表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅蓮の英雄  作者: 時つぶし
神を継ぐ者
36/86

3-8 招かれざる客

 式典の開催を告げる魔法が打ち上げられた瞬間、ある集団に属する者たちは互いに頷き合い、散り散りになって行く。その服装は至って普通のものであり、一見しただけでは王国や帝国の人間と見分けはつかない。しかし、その心に宿すものはどちらの民とも異なり、もし覗き見ることが出来たのならば歪んで見えたことだろう。

 彼らは知識の神に仕える神官達に命じられて王都に入り込んだ信徒達。そして、その目的は永世友好条約の締結式典に参加するフォートレス王国国王とルクルティア帝国皇帝の誘拐であった。そのような大それた犯罪行為にも彼らは疑問を持たない。なぜならば、神に仕える神官からの命と言うことは、まさに神からの命であるということだからだ。

 このような者たちは、例え同じ信徒であっても厄介な存在であった。信仰の解釈において他人の言葉を受け入れず、何を考えているのかも分からない。いや、何も考えたくないからこそ神に縋りついているのかもしれなかった。何故彼らがそのような人間になったのかは分からないが、その集団に属する者たちが特に厄介なのは、そのような妄信的な考えを持っていると共に多少なりとも腕が立つと言う事である。

 命じられれば何でもした。それによって、自分の命を失うことになろうとも。

 (第一班は国王を、第二班は皇帝を狙え)

 それは決して声に出された言葉ではない。しかし、彼らは神官から教えられた秘術『念話』を用いて離れた相手とも会話が可能であった。それがどれだけ作戦行動において重宝するか、多少なりとも頭の働く者ならば瞬時に察することが出来るだろう。

 彼らは2つの班に分かれて行動しており、それぞれが5名の信徒で構成されていた。そしてそれらを纏める班長が1人。先ほど『念話』で指示を出したのが、その人物である。彼は2班を見渡せるよう少し後ろを歩いており、何か異常を察知した際にはすぐに伝える手筈となっていた。

 大勢の市民で溢れた通りを彼らは進んで行く。班員の頭にはそれぞれ少しずつ異なる黒色の帽子が被さっており、それを見失わないよう細心の注意を払いながら班長も前進した。本会場に近づくにつれて市民の密度は高まって行き、それでも力づくで進もうとすることで多くの民の肩にぶつかってしまう。普通ならば喧嘩の一つでも起きそうなその行動にも、市民たちは意を介さない。なぜならば、今彼らの意識は式典用に建設された舞台の上に注がれていたからであった。その舞台には見事な椅子が2つ用意されており、これからそこに座る人物がどれだけ位の高い人物なのかを教えてくれている。

 そして、まずその中の一人が姿を現した。舞台の高さは数mはあり、視覚的な妨害を受けていない限りはその姿を目に納めることができるだろう。真っ赤な礼服を纏ったその身には、これでもかと言うほど黄金色に輝く装飾品が散りばめられており、光を反射するその姿はまさに国を統べる者に相応しい威光を放っていた。

 瞬間、歓声が爆発する。

 ユーグシード教国の者たちにはその光景が理解できなかったことだろう。彼らとて厚い信仰心を持っているのだが、その対象は矮小な人間ではなく超常的存在である神だ。今壇上を偉そうに歩いている人物など比較にならない程の偉大な存在であるならば、このような熱気も納得できる。まったく王国の人間はどのような価値観をしているのか、と信徒達は一様に考えた。

 しかし、何という事はない。ティリオンが単純に人気者である、というだけの事であった。

 国を守るために全力で、偉ぶりながらも親近感の湧く言動、汚職を許さず自身も潔白、民との約束は必ず守る偉大な王。それがティリオンなのだ。

 「あー、あー。聞こえてるか、てめえら?」

 予め『拡声(ラウドスピーカー)』を掛けていたティリオンが確認のため、集まった人々に向かってそう声を掛ける。それに応えるように、市民たちは各々の言葉で返事をした。その声が音の砲弾となってティリオンの身に降りかかるが、彼は耳に指を突っ込みながらも満足気に頷く。

 「よーし、聞こえてるみてえだな。そんじゃあ、今から式典を始めるからよ。まずは――」

 そう言いながら、ティリオンは懐から一枚の紙を取り出した。

 「――俺の開会の挨拶からだ」

 何でもないその言葉にも、集まった市民たちは歓声を上げる。その中には王国民だけでなく帝国から来た者達もいたのだが、場に流されているのか同様の反応を見せていた。

 「耳かっぽじって、よく聞いと――ん?なんだ?順番が違う?」

 ティリオンが人々の反応に意気揚々と開会の言葉を述べようとした瞬間、舞台の袖から顔を出した1人の執政官に制止を掛けられる。彼の言葉通り、式典の順番を間違えていた。

 「ああ、そうか。アルカディアの呼び出しが先か」

 その言葉に、民たちは声を大にして笑う。国王の失態に対するものとしては、かなり失礼に当たる反応であったが、ティリオンは些かの怒りも覚えなかった。その器の大きさも、彼が人気な理由である。

 「それじゃあ、呼ぶわ。出てきな、アルカディア」

 ティリオンの呼び掛けに応じて次に壇上に姿を現したのは、ルクルティア帝国の皇帝アルカディアであった。彼女の登場にも人々は歓声を上げるが、そういった行動を取ったのは彼女の姿を子細に見て取ることが出来なかった者たちである。と言うのも、アルカディアの姿をその目に捉えることが出来た者たちは皆一様に言葉を詰まらせ、ティリオンのもとまで歩いて行く彼女の姿に目を奪われていたのだ。

 その姿はまさにティリオンとは対極。純白のドレスに身を包み、装飾品も耳や首など最低限しか身に付けていない。それでも彼女の長い黒髪と足を十二分に映えさせ、まさに『絶世の美女』と謳われても何ら遜色はなかった。

 しかし、その顔は少し不機嫌であるように見える。

 「ティリオン殿!そなた、余の事を忘れるとは何事じゃ!」

 アルカディアにも『拡声(ラウドスピーカー)』が掛かっていたため、その声は集まった人々の耳にも確かに届いていた。

 「(わり)い、(わり)い。もしかしたら、俺も緊張してんのかもな」

 などと、ティリオンは全く悪びれもせずアルカディアに向かって謝罪をする。しかしこれは嘘であり、さらに言えば緊張をしていたのは実の所アルカディアであったのだ。

 確かに今、王都には予想を超えた大勢の民が集まっている。だが、視界に収まる人数であるならばティリオンは何度もこういった風景を見てきており、今更怯むようなものでもなかった。しかし、アルカディアは違う。彼女も皇帝と言う地位に就いてはいたが、大勢の人の前に立つという事はしたことがなく、今まで事務仕事にばかり専念してきた。それ故、今回の式典が始まる直前まで顔色が悪くなるほど緊張しており、それを気遣ったティリオンがわざと失態を演じて見せ、彼女の緊張を解したのだ。ティリオンに近しい者であるならば、それを察することができ、会場に集まった民とはまた異なる笑みを浮かべていることだろう。

 しかし、救ってもらったアルカディアは本気で忘れられていたと思ったため、怒りの形相を浮かべていた。ティリオンにしてみれば、それで狙い通りなのだが。

 「そなたが緊張などするものか!全く、どれだけ余をおちょくれば気が済むのか!」

 「おいおい、それだとまるで俺が何度もお前さんを揶揄ってるみたいじゃねえか」

 「どの口がそれを言う!余の文を要らぬ所まで民に公表しおってからに!――あ・・・!」

 その瞬間、アルカディアはある事に気付く。それは、ここにいる者のほとんどが自分がグレンに対して体を差し出す意思がある事を知っているということであった。無論それは国のためであり、決して私利私欲からくるものではない。しかし、それを理解できるのは彼女に近しい者くらいであり、それゆえ変な誤解が生まないようグレン以外には他言無用にしたのだ。ティリオンが悪戯心を働かせて手紙の全容を公表しなければ何事もなく――達成にしろ未達成にしろ――終わっていたであろうそれは、今や全王国民の知るところとなってしまっている。

 ぎこちなく、アルカディアはティリオンに向けていた視線を民へと向けた。ティリオンのようにアルカディアのことを揶揄いの眼差しで見つめていたのならば心が折れてしまいそうであったが、予想に反して集まった人々はアルカディアの事を見てはいないようである。それどころか、アルカディアに顔を向けられると気まずそうに顔を背ける始末であった。その理由にアルカディアはすぐに察しがつく。

 「お・・・お主ら・・・まさか、余を憐れんでおるのか・・・!?」

 その問いに答えるかのように王国の民たちは頷いて見せた。何の反応も見せない者は、アルカディアの手紙の内容を知らないのだろう。

 「ふ・・・ふふ・・・・・・ははは・・」

 そして何を思ったのか、アルカディアは小さく笑い始めた。その様子をティリオンも訝し気に眺めていると、彼女は急に大声を出し始める。

 「はーーーはっはっはっ!見たか、ティリオン殿!すでに王国の民は余の手中!いずれは人口流入も視野に入れておかねばなるまいな!」

 この発言は、言わばアルカディアの強がりであった。諦めたのか吹っ切れたのかは分からないが、どうやら王国民に手紙の内容を知られていても全然平気という方向性で行くらしい。顔を羞恥に染めているためティリオンにはその心情が丸分かりの行動であったが、もはや緊張のかけらも見えないアルカディアに向かって彼もにやりと笑う。

