表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅蓮の英雄  作者: 時つぶし
神を継ぐ者
35/86

3-7 式典直前

 雲ひとつない青空の下、人々は今日という日を存分に満喫するための準備をしていた。それは客に食事を提供する準備、店先に商品を並べる準備、飾りつけの準備に買い物の準備、そして場所取りの準備であった。

 と言うのも、今日がまさに歴史的記念日になるからだ。長年いがみ合ってきた王国と帝国が手に手を取り、共に歩んでいくための第一歩。帝国の皇帝アルカディアが提唱した両国間における『永世友好条約』の締結が王都ナクーリアにて行われる手筈となっていた。

 それは王国民にとっても喜ばしい出来事であり、故に人々は声高に称える。ティリオンの威光を、アルカディアの意志を、そして両国の未来を。

 その中には帝国民の姿も見られた。既存の条約が撤廃されたことで、帝国から王国への行き来が容易になり、王国を訪れる帝国の民の数が多くなっているのだ。加えて、今回は式典と言う名のお祭り。今まで以上の数が王都に集まっていた。

 故に街は、人で溢れている。そこに商機を見出した者たちも集まってきているため、王都はまるで人だかりという海に沈没してしまっているかのようだ。それを管理する騎士や兵士も多くが出動しており、問題が起こらないよう監視の目をぎらぎらと光らせていた。

 店の呼び子は競い合うように声を上げ、待ち行く人々は互いに笑顔を交わし合う。喧騒とは違う賑わいが、王都を満たしていた。

 しかし、それは市民街でのこと。住宅しか建っていない貴族街は比較的静かなもので、人ごみを嫌う貴族たちも式典の開始時刻までは家で大人しくしているつもりなようだ。それでも、若い貴族たちが友人を誘って一般市民達の賑わいに混ざろうとしている姿もあるにはあった。

 彼女もそうであると言うわけではないが、見事な衣装に身を包んだ少女が一人、緊張をした面持ちで友人を待っていた。

 彼女の名前はテレサピス。今日は友人であるリィスを誘って、式典を見学する予定である。そんな彼女は今、リィスの実家であるヴィレッド家の屋敷の前に立っていた。その服装は艶めかしく、成人していない少女の発達した肉体をこれでもかと目立たせている。テレサピスの燃えるような赤髪が映える純白のロングドレスはその胸元をV字に大きく開け、扇情的にも双丘の側面が容易に視認できる造形となっていた。左足の方にも切り込みが入っており、太ももを覗かせるその姿は総合的に露出度が高い。男ならば邪な考えを抱かずにはいられなくなるような見た目であったが、実際の所それは男を落とすためのものではなかった。

 少女テレサピスは、同性である少女リィスを愛している。今回はリィスに少しでも自分を魅力的に思ってもらえるよう、このような服飾に手を出していた。

 想い人を待って数分、ついにリィスが屋敷から姿を現す。数人のメイドに見送られたその姿は、テレサピスと同い年だと思えないほどに幼いものであった。服装も17歳という成人に差し掛かった女性が着るものではなく、おそらく義母であるポポルの趣味であろうが、可愛らしい桃色の花形の装飾が施されていた。基調はテレサピスと同じく白であり、奇しくもお揃いとなっている。今回は記念日であるため、祝い事に相応しい色として被っても何ら不思議はなかったが。

 「ああ・・・!」

 遠目に見えるリィスの姿にテレサピスは恍惚とした声を漏らす。リィスの姿は男女問わず、可愛らしいと思えこそすれ、女性的魅力とはかけ離れたものであった。しかしテレサピスにとっては違うようで、彼女も自身の心臓が激しく鼓動しているのを感じていた。そしてそれはリィスが近づくにつれ増していき、ついに目の前に来た時には、ごくりと喉を鳴らしてしまう。

 「ご、ご機嫌よう、リィスさん・・・!」

 思わず顔がにやけそうになるのを堪えながら、テレサピスはリィスに言った。

 「おかし・・・かった・・・?」

 しかし、それを笑いを堪えていると勘違いしたリィスが、目を伏せながら聞く。テレサピスは急いでそれを否定した。

 「そ、そんな事ありませんわ!とても愛らしく、リィスさんに似合っていましてよ!」

 テレサピスの言葉にリィスは顔を上げると、今度はじっくりと彼女の姿を観察する。リィスも遠目からテレサピスの格好を理解していたが、間近で見るとやはり動揺を誘う姿であった。

 「すごい・・・服・・」

 「うふふ、似合っていますかしら?」

 その言葉を予測済みであったテレサピスは、すぐに言葉を返す。そして、自分よりも幾分か身長の低いリィスに向かって見せつけるように前屈みになった。両腕で胸を寄せ、自分の魅力を主張することを忘れてはいない。

 「ん・・・」

 いくら同性であっても胸の谷間を見せつけられて恥ずかしさを感じたのか、リィスは顔を赤くしながら目を逸らす。その姿に、テレサピスは心の中で拳を握った。一先ずはこの姿を魅力的だと思ってもらえたようだ。

 「それ・・・どうしたの・・・?」

 視線を逸らしたリィスが指差す先には、テレサピスの左足があった。これは生足を覗かせることに対する言葉ではなく、彼女の左足に括りつけられた剣に対してのものである。実を言うとテレサピスは今、帯剣をしていたのだ。

 「これですか?護身用ですわ」

 佇まいを直してから、テレサピスは答える。

 『護身用』とテレサピスは言ったが、これは彼女の格好が関係していた。と言うのも、テレサピスは自身の今の格好がどれほど男を引き寄せるかを理解していたのだ。見目麗しい乙女が肌を曝け出していたら当然と言えば当然であり、そう言った経験を社交界で彼女も何度かしている。普段ならばやんわりと断りを入れるのだが、今回はリィスと行動を共にするのだ。そんな美しい時間を男どもに邪魔させるわけにはいかず、力づくで追い返す手段として武器を携帯していた。

 「あら~、テレちーちゃん~すごい格好~」

 いつの間にそこにいたのか、リィスの後ろからポポルの声が聞こえた。彼女はいつも通り王国魔法研究会会長の制服にその身を包んでおり、記念日だからと言って娘と同様の気合は見せてはいない。

 「そうですか、ポポル様?これくらい、私たちの年ならば普通ですわよ?」

 さすがにそれはないとテレサピスも分かっていたが、この場を誤魔化すために淡々とそう言った。

 「本当~?じゃあ~、今度~リィスちゃんも~こういう服装に~挑戦してみる~?」

 ポポルに後ろから抱き付かれながら言われたリィスは、別段嫌そうな顔をしていない。これは許容しているとかではなく、これまでの付き合いからそれが単なる冗談であるということを理解していたからだ。しかし、それを冗談と受け止められなかったテレサピスは大声を出す。

 「駄目ですわ!」

 リィスの肌を街行く人に見せるなど許せない。そう言った思いから、テレサピスは思わず叫んでしまっていた。

 その行動に、親子二人は驚きの表情を見せる。

 「なんで~、テレちーちゃんが~怒るの~?」

 ポポルの言葉に同調するように、リィスも軽く頷いた。

 「リ、リィスさんには・・・今のような服装が、似合っていますから・・・!」

 それは何とかひねり出した言葉であったが、思った以上の効果があったようで、ポポルは機嫌よく笑う。

 「本当~!?これね~私が~選んだの~」

 やはりそうだったか、とテレサピスは思った。

 「さすがですわ、ポポル様。リィスさんの魅力を存分に引き出しています」

 これはその場しのぎの言葉ではなく、心の底から出た台詞であった。

 「や~ん、嬉しいわ~。テレちーちゃんも~ちょ~っとエッチだけど~似合ってるわよ~」

 「うふふ、ありがとうございますわ」

 二人は互いに笑い合う。テレサピスにしか見えていなかったが、リィスも少しだけ笑っていた。

 「じゃあ~、行くとしましょうか~」

 テレサピスがそんなリィスの笑顔をじっくりと観察していると、ポポルがそう声を掛けて来る。その言葉にテレサピスは動揺した。

 「あ、あら・・・?ポポル様もご一緒ですか・・・?」

 今回はリィスと二人きりでのお出かけだと考えていたため、戸惑いながら聞く。しかし、ポポルは平然と頷いて返した。

 「そうよ~。一応~会長としての~仕事も~あるんだけど~、面倒だから~部下に~全部押し付けてきちゃった~」

 てへへ、と笑って見せるポポル。こんな時にそんな怠慢をしてくれるな、とテレサピスは心の中で愚痴を零した。

 「それとも~お邪魔~?」

 「い、いえ・・・。そんなことはありませんわ・・・」

 本当は邪魔だ、と言いたい気分であったが、そんなことを言えばリィスの心証を損なう恐れがある。彼女がポポルの事を慕っているのは、普段の言動から分かっているのだ。将を射んと欲すれば先ず馬から。テレサピスはポポルの同行を泣く泣く許可する。

