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紅蓮の英雄  作者: 時つぶし
神を継ぐ者
39/86

3-11 『死神グレン』と『夜の伝説』

 教国へと向かう一行は現在フォートレス王国を出て、サリーメイア魔国へと行きついていた。

 ここはそこにある街の1つ、アッコーロ。

 王都ナクーリアとは比べ物にならないほどではあるが、一応の繁栄が見て取れる。通りには店が立ち、歩く人々からも貧しさで苦しんでいるような雰囲気を感じない。

 これはサリーメイア魔国がルクルティア帝国と異なり、王国――と言うよりもグレンからそこまでの打撃を受けていないからであった。

 そして注目すべきは、魔国の民の服装である。

 彼らの服装は皆一様に薄着で、老若男女問わず肌を露出した服を着ていた。サリーメイア魔国はフォートレス王国より南に位置しているため、平均気温が少し高い。加えて、湿度も高い事からそういった服装が一般的である。

 そのため、他国から訪れた観光客などは大抵がその暑さに疲弊してしまう。

 彼女達がそうであるように。

 「暑いですね・・・」

 街を進む馬車の中、チヅリツカがそう呟く。一体何度目の呟きであっただろうか、共感すべき者達も頷くことしかできなかった。

 「だらしないっすねー、チヅっち!この程度のことでへこたれちゃあ、いけないっすよ!」

 そう言うレナリアは魔国に入ってすぐに外套を脱いでいる。そのため、彼女の素肌が曝け出されてしまっているが、何だかこの国ではそれが相応しいように感じられた。しかしそれでも汗はかいているようで、肢体を滴り落ちる雫にそこはかとない色気が混じっている。それを目の前にして、グレンも少々気恥ずかしくなる。

 ただ、それ以上の存在が隣にはいた。

 「この国は、これほどまでに暑いのですね・・・。授業で習いましたが、実際体験してみると・・・ふう・・・」

 エクセの今の服装は、前回グレンと共に実習に赴いた時のものと同じである。と言うことは体にぴったりとくっついた白いドレスを着用しており、それがさらに彼女の発汗を促進させていた。手袋はすでに外し、膝の上に乗っている。そして滲んだ汗は彼女の服を薄っすらと、だが確かに透かしていた。そう、下着の色が確認できるほどに。

 「シャ・・・シャルメティエ・・・皆も慣れない環境で疲れているようだ。今日はこの街で宿を取らないか?」

 普段通りの軽装をしているグレンは、ほとんど汗をかいていない。しかし、この状況に汗をかきそうであったため、部隊長にそう持ち掛けてみた。

 「そうですね・・・。情けない話ですが、私も少々堪えてしまいました・・・。騎士として、なんと不甲斐無い・・・」

 「それは仕方がない。皆、魔国を訪れるのは初めてなんだろう?私も忠告しておくべきだった」

 グレンは勇士の仕事の関係上、何度かサリーメイア魔国を訪れたことがある。それ故この国の気候についても知っていたのだが、女性の服装に口を出せるような性格をしていなかったのだ。もし仮にあの時、「もう少し薄着になった方がいい」などと言ったら、例え事情を説明したとしてもレナリアが騒ぎ立てただろうから正解だったとは思っているが。

 「とか言っちゃって、本当は汗だくになった3人を見たかったんじゃないんすか?旦那っちも良い趣味してるっすね~」

 いや、そうでなくともこうなるようだ。

 グレンは小さな溜息を一つ吐くと、御者の男に向かって宿屋へ向かうよう声を掛けた。男は「へいっ」と元気な声を返し、宿屋に向かって馬車を進める。彼は王都の人間であったが旅に慣れており、魔国の街についても詳しかった。ただ勿論、この旅の目的は知らされていない。

 しばらくして、ある宿屋の前まで来ると馬車が停止する。5人は順に外へ出た。

 「いやー、これで一息つけるっすねー」

 座り続けて固くなった体を伸ばしながら、レナリアが嬉しそうに言う。それに疲れのないグレンだけが頷き、一行はシャルメティエを先頭に宿屋へと入って行った。

 「いらっしゃい」

 すると、恰幅の良い女将が笑顔で出迎えてくれる。どうやら1階は食堂も兼ねているようで、向こうでは楽しそうに食事をする人々の姿が見えた。

 「泊まりかい?それとも食事かい?」

 「泊まりです。5人ですが、部屋は空いていますか?」

 代表してチヅリツカが手続きを行うようだ。

 「空いてるよ。それにしても暑そうな格好だね。もしかして外国の人?」

 「はい。王国から来ました」

 「はーー!王国ねー!」

 王国と魔国の間には不平等な条約が結ばれているとは言っても一般人にはあまり関係がないのか、女将は適当な相槌を打つだけで終わらせた。その条約も結ばれて久しく、また魔国から出ない者にとっては直接的な損害を被るようなものではないため、違和感のある対応ではない。

 「それで5人一緒の部屋でいいのかい?」

 「はい」

 平然と言うチヅリツカの言葉にグレンは慌てた。

 「待ってくれ、チヅリツカ君。私は違う部屋で構わない」

 「え?どうしてですか?」

 グレンの言葉にいち早くエクセが疑問の声を出す。

 「そうですよ、グレン殿。共に旅をする仲間なのですから、一緒の部屋で寝泊まりした方が都合が良いはずです」

 それに同調するようにシャルメティエもグレンに向かってそう言って来た。その顔に揶揄いの色はなく、本気でそう思っているようだ。

 シャルメティエの言葉に「うんうん」と頷いているレナリアを尻目に、グレンは異議を唱えようとする。

 「何を言って――」

 「グレン・・・?」

 しかし、それを遮るように女将がグレンの名を呼んだ。見れば厳しい顔をしており、まるでグレンを睨み付けているようである。

 「あんた達・・・王国から来たって言ってたよね・・・?それでグレンってことは・・・もしかして・・・?」

 「はい。こちらの方は、王国の英雄として有名なグレン=ウォースタイン様です」

 女将の疑問にチヅリツカが答えた瞬間、その顔は恐怖の色に染まった。

 「ひえあああああああ!出たあああああ!グレンだよおおおお!『死神グレン』が出たよおおおおお!」

 その突然の雄叫びにグレン達だけでなく、食事をしていた人達も驚きの表情で女将を見る。その顔は彼女同様、恐怖に彩られていた。

 「グ、グレンだって・・・!?」

 「あの大男がそうか!?」

 「女子供は今すぐ逃げろお!!」

 先ほどまで食事をしていた人々は、皆騒ぎ立てながらグレン達のいる出口とは違う方向へ逃げ惑う。時には窓から飛び出す者もいる始末で、まさに阿鼻叫喚と言った光景であった。その中でも特に気に掛かったのが、女性や子供を庇う仕草を見せる者が多い事だ。

 一体、どういう事なのだろうか。グレン達は呆然としながら、誰もいなくなった宿屋の1階に佇んでいた。もはや女将すらここにはいない。

 「な・・・なんですか今の人達は・・・!」

 グレンに対する異常なまでの反応にエクセが怒りの声を上げる。

 「旦那っちのこと『死神』って言ってたっすけど、どういうことっす?」

 レナリアも首を傾げたが、その気持ちはグレンも同様であった。

 「知らん・・・。魔国には何度か来たことはあるが、この国の者とは一度も会ったことが無くてな・・・」

 魔国には勇士の依頼で来たことがある。とは言っても護衛が主で、依頼主は王国の人間だ。そのため魔国でのやり取りはその者達が行うことがほとんどで、グレンはこの国の民と会話をしたことがない。それ故、彼らの異常な反応に察しがつかなかった。

 「もしかしたら、魔国の軍をグレン様が圧倒したからではないですか?それが恐怖話として伝わったとしか思えません」

 チヅリツカの言葉に、だからと言ってあそこまで恐怖しなくてもいいだろう、とグレンは思う。

 そう思ったのだが、誰もいなくなったここに用はなく、皆して馬車に戻ることにした。

 それからというもの、回る先々でグレンは恐怖され、宿泊どころか休息すらままならない事態となってしまう。皆、彼のことを『死神』と呼び、一目散に逃げて行くのだ。名乗らずとも正体がバレているのは、先ほどの宿屋でグレンの姿を見た人々が言いふらしているのだろう。彼ほど特徴的な外見をしているのならば、伝達も理解も容易いはずだ。

 そう言った理由から、このままではエクセ達に迷惑が掛かると思い、グレンは彼女達にこう告げる。

 「私は街の外で野宿をする。君達は適当な宿屋で泊まってくれ。明日の朝、街の入り口で落ち合うとしよう」

 それは仕方のない決断であった。とは言っても、野宿に慣れているグレンにしてみれば何てことはない結論であったし、それにより女性陣が屋根のある場所で寝泊まりできるのであればお釣りが来る。