 「な、なんじゃ、その笑みは・・・?」

 「いや、なんでもねえよ。それよりもアルカディア、折角作らせたんだ。席に座りな」

 言葉の調子とは裏腹に、ティリオンは紳士的な所作でアルカディアに着席を促す。その椅子にはルクルティア帝国の紋章が刻まれており、隣に置かれているティリオンの椅子にはフォートレス王国の紋章が刻まれていた。

 「ふ、ふんっ」

 今一納得のいかないやり取りに不満の声を漏らしながらも、アルカディアはゆったりと自分の椅子に腰掛ける。それが思った以上に深く沈んだため、「おお・・・!?」と戸惑いの声を上げてしまったアルカディアは、続いてその言葉を皆に聞かれたことを自覚し、顔を赤くして恥ずかしそうに俯いた。その愉快な光景を見届けたティリオンは小さく鼻で笑うと、先ほど取り出した紙を広げる。

 「さ、これで役者は揃った。それじゃあ改めて、開会の辞を執り行うとするか」

 ティリオンのその言葉に、先ほどまで反応を返していた民達は一斉に押し黙った。そして、彼の一挙手一投足を見逃さないように、彼の言葉を一言一句聞き漏らさないように、舞台上に集中する。

 しかしその中において、何人かの者達が後ろを振り向いていた。それはユーグシード教国の信徒達。ここに集まった者達がティリオンに意識を向けている今が、彼らにとって使命を成し遂げるための絶好の機会であった。

 黒い帽子を被った実行部隊が今後ろを振り返っているのは、班長に向かって作戦決行の合図を促しているからである。互いに少しの間隔を開けて配置についている彼らは集まった人々の最前列に陣取っており、彼らにしてみれば目的の国王と皇帝は目と鼻の先にいた。例え2人のいる場所が地上10mほどに位置する舞台の上であったとしても、そこまで到達するのに然程時間はかからない。入口から入り込むも良し、舞台をよじ登るも良し。そして、彼らはそのどちらをも行おうとしていた。

 彼らの考えた作戦では、まず一人が舞台入口に向かって走り出す。すると当然、護衛として舞台前に立つ多くの騎士や兵士がその者を捕らえるため動き出すことだろう。しかしその者は仲間うちで最も敏捷性の高い人物であり、重い装備を着込んだ騎士や兵士では簡単に捕らえられまいと考えられる。よしんば捕らえられたとしても、それで構わない。一か所に集まった護衛の隙をついて、残った者たちが舞台の壁をよじ登る手筈となっていたからだ。その間に国王や皇帝が逃げることも考えられたが、彼らにしてみれば舞台の壁は死角。ならばしばらくの間事態の把握に戸惑う事は明白であり、それはおそらくいるであろう舞台上の護衛も同様であるはずだ。自分たちのすぐ傍に護衛を付けなかったことを後悔する結果となるだろう、と班長は邪悪に笑った。

 それゆえ彼は、黒い帽子を被った信徒達に向かって頷いて見せる。

 その時、1人の男が呟いた。

 「あそこか」

 その光景を見ていた者の言葉に、彼らは気付く由もない。その者は部下の騎士に指示を与えると、続いて小さく笑う。

 「さあ皆。汚名返上のため、見事な働きをしてみせようか」

 その者――フォートレス王国騎士団団長であるアルベルトは誰に聞かせるともなく、そう呟いた。

 それが合図であったわけではないが、信徒の一人が動き出す。目標の入口を見据えて軽く腰を落とし、自分目掛けて向かってくるであろう護衛の動きを予測し、意を決して一歩。そう、ただの一歩を踏み出した。

 その瞬間――

 「がっ――!!」

 彼の大きな一歩が集団を抜け出したと思われたその瞬間、護衛の騎士が一気に距離を詰め、左手に持った盾で力の限り殴りつけてきた。鎧を着込んでいるとは思えないほどに素早いその一撃により男は昏倒。どさっ、という音と共に地面に倒れ伏すこととなる。そしてその男は、また別の騎士によって引き摺られるようにどこかへと連れて行かれてしまった。場に残されたのは、黒い帽子だけだ。

 まさに、あっと言う間の出来事である。

 (なんだと!?)

 他の信徒達よりも少し後ろにいた班長は、その光景に心の中で驚愕の声を上げた。そしてその動揺は他の者も持ったようで班長に向かって狼狽した視線を向けている。それも当然で、彼らにしてみれば不意を突こうとしていたのは自分達の方なのだ。にも関わらず、いきなり初手を潰されてしまった。いくら国王と皇帝の護衛とは言ってもさすがに行動に迷いがなさすぎる。

 だが、その騎士はただ単に予め伝えられていた命令通りに動いただけであった。実を言うと、彼ら信徒達の行動はフォートレス王国に入った瞬間から警戒されていたのだ。

 別に彼らが不法入国をしたというわけではない。正式な手続きをして関所を通って来た。しかし、王国には入国者の情報を纏めている書類があり、それと照らし合わせた際に彼らが今まで王国に訪れたことがないことが分かったのだ。式典を見に来たと言われたため関所を管理する騎士もすんなりと通したが、そのような人物が後に10人ほど続いた。しかも彼らは今回の式典に関係のないユーグシード教国の人間。前回の失態のせいで神経質になっていた騎士がそれに違和感を持たない訳もなく、それ故すぐに王都へ連絡が飛び、以来アルベルトの指示により今日までずっと彼らは監視対象となっていた。

 そしてつい先ほど、彼らは尻尾を出した。ならば最早疑わしき存在ではなく、捕らえるべき存在である。そのため騎士は一切の逡巡も見せず誅罰を実行し、また信徒を連れて行った騎士にも動揺はなかった。

 今もまた、他の信徒達を捕らえるために彼らは動いている。信徒達が最前列にいた事と共通して黒い帽子を被っていたこともあり、容易く特定した護衛達が彼らを連れ去って行くのが班長には容易に見て取れた。

 彼らの作戦は、開始と同時に失敗したのだ。

 (ふ、ふざけるな!)

 その心の声は『念話』によって他の信徒達にも聞こえており、その考えは彼らの中にも生まれていた。しかし答えるような動作を取ることはできず、ただ俯くことしかできない。

 (くそ!)

 そう吐き捨てる班長の視界に4人の騎士が迫るのが見えた。先ほどアルベルトによって彼を捕らえるよう指示を受けた者たちだ。信徒達の捕縛劇は大した騒ぎにもなっていなかったため、彼らは難なく人ごみを掻き分けてこちらに向かって来る。そのため、班長は大慌てで彼らとは逆の方向へ逃げ出した。

 「こんな・・・こんなはずでは・・・!」

 ティリオンの言葉に耳を傾けている民にその言葉は聞こえない。ただ無理矢理進もうとするその男に苛立ちの視線を向けるだけで済ますのであった。






 本会場とは少し離れた通りをテレサピスはリィスと共に歩く。彼女たちもティリオンやアルカディアの姿が見える位置へ向かおうとはしたのだが予想以上の人の多さにそれを断念し、今は出店を見て回っていた。特に何を買うと言うわけでもなく、ぶらぶらと歩く2人。それでもテレサピスは至上の幸福を感じていた。

 すぐ隣を歩く幼い姿の同級生にテレサピスは恋をしており、彼女にとって今この状況は愛する者との逢引に他ならないのだ。そして時折すれ違う人を避けるため、自身の左隣を歩くリィスが彼女の露出された左足に触れる時などはもう堪らない。テレサピスは自分の中で長年封じ込めてきた衝動が爆発しそうになるのを必死に抑え込んでいた。

 「リ、リィスさん・・・もう少し人の少ないところに行きませんこと・・・?」

 これは決してやましい意味で言ったのではない。むしろその逆で、これ以上リィスとの接触があった場合自分がどういう行動に出るか分からず不安だったのだ。極力リィスに嫌われるような行動は取らない。それが今回彼女と共に行動をするテレサピスが決めた自分への戒めであった。

 「うん・・いいよ・・・」

 リィスも先ほどから人を避ける度、友人に迷惑――テレサピスは喜んでいたのだが――を掛けていることを申し訳なく思っており、その提案を異議なく受け入れる。そして、2人して人の少ない方向へと足を進めた。

 その道すがら、テレサピスは何人かの男に声を掛けられる。

 「君、かわいいね」

 「どう?これから俺と一緒に食事でも」

 「こっちは妹さん?――え!?同い年!?」

 などなど、お決まりとも言える言葉に対してテレサピスは全て笑顔で拒否をした。それでも食い下がる男には、

 「しつこい男は嫌いですわ」

 と言って、左太ももに帯びた剣を抜き放とうとする仕草を見せつける。すると、男たちはそそくさと退散していくため、やはり剣を持って来て正解だったとテレサピスは思うのであった。

 「テレサピス・・・かっこいいね・・・」

 「え!?ほ、本当ですの!?」

 リィスの思わぬ賛辞にテレサピスは喜びの声を上げる。それと同時に、なるほどこういう手もあるのかと考えた。

 彼女は今まで、自身の女性的魅力を見せつけることでリィスを落とそうと考えていた。しかし、頼もしい部分を見せることでもリィスに好感を持ってもらえるようである。

 (やはり剣を持って来て正解でしたわ・・・!)