 「よかったわ~。旦那も~息子も~後で行くとか~言うのよ~。1人じゃあ~寂しくって~」

 「お母さん・・・寂しがり屋・・・?」

 「そうよ~。だから~、リィスちゃんと~一緒にいたいの~」

 嬉しそうに語るポポルと共に、テレサピスとリィスは式典の賑わいの中心である市民街へと歩を進めた。





 「あ~!そうだ~!」

 3人が歩き始めてしばらく経った後、急にポポルがそう声を上げ、ある屋敷の前で立ち止まった。歩みの遅いポポルやリィスに合わせていたため、未だ貴族街から出ていない地点での出来事である。

 「どうなさいましたの、ポポル様?」

 リィスと共に振り返ったテレサピスが聞いた。

 「私も~お友達を~誘えばいいんだ~。リィスちゃん~テレちーちゃん~ちょ~っと先に~行っててくれない~?」

 「お母さんの・・お友達・・・?」

 一体誰の事だろう、と少女2人はポポルが見つめる屋敷に目を向ける。

 「あら、ここは・・・」

 そこは2人も知っている人物の屋敷であり、リィスに至ってはポポルの言う友人が誰かも察しがついた。そのため、リィスにしては眩し過ぎる笑顔を浮かべてこう言う。

 「うん・・・分かった・・・。先に・・行ってるね・・・」

 「お願いね~」

 リィスの笑顔にポポルも笑みを返し、手を振りながら屋敷の中へと向かって行った。

 その間、テレサピスはリィスのその笑顔に見惚れてしまう。リィスという少女は、決して笑顔を見せない訳ではないが、笑う時も口の端を僅かに上げる程度で、このような表情は今まで見せなかった。やはり母親であるポポルには心を許している度合いが違うのか、とテレサピスは少しばかり嫉妬する。ただ、良いものが見れたと喜んだのと同時に、これでリィスと二人きりだと心を昂ぶらせた。

 「そ、それでは私たちは行くとしましょうか」

 その興奮を隠しながら、テレサピスはリィスに言う。リィスも頷くと、その表情を平時のものへ戻した。少しだけ勿体ないな、とテレサピスは気を沈める。

 「どう・・・したの・・・?」

 そのテレサピスの気配が顔に現れていたのか、リィスも首を傾げて聞いて来た。2人きりになった今、テレサピスは思い切って言ってみることにした。

 「リィスさん・・・先程の笑顔をもう一度見せていただく事はできませんか・・・?」

 「え・・・?」

 テレサピスの思わぬ要望にリィスも戸惑いの声を漏らす。それでも応えようとしてくれているようで、顔や口をくにくにと動かしていた。

 「ごめん・・・。できない・・・みたい・・・・」

 しばらく頑張ってみたが無理なようで、リィスは友人に謝罪をする。どうやらテレサピスとは異なり、自在に笑顔を操ることができないようであった。

 「いえ、お気になさらず」

 それを察したテレサピスは、そう答えながらも心に誓う。必ず自力で先ほどの笑顔を引き出して見せる、と。その心意気のまま、テレサピスはリィスと共に歩き出した。

 それとほぼ同時に、ポポルは警備兵に案内され、屋敷の中へと足を踏み入れる。すると、すぐにメイドが彼女を迎えた。

 「これはポポル様。本日はどういったご用件でしょうか?」

 「ユフィちゃんは~いる~?」

 ポポルの友人、それはエクセの母親であるユフィリアムであった。ただし、昔からの友人と言うわけではない。以前、リィスと共にファセティア家に挨拶に来た時に初めて知り合ったのだ。それでも娘同士の仲が良いということもあり、すぐに意気投合し、今では唯一無二の友となっている。まさかこの歳で親友ができるとは、とポポルもユフィリアムもその出会いを非常に喜んだ。

 「はい、いらっしゃいます。ですが、今は体調が優れないようで、お部屋で休まれております」

 「あら~そうなの~。こんな日にね~。バルさんは~どうしてるの~?」

 「奥様をお一人にするのは心苦しいとおっしゃっていましたが、立場上式典に参加しなければならず、今は留守にしております」

 「へ~、あの愛妻家の~バルさんがね~」

 しかし、それはポポルにとって都合が良い事であった。

 「まあ~、いいわ~。ユフィちゃんの~部屋に~案内して~」

 「畏まりました」

 メイドはポポルの要求に深々と頭を下げると、彼女を引き連れて屋敷内を進む。そして、ある扉の前で立ち止まると、

 「こちらが奥様のお部屋でございます」

 と言った。

 「ありがと~」

 とお礼を言うと、ポポルは扉をノックする。部屋の中から「どうぞ」という元気のない女性の声が聞こえてきた。

 「は~い~、ユフィちゃん~」

 部屋に入るや否や、ポポルは友人であるユフィリアムに向かって陽気に声を掛ける。ユフィリアムはベッドで読書をしていたのか、本を静かに畳んだ。

 「あら、ポポルちゃん」

 突然の友人の訪問をユフィリアムは笑顔で迎える。ポポルも笑顔を保ったまま、ユフィリアムのベッドまで近づいて行った。

 「どうしたの?私に何か用かしら?」

 本を脇に置きながら、ユフィリアムはポポルに尋ねる。

 「そうよ~。今日は~式典が開かれる日でしょ~。一緒に~見学でも~どうかなって~思って~」

 ポポルの提案は、友人としてならば快く受け入れたいものであったことだろう。しかし、ユフィリアムはその表情を曇らせ、首を横に振った。

 「ごめんなさいね、ポポルちゃん・・・。折角のお誘いなんだけど、最近また体調を崩しがちになっちゃって・・・」

 ユフィリアムは病弱で、一日をベッドの上で過ごす事は決して珍しいことではなかった。それでも最近は娘であるエクセが元気であることから、彼女もつられて活力に満ちた生活を送って来ていた。ならば、何故今は体調を崩しているのか。

 それは、端的に言えばグレンのせいであった。

 王城での会話以降、エクセは事あるごとにグレンに向かって『夜の伝説』について質問をしており、それを彼もしどろもどろになりながら、はぐらかしているという状態が続いている。その対応がまずかったのか、エクセは気を沈めてしまい、それに引きずられる形でユフィリアムも気分を落としていた。それゆえ体調を崩し、今もまた以前のようにベッドの上で生活を送っているのだ。

 「あら~、そうなの~。残念ね~」

 ポポルの寂しそうな言葉と表情にユフィリアムも心を痛めた。体調のせいもあっただろうが、その顔は弱々しく、美しい顔に陰りが見える。

 「――な~んて~!」

 しかし、ポポルはすぐに口調を明るくし、その顔もにこやかなものへと変えた。その急激な変化にユフィリアムも驚きの表情を見せる。ポポルは驚く友人に手を差し出すと、

 「ユフィちゃん~。ちょっと~お手を拝借~」

 と言った。一体何をするつもりなのか分からなかったが、ユフィリアムは言われた通り、彼女の手に自分の手を重ねる。

 するとポポルは、

 「――『結晶回復(クリスタルヒール)』~」

 と、6段魔法を難なく唱えた。瞬間、ユフィリアムの体が魔力で構築された結晶体に包まれ、彼女の体を癒していく。

 「からの~、『全能力大向上(オールハイアップ)』~」

 間髪入れず、ポポルは友人に5段魔法を掛ける。ユフィリアムは自身の体に今までに感じたことのないほどの力強さを感じた。

 「気分は~どう~?ユフィちゃん~?」

 血色の良くなった友人に向かってポポルは尋ねる。すでに返答は予想づいていたが、それでも友人の反応が気になった。しかしそんなポポルに気付かないのか、ユフィリアムは呆然としたまま何も言って来ない。

