3-9 英雄、仲間を集う
永世友好条約が締結される式典の開催時間は長い。長すぎると言っても良かった。何をそんなにやるのかと問われれば、国王や皇帝による署名などの不可欠な手順から互いの国歌斉唱などの催し物までが執り行われている。さらには何故かティリオン自らが流行りの歌を披露する機会まであり、集まった民たちは大いに盛り上がった。
そして今は、式典の昼休憩である。人々は出店や食事処で昼食を取ったり、自分の家や宿屋で休息をしているようだ。
では、今回の主役たちはどうだろうか。
ルクルティア帝国の皇帝アルカディアは、執事のヴァルジと共に与えられた客室で食事を取っている。そこにはチヅリツカも同席しており、アルカディアの弟であるソーマを絶賛売込み中であった。
では、ティリオンはどこか。彼もまた私室で昼食を取っているのだろうか。
答えは否である。
「アルベルト、奴らは何か吐いたか?」
ティリオンは今、王国騎士団団長であるアルベルトから話を聞こうとしていた。式典の最中、彼とアルカディアを狙って動いていた連中は全員捕縛され、すでに尋問を受けている。その内容を知らせるため、アルベルトはティリオンの他に副団長であるシャルメティエと隊長達、さらには娘を危険に晒されたポポル、そして何があったかよく分かっていないグレンが会議室に集められていた。
「はい。どうやら彼らはグレンの持つ『英雄の咆哮』を狙っていたようです。その交渉材料として、恐れ多くもティリオン国王とアルカディア皇帝陛下の誘拐を企てていた、と報告が上がっています」
皆の視線が一斉にグレンに向く。
「あの首飾りをか?そりゃまたなんでだ?」
「ユーグシード教国の神官に命ぜられた、とのことです。彼の国の者の間では『英雄の咆哮』を含む八王神が残したと思われる魔法道具を『神々の遺産』と呼び、それらを教国に取り戻そうとする動きがあるのだとか」
「取り戻す?」
最後の言葉はドゥージャンが言った。
「まるで始めは教国の物だったかのようではないか。あれは今も昔もフォートレス王国を治める国王の所有物。彼の国には分別というものがないらしいな」
その言葉に他の隊長達は大きく頷く。
「対外的には誰が所有しているかは、分からないようになっていますから。それに今はグレンの物です」
ドゥージャンの考えを正す様にアルベルトは笑顔で答える。ティリオンの前であるからか、ドゥージャンも露骨な態度は取らず、ただ無言でその会話を終わらせた。
「ったく、くっだらねえこと考えやがってよお。危うく俺とアルカディアの晴れ舞台がおじゃんになる所だったじゃねえか」
そのような不安要素は何一つとしてなかったのだが、式典に対してほんの少しでもケチを付けられたような気がしてティリオンは怒っていた。
「そうよ~!私なんか~娘を~人質に取られそうになったんだからね~!」
続いて、ポポルがそう言って怒りを露わにする。それが初耳だった者達は一様に驚いた。
「その節は誠に申し訳ありませんでした、ウェスキス殿。全て、団長である私の責任です。後ほど、リィス嬢には何かお詫びをさせていただきます」
「そこまでしなくてもいいわ~。アルベルトちゃんには~もう~十~分お仕置きしたから~」
お仕置きという言葉にアルベルトは苦笑する。よく見ると分かるが、彼の両頬は少しだけ赤くなっていた。会議が開かれる少し前に、怒りに駆られたポポルに抓られたのだ。
「ありがとうございます。今後はこのような事が無いよう尽力いたしますので」
アルベルトはそう言ってポポルに頭を下げると、続いてティリオンに視線を向ける。
「では国王。今後の対応について協議するといたしましょう。まずは――」
「協議も何も、こんなもの教国の宣戦布告ではないか。今すぐに戦力を結集し、教国へ報復に赴くべきだ」
そう言ったのは、隊長の1人であった。彼の意見も尤もなのだが、アルベルトがまず意見を聞かなければいけないのは国王である。
そのためアルベルトは発言した隊長に向かって、
「まずは国王が『どうなさりたいか』を伺うべきです。発言は控えていただきたい」
と彼にしては珍しく力強い口調で注意をした。このような台詞を放ったのは、さすがのアルベルトも教国の計画に腹を立てていたからである。
「む・・・申し訳ない・・・」
先ほど発言をした隊長も素直にアルベルトの言葉を聞き入れた。
「まあ・・・俺もそうしてえのは山々だ。だがな、今は友好条約の締結式典の真っ最中なんだ。王国と帝国の平和に繋がる行事に泥を塗っちゃあいけねえ。それに、そんな人員もいねえだろ?」
先ほど発言した騎士以外の好戦的な者の気を静めるため、ティリオンはそう言いながらアルベルトに確認を取る。アルベルトは軽く頷いてから答えた。
「その通りです。集まった民は今回の件を知りません。先ほど国王がおっしゃった事を踏まえると、式典はこのまま続行するのがいいでしょう。そしてそれによって、騎士や兵士は民の整理に動かなければなりません。教国まで進軍するほどの組織を作ることは不可能です」
アルベルトの言葉に、ならばどうするのかと皆してティリオンを見つめる。
「そこで、だ。――グレン、お前が行って話をつけて来い」
「え・・・?私が、ですか・・・!?」
唐突に話を振られ、グレンは驚いたように言葉を返した。
「そうだ。お前が行けば、教国の奴らも俺がどれだけ腹を立てているか理解するだろう。何だったら教王の1人や2人、ぶっ飛ばしてきていいからよ」
それはさすがにできないだろ、と心の中で呟きながらグレンは異議を唱える。
「しかし国王。教国とて素直に非を認めるはずがないと思われます。そんな時、私では彼らを説き伏せることはできないでしょう。私などよりも、もっと適した者がいるはずです」
「ああん?いいんだよ、そんなの。『認めねえなら、ぶっ殺す』とか言えばよ」
「言えるはずがないでしょう・・・。それに、私は単なる勇士です。そのような国の代表など、荷が勝ち過ぎています」
「国の英雄が国の代表で何がおかしい?――お前らもそれが良いと思うよな?」
ティリオンは埒が明かないとばかりに他の者に同意を求めた。ポポルは力強く頷き、隊長達は渋々といった感じに頭を縦に振る。
しかしその中で、アルベルトとシャルメティエだけが釈然としない表情をしていた。
それをティリオンも理解したのか、2人に向かって問い質す。
「おいおい、どうしたよ?お前らなら、俺の言っている事が一番手っ取り早いって分かるだろ?」
その言葉にはシャルメティエが答えた。
