3-15 次なる一手
日が落ち、辺りが暗くなった頃。
シャルメティエ達の予想通り、会議に姿を見せた大神官の1人がリットーの居る知識の神殿へと足を踏み入れていた。その者は会議の間、一言も言葉を発しなかった人物。『豊穣の女神スース』に仕える大神官――名をナジムと言った。
ナジムは周りに気を配りながら、足音をなるべく立てないように進んで行く。もしこんな所を会議に同席した4名の大神官に見られでもしたら、王国の使者にでも見られでもしたら、刺客を放ったかどうか関係なく断罪されるだろう。
そうなったら、折角リットーに媚びへつらって手に入れた大神官という地位を手放すことになる。あの者には権力と言う魅力があるが、神官として尊敬できる所は何もないのだ。おそらく今も――。
「これはナジム様。このような夜更けにどうなされました?」
リットーの部屋の前、そこを警護するように立っている1人の神官にナジムは声を掛けられた。もはや何度目か分からない程に周りを確認すると、声を落として問い質す。
「リットー大神官は、いるか?」
その問いに、神官も声を落として答えた。
「はい・・・。ですが、『お楽しみ』の最中です・・・」
神官の台詞からは、嫌悪感が滲み出している。彼もまた、リットーの持つ権力に惹かれて彼に従っているが、神官としての矜持を失っている訳ではなかった。
リットーの部屋にある隠し部屋についても知っているし、そこで何が行われているのかも理解している。そして、それがどれだけ神の意志に反しているのかも。
八王神を信奉する者達は己の欲望を制限されることはないが、その全てを正しく行わなければならない。リットーの行いは彼自身にしてみれば正当なものであったが、他の者がその実態を耳にすれば、いかに異常がすぐに分かるだろう。
権力で肥大した醜い獣、それがリットーに対する彼らの印象であった。
では何故、神官や大神官がリットーを糾弾せず、従っているのか。それもやはり、彼の権力が関係している。
一度リットーに近づいた者は離れることを許されず、もしそうしようものならば命を奪われる覚悟が必要であった。彼に無条件で従う者だけでなく、権力や財力で繋がる無法者も多く、その者達に襲われれば一溜りもない。
そのため、恐怖による支配に抗えない自分に絶望し、最近では自ら命を絶つ者が現れる程だ。当然、それもリットーは無関係を貫き通し、調査が行われたこともなかった。
教国は事実上、リットーの国と化していた。
「またか・・・!昨夜もそうであったと聞いていたが、最近になってまた回数が多くなったのではないか・・・!?あの歳でよくもまあ・・・!」
「それが・・・何やらまた新しい娘を見つけたとかで・・・。その娘の美しさを思い出すだけで、興奮が治まらないのだとか・・・」
神官の言葉に、ナジムは呆れたように顔を覆った。
「一体何人の娘を捕らえれば気が済むのだ・・・!あの娘達の親を慰めるのは、我々なのだぞ・・・!」
それは心が痛むといった類の発言ではなく、単に面倒臭いという意味合いであった。
ナジムは苛立たし気に舌打ちをする。
大神官として相応しくない態度であったが、それも頷けると神官は彼に同情した。
「気をお静めください、ナジム様・・・。もし、この会話がリットー様に聞かれでもしたら・・・」
「分かっている・・・!しかし、いつになったら終わるのだ、リットー大神官の『お楽しみ』は・・!」
「大分時間が経っているので、もうそろそろかと・・・」
神官が言い終わると、部屋の中から何かが動く音が微かに聞こえてきた。それはリットーの『お楽しみ』が終わった合図。それを聞いたナジムと神官は黙って扉を見つめていた。
そして、ナジムが扉を軽く叩く。
「誰だ?」
その言葉が少し上機嫌に感じられたのは、決して聞き間違えではないだろう。これは丁度良い、とナジムは言葉を返す。
「ナジムです、リットー大神官。耳寄りな情報を持ってきました」
「そうか、入れ」
やはり機嫌が良い、とナジムは扉を開け、部屋の中に入る。
そこで目にしたリットーは、上質な布で手を拭いている所であった。一体何を拭き取っているのか、ナジムには理解できたが、決して触れることはない。
「何用だ?」
布を無造作に机に置くと、リットーはナジムに問う。