 しかし、それを良しとしない少女が1人いた。

 「だ、駄目です!グレン様にそのような事をさせるなんてできません!それにお食事はどうするのですか!?私はグレン様にお食事を作るために付いて来たんですよ!?」

 「そうは言ってもだな、エクセ君。このままでは君達まで宿なしになってしまう。おそらく他の街に移っても同じだろうしな」

 「私はそれでも――」

 言いかけたエクセは、何かを思いついたように顔を輝かせた。

 「――そうです!グレン様が野宿をなさるというのならば、私もお供いたします!」

 「なに?」

 声を出したのはグレンだけであったが、他の者も驚いた表情をしている。それを気にせず、エクセは続けた。

 「グレン様をお一人で野宿させることなどできませんし、お食事を作って差し上げなければなりません。かと言って、他の方をその事情に巻き込むのも迷惑ですので、グレン様と私の2人きりで野宿をしましょう」

 差し迫った状況から捻り出した妥協案と言う割には、エクセの顔は満面の笑みを湛えている。そこから彼女が何を考え、何を望んでいるのかが手に取るように分かったが、それを良しとしない者もいた。

 「ちょ、ちょーっと待って欲しいっす!バルバロットの大旦那の娘さんを野宿させたなんて姐御に知られたら、アタシ絶対怒られるっす!考え直して欲しいっす、お嬢!」

 この言葉により、元々止めるつもりであったシャルメティとチヅリツカも顔を青ざめさせる。もしエクセを野宿させたことがバルバロット本人に知られたら、どれ程の怒りをぶつけられるか分かったものではない。

 「そ、そうですね・・・。何もエクセちゃんが野宿をしなくても・・・」

 「う、うむ・・・。隊を預かる身として、あまり望ましくはないな・・・」

 そう言う2人の声は震えていた。

 「皆の言う通りだ。エクセ君、君のような子供が外で一夜を過ごす必要はない。他の3人と共に宿屋に向かってくれ」

 「それでは、私が付いて来た意味がなくなってしまいます。貴族の娘として、一度した約束は守らせて頂きます」

 毅然とした態度で断言するエクセの目は、かつてグレンに見せたことのある力強さを秘めていた。その目に見つめられると不思議と言う事を聞いてしまいたくなる程だ。

 こうなったら馬車で寝泊まりするしかないか、とグレンが考え始めたその時、彼に向かって聞き覚えのある声が掛けられた。

 「へっへっへ。お困りのようですね、グレンの旦那」

 その声にグレンが振り向くと、そこにはフォートレス王国のムムル村に店を構える商人ガドがいた。

 「ガドか!どうしてこんな場所に?」

 「お久しぶりですね!俺は商品の仕入れやら何やらですわ。旦那こそ、どうしてここに?」

 言いながら、ガドはグレンの周りにいる女性達を見渡す。その間レナリアが「アタシと旦那っちの呼び方が被ってるっす・・・!」と小さく叫ぶ声が聞こえた。

 「ははーん・・・。なるほど、愛人を連れて旅行ってところですかい?」

 「なっ・・・!?」

 「へへっ、冗談ですよ。シャルメティエ様もいらっしゃるのにそんな勘違いしませんって」

 にやりと笑うガドはシャルメティエ達に向くと、恭しく頭を下げる。

 「お久しぶりです、シャルメティエ様。それ以外のお嬢さん方は、初めまして」

 その挨拶にシャルメティエは小さく頷き、エクセとチヅリツカは頭を下げた。レナリアだけは片手を上げて、「初めましてっす!」と元気な挨拶を返している。

 「で、旦那。お困りなんでしょ?力になりますぜ」

 「その通りなんだが・・・よく分かったな」

 「そりゃ街中で『死神グレンが出た!』って騒がれれば、嫌でも分かりますわ」

 ガドは面白そうに、がははと笑った。

 「それなんだが、ガド。何故、私が『死神』と呼ばれているんだ?やはりかつての戦闘が原因か?」

 グレンはかつてサリーメイア魔国の軍隊と戦ったことがある。その時は帝国を壊滅に追い込んだ彼の実力を見定めようとした魔国との小競り合い程度であったのだが、そんな相手にもグレンは容赦をしなかった。『紅蓮の戦鎧』を身に着け、圧倒的速度と無慈悲な刃で魔国軍を蹂躙。おそらくその出来事は、魔国の民にも伝えられているはずだ。それ故、自分の事を恐怖の対象として見ているのであろう。それが最も納得のいく理由であった。

 「おや、ご存じない?でもまあ、旦那にとっちゃあんまり気分の良い事実じゃないんですけどね」

 「なんだ・・・やけに含みのある言い方だな・・・」

 「そりゃそうですよ。俺だって、それを知った瞬間頭にきましたからね」

 そう言われ、グレンはガドの知る真実を聞くのが怖くなってきた。

 しかしややあって、

 「構わない。教えてくれ」

 と答える。

 「分かりました。じゃあ、少し長くなりますが――」

 そう言って、ガドは話を始めた。

 



 サリーメイア魔国は他国と全く異なる魔力体形を確立している。

 それは『魔術』と呼ばれ、名を唱えて発動させる魔法とは異なり、呪文を唱えて使用するものであった。

 魔法とどちらが優れているかという問いに贔屓なくして答えられる者はおらず、つまりはそれだけ双方に差がないという事である。

 しかし、そんな魔術に対して魔国の人間は絶対的な自信を持っており、またそれがこの国の人間の価値を決める基準になっていた。

 魔術の優れた人物が重宝され、そうでない者は淘汰される。それが魔国の現状であった。

 とは言っても、ある程度の魔術が使えればそのような事態になることはなく、この街の人間も大抵がそういった実績の持ち主である。

 しかし――王国の人間もそうであるが――中には魔力の行使が不得手な者もいるのだ。

 王国のように魔法が不得手であっても近接専攻(クラス)で実力を磨くと言う選択肢があればいいのだが、魔国にはそのような道はなかった。

 そういった人間の辿る末路は単純で、学生時代を落ちこぼれとして過ごし、職に恵まれず、果ては盗賊などに堕ちてしまう。そしてそれ以降は自国を恨みながら近接戦闘の訓練に精を出し、培った実力を犯罪に関連して発揮させていた。

 そんな折、王国の英雄グレンに関する話を耳にする。

 自分たちを落第者とした魔術がグレンには全く通用せず、戦闘に参加した者たちは口々に恐怖に満ちた言葉を発したと言う話を聞き、彼らは大いに笑い転げた。

 そして、それを利用しようと考え出したのだ。彼らとて、魔術にのみ専念してきた者と比べれば武器の扱いに長けている。しかし、それを発揮する前に攻撃を受ける危険性もあり、奇襲以外の手は取り辛かった。そこでグレンの背丈に似た人物が彼の名を騙り、相手を震え上がらせることで抵抗する意思を無くさせる方法に打って出たのだ。その作戦は上手くいき、強盗、強姦、終いには殺人にまで利用された。

 そういった事案は魔国の各地で発生し、現在グレンの名を悪名として轟かせる要因となっている。

 そのため魔国の民たちはグレンのことを『死神』と呼び、心から恐れているのだ。





 「な、なんですか、それは・・・!許せません・・・!」

 グレンの名を使い犯罪に手を染める者達に対し、エクセは怒りと悔しさの混じった声を上げた。少女の瞳には涙が滲んでおり、その程度が一目でよく分かる。他の者達も不快感を滲ませていた。

 「そう思うでしょ、お嬢さん?全くとんでもない奴らがいたもんですぜ。王国でそんなんやったら、死刑ですよ」

 「そのような事実があったとは・・・これも王国と魔国の連携不足が原因だな。チヅ、この任務が終わり次第早急に対処するとしよう」

 「畏まりました、シャルメティエ様」

 シャルメティエの提案にチヅリツカは頷く。この2人にとっても王国の英雄が貶される行いは気に食わず、おそらくはティリオンも同じであろうことから、すぐに魔国に干渉することになるだろう。

 「すまないな、よろしく頼む。――それでだ、ガド。そういった理由から私は魔国の人々に歓迎されていないらしい。彼女達だけでいい。どこか利用できる宿屋を知らないか?」

 至って平然とした態度のグレンに、皆不思議そうな目を向けた。

 「旦那っち、腹が立たないんすか!?自分の名前を勝手に使われて、その罪まで擦り付けられてるんすよ!?」

 その疑問をレナリアが代表して聞く。

 その問いに関してもグレンは平然としていた。

 「腹立たしいと言えば、腹立たしい。だが、私を知る者が誤解をしなければそれで良いとも考えている。実際ガドがそうっだたしな」

 「た、確かに・・・そうっすけど・・・」

 グレンの返答に、レナリアのみならず他の女性も腑に落ちないといった感じである。

 「さすがは旦那ですぜ!小悪党共の些事なんて気にも掛けない!やっぱり強い男ってのは違うんですね!心まで強いっていうんですか!?そりゃ、こんだけの美女が集うわけだ!がははははは!」