 「ユ~フィ~ちゃ~ん~?」

 ポポルは少しだけ大きな声を出して、ユフィリアムの名を呼んだ。それでようやく意識を取り戻したユフィリアムは、ポポルの方へ顔を向ける。

 「す・・・・すごいわ、ポポルちゃん!私、こんなに元気になったの、生れて初めてよ!」

 先ほどまでの暗い雰囲気とは打って変わって、ユフィリアムは声を張り上げた。その光景にポポルも満足な笑みを浮かべる。

 「それは~よかったわ~。でも~、一時的なものだから~無茶は禁物よ~」

 ユフィリアムに掛けた『結晶回復(クリスタルヒール)』は病まで治すことができる。しかし、ユフィリアムが体調を崩すのは彼女の体質が原因であり、そこまで治すことはできなかった。それでも『全能力大向上(オールハイアップ)』との併用により、今日一日くらいは元気に外を歩き回ることができるだろう、とポポルは考える。ちなみに、ファセティア家にも回復魔法を使える者はいたが、これほど高度な魔法を連続して無理なく唱えられる者はさすがにいなかった。

 「分かったわ!ありがとう、ポポルちゃん!それじゃあ、少し待っていてくれる!?すぐに着替えるから!」

 ユフィリアムは嬉しそうにそう言うと、急いでベッドから立ち上がる。そしてパタパタと衣類棚へと足を進めるが、すぐにピタッと止まった。

 「ああ・・・!でも、どうしましょう・・・!護衛兵も付けずに出歩いたら、主人に怒られてしまうわ・・・!」

 バルバロットは妻を余程大事にしているようで、ユフィリアムがそう声を上げた。しかし、すぐに打開策を思い付き、両手をパンと合わせる。

 「そうだわ!今、エクセが友達と出かけているからユーキとミカウルが暇なはず!あの二人に同行を頼みましょう!」

 うふふ、と笑うユフィリアムは今度は部屋の扉を開けると、廊下に向かって大きな声で使用人を呼び寄せた。その声を異常事態が起こったものと勘違いした大勢のメイドたちが駆け足で姿を現す。

 「如何なさいましたか、奥様!?」

 「ああ!駄目でございます!早くベッドにお戻りください!」

 「体調を崩されましたか!?」

 「誰か!回復魔法を使える人を呼んできて!」

 メイドたちの言動から、ユフィリアムが使用人たちに慕われていることがよく分かった。しかしその過剰なまでの慌てっぷりに、事情を知っている2人はくすりと笑う。

 「あらあら、皆心配性ね。私だったら大丈夫よ。お友達のおかげで、とっても元気になったの」

 信じられない、とばかりにメイドたちは互いの顔を見合わせた。ファセティア家お抱えの魔法使いでも、体調を崩したユフィリアムを歩けるまでに改善させることはできなかったのだ。

 「それで、今からポポルちゃんと出掛けるから、ユーキとミカウルを呼んで来て頂戴。あの子たちに護衛を頼みたいの」

 しかし、そう言うユフィリアムの顔はとても晴れやかで、メイド達の目から見ても活力に満ち溢れているように思える。毎日のように彼女の顔を見てきたメイド達だからこそ理解できた。

 「ね、お願い」

 ユフィリアムに笑顔でそう頼まれてしまってはメイド達に拒否できるわけもなく、その中の1人が護衛兵の2人を呼びに向かう。

 「うふふ、ありがとう」

 ユフィリアムはこの場にいるメイド達の誰よりも年上であったが、その笑顔に含まれる無邪気さは彼女たちを思わずときめかせてしまうほどであった。さすがはエクセの母親と言ったところである。

 「あ、二人が来るまでに、着替えを済ませておかないと」

 そう言うと、ユフィリアムは自分の部屋の中に戻って行き、再び衣装棚へと向かった。彼女の後に続いて数人のメイドが「お手伝いします」と言って、部屋の中に入って行く。それと入れ替わる形でポポルは部屋を出た。

 「ポポルちゃん、少し待っていてね」

 「は~い。ごゆっくり~」

 その背中に向けて掛けられるユフィリアムの言葉にポポルも笑顔で返し、扉を静かに閉めた。





 式典当日、王国の英雄であるグレンにはある任務が課せられている。

 それは、先日アルベルトから頼まれた『王族の護衛』であった。今は、式典を見学する王族のために特別に建設された貴賓席へと向かっている最中である。

 (しかし、人が多いな・・・)

 グレンが今歩いている所は、式典の本会場からすこし外れた通りである。ティリオンが「やるなら盛大にやりてえ」と言ったことが発端で、より人が集まりやすい繁華街で式典が催されることになったのだが、そのせいで本会場近くは大勢の市民でごった返していた。当然その近くのこの通りも人が多くおり、本会場ほどではないが出店も多く出されている。ただそのおかげか、通りを歩く人々もグレンには気が付いていないようだ。たまにグレンの事を指差してくる者もいるが、すぐに興味を店に移し、話し掛けてこようとはしなかった。

 (それでも、この人ごみは疲れるな・・・)

 そう思い、グレンは細い横道へと進路を変える。目的地までは遠回りになるが、まだ指定された時間には余裕があるため、別段急ぐ必要もなかった。加えて、本会場から離れた出店もない道ならば人は少なく、小休止に丁度良いとも言える。細道を抜け、通りに出ると、足取りは軽いものになった。

 (思えば、この街をこうやって歩き回ることなど、今までしてこなかったな・・・)

 グレンは幼い頃から王都に住んでいるとはいっても、その時の生活は苦しく、日々を無為に過ごしている余裕などなかった。そのため、今とは異なる自宅においては畑仕事に専念し、両親が亡くなった後も戦争に参加するまで剣の修行と山籠もりをしていたのである。現在の家に住み着いてからも、自分に必要な場所にしか赴くことはせず、広い王都の構造を全く理解していなかった。ただ、それによって何か不便があったかと言われれば、ないのだが。

 (これを機に、少しだけでも覚えてみるか・・・)

 根が真面目なせいだろうか、それとも単に歩くだけで暇だったからだろうか。グレンは、そんな事を考えながら街並みを見回していく。見知らぬ武器屋に見知らぬ道具屋、おそらく新築であろう家屋に見知らぬ市民。色々な目新しさがそこかしこに存在していた。

 「ん・・・!?」

 それらに気を配るグレンの隙をついて、誰かが彼の服を掴む。その力は決して力強いものではなく、すぐに振りほどけそうであったが、グレンはそうしなかった。こういった場合、大抵がグレンの興味を引きたい幼い子供の仕業なのだ。基本的には少年なのだが、たまに少女もそういった行動をした。では今回はどちらか、とグレンはその手の主の顔を確認しようとする。

 「グレン・・・だよね・・・?」

 しかし、それよりも先にその人物が声を上げた。やや高めだが少女の物でない事は確かであり、そこからグレンはその人物を少年と断定する。ならば少年向けの対応をしよう、と考えたグレンはその人物と目を合わせた。

 「む・・・!?」

 その瞬間、グレンは先ほどの考えが間違っていた事に気付かされる。なぜならば、彼の服を掴んでいたのがまごう事なき少女であったからだ。

 かなり整った顔立ちをしており、あのエクセと比べても何ら遜色がないとグレンすら思ってしまうほどである。特徴的な灰色の髪は前にも後ろにも長く、少女がグレンを見上げなければその目をすっぽりと隠していたことだろう。前髪の間から覗かせる瞳は金色に輝いており、それだけでも何らかの芸術品に例えることができそうであった。

 先ほどまで身を潜めていたのか、物陰から体を出して服を掴む少女の顔を見ながらグレンは思う。

 (ならば、先ほどの声の主はどこだ?)

 幻聴だったかと思いつつ、グレンは周りを見回そうとした。そんな彼に向かって、少女は再び口を開く。

 「グレン・・・なんだよね・・・?」

 それは先ほど聞いた少年の声。

 (ん・・・!?)