「確かに陛下の仰る事は正しいと思います。グレン殿ならば強力な交渉材料――いえ、自白剤になるでしょう。しかし、今回の件は言わば『国と国の問題』。そのような事柄にグレン殿を頼るのは、些か不本意であると考えます」
そこでティリオンは思い出す。そう言えば、アルベルトとシャルメティエは国と国の諍いに関して、グレンの介入を極力減らすべきだと考えているのだった。勿論それはグレンが邪魔という訳ではなく、いつまでも彼に頼ってはいけないという自立心から来るものである。
「その通りです、国王。今回の事は、グレン以外の者が主体となって解決するべきでしょう」
アルベルトもシャルメティエの言葉に賛同するように、そう言った。それを聞いたドゥージャンが満足気に「くくくっ」と小さく笑うのを、グレンは耳にする。しかし気にすることはなく、どうするのかとティリオンの判断を待った。
「・・・・・・・なるほどな。お前らの言いたいことは分かった。だがな、それじゃあ俺の気が収まらねえんだよ」
2人の要望は飲めない、とティリオンはそう言った。
「グレンという俺の国で最大の戦力を差し向ける。それで教国の連中をビビらせねえと、明日からの飯が不味くなるってもんだ」
今回の一件、それだけティリオンは腹を立てていると言う事である。加えて、初手で最大限の対応をしないと同じような事をもう一度やられかねない、とも考えていた。
「陛下のお気持ちはお察しいたします。ですが、それではいつまで経っても王国の平和はグレン殿ありきで成り立っていることになってしまいます。今一度、お考え直しください」
シャルメティエは力強い眼差しでティリオンを見つめる。国王も彼女の目をじっと見つめ返していた。
そしてそのまま互いに口を開かず、短い時が流れる。自分が話題の中心にいながら何も意見することが出来ないグレンは、非常に居たたまれない気分になっていた。
そんな中、ティリオンが深いため息を吐く。
「――はあ~~~!ったく!だから俺はお前みたいな美人を役職に付けたくなかったんだ!どんな我が儘でも聞きたくなっちまう!」
臣下の意見を容易く聞き入れることが、王としてどれだけ危ういか。ティリオンはそれと自身の女好きを理解していたため、実を言うとバルバロットからシャルメティエを副団長として推された時は強く反対していた。意見がぶつかり合った時、必ず自分が折れてしまうと予測していたのだ。
そして案の定、ティリオンは彼女の意見を聞き入れる。ただ、シャルメティエのような美女としばらくの間見つめ合えたことで機嫌は決して悪くなってはいなかった。
「だったら、シャルメティエ!お前が行って来い!」
「はっ!」
それゆえ出たティリオンの代替案にシャルメティエはすぐさま応答する。その顔は国王への敬意に満ちていた。
「そんで、グレンも連れていけ」
「・・・・はい?」
しかし、続く言葉には思わず疑問の声を上げてしまう。
「陛下・・・それでは意味がないのでは・・・?」
シャルメティエの言う通りだ、と他の者はティリオンを見つめた。ただし、アルベルトだけは「なるほど」と、したり顔で頷いている。
「勘違いするな。グレンはあくまでお前の護衛として付いて行くだけだ。言わば、臨時の部下だな。教国との話自体はお前が自分で進めるんだ。いいな?」
つまりは、ティリオンの思惑とシャルメティエの意志の折衷案ということであった。何だか釈然としないシャルメティエは考え込んでしまうが、国王にそこまで譲歩してもらったため、
「素晴らしいお考えです。副団長、国王のおっしゃる通りにしましょう」
と代わりにアルベルトが受け入れる。
自分よりも頭の良い彼の判断であったため、シャルメティエも意を決し、力強く肯定した。
「お前もそれでいいな、グレン?」
そして最後に、ティリオンはグレンに確認を取る。とは言っても彼の事だ。その場にいる誰もが続く了承の言葉を予測していた。
「え・・・いや・・・その・・・」
しかし、グレンは逡巡とも取れる言葉を発する。
「なんだよ、今度はお前かよ!」
その態度にティリオンも思わず大声を出してしまった。
「どうしたんだい、グレン?」
友人が国王の頼みを素直に聞き入れない事に違和感を覚えたアルベルトがそう問い掛ける。そんな彼に向かって、グレンは逆に尋ねた。
「・・・アルベルト・・・教国まで行って戻って来るには、どれくらいの時間が掛かる?」
「時間?そうだね・・・。教国側があっさり非を認めたとしても・・・大体1週間は掛かるんじゃないかな?」
「1週間か・・・」
グレンのその言葉には少しばかりの嫌悪感が含まれていた。それにティリオンも感づいたようで、彼に向かって問い質す。
「なんだ?何か問題でもあるのか?その程度の期間なら、昔はしょっちゅう王都を留守にしてたじゃねえか」
ティリオンはグレンが勇士となって以来、10年間彼と会ってはいなかった。しかし国の英雄の情報を得る機会は多く、そのためグレンが思っている程ティリオンは彼の動向を理解していない訳ではない。
その意外な事実に気付くこともなく、グレンはティリオンの問いに応えようとする。
「何と言いますか・・・少し・・・個人的な問題が・・・」
「個人的な問題?」
しかしその言葉は答えには程遠く、ティリオンは不可解だと眉間に皺を作った。
「まさか、その個人的な問題とやらを理由に国王の命令を退けるつもりですかな、英雄殿?」
若干の苛立たしさを含みながら、ドゥージャンがグレンに問う。しかし、それをティリオンが手で制した。
「お前は黙ってろ、ドゥージャン。――で、どんな問題なんだ?」
これは自分の命令に従わないグレンを詰問しているのではなく、単純に彼の抱える問題とやらに興味があったのだ。しかし、グレンは即答することなく、口籠ってしまう。
「ここでは言えねえか・・・。おい、隊長連中」
国王の呼び掛けに隊長達はすぐさま顔を向け、耳を傾けた。
「少し席を外せ。・・・いや、もうお前らはいいか。後は残った奴らで話をつける。各自、式典の警護に戻ってくれ」
いきなりな物言いに戸惑う隊長達であったが、国王の命令であるため立ち上がり頭を下げるとすぐに部屋を後にする。その時、ドゥージャンだけは何故かグレンに対して不服そうな視線をぶつけていた。
隊長達が部屋を出た後、ティリオンは改めてグレンに言葉を掛ける。
「さて、グレン。ここにはもうお前にとって比較的親しい者しかいない。腹を割って話してみろや」
今、会議室にはグレンの他にティリオン、アルベルト、ポポル、そしてシャルメティエがいた。確かにティリオンの言う通り、この場にはグレンにとって親しい者しかいない。ただ、その者達に対しても自分の抱える問題を白状しても良いのか、とグレンは悩んでいた。