 テレサピスは今朝の自分を褒めてやりたい、と再びそう思うのであった。

 「あ・・・」

 その時、リィスが小さく声を上げる。

 「どうしましたの、リィスさん?」

 テレサピスが疑問の声を上げるとリィスは口で答えることなく、前方を指し示した。どこかで見たことある光景だ、と思いながらもテレサピスはその方角へと視線を向ける。するとそこには以前と同じようにエクセ、ミミット、トモエの3人組がいた。そして、彼女らも2人と同じように祭日用のドレスに身を包んでいるのが見て取れる。

 テレサピスとリィスはそんな3人に向かって近づいて行った。彼女たちに気付いたのか、少女達も笑顔でそれを迎える。ただ、エクセの表情だけは少し曇っているように見えた。

 「テレサピス先輩・・・すごい恰好ですね」

 目の前に来たテレサピスの露出度の高い服装を見て、トモエがそう驚嘆の声を漏らす。ミミットも驚きに目を軽く見開いているが、エクセはこれといった反応を見せていなかった。

 「どうかしましたの、エクセリュートさん?」

 それに違和感を持った訳ではないが、彼女から放たれる微細な負の感情が気に掛かり、テレサピスはエクセに問い質す。

 「お、さすがはテレサピス先輩。悩める乙女に気付きましたか」

 テレサピスの言葉にトモエがそう返した。

 「まあ、何か悩んでらっしゃるのね」

 「いえ・・・、悩みと言うわけでは・・・」

 テレサピスに視線を向けられ、エクセは目を伏せて言う。その行動が先ほどのトモエの言葉を十二分に肯定していた。

 「どう・・・したの・・・?」

 何も言わないままのエクセに向かってリィスが聞く。しかし、それでもエクセは口を開こうとはしなかった。

 代わりに、ミミットが答える。

 「もしかしたらグレン様に嫌われてしまったかもしれない、と言うんです」

 「グレン・・・様に・・・?」

 そんなことがあり得るのか、とリィスは首を傾げる。

 「どうしてそう思ったんですの?」

 同様の疑問をテレサピスも持ったため、エクセに向かって聞いた。その問いにエクセは答えず、今度は代わりにトモエが答える。

 「よく分からないんですけど、グレン様の『夜の伝説』とやらをしつこく聞き過ぎたって言ってました」

 「『夜の伝説』・・・?」

 グレンの伝説であるならばテレサピスも聞いたことがあるが、『夜の』と言われると心当たりがなかった。ただ、どのような話かは何となく想像がつき、そこからグレンが何故エクセに答えを教えないのかも理解する。

 「そうです・・・。アルカディア様がおっしゃっていました・・・。グレン様には『夜の伝説』があると・・・。私、それが知りたくて・・・何度もグレン様にお伺いを立ててしまいました・・・。きっと・・・しつこい女だ、と思われたに違いありません・・・。だから今日の誘いも・・・お断りに・・・」

 「それはグレン様に重要な仕事があるからでしょ?あんたもさっき言ってたじゃない」

 エクセの悲壮に満ちた言葉にミミットの突っ込みが入る。

 式典の間、グレンはティリオンを除く王族の警護を任されており、もちろんその旨をエクセにも伝えていた。加えて、誘いを断る際にも「心苦しい」という心情を吐露したのだが、先ほど述べた負い目を感じていたエクセは激しく動揺してしまい、友人と合流した今も平時の状態を取り戻せてはいない。

 「ならば気に病むことなどありませんわ、エクセリュートさん。グレン様は英雄。今日のような日に何の用もない事の方が不自然ですわ」

 「ですが、テレサピスさん・・・。ならば、なぜグレン様は私の問いに答えてはくれないのでしょう・・・?」

 「そ、それは・・・」

 テレサピスはその事について、自分の中で立てた仮説を伝えることもできた。しかし、それを今この場で言うわけにはいかず、言葉を詰まらせる。

 それでも、自分と同じく恋に悩む少女を救ってあげたいと思う一心で言葉を紡いだ。そうすることでグレンに対する恩返しにもなるだろうと考えながら。

 「それは・・・私にも分かりませんわ。ですが、エクセリュートさん。人間誰しも隠し事を持っているものでしてよ」

 自分もそうだ、とテレサピスは心の中で呟く。

 「ですが、アルカディア様はご存知でした・・・。おそらく、どなたから聞いたのだと思いますが・・。私はそれをグレン様の口から直接伺いたいのです・・・」

 エクセ自身、それが単なる我が儘であると理解していた。それでもこの気持ちを抑えることはできず、それが原因でグレンを困らせていることも当然の如く自覚している。今回の塞ぎ様は、そこから来る自己嫌悪も含まれていた。

 「ならば、お待ちなさい。貴女が話すに相応しい女性になったのならば、グレン様も教えてくださいますわ」

 「そう・・・でしょうか・・・」

 エクセは納得がいかない、と言ったように顔を俯かせる。テレサピスとしてもそれ以上の助言をすることができず、言葉を詰まらせてしまった。

 「難しい男心ってやつですかね~・・・」

 それを見計らったかのようにぽつりとトモエが呟く。ただ何となく口から出た言葉であったのだが、その場にいる少女達はその言葉に思わず納得してしまっていた。なぜならば彼女たち全員、恋愛経験がないからである。むしろそうするために少女達の親が女子校である聖マールーン学院に入れたのだから、当然と言えば当然であった。

 一先ずはそういう事にしておこう。今この場では結論の出なさそうな話に対して、皆そう思うのであった。

 (男心の分かる方が知り合いにいればよかったのに・・・)

 ただエクセだけはまだ諦めきれず、誰か心得のある知り合いがいないかを思い返していた。

 一番はやはり母親だ。父との恋愛を経て自分を生んでくれたのだから、男心の一つや二つ理解しているだろう。しかし、エクセにとって身内に恋愛相談をするというのは何だか憚られる行為であった。そのため、その手段は置いておく。

 次に思いつくのは学院の同級生であったが、彼女たちも自分と同じ境遇である事は想像に難くない。

 では、最近知り合ったシャルメティエやチヅリツカはどうだろうか。彼女たちは成人しており、女性としてもかなり魅力的な人物だ。今現在誰かと交際をしていてもおかしくはない――と思ったが、貴族であり有名人でもある彼女たちに相手がいるならば多少なりとも噂になっているはず。そんな話は聞いたこともないため、彼女たちも相談相手にはならないだろう。

 ならば、他の誰か。エクセは自分の知り合いで、これまで挙げた人物とは異なる境遇に身を置く女性を探してみた。

 そして、いた。

 「そうだ・・・メーアさんなら・・・!」

 彼女ならば成人しており、噂になるような立場にもない。加えて、グレンの事を良く知る人物でもあるため相談相手としては打って付けだ。

 「ミミットさん!トモエさん!勇士管理局に行こう!!」

 「え!?こんな日に!?」

 「別にいいけど、今日ってやってるの?」

 友人の唐突な提案にトモエは驚きの声を上げ、ミミットは呆れながらも承諾した。中等部の3人は、テレサピスとリィスに頭を下げるとエクセに引っ張られて勇士管理局に向かって行く。そんな3人の後ろ姿を見ながら、テレサピスはリィスに問う。

 「リィスさん、メーアさんってどなたなんですの?」

 「確か・・・勇士管理局の・・・受付の人・・・」

 「まあ。エクセリュートさんは、交友関係が広いのですわね」

 感心したようにテレサピスは言った。彼女とて貴族の集まりに何度も参加していることから、色々な人物と面識がある。しかし勇士管理局となると縁がなく、自身と同じ六大貴族であるエクセがそういった所に出入りしていると言う事実に少しばかり驚きを感じた。

 「あの子・・・良い子だから・・・」

 やはりエクセに対する評価は高いのか、リィスが優しい声でそう言う。もしや彼女の義母に向けたものと同じ笑顔を浮かべているのではと思い、テレサピスは急いでリィスの方へ顔を向けた。そこには彼女なりの笑顔を浮かべた友人がいたが、ポポルに向けたものほどではなく、テレサピスは胸を撫で下ろす。これ以上競合相手が増えて欲しくはなかった。

 (恋敵という訳ではないんですけどね・・・)

 それはテレサピスが持つ独占欲なのだろうか。彼女自身、自分がここまで本能に従った感情を発していることに戸惑っていた。

 (リィスさんへの想いがそれだけ本気だと言う事ですわ)