 グレンは凄まじく困惑した。先ほどまで可憐な少女だと思っていた人物の喉から、少年の声色が発せられている。不似合いとまではいかないが、多少なりとも違和感があった。どういうことだ、と考えるグレンに向かって少年声の少女は三度言葉を掛ける。

 「ねえ・・・!グレンなんでしょ・・・!?」

 その声は最早必死な域に達しており、それゆえグレンも一先ず疑問を置いて質問に答えることにした。

 「あ、ああ・・・」

 グレンの返答に、少年声の少女は喜びの表情を作る。その笑顔は眩しく、同い年くらいの男子ならば一目で恋に落ちてしまいそうであった。

 「よかった・・・。ここでお前に会えるなんて・・・僕は何と幸運なんだろう・・・」

 その言葉にグレンは少し面食らう。

 今まで、グレンのことを呼び捨てにする子供はいくらでもいた。それはグレンの事を侮っているのではなく、子供たちにしてみればグレンは物語の中の登場人物みたいなものであり、呼び捨てで慣れてしまっているからだ。それについてはグレンも別段腹を立てることなく受け入れており、今まで一度もそう言う子供たちを叱ったことはない。

 しかし、『お前』と言われるのは初めてであった。怒りこそ感じなかったが、さすがに年下からそう呼ばれてはグレンとしてもどのように対応すべきか悩んでしまう。似合わず怒るか、子供のした事として流すか。このような時アルベルトならば上手く対処するのだろうな、とグレンは久しぶりに友人を羨ましく思った。

 「最後に会った時からほとんど変わらないから、すぐに分かったよ・・・」

 「え・・・!?」

 にこり、とこちらに笑みを向けて来る少女――いや、先ほど自分のことを『僕』と言ったあたり少年なのだろう――の一言にグレンは動揺する。どうやら以前に会ったことがあるらしい。

 (まずいな・・・覚えがない・・・)

 しかし、グレンには目の前の少年に関する記憶が全くと言っていい程なかった。ならば正直にその旨を伝えようと思ったが、その時先日の勇士管理局での一件を思い出す。あの時、自分の事を忘れられていると知ったレナリアはとても悲しそうな顔をしていた。グレン自身は忘れられていても何とも思わないのだが、そういった行為は相当失礼な行為に当たるのだろう。そのため相手に問い質すのは最終手段とし、まずは自力で思い出してみることにした。

 とは言っても顔では判断できないため、まずは少年の服装に着目してみる。

 (かなり立派だな・・・)

 余程裕福な家庭の子供なのだろう。身に着けた衣服は上質な布でできており、それに付けられた装飾品も煌びやかな物ばかりである。祭日であってもいつものものと変わらないグレンは、自身の服装と比較して少しだけ引け目を感じた。

 (おや?)

 少年の服を観察していると、その胸に紋章が刺繍されていることに気が付く。長い髪に隠れていて今まで気が付かなかったが、それは見覚えがありそうなものであった。

 「失礼」

 そう言って、少年の髪をどけてその紋章を確認する。少年は小さく「あ・・・」と声を出したが、特に嫌がるような素振りは見せなかった。

 「これは・・・!」

 その紋章を目にした瞬間、グレンは驚きの声を上げる。それもそのはずで、そこにあったのはフォートレス王国の王族に属する者のみが身に纏うことを許された紋章であったからだ。つまり目の前の少年は王族と言うことになる。そして王族の少年と言ったら、この国には1人しか存在しなかった。

 「まさか・・・!ラグナ王子ですか・・・!?」

 ティリオンの子供の中でただ1人の男子、それがグレンの目の前で微笑む少年――ラグナ=オルジネイト=ヴァン=フォートレスであった。

 「あ、やっぱり忘れてた・・・?さっきから黙ったままだったから、そうじゃないかなと思ったんだ」

 「す、すいません、王子・・・!」

 「ううん、気にしてないよ。お前と会うのは、かれこれ10年振りくらいだもんね。その間、僕も成長して、声も変わっちゃったし」

 10年前と言うと、グレンが兵士を辞めて勇士となった時期である。それ以前の兵士時代、確かにグレンはラグナと何度か出会っていた。しかし、これといった会話をしたことがなく、それゆえ彼の中でも王子に対する印象は薄い。と言うよりも、ラグナの父親であるティリオンの人となりが濃すぎるせいで、例え他の王族が傍にいても記憶に残り難いのだ。

 しかし、そんなことを率直に言えるわけもないため、グレンは当たり障りのない言葉を発しようとする。

 「そうですね、随分とご成長なされたようで。国王もお喜びになる事でしょう。こんなに立派――」

 言葉の途中でグレンは考える。目の前にいるのは確かに『王子』なのだろう。先ほどは胸の刺繍に目が行ってしまったが、全体を見てみればその服が男性用の物だという事が分かる。加えて、最初に声を掛けられた時に思った通り、少年にしてはやや高めだがそれでも決して女の声ではない。

 しかし、だがしかし、その顔はどう見ても少女のものであった。先ほどからラグナの事を『王子』と呼んでいるグレンでさえも、そう呼ぶ行為に強烈な違和感を覚えてしまっている程だ。

 そして、それを『立派』と評して良いものなのだろうか。男子ならば、逞しく大きく育つのが理想のはずだ。しかし、目の前の少年は細く可愛らしく育ってしまっている。これが女性であったならば手放しで褒めることもあっただろうが、このような成長をした少年に向かって、称賛を投げ掛けては逆に失礼に当たるのではないか。

 グレンは短い間にそんな事を考えながらも結局、

 「――になられて」

 と言い切った。

 「本当!?――えへへ、嬉しいな~」

 グレンの心配を他所に、ラグナはその言葉に喜びの声を上げる。その少年の顔はやはり愛らしい少女のもので、グレンは何故だか彼の将来に一抹の不安を感じた。

 「王子、つかぬ事をお聞きしますが・・・今、おいくつですか・・・?」

 「14だよ」

 グレンの唐突な質問にもラグナは愛らしい笑顔を保ったままで答える。

 (14か・・・。ならば、まだ成長の余地はあるな・・・)

 グレンはまるで子供の発達を心配する親のような心境になっていた。同時に、ティリオンはどう思っているのだろう、とも考える。

 「ねえ、グレン・・・。お前に頼みたいことがあるんだけど・・・」

 黙り込んでいるグレンに向かって、ラグナがそう声を掛ける。一体何事だろう、とグレンも思考を中断して王子の言葉に耳を傾けた。

 「あのね・・・貴賓席まで・・・一緒に行って欲しいんだ・・・」

 ラグナ自身その言葉がとても頼りないものだと分かっているのか、かなり遠慮がちに語られた。そしてそれにより、グレンは今まで気付かない事がおかしい程の事に気付かされる。

 「そう言えば、何故こんな所にいらっしゃるんですか・・・!?それもお一人で・・・!?」

 グレンの驚きの言葉にラグナはさらに申し訳なさそうに返す。

 「うん・・・、始めは騎士団の人達に連れて行ってもらってたんだけど・・・大勢の人達を見たら、怖くなって・・・逃げ・・ちゃったんだ・・・。それで、(はぐ)れちゃって・・・」

 「怖くなって・・・逃げた・・・?」

 世の中には他人と向き合うことを恐怖する人間がいると言うが、もしかしたら王子はそう言った類の人物なのかもしれない。グレンはその言葉から、そう考えた。

 「ごめんね・・・!やっぱり幻滅したよね・・・!こんなのが次期国王だなんて、嫌だよね・・・!」

 現状、ティリオンの子供の中にはラグナしか男子はいない。仮に他の男子が生まれたとしても、第一王子であるラグナが父親の後を継ぐのは確実だろう。しかし、彼はその事に関して自信がないように思える発言をした。