 場の雰囲気を一変させるかのように、ガドは笑い声を上げた。

 彼としても聞かれたため答えただけなので仕方ないのだが、自分の話で空気が沈んでしまい、それを気に病んだが故の行動である。これもまた商人として培ってきた技術であった。

 「だから、違うと言っているだろう」

 「分かってますって!――で、宿でしたっけ!?それならお任せください!隣街になりますが、知り合いの経営している宿屋があるんでさあ!そこの店主なら、旦那への誤解も解いてあるんで泊めてくれると思いますよ!」

 まさに渡りに船、といった感じである。皆も嬉しそうに微笑んでいた。

 「素晴らしいな。案内してくれ」

 「ただ――」

 グレンが快くその提案を受け入れた瞬間、ガドは一変して表情を曇らせてしまう。

 「どうした?」

 「ちょっとお値段の方がですね・・・、お高めでして・・・」

 言いながら、ガドはさっと取り出したメモ用紙に何やら書き込んでいく。そしてそれをグレンだけに見せてきた。

 「こちらになります」

 「む・・・!」

 確かに高い。それを見たグレンは思った。

 魔国の通貨は王国と異なるが、丁寧にもガドは王国の通貨であるレイズ換算で宿泊料金を書いてくれている。一泊二日を5名で7500レイズ、1人当たり1500レイズだ。これはフォートレス王国民の平均月収の半分に当たり、一般家庭ならばまず躊躇する値段である。

 ただ今回の遠征に望む際に、当然の如く国から資金が提供されており、この程度の値段であるならば払っても大した損害はなかった。それでも貧乏性であるグレンにとっては二の足を踏むに十分な額であり、それはこっそり覗き込んできたレナリアにとっても同じであるようだ。

 「げっ・・・!」

 という驚愕の声が聞こえる。

 「グレン殿、見せてください」

 紙面とにらめっこするグレンに向かって、シャルメティエがそう声を掛けた。今回の遠征部隊は彼女が指揮官であるため、本当は彼女に判断を仰ぐべきであったのだが、さすがのガドもそこまでは気付かなかった。

 「あ、ああ」

 グレンはガドから紙を受け取ると、それをシャルメティエに渡す。彼女がそれに目を通すと同時に、エクセとチヅリツカも横から覗き込んだ。

 「なんだ、大した額ではないではないですか」

 「そうですね。これならば帰りに利用しても良いかと思います」

 「安心しました・・・。これでグレン様を野宿させずに済みます・・・」

 さすがは貴族と言った所か。彼女達は余裕綽々といった面持ちでそう言ってのける。

 「おっとー・・・。旦那、シャルメティエ様は分かるとして他のお二方は一体何者なんです?特にあの若い子。あの値段を簡単に受け入れちまうなんて、どこかのお嬢さんなんですかい?」

 「ああ、彼女はシャルメティエと同じ六大貴族であるファセティア家の娘だ。もう一方の女性も貴族だからな。我々とは金銭感覚が違う」

 「へー、あの・・・!これは今後、ぜひお付き合い願いたいですねー・・・」

 商人の性か、ガドは思わぬ所でできた繋がりに歓喜した。今回の件にしても、常連客のグレンが困っているから手助けしようと思っただけであったが、これはそれ以上の成果が生まれそうだと心を躍らせる。

 そのため、シャルメティエから

 「ガド、これで構わない。案内してくれ」

 と言われた際には、

 「畏まりました!いやーよかったです、皆さんのお力になれて!一応自分の仲介料は抜いておいたんですけど、交渉次第ではもっとお安くできますよ!?」

 と更なる提案を試みた。

 「いや、結構だ。これ以上貴方に迷惑を掛ける訳にはいかない」

 「そんな、いいんですよ!お客様のために汗を流すことが、我々商人の生きがいなんですから!」

 「いや、本当に結構だ」

 「そうですか・・・?だったら、その代わりではないですが王国で何かご入用になったときは、ぜひこのガドめにお申し付けください。旦那も信頼する品質で、お届けいたしますので」

 商売人らしい宣伝も入れて、ガドは会話を終わらせた。シャルメティの隣に立つエクセやチヅリツカなどからは彼を称賛する声が聞こえ、彼も心の中で顔を綻ばせる。

 「それでは皆さん、馬車に乗ってください。自分も馬車を持ってきますので、共に行くとしましょう」

 その嬉しさが滲み出るような明るい声でガドはそう言った。

 それを合図に一行は馬車に乗り込み、一路隣町へと向かって行く。





 ガドが操る馬車が止まり、グレン達の乗る馬車も続いて停止した。

 ガドは急いで御者台から飛び降ると、後ろの馬車へと走って向かう。その時にグレン達の乗っている馬車の御者が下りようとするのを手で制しておいた。御者に代わり、彼が扉を開けるつもりなのだ。

 ガドは馬車の扉の前に立つと少しだけ乱れた髪を整え、ゆっくりと開けた。そして爽やかな笑みを浮かべながら中にいる者達に語り掛ける。

 「さ、着きましたぜ。手をお貸ししましょうか、お嬢さん方?」

 そう言いながら、ガドは丁寧な仕草で手を差し出した。なるほど馬車を降りるときはこうするのだな、とグレンは大いに感心する。

 「いや、必要ない」

 ガドに最も近いシャルメティエがそう言うとエクセとチヅリツカも同意するように頷いた。レナリアだけ名残惜しそうにしていたのは、そういった経験が一度もないからであろう。

 「さいですか。では、旦那はどうです?」

 「ん?そういうのは男に対しても言うものなのか?」

 「ぶは!旦那も良い返ししますね!」

 どうやら冗談だったらしい。これだけ機嫌の良いガドを見たことのないグレンは、少々戸惑いながらも馬車を降りた。続いて女性陣も降り、今夜の宿泊先を目にする。

 「おおー!中々良い所じゃないっすかー!」

 まずレナリアが満足気な声を上げる。彼女にしてみれば『中々』どころではなく、かなり立派な宿屋であったのだが、他の女性と肩を並べたくなり見栄を張っていた。服装と大声により、それは無意味なものと化していたが。

 「それでは入るとしましょう」

 そう言ってチヅリツカがシャルメティエ達を率いて宿屋に入って行く。手続きは彼女に任せておけばいいだろう、と考えたグレンはガドに向かって礼を言った。

 「すまなかったな、ガド。お前のおかげで助かった」

 「いやいや、いいってことですよ!俺としても旦那のお力になれて嬉しいんですから!」

 それに新しい貴族の方とも知り合えたし、とは言わないでおく。

 「ところで、旦那。聞きそびれたんですけど、一体何をしにこの国に?」

 「ん?それは――」

 今回の任務はあまり他言して良いものではない。目の前の商人ならば、それを告げるだけで潔く引いてくれると思うのだが、グレンは今回のガドの行動に恩を感じていた。そのため、少しくらいならば教えても構わないだろうと判断する。

 「――実はな、この国に用はないんだ」

 「へえ。じゃあ、どこに行くんですかい?」

 「ここから南にあるユーグシード教国だ」

 グレンがそう告げた途端、ガドの顔が嫌悪感に歪んだ。

 「ユー~グシー~ド教国ぅ~・・・!!」

 「な、なんだ・・・?どうした・・・?」

 ガドのその反応にグレンは戸惑いを隠せない。そして、それに気付いたガドも急いで取り繕った。

 「おっと・・・!いや、申し訳ありませんね。俺ってば、どうもあの国が気に食わなくて」

 「ほう。どうしてだ?」

 「・・・『加護』ってあるじゃないですか?」

 『加護』とは、物体に後天的な魔力的効果を付与する秘術である。神官のみに扱える術法と言われており、教国のみならず様々な国に暮らす神官がそれを生業として生活していた。

 「神官やら大神官やら知りませんがね。俺はああいう既得権益ってやつが大嫌いなんですよ。神官になるために努力をしたのは分かりますが、あんだけ便利な技術を教国だけで独占するなんて、ずるくないですか?」