「はい。今日の昼、王国の使者たちと行われた会議の内容を報告したいと思います」
「良かろう。話せ」
ナジムはここに来るまでに頭の中で整理していた台詞を思い出した。なるべく分かり易いように考えてきたつもりだ。
「結論から申します。ジェウェラ、エビタイ、セフォンは彼らに協力するようです。ロンベラルはこれといった意思表示をしなかったですが、あの者の性格を考えると3名に追随するでしょう」
「そうか」
大して意に介さないように、リットーは言葉を返した。彼にしてみれば、それは裏切りでも何でもなく、すでに予想された事。加えて、自分が捕まるはずがないという自信があった。
「報告はそれだけだな。ならば、下がれ。儂はもう少し余韻を楽しみたい」
そう言って、リットーは椅子に座る。その椅子も上等なものであり、彼の体を優しく受け止めていた。
「いいえ、リットー大神官。それ以上に重要な事がございます」
なんだ、とリットーはナジムに視線を向ける。
「王国の使者の中に1人。『神々の遺産』を所持している者がおりました」
その言葉を理解するのに、リットーは幾許かの時間を要した。それでも体を少し起こすと、鋭い目つきでナジムを睨み付けた。
「それは誠か?」
リットーの問いに、聞かれたナジムは確信を持って肯定することはできなかった。結局は王国の人間がそう言っているだけであるし、その証拠もない。しかし、あの時の状況とジェウェラの反応を加味すると、それが真実である可能性は高かった。
そのため、
「は・・・はい。王国の者が言うには・・・ですが・・・」
と、かなり弱々しく肯定をしてみせる。
「誰が持っていた?」
「確か・・・名前は・・・申し訳ありません、失念しました。ですが、姿は覚えております。顔や腕に古傷のある大男です」
「顔や腕に古傷・・・?」
リットーはその者に何だか心当たりがある気がした。何か美しい記憶と共に掘り起こされる不快感。少しの時間を要して、彼は思い出す。
「あの娘の夫か・・・?」
それは、運命の出会いとも言える現場に居合わせた不純物の1つ。この世の美を集結させたような少女の伴侶となった忌むべき男。リットーが消そうと思っていた人物である可能性が高かった。
「ふふふ・・・、ははは・・・!それは良い!と言う事は、あの男を殺すだけで儂は欲したものを2つ手にすることが出来るという事か!」
「え?2つ・・・?」
リットーの言っている意味が分からず、ナジムは怪訝な声を漏らす。
「奴らを呼び寄せておいて、正解だった!これも神のお導きか!」
リットーが『神々の遺産』の他に何を望んでいるのか理解できなかったが、『奴ら』という言葉にナジムは驚いたような反応を見せる。
「まさか、あの者達を使うつもりですか!?あの者達が何者なのか、まだ分かっていないのですよ!」
「それでも、貴様らよりは使える」
先ほどの興奮とは打って変わって冷静になったリットーの言葉に、ナジムは思わず怯む。先ほどの発言も含めて、本気であの男を殺すつもりなのだ。
「リットー大神官、何も殺さずとも・・・!『神々の遺産』はこれ程の首飾りでした・・・。盗むか奪うかすれば良いではないですか・・・?」
ナジムは手で輪を作り、リットーに考えを改めるよう申し出る。しかし、彼が素直に言う事を聞かないことくらいはすでに分かっていた。
加えて、リットーはそれだけではない理由を述べる。
「それくらいの事、貴様に言われずとも理解しておる。しかし、それではあの娘までは手に入らん。あの娘が夫無き身にならなければ、我が物とできんのだ」
八王神に仕える者が伴侶のいる者に手を出すことは固く禁じられている。なぜならば、それは正しくない行いであるからだ。そこでリットーは夫を亡き者にし、誰の物でもなくなったあの少女を手に入れようと画策していた。
リットーは、麗しの少女に思いを馳せる。
あれ程の美しい娘は見たことがない。仮に『美の女神』が居るのだとしたら、あれがそうなのだろう。
リットーはあの少女と会って以来、頻りにそのような事を考えていた。その邪な興奮を抑えることが出来ず、先ほどと同様に他の者で解消していた程だ。