「どうしました、グレン殿?私の下につくのが嫌ならば、率直に仰っていただいてもいいのですよ?」
シャルメティエとしても自分がグレンを従えるような器ではないと判断しているため、決して卑下している訳ではないがそう言った。
「いや、そうではない。そうではないんだ、シャルメティエ」
グレンも慌ててそのような意図がないことを彼女に説明する。
「だとしたら、どうしたというのですか?グレン殿らしくもない」
「そうね~。一体~どうしちゃったのかしら~」
「グレン。君ほどの人間が抱える悩みを僕たちが解決できるとは思えない。しかし、少しでも力になれるのなら、それに越したことはないと思っているよ」
口々に掛けられる知人の言葉を聞きつつ、グレンは何だか彼らを裏切っているようで気が引けていた。
そして最後にティリオンから、
「グレン、俺らを信じて話してみねえか?」
と言われたため、仕方なく話してみようと口を開く。
「実はですね・・・」
と言い始めたが、やはり逡巡してしまう。
それでも知人達の視線に耐え切れず、続きを話した。
「最近、食事に制限がついてしまいまして・・・」
「制限だあ?お前、減量でもしてるのかよ?」
グレンの言葉にティリオンは怪訝な顔をする。
「いえ、そういうわけではなく。作り手が限られている、と申しますか・・・」
「ほお~。つまり、お前の舌を満足させる奴がそいつしかいない、ってことか。それで1週間の間、そいつの料理が食べられないのが嫌だと」
「・・・はい」
グレンは気まずそうに頷く。そんな彼を物珍しそうに皆は見ていた。
「へ~、グレンちゃんて~意外と~繊細なのね~。で~、誰なの~その人~?」
「・・・・・・・・エ・・・・・エクセ君です」
口をもごもごさせ、言うか言わないか少しだけ悩んだグレンは結局エクセの名を出してしまう。おそらく自分の顔は赤くなっているのだろうな、と少しだけ後悔をした。
他の者の表情を観察してみると、皆一様に驚きの顔をしている。
「驚いたよ、グレン・・・!まさか君からそんな惚気話を聞けるとは、思ってもみなかった・・・!」
「本当~。意外過ぎて~少しもいら~っとこなかったわ~」
「ふむ。グレン殿とファセティア家のご令嬢の関係は多少なりとも伺ってはいましたが、もうそこまで進展していましたか」
口々に自分たちの感想を言ってくる知人達に対して、グレンは自覚できるほどに顔を赤くするだけで何も言い返すことが出来なかった。
そして最後にティリオンが、
「だったら、エクセも連れて行けばいいじゃねえか」
と言って来る。
当然、その言葉には皆が驚いた。その中でもグレンは特に動揺し、ティリオンの言葉に否定的な意見を述べる。
「何を言うんですか、国王!?エクセ君はまだ子供です!国外での任務に同行させるなど、できるわけがない!」
「でもよ、エクセが一緒じゃないとお前も行かねえんだろ?」
「むっ・・・!それは・・・!」
ティリオンの問いに言いよどむグレン。その光景を見ながら、ポポルはアルベルトに囁いた。
「ねえねえ~、アルベルトちゃん~」
「ん?なんでしょうか、ウェスキス殿?」
「グレンちゃんと~エクセちゃんの~結婚式はいつなの~?」
先ほどのやり取りを見ればその質問も仕方ない、とばかりにアルベルトは小さく笑った。
「そうですね。僕の見立てでは、エクセリュート嬢が学院を卒業してすぐかと」
「あら~、私は~もっと早いと思うわ~」
「そうですか?しかし王国では成人にならなければ、婚姻関係は結べませんが」
「そんなの~、あの人なら~ど~とでもなるでしょ~?」
ポポルの見つめる先、そこにはティリオンがいた。確かに国王ならば、国の法を臨機応変に捻じ曲げたり、特例を作ることもできるだろう。
アルベルトも、そこは盲点だったと目を見開く。
「なるほど。おっしゃる通りです。これは計画に大幅な改善が望めそうだ・・・。――ウェスキス殿、素晴らしいご慧眼です」
「どうも~」
今度国王に交渉してみよう、とアルベルトはグレンを説得するティリオンに目を移す。
「国の金でちょっとした旅行を楽しみながら、エクセとしっぽりしてくりゃいいじゃねえか」
「な、何を言ってるんですか!?」
いや、これはもはや嫌がらせだな。アルベルトは顔を赤くしながら叫んでいる友人を目にして、そう考えた。
それと同時に、2人のやり取りに痺れを切らしたのか、シャルメティエがすっと手を上げる。
「陛下。グレン殿同様、私もチヅを連れて行きたいのですが」
「待て、シャルメティエ!俺はエクセ君を連れて行くとは言っていないぞ!」
「おう、連れてけ、連れてけ。つーか、俺は始めからそのつもりだったがな」
「ありがとうございます。では、グレン殿。明日の朝8時に王都の大門にて待ち合わせるとしましょう」
「待て、勝手に話を進めるな!大体、お前はエクセ君の同行を認められるのか!?」
「――グレン殿」
シャルメティエのその一言は、聞き分けのない部下に対して発せられるものと同じであった。
「いい加減にするべきです。先ほどから陛下は、可能な限りの譲歩をしてくださっています。それを蔑ろにするのは例え国の英雄といえども過ぎた行い。ファセティア家のご息女をお連れする事が、何だと言うのですか。此度の任務において、陛下はグレン殿を差し向けたい。そのグレン殿にとって、彼女が必要。ならば、連れて行けばいい。簡単な事ではないですか」
「いや・・・しかしだな・・・!」
「それともう1つ」
シャルメティエはピッと指を1本立てた。
「その任務を遂行するにあたって、グレン殿は私の指揮下に入ります。貴方はそれに異議を唱えなかった。ならば、私の命令には極力従ってもらいます。よろしいですね?」
「それは構わないが・・・」
「ならば明朝8時、ファセティア家のご息女をお連れして大門までいらしてください。それでこの話は終わりです」
さすがは戦闘において速攻を信条とするシャルメティエであった。グレンの反論や逡巡を許さず、力任せに結論に持っていく。この場にいる者で他にそれができるのは、絶大なる権力を持ったティリオンくらいであろう。ポポルも思わず、シャルメティエに向かって拍手を送っていた。
「シャルちゃん、かっこいい~」
「ぐっ・・・!だから、その呼び方は止めていただきたい・・・!」
シャルメティエは恥ずかしそうにそう言ったが、その反応が面白いポポルは「シャルちゃん~、シャルちゃん~」と連呼を始める。その光景にティリオンはポリポリと頭を掻いた。
「なんか締まらねえが、これにて閉会ってことで良いな?グレン、シャルメティエ、任せたぞ」