 「そ、そういうものなのか?」

 「そういうものなんすよ!俺ん中ではね!――っとお。旦那に当たってもしょうがないですね。申し訳ないです」

 感情が昂ぶり始めたガドは、深呼吸して気分を落ち着かせた。

 「ただですね。その時代ももう終わりなんじゃないかって思ってもいる訳ですよ」

 「ほう・・・」

 「今、王国と帝国が競うように日常生活に使える魔法道具(マジックアイテム)を開発しているじゃないですか?今まではそういった物を専門的に作る職人がいなかったから、『加護』が重宝されていたんですよ。でも戦争がなくなった今、これからは武器や防具だけでなく、服や小物までが職人の手によって作り出されていくんです。俺が魔国に来たのも、実を言うとその納品先を予め確保しておきたいっていう思惑がありましてね」

 「なるほど。熱心なことだな」

 「そりゃもう!なんたって、俺はこれしか能がないんでね!――あ、旦那なら大丈夫だと思いますけど、誰にも言わないでくださいね。真似されたら困るんで」

 「分かっている」

 まるで子供が新しい玩具を手に入れたかのようにガドは楽しそうに語る。おそらく、これが商人としての醍醐味なのだろう。

 そんな事を考えるグレンに向かって、宿屋から出てきたエクセが声を掛ける。

 「グレン様、手続きが済みました。お部屋に参りましょう」

 グレンは振り返るとエクセに向かって「ああ」と返事を返した。

 「それじゃあ、旦那。楽しんできてくださいね」

 再び自分の方へ向いたグレンに対し、ガドが冗談めいた口調で囁く。何度目かの冗談であったため、グレンも慣れたように「ああ」とだけ返し、宿屋へと入って行った。






 「何が『ああ』だ・・・!」

 グレンは宿屋に入る前の自分の言葉を思い返し、怒りを露わにした。

 もしそれを傍で聞いている者がいたのならば、少しばかり恐怖を感じたことだろう。しかし、今は彼1人である。そう、今は。

 「何故、5人一緒の部屋なんだ・・・」

 グレンが宿屋の前でガドと話している最中、女性陣は宿泊の手続きを済ませてしまっていた。そしてそれは最初の宿屋におけるやり取りの再現であり、今回はそれを止める者が誰一人としていなかったのだ。

 故に、彼はベッドに座りながら頭を抱えている。

 エクセに連れられて部屋に入った瞬間、そこはすでに乙女の園と化しており、さすがのグレンも一瞬たじろいではいた。しかし、その拍子に前進しようとしたエクセとぶつかり、思わず部屋の中に入ってしまったのだ。つまり今ここにグレンがいるのは彼の意志ではなく、単なる事故。仕方のないことであった、と言う事にしておいてもらいたい。

 そして女性陣は今、汗を流すため風呂に入っている。この宿屋には温泉があり、それが理由で宿泊料金が高いと言う事であった。

 彼女達がこの部屋を出てからすでに20分以上が経過している。もうそろそろ戻ってきてもおかしくはない。

 「それまでに、この部屋を出る理由を考えなければ・・・」

 彼女たちのことだ。グレンがこの部屋を出て行こうとすれば、まず間違いなくその理由を問うだろう。そしてその時、仮に「君たちを女性として意識してしまうから」などと言ってしまったら、今後の旅に支障をきたすのは明白である。かと言って、他に波風立てない言い方もグレンの頭では思いつかず、彼は唸るばかりであった。

 「ふっふっふ。お困りのようっすね、グレンの旦那っち」

 その時、いつの間にか扉を開けて立っていたレナリアが、ガドを真似た様な台詞をグレンに向けて放つ。風呂上がりの彼女の服装は薄布一枚で構成された寝間着であり、暑いのか胸元をはだけさせていた。下半身も大きく捲り上げられており、普段着とあまり変わらない格好をしている。そして、その手には先ほどまで着ていた服と良く冷えているであろう果実水の入った瓶が握られていた。

 「お前、それはどうした?」

 「チヅっちからお小遣いをもらったっす!いやー、風呂上りに加えて他人の金で飲む一杯は最高っすねー!」

 心底嬉しそうにそう言うと、レナリアは服を持ったままの手を腰に当て、ぐびぐびと残りを全て飲み干していく。そして瓶の中を空にしてしまうと、「ぷはー!」と息を吐いた。

 「――って、そうじゃないっす!旦那っち、困ってるんじゃないっすか!?」

 自分に割り当てられたベッドに向かって服を放り投げながら、レナリアは再度問い掛ける。その仕草に他の女性陣との差を感じつつ、グレンも答えた。

 「そうだな・・・。少しばかり困っている・・・」

 何が、とまでは教えない。無論、レナリアが状況をかき乱すからだ。

 しかし、少女はしたり顔で頷くと、いきなり自分の胸の谷間に手を突っ込み始める。突然の行動にグレンも目を見開いて驚いた。

 「そう思って――」

 そして、そこから鍵を1つ取り出し、

 「一人部屋を一室、別に借りておいたっす」

 と言った。

 「おお・・・!」

 まさかの心遣いに、グレンは思わず感嘆の声を漏らす。それを聞き、レナリアも自慢気に胸を張った。

 「やっぱりそうっすか。だろうと思ったんすよ。そりゃ、女が何人もいたら気まずいっすもんね」

 「レナリア・・・私は今、お前を連れてきて良かったと初めて思ったぞ」

 「ええ・・・。衝撃の事実っす・・・」

 肩を落とし、鍵を落としそうになるレナリア。

 「いや、すまない。お前を見直したと言う事だ。これは報酬を上げてやらなければいけないな」

 しかし続く言葉に顔を輝かせ、グレンに向かって歩き始める。

 そして、彼に別室の鍵を手渡した。

 「皆にはアタシから言っておくっす。旦那っちは、自分の荷物を持って行ってくださいっす」

 「ああ、すまないな」

 グレンはそう言うと、数少ない自分の手荷物と鍵を持って立ち上がる。

 エクセ達が戻ってくる前に部屋を出ておきたかった。

 「それじゃあ、後は頼んだぞ」

 面倒臭い言い訳はレナリアに任せ、グレンは意気揚々と扉へと進み始める。そんな彼の背中に向かって、レナリアは最後にこう言った。

 「それで、誰を向かわせればいいっすか?」

 その問いの意味をすぐには理解できず、グレンの足は止まる。しばらく考えてみたが、やはり理解できず、グレンは振り返りレナリアに聞いてみた。

 「なんの話だ?」

 「今日は誰と寝るのか、って聞いてるんす」

 その答えの意味をすぐには理解できず、グレンの思考は止まる。しかし、そんな頭でも彼女が何を言いたいのかが少しずつ分かり、グレンはこれだけ言った。

 「・・・・・・・なに?」

 こいつは何を言っているんだ。

 普段は表情に現れにくい彼の感情も、今やその表面にありありと表現されていた。当然、不可解と言う形で。

 そして何故か、レナリアも「ん?」と首を傾げる。

 「あれ?私達って、夜伽のために連れて来られたんじゃないんすか?」

 その言葉の意味をすぐに理解したグレンの呼吸が――止まった。

 そんな彼の様子に気付かず、レナリアは続ける。

 「前に姐御が言ってたっすよ?『グレンに仲間なんていらない。もしあいつの隣に誰かがいるとしたら、それは足手まといか夜伽相手さ』って」

 (あいつは何を教えているんだ・・・)

 「だからアタシも覚悟してきたっす。もしかしたら1週間の間、毎晩旦那っちの相手をしなくちゃいけなくなるかもしれないんすからね」

 (こいつも何を考えているんだ・・・)

 「でも、お嬢達を見て一安心す。あれだけの美人が揃ったら、旦那っちも代わる代わる楽しみたいだろうし」

 そこまで言って、レナリアはグレンの表情に気付く。そしてそこから自分の考えが間違っていることを察した。

 「あ、もしかして2人くらいなら一辺に相手しちゃう感じっすか?」

 それも間違ってはいたが。

 「だとしたら、誰を選ぶっすか?アタシでも別にいいっすよ?」

 このままでは誤解が深まっていくばかりと判断し、グレンは否定の声を上げようとする。しかし、今まで息を止めていたのに気づき、まずは深呼吸をした。

 心を落ち着かせ、グレンはなるべく平静を装いながら、レナリアに話し掛ける。

 「いいか・・・レナリア・・・。お前は大きな誤解をしている・・・」

 「え!?マジっすか!?まさか3人とか!?」

 「違う・・・!私が彼女達に手を出すつもりはないということだ・・・!」

 その答えが意外だったのか、レナリアの目が点になる。

 「ま・・・ま~ったまた、冗談言っちゃってっす!あんだけの綺麗所と一緒にいて、旦那っちが何もしない訳ないじゃないっすか!」

 「お前は・・・私がそれほど精力旺盛に見えるのか・・・?」

 「そりゃもう当然っすよ!」

 聞いてみたグレンであったが、それは否定して欲しくて尋ねた質問であり、予想外の断言に少々面食らった。レナリアの顔からも彼を困らせようとしているのではない事が分かる。

