3-10 出立
ユーグシード教国への出立の日の朝、グレンは王都の大門で待ち合わせをしていた。
現在の時刻は集まるには少し早すぎる時間帯であり、そこには彼1人しかおらず、旅の仲間は誰一人として見当たらなかった。
(他の3名はいい・・・。レナリア、お前には早く来るよう伝えていたはずだ・・・)
忘れてしまったのか、寝坊なのか。新米勇士の姿は未だ見えず、グレンは呆れたように溜息を吐く。大門を警護する騎士達もそんな彼を物珍しそうに見ていたが、彼らに構っている余裕はグレンにはなかった。
おそらくだが、レナリアには貴族との付き合いに関する経験がない。
そこから察するに、彼女達に不快な思いをさせないか不安であった。同性同士であるため不快とは言っても底が知れているが、それでも任務の最中に仲違いなどはして欲しくない。誰が誰と、と問われれば難しい所であるため、杞憂としか言いようがないのだが。
兎にも角にも今回の遠征部隊の中でグレンが最年長なのだ。出来るかどうかはさておき、部隊の仲を良く保つ義務が彼にはあった。普段単独行動が多いグレンは、実を言うとその事に関して若干神経質になっていたりもする。心の負担を少しでも軽くするためにレナリアには早く来てもらいたかった。
そしてその願いが通じたのか、問題の少女が姿を現す。グレンを視界に収めた瞬間、手を振りながらこちらに駆け寄って来た。
「おはようっす、旦那っち!今日からよろしくお願いするっす!」
グレンのもとへ辿り着くなり、レナリアは元気に挨拶をして見せる。しかし、グレンはそれに応えることはなく、彼の言いつけを守らなかった後輩に向かって苦言を呈した。
「レナリア・・・。私は昨日、『早く来い』と言っただろう・・・?」
その声には決して怒りは含まれておらず、せいぜいが注意と言った所だ。そのため、レナリアも悪びれた様子は見せず、こう返す。
「だから早く来たじゃないっすか。これでも時間は守る方なんすよ?」
グレンは大門の警護兵のいる守衛所に備えられている時計に目をやった。現在の時刻は7時45分。もうそろそろ彼女たちが来てもおかしくはない時間だ。決して不自然ではないが、どうやらレナリアの中ではこれくらいが『早い』になるようだ。
「そうか・・・。正確な時刻を伝えていなかった私の責任だな・・・」
とりあえず、グレンは自分の不手際にしておいた。
「何だか分からないっすけど、あんま気にしない方がいいっすよ?」
後輩の慰めとも挑発とも取れる言葉に、さすがのグレンも少しばかり苛立ちを覚える。が、すぐにそれも霧散し、グレンは気を取り直してレナリアに教授を試みようとした。
「いいか、レナリア?これから来る同行者は皆貴族だ」
「え!?本当っすか!?アタシ、貴族と話したことなんてないっすよ!?」
やはりグレンの予測は正しかったようだ。
「心配するな。彼女達は自分が貴族だからと言って、居丈高な態度を取る様な者達ではない。そしてお前も相手が貴族だからだと言って、態度を改める必要はない」
そこでグレンは一旦言葉を区切る。昨日、レナリアに伝えたいことは全て考えたため、それを思い出しているのだった。
「だが、それは決して彼女達を不快にさせるような言動を取っても良いという訳ではない。道中、それだけは気を付けてくれ」
「了解っす!――でも、不快にさせる言動って具体的にはどんななんすか?」
そう聞かれ、グレンは考える。
「そうだな・・・。レナリア、お前はいつも同性の知り合いとはどのような会話をしている?」
「え、アタシっすか?そうっすねー・・・・・・・お金とか男の話とかっすかね」
「それだ。そういう話題は彼女達の前では慎んでほしい」
「えー、なぜっすかー?お金の話は別として、恋の話は女同士の友情を深めるのに最適なんすよ?」
それは、男であるグレンには意外な事実であった。
「そ、そうなのか?」
「そうっすよ。常識っすよ」
正直な所それに関しては人によりけりとしか言えないのだが、レナリアのあまりにも堂々とした物言いにグレンも了解したとばかりに頷く。
「なるほど。ならば、そこまでは許そう。ただ、あまり下品な方向へは持っていくなよ」
「了解っす!」
レナリアがビシッと敬礼をして見せると同時に、2人の視界に他の同行者の姿が映った。まだ伝えたいことはあったが、制限時間だとグレンは諦める。
「お待たせしました、グレン様」
グレンのもとまで歩いて来たエクセが他の2人に先がけて声を掛ける。同じ家で暮らしながらグレンが彼女と共に来なかったのは、シャルメティエやチヅリツカと揃ってここまで来るよう伝えておいたからだ。無論、レナリアと2人になる時間を少しでも稼ぐためである。
万全な結果とはならなかったが、それも自分のせいだと言い聞かせた。
「これで全員だな。ではシャルメティエ、行くとしよう」
自身が最年長であるが、今回の指揮権はシャルメティエにあるため、グレンは彼女に向かってそう声を掛けた。しかし、シャルメティエはグレンに向かって「何を言っているんだ」と言いたげな顔をしている。
「グレン殿、それよりもまずは初対面同士の挨拶が先でしょう」
「あ、ああ。そうだったな。うっかりしていた」
グレンは全員を知っているため考えが及ばなかったが、確かにシャルメティエの言う通りであった。