 「あ・・・いえ、そんなことはありませんよ」

 そのため少年の心を気遣い、グレンもそう声を掛ける。それだけで沈み込んだラグナの表情が明るいものへと変わった。

 「えへへ。お前は強いだけじゃなくて、優しいんだね。僕、グレンの事がもっと好きになっちゃったよ」

 この言葉からラグナの中でグレンの評価がかなり高い事が窺える。しかしグレンは、その事よりも少女顔の少年にそう言われ、少しだけ気恥ずかしい気分になっていた。

 「・・・ところで、貴賓席までの同行でしたか?私も丁度王族の警護のため、そちらに向かっている道中でした。共に向かうとしましょう」

 その恥ずかしい気分を紛らわすため、グレンは足を動かすことを提案する。ラグナはまたもや眩しい笑顔を浮かべながらこう言った。

 「そうなの!?僕、聞いていなかったんだけど!――ううん・・・でも、嬉しいな。グレンに守ってもらえるのなら、安心だよ。父様が命じたのかな?」

 「いえ、アルベルトに頼まれました」

 「アルベルトか。後で、褒めておこうっと」

 楽しそうに言うラグナは、続いて右手をグレンに向かって差し出した。

 「じゃあ、グレン。行こっか」

 これはつまり手を握れと言う事か、とグレンは怯んだが、仕方なく左手でその小さな手を握る。途端、ラグナの「えへへ」という嬉しそうな声が聞こえた。

 「お前の手は固くて大きいんだね」

 何やら卑猥な言葉に聞こえたのは、グレンが男であったからだろうか。

 とにもかくにも、二人は目的地へ向かって歩き出す。さすがに歩幅に差があったためグレンもゆっくりと歩いているのだが、実を言うと今すぐにでも駆け出したい気分ではあった。と言うのも、傍から見たらこの光景はどう映るのだろうかと気が気ではなかったのだ。2m近い身長の大男が、見た目は少女の子供と手を繋いで歩いている。親子と思ってくれるのならばまだマシで、ラグナの立派な服装に比べてグレンのものはいつもの軽装だ。最悪、誘拐犯と間違われても不思議ではない。グレンは王国の英雄とは言え、王都に住む全市民に顔が知られている訳ではないのだ。

 「そう言えば、王子・・・。その髪、少し長くはないですか・・・?」

 せめて親し気に会話をして見せることでそういった誤解をされないようにしようと、グレンも苦手な会話に手を出した。

 「ああ、これ?これはね、メイド達が『王子は髪が長い方が似合います』って言うから伸ばしてるんだ。『民の声に応えるのも王族の務め』って父様も言ってたしね」

 それは応えなくても良いのではないか、とグレンは思った。しかしラグナはまんざらでもないのか、髪を空いた左手でいじりながら、

 「どうかな?似合うかな?」

 とグレンに向かって聞いて来た。

 「そ、そうですね・・・」

 その問いに対してグレンは考える。ラグナの今の髪型が彼に合っているかどうかと言われれば――考える必要もないくらい――ものすごく合っていた。しかし、それは男子として似合っていると言う意味ではなく、そこから思うにやはり肯定はしないでおいた方が良いのかもしれない、などとグレンは考える。

 それでも最終的には、

 「とても、似合っていますよ・・・」

 と言うしかなかった。ただ、一つ気に掛かっていたことに関しては苦言を呈す。

 「しかし、前髪が長すぎではないですか・・・?」

 ラグナの前髪はその目が隠れてしまう程に長い。髪が目に入るとかいう程度ではなく、完全に視界の邪魔になっているくらいだ。これもメイドに言われたからであろうか、と考えるグレンに向かって、ラグナは言い辛そうに答えた。

 「これはね・・・僕・・・人と目を合わせるのが・・・怖くて・・・」

 「人と目を合わせるのが怖い、ですか・・・?」

 「あ、ごめんね・・・!がっかりしたよね・・・!?こんな情けないこと言うなんて、王族失格だよね・・・!?」

 「い、いえ・・・そこまでは・・・」

 再び自分を卑下するラグナに、何故ここまで自分を悪く言うのか、とグレンは違和感を覚える。ただ、その原因は端的に言うと――またもや――グレンにあった。

 ラグナはかつてティリオンと共に何度かグレンと会っており、その度に父親から彼の凄さを語って聞かされていた。

 そしてその時ティリオンから、

 『ラグナ、俺とお前は運がいい。グレンと言う男の生まれた時代に王になれるんだからな。お前が王となった時、今度はお前がグレンを従えるんだ。何か困ったことがあったら、あいつに頼め』

 と言われたのだ。

 この言葉に、まだ幼いラグナの心は激しく動かされた。通常、グレンに憧れる者が彼に対して思い描くことは「あんな風になりたい」、「彼と一緒に戦いたい」といったものである。しかし、ラグナは王族だ。グレンに付き従われる立場であり、他の者とは異なる未来を思い描くことができた。

 それ故、少年の頭の中には数々の夢想が広がった。

 グレンに格好良く指示を与える自分の姿、グレンを従え行進する自分の姿など、当時4歳であったラグナは興奮のあまり寝ることが出来ない程にその妄想に夢中になった。

 しかし周知の通りグレンは兵士を辞めており、それはつまり王族の手から離れたということである。これに多くの者が驚愕したが、最も心を痛めたのが何を隠そうラグナである。

 しかも彼は父親を敬愛していた。そこからグレンが自分たちのもとから離れたのはティリオンのせいではなく、次期国王にあたる自分に不満があったからだと誤解をしたのだ。もちろん、グレンが兵士を辞めた理由はそのどちらでもない。

 しかし、その時よりラグナは塞ぎ込んでしまい、他人との関わりを極端に恐れた。自室に閉じこもっては本を読み漁る毎日。その中でも、グレンに対する憧れは失われなかったが。

 今となっては、10年という長い年月とティリオンの説得、使用人達との交流によって多少は生活習慣が改善されている。ただ、未だ自分に自信を持つことが出来ず、人前に出ることに恐怖を覚えていた。

 「僕もこれじゃ駄目だとは思っているんだけどね・・・。どうしても他の人の目が怖くて・・・」

 それは少しもったいないな、とグレンは思う。先ほど見たラグナの瞳はとても美しく、まさに一見の価値ありと断じても間違いではなかった。

 「あ、ですが、先ほど私とは目を見て話されていたではないですか」

 ラグナの瞳の色を理解していることから、グレンはその事を思い出し、そう告げる。

 「グレンは別だよ!だって、お前は僕の英雄だから!」

 『王国の英雄』ではなく『僕の英雄』と言ったのは、ラグナが未だグレンに固執しているからであった。できれば再び兵士になってもらいたい、と密かに思っていたりもする。

 「そ、そうですか。それは・・・なんというか・・・光栄です」

 「うん!これから向かう所も、グレンと一緒だから怖くはないと思うんだ!」

 元気な笑顔を見せながらそう言うラグナに向かって、グレンは戸惑いながらも軽い笑顔を浮かべて見せた。王族の人間にここまで言われて嬉しくない訳はないが、相手が少年だという事もあり、グレンもその言葉を素直に受け入れていいのか悩む。

 と言うよりも同性であるためなのか、先ほどからラグナは妙にグレンに対して率直な好意をぶつけて来ていた。異性に対するものとは違うと分かっているのだが、それでも少女のような顔で言われると恥ずかしいものがある。

 「皆、王国の民なのですから、そんなに恐れなくとも良いと思いますよ」

 その気持ちを隠しつつ、グレンはラグナに向かって助言をする。グレンも大人であるためか、最近は年下に助言をすることが増えてきたな、と思うのであった。

 「それは・・・分かってるんだけど・・・。どうしても体が――」

 「王子!!」

 「――ひゃう!」

 ラグナに向かって大声を掛けたのはグレンではなく、おそらく彼を探していたであろう騎士である。それでも突然の呼び掛けに驚いたラグナは、変な声を上げてグレンの後ろに隠れてしまった。そしてその右手はグレンの左手に繋がれたままだったので、グレンは変な態勢のままこちらに向かってくる騎士を出迎える。

 「探しましたよ、王子!どこにいらしたんですか!?――ああ、いえ、そんな事はどうでもいいですね。とにかく無事で何よりです」

 騎士はグレン越しにラグナに向かって声を掛けると、ちらりと彼の顔を伺うように視線を移した。そして、ようやく目の前の人物が王国の英雄であることに気付く。

 「これは・・・、グレン様・・・!?まさかグレン様がラグナ王子を保護してくださっていたんですか!?」

 保護というと少し違うが、グレンは肯定するように頷いて見せた。

 「感謝いたします、グレン様。言い訳がましいようですが、この人だかりで我々も視界が悪く、少し目を離した際に王子を見失ってしまいまして」

 本当は彼もラグナが大勢の市民に恐怖して逃げ出したことを知っているのだが、王子に責任を押し付ける訳にもいかず、そう言って自身の失態にした。

 「いや、気にするな」

 グレンもそれを察したため、苦言は呈さないでおく。本来ならば職務怠慢と罰せられることもあるのだろうが、グレンは騎士の上司でもなければそれを告げ口する気もなく、またラグナも無事であったため不問とした。