しかし、それももう限界であった。リットーは何としてでもあの少女を手に入れるため、ある者達を呼び寄せていた。彼らは今回のような汚れ仕事を喜んで引き受けてくれる集団。金さえ払えば、リットーの願望を叶えるために何でもしてくれた。それこそ、殺人だろうが誘拐だろうが。
そして、今回はその両方を依頼するつもりであった。
「ああ・・・、待ちきれん・・・!あの少女は、一体どのように乱れるのだろうな・・・!」
リットーが浮かべる大神官にあるまじき下卑た表情に、ナジムは激しい嫌悪感を覚えた。彼とてリットーに協力的ではあるが、それは目の前の人物に権力があるからである。
(神は何故、このような男に力を持たせてしまったのか・・・)
神に仕える者として以前に、人間として醜いとナジムは思う。
その心の声が漏れた訳では無いが、リットーはふと我に返り、彼の方へ顔を向けた。
「もう、話は済んだだろう。さっさと出て行け」
その言葉には若干の不機嫌さが混じっていたため、ナジムは別れの言葉を告げ、そそくさと部屋を後にした。部屋に1人となったリットーは先ほど手を拭いていた布を手に取ると、その香りを楽しむように大きく息を吸い込む。
先ほどまで相手をしていた少女の淫らな匂いが彼の中に広がり、リットーは再び下卑た笑みを浮かべた。
夕食を終えると、グレンは少女に頭を下げる。
「美味しかったよ、エクセ君。しかし、さすがの腕だな。慣れていない食材と調理場で、これほどのものを作るとは」
グレンの賛美にエクセは輝かしいまでの笑顔を浮かべた。
「ふふ、ありがとうございます。少し自信がなかったんですけど、ご満足いただけて何よりです」
「本当っす。お嬢は天才っすね」
「学生の身で大したものだ」
「これはいいお嫁さんになりますね」
その場にはグレン以外の者も同席しており、彼女達も同じくエクセに手料理を振る舞ってもらっていた。場所は大神官との会議が行われていた部屋である。
何故皆してそのような事をしているのかと言うと、単純に女性陣がエクセの料理に興味があったためと、散り散りにならない方が安全であると判断したためだ。
話をした当日に動くとは思えなかったが、用心に越したことはない。今は敵地のど真ん中なのだから、適切な判断と言えよう。
「そんな、チヅリツカさん・・・!お嫁さんだなんて・・・!」
言いながら、エクセは照れた様な仕草を見せる。グレンの隣に座るレナリアが、肘で彼をちょんちょんと突いて揶揄っていた。
なんだか恥ずかしくなったグレンは、
「エクセ君、皿洗いくらいなら私がやっておくよ」
と言って、その場を誤魔化した。
「あ、それでしたら私もお手伝いします」
「いや、君は休んでいてくれ。5人分の食事を作ったんだ。疲れているだろう?」
「お気遣いありがとうございます。ですが、大丈夫です。これよりもっと大人数の料理を作ったことがありますから」
「そうなのか?」
「はい。それに、グレン様ではお皿を片付ける場所が分からないのでは?」
「む。確かに、言われてみればそうだな」
「ふふ。ですから、私もお手伝いします」
笑顔のエクセにそう言われ、グレンも頷いて了承する。そして2人して皿を片付けると、洗い場に向かうため部屋を出て行くのであった。
それを見届けてから、シャルメティエは口を開く。
「――さて、レナ」
「んえ!?」
シャルメティエに唐突に声を掛けられ、レナリアは驚きの声を上げる。見れば、彼女は神妙な面持ちをしており、何やらただ事ではない雰囲気を纏っていた。
「な、なんすか、シャル様・・・?そんな怖い顔しちゃって・・・」
「君に話しておかなければいけないことがある」
「アタシにっすか・・・?」
「そうだ。エクセはまだ学生であるため内密にするが、新米とは言え、君はれっきとした勇士。この事を頭に入れておいてもらいたい」
「わ、分かったっす・・・!どんと来いっす・・・!」
シャルメティエは大神官との話し合いによって起こりうる事態をレナリアに語って聞かせた。
グレンの持つ『英雄の咆哮』を狙って何者かが動くかもしれない事、それだけでなく邪魔者として自分達も狙われる可能性がある事を丁寧に説明していく。
レナリアも真剣な眼差しでそれを聞いており、最後まで聞き終わると大きく深呼吸をした。
「なるほど・・・話は分かったっす・・・。しっかし、本当に大事なんすね・・・」