そこで、グレンはまずレナリアに自己紹介をするよう促す。
「はいっす。――えー、皆さん初めましてっす。アタシ、レナリア=パタムって言うっす。勇士2年目の19歳っす。グレンの旦那っちにはいつもお世話になってるっす」
いや世話などしていない、とグレンは思ったが言わないでおいた。おそらく彼女なりのお決まりな挨拶なのだろう。
「・・・・・・『旦那っち』・・・?」
レナリアの特徴的な呼び方が気になったのか、エクセがそう呟く。
「そうっす。アタシ、グレンの旦那っちのことは『旦那っち』って呼ばせてもらってるっす。その代わりってわけじゃないっすけど、皆もアタシのことは好きなように呼んでくれて構わないっすよ」
その言葉に3人は不思議そうにグレンを見つめた。ただ、エクセだけは特別な呼び方をするレナリアを羨ましく思ったのか、そういった感情もその瞳から伝わってくる。
「ふむ。勇士になって、2年目か・・・。グレン殿、何故レナを同行させようと思ったのですか?」
どうやらシャルメティエはレナリアの事をそう呼ぶ気らしい。
そんな彼女の疑問に、グレンは問い返した。
「何故、とは?」
「いえ、グレン殿のご慧眼を疑う訳ではないのですが、彼女の実力がどれ程か気になりまして」
シャルメティエの言う事も尤もであった。
グレンとしては話の流れ上連れて行くことになったのだが、他の者にしてみればレナリアの同行理由を聞いておきたくなるものだ。シャルメティエは「実力を知りたい」と言ったが、それは彼女なりの言葉選びをしただけである。
「それなら、皆と一緒だと思うっすよ?」
しかし何を知っているのか、レナリアはグレンに代わりそう答えた。
当然、他の3人はその言葉の意味を理解できない。シャルメティエやチヅリツカならば同じ理由で今回の遠征に参加しているのだが、エクセは全く違う理由なのだ。
レナリアが何らかの誤解をしていることを知っているグレンは、慌てて話を変えることにした。
「ま・・・まあ、その話はまた今度で良いだろう。次はシャルメティエ、お前の番だ」
グレンにそう言われ、シャルメティエは姿勢を正してから口を開く。
「私は、シャルメティエ=ホーラル=セイクリット。国王よりフォートレス王国騎士団副団長を任されている者だ。年齢はレナリアよりも上の21歳。今回の任務では私が指揮官であるため、命令には極力従ってもらうようよろしく頼む」
先ほどレナリアが自己紹介の時に年齢を言ったからか、シャルメティエまでそれを組み込んでいた。と言う事は続く2人も年齢を言うのだな、とグレンは何となく思う。
「うわあ!やっぱりっすか!どこかで見た顔だなあ、と思ってたんすよ!シャルメティエ様って言えば、六大貴族でもあるんすよね!勇士の間でも有名っすよ!」
やはりシャルメティエは有名人なようで、レナリアも興奮したように声を上げた。
「そうなのか?あまり勇士の方々とは会わないものでな」
「そうっすよ!皆言ってるっすよ!『あんな美人は見たことがない。一度でいいからああいう女を抱いて――』」
そこまで言いかけた瞬間、レナリアの頭をグレンの手刀が襲う。ただし、本気で打てば彼女の頭が粉砕するのでかなり加減はしていた。
「いったあああああああああああいっす!!!何するっすか、旦那っち!!?」
「お前は私が言ったことを覚えていないのか・・・?」
下品な話は慎め、と言ったよな。グレンの目はそう語っていた。
「ちょっとした冗談じゃないっすかー・・・」
「冗談でも駄目なものは駄目だ」
「ちぇー・・・」
そのやり取りを3人は不思議そうに見つめている。それに気づいたグレンは咳ばらいを一つすると、次にチヅリツカに自己紹介をするよう促した。
「初めまして、レナリアさん。私はチヅリツカ=クェン=ホプキンスと言います。シャルメティエ様の秘書を務めていまして、書類整理を主な仕事としています。今年で20歳になったので、もしかしたらレナリアさんと同い年かもしれません」
「あ、確かにそうっす!アタシも今年で20歳っすよ!同い年っすね!」
落ち着いた態度で語るチヅリツカとはしゃいだ様に言うレナリア。生まれや育ちの違いもあるのだろうが、同い年なのにここまで違うのかとグレンは2人を見比べながら思った。彼自身もかつてはアルベルトとの差に愕然としたことがあったため、他人の事は言えなかったが。
「いやー、チヅっちも美人っすね!眼鏡美人って言うんすか!?」
同い年と知ったからか、レナリアはチヅリツカをそう呼ぶことにしたようだ。しかしその言葉でグレンが考えたことは、先ほどからチヅリツカに対して気になっていた事であった。
「チヅリツカ君は普段から眼鏡をしていたんだったか?」
グレンの問いにチヅリツカは指で眼鏡を軽く持ち上げながら答えた。
「こちらはアルカディア様より頂いた物です。ユーグシード教国へ向かうには、サリーメイア魔国を通らなければなりません。この眼鏡は魔国の幻術に対抗するために開発された『解呪眼鏡』という魔法道具でして、用心のためにとお譲りくださったんです」
以前、サリーメイア魔国出身の魔術師の幻術によって窮地に陥ったアルカディアはすぐにその対抗策として新しい魔法道具の開発を命じていた。