 とテレサピスは心の中で言い訳をする。そんな彼女の露出された左太腿をリィスは指でつんつんと突いた。

 「ひゃふぁあ!――リ、リィスさん!?どうしたんですの!?」

 意識を他所にやっていたせいか、不意打ち気味に肌を触られたテレサピスが驚愕と悦楽の混じった声を上げる。同時に心臓が激しく鼓動し始めた。

 「ぼーっと・・してたから・・・。どうしたのかな・・・って・・・」

 「な、なんでもありませんわ・・・!そ、それよりもポポル様は随分と遅いようですわね・・・!一体何をしておいでなのでしょうか・・・!?」

 自身の動揺を誤魔化すため、テレサピスはそう言って、慌てたように辺りを見渡す。待ち合わせ場所の指定もせずに歩き回っていたため、ポポルを見つける可能性は大分低く、その行動は形だけのものであった。しかし、それはテレサピスにとって都合が良い。彼女はまだリィスと2人きりでいたいのだ。

 「――え?」

 その最中、不審な人物を視界に収めたテレサピスがそう呟いた。彼女の視界にはこちらへ向かって走って来る1人の男が映っている。男の顔は必死の形相に歪み、見る者に恐怖を与えた。そして、その右手には凶器が握られているのが見て取れる。

 テレサピスは思わず息を飲んだ。先ほどまで激しく鼓動していた彼女の心臓は、さらに強くドクンと脈打ったのだった。





 「う~ん、リィスちゃんは~どこかしら~?」

 「あらあら、ポポルちゃんは心配性ね」

 待ち合わせ場所も指定しないで先を行かせてしまった娘の事を心配する友人を見ながら、ユフィリアムは微笑む。ただ、その心配もリィスという少女の特徴を考えれば頷けるものであった。ユフィリアムはリィスが奴隷であったことまでは知らないが、家に挨拶に来てもらった時に出会っており、彼女には小さくて可愛らしいという印象を持っている。友人であるポポルも小さいが、こちらから受ける印象はどちらかと言うと『元気一杯』というものであった。

 「心配もするわ~。可愛い~娘だもの~。テレちーちゃんが~付いているから~大丈夫だとは~思うんだけどね~」

 「テレちーちゃん?」

 「あら~、ユフィちゃんは~テレちーちゃんのこと~知らないのね~。同じ~六大貴族の~女の子よ~」

 「まあ、そうなの。私、あんまり他の貴族の人と会ったことが無くて・・・」

 「仕方ないわ~。きっと~、バルさんが~独り占め~したかったんでしょ~」

 呆れながら言うポポルとそれを聞いて微笑むユフィリアム。ポポルの魔法のおかげで街を出歩いても体調を崩さずにいられるユフィリアムは今、幸福感に満ち溢れていた。

 そんな彼女を見ながら微笑む者が二人、彼女たちの少し後ろを歩いている。それはユーキとミカウルであった。

 「いや~、まさか奥様と一緒にお出掛けすることができるなんて。俺たちは幸せですね、ユーキさん」

 満面の笑みを浮かべながら、ミカウルがユーキに語り掛ける。その声は少し落とされており、前を歩く2人には聞こえてはいなかった。

 「ああ。だが、お嬢様の護衛兵である私達が旦那様の許可も得ず、奥様の護衛についてよかったのだろうか・・・?」

 「あれ?ユーキさん、奥様と一緒にいられて嬉しくないんですか?」

 「そうは言ってないだろう。ただ、後で奥様が旦那様に怒られるのではないかと心配でな」

 それに関してはミカウルも危惧していたようで、少しだけ顔を曇らせる。

 「旦那様に限って、それはないと思いますけど・・・。もしそうなったら、自分達が勝手に付いて行ったってことにすればいいんじゃないですか?」

 「旦那様に嘘を吐けと言うのか?ミカウル、お前いつからそのような考えを持つようになった?」

 「やっぱ駄目ですかね・・・?」

 「いや、素晴らしい考えだ。それでいこう」

 ユーキの言葉に、ミカウルはがくっと膝から崩れ落ちそうになる。そんな同僚をユーキは不思議そうに眺めていた。

 「ユ、ユーキさんも・・・・冗談言うんですね・・・・・・」

 「冗談?何を言う。奥様の事を想えばこその結論だ。故に旦那様に嘘を吐くのも仕方のない事だと判断した」

 「ユーキさん・・・いつからそんな考えを持つようになったんですか・・・?」

 ミカウルのこの疑問は決してユーキを糾弾しようとしたわけでも、先ほど自分が同じ質問をされたから仕返しをしたわけでもなかった。ただ単に何か言葉を返そうとしたら、それが口を突いて出ただけである。

 その言葉に対し、ユーキは真面目な顔でこう返した。

 「奥様と初めてお会いしてからだ」

 「あ~・・・そういやユーキさん、奥様派でしたね・・・」

 『奥様派』という言葉から分かる通り、別の派閥も存在する。それは『お嬢様派』であった。奥様とお嬢様――つまりはユフィリアムとエクセなのだが、ファセティア家において彼女たちは人気を二分する存在であったのだ。

 短くない年月を生きてもなお若々しく、その笑顔には美しいまでの無邪気が宿るユフィリアム。

 お淑やかでありながら魅力的、その美貌に無限の将来性を見出すことのできるエクセ。

 ファセティア家の使用人達は、彼女たちのどちらがより素晴らしいかで論争することが度々あった。それには男女関係なく参戦しており、また度重なる議論により立場は入れ替わり立ち代わたりして、今では互いの勢力は拮抗している。ちなみに『どちらも好き』と言うと、『贅沢言うな』と両勢力からタコ殴りに会うため注意が必要であった。

 「そう言うお前も奥様派ではないか」

 「いやまあ、そうなんですけどね」

 ユーキとミカウルはどちらかと言えばユフィリアムの事をより好いているが、別にバルバロットやエクセの事を蔑ろにしているつもりはなく、だからこそ2人からも信頼されて護衛兵に任ぜられている。

 「ならば分かるだろう。あれ程元気にしていらっしゃる奥様はとても珍しい。おそらくウェスキス様のおかげだ。本当に素晴らしいご友人をお作りになられた」

 しみじみと語るユーキにミカウルは何故か年寄りっぽさを感じた。

 (ユーキさんって確かまだ20だよなあ)

 自分よりも1つ年上の青年に対して、ミカウルはそんなことを思う。これが貴族と平民の差か、と生まれと育ちの違いをひしひしと感じていた。

 「あれ?そう言えば、ユーキさんって貴族でしたよね?」

 「そうだが?」

 「あ、失礼な質問だと思ったら答えなくていいんですけど。成人した貴族って、こういう行事の時に何かしら用事があるものじゃないんですか?」

 「ああ、なんだ。そんなことか」

 その言葉に、実を言うと少しばかり緊張しながら聞いたミカウルは、ほっとする。ユーキは頭の中で言葉を整理すると話し始めた。

 「貴族、と一概に言っても差があるのは分かるな?六大貴族がいい例だが、それ以外にも当然階級がある。上流、中流、下流と資産や権力により格付けされるわけだ」

 「そうなんですか?上流貴族とか聞いたことないですけどね」

 「あくまで言葉だけだからな。だが、その差は確実にある。そして私の家は下流という訳だ」

 やはりまずい事を聞いたか、とユーキの言葉にミカウルは顔を曇らせる。その表情を見たユーキは、小さく笑って見せた。

 「気にするな。そのおかげで、私はファセティア家に仕えることになったのだからな」

 「あ、それそれ!今まで聞こうと思ってたんですけど、なんでユーキさん護衛兵なんかやってるんですか?」

 ミカウルの発言にユーキは顔を顰める。

 「護衛兵『なんか』とは、なんだ。六大貴族に仕えることができ、衣食住も提供され、給金も良い。さらにはグレン様に稽古をつけてもらえるような仕事が他にあるのか?」

 「ないです、ないです。さっきのは言葉のあやです」

 心の底からそう思うため、ミカウルは慌てて弁明した。ふう、と溜息を吐いたユーキは彼の質問に答え始める。

 「私がファセティア家の護衛兵になったのは、当然私の家が下流貴族であるからだ。とは言っても、食べるのに困って仕えているわけではない。さすがにそこまで貧しくはないからな」

 「じゃあ、どうしてなんです?」

 「位の低い貴族と言うのはだな、自分よりも位の高い貴族との繋がりを欲するものなんだ。友好関係を築いたり、婚約関係を結んだりしてな。その中で最も単純な方法が、その貴族のもとに仕えるというものなんだ」

 友好関係や婚約関係を結ぶには、基本的に多くの時間を費やす。友好関係などは馬が合えばすぐに築くことも可能だが、婚約は言わずもがなだろう。位に差のある貴族同士が簡単には対面しないという事情を考慮すれば、その手段はユーキのエリント家には厳しいものがあった。そのため、そのような家は成人した息子を使用人として名のある貴族に仕えさせ、少しでも繋がりを作ろうとする。ただ、それさえも断られることは珍しくなく、よしんば受け入れられたとしても通常の使用人以上の扱いはされなかった。

