる者は誰一人としていない。

 グレンはジェウェラ達の元まで戻ると、彼らと同じように少年の隣に膝を着く。

 「ハルトは私が運びましょう」

 その言葉に2人が戸惑いながらも頷いたのを受け、グレンは少年の遺体を抱え上げた。

 そして、それ以上何も言わず歩き出す。ジェウェラとマリンも口を開かず、ただそれに従った。

 あとに残された者達は、茫然とそれを眺めている事しかできない。あのリットーさえもが。






 戦いの神殿まで帰って来ると、すぐにシャルメティエとチヅリツカが3人を迎えた。

 「グレン殿!エクセから話を聞きました!――っ!・・・ハルト・・・・!」

 グレンに抱えられた動かない少年を目にし、シャルメティエは悲痛な面持ちになる。隣に立つチヅリツカも表面上は平静を保っていたが、その瞳は悲しみに潤んでいた。

 「シャルメティエ。エクセ君はどうした?」

 「エクセは酷く狼狽した様子だったので、レナリアと共に部屋で待機させています」

 「そうか・・・」

 エクセが知人の死に慣れていないのは、考えるまでもない事であった。未だ学生として過ごす少女にとって、血や死は遠い存在であったはずだ。それを現実として叩きつけられて、心乱さない訳はない。

 特に今回は自分よりも幼い少年が犠牲となったのだ。自身ですら多少の動揺を誘うこの事実にエクセが耐えきれるかどうか、グレンはそれが心配だった。

 「グレン様・・・」

 そう考える彼に向かって、ジェウェラが声を掛ける。

 「申し訳ありませんが、ハルマンをクライトゥース様の御前まで連れて行ってやってはくださいませんか・・・?」

 ここ数日、グレンはジェウェラと何度か顔を合わしてきた。そのため、今の彼が完全に憔悴し切っている事が良く分かる。幼い信徒が殺されたのだから当然であったが、それ以上の想いがジェウェラの表情から見る者に伝わった。まるで、家族の1人を失ったかのようだ。

 「分かりました」

 グレンはそう答え、神殿へと入って行く。入ってすぐの広間には、『戦いの神クライトゥース』の像が置かれていた。

 今いる神殿での暮らしの中、グレンは自身の生まれ変わりと言われた人物の姿を何度か目にしている。

 吊り上がった眉と前方を鋭く睨みつける眼差し、そしてがっちりと噛み締められた歯は彼の獰猛さを現しているのだろうか。鍛え抜かれた腕や足の筋肉も見事に彫り込まれており、太さであるならばグレンのものに匹敵する程である。ただ、この像が等身大であるならばグレンの方が少し背が高く、何より彼はこれ程までに感情をむき出しにした表情をしない。

 そして何より――。

 (己を慕う者を救いもしないんだな、お前は)

 自分は違う、とでも言うようにグレンは心の中で呟く。

 最早死んだ人間に言っても仕方のない事ではあったが、抗議でもするかのようにグレンはクライトゥースの像をじっと見つめた。腕に抱いた少年の遺体は軽く、彼の過ごした月日の短さとその命の儚さを物語っているようだ。

 このような子供を救いもしない神を崇めて何になるのか。

 その問いをこの国の者にしても納得できる答えが返って来るとは考えられなかったため、王国に戻った際にアルベルトにでも聞いてみようとグレンは考える。

 「グレン様・・・。そちらに・・・。クライトゥース様の傍にある台の上に・・・ハルマンを・・・」

 黙ったまま神像を見つめていたグレンに向かって、ジェウェラがやはり弱々しい声で言葉を掛ける。思考から戻されたグレンは頷くことで了承し、ハルマンを戦いの神の前に優しく置いた。

 「ああ・・・ハルマン・・・!」

 横たわる少年に縋りつくようにジェウェラは膝を着き、小さな手を己の両手で包み込む。

 「何故・・・!?どうして、貴方のような子供が・・・!」

 大神官の後ろ姿は弱々しく、そのすぐ後ろに立つマリンも涙を流していた。

 出会って日の浅いグレンには、彼らに掛ける言葉が思い浮かばない。どのような言葉を紡いだとしても、それは結局彼らの悲しみを真に理解している訳ではないのだから。

 「ジェウェラ殿、どういう事です・・・?何故、ハルトがこのような目に・・・?」

 そんな中、シャルメティエがジェウェラに疑問を呈す。それは彼女にしてみれば聞かなければならない問いであり、グレンとチヅリツカも同じく疑問に抱いていたことであった。

 しかしジェウェラはすぐに答えず、代わりにマリンがシャルメティエに向き合う。彼女の眼は赤くなっていたが、涙は止まっており、その顔には仮面のような平常心が見受けられた。