「仮にも国を相手にしているからな。もし不安ならば、明日の朝にでも王国へ発ってもらって構わないぞ?」
「ふっふっふ・・・。見くびってもらっちゃ困るっすよ、シャル様。確かに怖いっすけど、一度受けた依頼を放棄して逃げるような真似はしないっす」
そう言うレナリアの顔からは発言通りの不安が感じ取れた。しかし同時に覚悟も見受けられ、シャルメティエは感心したように小さく笑う。
「素晴らしい覚悟だ、レナ。だが、そんなに気を張る必要はないぞ。グレン殿ほどではないが、我らも戦いに関しては多少の心得がある。最低でも私かチヅと一緒にいれば、悪いようにはならないだろう」
「おお、頼もしいっす!よろしくお願いするっす!」
レナリアはすっくと立ち上がると、頭を下げた。
「そこまでしなくていいですよ、レナリアさん。私たちは旅の仲間なんです。助け合うのは、当然ではないですか」
「そうだぞ、レナ。我々は当然の事を言っているだけだ。気にすることはない」
「おお!チヅっち、シャル様!本当に良い人達っす!お礼に今度、男を紹介するっす!」
「「え・・・?」」
レナリアの感謝は受け入れたいが、その提案は受け入れられない2人が困惑したような声を出す。しかし、それにレナリアが気付くことはなく、意気揚々と話を続けた。
「2人に相応しい男なんてそうはいないっすから、適当に貢がせてポイしちゃっていいっすから!」
「ま・・・待て、レナ・・・!」
「あ、でも、貴族である2人に貢ぐとなったら相当な金持ちじゃないといけないっすよね・・・。いたかな~、そんな知り合い・・・」
「レナリアさん・・・!本当に気にしなくていいですから・・・!」
「いや、そう言う訳にはいかないっす!『男に対する恩は女で返せ、女に対する恩は男で返せ』って姐御に言われてるっすから!」
2人は今までレナリアのグレンに対するそう言った台詞を傍から聞いているだけであったが、実際に自分達が言われたことで彼が何故困惑していたのかを悟った。おそらくだが、メリッサとレナリアは特殊な価値観を持っている。シャルメティエとチヅリツカは、そう思わざるを得なかった。
「きっと良い男を見つけて見せるっす!だから、安心して待っていて欲しいっす!」
張り切るレナリアの笑顔に、2人はたじろいだ様な表情を見せる。安心してと言われたが、レナリアの行動に不安を感じるのであった。
「と、とりあえずだ、レナ・・・。今、そのような浮ついた話をしている暇はない。我らはこれからジェウェラ大神官のもとへ行き、協力を仰がねばならないのだ」
「これは申し訳ないっす。じゃあ、アタシもお供するっす」
なんとか話を逸らすことのできたシャルメティエは心の中で安堵の溜息を漏らし、2人と共に部屋を出て行った。向かうは、ジェウェラのいる部屋だ。
シャルメティエはジェウェラの部屋の前まで来ると、その扉をノックする。
「はい」
すぐに返事が返ってきたが、それはジェウェラの物ではなかった。若々しい女性の感情のない声。シャルメティエとチヅリツカはその声の主とはすでに顔合わせをしている。
「マリナ、私だ。ジェウェラ殿に用があって来た」
その言葉を聞き、中にいるマリナと呼ばれた女性はすぐに扉を開けてくれた。
「これはシャルメティエ様。どうぞ、お入りください」
「失礼する」
シャルメティエが部屋の中に入り、それに続いてチヅリツカとレナリアも中に入る。一度も面識のないレナリアとマリナは互いにちらりと見合ったことで目と目を合わせていた。
レナリアは照れくさそうに笑顔を返したが、マリナは表情を変えず少しだけ頭を下げる。その態度に、マリナに対して少しだけ悪い第一印象を持ってしまったレナリアであった。
「おお、シャルメティエ殿。如何なされました?」
自身へ向かってくるシャルメティエに向けて、笑顔を浮かべたジェウェラが問い質す。その顔には彼女がここに来るのを予測していたような雰囲気があり、これから言う内容も容易く受け入れてもらえそうであった。
「突然の訪問、誠に申し訳ない。1つ、頼み事をしたくて来ました」
「リットーの監視ですかな?」
「やはり気付いていましたか。その通りです」
「私達も今、その事について話していたんですよ」