 「へー、大変なんですねー」

 「この仕事自体はそこまで大変ではない。むしろ大変だったのは、仕える先を探すことだ。父上とともに一体いくつの貴族の家を回ったか、分かったものではない」

 エリント家よりも位の高い貴族は多く、また王都ということもあり、交渉先を探すのに苦労はしなかった。それでも今まで何の交流もなかった家の者を簡単に受け入れてくれる所はなく、最後に向かった先がファセティア家であったのだ。

 「でも、なんでファセティア家はユーキさんを受け入れてくれたんですか?しかもお嬢様の護衛兵なんて重要な仕事にも就かせてもらっちゃって。話を聞く限り、六大貴族――というかあの旦那様が他の貴族の男をそう簡単に受け入れるとは思えないんですけど」

 「うむ。私と父上も始めはそう考えた。だが、駄目もとでいいから行ってみよう、という話になってな」

 「あ~、それで許可をもらったと」

 「いや、始めは断られてしまった。屋敷の玄関でメイドに『お帰りください』と一蹴されてな。さすがは六大貴族の屋敷に仕える使用人だ、と感心させられたよ。仮にも貴族相手にあそこまで強気な態度を取れるとは」

 かつてを思い出し、ユーキは腕を組んで頷いて見せた。そんな彼に向かって、ミカウルは当然の疑問を口にする。

 「そこからどうやって仕えることになったんです?」

 その問いを待ってましたとばかりにユーキは笑い、ユフィリアムの後ろ姿を見つめながら答えた。

 「その時に偶然奥様が通りかかってな。事情を説明したら快く受け入れてくださったんだ。あの時は、奥様が女神に見えたな」

 ユーキがそう言い終わると、ミカウルは小さな笑い声を上げた。表現が些か行き過ぎていたかと思い、ユーキは顔を赤らめしながらも問う。

 「何が可笑しい?」

 「ああ、すいません。ただ、俺の時と同じだと思いまして」

 「お前の?」

 何が同じなのか、とユーキは眉根を寄せた。

 「はい、そうなんですよ。学院を卒業してから、どこか良い働き口がないかと探していた時に、俺もファセティア家を訪れまして。ただまあ、『なんでもやりますから雇ってください』って言っても『お帰りください』の一点張りだったんですけど」

 当時を思い出し、ミカウルは苦笑いをする。そして、彼もユフィリアムの背中を眺めながらこう続けた。

 「で、諦めて帰ろうとしたら、その時に奥様が現れたんですよ。『どうしたの?』と聞かれたので事情を説明したら、雇ってくれると言ってくださったんです」

 「ふむ・・・さすがは奥様だな」

 まさか自分と同じようにミカウルもユフィリアムのおかげでファセティア家に仕えることになったとは、とユーキは思う。ただ、その事に驚くよりもユフィリアムの優しさに改めて感心をした。

 「それで、お前の事情とは?」

 「え!?言わなきゃ駄目ですか?」

 「私も教えたんだ。お前もそうするのが礼儀というものだろう」

 その言葉にミカウルは気恥ずかしそうに頭を掻く。ユフィリアムの背中を見つめ、ユーキの顔を見て、観念したかのように話し始めた。

 「実は・・・俺ん()も下流でして・・・。平民の下流って言えば、分かってもらえると思うんですけど・・・まあ、要は貧乏ってやつです。それでそういった家は決まって子沢山なものでして、俺には弟や妹がたくさんいるんですよ。そいつらのために稼がなきゃいけない・・・みたいな」

 ミカウルの家庭事情にユーキは目を丸くする。思えば、この同僚とは1年以上の付き合いがあるが互いの身の上話などしたこともなかった。常に飄々としており、六大貴族に仕えるに相応しいかと問われれば疑問を持ってしまいそうになる男であったが、そういう事情があると分かった今彼に対する評価は一変する。むしろ親の命令で動いた自分などよりも遥かに偉いのではないのか、とユーキはミカウルを尊敬の眼差しで見つめた。

 「あ!ちょっ!やめてくださいよ!そういう感じになるのが嫌だったから、今まで黙ってたんですから!」

 ミカウルは顔を赤くしながら、手をぶんぶんと振って見せる。

 「何を恥ずかしがる?素晴らしい行いではないか」

 その言葉にミカウルはさらに顔を赤くした。

 「だから、そういうのが恥ずかしいんですって!俺、褒められ慣れてないんですから!」

 「しかし、たまにだが旦那様や奥様はお前を褒めてくださるだろう?その時は、別に何ともないではないか」

 「それは・・・まあ、旦那様や奥様に褒められるのは単純に嬉しいですからね・・・。恥ずかしいよりも嬉しい、って言うんですか?」

 現金なやつだ、とユーキは笑う。

 「ちょっ、その反応もなんだが恥ずかしいんですけど・・・!」

 「いや、気にするな」

 そうは言ったが、ユーキの顔は未だ笑みを保っていた。

 「しかし、まさかお前とこのような話をすることになるとはな。奥様に感謝しなければならないな」

 「それって感謝することなんですか・・・?奥様にはいつも感謝の気持ちを持ってはいますけど」

 それはユーキも同じであった。彼がファセティア家に仕えるようになったのは、もう2年も前の事ではあるが、その時に覚えた感謝の念を今まで一度として失したことはない。それゆえ、彼もミカウルもユフィリアムの娘であるエクセの護衛に尽力していた。

 そして、今日はユフィリアム自身の護衛。先ほどから会話に興じていた2人であったが、意識は常に前を歩くユフィリアムとポポルに注がれており、有事の際には身命を賭して助けるつもりであった。ただ、ポポルが傍にいる事とここが王都である事を考えるとその必要はなさそうに思えたが。

 「あ、ポポルちゃん。あそこ」

 2人の意識の先、ユフィリアムが隣を歩くポポルに声を掛ける。その細く美しい指が示す先には、確かにリィスがおり、その隣にはテレサピスもいた。

 「あ~、いた~。よかったわ~」

 強化魔法を掛けておいたとは言え、ユフィリアムの体調を気遣ったポポル達は人の少ない通りを歩いている。本会場から大分離れた場所であるため、遭遇できる確率は低かったが見つけやすいと言う利点もあり、そして今回は運良く後者が勝った結果になった。

 「ポポルちゃん、あそこいる子がテレちーちゃん?」

 「そうよ~」

 遠目からでも分かるテレサピスの服装にユフィリアムは目をぱちくりしている。自分と同じ感想を持っているであろう友人の横顔をポポルは面白そうに見つめた。

 「うお!ちょっ、ユーキさん!あの子、すごいですよ!」

 「な、なんと破廉恥な・・・!けしからん・・・!」

 なるほど男はこういう反応をするのか、と後ろの方で静かに騒ぐ護衛兵2人の声をポポルはしっかりと聞いていた。同時に、夫と息子に見せなくて良かった、とも思う。

 「今の子はあんなに大胆な格好をするものなの?」

 そしてユフィリアムもテレサピスの服装については驚きを感じたようで、ポポルに向かってそう聞いて来た。彼女も同じような反応をしたため特に自分の意見を持たず、テレサピスに言われた通りに答える。

 「そうみたいよ~。あれくらいが~普通なんだって~」

 その言葉にユフィリアムは口に手を当て、さらに驚いた。

 「ということは、もう少ししたらエクセもああいう服を着るのかしら?」

 「それは~グレンちゃんが~喜び~――はしないか~。慌てそうね~」

 頭の中でその光景を思い浮かべた2人は、顔を見合わせて楽しそうに笑う。そしてその笑顔のまま、ポポルは自分の娘とその友人に向かって声を掛けようとした。

 その時、不審な男が目に留まる。

 ポポルがその男を不審と思ったのは、彼の顔がとても必死だったからだ。そんな必死の形相で全力で駆けている男は丁度リィスとテレサピスを挟んで反対側におり、ポポルからはその顔がよく見える。そして彼女が捉えたのは男の顔だけではなく、右手に握られている短剣と男を追いかけるように走る4人組の騎士達であった。

 そこから、ポポルは察する。恐らくあの男は危険人物で、騎士達に追いかけられ逃げている最中なのだろう。男が追いつめられるのは時間の問題。では、彼はこれからどういった行動に出るのか。それを頭の中で思い描いた瞬間、ポポルはリィスに向かって走り出していた。

 「リィスちゃん!」

 普段の口調とは違うその言葉も、歩幅の小さいこの体も、愛娘のもとへはすぐには届かない。魔法を打とうにもリィスやテレサピスを巻き込む可能性が高く、ポポルはこういった場面に対応しきれない自分を忌々しく思った。

 もしここにギノがいたのならば、こんな自分が英雄として扱われるわけがないと諭していたことだろう。

 もしここにグレンがいたのならば、難なくこの窮地を脱してくれると絶対の確信を持って言えるだろう。

 早鐘の如く鳴り響く自身の鼓動を感じながら、ポポルは懸命に足を動かした。





 「くそっ!くそっ!くそっ!」

 信徒達を束ねていた1人の男は、そう悪態を吐きながら全力で駆け抜ける。後ろには4人の騎士。重い鎧を着込んでいるのにも関わらず足の速さは彼よりもやや上で、その距離は少しずつ狭まって行った。

 「神よ、お助けください・・・!」

 男は自分の信じる神に祈りを捧げる。

 手を組むこともなく紡がれた祈りは、果たして神に届くのだろうか。

 「私は、まだ・・・死ぬわけには・・・」

 騎士に捕まったとしても死刑になるとは決まったわけではない。それでも国王と皇帝を狙っていたということが判明すれば重刑は免れなかった。ただ、それ以前に「捕縛されそうになったのならば自決せよ」と神官からの命を受けていたのだ。その時が来たのならば実行する覚悟が男にはあったが、それは何も死が怖くないわけではない。自決用の短剣もすでに抜き身の状態で右手に握られているが、その手は微かに震えていた。きっと今の自分の顔は死への恐怖で醜いものと化しているのだろう、と男は自嘲気味に考える。

 何か手はないか。自決を選択したくない男は、全力で走りながらも辺りを探った。

 (横道に逃れるか!?)