そしてできたのが今チヅリツカが掛けている『解呪眼鏡』である。片方のレンズは度が入っていないことを除けば通常の眼鏡と変わらないのだが、もう片方のレンズは視覚に作用するあらゆる魔力的効果を無効化することができた。幻術によって姿を変えているものはこれにより左右の目に映る姿が異なり、見破ることができるのだ。
「ふむ・・・。さすがは帝国だな。魔法道具開発力に関しては王国以上だ。――ならば、チヅリツカ君が持つその槍も皇帝陛下からの貰い物か?」
グレンは気になっていたもう一つの事柄について質問をした。
チヅリツカは今、普段の彼女と異なった物を2つ装備している。一つは先ほど説明のあった『解呪眼鏡』、そしてもう一つが右手に持つ槍だ。その槍は全体的に青く、穂先に至っては冷気すら発していた。
「いえ、これは我が家に伝わる魔法道具でして、名を『凍結の槍』と言います」
「ほう・・・。どういった効果があるんだ?」
「旦那っちー、話がずれてるっすよー」
グレンの興味津々といった態度を妨げるように、レナリアが間に入って来る。確かに彼女の言う通り、今はそんな時間ではなかった。しかし、チヅリツカの装備に興味を持ってしまったグレンはその槍をじっと見つめる。
「グレン様、これについての説明は後ほどと言うことで」
チヅリツカにそう言われ、グレンも渋々引き下がった。
「では、最後は私ですね」
長い間順番を待っていたエクセがそう言って、自己紹介を始める。エクセはかつてグレンと実習に赴いた時に着用していた装備を身に着けており、グレンは懐かしさと共に少女の装備に目をやった。いくつか以前のものと異なる装備があるようだ。
「私の名前は、エクセリュート=ファセティア=ローランドと申します。エクセと呼んでください。聖マールン学院中等部3年という学生の身ですが、皆さんのご迷惑にならないよう頑張りますので、よろしくお願いします」
そう言うと、エクセは優雅にお辞儀をして見せた。彼女は貴族であるが年齢的には目下に当たるため、レナリアに敬意を表した形である。やはり教養があるな、とグレンはそんなエクセを見ながら思った。
「ああー!この子が旦那っちが言っていた学生の子っすかー!学生を連れて行くって聞いた時は『旦那っちにそんな趣味が』って思ったんすけど、なるほどこれは納得っす!エクセちゃん、おっぱい大きい――」
そこまで言いかけた瞬間、再びレナリアの頭をグレンの手刀が襲う。今回の一撃は先ほどのよりも幾分か威力があった。
「~~~~~~~~~~~っ!!ひ・・・ひどいっす・・・旦那っち・・・!」
そのため、レナリアも騒ぐような反応を見せず、頭を押さえて蹲っている。
「自業自得だ。この子は、私が世話になっている方の娘なんだ。あまり失礼な態度を取るんじゃない」
「旦那っちがお世話になってる・・・?――あ!もしかして『ファセティア』って、バルバロットの大旦那のところじゃないっすか!?六大貴族の!」
「む・・・?なんだ?お前、バルバロット公と面識があったのか?」
それは意外だ、とグレンが問い掛けた言葉にレナリアはかぶりを振った。
「いや、名前だけしか知らないっす。でも、姐御の話にはよく出てたっすよ。『あの方は実力さえあれば、身分や性別を問わず取り立ててくれる素晴らしい人だ』って滅茶苦茶褒めてたっす」
それについてはグレンもシャルメティエも力強く頷くことが出来た。父親が称賛され、エクセもその顔に柔らかな笑みを浮かべている。
「しかし、何故『大旦那』なんだ?」
自身が『旦那』と呼ばれるグレンが、そう問い掛ける。面識のない相手に対する呼び方としては、些か親しみの籠った呼び方であった。
「それは姐御が『バルバロットの旦那』って呼んでたからっす。姐御にとって『旦那』ならば、アタシにとっては『大旦那』になるっす」
よく分からない理論であったが、彼女がそう呼びたいのならそれでいいかとグレンは何も言わないでおいた。エクセも特に嫌がってはいないようだ。
「あ、てことはその娘さんを気軽に名前で呼ぶのも失礼っすね・・・。う~~ん、なんて呼ぼうか・・・」
そう言うレナリアに向けてエクセも「気になさらないでください」と言ったが、唸るだけで考えを止めようとはしない。そして、しばらく経つと良い案が思い付いたのか、手を叩いた。
「そうだ!『お嬢』!『お嬢』でどうっすか!?『お嬢様』って呼ぶのもアタシらしくないし、これでいくっす!」
「お・・・『お嬢』・・・ですか・・・?」
さすがにその呼び方は予想外だったのか、エクセはたじろいだ様子を見せる。しかし、レナリアは存外気に入ったようで、外套の下で腕を組んでしきりに頷いていた。
「うんうん。『お嬢』・・・、良い響きっす。これからよろしくっすね、お嬢」
レナリアはそう言って会話を終わらせようとしたが、さすがにその呼び方に抵抗感を覚えたエクセが待ったを掛けた。
「あ、あの・・・レナリアさん。その呼び方は、出来れば止めていただきたいのですが・・・」
「それは駄目っす。大旦那の娘さんに失礼があってはいけないっすから。姐御も言ってたっす。『バルバロットの旦那は優しくもあるが厳しくもある。怒らせたら怖いんだよ』って」
その言葉にはシャルメティエとチヅリツカも顔色を悪くしながら弱々しく頷いた。グレンも心の中で同意を示しておく。