 「ハルマンは、きっと・・・リットーの監視に赴いたのだと思います・・・。そして捕らえられ・・・暴力を・・・」

 「なに・・・!?」

 マリンの推測にシャルメティエは驚きの声を上げる。

 あの少年には念を押して止めるよう言ったはずだ。思わず出そうになった叫び声をシャルメティエは噛み殺した。

 「どういう事だ・・・!?あの時は別の者を用意すると決めたはず・・・!――ジェウェラ殿!」

 シャルメティエはジェウェラが自身の判断を無視し、少年にリットーの監視を命じたと考えた。あの少年が従う者と言えば1人しかおらず、ならば疑うべきも1人しかいない。

 「違います、シャルメティエさん!ジェウェラ様も、ハルマンには止めるよう命じました!代わりの者もすでに手配してあります!これはこの子が勝手――に・・・!」

 その言葉が、どれ程ハルマンにとって冷酷な発言かを察したマリンが口籠る。

 彼女には分かるのだ。ハルマンがどれ程ジェウェラとグレンの力になりたいかを、どれ程彼らを想っているのかを。

 「いいのです、マリン・・・。これは私の監督不行き届き・・・。ハルマンの死は、私が招いたも同然です・・・」

 「そんな事はありません、ジェウェラ様!全てはリットーのせい!あのドブネズミがハルマンを殺したのです!」

 マリンから放たれた口汚い罵りの言葉が広間に木霊する。

 普段の彼女からは想像も出来ないその台詞も、仲間の1人を失った悲しみを考慮すれば決して違和感を覚えるようなものではなかった。ジェウェラとて、大神官という殻を被っていなければそうしていた所だ。

 「――ジェウェラ殿」

 マリンの荒々しい声が壁に染み込んだと同時に、それとは異なる落ち着いた声が発せられる。それは、グレンのものであった。

 「1つ、伺いたい事があります」

 「・・・・・・なんでございましょう・・・?」

 グレンは今までの会話を聞いてはいなかった。

 いくつか浮かんだ疑問が彼の思考を支配し、外に向ける意識を遮断していたからである。

 故に、彼が紡ぐ言葉は慰めでも糾弾でもない。

 「何故、ハルマンはこのような黒い服を着ているんですか?」

 シャルメティエとチヅリツカにとって、その疑問はあまりにも下らないものに聞こえた。

 このような状況において、何故そのような疑問を呈すのか逆に問い質してしまいたくなるほどである。王国の英雄としてグレンの事を尊敬している2人であっても、彼の全てを受け入れられる訳ではなかった。

 「それは・・・」

 2人は、ジェウェラもそのような考えを持ったと考えた。

 いや、仲間が殺された彼の立場では、怒りすら覚えたのかもしれない。そのため言葉に詰まり、グレンの問いに答えることなく黙り込んでいるのだ、と。

 「私は、ハルマンの黒装束と似た物を王国で見たことがあります。これは、そう――アルカディア皇帝陛下を襲った輩が着ていた物と同じ服だ」

 その言葉に驚愕の表情を見せたのは、やはりシャルメティエとチヅリツカであった。

 グレンの語った内容が確かであるならば、アルカディアを襲った者と目の前の少年が関係者である可能性は高い。組織において、共通した衣服を身に着けるという事は往々にしてあるものだ。