 「そう言っていただけると助かります。――さ、王子。私と共に参りましょう」

 そう言って、騎士はグレンの後ろに隠れたままのラグナに手を差し出す。しかし、ラグナはそれに応えようとはせず、グレンの手を握る右手に力を込めた。

 「ああ、それなんだが、王子は私が貴賓席までお連れすることになった。君は別の仕事に取り掛かってくれ」

 「グレン様が、ですか?それは確かに、私としても安心できますが・・・。よろしいので?」

 「ああ、私はアルベルトから王族の護衛を命じられている。そこへ向かう道中に王子とお会いしたんだ」

 「そうでしたか。ならば、王子をお願いいたします。私は監視役に加わるとしましょう」

 話し相手がグレンであったために油断したのか、騎士は本来ならば極秘事項に当たる別任務の内容を口走ってしまった。それにグレンは気付かない振りをしてあげたが、ラグナは「何のことだろう」と首を傾げる。騎士も自分の失態に気付いたようで、少しだけ動揺の色をその顔に浮かべるが、やはり相手がグレンであったため構わないと判断した。

 「それではラグナ王子、グレン様。失礼させていただきます」

 そう言うと、騎士は頭を下げて二人の前から去って行く。すると、ラグナもグレンの背中から姿を現した。そんな少年に向かって、グレンは苦言を呈す。

 「王子、相手は騎士なのですから何も隠れなくても」

 「うう・・・、ごめんね・・・。お城の中なら平気なんだけど、外で会うとどうしても怖くなっちゃって・・・」

 グレンの言葉にラグナは落ち込んだ様子で答えた。ただ、グレンとしてはそれ以上何かを言うつもりもなかったため、ラグナの頭を空いた右手で優しく撫でる。

 「えへへ」

 と少年も喜びの声を漏らした。

 「目的地までもうすぐです。急ぐとしましょう」

 「え~・・・、僕・・・もう少しグレンと二人きりが良いな~・・・」

 真顔でそう言うラグナに対して、この少年は少し言葉を選ぶ必要があるな、とグレンは思うのであった。これがグレンだったから良かったものの、もし異性であったならば誤解をしてしまうだろう。王子という身分である彼には、もう少し自分の立場というものを理解してもらう必要がある。

 などという事を柔らかい表現で伝えていると、何とか式典開始前に貴賓席にまで着くことが出来た。そこは国王と皇帝のために建設された舞台の右手側で、王国の貴族達に用意された席の丁度反対側に位置している。ただ、集まった人々の様子を窺えるよう高く作られているため、互いに繋がってはいなかった。

 グレンとラグナは見張りの騎士に通され、そこまでの階段を登って行く。ラグナは見た目通り体力がないのか、登り切ったころには息も途切れ途切れと言った様子であった。

 「おお、ラグナ王子!心配しましたぞ!」

 先頭に立っていたラグナの姿を目に入れ、一人の騎士が声を上げる。それは騎士団3番隊隊長のドゥージャンであった。

 「ごめんね、ドゥージャン」

 「いやいや、ご無事であるのならば宜しいのです!ただ、後で貴方様を見失った騎士の名を教えてはいただけませんかな?厳しく言っておかねばなりませんので」

 「だ、駄目だよ!悪いのは僕なんだから!」

 「そうでございますか?ならば、王子を叱らなければなりませんな」

 「ええ・・・!?そ、それは・・・」

 「あっはっは!冗談でございますよ」

 にっこりとラグナに向かって微笑むドゥージャンの表情を見て、グレンは目を丸くしていた。普段、彼の前では絶対にこのような顔はしないし、冗談を言って笑うこともない。珍しいと言えばそうなのだが、ドゥージャンとて誰彼構わず皮肉な態度を取ることもないか、とグレンは考えた。

 彼のその考えは半分正解で半分不正解である。と言うのも、一般的な騎士と同じようにドゥージャンも国王に対して尊崇の念を持っており、そしてその敬意がこれまた一般的な騎士と同じように全ての王族に対しても向けられているだけだったのだ。

 特に彼は隊長という立場もあり、王族とはかなり親しい。そのため、ラグナも――彼にしてみれば――優しいドゥージャンと親し気な会話を繰り広げたのであった。

 「おや・・・これは、英雄殿。一体、何しにここへ?」

 おそらく始めからグレンの存在に気が付いていたのであろうが、ドゥージャンは今更ながらグレンのことに触れる。ただ、その顔はラグナに向けられたものとは異なり、かなり不機嫌であった。

 「アルベルトに言われ、王族の方々の警護をしに来ました」

 「なんですと・・・!私は聞いてないが・・!?」

 グレンは事前にドゥージャンと共同だと聞かされていたため、彼がいても別段驚きを感じなかったが、どうやらグレンの事についてはアルベルトが黙っていたようだ。もし伝えていたらドゥージャンがグレンの参加に難色を示していただろうから、正しい選択と言えよう。

 「よかったね、ドゥージャン!グレンが居れば、お前も安心でしょ!?」

 ラグナにとってここには親しい人物しかいないため、彼の声も自然と大きなものとなっていた。その声を聞き、席に腰掛けて式典の開始を待っていた王女達が一斉に3人の方へ顔を向ける。特に皆『グレン』という言葉に反応していた。

 「そ、そうですな・・・」

 その光景はドゥージャンの後ろで展開されていたため彼が気付くことはなく、ただラグナの言葉に不承不承と言った感じに肯定の言葉を述べる。そんな彼に向かって、席を立った一人の少女が歩いて来た。その少女はドゥージャンの隣に立ち止まると、グレンの顔をじっと見つめる。

 「ふ~ん、あんたがグレン?」

 「おお、ミスリ王女」

 ドゥージャンがミスリと呼んだその少女は――おそらく名前の由来になったであろう――ミスリルのように澄んだ青色の瞳と髪をしていた。

 ティリオンの物とは異なるそれを見て、

 (そう言えば昔、国王が『俺は顔と髪の綺麗な女が好みだ』と言っていたな)

 とグレンは思い出す。

 おそらく、顔の愛らしさと共に母親から受け継いだものなのだろう。グレン達が上がって来た階段とは逆の位置に少女とは言えない年齢の女性が3人いるため、その中のミスリと同じ髪色の人物が彼女の母親なのだと分かった。

 「話に聞いた通り、醜い姿ね」

 そんな事を考えているグレンの古傷だらけの腕や顔を見て、ミスリは馬鹿にするようにそう言った。

 (ああ・・・この口の悪さは間違いなく、国王から譲り受けたものだな・・・)

 さすがに失礼な言葉であったため口には出さなかったが、グレンは思わずそんなことを考えてしまう。加えて、こちらを鋭く見つめて来るその目も何だかティリオンに似ていた。

 「だ、駄目だよぉ、ミスリちゃん・・・。国の英雄さんにぃ、そんな失礼なこと言っちゃぁ・・・」

 オドオドというよりもビクビクといった感じの少女がミスリの暴言に苦言を呈す。その少女に向かって、ミスリはさらに鋭さを増した目つきを向けた。

 「黙りなさい、ロロア。英雄が何よ。私は王女なのよ」

 その言葉にロロアと呼ばれた少女は涙目になりながら、

 「あううううぅ・・・、ロロア『お姉ちゃん』だよぉ・・・」

 と言った。ラグナと血の繋がりがあるのが納得できる程の情けない声である。

 「私と歳もそんなに変わらなくて、母親も違うくせに姉面しないでくれる?」

 「えええぇ・・・!私が13歳でぇ、ミスリちゃん10歳じゃないぃ・・・。3つも違うよぉ?」

 ミスリのきつい一言にロロアも何とか返すが、顔をぷいっとして無視されてしまった。その行動にロロアは「ええええぇ・・・」と再び情けない声を出す。

 「お。いいのか、ミスリ?今の言葉、親父が聞いたら悲しむぞー?」

 そのロロアを助ける意味も込めて、また別の少女がミスリに向かって声を掛けた。その少女はティリオンに似た野性味をその身に纏っているようにグレンの目には映る。

 「大丈夫です、キセラお姉さま。ここにいる優しい方々が、お父さまに告げ口しなければいいんですもの」

 ミスリは自身が受かべる笑顔とは裏腹に、「黙ってろよ」とでも言いたげな発言をした。その言葉にキセラは小さく「くはははは」と笑う。笑い方がティリオンに似ているな、とグレンは思った。