ティリオンにそう言われたため、ポポルに揶揄われていたシャルメティエであったが即座に反応し、立ち上がってから力強く敬礼をする。グレンも渋々といった感じに頷いた。
「ああ、そうだ、グレン。エクセリュート嬢には、しっかりと、君自身で、同行をお願いするんだよ?」
言葉を区切ることで強調し、アルベルトはグレンに告げる。その思惑が何なのか当然グレンにも分かってはいたが、それ以外の選択肢がない事も分かっていた。
「ああ・・・、分かっている」
エクセに同行を頼むことに関して、特に不安に思う所はない。了承してくれるのならば彼にとっても助かるし、仮に拒否されたとしても彼女を危険な目に合わせなくて済むからだ。ただ、今回の任務が危険なものになるかはまだ分からず、もしかしたらエクセやシャルメティエ、そしてチヅリツカとの旅行を楽しむ程度で終わる可能性もあった。
「――ん?」
そこで、グレンは気付く。そして同じ事をティリオンも気付いたようで、彼に向かってこう言ってきた。
「つーか、美女3人を引き連れての遠出かよ。羨ましいじゃねえか、グレン」
そう、今回の任務において男はグレン1人である。嫌と言うほどではなかったが、道中気まずくなりそうな予感がした。彼女たちがどうこうではなく、自分が男1人という状況を無駄に意識してしまいそうなのだ。
「国王・・・!申し訳ないのですが、もう1人同行者を増やしても構わないでしょうか・・・!?」
そのため、ティリオンに向かって急いで問う。
「俺は構わねえけどよ。そういうのはシャルメティエに聞け」
確かに、今回の任務において国王より全権を任されているのはシャルメティエだ。ならば、とグレンは臨時の上官に顔を向ける。シャルメティエはそんな彼に即答した。
「構いません。ですが、一体誰を連れて行くのですか?」
それはまだ決まっていない。しかし、できれば男がよかった。女性に囲まれ旅をするグレンの手助けとなる人物、それが最善だ。勿論、女性陣に不快感を与えないのが大前提である。
誰かいないか。グレンがそう考え始めた瞬間、会議室の扉が勢いよく開かれた。
「ふっふっふ、それは余であろう!」
姿を現したのは帝国の皇帝アルカディア、そしてその後ろにヴァルジとチヅリツカが仕えている。
「シャルメティエを呼びに訪れてみれば、面白い話をしておるではないか!教国への旅路、余も加わるとしようぞ!異議がある者は、申してみよ!」
「「「「駄目です」」」」
アルカディアの威勢のいい台詞に対し、アルベルト、シャルメティエ、チヅリツカ、そしてヴァルジの4名が声を揃えて異議を申し立てた。そのあまりにも息の合った否定に、勢いを削がれたアルカディアは戸惑ってしまう。
「な、何故じゃ・・・!?エクセが良くて、何故余は駄目なのじゃ・・・!?」
どこから話を聞いていたのやら。アルカディアはエクセの同行が許可されたことを知っていた。それ故自分もと思ったのだろうが、アルカディアの地位がそれを許さない。
「アルカディア皇帝陛下。教国の第一の狙いは、ティリオン国王と貴女様なのです。そのような方をみすみす敵地に赴かせることなどできません」
その旨をアルベルトが説明した。執事であるヴァルジも大きく頷く。
「そうですぞ、陛下。もしグレン殿達に付いて行くことになったのならば、私は陛下をお守りするため、老若男女問わず近づく者をなぎ倒さなければならなくなります」
これはヴァルジの冗談であったが、彼にはそれをするだけの意志と可能なだけの実力があった。この時グレンはヴァルジならば適任なのではないかと考えたが、アルカディアから離れる事はない彼に同行を頼むのは無理だと結論付ける。
「むう・・・爺にそこまでさせるのも酷じゃな・・・」
ヴァルジの言葉で納得したのか、アルカディアは早々に諦めてくれたようだ。
「はあ・・・道中、シャルメティエとチヅリツカのどちらをソーマの嫁とするか、決めようと思ったのじゃが・・・」
付いて来なくて本当に良かった、と話題に出された2人は力強く思うのであった。
「ん~?今の~どういうこと~?」
しかし、その話題にポポルが食い付く。これはまた面倒な人に聞かれてしまった、と今度は冷や汗を流した。
「ふふんっ。余の弟であるソーマの将来の嫁を2人の内どちらかから選んでおるのじゃ。勿論!ティリオン殿からも許可をもらっておる!」
「へ~~~~~~~~~、そうなの~~~~~~~」
今まで見たことのないくらい満面の笑みを浮かべたポポルが、いつもよりさらに間延びした口調で楽しそうに言う。シャルメティエとチヅリツカは、そんな彼女から視線を逸らすので精一杯であった。
「そうよね~。シャルちゃんも~チヅちゃんも~立派な大人だものね~。そういう話が出ても~おかしくないわよね~」
にやにやとした笑いを堪えるつもりもないポポルは、続いてグレンに声を掛ける。
「ほらほら~、グレンちゃんも~早くしないと~追い抜かれちゃうわよ~」
「何の話ですか・・・。それよりも、2人の意志は関係ないんですか?国王の許可を得たとしても、彼女達自身の気持ちを優先しなければ」
良い事を言った、とシャルメティエとチヅリツカはグレンに向かって称賛の眼差しを向けた。
「何を言うておる、グレン殿!余の弟と結ばれれば、次期女王ぞ!?それだけでなく、余の義理の妹ということにもなる!――ん?シャルメティエかチヅリツカが余の妹になる・・・?それは・・・かなりそそられるな・・・!」
アルカディアはそう言いながら、1人で勝手に興奮し出す。シャルメティエもチヅリツカもその条件に対して何かしらの嫌悪感を持っているわけではなかったが、まだ身を固めるつもりはなかったため、今の段階ではいい迷惑であった。
「グレンちゃん~、これはきっと~貴族の義務って~やつなのよ~。国と国のために~他国に嫁ぐシャルちゃんかチヅちゃん~。感動ね~」
ポポルは先ほどまで笑顔を称えていた顔を両手で隠し、今度は嘘泣きを始めた。しかし、すぐにその両手をどけると再び笑顔を晒し、会議室の扉へと近づいて行く。
「それじゃあ~、私は~やらなきゃいけないことが~できたから~これで~失礼するわね~」
そう言って、手を振りながら出て行こうとするポポルに対して、シャルメティエは言葉では言い表せられない不安を感じた。それ故、急いで声を掛ける。
「ま・・・待っていただきたい、ウェスキス殿!一体・・・何をなさるおつもりですか・・・?」
その問いに、ポポルはゆっくり振り返ると、こう答えた。
「聞きたい~~?」
それは全く答えになってはいなかったが、シャルメティエとチヅリツカには彼女が何をするのか容易に想像がついた。おそらく、言いふらす気なのだろう。