 「それは誠ですか、グレン殿・・・!?」

 「ああ。とは言っても、私もうろ覚えだ。それに、この事実がどのような意味を持つのかも分からない。ただ、少し気になってな」

 これは人の死に慣れているグレンだからこそ出来た行動であった。

 他の者であったならば、先のシャルメティエ達と同様の感情を抱き、このような場でそのような発言をする事に二の足を踏むことになるだろう。

 しかし、彼自身も語ったように、何か明確な意図があったため発言をした訳ではない。

 ただ単に気になった。本当にそれだけの理由で、グレンは拷問を受けた少年とアルカディアを襲った犯罪者との関連性をジェウェラに問い質しているのだ。

 全く心当たりの無い者であったならば、激昂を余儀なくされていた事柄であっただろう。しかし、グレンの問いはジェウェラにとって核心であり、また彼に嘘を伝えるような不義理を働くような真似は出来なかった。

 「・・・・・・・・」

 故に、ジェウェラは口を閉ざす。

 グレンはその反応を「心当たりがない」という回答と受け取ったが、シャルメティエとチヅリツカは明確な黙秘と受け取った。

 「何故黙る、ジェウェラ殿・・・?心当たりがないのならば、否定すればいい・・・。それが出来ないということは、暗に認めているに等しいのですよ・・・?アルカディア様を襲った人物とハルマンの関係性を・・・」

 「それだけではありません、シャルメティエ様。ジェウェラ大神官が2人を束ねていた可能性とてあります」

 シャルメティエとチヅリツカのジェウェラを見つめる眼は厳しい。

 彼女達にとってアルカディアは友人であり、それ以上に一国を率いる高貴なる存在なのだ。身を案じるのには十分な理由であり、自国の王であるティリオンもアルカディアに対しては必要以上の気配りを見せている。

 それらを総合して考えれば、今ここでジェウェラを問い詰める事こそが騎士としての責務。2人はそう考え、シャルメティエなどはすでに剣の柄に手を掛けていた。

 当然、その光景をジェウェラとマリンも目にしている。

 マリンは己の主を守るため、その身を盾とするよう2人の騎士と対峙した。その瞬間、両腕の袖から短剣が1本ずつ飛び出し、彼女の手中に収まる。マリンはそれを構え、シャルメティエとチヅリツカを睨み付けた。

 その動きと態度から、彼女もまたジェウェラに率いられている可能性がある事を2人は見出す。それは大神官と信徒といった関係ではなく、もっと深い関係であるかのように思われた。

 「お逃げください、ジェウェラ様・・・!ここは私が・・・!」

 「何をしているのです、マリン!剣を納めなさい!」

 「それはできません・・・!このお二人は、最早ジェウェラ様に覆る事なき疑惑を持たれています・・・!それがどういう結果になるかは、考えずとも分かります・・・!ジェウェラ様の身に何かあっては、他の者に申し訳が立ちません・・・!」

 マリンのその言葉から、シャルメティエとチヅリツカの中でジェウェラが何らかの集団を率いていることが確定した。

 そのため、今回教国を訪れた理由とは異なるが、目の前にいる男の確保も任務に加えることを決める。

 どのような目的でアルカディアを襲い、また何をするつもりなのか。

 それを問い質す必要があった。

 「ジェウェラ殿。マリナの言う通り、私は貴方を捕らえた方が良いと考えています。しかし、その前に話を聞かせて欲しい。貴方は一体、何をしている?」

 シャルメティエのその問いは、ジェウェラの人となりを少しだけ知っている者にとって共通の疑問であった。

 王国と教国間における今回の事件について、使者である自分達に協力的である。特に、グレンに関しては崇拝とも取れる敬意を示しており、教都においては非常に良くしてくれていた。

 だからこそ、分からない。

 そのような人物と一国の王を襲う大罪が結びつかないのだ。

 「それは・・・申し上げかねます・・・」

 しかし、ジェウェラのこの態度。それが明確に彼の正体を物語っており、おそらくではあるが、大神官以外の姿を取ることがあるのだろう。

 そして、それは少なくとも帝国に害を為した。

 「ならば、力づくで聞くまで・・・!」

 シャルメティエは剣を抜き放ち、ジェウェラを守るマリンに向かって刃を向ける。これは単なる威嚇であり、出来れば大人しく捕らえられて欲しかった。教都を訪れてからの彼らの厚意には恩を感じており、それを必要以上の仇で返したくはないのだ。

 「お逃げください、ジェウェラ様・・・!もうすぐトープスさんが戻って来ます・・・!彼と共に身を潜めてください・・・!幸い、この方達は教都について詳しくない・・・!一度見失えば、そう易々とは見つけられないはず・・・!」