 「そ、そう・・・なのか?」

 「あれ!?もしかして、自覚なしっすか!?旦那っち、家に鏡とか置いてないんすか!?」

 「あ、ああ・・・置いてはいないな・・・。しかし、それほどか・・・?」

 「そうっすねー・・・すれ違う女を手当たり次第に襲いそうなくらいには、それほどっす」

 「そ、そうか・・・」

 彼にしてみれば衝撃の事実を突きつけられてしまった。

 勿論、グレンとて自分の顔が女性から好まれるものでないことは自覚している。しかし、異性から見てそれ程までに非好意的印象を持たれる容姿をしているとは思っておらず、少なからずの動揺を誘った。

 魔国において『死神グレン』と言う噂が広まり、そしてそこに暮らす者が実物を見た瞬間に恐怖し出すのも無理のない事なのかもしれない。

 グレンは今日の出来事を振り返り、そう思った。

 「だが、エクセ君達は普通に接してくれているだろう?」

 そうだ、そうではないか。彼女達は普通に接してくれているではないか。

 男女問わず見目麗しいと感じてしまうあの3人は、グレンに対して嫌悪感を持っていない。ならば、レナリアの考えていることは、単なる個人的見解なのではないか。

 グレンは微かな希望を持って、レナリアに問う。

 「だから、旦那っちの女なんじゃないかと思ったんすよ」

 「なるほど、今度はそうなるのか・・・」

 グレンの中の微かな希望は、別の解釈により打ち砕かれた。

 「あっれー?違うんすか?姐御から聞いた旦那っちの『夜の伝説』だと――」

 「なっ・・・!」

 その言葉を聞いた瞬間、グレンは驚くと同時にレナリアの口を掴むように塞いでいた。あまりの早さと思わぬ力に少女も驚きに目を見開く。そんなレナリアに向かって、グレンは諭すように言った。

 「い、いいか・・・レナリア。その言葉を彼女達の前で――特にエクセ君の前で言うんじゃないぞ。もし言ったら・・・報酬を減らす・・・」

 グレンの無慈悲な言葉にレナリアはさらに大きく目を見開く。少しだけ呻く声が聞こえた。

 それと同時に、グレンの後ろで扉が開く音が聞こえる。どうやらエクセ達が風呂から戻って来たようだ。

 しまった、とグレンは扉に向かって振り返る。

 「ただいま戻りました、グレン様」

 まず部屋に入って来たのはエクセだ。

 レナリアと同じ薄い寝間着を正しく身に着けており、その両手には先ほどまで着ていた服が乗っている。もしかしたらその中に彼女の下着も包んであるのかもしれない、と考えてしまったのはグレンも男だからであろう。

 そして、続いてシャルメティエとチヅリツカが入って来る。彼女達も同様の寝間着を着ているのだが、普段の服装とは違うその無防備な格好にグレンも少々の興奮を覚えた。そのため、顔が赤くならないよう必死にこらえる。

 (しかし・・・これは・・・)

 風呂上がりだからだろうか。グレンには彼女達の魅力が通常の何倍にも膨れ上がっているように見えた。

 まだ乾き切っていない髪、赤く火照った頬、そして(つや)やかな肌。グレンのような自制心を持った男以外が見たら、どうのような事態に発展するか分かったものではない光景がそこにはあった。

 グレンが黙ったまま見惚れる3人、その中の1人であるチヅリツカが不思議そうに彼に問い掛ける。

 「どうなさったんですか、グレン様?レナリアさんの口なんて塞いでしまって」

 その言葉で思い出す。

 3人に呆けている間も、グレンはレナリアの顔を掴んだままだったのだ。

 「いや、なんでもない・・・!」

 そのため、グレンは慌てて手を放した。

 しかし、それはレナリアの口が自由になったという事で――。

 「ひどいっす、旦那っち!なぜっすか!?なんで旦那っちの『夜の伝説』について喋っただけで、報酬が減っちゃうんすか!?」

 解放されたレナリアの口から出た雄叫びが、5人のいる部屋に響き渡る。すでに扉は閉まっており、廊下にまで届かなかったのがせめてもの救いであった。

 いや、もはやこの状況において、いかなる事象も救いになることはないだろう。グレンが隠し通そうとした事実はすでに暴かれ、女性陣は各々の反応を見せている。

 彼の背中には大量の冷や汗が流れ始めていた。

 「レナリアさんも・・・ご存知なんですか・・・?」

 グレンに関して自分の知らない事柄を知っている者がまた1人現れたことによって、著しく動揺したエクセが声を絞り出す。ただ、レナリア本人はそれが何の話か気付いていなかった。

 「んえ?何のことっすか?」

 「グレン様の『夜の伝説』についてです・・・。ご存知なんですか・・・?」

 「むしろお嬢は知らないんすか。てっきり覚悟の上かと思ってたんすけど」

 どうする。もはや気絶させてでもこの会話を終わらせるか。

 などと、グレンは危険な発想をしてしまうが、さすがにそれを実行する勇気はなかった。

 それゆえ、話は進む。

 「覚悟・・・!?グレン様の『夜の伝説』には、私の覚悟が関係しているですか!?」

 「まあ、そうっすね。出来るだけ長い時間付き合った方が、旦那っちも喜ぶと思うっす」

 「長い時間・・・付き合う・・・?――もしや、それには体力が必要なのではないですか!?」

 「そうっすね。多分、へろへろになると思うっすから」

 「やっぱり・・・アルカディア様がおっしゃっていた事と同じです・・・」

 納得したようにエクセは頷く。

 「知らないようなら、教えてあげるっすよ?」

 そしてそんな少女に向かって、レナリアが要らない親切心を発揮した。さすがのグレンも「これはまずい」と思い、先ほど躊躇した手段に打って出ようとする。

 (首に手刀でいいか・・・?)

 彼の繰り出す手刀であるならば、この場にいる誰にも知覚されないはずだ。

 ただ、それには細心の注意が必要である。誰にも見えず、レナリアを深く傷つけない速度で繰り出さなければならない。グレンは一撃に集中するため、乱れた心を落ち着かせた。

 「それならば、私も聞かせてもらいたい。グレン殿の『夜の伝説』など聞いたこともないからな」

 しかし、それもすぐに乱れる。興味津々といった感じのシャルメティエがレナリアにそう願い出たのだ。

 「シャルメティエ様も知らないんすか!あー・・・、そう言えば姐御が仲間内だけの話とか言ってた気がするっす」

 「ふむ・・・レナリア。ずっと気になっていたんだが、君の言う『姐御』とは誰の事なんだ?」

 レナリアと合流して以来、彼女は何度も『姐御』という言葉を使ってきたが、シャルメティエ達に対してそれに対する説明を一切してこなかった。それ故の当然の疑問であったが、なんだか話が逸れてくれそうな気がしてグレンは期待感を高めていく。

 「姐御は姐御っす――って言っても分かんないっすよね。メリッサ=ウィンダーって言えば、結構有名だと思うんすけど」

 「ああ。メリッサ殿のことか」

 どうやらシャルメティエもグレンの元同僚について知っているらしい。そしてそれはチヅリツカも同じようで、得心したような顔をしている。

 「やっぱり知ってるんすね。ふっふっふ~、さすがは姐御っす」

 まるで自分の事のようにレナリアは微笑んだ。それだけメリッサに懐いているのがグレンにも分かったが、余計な事を教えられるような関係になったのもそのせいであるため、あまり良い気分はしない。

 「当然だ。彼女ほど優れた女性はそういない。戦闘技術、統率力、経験。どれをとっても私以上だと思っている」

 ただ、そこに魔法道具(マジックアイテム)を装備するための装備容量(キャパシティ)を含めると、総合的にシャルメティエがメリッサの上に立つ結果にはなる。勿論それも実力を比較する際の要素となるのだが、装備が揃わなければ意味がないと考えるシャルメティエの評価には加えられなかった。

 「おおー!そこまで褒めちゃうっすか!今度、姐御に会った時に言っとくっす!」

 「その必要はない。すでに本人にも伝えてあることだ」

 「あ、そうなんすか」

 それでこの話題は終了した。

 このまま何事もなく、平凡な話題に移ってくれればよかったのだが、

 「で、さっきの話なんすけど。旦那っちの『夜の伝説』というのは――」

 と、レナリアが流れるように話を戻してしまう。最早一刻の猶予もないと判断したグレンは、圧倒的な速度で手刀を振り上げた。

 しかし、その手は振り被った状態で止まる。なぜならば、レナリアの言葉に対してエクセが大声でこう返したからだ。

 「待ってください、レナリアさん!」

 その声にレナリアの口も止まった。

 まさかエクセから制止の声が掛かるとは思わず、グレンも少しだけ戸惑う。しかし、最悪の展開にはならなそうで、心の底から安堵した。

 「ど・・・どうしたっすか、お嬢・・・?急に大声なんか出して・・・」

 「レナリアさん。そのお話、私には聞かせないでください。私はグレン様から直接伺いたいのです」

 いや、想定よりも悪い展開になりそうだ。グレンは戦場で味わったことのない緊張をその身に覚えていた。そんな彼に向かって、エクセは歩み寄る。グレンもそれを気配で察し、少女と顔を合わせた。