 それはもう何度もやった。

 (民家に隠れるか!?)

 万が一住人と鉢合わせたら、立て籠もるしかないが。

 (ここで騎士と戦うか!?)

 それは最も無謀な選択だろう。男もそれは理解していた。

 (ならば、ならば・・・!)

 必死になって考えを巡らせている男の視界に、ふいに2人の少女が映る。幼い少女とその姉と思しき人物が仲良く談笑していた。

 その時、男の頭の中にある考えが浮かぶ。それは、人質を取って王都を抜け出すというものであった。おあつらえ向きに、人質として使えそうな者がすぐ傍にいる。これはきっと神が自分を救うために用意してくださったものだ、と男は意を決した。

 逃げるために走らせた体の向きに修正を加え、少女に向かって突き進む。姉の方が男の接近に気付いたようだが、そんな事を気にしている暇はなかった。

 男が少女に向かって、左手を伸ばす。

 「――ぐあっ!」

 しかし男の手は少女にまで届くことはなく、少し手前で制止した。加えて、その手は己の血で赤く染まっている。何が起こったのかと現状の把握を開始した男は、自身の左手を貫く刺突剣を視認した。それは少女の姉が握っているものであった。

 「貴方、私の愛しき方に何をするつもりですの?」

 男の左手に突き刺された剣と同じくらいに鋭い目つきで、少女の姉――ではなく――テレサピスは不届き者を睨み付けた。その手に握られている刺突剣こそが彼女の最も得意とする武器であり、抜き放ってから攻撃に移るまで1秒と掛かっていない。

 テレサピスが流血を伴う攻撃を人に向かって繰り出したのは、これが初めてである。本来ならば尻込みしてしまいそうな行動も、愛する者を守るという使命に突き動かされ、何の躊躇いもなく実行できた。

 そしてテレサピスは剣を男の手から抜くと、リィスを庇うように立ち、威嚇するように構える。男の足止めをしていればすぐに騎士たちが駆け付けて捕らえてくれるだろう、と冷静に考えていた。

 男もそれを察したのか、歯ぎしりをした後、彼女達の横を大きく離れて通り過ぎる。傷ついた左手をだらりと垂らしながら、そして血痕を残しながら進む男に続いて騎士達も彼女たちの横を通り過ぎた。男が捕まるのは、最早時間の問題だ。

 そして、その時はすぐに訪れる。男の腕が後ろからがっしりと掴まれたのだ。

 「ねえ、あんた。うちの子に悪さしようとして、逃げられると思ってんの?」

 騎士に捕まったと思った男は驚いて振り向く。その視界には、彼の右腕を掴んでいるポポルの姿が映った。つい先ほどすれ違ったのだが、痛みで視界の狭まった男には見えていなかったようだ。

 その男の腕を、ポポルは小さな体に相応しくないほどの力で捕らえている。それは、男とすれ違うまでの間に自身に対して3段魔法『筋力大向上(パワーハイアップ)』を唱えていたからだ。これならば、誰かを巻き添えにすることもなく、不届き者に怒りの鉄槌を加えることができる。

 そう、ポポルは今怒っていた。それは当然、愛娘であるリィスに対して男が被害を加えようとしたからである。その怒りの度合いは凄まじく、彼女独特の間延びした喋り方も一般的なものへと変わっているほどであった。加えて、軽く見開かれた目は暗く、発せられる声も低い。普段のポポルを知る者ならば間違いなく恐怖するような状態である。

 しかし、男が普段の彼女を知る由はなく、そのためポポルから感じるものは何もなかった。せいぜい見知らぬ子供が癇癪を起こしている、というくらいにしか受け取っていない。それどころか先ほどの少女ではなく、目の前のポポルを人質にして逃げようと考えたほどだ。

 それが男の致命的な失態となる。

 傷ついた左手をポポルに向かって伸ばそうとする男。その頬に向かって、ポポルは平手打ちを繰り出した。

 パアン、と打撃音が響き渡る。

 「――!!?」

 その一撃は男の脳を激しく揺さぶり、一瞬にして意識を途絶えさせた。

 例え貧弱なポポルの体でも、強化魔法を施せば大の男を沈黙させることも容易いのだ。ただ、男を叩いた手がじんじんと痛み、防御力を向上させる魔法も重ね掛けしておけばよかったと後悔はしていた。

 「ウェスキス様!」

 ポポルにしてみれば(ようや)くといった感じに、騎士達が彼女のもとまで辿り着く。

 「ご協力に感謝いたします、ウェスキス様。その男には国家反逆罪の疑いが掛かっておりまして、アルベルト様の命により捕らえようとしている所だったのです」

 彼らに対して背中を向けていたポポルは、その言葉を聞き終わると、後ろ向きに騎士達をぎろりと睨み付けた。

 「――ひっ!」

 普段の温和なポポルを知り、彼女の魔法の実力を知っていた騎士たちは、皆その顔に恐怖を浮かべる。何故だか分からないが、目の前の天才魔法使いは怒っているようであった。その怒りは彼らにも痛いほど伝わり、強制的に背筋をピンと正させてしまうほどだ。加えて、先ほど男を追いかける際にはかかなかった汗を全身に冷たく流していた。

 「――正座」

 「え・・・?」

 騎士達に向き直ったポポルが放った言葉をその内の1人が聞き返す。

 「聞こえなかったの?正座をしなさい」

 普段の口調とは違う力強くはっきりとした彼女の物言いに、騎士達の緊張はさらに高まった。幸いにも着用していた鎧の関節は曲がるため、騎士達は言われた通りに正座をする。体格の良い男達が、子供のようなポポルを前に畏まっている光景は少し滑稽にも見えた。

 それでも笑みを浮かべる者はおらず、ポポルの説教が始まる。

 「貴方達、何をしていたの!?こんな男1人捕まえるのに手間取ったりなんかして!それでも王国の騎士!?貴方達のせいで私の娘が危険な目に遭いそうになったのよ!一体どう責任を取るつもりなの!?」

 さすがは母親と言うべきか。やけに叱り慣れているポポルは騎士達に向かってガミガミと怒鳴り散らす。その言葉は正義感と誇りを持つ騎士の心に深く突き刺さり、男達の顔は次第にげっそりとしていった。

 その光景を少し遠目に見ながら、テレサピスは呟く。

 「ポポル様のあのような顔、今まで見たことありませんわ」

 既に剣は鞘へと納めており、返り血一つ付いていないその身は戦闘態勢を解いていた。そんな彼女の左太腿を再びリィスが指で突く。

 「ふぁひゃあ!!――リ、リィスさん!?」

 テレサピスも再び驚愕と悦楽の混じった声を上げた。勢い良く友人の方へ顔を向けると、リィスは眼帯で隠れていない左目でじっとテレサピスを見つめている。

 (か、可愛い・・・!)

 彼女を守ったという自負がそう感じさせるのか、テレサピスの目にはリィスが今まで以上に魅力的に映った。思わず抱きしめたくなる衝動をぐっと堪える。

 「テレサピス・・・さっき・・・」

 目と目で見つめ合いながら、リィスがテレサピスにそう問いかける。

 「な、なんですの・・・?」

 「私のこと・・・愛しき・・って・・・」

 どくん、と鼓動が鳴った。

 先ほど自分はそんな事を言っただろうか。いや、言ったに違いない。あの一撃は自分にとっても会心の出来であった。それゆえ感情が昂ぶってしまい、本音が零れ出たのだ。

 もしかしたら格好付けようとしていたのかもしれない。リィスの前で格好良い自分を見せつけたかったのかもしれない。

 その欲が災いしたのだ。自分の気持ちを想い人であるリィスに聞かれてしまっていた。ならば、いっそ打ち明けるか。あなたのことを愛している、と言ってしまおうか。

 テレサピスはリィスの目を見ながら、そこまで考えた後、こう言った。

 「な・・・何をおっしゃいますの、リィスさん!?先ほど私は貴女の事を『愛しき』と言ったのではなく、『親しき』と言ったのですわ!」

 ああ、自分の意気地なし。テレサピスは心の中で涙を流しながら、リィスの返答を待った。

 「・・・そう。・・・でも・・・どっちでも・・・嬉しかったから・・」

 「――え!?」

 リィスの言葉にテレサピスは歓喜と驚愕の混じった声を出す。

 (そ、それは・・・『親しく』思われても『愛しく』思われても・・・どちらでも嬉しいということですの、リィスさん!?)