 「何を言っているのですか、マリン!?貴女を犠牲に私がそのような事をするとでも思っているのですか!?」

 「無駄な抵抗はしないでもらいたい。こちらも、これ以上厄介事を増やしたくはない」

 「シャルメティエ様。ジェウェラ大神官は私が抑えます。マリナさんの方を抑えておいてください」

 3人の女性による緊迫した感情が空気を締め付ける。

 この場は正に、一触即発の様相となっていた。

 誰かが動けば他の者が動き出し、最悪負傷者すら出て来るだろう。

 シャルメティエが動くのが先か、マリンが動くのが先か。すぐに分かる答えを、今はただただ待つばかりであった。

 「皆、よせ」

 そんな中、グレンの落ち着いた声が発せられる。事の推移を見守っていた彼であったが、さすがにこのような状況となっては口を出さざるを得なかった。

 「シャルメティエ、そしてマリナ。まず剣をしまえ。お前達が争う必要などない」

 「しかし、グレン殿――!」

 否定の声を上げようとしたシャルメティエに対して、グレンは視線を向ける。決して睨み付けたわけではないが、その眼差しにシャルメティエも思わず怯んだ。

 「落ち着け、シャルメティエ。お前らしくもない。まあ・・・もし私の言う事が聞けないようならば、剣を奪うまでだがな」

 その言葉は、マリンに対しても向けられていた。それを理解した彼女は大人しく剣を納め、それに続いてシャルメティエも剣を渋々鞘に戻す。

 (これも若さゆえ・・・か?)

 この時、グレンはシャルメティエを過剰に評価していたことを察した。

 とは言え、初めての国外任務に加えて進展のない現状、そして少年の死、さらには帝国の皇帝を襲ったと思われる者まで現れたのだ。表情には現れていなかったが、それがまだ若い彼女に重圧を与え、正常な判断を失わせたとしてもおかしくはない。

 そして、それはチヅリツカに対しても同様であろう。

 また、グレンとエクセのためにと国王が定めた「1週間」という期限が足かせになっている可能性とてあった。当時は「都合が良い」としか思っていなかったが、それが全責任を負わなければならない立場の者にとって、どれ程の負担になるかもっとよく考えるべきだったとグレンは反省する。

 そのため、決して叱りつけたりはしない。

 「シャルメティエ、お前の皇帝陛下への想いは素晴らしいと思う。だが、今回この国を訪れたのは別の理由だ。色々と抱え込むのは、やめておけ」

 「ですが、グレン殿!アルカディア様を襲ったと思われる者をこのまま野放しにしておくわけには・・・!」

 「ならば、王国に戻った際に皇帝陛下に伝えるよう手配すれば良い。実際、襲われたのはあの方だ。どのような裁きを下すかも、皇帝陛下に委ねるべきだ」

 グレンもシャルメティエの気持ちを理解はしていた。しかし彼の言う通り、今回の任務にその件は含まれていない。

 それだけでなく、年下の上官の負担を和らげてやりたいという想いもあったのだが、

 「しかし・・・!」

 と、シャルメティエは引き下がる様子を見せなかった。これもまた、誇り高い騎士であり貴族である彼女らしいと言えば、そうである。

 仕方ない。そう考えたグレンはジェウェラに顔を向ける。

 「ジェウェラ殿。このままではややこしい事になりかねません。貴方が何をしているのか、教えてはもらえませんか?」

 グレンの問いに、やはりジェウェラは口をつぐむ。

 彼の視線はグレン、続いてシャルメティエに移り、そして最後にマリンの背中を捉えた。これには、自身が神の生まれ変わりだと信じるグレンには真実を伝えたい、シャルメティエと争いたくはない、しかしマリンを含む仲間を裏切るような真似はしたくない、という想いがあった。