 「グレン様、しつこいとお思いになられるかもしれません。ですが、今度こそ教えて頂けないでしょうか?私の知らないグレン様のお話を・・・」

 風呂上がりのせいで魅力の倍増したエクセに瞳を潤ませながら見上げられ、グレンの心臓は激しく鼓動する。エクセの瞳に吸い込まれそうな錯覚さえ覚えた。

 しかし、彼女の期待に応えてあげられることはできない。

 「すまない、エクセ君。こればかりは――君にだけは知られたくない話なんだ」

 グレンのかつての夜の営みについて、この純真無垢な少女が聞いたらどれほど落胆するだろう。『若気の至り』という言葉があるが、自身の過去に対するグレンの感情は正にそれであった。加えて、エクセを悲しませてしまっているという事実も彼を苛ませている。その悲痛さを、エクセもグレンの変わらない表情から感じ取っていた。

 「グレン殿、何をそんなに隠す必要があるのです?ファセティア家のご息女がこれ程までに懇願しているのですから、答えてあげれば良いではないですか」

 しかし、今回は味方がいた。と言うよりも、何の話か分からないシャルメティも「聞いてみたい」という思いを持っていた。

 「そうっすよ、旦那っち。お嬢が旦那っちの口から聞きたいって言ってるんだから、教えてあげた方がいいっす。その方が、きっと色々できると思うっすよ?」

 そして加勢は続く。チヅリツカが何も言って来ないのは、すでにグレンの『夜の伝説』について知っているからだ。その証拠に、レナリアの言葉に顔を少し赤くしている。

 「お願いします、グレン様。グレン様のなさりたい事でしたら、どのような事でもお付き合いいたしますから・・・。以前申し上げましたと思いますが、体力には自信があるんです」

 その言葉に興奮しない男などいるのだろうか。

 例えエクセが全く違う意図で発言していたとしても、グレンの中ではそういった意味合いに聞こえてしまう。むしろ何も知らない少女の発言に、彼の中にある少しばかりの邪な心が蠢いてさえいた。

 「それならば私も心得がある。グレン殿が構わないのならば、微力ながら力を貸そう」

 さらにシャルメティエまで参戦してくる。見目麗しい六大貴族の2人から夜の営みに付き合うと言われ、グレンも思わず喉を鳴らした。しかし、彼女達は何も知らないのだと自分に言い聞かせ、何とかして自制心を保つ。

 「シャルメティエ様、そのような発言は控えた方がよろしいかと・・・。グレン様も男性ですから・・・」

 今まで黙っていたチヅリツカが、そんな上官の不用心な発言に苦言を呈す。事情を知っている彼女にしてみれば、シャルメティエの言葉は好ましくない意味合いに聞こえた。

 「なんだ、チヅは知っているのか?グレン殿の『夜の伝説』とやらを」

 「え!?」

 「そうなんですか、チヅリツカさん!?」

 しかし、それは失言だったようだ。

 エクセを動揺させてしまい、シャルメティエには質問の矛先を変られる結果となってしまう。

 「ならば、チヅ。私だけで構わない。教えてくれ」

 「え・・・え~・・と・・・・・・」

 チヅリツカとて大人の女性だ。そしてシャルメティエも成人している。

 ならば、そういった事柄に関して話をしても何ら弊害はないはずであったが、シャルメティエには清純な印象を保ったままでいて欲しいチヅリツカとしては下手な情報を与えたくなかった。彼女には『戦乙女』という偶像(アイドル)でいて欲しいのだ。

 「シャ・・・シャルメティエ様には・・・まだ早いと思われます・・・」

 「何を言う。私の方がチヅよりも年上なんだぞ?お前が知っていて、私が知るに早いというのはおかしいではないか」

 「と、とにかく駄目です!」

 「あ。じゃあ、アタシが教えてあげるっすよ」

 拒否するチヅリツカに代わろうと、レナリアが手を上げてそう言った。

 そこでグレンは考える。とりあえず、チヅリツカは彼の味方なようだ。ならば、この窮地を脱するために必要な手段はレナリアを黙らせること。そう思い至り、グレンは行動を開始する。

 しかし、それは力任せのものではない。会話がチヅリツカに逸れた際に、必死になって考えついた策があった。それはグレンにも思いつくことのできるくらい単純なものではあったが、おそらく効果はテキメンだろう。

 「レナリア、少しいいか?」

 「んえ?なんすか?」

 シャルメティエに対して話を始められる前に、グレンはレナリアを引き連れて部屋の隅へと移動した。

 そして、声を落としこう語る。

 「レナリア、先ほど私が言ったことを覚えているか?」

 「報酬の減額の話っすか?」

 「違う。エクセ君に私の過去を知って欲しくないという話だ」

 「あ~・・・辛うじて覚えているっす」

 「ならば、黙っていてくれるか?」

 「え~~~。教えてあげた方が、お嬢も頑張って色々してくれると思うっすよ?あんな事やこんなこ――」

 続けようとするレナリアの口を掴んで塞いだ。

 「それ以上言うんじゃない。――いいか、レナリア。エクセ君はお前とは違う。あの子はまだ子供で、純粋なんだ。その話を聞いた途端、私を軽蔑するだろう」

 「はは~ん。旦那っち、お嬢に嫌われたくないんすね?」

 グレンが手を放した瞬間に放たれた言葉は、正に図星を突かれた一言であった。

 しかし、それくらいの反応は予想済みであったため、顔を赤くしながらであったが、平然を装い答える。

 「誰だって、嫌われたくない者の1人や2人はいる。私にとって、エクセ君がそうだというだけだ」

 「旦那っち、マジでなんでお嬢に手を出さないんすか・・・。あ、嫌われたくないからっすね・・・」

 レナリアの表情からは呆れと困惑と納得が見て取れた。

 「理解してくれたようだな。ならば、もう一度問おう。黙っていてくれるな?」

 この時、グレンはすんなり了承の言葉が返って来るものと思っていた。しかし、レナリアは考え込むように腕を組み、「う~ん・・・」と唸っている。

 「旦那っちの頼みとあらば、聞けないこともないんすけど・・・。アタシとしては、やっぱお嬢に教えといた方がいいと思うんすよね~・・・」

 「何を言っている。さっきも言ったが、彼女は純粋なんだ。そのような話を聞かせる訳にはいかない」

 「でも、本番の時はどうするんすか?」

 「本番?」

 「お嬢を抱くとき、ってことっす」

 「なっ!?」

 そのような事あるわけがない、と言うのはグレンにとっても少し切なかった。それゆえ、何も言わずに黙り込む。そんな彼にレナリアは言葉を浴びせた。

 「いいっすか、旦那っち。旦那っちがお嬢を大切にしているのはよく分かったっす。アタシもそれは評価するっす。素晴らしいことっす。でも、いつまでもそのままなんてのは絶対に無理っす。いずれはお嬢も女になるっす。もう十分立派な女だってことは置いといて、その時間違いなく旦那っちはお嬢を抱きたくなるっす。これはもう男として生まれたからには仕方のないことっす。受け入れるっす。そしてその時、いきなり旦那っちの野獣の如き本性を知ったお嬢はどうなるっす?きっと怯え震え、その身をシーツに包んでしまうっす。そうならないためにも、予め旦那っちの事を知らせて、心の準備をしておいてもらう方が良いに決まってるっす。例え一時お嬢に嫌われるような結果になったとしても、時間が解決してくれるはずっすから。と言う訳で、アタシはお嬢に旦那っちの話を聞かせて上げた方が良いと思ってるっす」