「父がですか・・・?あの優しい父が怒ることがあるなんて、信じられません・・・」
しかし、エクセはそう言った。屋敷でのバルバロットしか知らないのであるならば、そう思うのも仕方のない事であろう。
そんなエクセに向かって、バルバロットに何度か怒られたことがある女性2人は目を見開く。そこからは、そっちの方が信じられないという気持ちが伝わった。ちなみにバルバロットがグレンに向かって声を荒げた場面にエクセも出くわしたことがあるのだが、酒に酔ったことで忘れてしまっていた。
「へー、そうなんすか。一度お会いしてみたいっすねー」
恐れを知らないレナリアの言葉にエクセ以外の3人は戦々恐々とする。何故か彼女が怒られる場面しか思い浮かばなかった。
「ま、まあ・・・それはまた今度だな。シャルメティエ、皆の紹介も終わったことだ。行くとしよう」
「そ、そうですね。――では皆、これから待たせてある馬車に向かうこととする。チヅ、案内してくれ」
「畏まりました」
チヅリツカの了承の声を受けて、5人は歩き始める。教国までの旅路はこうして始まったのであった。
シャルメティエ率いる遠征部隊は全部で5人。
その構成は騎士が2人、勇士が2人、そして学生が1人である。
数と職業だけ見れば、他国との交渉事に赴く勢力としては非常に頼りない。しかし、こと戦力に限りその心配は無用であった。
まず騎士団副団長であるシャルメティエは、その身を完全武装することで比類なき実力を発揮することが出来る。装備者の身体能力を大幅に向上させる『戦乙女の鎧』、あらゆる攻撃の威力を半減させる『聖なる盾』、魔力を注ぐことで攻撃力を高める剣『ジャッジメント』、そして目を瞑ることで半径5㎞の俯瞰風景を覗き見ることのできる『鷲の目』。これら圧倒的に充実した装備を身に付けられることこそ、彼女の才能であり実力であった。ただ、今は移動中のため、剣以外は馬車の後ろに仕舞ってある。
では、同じ騎士であるチヅリツカはどうであろうか。
彼女もまた騎士であるが故に並々ならぬ戦闘力を有してはいる。しかし、決して他の騎士より突出しているという訳ではなく、またそれが彼女の本質でもなかった。
チヅリツカは強いというだけでなく、頭も回る。そのため基本的には机に座って仕事をしており、戦場に赴くことはほとんどしない。それがシャルメティエの秘書として仕える理由であり、そうすることが自身が支えるべき者のためにもなるとチヅリツカも考えていた。
しかし、今回は少人数での行動ということもあり、彼女も武器を装備している。長物であるためシャルメティエの装備同様仕舞ってあるその武器の名は『凍結の槍』と言った。その特質は、『傷を負わせた相手の動きを止める』というものである。止める時間の長さは与えた傷の深さに比例し、かすり傷一つでも相手を0.1秒間止めることが出来た。
そのため、攻撃を当てることが出来ないほどの格上でない限りほぼ必勝の魔法道具である。ただその強力な効果の代償として、膨大な魔力負荷が掛かった。チヅリツカも貴族であるため装備容量は大きいが、『凍結の槍』以外の強力な装備をそれ以上身に付けられないほどである。アルカディアに渡された『解呪眼鏡』と初めて一緒に装備する時には、実際恐る恐るといった感じであった。
「なるほど。それは素晴らしいな」
先ほど気になった『凍結の槍』の説明を受け、グレンは思わず声を上げる。
「はい、一応我が家の家宝でもあります、ただ、グレン様やシャルメティエ様のような実力者相手には意味のない物となりますが」
「そんなことはない。今でも10本に1本はチヅが取るではないか」
おそらく組手の話をしているのだろう。チヅリツカの謙遜にシャルメティエはそう言って称賛を送った。チヅリツカもレナリアを挟んで座るシャルメティエに視線を移し、「運がいいだけです」と再び謙遜をする。
「でも、装備に関していうならお嬢もすごいっすねー」
そう言って、レナリアはグレンの左隣に座るエクセを見た。グレンの体が大きいため、2人と3人に分かれて座っているのだ。当然、彼の隣はエクセが死守した。
「ありがとうございます。ほとんど父に買ってもらった物なので、あまり誇れませんが」
「そんなことないっす。それだけの魔法道具を身に着けていられるだけで十分すごいっすよ。さすがは六大貴族っすね」
うんうん、とレナリアは外套の下で腕を組んで頷く。そして、今度はグレンの方へ顔を向けると、
「それとは逆に、旦那っちはあんまり魔法道具を着けてないんすね?」
と言った。
「私か?そうだな。小物を身に着けるのは、あまり好きではないからな」
「そうっすか。でも、いざと言う時に役立つんで持ってるに越したことはないっすよ?」
「そう言えば、レナリアさんはどのような装備を?その外套が何か特別な物なんですか?」
「あ、気になるっすか、お嬢?しょうがないっすねー」
レナリアの口からその言葉が放たれた瞬間、グレンはあまり良い予感がせず、彼女を制止しようとした。
「待て、レナ――」
「じゃーーーーーんっす!」
しかし間に合わず、レナリアはかつて勇士管理局でグレンにして見せたように、立ち上がって外套を大きく開く。馬車の中は広く、立ち上がるほどの高さと腕を広げるほどの幅があった。
そして必然、彼女の肌色の多い服装が皆の目に晒される。