このような緊急事態に何故自分達は王国を留守にするのか、と2人は深い後悔の念に苛まれた。
そんな彼女たちを置いてけぼりに、ポポルは「じゃあね~」と言って、去って行ってしまう。それ以降、2人が口を開くことはなかった。
王城を去って後、グレンはすぐに勇士管理局に向かった。
その目的は当然、ユーグシード教国への旅路の同行者を探すためである。1人くらいならば騎士や兵士が余っていないかと思ったが、どうせ親しくない者を宛がわれると考えたのだ。それならば顔見知りのいる勇士を当たった方が、自分にとっても都合が良い。
グレンは人ごみを掻き分けて通りを進み、勇士管理局まで辿り着くと扉を開けた。管理局がこんな日にも営業していることに感謝しながら、受付へと歩を進める。
「すまない、メーア君。至急、手の空いている者を紹介してもらいたいのだが」
そして、馴染みの受付嬢であるメーアにそう声を掛けた。
今回、グレンは依頼を受けるのではなく、依頼をしようと考えている。勇士の収入は給金ではなく報酬であるため、その手続きをこの場でしようというのだ。勇士をやっている友人ならば頼むだけでやってくれそうなものだが、実を言うと管理局を通さない依頼を勇士が受けることは禁止されていた。今までグレンがアルベルトの依頼を受けてこられたのは、彼が英雄であるが故の特別措置である。そうでなければ、報酬を誤魔化される勇士や法外な報酬を要求する勇士が出てくるだろう。管理局は国が運営しているため、その制度は絶対だ。
となれば、その管理の矢面に立たされる受付嬢も単に手続きを済ます役割なだけでなく、勇士や依頼主の権利を遵守する立派な人物と言っても過言ではなかった。
そのような仕事に精を出すメーアもまた仕事のできる優秀な女性だ。だからこそ、グレンはいつも彼女に依頼の手続きをお願いしている。他の受付嬢では怯んでしまうような彼の風貌を初めて見た時も、メーアは平然と対応をしたのだ。今回の急ぎの用も彼女ならば迅速にこなしてくれるだろう、とグレンは考える。
だが――
「メーア君・・・、何故そのような目で私を見るんだ・・・?」
メーアはグレンの言葉に従うことなく、彼を視認した瞬間からじっとりとした目つきをし始めた。その表情は不快感に溢れており、その理由が分からないグレンは自分の用事を忘れて問い質していた。
「何故・・・?ご自分の胸にお聞きになれば、よろしいのでは?」
「む・・・」
これは相当怒っているぞ、とグレンはたじろいだ。しかし彼にその心当たりはなく、口を閉ざし黙り込んでいると、メーアが説明を始めてくれる。
「先ほど、エクセお嬢様がいらっしゃいました」
「エクセ君が?」
このような時にも知り合いの職場に顔を出すとはやはりあの少女は付き合いがいいのだな、とグレンは思った。
「何やらお悩みの様子でしたのでお話を伺いました所、『最近グレン様が他所他所しい』とのこと」
「なに・・・?私がエクセ君に、ということか・・・?」
「はい。訳を伺いますと、グレン様がエクセお嬢様の度重なるご質問に答えてくださらないと言うではないですか。お嬢様は『グレン様に嫌われたのかもしれない』と悲しんでおられましたよ」
確かに最近エクセはグレンに対して同じ質問を何度もしてきている。しかし、それを答えないのは別に彼女のことを嫌っているという訳ではなく、グレンがエクセの中の自分の評価が下がるのを気にしたからであった。加えて、度重なるエクセの質問も煩わしくはなく、むしろそれに答えてあげられないことに心を痛めていたほどだ。エクセの心配は完全なる杞憂である。
「馬鹿を言うな。私がエクセ君を嫌いになるなど、あるはずがない」
その旨をグレンは平然とメーアに告げた。それは、そのような勘違いをするなと怒りの感情すら湧いてこないほどに当たり前の事と彼は考える。
「そ、そうですか・・・?」
そしてその意思がメーアにも伝わったのか、彼女も先ほどまでの冷たい態度をやめ、いつもの表情へと戻って行く。エクセの事となると少し暴走しがちになる面がメーアにはあった。
「そうだとも。今回ここに来たのも、エクセ君と共に当たる任務の同行者を探すためなんだ」
まだエクセが同行するとは決まっていないが、メーアを静めるためグレンは敢えてそう言った。
「お嬢様と共に任務を・・・?まさか!また危険なモンスターと戦うつもりですか!?」
「落ち着け、メーア君。どのような任務かを話すことはできないが、私がいる限りエクセ君を危険な目に遭わせることはない。それに、上手くいけば対話だけで終わる可能性もある」
「極秘任務、ということですか・・・。その『上手くいけば』が気に掛かるところですが・・・」
一介の受付嬢に過ぎないメーアがそのような事を言っても仕方ないのだが、グレンは彼女を安心させるため次にこう言った。
「安心してくれ。他にも同行者がいる。彼女達ならば、上手く話を進めてくれるだろう」
「彼女・・・達・・・?」
しかしそれは失言だったようだ。メーアは再び冷たい視線をグレンに向けて来る。
「グレン様、もしかしなくても他の同行者と言うのは女性の方ですか・・・?」
「ん?ああ、そうだが」
グレンの返答に対し、メーアは深い溜息を吐いた。
「グレン様は、一度エクセお嬢様に愛想をつかされた方がいいのかもしれませんね・・・」
「な、何を言う・・・!」
メーアの呟きに対し、グレンは不吉な事を言ってくれるなとばかりに声を上げる。彼女が誤解していることは確実だが、詳細を話せないため弁解することはできなかった。
「それよりも、だ。メーア君、先ほども言ったが誰か手の空いている者はいないか?その任務に同行してもらいたいんだ」
「そうですね・・・。何人かはいると思いますが、どのような方をお望みですか?」
エクセ関連の話は済んだのか、メーアは受付嬢本来の自分を取り戻し、対応を始める。グレンはそんな彼女の問いにこう答えた。
「できれば、男がいい。同行する女性陣に不快感を与えないような人物が好ましいな。この際、腕の良し悪しは問わない」
加えて顔見知りがいい、とまで言うのはさすがに我が儘な注文だと思い、言わないでおいた。しかし、そこまででも厳しい注文なようでメーアは難しい顔をしている。
「申し訳ありません、グレン様。ご希望に添える方はいないかと・・・」
ろくに調べもしないでそう言ったのには訳があった。メーアは王都にいる勇士の顔や性格をほとんど覚えているが、その中でエクセのようなお嬢様育ちの少女に不快感を与えないでいられる人物がまるで思い浮かばなかったのだ。