 ジェウェラは悩む。

 仲間の死、世界の発展、己の信仰、そして『戦刃』。

 それらが重しとなって、彼の心の中にある天秤を右へ左へと傾かせていた。

 ジェウェラに注がれる視線は3つ。グレンとシャルメティエ、チヅリツカの物だ。背を向けるマリンは、ただ己の主の決断を待つのみ。

 ジェウェラの中で幾度目かの思考が終わった後、意を決したように彼は口を開く。

 「分かりました・・・。お話ししましょう・・・」

 その言葉を聞いたマリンは、ただ静かに目を瞑った。




 『戦刃』――大神官ジェウェラが作った私設部隊である。

 その目的は、世界の発展のために争いを起こす事。

 今までの歴史から、ジェウェラは争いこそが文明の発達を促すと考えており、彼に従う者達もそれを疑わなかった。

 特徴として、ジェウェラを除く構成員の全てが戦災孤児である事が上げられる。

 両親や兄弟を失っただけでなく、それ以上の苦痛を味わった者もおり、ジェウェラが修行と称して大陸中を巡っている時に保護された。

 彼はそんな子供たちの体と心の傷を癒し、そして鍛え上げた。

 2度と奪われる側に回らぬよう、悲しい思いをしないで済むようにという親心にも似た感情である。

 そしてある時、そんな者達の1人がジェウェラに向かって「何かしてあげたい」と言い出した。

 先述した通り、彼には1つの持論がある。

 しかし、それを実行するには彼は小さい存在であった。そのため冗談半分で説明をしたのだが、それを知った全ての者達がそれに協力すると言ったのだ。

 戦争で自分以外を失った者達が、自分達の手で戦争を引き起こす。

 その矛盾にも似た状況を、始めはジェウェラも快くは思わなかった。

 しかし、命令を与え、それを達成した際に褒めた時の喜びようは凄まじく、彼らにとってジェウェラと言う存在に報いることがどれだけ喜ばしいのかを実感する。

 この時、ジェウェラは「世界の発展」と「仲間達の喜び」という2つの免罪府を手に入れた。

 それ以降の彼は仲間達に指示を与えつつも、彼らの自立を尊重し、命令から大きく外れない限りは好きにさせていた。丁度、アルカディアを標的にしたモンドがそうである。





 「彼は・・・私が初めて救った少年でした・・・。今から20年も前のことだったでしょうか・・・。当時の私は信念のみを持ち合わせており、『戦刃』などと言う部隊を作ることになるとは思ってもいませんでした・・・。そう言えば、『戦刃』という名は後になってモンドが付けたんでしたね・・・」

 在りし日の事を懐かしむようにジェウェラはそう言って、口を閉ざす。

 「馬鹿馬鹿しい・・・!争いを自らの手で引き起こすだと・・・!戦争の監視者にでもなったつもりか・・・!?」

 代わりに口を開いたのは、シャルメティエであった。

 彼女の顔からは怒りがありありと見て取れ、同様の感情をチヅリツカも持っているのがその目から分かる。そして、グレンも似た様な気持ちであった。

 ただ1人、マリンだけがジェウェラを庇う。

 「そうではありません、シャルメティエさん!ジェウェラ様は己の信仰のため、私たちが生きる理由を手にするため、役目を与えてくださったのです!」

 「どのような理由であろうとも関係ない!一個人の思惑によって、争いが引き起こされ、人々が傷つくことなどあってはならないのだ!」

 「それは世の常ではありませんか!国の為政者か、部隊の指導者かの違いでしかありません!それに、ジェウェラ様は発展の伴わない争いを未然に防ぐこともしています!」

 「それで許されると思っているのならば、勘違いも甚だしい!悪事は結局の所、悪事でしかない!善行でそれが償える訳ではないのだ!」

 マリンの物言いがジェウェラの思想であるならば、シャルメティエの物言いは彼女自身の思想であるのだろう。

 善行と悪事は分けて考えなければらない、という。

 ただ、やはり感情を昂ぶらせている感は否めないとグレンは思った。

 「だから、落ち着けと言っている。シャルメティエだけではない。マリナ、君もだ」

 グレンの声が昂ぶった2人の感情を静めて行く。

 それでも己の意見を下げるつもりはないのか、その目には未だ闘志が見えた。

 (どう収拾をつけるべきか・・・?)