 「ん・・・?」

 そんなグレンに向かって、キセラが軽く微笑んで見せる。それが何の意味を含んでいるのか彼には分からなかったが、聖マールーン学院高等部2年に所属している者であったならば称賛の意味が込められていると理解できただろう。

 キセラは王族としては珍しく、幼いころから他の子供たちに混じって学院に通っていた。本来、王族の人間は王城に所属する専任教師から指導を受けるため、学院に通う必要はない。またティリオンが国王となってからは父親として彼自身が教育に当たっており、子供たちのほとんどがその環境に異議を唱えることはなかった。ただキセラだけは異なり、初等部から学院に通いたいと言い出したのだ。この要求をティリオンはあっさりと受諾。なぜならば、彼もまた若かりし頃は自ら学院に通いたいと言い出したからであった。しかも彼が望んだのは平民の通うアセット学院である。ティリオンの国王らしからぬ所作は、その時に培われたものなのかもしれない。

 グレンは軽く頭を下げることで、キセラの笑みに応えた。

 「こちらを向きなさい、グレン」

 自身に目を向けないグレンに対して、ミスリがそう命令をする。少女を見下ろすグレンに向かって、続いてミスリはビシッと指を突き付けてきた。

 「あなた、私の家来になりなさい」

 「・・・・・は?」

 ミスリの突然の物言いにグレンも思わず戸惑いの声を漏らす。

 「私直属の部下になりなさい、と言っているの」

 「いや・・・それは・・・分かりますが・・・」

 何故そんな事を要求して来るのかが分からなかった。どう断ろうかとグレンが考えていると、意外にもドゥージャンが手助けをしてくる。

 「ミスリ王女。王族には、騎士や兵士がいるではないですか。何もこのような男に頼らずとも、我々がいれば十分でしょう」

 「確かにそうよ、ドゥージャン。私も、貴方たち騎士の働きにはとても満足しているわ」

 王族における騎士や兵士の評価はとても高い。戦争のない昨今ではあったが、王族が外遊をする際には当然の如く騎士や兵士が同伴しており、その時に現れた盗賊などの不届き者を難なく撃退している姿を幾度となく目にしているからであった。加えて、ミスリはかつて遊びに出掛けた山で迷子になったことがあり、それをドゥージャンに助けられてからは彼に対する信頼が特に厚い。ドゥージャンもそれを誇りに思っていた。

 「でもね、お父さまが本当に欲しているのはこの男なのよ」

 「国王が、ですか?」

 「ええ。英雄グレンの逸話を楽しそうに何度も話して聞かせてくれたわ」

 ミスリの言葉にキセラもロロアも「あ~、そう言えばそうだった」と言うような表情をする。

 「だから、グレンを再び王族に仕えさせることが出来たら、きっとお父さまは私を褒めてくださるはず」

 その光景を頭の中に思い描き、ミスリは嬉しそうに微笑んだ。どうやらこの少女はかなり父親を慕っているようである。

 「そう言えばグレン様が兵士をお辞めになった時、お父様はご自分の何がいけなかったのか、悩んでいらっしゃったわ」

 そう言葉を発したのは、今まで黙ってやり取りを見ていた1人の女性だった。

 彼女の名前は、カルナ=オルジネイト=ヴァン=フォートレス。赤ん坊を抱いているため始めは母親の内の1人かと思ったが、見た目の若さからそうではないとグレンは判断した。そしてそれはその通りであり、彼女が抱いているのはティリオンの八女であるラムル――要は妹である。

 ただ、グレンがカルナを母親と見間違えたのにも理由があった。それは彼女の体形が少しふっくらとしていたからだ。顔立ちが良いのは分かるのだが、それでも余分な脂肪が周りに付いており、彼女の美しさを損なわせている。しかし逆に言えば、それが彼女に強烈な母性を纏わせてもいた。

 「本当ですか、カルナお姉さま!?――グレン!貴方、この責任をどう取るつもり!?」

 「どう・・・と、おっしゃられても・・・」

 グレン自身、そんな話は初耳である。あのティリオンが自分が居なくなっただけで落ち込むなど、考えだにしなかった。

 「これはもう私に仕えるしかないわね。そしてお父さまのために働くのよ」

 「はあ・・・、そうですか・・・?」

 これは断っても承諾してもあまりいい結果にならないな、とグレンは困り果てたように言う。

 「あれ?でもそれって、別にミスリに仕えなくてもいいんじゃない?」

 そんな彼を助けてくれるというのか、キセラがそう声を上げた。

 その言葉に、ミスリも少しだけ怯む。

 「た、確かにそうです・・・」

 「だったら、私も英雄が欲しいなー」

 助けてくれるのではなく、まさかの参戦であった。

 「なっ・・・キセラお姉さま!?」

 「親父が喜ぶんでしょ?だったら、私もそうしなきゃ」

 ミスリの驚きの声にキセラは淡々と答える。ティリオンを慕っているのは、ミスリだけではなかったようだ。

 「ま、まあ・・・いいでしょう・・・。でしたら、キセラお姉さま。どちらがグレンを従えるか、勝負です」

 「いいね、受けて立つよ」 

 「あ、じゃあ、私もぉ・・・」

 キセラとミスリの中に、ロロアも小さく手を上げて加わろうとする。キセラには文句の1つも言わなかったミスリであったが、彼女に対しては鋭く睨みつける事で抗議をした。

 「あううううぅ・・・、お姉ちゃんなのにぃ・・・!」

 ロロアは涙目になりながらそう言った。

 (何故、こんな事になった・・・)

 その光景を見ながら、グレンはそんな事を考える。

 その時、ふいに彼の服が両脇から引っ張られた。

 (なに!?)

 それにグレンは驚愕する。

 彼は人の気配が分かり、近づく者があれば容易に把握することが可能であったからだ。しかし今、彼は何者かの接近を気付くこともなく許してしまっている。しかもその数はおそらく2人。

 一体誰がそんな芸当を、とグレンは急いで両脇の人物を確認する。

 「ん・・・?――ん?」

 2人の人物を確認した時、グレンは奇妙な感覚に襲われた。

 それらは少女であり、おそらくティリオンの娘であるのだが、2人とも全く同じ顔をしていたのだ。髪や瞳の色も全く同じ黒であり、グレンは自分の脇に鏡が置かれているような錯覚を覚えた。

 「・・・・・・・・」

 「・・・・・・・・」

 その2人の少女は何も言わず、ただ静かな笑顔を浮かべたままグレンの服を掴んでいる。

 「あ、あの・・・」

 これはどういった意味があるのか、とグレンは悩む。

 「ああ、申し訳ありません、グレン様。その子たちは双子のフランとプランと言います。とても無口で、お父様以外の家族ともあまり話さないんですよ」

 そんな彼に向かって、カルナが説明をしてくれた。グレンもあまり親しくない者とは喋らない方であったが、この2人は家族の者とも会話をしない筋金入りの無口なようだ。

 「しかし、これはどういったことなのでしょう・・・?」

 「おそらくですけど、その子達もグレン様のことが欲しいのではないでしょうか?」

 「え・・・!?」

 カルナの言葉にグレンは戸惑いの声を上げ、フランとプランはそれを肯定するようにこくこくと頷いた。

 「ちょっと、フランにプラン!ここは姉である私に譲るべきでしょう!?」

 その様子にミスリが声を上げる。

 ちなみにミスリと双子は母親が異なり、歳も2つしか離れていない。そのため、先程ロロアに対して放った彼女の言葉通りならば姉扱いする必要などないはずなのだが、自分の場合は違うようだ。

 「ミスリちゃん・・・」

 ロロアが唖然とした様子で呟いた声が聞こえる。

 「とりあえず、その手を放しなさい!グレンは私の物よ!」

 ロロアの声はミスリには届いておらず、彼女は双子に向かって声を荒げた。フランとプランは2人揃って首を横に振り、それを拒否する。

 「おいおい、ミスリ。何勝手に自分の物にしてるんだよ」

 「あら、キセラお姉さま。もう勝負は始まっているんですよ?」

 「そうかい、そうかい。じゃあ、さっきお前がロロアに言った台詞、親父に知られたくなかったら大人しく私にグレンを寄越せ」

 「ぐっ・・・!私を脅迫なさるおつもり!?それが王族のすることですか!?」

 「王族だからするんじゃない。家族だからするんだよ」

 キセラはにやにやと笑っており、その脅迫と要求がただミスリを揶揄いたいためであるということが容易に見て取れた。しかしミスリは()に受けており、どうすることが最善かを必死に考え始める。