いわゆる下品と評される人物が勇士には多い。メーアはすでに慣れ切っているためそんな人物とも上手く接することはできるが、エクセには無理だろう。と言うか、絶対に会わせたくないとまで思っていた。
「そうか・・・」
メーアの言葉にグレンが落胆したような声を漏らすと、その後ろでまた別の声が上がった。
「およ!旦那っちじゃないっすか!」
それはレナリアであった。グレンは振り返り、少女と対面する。
「ん?レナリアか。どうした、こんな日にまで」
「いやいや、それを言うなら旦那っちもじゃないっすか。ま、アタシは誰かご飯奢ってくれる人がいないかな、と」
「なんだ、まだ金欠か?」
「そうなんすよー!一日を生きるのにも精一杯で・・・。ね、メーアさん!」
グレンの陰から顔を出し、レナリアはメーアに向かって笑顔で語り掛ける。しかし、当のメーアは不思議そうな顔をしていた。
「そうでしたか・・・?先日グレン様と会って以来、一度も依頼を受けていなかったと思いますが」
「なに・・・?」
メーアの言葉にグレンは怪訝な声を出す。確か『自分で稼いで食い繋いでおく』と言っていた気がしたのだが。
見ればレナリアもあたふたとしており、少し汗をかいていた。
「え、あ、そ・・・そうだったっすか・・・?あっれー、おかしいっすねー・・・?」
「レナリア・・・。お前の金欠の原因とは、もしや浪費ではなく怠慢か?」
「わーーー!ごめんなさいっす、旦那っち!姐御には言わないでほしいっす!絶対滅茶苦茶怒られるっす!」
レナリアは両手を合わせてそう懇願してきた。
「いや、別にメリッサに告げ口するつもりなどないが・・・」
「本当っすか!?いやー、さすがは旦那っちっす!」
もしかしてこれも泣き落としの一種か、などとグレンは前回レナリアに言われたことを思い出す。しかし、彼女の笑顔からその気がないことが何となくだが分かった。
「で、旦那っちはどうしてここにいるんすか?」
今度はこっちの番とでも言いたげに、レナリアは先ほど自分がされたものと同じ質問をグレンにする。詳しい内容を話してしまわないよう注意をしながら、グレンは答えてあげた。
「実は旅の仲間を一人探していてな」
「旅の仲間!?旦那っちがっすか!?」
レナリアは部屋中に響き渡るほどの大声を出す。その驚き様にグレンも驚いた。
「あ、ああ・・・。何かおかしかったか・・・?」
「いや、そうじゃないっすけど・・・。それって・・・戦力としてってことではないっすよね・・・?」
レナリアも姐と慕うメリッサからグレンの強さを聞いており、そんな彼に助力が必要なのかと疑問を持つ。これに対し、グレンは首を縦に振った。
「ああ、戦力ならばすでに決まっている人員で事足りている。私が探しているのは――そうだな・・・場の空気を変えてくれるような人物だな」
「ほうほう」
レナリアはしたり顔で頷く。
「しかし、希望に合った人物がいなくてな。どうしようかと思っていたところなんだ」
「申し訳ありません」
グレンの言葉に――責任を感じる必要はないのだが――メーアが謝罪をする。グレンも「いや、君のせいではない」と言って、彼女を慰めた。
そこでレナリアが、
「じゃあ、アタシはどうっすか!?」
と手を勢い良く上げて、聞いて来る。
「なに?」
「旦那っち、前に約束してくれたじゃないっすか!?『次は一緒に依頼を受けてくれる』って!今回はその絶好の機会っすよ!」
確かにそんなことを言った。その事はグレンも覚えていたのだが、今回は彼自身の依頼であり、その約束の範疇にはない。加えて、グレンが求めていたのは男の同行者であった。申し訳ないが、レナリアを連れて行くつもりは彼にはない。
「すまないな、レナリア。今回私が必要なのはおと――」
「いいのではないですか?」
グレンの断りの言葉を遮り、そう言ったのはメーアであった。何故、とグレンも彼女に振り返る。
「メーア君、何を言っている・・・!?」
「よろしいではないですか、グレン様。レナリアさんとの約束でしたら、私も覚えています。確かあの時は『危険な依頼だから同行させることはできない』とおっしゃっていました。ならば、今回の任務は打って付けなのではないですか?確か、比較的安全なのですよね?」
「む・・・確かに、そうなんだが・・・」
おかしい――メーアの言葉にグレンは違和感を覚える。彼女ならば先ほどグレンが言った条件を記憶しているはずだ。それにも関わらず、レナリアを推してくるとは何か理由があるのだろうか。もしかしたら新米勇士の財布事情を考慮した上での発言なのかもしれなかったが、グレンとしてもレナリアを受け入れるのは複雑な気持ちであった。女性の中に男が1人という状況に、何の変化も起きていないからだ。
しかし、それを知らないレナリアは、メーアの言葉によってさらに乗り気になってしまった。
「だったらいいじゃないっすか!それに女の1人でもいた方が旦那っちも嬉しいっすよね!?」
「ところが、レナリアさん。グレン様のお供は全て女性の方なんですよ」
グレンが密かに濁してきた部分をメーアが告げる。それを知られたくなかったグレンは、気まずそうにレナリアの反応をうかがった。
「あ~・・・はいはい、はいはい・・・なるほどっすね・・・」
そう言って、したり顔で頷くレナリア。グレンも彼女が何を理解したのかは分からなかったが、何かを誤解したことは分かった。そのため、急いで訂正をする。
「レナリア。何か勘違いをしているようだが、それは間違いだと言っておくぞ」
「え?いやいや、違うっすよ!やっぱ姐御の言っていたことは本当だったんだなって思っただけっす!」
それが誤解なんだ、とグレンが言おうとするも、レナリアが続けて言葉を発した。
「で、どんな人達なんすか?やっぱ美人なんすか?」
「お一方だけならば存じていますよ。まだ学生の方で、とても愛らしく、まるで妖精のような女の子です」
容姿は関係ないだろう、と言おうとするグレンに先がけ、今度はメーアが口を開く。この2人相手だとどうも会話で後れを取るようで、自然と眉間に皺を作った。
「が、学生・・・!?学生が旦那っちの任務について行くんすか・・・!?」
「まあ・・・そうなるな・・・」
驚愕の表情を浮かべるレナリアにグレンは歯切れ悪く答える。危険なものではないとは言え、英雄と共に学生が行動すると知れば納得のできる反応だろう。
しかし、レナリアが驚いた理由はそこではなかった。
「じゃあ、アタシはその学生の子よりも使えないと思われてるんすね・・・」
「む・・・!」
そう言って暗い顔で俯くレナリアにグレンは戸惑いの声を漏らす。
「そうっすか・・・。アタシ・・・旦那っちにそんな風に思われてたっすか・・・」