 正直、グレンにはこの場を納める方法が全くと言っていいほど思い浮かばなかった。チヅリツカに頼ろうとも考えたが、彼女もシャルメティエと同様の意見である事は間違いない。

 眉間に皺を作って悩むグレンであったが、そんな彼に代わりジェウェラが口を開く。

 「いいのです、マリン・・・。私も、己の信仰が正しいかどうか分からなくなってきてしまいました・・・」

 それは『戦刃』にとって、今までの活動を無に帰す言葉であった。

 あまりの驚愕にマリンは振り向き、主の顔を見つめる。その顔が今まで見たことのない悲しみと悟りに満ち溢れており、先ほどの台詞よりも大きな驚きを彼女に与えた。

 「何を・・・!何を言うのですか、ジェウェラ様!?それでは、貴方の信仰と共に亡くなったモンドさんとハルマンは、無駄死にだということになります!貴方がそのような事を言ってはいけません!」

 「その通りです、マリン・・・。私の信仰のせいで、モンドもハルマンも亡き者となりました・・・。私のせいです・・・。私のせいで再び、貴女達から家族を奪ってしまいました・・・」

 戦災孤児となった子供たちの心をジェウェラは癒してきた。

 仲間が初めて亡くなった時も、成長した彼らはそれを難なく受け止め、今までと変わらない生活を送っているように思われた。

 それを目にしながらも、ジェウェラは彼らが心のどこかに大きな悲しみを隠しているのではないかと危惧しており、『戦刃』の指導者としてそれを常に気にし続けていた。

 しかし実際の所、大きな悲しみを抱えていたのは彼自身であり、ジェウェラはハルマンが死んで(ようや)くそれに気づくことが出来たのだ。

 これも己の信仰のせいか。

 ジェウェラは、今までの自分の人生を自分で否定しているような感覚に陥った。

 「そんな・・・、そんな事をおっしゃらないで・・・。私達にとって、ジェウェラ様だけが生きがい・・・。『戦刃』だけが・・・唯一無二の居場所なんです・・・」

 マリンの言葉には悲哀が感じられる。

 ジェウェラに救われ、与えられた『戦刃』という居場所は心地がよく、その中では彼女が感情の起伏を少なくさせる原因となった出来事に関する記憶も薄れていった。

 だが今、その人生の根幹を支えていると言っても過言ではない人物から、信じられない――信じたくない言葉が発せられている。涙こそ流せなかったが、マリンは足元がふらつく感覚に襲われた。

 「すいません、マリン・・・。ですが・・・やはり・・・」

 (駄目・・・!それ以上は、言わないで・・・!)

 マリンの心の中の懇願が聞こえるはずもなく、ジェウェラは己の感情を吐露する。

 「私達のやってきたことは、間違っていたのかもしれません・・・」

 無関係な者にしてみれば、それは当たり前の判断だったのかもしれない。

 それでも、信仰の名のもとに全てを信じてきたジェウェラとマリンにしてみれば、それは大いなる決断であった。

 彼らにとっては、まるで世界を壊すかのような発言だ。物音を立てず崩れて行く自分達の世界を、2人はただ見つめている事しかできなかった。

 「いや、全てがそうだと言う訳ではないんじゃないか?」

 そんな彼らに向かって、グレンが何の気なく言葉を掛ける。

 意気消沈していた2人の世界に少しだけ光が照らされたような気がした。

 「どういうことです、グレン殿・・・?何故、彼らの肩を持つような発言を・・・?」

 シャルメティエに問われ、グレンは「何となくだが」という前置きをしてから答える。

 「先ほどマリナが言っていたが、ジェウェラ殿の組織は争いを未然に防ぐこともしていたようではないか。正直、争いを引き起こそうとするのには疑問を感じざるを得ないが、もしそのような活動をしていたのならば、それは称賛されるべき行いだ」

 今までの会話の中には、確かにそのような旨の発言があった。しかしその時も述べたように、決して罪が相殺される訳ではないとシャルメティエは考えている。

 「グレン殿、それは間違いです。どのような善行も、それが悪人の働きであるならば称賛などしてはいけません」

 「ならば、私はどうなる?」

 「・・・え?」

 グレンの問い掛けに、シャルメティエは理解が出来ないと言うように声を漏らした。

 「私は別に悪人ではないが、これまで多くの人間を殺してきている。それこそ、帝国の民すらな。殺人は誰でも分かるように悪事だ。ならば、私が英雄と称えられるのもまずい事なのか?」