 テレサピスの声は自分の中にのみ響き渡り、リィスに届くことはなかった。ここでも自分の意気地のなさを痛感するテレサピスであったが、実を言うとその考えは完全に勘違いである。

 リィスはただ単に「『親しく』を『愛しく』と聞き間違えていたとしても、助けてくれて嬉しい」と言いたかったのだ。

 しかし、勘違いをしたテレサピスは恍惚の表情でリィスを見つめている。そんな彼女に向かって、リィスは続いてこう言った。

 「ありがとう・・・テレサピス・・・」

 これで王国の人間に助けられたのは2度目だ、などと考えながらリィスは友人に向かって笑顔で礼を言う。その笑顔はファセティア家の屋敷の前でポポルに見せたものと同じものであり、テレサピスの胸は「きゅん」と高鳴った。

 (こ、これは・・・・・・・いけますわ!)

 リィスの笑顔から自身への好意を確信したテレサピスは、堪らず彼女を抱き締めようとする。

 「リィスさ――」

 「本当~、ありがとうね~。テレちーちゃん~」

 大きく腕を広げたテレサピスの動きを制するように、いつの間にか隣にいたポポルが感謝の意を述べてきた。その口調はすでに普段のものへと戻っていたが、テレサピスの動きを止めるには充分であった。

 「お母さん・・・」

 「リィスちゃん~。無事で良かったわ~」

 言いながら、ポポルはリィスを抱き締める。それは今自分がやろうとしていたのに、とテレサピスは心の中で愚痴を零した。

 「ごめんね~。お母さん~、リィスちゃんを~守ってあげられなかったわ~」

 その言葉にリィスは首を横に振る。

 「ううん・・・気にしないで・・・。お母さんは・・・悪くないから・・・」

 「まあ~、なんていい子なんでしょう~!――ほら~、貴方達も~リィスちゃんに~謝りなさい~」

 歓喜に微笑むポポルは後ろを振り返り、先ほどまで怒鳴り散らしていた騎士達に声を掛けた。彼女の後ろには顔を俯かせた4人の男が立っており、口々にリィスに向かって危険な目に遭わせたことを謝罪していく。それはポポルに言われたから仕方なく行ったのではなく、彼らもリィスが悪漢の手に落ちそうになったのを見届けており、それゆえ心の底から申し訳ないと思っていたのだ。

 そしてそれはリィスにも伝わったようで、

 「あ・・・!気に・・・気にしないで・・・ください・・・!」

 と慌てて言葉を掛ける。

 「本当~に~優しい子ね~、リィスちゃんは~。貴方達も~そう思うでしょ~?」

 そんな彼女を褒めた後、ポポルは再び後ろを振り返り、騎士達に同意を求めた。彼らもリィスに対して同様の感想を持ったのだが、ポポルにそう聞かれたせいで強制されたかのように何度も頷く。それを見て、ポポルは満足気な笑みを浮かべた。

 「よろしい~。じゃあ~、アルベルトちゃんの~所まで~案内して~」

 「・・・お母さん・・・?」

 母の言葉の真意が理解できず、リィスは首を傾げる。その仕草は、傍から見ていたテレサピスが思わず興奮してしまう程に愛らしかった。

 「ごめんね~、リィスちゃん~。お母さん~、ちょ~っと~やらなくちゃ~いけないことが~できたの~。この子たちの~団長さんに~文句を言ってくるわ~」

 部下の責任は上司の責任。ポポルは騎士団団長であるアルベルトをも説教する気でいた。自分たちの団長にまで責任が追及してしまい、騎士達は肩を落としている。

 「だから・・・気に・・しないで・・・って・・・!」

 そんな彼らを視界に入れたリィスは先ほどよりも慌てたように母親に向かってそう言った。しかし、ポポルは珍しく真面目な顔でこう答える。

 「それはできないわ~。これでも、あなたのお母さんなんですからね~」

 その言葉でポポルの気持ちが伝わったのか、リィスはそれ以上何も言わなかった。それだけでなく、言葉以上の感銘を受けているかのように身動き一つ取らない。

 「じゃあ~、行ってくるわね~」

 リィスに向かって手の平をひらひらと振りながら、ポポルは男達を引き連れて去って行ってしまう。先ほど昏倒させた男はその中の2人に抱えられていた。途中、同行者であるユフィリアムとその護衛兵に対して事の顛末とこれから向かう場所について説明しているのが見える。

 その間、リィスはじっとポポルの後ろ姿を見つめていた。

 「あの・・・リィスさん・・・?」

 一体どうしたのか、とテレサピスはリィスに声を掛ける。その言葉にはもしかしたら嫉妬の色が見て取れたのかもしれなかったが、リィスが気付くことはなく、友人の言葉に我に返ったかのように振り向いた。

 「どうかしましたの?」

 「うん・・・、お母さん・・・優しい・・・なって・・」

 おそらくポポルが自分の事を心配してくれたことを言っているのだろう。リィスの言葉にテレサピスは柔らかな笑みを浮かべる。

 「何を言っていますの。愛する娘のためですもの。母親ならば、当然のことですわ」

 テレサピスは何の気なしにそう言った。しかし、言われたリィスは少しだけ顔に影を作る。どうしたのかとテレサピスが問い質す前に、リィスがぽつりとこう呟いた。

 「私・・・本当の・・お父さんや・・・お母さん・・・のこと・・・あんまり・・覚えてない・・から・・・」

 リィスは故郷アンバット国では奴隷として生まれた。その環境は他国の者が考えているよりも過酷で、子供は物心ついた瞬間から労働力として行使される。そのため親の顔や名前を知らない国民は多く、またそれはアンバット国の上層部の狙い通りでもあった。家族という繋がりを断つことで、守る者も協力する者もいない奴隷を作り上げていたのだ。多くの奴隷がいながら、彼らが反乱や抵抗を考えなかったのはそれが理由である。

 そのような状況下、子供たちは親を恨みさえした。自分がこんな苦しい目に遭っているのに何故助けに来てくれないのか、と。リィスも始めはそう思い、そしてついにはそれさえも諦めた。

 「多分・・・愛されては・・・いなかったと・・思う・・・」

 だからであろう。リィスは実の親からの愛を知らず、信じてさえもいなかった。義母であるポポルの愛が深く、それと否が応にも対比してしまうせいでもある。

 その言葉を紡いだリィスの顔は悲しみに染まっていた。自分の言葉で現してしまったがために、その仮定を事実として受け取ってしまったのだ。

 そんな友人に対して、テレサピスは慰めの言葉を掛ける前に一度だけ小さく笑った。

 「・・・?」

 その笑みが何を意味しているのか分からないリィスは、不思議そうに彼女を見つめる。

 「リィスさん、お勉強が不足していてよ」

 「・・・・え?」

 確かにリィスは王国に来るまで勉学に触れたことはなく、ヴィレッド家の養子になった後もそれほど長い間勉強してきたわけではない。足りないところはいくつもあるし、それを自覚してもいた。しかし、何故今この場でそれを言うのか。リィスはそれが分からず、テレサピスの顔をじっと見つめる。

 「リィスさん。授業でも習ったと思いますけど、八王神という存在をご存知ですわよね?」

 知っている、と言うようにリィスは頷く。

 「では、彼らの名前に共通点があるのはお分かりですか?」

 それについてもリィスは頷いた。八王神――クライトゥース、イコアス、ゼニス、ボルビシャス、アセンテンス、スース、ニミレス、シグラス――彼らの名前の最後には共通した一文字が使われている。

 「それが何を意味するのか、その事についてはまだ学者の間でも議論されておりますわ。偶々同じだった。名前を改変し、共通点を持たせた。などと言われておりますが、私が今申し上げたいのはそれではありません」

 では何なのか、とリィスは続く言葉を待った。

 「ここで重要なのは、後の人間が自分の子供にそれと同じ言葉を付ける意味ですわ」

 「同じ・・・言葉・・・を・・・子供に・・・?」

 リィスは知っている。自分の名前にも同じ言葉が使われていることを。

 「それは八王神の御加護があるように、という願い。自分の子供に幸せが訪れるように、と付けるのですわ。お気づきの事とは思いますが、リィスさん、それは貴女の名前にも私の名前にもありますわよね?きっと私の親と同じように貴女のご両親も貴女の事を想って『リィス』と名付けたのですわ」

 その言葉はリィスにとって衝撃の事実であった。

 「だから『自分が愛されていない』なんて仰らないでくださいな。私にとって、貴女の悲しい顔を見ること程つらいことはないのですから」

 テレサピスがリィスに掛けた言葉、それ自体は嘘ではない。八王神話が伝えられる大陸において、そういった習慣はどこでも見られた。しかし神々と同じ文字を使っているからと言って、神の御加護を意識して子供に名前を付けていない場合もあるし、王国でもそのような人物は大勢いる。

 それでも、テレサピスはリィスの両親が彼女の幸せを願ってそう名付けたのだと確信していた。テレサピス自身親からそう教えられており、ならばリィスもそうであるべきだと考えたのだ。それに、神の御加護があったおかげで、リィスは苦境から脱することが出来たと思った方が浪漫的(ロマンチック)ではないか。

 これは、人によっては単なる慰みと受け取られるかもしれない。しかし、テレサピスの言葉はリィスの胸を強く打ったようで、彼女の左目からは小粒の涙が流れていた。

 「あ・・・あれ・・・?」

 その涙はリィスにとっても意外なものだったのか、小さく戸惑いの声を漏らす。そんな友人に向けて、テレサピスは母親のように優しく微笑んだ。

 「まあ・・・泣き虫さんですわね。いらっしゃい、胸をお貸ししますわ」

 その言葉に対して、

 (少しキザだったかしら・・・?)