他の女性の反応は様々で、
「レナ・・・その服装は・・・」
とシャルメティエが驚けば、
「だから、外套で隠していたんですね・・・」
とチヅリツカが納得し、
「み、見てはいけません、グレン様!」
とエクセがグレンの目を隠した。
やはりこういう結果になったか、とグレンは制止が間に合わなかったことをひどく悔やんだ。
「あ、旦那っちには前に見せたんで大丈夫っすよ」
そして追い打ちをかけるようにレナリアがそう言う。確かにその通りなのだが、何故だかこの場では誤解されるような気がグレンにはした。
「グ、グレン様・・・?」
「グレン殿。いくら自分の後輩だからと言って、何をしても良いという訳ではないのですよ?」
「まあ、グレン様も男性ですから・・・」
悪い予感は当たり、3人はそれぞれの反応を返す。
「ち、違うんだ・・・!あれは、レナリアが勝手にだな・・・!」
ここで弁解しておかないと後が怖いと思い、グレンは必死になって言葉を発した。
「そんな!あれは旦那っちが喜ぶと思って!」
「お前はまた・・・そういう誤解されるような言い方を・・・!」
今すぐにでもレナリアの口を塞ぎたいグレンであったが、それよりもまず確認しなければならないのはエクセの表情だ。このままではメーアの言った通り本当に愛想を尽かされてしまう、とグレンは恐る恐る先ほどまで自分の目を隠していた少女に目をやる。
エクセは、何故か顔を赤らめていた。
「グレン様もやはり・・・女性の素肌がお好きなんですか・・・?」
もじもじと問うエクセに対し、グレンは何も言えないでいた。そのせいで、またもやレナリアの余計な発言を許してしまう。
「それはそうっすよ、お嬢!女の裸が嫌いな男なんていないっす!」
やはり今すぐ口を塞ごう。グレンはそう思い、目にも止まらぬ速さでレナリアの口をがっしりと塞いだ。
「レナリア、少し黙っていろ・・・!」
口を開くことも頭を振ることもできないレナリアはグレンの威圧に押され、目で了解の意を告げる。それを見届けたグレンはエクセに向き直り、自分への評価が下がらないよう言い繕うとした。
「あー・・・エクセ君。今レナリアが言ったのは一般論であってだな・・・。何と言うか・・・」
しかし、考えてみればレナリアは何一つ間違ったことは言っていない。グレンとて、女性の素肌を目にして嫌悪感を覚える訳はないのだ。ただ、相手によって何も思わないということがあるにはあったが。
「そうですよね。グレン様は私の時もそうでしたもの」
おそらく、実習で訪れたムムル村の宿屋での一件の事を言っているのだろう。確かにあの時グレンはエクセの半裸姿を目撃しており、そしてその時の対応は単なる謝罪であった。驚きと自分への怒りのあまり興奮はしなかったが、思えばあれは男としてかなり貴重な体験をしたのかもしれない。今更ながらにグレンはそう考えた。
「もしかして、グレン様・・・エクセちゃんの裸を見たことがあるんですか・・・?」
エクセの発言から察しの良いチヅリツカがそう推察する。そしてそれは正に半分正解であった。半裸だけに。
「なっ・・・!グレン殿!まだ未成年であるファセティア家のご息女に対して、なんたる愚行を!騎士として、聞き流すわけにはいきません!」
「ま、待て、シャルメティエ。あれは事故というものだ」
シャルメティエの怒号にグレンは言い訳をする。厳密に言えば、扉をノックすることを忘れた彼のせいではあったのだが、今ここでそれを言えば更なる顰蹙を買うことは想像に難くない。これ以上、話をややこしくしたくなかった。
「そ、そうです!あれは私の不注意が招いた事故なんです!グレン様は悪くありません!――それに・・・あの後、グレン様は私に興味をお持ちにはなりませんでしたから・・・」
エクセは何故か最後の部分を悲しそうに語った。
「マジっすか・・・!?旦那っち、それは男としてどうかと思うっす・・・」
シャルメティエへの言い訳の時に手を放したせいで、レナリアが再び会話に参加する。座っているグレンより立っているレナリアの方が目線は高く、なんだか見下されている気分がした。
「そうではありません、レナリアさん・・・!私に魅力がないのがいけないんです・・・!グレン様も立派な女性ならば・・・」
それが一体何人の女性に怒られる言葉であったか。エクセは心の底からそう言っていた。
「なーにを言ってるっすか、お嬢!」
どかっ、と座り直したレナリアが座席の上で胡坐をかきながら言う。淑女である他の3人には見慣れない姿勢であるため、少し驚いているのがグレンには分かった。
「お嬢は魅力の塊っすよ!バルバロットの大旦那の娘さんだから言う訳じゃないっす!今日初めて3人を見た時も、お嬢を含めて『美人揃いだ!頼もしい!』って思ったっすもん!」
何故、美人が揃うと頼もしいのか。グレンは頭に疑問符を浮かべたが、それを問い質す前にレナリアが続く言葉を発した。
「それにお嬢はこの中の誰よりも素晴らしい物を持ってるじゃないっすか!」
「え・・・?」
まずい。レナリアにこれ以上喋らせてはならない。
グレンはそう判断し、再び彼女の口を塞ぐため腰を浮かせようとした。
「あ、でもそれを言う前に。――お嬢、旦那っちを抑えてもらっていいっすか?こう、両腕でがっしりと」
(なにっ!?)