 一気に言われたせいか、グレンも何について言葉を返そうか逡巡してしまう。そのため、彼の口から出た言葉はこんなものであった。

 「お前も・・色々と考えているんだな・・・」

 それを称賛と受け取ったレナリアは胸を張る。

 「えっへんっす!これでも経験豊富っすからね!」

 そう言う彼女の声は少し大きく、グレンは声を落とすよう指示を出した。レナリアも急いで口を手で塞ぐ。

 「だが、それは置いておけ。今ここで重要なのは、お前が情報を漏らさないという事だ」

 「え~、それは無理だと思うっすよ?アタシ、結構お喋りっすから」

 それは言われなくても分かる、とグレンは思った。

 「ならば、報酬を増やそう」

 「え!?」

 そこで先ほど考え付いた作戦を決行する。それはレナリアにとって望ましい提案のはずだ。

 「先ほど私はお前に『喋れば報酬を減らす』と言った。だが、それではお前の口は閉じないようだ。ならば逆に、『黙っていれば報酬を増やす』。これで、どうだ?」

 「乗ったっす!」

 「・・・早いな」

 見事な返事にグレンは少々呆れる。しかし、「これならばもう少し言う事を聞かせられるのでは」と思い、続いて別の要求をした。

 「それならば、この旅が終わるまで私の援護に回ってくれ。そうすれば、更なる増額を約束しよう」

 「援護っすか?戦闘に関してではないっすよね?」

 「ああ。具体的には、私が会話で困ったら話を逸らしてくれればいい。お前ならば、簡単だろう?」

 「なるほど、分かったっす!」

 良し、とグレンは心の中で拳を握る。

 とりあえず、この旅の道中においてレナリアにこれ以上困らせられることはなさそうだ。

 そう思い、話が済んだと判断したグレンはレナリアを連れて他の3人のもとへ戻った。

 「一体何の話をしていたのですか、グレン殿?」

 「いや、なんでもない。気にするな」

 誰かがするだろうと思っていた質問をシャルメティエが聞き、それに対しグレンも至って平凡な返しをする。しかし、それで納得する彼女ではなく、グレンに向かって厳しい目線を向けてきた。

 「グレン殿、上官命令です。何を話していたのか、教えてください」

 「なっ!?シャルメティエ、お前いつから強権を振るうような騎士になった!?」

 「グレン殿が悪いのです。目の前でこそこそと話をされてしまっては気になって仕方がありません。もしそれがこの隊への不満であるならば、聞いておく必要もあります」

 それはこの部隊を指揮する者として、当然の懸念であったのだろう。

 「不満などない。いいから、気にするな」

 しかし、グレンはそう答えた。そして、その答えもやはりシャルメティエを納得させることはできず、次いで彼女はレナリアに視線を移す。

 「レナ。ならば、お前が答えてくれ」

 「え!?アタシっすか!?」

 「そうだ。グレン殿が思った以上に(かたく)なでな」

 「そ・・・そうっすねえ・・・」

 言いながら、レナリアはちらちらとグレンを見る。グレンも「分かっているな?」と彼女を見返した。

 「イ、イヤ~・・・。タイシタコトハハナシテナイッスヨ~・・・」

 レナリアがやっとのことで紡いだ言葉はあまりにも演技臭く、グレンは顔を覆う。どうやらこの少女は意識させると会話が不自然になるようだ。

 「本当にそうか?」

 「ソウッス、ソウッス。マチガイナイッス」

 「・・・そうか。ならば良い」

 しかし、シャルメティエはそれで納得した。彼女の性格上、2人がそこまで言うなら信じようと思ったのだ。

 何とか窮地を脱したことにグレンもレナリアもほっと一息つく。

 「では、グレン様。私の質問にお答えいただけますか?」

 いや、まだ脱してはいなかった。むしろここからが本番だ。

 グレンとレナリアは、真剣な面持ちのエクセに向かってゆっくりと顔を動かした。

 「お願いします、グレン様。グレン様について、皆さんが知っていて私が知らないという事が耐えられないのです。直接・・・グレン様の言葉で教えてください・・・」

 「エクセ君・・・」

 少女の懇願にグレンも心が揺らぐ。それでも、教えると言う選択肢はなかった。自分はこんなにも見栄っ張りだったのだな、と己の知られざる一面に心の中で苦笑いを浮かべる。

 「お嬢、気にすることないっす。旦那っちが教えないのは、お嬢を想っての事なんすから」

 不自然でないことから、その言葉がレナリアの本心から来るものだと分かる。だからと言って、そこまで正直に話していいかどうかは別であったが。

 「お、おい・・・!レナリア・・・!」

 「旦那っち、ここはアタシに任せて欲しいっす。どうせ旦那っちの事だから、恥ずかしがって本心を打ち明けられないっす。だから代わりにアタシが話すっす。秘密を喋れないなら、なんで喋れないかくらいは教えてあげた方が良いっす」

 確かにレナリアの言う事も(もっと)もだ、とグレンは思う。しかし、それを彼女に任せるのは何だか不安だと思うのは決して間違いではないだろう。

 「いいっすか、お嬢。旦那っちはお嬢に嫌われたくないから、黙ってるんす」

 ほらみろ。

 いきなりな発言にグレンは堪らず、そう思った。シャルメティエとチヅリツカの興味深げな視線に顔も赤くなる。

 「そんな!私がグレン様を嫌うなど、一生を賭けてもあり得ません!」

 あの夜のグレンの台詞を引用したのか、エクセが声を大にして宣言した。それは当然グレンにも嬉しい事で、にやけそうになる顔を必死に押し止める。

 「そうかもしれないっす。でも、理解してあげて欲しいっす。これは複雑な男心ってやつなんすよ」

 レナリアの台詞を聞き、エクセは式典中にトモエが言っていた言葉を思い出した。

 あの友人もまた、同様の意見を持っていた。

 「男って言うのは、自分の見栄と欲望の狭間で苦しむものなんすよ。たまに欲望が先行しちゃう人もいるっすけど。っていうか、それがほとんどっすけど」

 「まさか・・・レナリアさんは、男心が分かる方なんですか・・・!?」

 エクセは何故かレナリアを期待の籠った眼差しで見つめる。

 式典の最中、エクセは勇士管理局の受付嬢メーアに男心について質問をしていた。彼女もまた交際中の男性がいるとのことであったが、恋愛経験が浅く、力になれるような助言はできないと言われてしまっていたのだ。それでも相談に乗ってくれたことで多少なりとも気を持ち直す事は出来たのだが、もやもやとした思いは依然少女の中に残っていた。

 しかし、それを解消してくれそうな人物が今、目の前にいた。

 「ま~、分かるか分からないかって言われれば――分かるっすよ。これでも経験豊富っすからね」

 「本当ですか!?ぜひ、ご教授をお願いしたいのですが!?」

 「ま、待て!待つんだ、エクセ君!」

 確証は言えない。しかし、グレンの直感がこのままではまずい方向に流れると彼に囁いていた。エクセとレナリアを会わせてはならなかった、という結末になりそうな気がするのだ。

 「何故止めるんすか、旦那っち?きっと旦那っちにとっても都合の良い話だと思うっすよ?アタシが色々教えておいてあげるっす。あ、勿論あの話は教えないっすけど」

 「その『色々』に不安があるんだ・・・」

 おそらく要らない知識を教え込むつもりなのだろう。任せてくれ、とばかりに輝くレナリアの顔がグレンにはひどく邪悪なものに見えた。

 「御心配なさらないでください、グレン様。グレン様を理解するため、どのような知識でも身に付けてみせます」

 「お、良い心掛けっすよ、お嬢」

 「いや、別にいい。君は今のままでいいんだ、エクセ君」

 「はは~ん、なるほど・・・旦那っち、清純そうな子が好みなんすね?」

 「レナリア、それ以上口を開くな・・・」

 「おっと危ないっす。報酬が減らされちゃうっす」

 「それでしたら、ご教授のお礼に私がお望みの額を払います」

 「え、マジっすか!?」

 「食い付くんじゃない。――エクセ君、君も君だ。金で釣ろうとするのは良くないぞ」

 「あ、すいません・・・グレン様・・・。私としたことが、つい・・・。私のこと、お嫌いになられましたか・・・?」

 「旦那っちもさっきアタシにやったんすけどね・・・」

 「それはない。私が君を嫌うなど、生涯を賭けてありはしない」

 「グレン様・・・!」

 「も~、この2人は何なんすか、マジで~・・・」

 収集が付きそうでつかない状況にレナリアもやきもきとした声を出す。彼女も、もはや結構面倒臭くなっていた。

 「2人とも、そこまでにしておきましょう」

 その時、シャルメティエがそう主張する。3人とも一斉に彼女を方へ顔を向けた。

 「どうやら私が思っていた以上に個人的な話題のようです。今回の任務に関係がないのならば、続きは王国に帰ってからにして頂きたい」

 痴話喧嘩にもならないやり取りをこれ以上放置しては隊の士気に関わる、と判断したがための発言である。いくら休憩時間とは言え、今回の任務は国の代表として取り組んでいるのだ。それ相応の心構えをしていなければならない。