 とテレサピスは思ったが、リィスは素直にも彼女に向かって歩を進めてきた。その事に少しばかりの戸惑いと大いなる喜びを感じつつ、彼女のために地に膝を着く。純白のドレスが汚れてしまうが、そんな事を気にしている暇はなかった。

 そして、テレサピスは自身の豊かな胸にリィスを導く。露出された肌に愛する者の体温が伝わり、涙が伝い落ちた。

 「~~~~~~っ!」

 その瞬間、彼女の体に電撃が走る。傍から見れば女性同士の美しい友情を感じさせる光景であったが、不覚にもテレサピスは今の状況によって興奮状態に陥ってしまった。

 (ぐへ・・・ぐへへへ・・・ぐへへへへへへ)

 普段の抑圧した欲望が解き放たれたのか、彼女は心の中で優雅さを欠いた言葉を漏らす。その顔はにやにやとしており、涎を垂らしそうな程にだらしなかった。リィスの体を抱き締めていた腕や手は、今や彼女の体を這っており、怪しく蠢いている。

 「・・・・ん・・!」

 そのためリィスもくすぐったく感じ、体をもぞもぞとさせた。彼女の目から流れ落ちていた涙はすでに止まっており、リィスもテレサピスから離れようとする。

 「ああ!駄目ですわ、リィスさん!今、どこか怪我をしていないか確かめていますのよ!」

 しかし、テレサピスは放さない。リィスの嫌がることはしないと決めていた彼女であったが、最早自分の欲望が抑えきれず暴走してしまっていた。

 「くすぐ・・・ったい・・・」

 「しばしの辛抱ですわ!もう少し、もう少し堪能――いえ!調べたら終わりますので!」

 言いながら、テレサピスはリィスの体に触れ続ける。最低限触れていはいけない部分には到達していなかったが、彼女の指はリィスの腕や脇腹などをくまなく移動していった。

 「もう・・いいでしょ・・・・!」

 むず痒さが我慢の限界に達したリィスは、その両手を前に突き出し、テレサピスを引き剥がそうとする。結果、リィスの手は友人の胸を思いっきり掴むこととなった。

 「っん・・・!」

 愛する者に自分の乳房を揉まれ、テレサピスは恍惚とした声を漏らす。心臓は激しく鼓動し、彼女の興奮と体温を高めて行った。息は荒く、目は(とろ)け、体の節々に淫らな汗をかき始める。リィスが手を放してもその症状は治まらず、彼女はその内側に邪な考えを持つようになった。

 「リ、リィスさん!」

 「・・・・・?」

 友人の興奮状態を見て取ったリィスであったが、その理由に察しが付かず、疑問とともに続く言葉を待つ。

 「も、もしかしたら服の上からでは分からない傷があるやもしれませんわ!で・・・ですので、今から私の部屋に行きませんこと!?そこで、じっくり・・・念入りに・・・体を診て差し上げますわ!最高級の回復薬もありますから、それで治しましょう!」

 回復薬ならば、飲むだけでいい。傷ならば、先ほど十分調べたではないか。

 など、テレサピスの言葉には疑問を感じる部分が多かった。しかしリィスは、そんな彼女に対して、感謝の念を覚えてしまう。自分のためにそんなに必死になってくれるとは、と。

 「うん・・・」

 そのため、友人の提案を異議なく受け入れる。テレサピスは表面上は嬉しそうに微笑んで見せたが、心の中では狼が笑っていた。

 「そ、それでは、行きましょうか・・・!」

 テレサピスはリィスの手を握ろうと、その手を伸ばす。

 「――あら?」

 しかし、その手は空を切った。

 なぜならば、テレサピスが行った所業の一部始終を見ていた人物がリィスを彼女から引き離したからだ。

 「タッ君・・・・?」

 その人物はリィスの義弟であるタクトであった。彼の目は今、怒りに燃えている。

 「ど、どうしましたの・・・タクト君・・・?」

 そして、その怒りは間違いなくテレサピスに向けられており、彼女も戸惑いながらタクトを見上げた。

 「油断していた・・・」

 「どう・・したの・・・タッ君・・・?」

 弟の呟きの意味が分からず、リィスは問い掛ける。彼女の肩に手を置いたままのタクトは、自身への怒りと共にこう言った。

 「考えてみれば、当たり前のことだった・・・!姉さん程の愛らしさならば、男のみならず女まで魅了することは明白・・・!これは僕の責任だ・・・!」

 「ねえ・・タッ君・・・?」

 自分の問いに答えることもなく、そう言うタクトにリィスは再度言葉を掛ける。タクトはリィスの前方に回り込むと、膝を地につけ、彼女と目線の高さを同じにした。彼もまた雅な服が汚れようが気にはしない。

 「先程、向こうで母さんと会いまして、姉さんが危険な目に遭ったと伺いました。その事については最早済んだことだとも聞きましたが、まさか第2の危機が姉さんに忍び寄っていようとは」

 一体何のことだろう、とリィスは頭の上に疑問符を浮かべた。しかしテレサピスには心当たりがあり、余計な事を言ってくれるなとタクトの背中を危機感を持って見つめる。

 「アーロン!姉さんを連れて屋敷へ戻るんだ!」

 そんな彼は弟を呼び寄せた。アーロンもまたタクトと共にこの場を訪れており、少し離れた所で待機させていたのだ。

 「わ、分かったよ、お兄ちゃん!」

 言いながら、走ってこちらに向かってくるアーロン。しかし、その顔にはリィスと同様の疑問が浮かんでいた。

 そのため、姉兄のもとまで来るとタクトに問い質す。

 「でも、お兄ちゃん。テレサピスさんは女の人だよ?それがお姉ちゃんにとって危ないって、どういうことなの?」

 「いいか、アーロン。その事について、お前が知るにはまだ早い。いや・・・一生知らなくて良い事なのかもしれないな・・・」

 弟の疑問にタクトは誤魔化すようにそう言った。

 「だが、今は兄を信じて、姉さんを連れて逃げてくれ」

 そう言うタクトの目は、真剣そのもの。それによってアーロンにも兄の気持ちが伝わり、力強く頷いた。そしてリィスの手を取ると、足早に去って行く。

 「ああ!リィスさん!」

 想い人が自分のもとを去って行ってしまうその状況に今まで黙っていたテレサピスは悲痛な叫びを上げた。慌てて後を追いかけようとするが、その行く手をタクトが塞ぐ。

 「ここから先には行かせん・・・!」

 タクトは鋭い目つきでテレサピスを睨み付けた。

 「ふ・・・ふふふ・・・・ふふふふふふ・・・」

 自分より体の大きい男子に凄まれたテレサピスは、その顔に影を落とし、不気味な笑い声を上げる。

 「いけない子ですわね、タクト君・・・。私からリィスさんを奪おうなどと・・・。これはお仕置きが必要ですわ・・・」

 言いながら、刺突剣を抜き放つ。その剣身には先ほどの悪漢の血が付着しており、今の彼女の表情と合わさると恐怖を感じさせる構図となっていた。

 「やってみろ・・・!誰であろうと、姉さんは渡さない・・・!」

 しかし、そんな彼女に臆することなく、タクトは構える。彼は今武器を持っていなかったが、格闘戦こそが彼の最も得意とする戦術であった。

 「素晴らしいですわ、タクト君。リィスさんを想うその気持ち、私も理解できましてよ」

 「貴女こそ。同性でありながら、そこまで姉さんを想えるとは。さすがは六大貴族といった所でしょうか」

 今度は互いを認め合い始めた2人は、言葉とは裏腹に火花を散らす。そして、何の合図も待たずに距離を詰めた。

 その戦いの結果を知る必要は、テレサピスとタクトの2人以外にはないだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