この時、シャルメティエはジェウェラ達がリットーを監視するために動き出す計画をしている最中だったと考えた。しかしそれは間違いで、ジェウェラ達はすでにリットーの監視を行っている。シャルメティエが扉を叩くまでにしていた話は、それについての内容だった。
ジェウェラの作った組織『戦刃』は裏の世界で動く存在であるため、それを伝えることはしなかったが。
「それは都合が良い。我々では目立つため、誰か代わりを用立ててもらおうと思っていた所です」
「分かりました。それではハルマ――ハルトに任せましょう」
ジェウェラは危うくいつものように少年を呼びそうになるのを堪えた。ハルマンという呼び名は、『戦刃』の仲間のみに通じるものである。
そう呼んだからと言って、他の者に分かるはずはないのだが、少しでも違和感を持たれたくはなかった。あの組織は、ジェウェラの想定以上に名が通ってしまっている。
「いいですね、ハルト?」
「はい、ジェウェラ様」
ジェウェラの確認の言葉に、ハルトは元気な返事をする。しかし、シャルメティエの顔はそれを了承していなかった。
「待ってください、ジェウェラ殿。ハルトのような子供に危険な真似はさせられません。誰か他の者はいないのですか?」
「ご安心ください、シャルメティエさん。僕、こう見えても結構鍛えてますから」
そう言われたシャルメティエは、じっとハルトの体つきを見る。確かに、多少は鍛えていることが見て取れた。
しかしそれは少年としてであり、鍛えられた成人男性と比べると遥かに劣る。特にシャルメティエなどは王国の騎士に目が慣れているため、ハルトがとても頼りない存在に見えた。
自分に見つめられただけで目を伏せる仕草には――実際には恥ずかしがっていただけだが――精神的弱さも感じられる。
「ハルト、君の勇気は評価しよう。しかし、やはり駄目だ。子供の力に頼るほど、我々は困窮している訳ではない」
「でも、ここ最近はずっと――」
シャルメティエの態度に、ハルトは思わず自身に与えられた任務を口走りそうになる。それをジェウェラの咳払いが制し、少年は口を閉じた。
「ジェウェラ殿?」
その反応に違和感を持ったシャルメティエが、どういった意図があるのか、と問い質す。それを誤魔化すため、ジェウェラは言葉を紡いだ。
「シャルメティエ殿。貴女のハルトへの気遣い、誠に痛み入ります。ですが、彼にやらせてはもらえないでしょうか?この少年もグレン様のお役に立ちたいのです」
ジェウェラの言葉を肯定するようにハルトは小刻みに頷く。
「貴方方の信仰がグレン殿を『神の生まれ変わり』として認識しているのは知っています。それが正しいか否かを問題とはしませんし、それを否定するつもりもありません。しかし、我々の任務とは切り離して考えていただきたい。協力を仰ぐ身でこのような事を言うのは失礼だと思いますが、ハルトの身に何かあったら事です。おそらく、グレン殿もそうお考えになるでしょう」
グレンの名を出され、ジェウェラもハルトも怯んだ様子を見せた。彼らよりもシャルメティエの方がグレンについて詳しいため、その言葉を鵜呑みにするしかないのだ。
「・・・なるほど、分かりました。ハルト、また別の形でグレン様のお力になるとしましょう」
「ジェウェラ様!しかし――」
「いいのです、ハルト。シャルメティエ殿がそうおっしゃるのならば仕方がありません。諦めましょう」
大神官の言葉にハルトは渋々といった様子で頷く。少し拗ねているのが分かり、これは後で慰めてやらなければいけないなとジェウェラは思った。
「すまないな。だが、君の勇敢さは見事だと思うぞ。後で、グレン殿に伝えておこう」
年下の男子の扱いには弟で慣れているシャルメティエが、少年に向かって声を掛ける。それを聞いた瞬間、ハルトの表情には明るさが戻り、場の雰囲気も穏やかなものに戻って行った。
「では、また別の者を探しておきます。近日中には見つけられると思いますので、もう少々お待ちください」
ジェウェラの言葉に感謝を述べると、シャルメティエ達は部屋を去って行った。
残った3人は先ほどの会話について、各々の意見を述べる。
「別にハルマンにやらせても問題なかったのでは?」
この場にはもう『戦刃』の構成員しかいないため、マリナ――いや、マリンはハルトのことを『ハルマン』と呼んだ。