 「い・・いいわ・・・。グレンを手に入れれば、喜びの方が勝ってくれるはず・・・。きっと、それでお許しになってくれるはず・・・」

 どうやらそういう結論に至ったらしく、ミスリは再びグレンを見上げ、

 「グレン!私の家来になるという意思があるのならば、まずはその2人を引き剥がしなさい!」

 と、命令してきた。いずれは手を放してもらうつもりであったグレンだが、無理矢理引き離すのはどうか、とすぐには行動に移せないでいる。その間にも、双子は絶対に離れないと言う思いを見せつけるようにグレンの足にしがみ付いてきた。まるで丸太のような足を両手で抱き締めているその姿に、カルナとキセラはそれぞれの形で笑い声を上げる。

 「何をしているの、グレン!?私の言う事が聞けないの!?」

 「これはあれだ、ミスリ。グレンは、お前の家来になりたくない、と言ってるんだよ」

 「なんですって・・・!では、キセラお姉さまの物になりたい、と言うの!?」

 「お、そうかそうか。いやー、人気者はつらいね」

 「もしかしたらぁ、私かもぉ」

 「ロロア!」

 「ひいぃん・・・!なんで、私だけぇ・・・!」

 「・・・・・・!」

 「・・・・・・!」

 言葉で騒ぐ3人と、何も言わず手を上げて跳ねることで自分の意志を示す双子。誰かこの状況をなんとかしてくれ、とグレンは思うのであった。

 「だ、駄目だ!!」

 その時、今まで静観していたラグナがグレンの前で両手を広げて、大声を出す。あの臆病な少年にしては、意志の籠った力強い声であった。

 「グレンは僕の物だ!!姉さんにも、妹達にも絶対に渡さない!!父様もそう約束してくださった!!」

 ラグナの行動にグレンも驚いたが、それよりも驚いたのは長年彼と過ごしてきた家族たちだ。皆、驚きの表情を浮かべ、兄であり弟でもある少年を見つめている。

 「ふ、ふ~ん・・・珍しいですね・・・。ラグナお兄さまがそのような声を出すとは・・・」

 それでも何とかそう言ったのは、ミスリであった。

 「う・・うん・・・僕もびっくりだよ・・・。こんな大声出したのなんて、久しぶりかも・・・」

 同じように、声を絞り出してラグナもそう答える。その言葉に兄がそこまで怒っていないことを察したミスリは気を取り直し、彼の言葉に反論した。

 「ですが、お兄さま?その話は私も伺ったことはありますが、それもグレンが兵士だった時のものでしょう?」

 妹の言葉にラグナも「ううっ・・・!」と言ってしまったことで、痛い所を突かれたという事がバレてしまった。その反応にミスリも、にやりと笑う。

 「さすがはお兄さま。物分かりがいいですね。お察しいただけた通り、その約束はもはや時効。無効です。ですので、私がグレンをもらっても何の問題もありません」

 「あ、あるよ・・・!」

 ミスリの言葉にラグナは何とか異議を唱えて見せた。

 「ふ~ん・・・。では、何の問題があると言うのですか?」

 「・・・・・・・僕が嫌だ・・・!」

 それは、彼にしてみれば十分な理由足りえるものなのだろう。しかし妹は違うようで、兄の何の根拠にもならない言葉に対して苛立たし気に眉を吊り上げた。

 「お兄さま!次期国王ともあろう者が、そんな薄っぺらい理由で我が儘を言わないでください!お父さまの後継ぎとして恥ずかしくはないのですか!?」

 「で、でも・・・!父様だって、よく自分勝手な我が儘を言ってるじゃないか!?」

 「お父さまはいいんです!お父さまは!」

 「なんで・・・なんで父様はいいのさ!?」

 「お父さまだからです!」

 「そ、それだって・・・十分薄っぺらい理由だと思うけど・・・・」

 「まあ、お兄さま!お父さまを侮辱なさるおつもりですか!?」

 「ち、違うよ!変な言いがかりは止めてよ!」

 ミスリも一応は妹としてラグナと接しているのだが、いかんせん口の強さは妹の方が上のようだ。その後もラグナは防戦一方となってしまい、ついには押し黙る段階まで来てしまう。

 (そろそろ止めた方がいいか・・・)

 グレンとしても王族の人間が自身を取り合うことに喜びを覚えない訳ではなかったが、王子が可哀想になって来たため2人の間に割って入ろうとする。もっと早い段階で助けようとも思ったが、そんな事をしたら王子の兄としての誇りに傷がつくのではないかと考え、ここまで耐えていた。

 また、ドゥージャンが嫉妬の目でこちらを見て来る状況からも脱したく、行動を開始する。

 しかし、彼がミスリに言葉を投げ掛けるよりも前に声を上げる人物がいた。というよりも、泣き声を上げる赤ん坊がいた。

 「お~、よしよし。――もう、ラグナにミスリ。貴方達が騒ぐからラムルが泣いちゃったでしょう」

 ラムルをあやしながら、カルナはそう言って2人を叱責した。その言葉に先ほどまで喧嘩をしていた兄妹も静まり、申し訳なさそうに呟く。

 「ごめんなさい、姉さん・・・」

 「すいませんでした・・・」

 謝罪する2人に対して、カルナは未だ怒ったような表情を向けていた。

 「謝る人が違うでしょ」

 そう言われ、はっとした2人は妹のもとまで歩いて行く。そして泣き叫ぶラムルの顔を覗き込むと、それぞれこう言った。

 「ごめんね、ラムル」

 「ごめんなさい・・・」

 しかし、幼子であるラムルにその言葉が理解できるはずもなく、泣き止む様子は見られない。向こうに座る3人の王妃も騒ぎに気付いたのか、こちらを心配そうに見つめていた。子供たちのもとまで歩いて来ないのは面倒だからと言うわけではなく、ラムルが良く懐いているカルナのことを信頼しているからである。今までも、ぐずったラムルをあっと言う間に泣き止ませてきた実績があった。

 ただ、今回に限っては少し時間が掛かっているようで、カルナも手を焼いしまっている。幼子であるラムルにも兄姉の喧嘩は理解でき、それを深く悲しんだのだろうか。英雄と言われるグレンも、さすがに子供をあやす事は出来なかった。

 「どうしよう・・・」

 誰もが途方に暮れ、ラグナが代表して弱音を吐いたその時、式典の開始を告げる魔法が打ち上がる。その魔法は空中で爆発し、七色の光の粒となって弾けた。続いて、会場に大挙していた人々の歓喜の声が大きく上げられる。先ほどまでも賑やかな声が聞こえられたが、それはもはや音の爆発とでも例えられるほどに空気を振動させた。

 それに体をびくっと震わせたラグナとミスリであったが、すぐにラムルの事を心配する。二人と同様に驚いたであろう妹がさらに泣き叫ぶに違いない、と予想したのだ。しかし、それに反してラムルは「きゃっきゃ」と喜んでいた。

 民の喜びの声を聞いて喜ぶ。この赤子もまた王族に相応しい人間なのだな、とその光景を見ながらグレンは思った。

 「さあ、王子、王女。式典が始まります。席にお座りください。ラムル王女に王族としての正しき姿をお見せしなければ」

 そう言ったのはグレンではなく、ドゥージャンである。グレンとしてもそれくらい気の利いた言葉を言ってみたいものであったが、生憎と思い浮かばなかった。代わりにここにいる者の警護に全力を尽くそう、と気合を入れる。

 「ん・・・あれは・・」

 そんなグレンの目に、式典の挨拶をするために現れたティリオンの姿が映った。その身は式典用の雅な礼服に包まれており、まさに国王としての風格を纏っている。ただ、その顔は嬉しさのあまり普段見るような表情よりもにやにやとしたものであった。

 しかし、それも仕方ない事であろう。ただ今――そう、ただ今より王国と帝国にとっての歴史的瞬間が始まるのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