 「っ・・・!それは・・・違います・・・!」

 とは言ってみても、それ以上の反論はなく、シャルメティエは口籠る。そんな彼女の代わりに、チヅリツカが答えた。

 「グレン様。シャルメティエ様が申し上げているのは『悪人による善行は称えられるべきではない』という事です。少なくとも王国の民にとって、グレン様は善人。殺人も、より多くの者を守るためならば許容されるものとなります」

 戦争における英雄とは、どれだけ多くの敵を殺したかで決まる。

 それはフォートレス王国に限った話ではなく、全ての国や時代で共通の認識だ。

 ならば、それは悪なのか。

 いや、そうではない。

 例え多くの殺人を犯したとしても、国を守るという大義があれば、それは偉業となるのだ。

 「だが、帝国にとっての私は悪人に違いないだろう?立場が変われば、見方も変わる。私達にとってジェウェラ殿の組織が『悪』だったとしても、他の国の者にとってはそうではないかもしれない」

 「確かにそうかもしれませんが・・・。グレン様、何をおっしゃりたいのです?」

 いまいち要領の得ないグレンの物言いにチヅリツカは疑問を呈す。それは他の者も同じ気持ちであった。

 「いや、私も何が言いたいのか分からないんだがな。とりあえずは、そうだな・・・。――ジェウェラ殿、争いを妨害する活動は続けてもいいのではないですか?」

 それはあまりにも率直な、そして突然な提案であった。

 そのため、誰一人としてグレンの言葉に応じる者はいない。

 「ん・・・、まずかったか・・・?」

 その態度を否定と受け取ったグレンが、気まずそうにそう言った。

 「・・・・・・いえ・・・」

 そんな彼に向かって、ジェウェラが言葉を返す。しかし、それはとても弱々しい返事で、受け入れている様には到底思えなかった。

 「少し・・・考えさせてください・・・」

 誰の返事も待たず、そう言ってジェウェラは歩を進める。

 制止を掛けようとしたシャルメティエであったが、ジェウェラのあまりの生気のなさにそれを断念した。

 彼を追うようにマリンもその場を去って行く。

 残された3人はその様子をただ黙って見つめるしかなかった。

 そして、2人の姿が見えなくなると、

 「少し、厄介な事になりましたね・・・」

 と、チヅリツカが呟く。

 「すまないな。私が余計な事を言ったようだ」

 「いえ、そんな事は――」

 「その通りです、グレン殿。何故、あのようなことを言ったのですか?」

 チヅリツカの言葉を遮り、シャルメティエがグレンを糾弾する。しかし、その顔に怒りの色はなく、先ほどまでとは異なり、冷静さを保っているようであった。

 「すまなかった、シャルメティエ。ただ、仲間を失ったジェウェラ殿に少しばかりの情けを掛けてやりたくなったんだ。私も過去に似たような経験があったせいか、他人事とは思えなくてな」

 グレンにそう言われ、シャルメティエは自分が知人を亡くした者に対してどれほど厳しい言葉を浴びせていたのかを察する。それを少しばかり恥じたが、やはり必要な行動だったと気を持ち直した。

 「確かに、少し辛辣だったとは思います。ですが、私には彼らの行為が正しいことには思えないのです」

 「ああ、そうだな。お前はそれでいい」

 シャルメティエの魅力は、その生真面目さから生まれる輝かしいばかり正義感だ。まるで一振りの刀の様な凛とした精神に、グレンは称賛を覚える。

 「ですが、シャルメティエ様。これからどういたしましょう・・・?これ以上、ジェウェラ大神官の力を借りるのは――」

 「無論、なしだ」

 「ですよね・・・」

 自身の上官の事を良く知るチヅリツカは、分かっていたとばかりに頷く。ジェウェラをあてにしないということならば、また別の人物に助力を請う必要があった。

 明日にでもエビタイに交渉しよう、とチヅリツカは思案する。

 だがしかし、その計画もすぐに不要となってしまうだろう。

 それだけではない。ジェウェラの葛藤も、マリンの悲しみも、シャルメティエの苦悩も、全てがかき消される結果となる。

 なぜならば今夜、あまりにもあっけなく全ての問題に決着がつくからであった。

 それが例え、ユーグシード教国に大きな傷跡を残すことになろうとも。

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