自分の動きを予見したかのようなレナリアの発言にグレンは驚愕する。彼がわずかに動いたのを認識したのだろうか。
「え?あ、はい」
そして素直にもエクセはグレンを抑えるため、彼の左腕に抱き付いた。大胆な行動であったが、エクセにしてみてもグレンの動きを止めるにはこれくらいしなければならないと、疑問は持たなかった。
大きく柔らかな感触がグレンの腕に伝わり、彼の顔が少し赤くなる。
「どうっすか、旦那っち?お嬢のこと、意識しちゃったんじゃないっすか?」
「む・・・!」
「え・・・?どういうことですか、レナリアさん?」
レナリアの勝ち誇った台詞に対して、グレンの唸るような呟きに続きエクセの疑問の声が飛ぶ。
「ふっふっふ・・・」
そう意味深に笑うレナリアは力強くエクセを指差すと――正確にはエクセの胸を指差すと、
「お嬢の魅力・・・それは!そのおっぱいっす!」
と力一杯に叫んだ。
馬車の内部に、静寂が訪れる。
止められなかったか、とグレンは自由の利く右手で自分の顔を覆った。そして、すぐに左腕も自由になる。レナリアの発言を理解したエクセが急いで腕を放したのだ。その顔は、真っ赤に染まっていた。
「あ・・・あの・・・その・・・!グ・・・グレン様・・・!その・・・あの・・・!」
言葉にならない声がエクセの口から零れ出る。グレンもそれを耳にするだけで、彼女の顔を直視することはできなかった。
「自信を持つっす、お嬢!姐御も言ってたっすよ!『胸は女にとって最高の武器。大きければ大きいほど容易く男を切り裂く』って!」
その言葉にはエクセだけでなく、シャルメティエやチヅリツカも顔を赤くする。
「な、なるほどな・・・。つまり先ほど、グレン殿は容易く切り裂かれたわけだ・・・」
「まあ、グレン様も男性ですから・・・」
やけに納得した2人の顔もグレンは見ることが出来なかった。
「その通りっす!それを理解してもらうため、お嬢には旦那っちに抱き付いてもらったっす!あ、『抑えて』って言ったのは、ああ言えばお嬢も恥ずかしがらないかと思ったからっす!」
そうか。そうだったか。あの指示はそのためだったのか。
グレンは先ほどの驚愕を呆れへと更新した。
「分かってくれたっすか、お嬢!?お嬢の魅力は旦那っちにも十分通用するんすよ!」
自信満々に言い切るレナリアに向かって、エクセはただ一言、
「・・・・・・・・はい」
とだけ言った。
「あ、そうそう。で、これがアタシの魔法道具っす」
場の雰囲気をかき乱したにもかかわらず、レナリアは強引に話を戻す。彼女にしてみれば先ほどの一連の行動は親切心でやったことであり、場の空気が変わったことにも気づいていない。
レナリアは腰にぶら下げた袋を手に取ると、その中身の一部をもう片方の手の上に広げた。
「これがアタシの自慢の収集品っす」
そこには色々な指輪や耳飾り、そして髪飾りなど比較的着脱のしやすい装飾品が転がっている。しばらく口を閉ざしていたグレンもその光景に興味を引かれた。
「ほお・・・たくさん持っているんだな」
グレンの言葉に、レナリアは胸を張る。
「そうっすよー。これが視力強化の『青鐘の耳飾り』、これが脚力強化の指輪『韋駄天』、でもってこれが暗闇でも目が見えるようになる髪飾り『蝙蝠』、あとこれが――」
その後もレナリアは一個一個丁寧に紹介をしていった。それをグレンも熱心に聞き入り、場の雰囲気は次第にもとに戻って行く。
「よく集めたな」
「アタシはまだまだ実力不足っすからねー。姐御にも『弱いうちは道具に頼りな』って言われたっす」
「なるほどな。――しかし、これだけの数。お前に装備できるのか?」
魔法道具を多く装備するためには、それら全てを合算した魔力負荷に耐えるだけの装備容量が必要である。装備容量は個人個人で差があり、一般的には平民はそれが小さいとされていた。レナリアも平民出身であり、装備容量は小さいはずである。
「いやいやいや、さすがに無理っすよ。こんなに一辺に装備したらぶっ倒れること間違いなしっす。アタシみたいなのは、状況に合わせて装備を変えていくものなんすよ」
魔法道具は所持しているだけで魔力負荷が掛かる物と掛からない物がある。例えば剣や盾ならば手に持った瞬間に魔力負荷が掛かるが、指輪や耳飾りなどは手に持っただけでは負荷が掛からず、しっかりと指や耳に着けることで初めて負荷が掛かった。
これには人間の意識が関係していると言われている。武器や防具などはその身に帯びるだけで『装備した』と認識するが、指輪や耳飾りなどの小物は適切な場所に装着することで『装備した』と認識するからである、と。
そのため、レナリアのように数種類の魔法道具を所持し、その時の状況にあった強化をするのは至って平凡な事だ。
「旦那っちもどうっすか?任務が終わるまでなら1個くらい貸してあげてもいいっすよ?」
レナリアのふとした親切心をグレンは断ろうとしたが、先に口を開いたのはシャルメティエであった。
「レナ。グレン殿にそのような物は必要ない。この方は、その身一つで全てを持っている」
「そうなんすか、シャルメティエ様?姐御も旦那っちの戦闘力に関しては、滅茶苦茶評価してたっすけど・・・」
グレンの実力を目の当たりにしたことがないレナリアは、少しだけ納得がいかないといった表情をする。彼女もメリッサからグレンについてはいくつか聞かされていたが、さすがに一切の強化が要らないほどの実力となると想像できなかった。
「そうですよ、レナリアさん。グレン様は刀一本であのサイクロプスを圧倒したくらいなんですから」
先ほどのやり取りから復活したエクセが、そんなレナリアにグレンの力の一端を教える。
「はあっ!?サイクロプスって、あのっすか!?『例え仲間が100人いても戦っちゃあいけないよ』って姐御が言ってた、あの!?」