 「それにグレン殿の『夜の伝説』なるものが何なのか、大体の察しが付きました」

 「ええ!?」

 そう大声を上げたのはグレンではなく、チヅリツカであった。ただ、グレンもわずかに動揺はしているが。

 「そ、そうなのですか・・・シャルメティエ様・・・!?」

 彼以上に動揺したエクセがシャルメティエに問う。自分と同じ立場でありながら先ほどまでの会話で察することができるとは、と彼女に向かって驚愕の眼差しを向けていた。

 「ああ。だが、気にすることはない。ご息女には理解できぬのもやむなし、と思われる事柄だ」

 その言葉にエクセ以外の3人の顔が強張る。レナリアなどは「さすがは副団長様っす・・・」と呟いてさえいた。

 「君が構わないのならば、私の意見を聞かせようか?当たっているとは限らないが、近い可能性もある。何かの参考になるかもしれない」

 シャルメティエの提案にエクセは逡巡する。

 自分一人だけがグレンの『夜の伝説』について欠片も察することが出来ず、疎外感を味わっていたのだ。

 参考程度、本当に参考程度に聞いてみてもいいかもしれない。

 もしかしたら、それが切っ掛けでグレンも自分に話をしてくれるかもしれない。

 そう考えたエクセはややあって頷くと、

 「お願いします・・・」

 と言った。

 この状況にグレンは困惑する。

 レナリアならば力づくで止めることもできたが、相手がシャルメティエとなると話は別だ。きっとグレンの制止を意に介さないだろうし、実力行使ともなると気が引ける。彼の視界に映るチヅリツカも何とかシャルメティエを止めようと慌てていたが、彼女もグレンと同様の考えを持っていた。

 「グレン殿の『夜の伝説』。それはおそらく――」

 エクセが固唾を飲み、他の3人に緊張が走る。そして、ついに発せられた言葉はこのようなものであった。

 「夜の鍛錬のことだろう」

 「「「「・・・え?」」」」

 4人揃って声を上げたが、エクセとそれ以外の者では意味合いが全く異なる。エクセは「そうだったのか」という驚きであり、グレン達は「全然違うんですけど」という戸惑いだ。

 「む・・・。グレン殿のその反応・・・もしや、的外れな事を言ってしまいましたか?」

 自分の考えが外れたと思い、シャルメティエは羞恥を覚える。風呂から上がってしばらく経っているため、彼女の頬も大分白みを取り戻していたが、そこは再び朱色に染まっていた。

 「まあ、ある意味『鍛錬』ではあるかもしれないっすね・・・。汗かくし・・・」

 自身の発言を肯定しながらも意味深なレナリアの言葉にシャルメティエは首を傾げる。

 「ある意味、とは・・・?」

 「いや、気にするな、シャルメティエ!お前の言う通りだ!」

 「旦那っち!?」

 もはやこの場を収めるにはこうするしかない、と判断したグレンがシャルメティエの推測を全力で肯定した。チヅリツカとレナリアは驚いて彼の表情を伺うが、すぐにそれを察し、協力しようとする。

 「そ、そうです。その通りです、シャルメティエ様。よくお気づきになられました。さすがは私の仕える方です」

 「ス、スゴイッス!サスガッス!」

 「ふ、ふむ・・・そうか・・・?」

 シャルメティエは照れくさそうにそう言った。

 「ですが・・・何故それをお隠しになるのです・・・?」

 シャルメティエの間違った推察を肯定したことにより生まれる当然の疑問をエクセが口にする。グレンも「確かにその通りだ」と思ったために答えに詰まり、黙ってしまう。

 代わりに、チヅリツカが必死になって答えてくれる。

 「それはあれですよ、エクセちゃん!グレン様も男性です!きっと見栄を張りたかったのでしょう!」

 「見栄、ですか・・・?」

 「そうです!努力をせずに強大な力を持っていると思わせたかったに違いありません!」

 「ですが、何故ですか・・・?」

 「き、きっと!エクセちゃんに格好良いと思ってもらいたかったのではないでしょうか!?」 

 「そんな・・・!今のままでも十分、グレン様は格好良いです・・・!」

 「む・・・!」

 エクセの大胆な発言にグレンは思わず歓喜の唸り声を上げてしまう。隣に立つレナリアの「はあー、この2人はもう本当何なんすかねー?」という呟きも気にはしなかった。

 「しかし、チヅ。自分で言っておいてなんだが、どうしてそれを私にまで隠す必要がある?」

 「え、ええ!?」

 先ほどまでの会話との整合性が取れず、シャルメティエも不思議に思い、チヅリツカに問い掛ける。

 「そ・・・それは・・・」

 言いながら、チヅリツカはまたもや必死になって答えを作り出した。

 「聞く所によると・・・グレン様の鍛錬は相当厳しく、シャルメティエ様でもついて行けるかどうか分からないからです・・・。シャルメティエ様ならば、ぜひご自分もとおしゃるだろうと思いまして・・・」

 「なるほど。確かに『伝説』と謳われる程なのだから、過酷な訓練なのだろうな」

 「そう言えば、私、聞いたことがあります・・・」

 シャルメティとチヅリツカの会話にエクセが割って入る。

 「かつてグレン様はそのお力を手に入れるため、寝ずの稽古に励んだとか。休息も睡眠も取らず、剣を振り続けたと聞きました」

 それはかつてポポルから聞かされた話。その事について知っている者は少なく、シャルメティエ達も目を見開いている。グレンも「よく知っているな」と驚いていた。

 「寝ずの稽古・・・。グレン殿、一体どれほどの時間剣を振り続けていたのですか?」

 「そうだな・・・。昔の話で、あまり覚えていないが・・・。確か最長で4日間くらいか・・・」

 「はあ!?旦那っち、バケモンすか!?」

 誰もが抱いた感想をレナリアが大声で叫ぶ。シャルメティエに至っては驚きを超えて戦慄し、表情を凍らせてさえいた。

 「そこまで言うほどのことではないだろう。ただ剣を振っているだけだ」

 「何言ってるんすか!?休みなしでそんなのやってたら、普通死ぬっすよ!?」

 「可笑しなことを言うな。それならば、私はここにいないはずだ」

 「いやだからそれは、旦那っちが――ああもう!姐御ー!姐御の言っていた『グレンは私たちとは物事の基準が違う』の意味が分かってきたっすよー!」

 帝国にいるであろうメリッサに向けて、レナリアは言葉を飛ばす。当然、届いてはいない。

 「アルカディア様がおっしゃっていた『体力をつけろ』とは、こういうことだったのですね・・・」

 王城で再会したアルカディアの台詞とも繋がり、エクセは一応の納得をしてくれたようだ。冷静に考えればまだ色々とおかしな点はあったが、そこに気付くまでには至らず、今度こそ窮地を脱したとグレンは胸を撫で下ろす。

 「さて・・・では私は行くとするよ・・・」

 そう言って、グレンは自分の荷物を持って扉へと向かった。これから1人部屋に向かうつもりなのだ。

 「どちらに行かれるのですか、グレン様?」

 そしてその事情を知らないエクセが問い質す。シャルメティエとチヅリツカも同じ疑問を持っていた。

 そう言えば彼女達は知らなかったな、とグレンはその足を止める。本来ならば、レナリアに任せるつもりであったが、仕方なく自分で伝えることにした。

 「ああ・・・私だけ、部屋を変えようと思ってな」

 「そんな!どうしてですか!?」

 こう聞かれた際、どうやって答えたものか分からなかったため、グレンは先ほどまで人任せにしようとしていた。しかし、先ほどの会話から丁度良い回答を思いついており、それをエクセに伝える。

 「夜の鍛錬に他の者がいては少々危険だからな。これから敵地に向かうんだ。出来れば、本格的な訓練がしたい」

 「お部屋で、ですか・・・?」

 「そ、そうだ・・・。ほら、私は魔国の者に『死神』として恐れられているだろう?外で刀を振り回していたら、それこそ恐怖を与えかねない」

 この返答は思い付きであったが、自分でも褒めてやりたいくらいに違和感のないものであるとグレンは思った。そのため、エクセも納得したような顔つきをする。

 「それでしたら、後ほどお食事を作って、そちらにお持ちいたします。お部屋を教えてくださいませんか?」

 グレンはエクセに部屋の番号を告げた。

 「分かりました。――あ、ですが、お食事が先ですか?それとも鍛錬をした後のお風呂ですか?」

 「そうだな。私もこの国に来て汗をかいた。鍛錬をして、風呂に入ってから食事にしよう」

 「分かりました。それまでに、腕によりをかけて作っておきます」

 「ああ、頼む」

 そう言って、グレンは部屋を出て行った。

 その光景を見ていた3人は、グレンとエクセのやり取りがまるで夫婦のようだと思わざるを得なかったのだと言う。

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