「私もハルマンに任せるのが不安な訳ではありません。この子は今までも無事に帰ってきました。この年であのリットーを出し抜き、情報を得るのは並大抵の事ではありません」
先ほど考えた少年への慰みを含みつつ、ジェウェラは言葉を続ける。
「ですが、シャルメティエ殿のおっしゃることも理解できます。また、グレン様が『神々の遺産』を所持していることを知ったリットーが、何か別の動きをしないとも限らないのです。用心のし過ぎと言う事はありません」
そこで、ジェウェラはハルマンの顔色を窺う。その表情からは納得が見て取れた。
「ですので、ハルマン。貴方に任せていたリットーの監視ですが、一時凍結とします。また別の任務を与えますので、それまで待機していてください」
「はい、分かりました」
少年の確かな返事に、ジェウェラは満面の笑みを浮かべる。
「それでしたら、私がハルマンの代わりにリットーの監視に当たりましょうか?」
マリンの案をジェウェラは首を横に振ることで拒否をした。おそらく女性や子供では駄目なのだろう、と考えたからだ。シャルメティエ自身女性であったが、そこはフォートレス王国騎士団副団長という地位が彼女の実力を証明している。神の生まれ変わりであるグレンのいる国だ。それが不正によって得た物でない事は容易に理解できた。
「ならば、誰に任せましょう?クリスやヴァイトさんは、別の任務で不在ですし」
「トープスを呼び戻そうかと思います。彼にはプレジア遊戯国の監視を任せていますが、最近は念話で『暇だ、暇だ』と連絡を寄越すんですよ」
『念話』はジェウェラより教えられた秘術の1つ。本来は神官以上の者しか使う事を許されていないため、絶対に口外してはいけないものであった。それを愚痴を零すために使うとは、とマリンは感情を含まず呆れて見せる。
「あの人は・・・。自分で争いを起こそうとはしないのか、とおっしゃればいいんです」
「あの国は争いを起こさせるよりも、美しい女性を1人紹介した方が発展しますから」
その言葉により、プレジア遊戯国がどのような国かを察したハルマンの顔が赤くなる。少年には少々刺激的な国であった。
それを誤魔化すため、ハルマンはジェウェラに問い掛ける。
「ジェ、ジェウェラ様!トープスさんは、いつ頃戻られるのでしょうか!?」
ハルマンの妙に声を張った問いに違和感を覚えながらも、ジェウェラはそれに答えた。
「先ほどのシャルメティエ殿との約束もあります。3日以内には戻るように伝えるので、それくらいになるかと。幸い、プレジア遊戯国は教国の近隣。彼が遊んでいなければ、すぐに戻って来るでしょう」
「もし遊んでいたら、私が懲らしめます」
ジェウェラの冗談に、いけない妄想を膨らませたハルマンは再びその顔を赤くする。マリンが発言しなければ、その顔を直視されていた事だろう。
「そうは言いますが、彼も男です。多少の息抜きは必要でしょう」
「と言う事は、ジェウェラ様も息抜きをしたいと思う時があるんですか?」
マリンの質問――と言うよりも詰問にジェウェラは表情を凍らせる。思わず口を突いて出た言葉ではあったが、そう受け取られてもおかしくはない。
「もしかして、遊戯国に行ったことがあるんですか?思えば、先ほどまでの発言もあの国の事を良く分かっているようなものばかり」
そして、続く発言にさらに言葉を詰まらせる。そんな彼にマリンは詰め寄った。
「ジェウェラ様、少し・・・お話があります」
感情を伴っていないため迫力はなかったが、どう説明しようか悩むジェウェラの額には汗が浮かんでいる。それを動揺と受け取ったマリンは、さらに言葉を浴びせていた。彼女にとって、ジェウェラは神聖な存在でなければならないのだ。
「あ・・・じゃあ・・・僕はここで・・・」
その状況に介入する余地がないと判断したハルマンは、小さな声でそう言って、部屋を出て行く。2人の邪魔をしない様、全ての動作を慎重に行った。
そして扉を閉めると、
「ジェウェラ様はああ言っていたけど、トープスさんが来るまでは僕が頑張らなきゃ」
と意気込みをする。
「グレン様のお役に立つんだ」
そう言う少年の顔は輝いており、足を動かすその姿には勇ましさすら感じられた。