レナリアの予想通りの反応にエクセは満足気な笑みを浮かべた。信じられない、とばかりに彼女はシャルメティエに視線を移す。
「おそらく事実だろう。それ以前に、グレン殿は先のアンバット国との戦争において一瞬の内に複数のサイクロプスを屠った実績がある。国中に伝えられたのだが、知らなかったのか?」
「まっっったく知らなかったっす。旦那っち、マジですごい人だったんすね・・・」
グレンに向かってレナリアはキラキラとして眼差しを向ける。それに対し、彼は苦笑いを浮かべてこう言った。
「とは言っても、その時はこれを使ったがな」
言いながら、首に掛けた首飾りを服の下から取り出す。それは『英雄の咆哮』であった。バルバロットに言われて以降、律儀にもずっと身に着けていたのだ。
その時、チヅリツカが「あ・・・!」と声を出す。何事かとグレンは彼女に視線を移した。
「グレン様、その魔法道具の所在は一応秘匿されていますので・・・。あまり人前には・・・」
「なにっ?そうだったのか?」
グレンにとって、それは初耳であった。
「はい。グレン様の所有物ですので情報を漏らしたからと言って罰則がある訳ではないですが、盗まれでもしたら事です。特に今回はそれを狙う輩の本拠地に赴くのですから、あまり見せびらかすような真似はしない方がよろしいかと」
「そう言えば、王都に現れた不届き者はこれを狙っていたようだな」
「え?王都に不届き者なんて出たんすか?」
レナリアの疑問も仕方のないものであった。王都に入り込んだ教国の信徒達は、騎士やポポルによってほとんど何もできずに捕らえられたのだ。彼女だけでなく、あの会場にいたほぼ全ての民がそれに気付けていない。
「ああ。ウェスキス殿の娘が人質に取られかけたくらいで、ほとんど被害は出なかったが」
「ええ!?リィスさんがですか!?」
シャルメティエの言葉にエクセが青ざめた顔をする。すでに済んだことであるため、心配する必要はないのだが、知り合いの危機を聞かされて恐怖しないほどエクセの心は強くはなかった。
「安心しろ、エクセ君。リィスには何の被害もなかったと聞いている」
それを聞き、エクセは胸を撫で下ろす。
「でも、そんな人達の所に行って、一体何をやるっすか?」
今まで何故聞かなかったのか分からないほどの疑問をレナリアが口にした。しかしそれも当然で、グレンは今回の任務についての詳細を彼女に全く説明していなかったのだ。そんな仕事に食い付いて来るレナリアもレナリアであったが、忘れるグレンもグレンであった。
その事実にチヅリツカが驚愕の声を上げる。
「知らされていないんですか、レナリアさん・・・!?」
「そうっす」
「グレン殿、それはレナに対して失礼なのでは?」
「すまない、忘れていた・・・」
ここでエクセも内容をあまり知らされていない旨を言おうとしたが、これ以上グレンに批判を集めたくないため黙っていた。
「で、何しに行くんすか?」
再度問い掛けるレナリアに向かって、チヅリツカが説明を始める。
まず、ユーグシード教国の人間が王都における式典の最中、ティリオン国王とアルカディア皇帝を誘拐しようとしていたこと。そしてその目的がグレンと帝国――アルカディアが所有する『聖庭』についてはまだ知らされていない――が持つ『神々の遺産』と呼ばれる魔法道具の奪取。さらにはその指示が教国の神官から出されていたことを丁寧に説明した。
「――ですので我々は教国まで赴き、事の真相と主犯格を突き止めるよう教国側に圧力を掛けに行くんですよ。次第によっては、謝罪や賠償なども要求するつもりです」
ふむふむ、とレナリアは腕を組んで頷いて見せる。
「――って、これ国家規模的な話っすか!?」
「そうですよ」
レナリアの驚愕した声にチヅリツカは平然と返した。エクセも声には出さなかったが、その事実に驚きを隠せないでいる。
「だ、大丈夫なんすか!?そんな任務にアタシみたいな新米勇士が参加しちゃって!ていうか、こんな少人数で他国相手に話し合いとかできるもんなんすか!?もし、争いにでもなったら・・・!」
レナリアの心配は普通に考えれば誰もが思いつき、そして誰もが恐怖する事柄であるだろう。そのため、シャルメティエが彼女の不安を和らげようと声を掛けた。
「心配するな、レナ。王国としても戦闘は極力避ける方針だ。そのため、我々に先がけ陛下の文が教国へと送られている。そこには穏便に話し合いで済ますよう書かれているはずだ」
確かに、ティリオンの書いた手紙は昨晩の内に王都を出ている。しかし、その内容はシャルメティエの予想とは異なり、かなり好戦的であった。
それには教国の人間による蛮行に激怒している旨、もし仮に謝罪がなければ王国と帝国が教国に対し敵対行動を取る旨、そして教国に向かわせた使者に対する歓迎の強要などが彼なりの言葉で書かれている。
だからと言って本当に戦争をするつもりはなく、あくまで脅しであった。
「いや、それでも教国側が素直に応じるとは限らないじゃないっすか・・・!さっきも言ったっすけど、もし戦いになんてなったら大変っすよ!?敵の本拠地から逃げられるんすか!?」
この心配もまたレナリアのような経験不足の者にとって当然のものであった。しかし、その事に関して頭を悩ませている者は彼女1人だけである。
「そのためにグレン殿がいる」
言いながら、シャルメティエはグレンに顔を向ける。彼が捉えたその顔は複雑な心境を表しているようであった。おそらく、グレンに頼るのは憚られるがその時が来たら皆を守るためそうせざるを得ない、と考えているのだろう。
「ああ。王国に戻るまでの間、皆の安全は私が保証しよう」
そのため、グレンもシャルメティエの期待に応えるような発言をする。レナリアもつい先ほどグレンの強さを理解したため、安心したような面持ちになった。
「おお・・・!旦那っちにそう言われると、なんだか大丈夫な気がしてきたっす!」