それは最早先ほどまで元気に話していた少女の物ではなく、暗く沈んだ声となっていた。グレンの後ろで「グレン様・・・」と若干の非難を込めて呟くメーアの声が聞こえる。
ただ、グレンも前回の経験があるため、そう簡単に折れることはしなかった。
「泣き落としを仕掛けても無駄だぞ、レナリア。私とて、そう何度もお前の策に嵌まるつもりはない」
憮然とした態度でグレンはそう告げる。それにより、てっきりお道化た態度を見せるかと思われたレナリアであったが、衝撃を受けたかのようにグレンを見上げたその瞳には涙が滲んでいた。
「ひ・・・ひどいっす・・・!アタシ・・・こんなに傷ついてるのに・・・!泣き落としだなんて・・・!」
「なっ・・・!」
予想外の反応にグレンは大いに焦る。彼の顔に戦場ですらかいたことのない大量の汗が溢れ出した。
「ま、待て!何も泣くこと程のことではないだろう!?」
「泣くほどのことっすよ・・・!アタシ、これでも勇士として頑張ってるんす・・・。それが学生の、しかも女の子よりも劣っているなんて・・・思われているなんて・・・!ひどい・・・ひどすぎるっす・・・!」
レナリアの瞳からはついに涙が零れ落ち、彼女の頬を伝って行く。事ここに至り、グレンも彼女の涙が本気のものであると判断した。
「す、すまない、レナリア!俺が悪かった!だから、泣くのを止めてくれ!」
今、勇士管理局には人が少ない。それ故、このやり取りを他の勇士に見られていることはないのだが、それは何の慰めにもなっていなかった。メーアの他にもいる受付嬢がひそひそ話をしている声が聞こえるのだ。彼女たちも女性。ならば、男性であるグレンを非難する会話なのは考えるまでもない。
王国の英雄はかつて聖マールーン学院で感じた以上の居心地の悪さを覚えていた。
「ぐすっ・・・!ぐすっ・・・!」
「わ、分かった!ならば、お前に同行を依頼しよう!それで泣き止んでくれないか・・・!?」
泣きじゃくるレナリアに対して、グレンもついに意志を曲げる。その言葉にレナリアの涙も勢いを弱めた。
「本当っすか・・・?」
「あ・・・ああ、勿論だ。ただ、今回は私からの依頼なため、お前の希望した形ではないが」
「それで構わないっす・・・。それで・・・報酬はどれくらいっすか・・・?」
「そうだな・・・。お前の希望する額で構わない。泣かせてしまった詫びだ」
「・・・だったら、アタシの働きを見て判断してほしいっす・・・。アタシも旦那っちを見返したいっす・・・」
「そ、そうか。お前がそれでいいなら、そうしよう」
「じゃあ、約束っすよ・・・」
「ああ。明日の朝8時――いや、それよりも早く大門まで来てくれ」
レナリアが遅刻する可能性を踏まえて、グレンはそう告げた。加えて、彼女に貴族であるエクセ達との付き合い方を注意する必要もある。
「分かったっす・・・。『やっぱり止めた』は無しっすよ・・・?」
「当然だ。心配するな」
グレンがそう言って頷くと、レナリアは突如、
「やったあああああっす!」
と言って、両手を上げて喜んだ。その変わり様は凄まじく、気分が落ち着いたといった程度ではなかった。涙も既に見えず、その顔には笑みが湛えられている。
「いやー、さすがはアタシっす!あの英雄すらも泣き落してしまうとは!」
その言葉にグレンは再び彼女に謀られた事を悟った。
「レナリア・・・お前・・・先ほどまでの涙は偽りか・・・?」
グレンは目の前で喜ぶ少女に声を絞り出しながら問う。レナリアも喜ぶのを止め、白い歯を見せながら答えた。
「その通りっす!アタシが実力不足って言われたくらいで泣く訳ないじゃないっすか!旦那っちもまだまだ甘いっすね!」
そう言って勝ち誇るレナリアに対し、グレンは何も言い返せなかった。受付嬢たちも彼の後ろでくすくすと笑っている。グレンは先ほどまでとはまた違った居心地の悪さをその身に味わっていた。
「姐御が言ってたっす!『涙は女が持ちうる最強の魔法道具だ』って!王国の英雄とも言われる旦那っちにも効果があると言うことは、正にそれが証明されたってことっすね!」
やはりかつての同僚は妹分にあまり良い事を教えていないようだ、とグレンは強く思う。そんな彼に向かってレナリアは手を振るとこう言った。
「それじゃあ旦那っち、また明日っす!アタシは旅の支度をしに家まで戻るっす!」
そして管理局の扉まで向かった少女であったが、最後に振り返り、
「あ、そういえば、どれくらいの旅になるんすか?」
と聞いて来る。
「・・・・・・・1週間だ・・・」
「なるほど、了解っす!」
グレンの答えに嬉しそうにそう言うと、レナリアは管理局を後にした。グレンは閉まる扉をその目に映しながら、慣れない敗北感にその身を苛まれ、ただ唸る事しかできないでいる。
「これはしてやられましたね、グレン様」
呆然と佇むグレンの背中に向けて、メーアが声を掛けた。その声は他の受付嬢の笑い声と同じく、どこか楽しそうなものである。
グレンは振り返り、メーアと顔を合わせた。もとはと言えば、彼女がレナリア側に付いたことでこのような事態になったのだ。その理由を問い質しておきたかった。
「メーア君、何故レナリアの肩を持つようなことを・・・?」
グレンのその問いはすでに予想されていたのか、メーアは間髪入れずに答える。
「言ったではないですか。グレン様は一度エクセお嬢様に愛想を尽かされた方がいい、と。レナリアさんや他の女性と仲良くしている所を目撃すれば、多少はそのような気も起こすのではないかと思いまして」
「君は、私とエクセ君の仲を裂きたいのか・・・?」
言いながら、グレンは自分がエクセとの仲の良さを誇示しているようで少し恥ずかしい気分になった。そんな彼に向かって最後にメーアはこう言い聞かせる。
「いいえ。ただ、グレン様はエクセお嬢様の事をもう少し大事にするべきだと思っているだけです」
その言葉に、これ以上どうしろと、とグレンは思うのであった。
その夜、グレンはファセティア家の屋敷にあるエクセの部屋の前に立っていた。その理由は当然、彼女に教国へ一緒に行ってもらうよう頼むためである。
断られても良いし、引き受けてくれても良い。そう心の中で唱えながら、グレンは扉を叩いた。
「はい」
すぐにエクセの澄んだ返事が聞こえる。しかしその声には力がなく、どこか弱々しく感じられた。
「エクセ君、私だ。少し話があるんだが、構わないか?」
グレンがそう声を掛けると、部屋の中から急いで扉まで向かってくる音が聞こえる。そしてすぐに開かれた扉からは寝間着を身に着けたエクセが現れた。その服は以前エクセが酔った時と同じものであったため、あの時の事を思い出したグレンは少し気恥ずかしくなる。
「グ、グレン様!?どうかなさったんですか!?」
慌てた様子で問うエクセにグレンは違和感を覚えたが、管理局でのメーアの言葉を思い出し、彼女が誤解をしていることに思い至った。
そのため、彼なりに優しい口調で語り掛ける。
「夜分に済まない。君に話したいことがあってな」
「私に・・・?まさか・・・!この家を出て行かれるのですか・・・?」
エクセは以前と同じような反応をして見せた。
「そうではない。いや、国王の命令でユーグシード教国まで赴くことを考えれば、1週間ほど留守にはするか」
相手がエクセであるためか、グレンも管理局では漏らさなかった情報を口走る。
「教国ですか?それはまた何故です?」
「少し、彼の国と話をしなければいけなくなってな。シャルメティエが主となって執り行うんだが、私とチヅリツカ君も付いて行くことになったんだ」
「そうですか・・・。1週間もグレン様とお会いできなくなってしまうのですね・・・」
落胆したようにそう言うエクセに向かって、グレンは意を決して問い掛ける。
「それなんだが・・・。エクセ君、君も一緒に来てはくれないだろうか?」
「――え?」
突然の誘いにエクセは戸惑いの声を漏らした。
「どうも最近、君以外の料理が喉を通らないんだ。できれば私と一緒に来て、食事を作って欲しい」
やや誇張された表現ではあったが、グレンは本心を告げた。しかし、エクセに反応はなく、彼の顔をじっと見つめているだけである。
「ああ、迷惑ならば断わってくれて構わない。私が我慢すればいいだけなんだからな。それに可能性は低いだろうが、危険な目に遭わないとも限らないんだ」
諭すように言うグレンの言葉を耳にし、固まったままだったエクセは意識を取り戻したようだ。そしてそれだけでなく、嬉しさのあまりグレンに向かって抱き付いて来た。
「おっと」
ちょっとした衝撃とエクセの柔らかな膨らみがグレンの体に伝わる。あの体験からエクセが寝る時には上の下着を着用していないことを知っているグレンは、自分の中で生まれる高まりが体に現れないよう強靭な精神力で抑え込んだ。
「グレン様・・・私、とても嬉しいです・・・!もしかしたら・・・グレン様に嫌われてしまったのではないかと思っていました・・・!」
「ん?そうだったのか?何故そんな誤解をしたのか分からないが、私が君を嫌う事などありはしない。例え一生を賭けてもな」
勿論グレンはその事について知っていた。しかし、初めて聞いたように振る舞って見せることで、自分にそのような気が全くなかったという事を印象付けようとした。有り体に言えば、格好付けようとしたのだ。
「それで、同行してくれるということでいいのかな?」
「はい!グレン様とでしたら、どこへでもご一緒いたします!」
元気にそう言うエクセであったが、いくつかの問題点が浮かんだのか、顔を曇らせてしまう。
「あ・・・でも、お父様やお母様が許してくださるかどうか・・・」
「その事ならば心配いらない。すでに2人の許可は取ってある」
エクセの部屋を訪れるよりも前に、グレンは少女の親に同じ話をしていた。そしてバルバロットもユフィリアムも喜んで許可を出してくれており、その反応にむしろグレンが不安を覚えてしまったほどだ。ただ、どちらからも娘を心配する声が聞かされてはいた。
バルバロットからは、
『グレン、お前だからこそ許すのだ。エクセに傷一つ付けるでないぞ』
と言われている。
無論、グレンとてエクセを傷つけるつもりはない。
そのような事が起こらないよう、王国に帰って来るまでは彼女の警護を最優先事項とするつもりだ。
「そうですか。良かった・・・」
エクセも安心したように胸を撫で下ろす。
「ですが、学院はどういたしましょう・・・?今までも授業を休んだことはありますが、さすがに1週間ともなると許可が下りるかどうか・・・」
国王であるティリオンの命により、エクセは何度か学院を休んでは王城を訪れたことがあった。それは国王からの命であることと彼女の成績が優れていたことから特別に許可が下りたものであり、実を言うと学院側もあまりいい顔をしていない。聖マールーン学院の学院長であるマーベルが、そう言った特別扱いを極端に嫌うのだ。学生は皆、同じ学生。それが学院長の教育理念の一つであった。
そして今回は1週間も休みを取らなければならない。授業に遅れることも快くないが、それよりもまず学院から許可を得られるかが不明であった。
しかし、その不安を払拭するかのようにグレンは笑う。
「それも心配いらない。国王が帝国との条約締結を記念して、国民に長期の休みを与えるとのことだ」
「長期のお休み、ですか・・・?」
エクセの学生としての懸念と同じものは、当然グレンも会議の場で口にした。
その時にティリオンが、
『安心しろ。この後伝えるつもりだったんだが、俺の国の奴らには長期休暇を与えようと思っている』
と言ったのだ。
フォートレス王国では1週間に1日、学校も職場も必ず休みを取らなければいけないことになっている。その時機やそれ以外の休みについてはそれぞれの組織に任せており、国から関与することはなかった。しかし、ティリオンは予てより『俺の国の奴らは働き過ぎだ』と思っており、出来れば休みを与えたいと考えていたのだ。
そこで丁度良く帝国との永世友好条約の締結式典が開かれる折となり、それを口実に1週間ほど全国民に休暇を与える運びとなった。
この1週間というのは、おそらく今回の任務に掛かる期間から算出したものだろう。つまりはその場で決めたということなのだが、グレンやエクセには都合が良かった。
また、国王の命だからと言って、全ての国民が絶対に遵守する必要がない事からもティリオンの柔軟さが窺える。
ただ、学院に関しては、
『未成年どもくらいなら休ませても問題ねえだろ』
と言う理由できっちり1週間休ませるつもりなようだ。これも、グレンに気を利かせたからだろう。
国王の計らいに大いに感謝しつつ、グレンはエクセの不安が薄らいでいくのを眺めていた。
「それは・・・何と素晴らしいのでしょう!やはり国王様は優れた方なのですね!」
抱き付きながらグレンを見上げるエクセの瞳はキラキラと輝いており、その嬉しさの程度が良く分かる。グレンも嬉しそうに、にこりと笑みを返した。
「では、了承してくれると言う事でいいのかな?」
「はい!」
エクセの元気な返事を聞いた後、2人は少しだけ話をした。
そしてその後、就寝の挨拶を済ませるとグレンは自分の部屋へと戻って行く。
その足取りが軽やかなものになっていることには、彼自身しっかりと気付いていた。