どうやら不安は吹き飛んだようだ。
「っていうか、ぶっちゃけ旦那っちってどれくらい強いんすか?」
「ん?」
そこで疑問に思ったのか、レナリアがグレンに問い掛ける。突然の問いに、彼はすぐには答えられなかった。
「それは興味深い質問だ。――どうなのです、グレン殿?」
シャルメティエも答えを促す様にそう言ってくる。エクセやチヅリツカも興味深げにグレンを見つめていた。
「どれくらい、と言われてもな・・・。何か指標になるものがあればいいんだが・・・」
生物の強さに数値はなく、またそのような不確定なものを的確に言い表せられるほどグレンの頭は柔らかくはない。眉根を寄せて考え込んでみたが、やはり答えは見つからなかった。
「例えば素手で岩を砕けるとか、風のように走れるとか、サイクロプスみたいに一軍に匹敵するとかっすよ!」
そのため、レナリアが例を出して見せる。
「そうだな・・・。大抵の岩ならば素手で砕けるな・・・。風のようにかは分からないが、馬車よりかは速く走れるぞ。軍隊と比較するのは・・・少し難しいな」
「私の試算では、グレン様の強さは10を超える軍に匹敵するものかと」
グレンの言葉を受けて、チヅリツカが眼鏡を軽く持ち上げながら言った。普段から知的に見える彼女であったが、眼鏡を掛けることでそれがより強調され、その発言に不思議な説得力をもたらしている。
グレン以外の者は皆、なるほどと言った感じに頷いていた。
「旦那っち、一体どんだけ強いんすか・・・。そりゃ、魔法道具なんていらないっすよ・・・」
レナリアはそう感心してくれたが、先ほど見せた『英雄の咆哮』や愛用の大太刀『二刀一刃』は魔法道具である。
グレンとて最低限度の備えはしているのだ。彼にしてみれば、であったが。
「じゃあ、これは必要なさそうっすね」
そう言って、レナリアは今までずっと持っていた自分の収集物を袋に戻して行く。しかし、途中で何かに思い当たったのか手を止め、
「あ、でも、能力を高めるやつじゃなければいいんじゃないっすか?」
と言った。確かに身体能力に関して規格外なグレンであっても、それ以外でならば強化は意味のあるものとなるだろう。
「とは言っても、アタシの持ってるやつで旦那っちに丁度いいのがないんすけど」
しかし、そのような装備を持っている者は少ない。
加えて、レナリアは弓使いでグレンは剣士だ。そのため必要な技術や装備が異なり、それは当然魔法道具にも言えた。
「それでしたら、私の物をお貸しいたします」
そう言ったのは、エクセであった。
実は先ほどからその機会を虎視眈々と狙っており、グレンに向かって力強い眼差しを向けている。
エクセは左手の親指に填めていた指輪を外した。
「グレン様、こちらをお受け取りください」
差し出された指輪は金色に輝き、小さな宝石がいくつか埋め込まれていた。何やら高価そうな物であることは一目で分かったため、グレンも断ろうとする。
「いや、いいよ。それはバルバロット公が君に買ってくれたものだろう?私が身に着けては申し訳ない」
「ご安心ください。これは私が自分で買った物です。『天恵』と言って、装備者に幸運をもたらす指輪です」
「おおー。それはいい考えっすよ、お嬢」
レナリアはそう言って、エクセを褒めた。
「旦那っちは戦闘力に関しては文句なしっす。でも、運となるとどうすることもできないっすからね」
うんうん、とレナリアは頷いて見せる。エクセもそう考えて指輪を渡そうとしたため、にこりと笑った。
「その通りです、レナリアさん。――さ、グレン様。お手をどうぞ」
エクセは指輪を持っていない手をグレンに向けて差し出す。どうやら填めてくれるようだ。
その行動に逡巡したグレンであったが、少女の気遣いに応えようと右手を差し出す。
「あ、いけません、グレン様。そちらは利き手です。邪魔にならないように左手を出してください」
なるほど、と今度は左手を差し出した。
するとエクセはその薬指に指輪を填め込む。途端、他の女性陣が色めき立った。
「エクセちゃん、そこは・・・!」
「大胆っすね、お嬢!」
「ふ、ふむ・・・意外と積極的なのだな・・・!」
その言葉にグレンは頭の上に疑問符を浮かべる。
「ん?なんだ?左手の薬指がどうかしたのか?」
そこに指輪を填めることの意味を知らないグレンは疑問を口にした。しかし答えは返ってこず、皆エクセの方へ視線を向けている。少女は少し顔を朱に染めていた。
「な、なんでもありません、グレン様・・・!ただそこが指輪に一番合う大きさだったと言うだけなんです・・・!お気になさらないでください・・・!」
「ふむ、そうか」
エクセの行動は一種の告白みたいなものである。しかし、そういった習慣に関する知識のないグレンには通じず、エクセは安心したような残念なような気分をその身に抱えていた。
「ええーーー!そりゃないっすよ、旦那っち!お嬢の気持ち――もが」
グレンの態度に不満を覚えたレナリアがエクセの気持ちを代弁しようとする。しかし、その口は少女本人の手によって塞がれてしまい、続く言葉は発せられなかった。
「いいんです、レナリアさん!」
そう言うエクセの目は力強く、バルバロットを知る者であるならば彼を連想したことだろう。レナリアもそうであるわけではないが、その目に見つめられ、ただ黙って頷いた。
それを見届けるとエクセは手を放し、自分の席へと座り直す。
「どうした、エクセ君?そんなに必死になって」
グレンのその言葉にエクセ以外の女性陣は皆呆れた表情をした。
「旦那っちは、お嬢に愛想を尽かされても文句は言えないっすね・・・」
それに賛同するようにシャルメティエとチヅリツカは大きく頷く。
何故だかわからないが孤立無援のこの状況にグレンは居心地の悪さを覚え、
(やはり男の1人でも連れて来るんだった・・・)
と、思うのであった。




